Nanna Preethiya Hudugi(Kannada/2001)をDVDで。
『America! America!!』のナーガティハッリの作品だと知り膝を正して臨んだが、いくら何でも古臭過ぎた。同時期のファーシル監督と同じ、頭の中でこしらえた想像上のファンシー若者像。特に主人公の造形は決定的におかしかった。ド田舎の生まれで人前で鼻をほじるようなやつだけど、フルートの才能があるというのはまあいいとして、文化交流プログラムで渡米してもほとんど演奏してない。ソング&ダンスは完全にナラティブを中断する作りになっていて、イライラさせる。アメリカの消費文明批判はソングの中だけでおっかなびっくり行われている。もっとも痛烈に批判されているのは、その消費文明に乗っかりながら、インド文化の保持を声高に叫ぶNRI富裕層に向けられている。ただしそれも幕間のコメディーとして終わり、ヒロインの両親の頑迷は別にアメリカに限ったことではないワンパターン。リードペアはそれなりに評価できるとレビューに書かれてるが、何か事情があってそう書いたとしか思えないぎこちなさ。マレナードのパートに尺を割いてたら楽しめて他かも。
Cheluvina Chittara (Kannada/2007)をDVDで。
予備知識なく見始めて、10分ほどでこれがKaadhal (Tamil/2004)のリメイクだと知りがっくり。オリジナルの舞台であるマドゥライとチェンナイは、マイソール南東30kmほどのところにあるナラシープラとバンガロールに置き換えられた。印象的なラストシーンは原作ではティンドゥッカルだったが、ここでは分からず。またタミル版のテーヴァル・カーストはここではヴォッカリガ(ガウダ)に置き換えられた。タミル版122分に対し、こちらは142分ほどで、余計なソングを付け足したせいだろうと思ったが、データを見るとむしろオリジナルの方が曲数が多い。ストーリーもギャグまで含めてそっくりそのままなのになぜこうイライラするのかといえば、配役とこってりした演出にあるのだと思う。特にガネーシュは良くない。ソングシーンでもまともに踊れないため、けち臭い映像処理に頼って情けない。踊りで一番の見どころがバンガロールの下宿人たちのダンスだというのだから。カップルを助ける友人はオリジナルではクリスチャンの設定だったが、ここではそれはなかった。
Raayan (Tamil/2024)を川口スキップシティで。
入りは65パーセントほどか。日本人の方が多かった印象。読後感は爽快、風呂上がりというか雨上がりというか。両親を失った4人兄妹が北チェンナイに移り住み、長兄が身を粉にして働いて弟二人と末の妹を成人させる。大衆食堂で地道に商売している長兄がなぜかやたらと強い(このあたりは伝統に則り強さの理由を示さない)。気がかりだった妹の見合い婚が決まった矢先に中の弟が暴力沙汰を起こし、町のドンにマークされてしまう。古風な「耐える長男」ものと「妹センチメント」ものを合体させ、そこに血の雨を降らせて現代的なものにした。途中までは典型的なセンチメンタル腫れ物お荷物である妹が終盤で「妹の力」を発揮する脚本は凄い。監督というより脚本家としてのダヌシュのビジョンに唸る。唯一、弟の裏切りだけはちょっと性急だったかも。主役を食っちまう癖のあるSJSもいい感じに制御して活かし切った。舞台設定はラーヤプラムだけど、典型的な北チェンナイ・ダリトものとは異なり、地域特性よりも普遍性が勝った神話的な物語になっている。あの爪のような武器と主人公の名前に関して調べること。
Ahaan (Hindi/2019)を試写で。
ダウン症をもつ男性と周囲の人々との物語というだけの前知識で鑑賞。何は措いても福祉の観点から鑑賞すべき作品なのだろうけれど、メッセージの重苦しさは全くなく、メガロポリスであるムンバイに住む、中産階級の無名人たちの緩い日常が展開する中で見ている方も肩の力が抜けていく気分になる(ギャングもテロも悲惨な大事故も起きないムンバイ)。主人公とかなりコントラストをなす存在として潔癖症/強迫性障害の男を出してきて、その2人の間の通常はあり得なさそうな友情を巧みな脚本で納得できるものとして組み立てた。主人公のアハーンはダウン症に特徴的な容貌をもち、何もせずとも病名が分かる人物だが、症状は軽い。彼は多くの女性たちに自然な付き合いをさせるが、一方で男性は彼を遠ざけようとする。彼が夜の浜辺で佇んだ後の出来事、恋路の行方など、描き過ぎなかった省略の美学は効果的。一方でロールモデル的な人物の母親に長々と話をさせる割に当人に関する情報がないのは気になった。潔癖症男は、この後のパンデミック時代になればむしろ推奨される生き方だったのではないか。主人公が英語を話すのも印象的。
Indian 2 (Tamil/2024)をアクアシティお台場で。
612席のうち200ぐらいが埋まっていたか。汚職やサボタージュを告発するユーチューバー集団の中心人物チトラ。腐敗官僚に就職を阻まれて自殺した女性を救うことができなかったことで自分の活動に限界を感じる。そして彼は伝説のインディアンの帰還を求めるハッシュタグをつくりバズらせる。一方台湾の道場にいたインディアンは満を持して帰国し、巨悪を次々と倒す。チトラたちも身近な人間を告発することでインディアンに追随するが、チトラが父を逮捕させたことで母は絶望して命を絶つ。ボロボロになったチトラは今度は彼に去れというハッシュタグを即席で作りだし、それもまた燎原の火のように広まる。シャンカル節の復活が嬉しかった。本国での評判は芳しくないのはまあ分かる。結局我が子すらを手に掛けたインディアンと、肉親の情の前には正義も道を譲るチトラやクリシュナムールティ親子とは分かり合えないので、インディアンは一旦去るしかないのだ。これを3でどう決着させるのか不安。ダンスはどれも贅を凝らした作りだったが、フラクタル的な増殖がそれほど驚異に映らなかったのは確か。
For a Few Dollars More (Italy/1965) をオンラインで。
邦題は『夕陽のガンマン』。英語字幕付き。この歳になって初めてマカロニ・ウエスタンを見た。昔から残虐シーンが多いなどと聞いて敬遠していたけど、何のことない、南インド映画なんかと比べれば子供だまし程度のものでしかなかった。「マイボーイ」の出元だということも分かった。まあでも確かに、空気感などがアメリカのものと微妙に違う。そして人情や情念の描き方、正義というものの捉え方、古典西部劇とは全然違う。デモーニッシュなまでにとことんスタイリッシュさを追求するところにはオタクっぽいものまで感じる。これらすべての底にあるのはニヒリズムのように感じられるが、どうなのか。大佐の回想のトラウマシーンなどはもう少しうまく説明する映像にできなかったのかなどとは思うが、悪役がヤク中というのが分かるところがカットされていたためか。誇り高いヨーロッパ人が、アメリカの辺境の時代劇を、各国からの寄せ集めのチームで撮るという不思議。もしも時間に余裕があったなら、この映画史上の極め付きに奇異な現象の裏にあったものを追いかけたいところだった。
Mahaan (Tamil/2022)をオンラインで。
カールティク・スッバラージのラスト1本。ガーンディー主義者の家系に生まれた息子でガーンディーと名付けられた教師が、たった1泊妻が家を空けたその夜に、少年時代の遊び友達だった密造酒屋の息子と再会し、羽目を外す。翌朝取り繕うとしたがバレて、憤激した妻子は出奔してしまう。諦めた男は旧友の商売に参加し、やがてリカーバロンとなっていく。しかし思い詰めるタイプの母に連れられ北東インドの新興宗教施設で育った息子は、父への怒りを募らせ、父に道を外させた者たちに合法的に復讐するため警官になる、という物語。最初からOTT公開作として作られたのかどうかは不明ながら、かなり大胆なメッセージを含む。まず飲酒の礼賛。例のうるさい注意書きが全く現れない。そしてガーンディー主義も教条性が極端になると人を抑圧する装置になるという、至極まっとうだがインドでそれを言うのには勇気が要りそうな主張。そのせいか現地レビューは芳しくない。しかし、インド人の大雑把すぎる歴史認識、聖者に祭り上げた存在の前での思考停止の傾向を考えると、このような主張が出てきたのは大したことに思える。
Mercury (Tamil - 2018)をオンラインで。
カールティク・スッバラージを全部見ておくために。サイレント映画らしいと知っていたので慌てなかったが、そうじゃなきゃ最初の方で機器を確かめたりしてたかも。聾唖の男4人、女1人のグループが避暑地で休暇を楽しんでいる。音楽をガンガンにかけているので分かりにくいが振動を楽しんでいるらしい。苦情が出てやってきた警官に見せるアイポッドにベートーヴェンの絵が描いてあるのはそのため。彼らは同じ聾学校のクラスメート。一同が赴く茶畑の中にある廃工場は90年代に多数の犠牲を出した事故の現場であるマーキュリーという化学工場。という背景は最後になってやっと繋がってくる。軽率な若者たちのグループメンバーが一人一人消えていくフッテージものかと思わせてラストで少しだけ外す。5人の男女の衣装はモノトーン(モノクロームではないが)で、プラブデーヴァの赤いセーターだけに視線が行くように作られている。主要登場人物が言葉を話さないという設定で緊迫した設定に持って行くための細やかな演出が巧みだと思った。コダイカーナルの化学工場の事故は初めて知ったが、茶畑はミスマッチか。
777 Charlie (Kannada/2022)を過去に見た時思ったんだけど、
〔インドでは「あなたは人に迷惑をかけないと生きれないんだから、他人の迷惑も許しなさい」と親が子供に言う〕というまことしやかな俗説は、本作みたいなものから生まれてきたのかな。日本語字幕で公開されたことによって、ごく少数ではあるけれど、身勝手な人間の思い込みで物言えぬ犬を貧乏旅行に連れまわしたことに対する嫌悪を書いている人が確認できた。そういうのが見つかったことでホッとした。ただ、そういうことも含め、人間を救うために神の計らいで現れた犬と見ることもできる。珍奇なおもちゃを気に入った子供が結局それをいじり壊してしまうことも含めて運命だったのだと。まあこれは動物愛護の精神とはかなり異なるものではあるけれど。
Teen Maar (Telugu/2011)をDVDで。
タイトルがひどく気になりずっと見たいと思ってたけど、実見してみれば、打楽器とも、その担い手であるダリトとも無関係。中盤ぐらいでまさかと思いながら見てたけど、最終場面でLove Aaj Kalのリメイクと分かった。パワンはこの頃まではロマンチック・コメディーをやってたのかという感慨。ただ、LAKは共感ゼロの一作だったので損した気分。しかし後から脚本がトリヴィクラムだったと知って吃驚。レビューが概ね好評だったというのにもさらに吃驚。リメイクで原作の持つ至らぬところが改良されたとかそういうことは全くなく、ますますシュールなものに。まず現代パートの舞台をケープタウンにして、主人公に名誉白人を演じさせたこと。この鈍感さには怒りを通り越して唖然。通りすがりの女性をヒロイックに救助するシーンのワンパターンぶりなど色々目も当てられない(しかしパワンはここで今の嫁と知り合った)。旧時代のヒーローの方も、愛に生きた名もない男では満足できず、中途半端なヒロイズム。パワンはアイドル時代の面影をこのあたりまで保持していたか。トリシャーの演技はとてもいい。
Thuppakki (Tamil/2012)をキネカ大森で。
封切り時に川口で見て以来12年ぶり。インド陸軍のジャガディーシュ大尉が休暇でカシミールからムンバイに戻る。バスの中でのコソ泥捕縛をきっかけに同時多発爆破テロを目論む男の手下を捕まえ、密かに監禁して計画を自白させ、惨事を未然に防ごうとする。彼は単なる軍人ではなく、諜報部のスリーパー・セル。同僚の結婚式に集まった11人の仲間たちと共に、テロリスト側のスリーパー・セル12人をエンカウンター処刑するが、遠くカシミールで指揮を執る反政府組織のボスに正体を突き止められ、一対一の死闘にもつれ込むことになる。ムルガダース+ヴィジャイのコラボレーションの第一作。軍人を主役とすることによってタミル・プライドよりもインドの愛国心を前面に出した珍しい作例。タミルを一切舞台にしないタミル語映画の先駆的な例かもしれない。そうであってもあくまでもタミル人を演じるのだ。この辺りでヴィジャイの政治的な指向性にターボがかかったとみるべきか。小娘時代カージャルはスポーツシーンの振付がなっていなくてイタい。主人公が自爆攻撃をすると傷痍軍人たちに告げるシーンが印象的。
Maharaja (Tamil - 2024)をキネカ大森で。
満席。タミル人は7~8人か。VJS50として満を持して封切られ、現地でヒット街道驀進中。慎ましい床屋の男が不条理な事故で妻を失う。辛うじて娘が助かったのは事故現場にあった鉄製ゴミ箱に守られたため。そのゴミ箱にラクシュミと名前を付けて神像のように祀っていたが3人の強盗にそれを盗まれたとして警察に届け出をする。警察は相手にしないが、馬鹿力で暴れるために、やむなく捜査するふりをする。この男が連日警察署に通ううちに徐々に秘められた過去が明らかになり、3人組の犯罪の真実が露頭し、彼らは一人一人男によって殺される。いわゆる叙述トリックを使った(それもダブルで)リベンジ・スリラー。「浄め」あたりから始まって、流行とまでは行かないものの、以降何本か見た。バイオレンス度は平均よりもやや上という程度だと思うけど、少女への性犯罪と絡めると陰惨なものになる。同じく流血の多い悲惨系タミルニューウェーブでも、Angadi Theruとかの頃のものには古典悲劇的風格があった。本作は監督の才気を見せたい気持ちが勝っているように思えてうそ寒い気持ちになった。
Pushpa: The Rise (Telugu/2021)をあまや座で。
初めてスクリーンで。邦題は『プシュパ 覚醒』。1980年代にAP州ラーヤラシーマ地方チットゥールに生れたプシュパ・ラージは貧しいシングルマザーに育てられ、教育も充分に受けていない。実の父は上位カーストの有力者だったが、生前に彼を認知しなかったので、正妻の息子たちはプシュパが父の姓(インティ・ペール)を名乗ることを禁じ、彼と母を蔑んだ。彼は一介の労働者から始め、東ガーツ山脈特産の高級木材である紅木の密輸業に手を染め、驚異の身体能力、強運、大胆不敵さによってシンジケートの大物に成り上がる。その間には同業者と血みどろの戦いを繰り返して多数の敵を作り、さらに警察とも激しく対立する。シュリーヴァッリとの純愛が実り挙式する彼に向けられるいくつもの殺意が俯瞰されて第一部は終結する。RPGゲームよろしく次々と敵が現れ、どんどんパワーアップしていく。そういう点でファハドの演じる警視が最大の敵であるようなのだけれど、前の方に出てきた連中にも油断ができないという終わり方。サマンタのアイテムがエロすぎてメッセージでもあるのかと思った。
Kamaraj (Tamil - 2004)をDVDで。
邦題は『カマラージ』、癖のあり過ぎる日本語で疲弊。素朴な編年体で紙芝居のように人生の各フェーズの出来事が展開。副題でキングメーカーという割にはコングレス内での立ち回りについてはあまり描写されない。敵役としてまず1954年までのCMラージャージーが現れ、次のDMKの面々、しかし決定的なのはインディラー・ガーンディー。ドラヴィダ運動の高まりでタミル・コングレスがジリ貧になった時に、バラモン出身でない代表を求める声に押されて党首となり、CMとなった。DKやDMKとの間の舌戦は、はっきり善悪を分けない配慮の元で並置される。カルナーニディなどとは異なり、カーマラージは映画に対して比較的冷淡だったことが暗示されるエピソードもあり、興味深い。CM位を1963年に勇退した後は、1964-67年の間は中央で会議派総裁を務めたが、自身がPMになることはなく、シャーストリやインディラーを権力の座に押し上げた。しかしインディラーの非常事態宣言下で末世を嘆きながら眠るように息を引き取った。ミッド・デイ・ミールスの創設など教育に力を振り向けた点が強調される。
Rudrangi (Telugu/2023)を川口スキップシティで。
まさかの字幕なし。ウィキペディアで粗筋を読むも頭に入らず。しかし無心に画面を追うと大体の筋は分った。独立前のテランガーナ、共通の祖父に育てられた部族民の従兄妹が祖父の命令で幼時婚するが、領主に逆らった祖父の非業の死をきっかけに別れ別れになる。その領主と対立する別の領主に拾われた従兄の方が成長し、従妹と再会するが、彼女には従兄が仕えている好色な領主の魔の手が迫っていた、と言う話。テランガーナの部族民の蜂起の話だが、英国人もイスラーム教徒も一切登場しない。悪役領主はデーシュムク姓。ジャガパティ・バーブは『ランガスタラム』『アラヴィンダとヴィーラ』でのキャラの流用で演じている感が強いが、両作のような細やかなキャラクター造形がなされておらず、ただイタい。マムターは鉄火な女傑を熱演していたけど、なぜそうなったか、最後になぜ変わったかがよく分からず(知るために字幕付きで再見する気にもなれない)。これがデビュー作らしい監督、テランガーナ映画がテルグ映画に対抗できるようになるにはまだまだ先に長い道のりが待っていることを実感させられた。
Anjaam Pathiraa (Malayalam/2020)をDVDで。
久しぶりのDVD鑑賞、変なバグあり。コッチの町で起きた警察官を標的にした猟奇的な連続殺人。精神科医のアンワル・フセインは友人のACPアニルの依頼で捜査に関わるようになり、特捜チームに加わる。DCPキャサリンの指揮下で、凄腕のハッカーも引き込み、チームは徐々に犯人に近づいていくが、最後にたどり着いたのは20年(?)ほど前の山深い田舎の村で起きた免罪事件だった。陰鬱さを楽しむタイプのクライム・スリラー。コッチの街中でもとりわけ無機質で殺風景な場所を選んだ撮影が巧み。探偵に当たる主人公に特にパーソナルな屈折を設定せず、純粋な黒子としてストーリーを展開した。ジヌ・ジョーゼフは怪しい色が付きすぎていてラストに驚きがない。異常者による快楽殺人として話を始めながら、最後は怨恨としてしまったのには不満。その殺人鬼のアジトというのが、ミシュキンの『Psycho』と同じ養豚場というのは訳があるのか。実話の基づくとあるのはサイド・プロットとしての親族殺人の若者のパートだけか。正義の女神像などのギミックはいま一つ効果的ではなかった。
茲山魚譜 -チャサンオボ-(2021、자산어보)を韓国文化院で。
1800年の朝鮮。基督教徒であるため朝廷を追われた丁三兄弟の長兄丁若銓が島流しで黒山島にやってくる。朱子学をベースにして西学も旺盛に取り入れた若銓が流刑地で初めて関心を向けたのは、島の人々の生活誌の記録というジャーナリスティックなテーマと、魚類の分類・詳説の自然科学分野だった。後者の記録に当たっては土地の漁師昌大の助けによるところが大きい。この昌大は、本土の商いをしている両班の庶子でコンプレックスの塊。この男の、独学ゆえの隔靴掻痒の悶え、耶蘇教を奉じる若銓への軽蔑と憧憬の間で揺れる心の芝居が素晴らしい。若銓とその世話を焼く未亡人との間の交情も、実も蓋もなく言えば現地妻なのだけれど洒落た描写。昌大と海女をやる幼馴染との間の関係もさり気なく詩的に叙述する。念願かなって科挙を受け役人になってからの昌大の物語はいつものパターンで、史実に沿うとそれ以外の展開がないのだと思う。弟若鏞が配流を解かれたので自分も呼び戻しに備え本土に近い島に移るというのはよく分からなかった。冒頭の3兄弟の運命の分かれ道も歴史の知識があれば鮮明だったはず。
Turbo (Malayalam/2024)を池袋ヒューマックスシネマで。
72歳マンムーティとPokkiri Raja(2010)でデビューのヴァイシャークとの3回目のコラボレーション。バイオレンスにドライブがかかると止まらないため「ターボ」の綽名を持つジョースという男。たぶん40代だが、幼少時のトラウマ体験からマザコンで、未だに独身。イドゥッキで揉め事を起こし、尻ぬぐいでチェンナイに出かけ、そこで黒社会のドンと対決する。セリフは多く、字幕も字数が多いが不思議なほどストーリーはよく分かる。ツナ缶をめぐるあれこれはグロテスクなはずなのに笑える。ラージBは不完全燃焼、端役のマンスール・アリ・カーンはきっちり使う。最後のあれは続編ありの予告なのか。それにしても本作、タミルやテルグ並みのアクションを捌けるというのを見せつけたい映像作家の野望が見えたが、ママに頭が上がらない暴れん坊の田舎者という愛すべきキャラを演じられるのはマンムーティかモーハンラールぐらいしか思いつかないというのが何とも。ドゥルカルにもプリトヴィにもその他のどの若手俳優でも想像が付かないというのは良いことなのか悪いことなのか。
Guruvayoor Ambalanadayil (Malayalam/2024)を川口スキップシティで。
もしやと思っていたプリトヴィラージのデビュー作Nandanam(2002)への言及は、クライマックスのキーエレメントになっていた。それでこのコメディーは一気に神の存在/不在をめぐるものへと変わる。ドゥバイで働く弱気なヴィヌと北インドで働く圧の強い男アーナンダンは親友だが、実際に会ったことはおそらく数回しかなく、それでもお互いを理解しあったつもりでいる。ヴィヌはアーナンダンの妹アンジャリとの結婚を決め、帰省する。元カノのパールヴァティのことは忘れたつもりだったが、その彼女がアーナンダンの折り合いの悪い妻で、最近やっとよりを戻したばかりだと知る。ヴィヌとアンジャリの間が揺れるとそれに合わせて周りの人間も揺れ、どたばたのうちにグルヴァーユールの神前での式の場面に至っても、自体がどう転ぶか予断を許さない。いや本当にお見事としか言いようがない作劇だが、ともかく大団円のあの爽やかな喜びはNandanamを見ていないと共有できないという意味で日本公開向けではない。それが嬉しいような悲しいような。
Jai Lava Kusa (Telugu/2017)を川口スキップシティで。
公開時に星州で見て以来。最大のツイストであるモーディーによる廃貨のシーンは、もっとタメを作ってのものだった気がしたけど、案外あっさりしていた。ジャイを演じるNTRにはハリクリシュナの面影がくっきりと見えた。キャラとして一番立っているのもジャイでその次が泥棒のクシャ、この2人だけでも良かった気もするが、大道芝居そのままの雰囲気が売り物の本作としては無理にでも銀行員ラヴァを入れたかったのだろう。1人3役ともなれば、普通は髪型や服で区別をするところが、敢えてそれをやらなかったところに自信のほどがうかがえる。弟二人を攫ったジャイが、兄の敵として自身を憎むシムランの懐柔をクシャに、オディシャー州ベランプールの選挙民を手名付けるための影武者をラヴァにやらせるのは無理のある設定だが、芝居によって幼時のコンプレックスにカタを付けさせるというのは様式美ではある。タマンナーのアイテムダンスが暗いお色気に振り切った演出で驚く。幼少期の舞台、クライマックス手前での3人揃い踏みでの芝居の試みのシーンはとてもいい。ずっと見ていたかった。