Su From So(Kannada/2025)をオンラインで。 

評判に違わぬ傑作。ただし先鋭的フェミニストには気に入らない点があると思う。ホラーとのタグもあるが、基本的にはトゥルナードの田舎コメディー。冒した過ちを糊塗するためについた嘘が思わぬ事態を引き起こし、嘘の上に嘘を重ねるというタイプのもの。一応の主人公ラヴィはシャシクマールがさらに肥えた感じのお人よし。セカンドヒーローのアショーカは、一線を超えてしまうこともあるトンチキな若者で、演じ手の俳優がどうしても知性が滲み出てるタイプの顔なのでどうかと思ったが、何と監督だった。130分ほどのランタイムだが、メインのプロットが出てくるまでの導入が長い。しかしおかしな村人たちを紹介するその部分が全く飽きさせない。特にバーワと呼ばれるアル中親父がヤバい。村のおかしな人間模様といえばマラヤーラム語映画の独壇場のイメージがあったが、トゥルナードものも面白い。そしてケーララよりもカンナダのものの方がより闇が濃く濃密な質感がある。ラージ・B・シェッティのスワミ様はハマりすぎて驚きがない。彼が電話で泣きつく大物の登場を楽しみにしていたが姿を表さず残念。

Ghaati (Telugu/2025)を池袋ヒューマックスで。 

レイトで30人弱が入っていたか。またしてもトライブもの。しかもAP/TSでは足りずオディシャーに出張って、そのおかげで新鮮さはある。ワルリー画が出てくる。女傑ものでもある。訳もなく強く、しかも復讐ドライブがかかると最強になる。ヒロインを女神になぞらえたくなるがコテコテは避けたた感じ。それから葉っぱ映画でもある。大昔に見たKoylaのガンジャ・ソングを思い出した。クリシュ監督らしい緊密なプロットと大雑把なテルグが共存。大雑把なのは悪役群。兄弟設定の俳優は本物兄弟みたいに似すぎていて途中で見失った。VPはヒロインのバディとして強すぎず弱すぎずでよかった。アヌシュカのセルフダビングはもしかしたら興行低迷の原因か。これまで声が可愛いすぎて使われなかったという珍しいパターン。ふくよかになったのは役作りのためかもしれない。吃驚したのはラージュ・スンダラムの不思議ちゃん的中年男。その助手の役にはなぜか白子の俳優があてられた。脚本的には、婚約者を殺されるところと、村人を殺されるところ、2段階のトラウマがあるが、後者がうまく機能しなかった。

Neelavelicham (Malayalam/2023)をオンラインで。 

Bhargavi Nilayam (1964)のリメイクであり、1952に出版された短編集の中の「Neelavelicham」の2度目の映像化でもある。1964年の傑作へのオマージュというが、あまり期待しすぎず、すでに筋を知っている物語ゆえの気楽さで見た。旧作とほぼ同じ脚本でソングもアレンジを加えて流用。そういえば旧作は字幕付きじゃなかったから、本作は字幕代わりだ。作家は失恋の痛手を抱えて引っ越してきたと初めて知った。衝撃的な渚での霊との初邂逅シーンは新版では白昼から夜にかわり、しかもふと希死念慮に襲われた作家が海水に浸かり歩き出すという演出になった。どう贔屓目に見ても旧版の方が上だが、そこに至るソング"Ekanthathayude Mahatheeram"の歌詞がすごく良い。英字幕で見る時は、歌詞を追うのを怠りがちだけど、本作の歌詞はどれも良かった。リマ・カッリンガルがいい女優なのは知ってるけど、バールガヴィのイメージじゃない。企画立ち上げ時には恋人役にチャッコーチャンが当てられたが実現しなかったのは惜しい。

Sardar Udham (Hindi/2021)をインド大使館で。 

もう一つ特筆すべき点は、作中ではスポットを当てた描き方をしていなかったが、ジャリヤーンワーラー・バーグ事件で実弾を発射した兵卒はほとんどがインド人だったこと。これは、本作を英国人への忖度でオスカーに出品しなかったことなどよりもずっと重要な、議論すべき点ではないか。それからジャリヤーンワーラー・バーグ事件の回想以外の大半の部分は英国を舞台にしているけれど、緑のイングランドの麗しさや日の沈まぬ帝国の首都の威容は意図的に描かれず、ただもうじめじめとした陰気な土地として表出されていた。また本作は、ヒンディー語で非ヒンディー語圏の英雄を描く映画群の一つとなる訳だが、英国人には英語を喋らせていた。当たり前のことに思えるが、英語とパンジャーブ語に非対照があることになる。

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Sardar Udham (Hindi/2021)をインド大使館で。 

字幕はあの人。タイトルカードに「アムリトサルのウダム・シン」と一瞬出たけど、大使館サイトなどでは原題をカタカナにしたもので通していて、何だこれ感。商船を商戦としたタイポも放置されていた。上映中も20分以上照明がついたり、しょうもない。160分かけて描いたアムリトサル虐殺の報復者の生涯。埋もれたフリーダム・ファイターに光を当てるなら普通はこうするよなという描き方で、逆に改めてラージャマウリの異常さが分かる。体感で20分以上あったと思える歴史的な虐殺とその夜の生存者の救出シーンは、同じことの繰り返しの苦痛を観客に身をもって味わわせるという趣旨か。年号と地名を何度も表示しながらドキュメンタリー的な雰囲気を醸し出し、激烈な暴力の映像で揺さぶりにかかるという映像作法はアグニホートリ監督とも共通するものだけれど、本作にプロパガンダ臭が少ないのは、台詞に品格があり、また影響されやすい単細胞な聞き手役がいないせいか。仇討ちではあってもあくまでも革命の一手段としての暗殺(衆人環視のもとで)にこだわる主人公の陰鬱と微かな狂気の演技は見事。

Maareesan (Tamil - 2025)をNTFLXで。 

タイトルの意味がよく分からない。黄金の鹿として餌食を呼び寄せるという逸話からか。認知症老人を食い物にして金を搾り取ろうと考える小悪人が老人と共にナーガルコーイルからティルヴァンナーマライまで二人乗りの盗んだバイクで出かける。直線距離が480㎞、ギリギリ何とか現実にあり得ると許容できる距離か。しかしのその老人は認知症でも何でもなく、秘められたミッションの隠れ蓑としてむしろ小悪人を利用していることが後半に分かる。ただ、アーシュラムのチャーリが語る過去の話とか、要るのか要らないのか分からないエレメントも(チャーリも共犯だったか?)。驚きはコーヴァイ・シャーララのお巡りさん。大した活躍はしないけど変にカッコいい。Vettaiyanを見た後に本作を見ると、古臭い復讐・私刑ドラマはどうよとう気になる。そこで映像作家は法廷の場面で「幼い女児を犯すことに喜びを見出す者がいるように、私はそうした連中の殺害に喜びを見出す」と言わせた。つまり正義の執行者・法の代理人ではなく、自身もまた快楽殺人者としたのだ。Vettaiyan効果は意外に大きい。

Bheemante Vazhi (Malayalam/2021)をオンラインで。 

KUBOが目あて、チェンバン・ヴィノードの脚本とは知らず。いつもの田舎人情ものとの予断で、こういうKUBOが見たかったんだよと思ってたら、足を掬われた。主人公がビーマンだったりサンジュだったりする理由が不明。最初に出てきていちゃつくブレッシは嫁だと思ってたら途中で別人と結婚してしまい、顔を見間違えたかと思って混乱。理性的な味方として登場の市議は医師と不倫中であると示される。とどめに主人公が鉄道技師の女性とのデートで長々とキスをして「酒を飲みながらのセックスが好きだ」と嘯く。その他大勢の奇人変人、ヘルメット男、烏男、犬男、コスプレキッズなどはどうでもいいのでこの辺をもっと詳しく描いて欲しかった。ソングシーンの中の点景として登場する、軽微な接触事故に激昂して自分のオートを焼いてしまう酔っ払いドライバーとか、普通の人々が刺激的すぎる。宿敵のコステップにはドゥルヨーダナの面影があるか。異性関係だけではなく、道路拡張という目的遂行のためにもえげつない手を使う主人公、KUBOよりもむしろファハドが良かったのではないか。

Allu Ramendran (Malayalam/2019)をオンラインで。 

KUBO目当て。マ映画伝統の田舎町のおかしな人間模様を描くコメディーだが、性善説はなく、かなりヒリヒリしたものになっている。トリシュール県クルールが舞台。上官のジープを運転する業務を任されたラーメーンドランが、立て続けに路上の不審物によるタイヤのパンクに見舞われ、アッル(スパイク)のラーメーンドランと揶揄される。精神的に追い詰められながらも犯人探しをして下手人を突き止めてみればそれは妹の許婚だった。上手に出たラーメーンドランは今度は彼に残酷な罰ゲームを課す。もしかして本作以降KUBOは気の荒い警官を続けて演じることになったのだろうか。ともかく本作では薄くなった頭髪を隠すこともなく水浴びシーンまで加え、また、途中で額に傷を負ってからのシーンで凄んでみせるところなど、ほとんどヤクザみたいだった。それをあの王子様の面影が残る童顔でやるので、落ち着かない気持ちになる。やはりこの人はチョコレート・ボーイの過去を払拭して演技派になりたいのか。脇役中では、高級官僚を罵倒する変なユーチューバー、悪魔の囁き婆ちゃんがよかった。

Kadha Innuvare (Malayalam/2024)をオンラインで。 

評判が悪いのは知っていてもBM主演ということで観た。しかしテルグのオリジナルでは鮮明だったダリト性がほぼ覆い隠され、階級格差(第一、四期)、宗教的不寛容(第二期)とミソジニー(第一、三期)、中高年の恋愛への強い忌避(第四期)が前面に出る。ケーララにはダリト差別はないとでも言いたげ。用務員と上級職女性との間に言葉の壁はなくなり、両方ともケーララ人。メインの舞台はトリヴァンドラム。過去編はバラけて第一期パーラッカード、第二期アレッピー、第三期は西ガーツのどこか。宗教もヒンドゥー、キリスト教、イスラームと、一~三期にキッチリ割り振られる。そして4つの挿話の主人公は同一人物と主張する脚本。しかも上級職女性ラクシュミと同じ名のキャラクターが第一期に端役として出てくる。そんなに分かりやすくしていいのか。全編を通じ映像美が追求され、パーラッカードの自然、アレッピーの最終シーンなど美しい。演じ手もみな良くて、娼婦を演じた久しぶりのアヌシュリーが特に印象的。上級職女性に見た目がいい人をキャスティングしたことで甘ったるくなった。

Hridayapoorvam (Malayalam/2025)を川口スキップシティで。 

半分以上の入り。サティヤン・アンティッカード作品なので、過激暴力は全くなく、多少エキセントリックでも常軌を逸したところまで行かない穏やかな人々のドラマ。65歳のモーハンラールが演じるサンディープの想定年齢は40か50か。心臓病を患っていたところ、天の配剤で事故により脳死した人間の心臓の移植を受け、その順調な回復期に起きたことごとを描く。プネー在住のマラヤーリの軍人だったドナーの家族と偶然のなりゆきから共同生活をすることになる。現実のこととして考えれば無理があるが、その未亡人と一人娘、どちらとも恋仲になる可能性が開ける。しかし紆余曲折の心の揺れの後、常識が勝ってまたコッチでの賑やかな一人暮らしに戻っていく。こんな平板なストーリーをモーハンラールと脇役陣の演技で観られるものにする。ギャグはケーララ人にはバカ受けだったけど、自分に理解できたのは半分以下。ファファを至高の俳優として賛美するマラーター人の映画好きが同乗して「熟年俳優でもいいのがいるんじゃ?」という問いにファファ原理主義で言い返すシーンが面白い。

Mohan Kumar Fans (Malayalam/2021)をオンラインで。 

KUBOを潰すシリーズはここまで全部面白かったけど、これは2時間しかないのにグダグダだった。適当な脚本で手を打つ一時期の悪い癖が再発したか。かつてはスターだったが、MoMaのようにスターダムを保てなかった老ヒーローが文芸的な作品で会心の演技をするが、市場の要請でその作品は早々と新作(その中にはKGFもある)にスクリーンを明け渡さなければならない。せめてもの抵抗で賞レースに参加するがそこにも各種のハードルがあって周りの人々が悪戦苦闘するというもの。映画界内幕物はどう転んでも面白いはずなのに、どんよりしてるのは第一に老残のスターを演じるのがシッディクのせい。もうこの人にポジティブな役や繊細な台詞は無理だと思う。ヴィナイ・フォールトの新進ヒーローは、この手のサタイアにありがちな、敢えて誇張することで実在の人物への批判ではないことにする戦略であまり笑えない。アーシフ・アリのゲスト出演、T・G・ラヴィに始まる渋い脇役陣をもってしても救えなかった脚本。KUBOの設定も色々無理がある中ででダンスシーンがあったのは救い。

Pada (Malayalam/2022)をオンラインで。 

KUBOは終始渋面を見せるだけの役だったがとても良かった。1996年に実際に起きた県行政長官人質立てこもり事件をモデルにしたポリティカル・スリラー。終末部分にモデルの実名とその後の運命などがテロップで出るので、再現性は高いのではないか。山岳トライブの土地利用権をめぐる法律が改悪され、その撤回を求めるマオイスト分派の4人がパーラッカード県のコレクターをその執務室で人質に取って立て籠もる。トリヴァンドラム州政府の総務長官をはじめとした対策室がとの攻防。立て籠もり犯側はコレクターを傷つけず、対策室も穏便な解決を優先させて無血開城を実現させる。一方で中央政府が派遣したNSGは現場に急行しつつあり、彼らは対テロ特殊戦術で犯人を皆殺しにする可能性があった。犯人側と対策室側が法曹関係者による仲介で、結局その場に県裁判所の裁判長が赴き執務室で開廷し、犯人側の要求を通す判決を下す。マラヤーラム語映画らしい、名前付きの登場人物の多い作品。こういうのを見てると、世界情勢がどう変わろうと、ケーララ人の左翼主義への信頼がしぶとく揺らがないのがよく分かる。

Bougainvillea (Malayalam/2024)をオンラインで。 

ジョティルマーイの11年ぶりのカムバック作、その夫アマル・ニーラドのものとしても久しぶり感があるが、もちろん目当てはKUBO。公開前からANらしいウルトラスタイリッシュなポスターに期待をそそられていた。そのポスターの雰囲気からギャング映画なのかと思ってたけど、意外にも古典的なサイコ(パス)・スリラー。原作が有名らしく、原作と比べてクサすレビューもちらほら。しかし大体決まりきったストーリー進行を丁寧に積み上げる心理描写は繊細で手が込んでいる。ファファでさえもテンションを積み重ねるための一つの道具でしかない。8年前の事故で記憶障害その他の精神疾患を患うことになった妻とそれを献身的に支える医師の夫がイドゥッキ県クッティカナムに住む。夫は先祖から受け継いだ邸宅も別に持つが、そこはファームハウスとしている。ある時若い女性の失踪事件に妻が関わった疑いで警察が彼らを訪れるというもの。最終シーンでジョティルマーイがシネイド・オコナーみたいな姿で登場し、そこからダンスにもつれ込む。そのダンスでKUBOが踊ってるのが至上のご褒美。

『KILL 超覚醒』は2023年9月ワールドプレミアだったけど、 

それから間もなく配給が告知した際には"インド映画史上最も残酷で血塗れ"というキャッチフレーズだった。しかしそれから2年が経つと、多分バイオレンスにおいてはさらにエスカレーションしたものが出てきて、もうそのキャッチフレーズは使えないものになったのではないだろうか。

Padmini (Malayalam/2023)をオンラインで。 

KUBOを潰すシリーズで。重たいものを見る気分ではなく、短く軽めのものを選んで。コッランゴードに住むマラヤーラム語の講師(詩集を出したりもしている)ラメ―シャン(34歳)と彼をめぐる女性3人の物語。センナ・ヘグデという新進監督の過去作も見なければという気になった。またコメディアンとしてサジン・チェルカイルも目を引いた。この人は根っからのお笑いというわけでもなくクリエイティブ系の人らしい。結婚式の夜に花嫁に駆け落ちで逃げられた男が、失意から立ち直り職場の同僚と結婚しようとするも、失敗に終わった初婚を法的に解消しなければならず、家庭裁判所出廷するために逃げた相手を捜しまわる。同時に、地元で寝具の輸入・卸売りをするお山の大将的な男が見合い周旋人を通じて出会ったキャリアウーマンに対して求愛する様子が描かれる。いかにもヒロイン然として登場したキャラクターが最終的に結ばれる相手ではないのが面白い。『マヘーシュの復讐』もそうだったけど、こういう田舎の狭い社会の中での人間模様を定型に陥らずにリアルに描くのは、マラヤーラム語映画の独壇場か。

Mahavatar Narsimha (Hindi/2024)を川口スキップシティで。 

観客は自分を含め9人。トレーラーの作画のヘナヘナさ加減で期待値最低ながら、勉強と思って見た。ホンバーレなせいかKGFやサラールを彷彿させる構図あり。明らかに子供向けではあるんだけど、ディティが夫を誘惑する場面から始まっていた。作画はこれまでに見たどの印度アニメよりも精緻で特に戦闘シーンは良かった。日本アニメの、風景はどんどん油絵になっていくのに人物だけが平たいというのと比べると、むしろこっちのほうがいいかも。しかし人物の顔はインドによくある不思議なデフォルメと陶器感。しかも階段の上り下りのような人間の当たり前の動作がロボットみたいにカクカクしている。ヒラニヤカシャプが自ら神であると宣言し、ヴィシュヌ派・シヴァ派の対立には蓋をするナラティブ。イメージで鮮烈だったのはブーデーヴィの造形と、ヴィシュワルーパム、そしてその後のプラフラーダの陶酔のシーン。最後にシシュパーラだったか何だったかが画面に出て、続編を暗示。それからアホービラムに始まるナラシンハの名刹が5~6(パキスタンのものも含む)紹介されていた。

Mayurakshi (Bengali/2017)をオンラインで。 

ウィッシュリスト解消計画の一環で観たけれど、そもそも何でこれをリストに加えたのかがもう思い出せない。国家映画賞ベンガル語最優秀作品賞を獲ったというぐらいのディスクリプションしかない。俳優陣は豪華だけど、文芸的なあまりに文芸的な一本。老耄を扱った作品ならば、GBSMやAstuなどの方がもっと刺さるものがあった。もちろんショウミットロ翁の芝居は見事で、芝居じゃなく本当にこんななんじゃないかと不安にさせるほど。もちろんブンバも。しかし、演技力も確かでいい脚本を呼び寄せる力も持っている実力派なのに、見ていてときめきのない俳優っているもんだというのを再確認。アメリカに住むバツ2男が、老父の加減が悪いとの知らせにコルカタに一時帰省する。かつて歴史学の教授だった父は明らかに認知症の症状を示し、執拗にモユラッキに会いたいと言う。それはかつての愛弟子で、息子の嫁にしたいと彼が熱望していた女性だった。このようにサスペンス要素は敷かれるが、劇的展開はなく、モユラッキは現れず、周囲の人間模様が描かれるだけ。「明日は明日の風が吹く」で終わるのだ。

Nizhal (Malayalam/2021)をオンラインで。 

本作公開の頃から忙しくなりすぎ新作を追えなくなり恨みのこもった一作。これを機に失われた3年のウィッシュリストを潰したい。主演2人の何やら沈痛な面持ちのポスターが気になり、同時にKUBOのふざけてんのか?というマスク姿もあって不可思議だったけれど、そういうことだったとは。コッチの裁判所に努めるベービが、知人の知人の子供が休暇明けの作文でリアルすぎる殺人事件の詳細を書いたという話を聞く。その知人の依頼で子供に会ったベービは本格的な調査に乗り出し、そのシングルマザーとの付き合いも生まれる、という話。ホゲナッカルの滝のシーンまでは非常に良かった。独特の雨の使い方も見事。しかし真犯人がゾンビみたいに登場するところからは急にバタバタしだしてロジックが追い付かなかった。つまり腰砕け脚本なのだが、沈痛なKUBOただ一人がそれを見ごたえのあるものにしていた。にしても彼はここのところスリラーばかりに出過ぎではないかと思った。コッチをたいそうリッチな大都会として描いていた。ホゲナッカルのホテルの設定でThe Tower Houseが使われていた。

Mad Square (Telugu/2025)をNTFLXで。 

MADの感想に書き忘れたけど、このシリーズ、少なくとも歌詞にはテランガーナ要素があるらしい。たぶんラッドゥはテランガーナ人。ラッドゥはキーマンなのにMADに加わってないのがかわいそう。その父役のムラリダル・ガウダはいい味を出していて、本作で出番が倍増。スニールはタイプキャスト。ナールネ・ニティンは相変わらず活躍は少ないのにポスターで最前面に来てたりする。ストーリー自体は、人気の出たシリーズにありがちな「ゴアの休日」で、主人公たちは既に学生ではない。ラッドゥが結婚式当日に相手に逃げられたのを慰めるために新婚旅行用に予約していたゴアのホテルに3人組と共に宿泊して、ほぼ理由にならない理由でその他の面々も合流して騒いでいるところに、ローカルギャングの取引トラブルが絡んでくるというもの。オルタナ系には珍しく、本格的アイテムナンバーが2つも入る。この監督は女性キャラに活躍させることが苦手なのではないかという疑念。アイテムの2人と言い、駆け落ち嫁といい、顔の見分けがつかない。前作よりもずっと評判は悪いが、ギャグの分かりやすさは増した。

MAD (Telugu/2023)をNTFLXで。 

前情報なしで観たけど、構造は『きっと、またあえる』(2019)と同じ。同作の舞台が超名門大学で、しかも話の聞き手の置かれた状況が洒落にならないのに対し、こちらは「寮の環境が良くないから工科大学をやめたい」という程度で、それに対する説得としての本編は人間同士の直の触れ合いがあってこその大学生活という真っ当なもので安心した。基本的にお馬鹿ギャグの数珠繋ぎで、笑えるかと言えばそれほどじゃないけど、こちらにとっては若者の生態を覗き見るという趣旨なのでそれは構わない。学園群像ものには、そうは言っても一人はヒーロー格としてスポットライトを浴びるキャラクターがいるのだが、本作ではそれが割と控えめで、「男は黙って~」型のバスケ達人として登場する。しかしこのキャラは硬派として登場しながら途中からフニャっとしたものになり、最後に大金持ちの息子と分かる。何じゃこれと思ったら、演じているのがジュニアの妻の弟であるナールネ・ニティンだというのが後から分かり、ああなるほどと思った。それ以外で冒頭に登場する学生の顔に見覚えがあるのだけれど分からずフラストレーション。

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