Watermelon, Fish and Half Ghost (2014)をYTで 。 

これが初作品。トリロジーを見たので止まらなくなり鑑賞。少女と年下の男子アショーク、格子から足を出しスイカを食べる。チャール(chawl、マラーティー式長屋)の描写。無尽蔵の時と折り合うためにルーティーンに明け暮れる人々。横になった祖母を訪れる祖父。上半身だけしかない。葬儀の時に坊主がマントラを半分唱えそこなったので、祖父の半分が地上に残ってしまった。我慢できなくなった祖母は自分が昇天し、祖父の半分もつれていくことにした。若い女リニと、いつもテラスで英語の詩(ワーズワース)を朗読している若い男スジョーイ。リニの結婚が決まると、スジョーイの読む詩はリルケの悲しげなものになる。長雨により洪水になり、アショークの家は浸水する。電気も止まる。彼と母は少女の家に避難してくるが、父は職場から戻らなかった。魚になったのだとアショークは言う。魚を食べたら父を食べることにならないか。スジョーイの詩を除くすべてのナレーションは少女の囁き声。イラストを混ぜる手法がすでにある。ロケ地としてDevlankar wadaの表示。

➂And What is the Summer Saying (2018)は山形の映画祭から。 

邦題は『夏が語ること』。①と似た森が舞台。夜の森を懐中電灯を持ち歩く2人の姿。老婆の声。神はここにいない、村にいる。新しい神ラームやラクシュマンは外からもたらされた。電気がないので盗みも起きない。ここからモノクロになり、男の声、父の思い出。彼と父が二人で真夜中の森を歩いていたところで虎に遭い、彼をかばい一人で戦い殺されたらしい。父は野生の蜂の蜜を集める専門家だった。カワーとサーイーという子供。若い男女の会話。料理する女性の独り言?屋内の牛の姿、年の離れた亡夫の思い出を語る老女の声「まるで子供のように可愛がってくれた」。テロップで父の教え「蜂は常に独りで飛ぶ、ひとたびつがいになるとオスは死ぬ、それが生まれてくる唯一の目的だから」「愛の中で死ぬ蜂についてますます考えるようになった」。女性の声「寝ている間にクムクマを塗られた、嫁がされたらしい」。子供への親の言葉「広場の向こうに行くんじゃない」、「恋文を書いた」など。ムンバイの東200kmのビーマシャンカル、コンドワル村で録音された音声とのテロップ。

②Afternoon Clouds(2017)も初上映。邦題『アフタヌーン・クラウド』。 

最もエレガントでドラマ性のある一作。ムンバイの海を間近に望む部屋。猫を飼う初老の未亡人カキ。住み込みで料理などの手伝いをするネパール人マールティ。二人はヒンディー語で会話。鉢植えの花が開花するが、花は2日しかもたない。カキの夫も園芸好きだったと語られる。床にマットを敷いて寝るマールティ。サパンという男の後ろ姿。船がムンバイに寄港したので会いにきた。二人の会話はおそらくネワール語。膝に痛みがあり足を引きづって歩くマールティ。二人は故郷でのように米を食べられないことを嘆く。共同住宅のパブリックスペースに佇む二人に退けと命じる男。アフリカ土産の絵葉書。英語の詩。立ち去り際に一緒に来ないかと誘うサパン。そこに消毒の煙が立ち込め、サパンの姿は煙の中に消えていく。ラジオからガザルの音楽(kaahe ko nehaa lagaaye)も忍び入ってくる。カキは昼間から窓を開け放してベッドに横たわる。そこにも消毒の白煙。夜になってから起き上がるカキ。午後に見た夢の中で雲が家の中に入ってきたと。夜になり風の勢いが増す。

『ラストマンゴー・ビフォア・モンスーン』 

冒頭の暗い室内ショットでマンゴーを食べる女性。これは妊娠を表すものか。そして屋外の光景。山間部を行く車からの眺めを背景に、暴れ像がエステートに侵入した際の混乱がタミル語で語られる。そして動物用CCTVを設置する男たち、マラヤーラム語で会話する。次に風景に被さってカーンタという男と妻らしき女性の会話(言語不明)。長らく森を彷徨っていた男。最後に一度妻の料理を口にしたくてやって来た。そして生まれ変わる、虫か、鳥か、獅子か、象か、再び人間にか。地面に横たわる男。森を歩く男。横たわるヒトの姿を描く絵に、赤子らしきものが重なる。CCTVカメラが映した柵を超える象。都会の夜景。集合住宅の小さな部屋。台所仕事をする女性。前夜の夢を語る老女の声。村にいた頃のモンスーンの初め、あなたの父が来たと語る。彼はプーランポリを食べたがったという。母子らしき二人の女が床に座り食事するシーンで劇終。この会話も言語不明。カーンタが森を彷徨ったのは極左活動家だったからなのか(だとすれば本作もまた政治的な色合いを帯びたものになる)、舞台はムーナールあたりの茶農園地帯ということか。

パヤル・カパーリヤー短編トリロジーを早稲田松竹レイトショーにて。 

「世界をひらくまなざし アノーチャ・スウィチャーゴーンポンとパヤル・カパーリヤー」特集の一部として。二本立て鑑賞可能なシステムで『AWIAL』の後だったにしても、150席の6割以上は埋まっていたのではないか。いかにも学生街の名画座で老若男女が入り交じり、しかし推し活勢はほぼいない感じだった。PKの短編は全4作あるが、なぜそのうちの3つがトリロジーと呼ばれるのかの説明はないが、実見してみると、配偶者が近くにいない女性がメインの語り手であるという共通点があることに気づいた。つまり『AWIAL』を準備するものだったということだ。他に共通する作風として木々の騒めき、海鳴り、地鳴り(のようなもの)、耳の中で響く音(モスキート音的な何ものか)がサウンドスケープを形成し(『ANoKN』に通じる)、言語の多様性、民俗画的なアニメーションの挿入など。①The Last Mango Before the Monsoon (2015) は初上映で邦題は『ラストマンゴー・ビフォア・モンスーン』レンブラント的ビジュアルからタルコフスキー的なものへ。

all we imagine as light(2024)の劇場売りパンフ 

資料になるかもと思って昨年渋々買ったんだけど、こういうデザイナーが威張ったパンフはどうしても好きになれない。凝った装丁をしたい気持ちはわかるけど、表紙はどう考えても昭和末期の有明あたりにあった勘違い系トロピカルカフェのインテリア。あの映画見てどうしてこういうデザインになるかね。そしてそれが全然テイストの違うチマンラール風封筒に入って、保存しにくいったらない。デザインしたご当人がSNSで自画自賛してたけど、ケッとなったのを覚えてる。

公開迫ってきた『クベーラ』、 

SNSの広報が色々酷いな。外部サイトでそれなりにきちんとしたコピペじゃないレビューが複数上がってるのにガン無視。「ダヌシュ特集」と銘打って何をするのかと思ってみると、単に数行のポエムを2回ほど投稿しただけとか。

昨日知人と古い日本映画や韓国映画の話になって、 

特に最近の日本の若い俳優の男女の顔や体の造作が「K-ポップ」になっていることに話が及んだ。昔は日・中・韓は何となく区別がついていたんだけど、今は東アジアK-ポップ共栄圏が出来上がっていると。

『佐藤忠男・映画の旅』のパンフ1000円、 

資料として必要になるかもしれないと思って買ったけど、あんまし良くない。作中でインタビューに答えた人のプロフィールは全員載せるべき。せめて名前だけでも。インドからはアラヴィンダンとシャージ・N・カルンしか載ってない。例のKummattyマニアの人(Muralidharanとか何とかいってなかったっけ?)の名前が載ってるかと思ったのに。それから一番の疑問「佐藤はアートハウス以外のインド映画をどう見ていたのか?」に関しては佐藤を知る人物には知られていたようだった。

QT:『魔法使いのおじいさん』以外のインド映画、特に「歌って踊るインド映画」について、佐藤忠男はどう思っていたのか等々、お話する予定です。
cinemaasia.hatenablog.com/entr

『佐藤忠男、映画の旅』(2025)を下高井戸シネマで。 

2022年に没した佐藤忠男の最晩年を取材し、死の15日前までの姿を収めた。ゆかりの人々を訪ね、日本、韓国、インドで談話を取り、佐藤の最愛の映画『魔法使いのおじいさん』の映像を散りばめ、関係者を追い、ロケ地まで訪れた。日本映画から出発し、「チャンバラに興奮し、母ものに涙する自分を受け入れる」という視点を取り入れ、面白さの分析した佐藤は、1980年代にアジア映画を「発見」し、1991年からアジアフォーカス福岡国際映画祭のディレクターとなるが、2006年に辞任。同映画祭は2020年に第30回で終了した。福岡でその遺志を継いで映画祭を立ち上げた人物が唐突に画面に出たが覚えきれなかった。アジア映画開拓者となってからはアート一直線だったか。ケーララのパートが明らかにハイライトで、ゴーパーラクリシュナン、シャージ・N・カルンのほか、シンガーのカーヴァーラム・シュリークマール(労働歌の誕生を説明するシーンがいい)、元子役のアショーク・ウンニクリシュナンが語る。圧巻は「愛好家」という肩書の人物(名前が覚えきれず)がかつての子役たちを集合させたところ。

『推しは香港に在り ―新時代の香港映画・音楽ガイド―』(紅 水蜜桃)、たぶん日本では20年ぐらい書籍として出てなかった香港映画本。どこの出版社が先頭を切るかと思ってたけど早川だったか。しかし本のタイトルが時代だなあという感じ。
hayakawa-online.co.jp/shop/g/g

Neru (Malayalam/2023)をオンラインで。 

本格的な法廷もの。人間関係は複雑だが、交通整理がうまくて見失わずに追える。家族と使用人ががいなくなるのを見計らって盲目の女性の家に忍び込んでレイプした富豪の息子。思い付きの犯行ではあっても手慣れたところもあり、体液を残さず、スマホのGPS移動記録によるアリバイも作っていた。弁護側は被害者の家庭環境が乱れているという印象を作り上げようとして、犯人は被害者の義父だという方向に誘導しようとする。被害者が事件の直後に記憶を頼りに作った犯人の塑像は見事な出来栄えだったが、写真が警察から失われ、本物は証拠品としての価値を失う。そこにスペシャルPPとして登場したヴィジャヤモーハンは有能だが脛に傷を持つ弁護士でしかも法廷で対決する相手は因縁の元上司と昔いい感じだったその娘。本作で一番怖いキャラはその娘で、家での父との会話ではそんな男その場で殺せと言いながらも、法廷ではその弁護にベストを尽くす。そして結審後には父と共に礼儀正しくスポーツの試合の後のように爽やかに相手におめでとうと言う。各キャラクターへの配役がどれもピッタリ。シッディクのはまり方。

Nerrukku Ner (Tamil/1997)をDVDで。 

古色蒼然としたファミリー愛憎映画だった。マドラス・トーキーズ製作だが同じ年の『ザ・デュオ』とは雲泥の違い。監督のヴァサントは消えたのだろうと思って調べたら2021年アート映『シヴァランジャニとふたりの女』で結構成功してるようなのだ。一時の気の迷いでの浮気を夫が馬鹿正直に告白したせいで仲たがいし別居状態の夫婦、妻と夫それぞれの弟をヴィジャイとスーリヤ(デビュー)が演じる。当初の夫婦間の諍いのところまでは繊細さがあったが、ツインヒーローが登場してからは彼ら相互の憎しみに無理があり、表現方法が稚拙。それとヒーローたちとそれぞれの恋人たちのトラックに蛇足感があり、プロット構成も雑。さらにそこにマニヴァンナンとヴィヴェークの無関係なコメディ・トラックが挿入される。すべてのエピソードの連結が数珠つなぎ風で垢ぬけない。暗いバックでシルエットラインに光を当てられた人物が浮かび上がり、全体的にはソフト・フォーカスという映像の美学は懐かしい。思わせぶりに登場するプラカーシュ・ラージとタライヴァサル・ヴィジャイの警察官はほとんど見せ場なく終わる。

Lover(Tamil/2024)をYTで。 

自動生成タミル語字幕を機械翻訳で英語にしたが不思議なほど違和感ないテキスト。カレッジで知り合い、社会人になっても足掛け6年付き合い続ける男女。女は普通に就職して友人のサークルもできている。男はデザインカフェを開きたいと考えながら実現せず、荒れた家庭の中で痛飲して無為に過ごす。女は友人サークルとの付き合いも増えて、そうした外出を男に対し家庭の用事と嘘をつくようになる。男は何度も爆発し、その度に泣いて謝る。女は既に限界に来ているのに「お前がいなきゃ俺は生きられない」だけで一点突破を試みる男のヤバさ。無茶苦茶な成り行きから女と友人たちのドライブ旅行に同行することになった男はついにギリギリまで追い詰められる。面白くて一気見。それにしても、カフェ開業というのは脱サラ喫茶店あるいは蕎麦打ちみたいなもんなのか?昭和の日本映画(例えば『浮雲』)みたいなドロドロで、最悪無理心中コースかとハラハラさせてスリリング。余りにも腐れ縁に引き摺られ過ぎヒロインにはイライラするが、最後の瞬間に放った言葉の殺傷力は効果満点。そして女側・男側、双方の友人たちの献身性にも驚く。

Kadak Singh (Hindi/2023)をオンラインで。 

PTをなるべくたくさん見る作品の一環で。推理ドラマとしては先が見える展開だったが、これが一番面白かった。一連の犯罪の中で重要なピースが失われているために、全体像が見えない。自殺未遂により近過去の記憶を失ってしまった捜査官が、自身の周辺にいる幾人もの人物の語りを順々に聞いていき、記憶を回復しないまま非公式な捜査にあたるという構成。いわゆる羅生門形式だが、嘘をついているのは1人だけ。巨悪に切り込む捜査官ではあっても、市井に埋もれた1人の男にすぎない主人公に、複数の顔がある。その中で、文学の教授である中年女性との出会いから逢引きを重ねるに至るセグメントは面白かった。パールヴァティはコロコロしたマラヤーリ・ナースになっていて最初は分からなかった。謎解きの部分はおおむね分かったが、Plumber(訳アリ電話番号として、そして病院内でと2回出てくる)がよく分からなかった。仕組まれた自殺劇を組み立てるのにそこまで回りくどい仕掛けを作る犯人側が、息を吹き返した主人公を結構長らく放っておくのが傷。コルカタが舞台でベンガル語が一切登場しない。

Rakshadhikari Baiju Oppu (Malayalam/2017)をDVDで。 

舞台となって何度も出てくるクンバラムは実在の地名だった。
maps.app.goo.gl/JxhJLP4qrioSrQ
内陸の平地だけど、時々バックウォーターみたいなシーンもあって不思議だった。エラナークラムからこんなに近い場所だったとは。そして日本人でここに足を踏み入れた人がいることを知った。
x.com/spicysuzuki/status/20359

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Ludo (Hindi/2020)をNTFLXで。 

いわゆるハイパーリンク映画。2011年以降のマ映画でさんざん見て、それから『Super Deluxe』(2019)あたりにも影響を及ぼしたスタイルに改めて取り組んだという感じ。これら作品につきもののギャング、借金苦の人物、転がり込む大金などが使われている。そしてEe.Ma.Yau(2018)から頂いてきたと思われる2人の傍観者(ヤマ大王とチトラグプタであるらしい)。ケーララ人の看護師(ヒンディー語も英語もできない設定)が同郷のDJに誘われて踊るのはNeram(2013)のエンディング曲で、そういやあれもハイパーリンク的だったなと。4つのパーティーが全く接点のない状態から4つ巴になるまでの組み立てはかなり上手い。女に片思いしている男が振り回されるのが基本形。かき回し役のギャングがなぜだか不死身だというのも笑える。ただ、看護師とデパート店員の男が必死に守るケースに何が入っていたのかがよく分からない。摘出した臓器だとしてもとっくに賞味期限切れになってると思うが。舞台がジャールカンド州ラーンチーの湖のほとりであることに何か意味があるのだろうか。

Murder Mubarak (Hindi/2024)をNETFLXで。 

邦題は『マーダー・ムバラク』。Rikshaを人力車と訳してしまうようなレベルの日本語字幕付き。しかし卑語猥語の翻訳だけは手慣れてる。デリーで英国植民地時代から続く名門クラブで会長の選挙を行った祝祭の夜の翌朝に起きた殺人事件。鼻持ちならない特権意識に凝り固まった上流社会人士の全員が怪しいという状況で、部下のパダムを連れたバヴァーニー警視の捜査が始まるが、第二の殺人が起き、さらには死後3年たった人骨までもが見つかるというミステリー。クラブが世界の全てとなっている上層の人々への皮肉な視点はあるが、それほど痛烈なものではない。ミステリとしてはまあ色々無理がある。ヤク中の若い男の殺人未遂とか、共犯者を自殺に追い込む手口とか。目くらましで出てくる派手好きの没落王族のエピソードも、じゃあいったいどうやってるんだというのがある。一番よくないのはヴィジャイ・ヴァルマ以外の若いのが顔認識が難しすぎて誰が誰だかというところ。カリシュマーの訳ありの熟年女優ぶりはよかった。バヴァーニー警視の造形もあまり癖を出しすぎず踏みとどまったのはいい。

Sherdil: The Pilibhit Saga (Hindi/2022)をNTFLXで。 

まさかのシュリジト・ムカルジー監督作が、(ヒンディー語作品だが)ネトフリにあると知らず驚いて即刻観た。ウッタル・プラデーシュ州の僻村の村長ガンガーラーム46歳が、野生動物に農地を荒らされて困窮する村の現状を訴えるが、インターネットでの申請すら知らない彼は役所で相手にされない。帰村した彼は自分が癌で余命3カ月だと言い、一人で森に入り虎に食われて死ぬと宣言する。虎に襲われて死亡した者には政府から100万ルピーの見舞金が出ると知ったためだった。実話に基づいているとはいえ、既に古譚の雰囲気が漂う。森の空気を疑似体験する映画としては良かった。プレクライマックスとエンディングに関しては予測可能で驚きはない。中盤から登場する違法ハンターのジム・アハマドが、髪はドレッドなのに服は汚れていないとか、色々ご都合主義なのだが、御伽噺だと思えば気にならない。ソングの歌詞にはカビールが何度も登場し、バウルのテイストも微かにある。動物を保護するのに農民を無視する政治、そして熱しやすいインターネット世論、商業主義への風刺。

Rakshadhikari Baiju Oppu (Malayalam/2017)をDVDで。 

いや、ひさしぶりにマラヤーラム語映画の特質を極限まで追求したようなものを見た。コッチ地方の村クンバラム。何かの役人であるらしいバイジュは両親と妻、一人娘と暮らす40ほどの男。勤めは適当にこなし、裕福ではなくとも追い立てられることのないほどの暮らし。家のそばにある名前のない広場で子供や青年たちと混ざって毎日のように草クリケットに興ずる。タミル人と駆け落ちして家を出た妹がいる。土地のゴロのような男たちと鍔迫り合い寸前までいくが、それ以上のことは起きない。草クリケットチームから送り出した若者がIPLプレーヤーになるのが最も派手な出来事。しかしその広場に病院が建つことになり、人々は締め出され、木は倒されていく。これだけで2時間40分。Kunjananthante Kada(2013)に近い、開発か保全かという話だが、同作と同じく、開発を悪者にして糾弾するというものでもない。調査で村に入る人類学者のように、人間関係を徐々に把握し、生活のリズムに自身を慣らし、そこでゆったり流れていく時間を楽しむ疑似体験。

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