Vidheyan (Malayalam/1993)をYTで。 

英語字幕付き。長くウィッシュリストにあったものをやっと潰した。マンムーティの悪役系キャラの原点といっていいのか。『Paleri Manikyam』や『Bramayugam』のキャラクターはこれを変奏したものに見えた。この悪役演技の皮膚に張り付いたような自然さでは、息子は全然叶わない。対するMRゴーパクマールは、よく見ているはずなのにまるで記憶になかった。ワヤナードから仕事を求めてカルナータカ州南部のIchlampadyに移住した男。近隣の大地主の小間使いにさせられ、片時も離れることなく付き従う。この地主はマラヤーラム語話者であるが妻はカンナダ人であるらしく、作中では2つの言語が場面によりスイッチする。地主は村の中で手当たり次第に女を襲うなど、悪逆の限りを尽くすが、誰も声を上げない。しかし彼が自分に意見する妻を疎ましく思って殺害すると、妻の親族たちが立ち上がり、彼はクールグに逃げるがそこにも追手が迫る。犬と罵られ妻を寝取られてもなお自発的に隷属してしまう男の心理を地主が身に着けている香水に象徴させる巧みさ。これは同時代の物語か?

Good Night (Tamil/2023)をオンラインで。 

百万弗とMRPの一連の英語タイトル作品をおさえておきたくて。ロウワーミドルクラスの家族。主人公と母と姉の夫婦、妹と暮らす。IT産業に従事している男の弱点は英語と鼾。一方身寄りのないヒロインは幸薄く、関わった人々に次々と不幸が訪れると自分で信じている。二人は結ばれ、悪くないマンションで新生活を始めるが、夫の鼾が妻の安眠の妨げとなり、体調にまで影響するようになる。お互いがお互いを気遣いしあう中で歯車の狂いが生じ、妻は数年間のドバイ単身赴任を引き受けるまでになる。ロウワーミドルクラスの人々の的確な描写・その佇まいが素晴らしい。特に姉を演じたレイチェル・レベッカの顔はチョーラ・ブロンズそのもので、しかし現代の基準では美人の部類には入らない面差しで、見ていて飽きなかった。こっぱずかしい身体的瑕疵に身もだえするマニカンダンは見る方も身もだえしたくなる。この人にはこういう役以外はもう来ないのだろうか。それから先日来英語題名の映画を色々見てきて気づいた「料理する男」がここでもフィーチャーされていた。そして職務よりも家族が大事美学がここでも。

Main Woh Aur Fuji (Hindi/2026)をオンラインで。 

オリジナルToh, Ti ani Fuji (Marathi)の代替として。本国での公式ポスターに記された邦題は『彼、彼女と富士山』。プネーから東京にやってきて翻訳業に従事し、日本語も習得して穏やかな生活を営む。ある日街で7年前に別れた相手と偶然出会い、家に呼び、幼い息子に引き合わせる。共通の知り合いである夫もいて、彼は仕事で日印を行き来している。破局の前の2人の生活が切れ切れの回想で明らかになっていく。男の方の反射するものを見つめる癖が、最終場面で情趣を盛り上げる。不意に来る地震のシーンはよく分かってる感じ。日本の狭苦しい共同住宅のシーンは、なんだか日本映画のどろどろ愛憎ものを見ている気にさせられる。落ち着いた暮らしを送る現在の東京の家がせせこましく(調理台に腰掛けるヒロインに無理があった)、カツカツ暮らしのプネーの家が広々してるのが皮肉。トキシックな関係性を巧みに描いたと評判になっているが、やはり玉ねぎの切り方で駄々をこねたり、モノに対して当たる男の方が断然ヤバい。東京の街の撮り方はクールでかなり良かった。

Valley of Saints (kashmiri/2012)をDVDで。 

邦題は『聖者の谷』。これでカシミーリー語映画で3本目。シュリーナガルのダル湖に暮らす2人の青年。アフザルは白皙の肌とつながった眉の典型的カシミーリー。グルザールは浅黒い肌の小柄な男。ダル湖の観光ボートの船頭やその他の雑役をして暮らす。グルザールはボートの扱いから泳ぎまで達人で、湖と共に暮らす男。2人はこの地での生活に見切りをつけインドに出かけようとしていたが、デモ隊と治安部隊との衝突で死者が出たためカーフューが敷かれ、足止めを食らう。ソーポーレー出身だが米国帰りの女性アシファはダル湖の水質調査を行うためハウスボートに滞在する。この背景から洒落にならない展開を予想してガクブルだったけど、大流血は起きず、また『カシミールのふたり ファヒームとカルン』みたいな方にも行かず、物語は環境問題へと進んでいく。これまでしきたりとしてやってきたことが環境破壊を巻き起こす、それは切迫する人権問題と並行して考えられなければならないというメッセージ。2人が夜間にやっていた危ない仕事は何だったのか。ここでの聖者とはカシャプ仙人のこと。

寝ぼけたタイミングでも外部レビューを紹介しだしたのはいいけど、あのお方の肩書を「インド映画祭実行委員会事務局長」としたり、媒体名を「シネマ・アジア」とするとか、どうしたらそうなるのか不思議だ。

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Telusu Kada (Telugu/2025) をNTFLXで。 

また変なものを見てしまった。メンヘラ版KRKみたいなの。恩師の娘と恋仲になっていた孤児の男が、結婚を言い出した途端に相手から振られる。絶望した男は、この後どんな異性が目の前に現れても自分の方がコントロールする立場を保ち手放さないと誓う。社会人になってからお見合いで結ばれた女性は自立したキャリアウーマン。しかし受精卵着床に問題があり子供が望めないことが分かる。二人は自身の卵子と精子を受胎して出産してくれる代理母を探す。難航した代理母探しの末に、担当女医がその任に当たることが決まる。しかしその女医はかつて男を振った元カノだった。3人は共同生活を始めるが、当初蚊帳の外に置かれていた妻にも真相が明らかになり、3人の間に様々な感情が渦巻く。いちいち大仰なBGMが続く心理ドラマだけど、クズ主人公にクズとしての風格が足りず、脚本破綻とも相まって、ところどころでお人好しの地が出る瞬間があり、いただけない。回想シーンで前髪を垂らしたシュリーニディはすごく可愛くて見直した。これがデビューの女性監督。結婚前の性的な交渉についても普通に描写。

Mukti Bhavan (Hindi/2016)をDVDで。 

邦題は『ガンジスに還る』。UP州カナウジに住む中年男ラージーヴ。民間企業で営業職をしているらしい冴えないサラリーマンで、実父、妻、娘と暮らすロウワーミドル。元教師の父ダヤーナンドは不思議な夢を見るようになり、自分の死が近いことを悟る。彼は反対する家族を説得して息子と共にベナレスに赴き、Mukti Bhavanという死を待つ人々の家に入居する。そのロッジのルールは、生きていても15日経ったら出ていかなければならないこと。「満室だと言ったはずだ。しかし偶然にも昨日解脱を成し遂げた者がいる」というのが入居の際の決まり文句。15日で退去というのも建前で、期限が来たら別の人間の名を名乗って延長できる。中には18年もそこに住む老女もいる。主役は息子の方で、世間のしがらみ、娘の結婚を巡るあれこれなどで親父のスピリチュアリズムに付き合っている余裕はないのだが、それでも厳しくしつけられて育ったらしく、父の決めたことには敬意を払って接する。息子も、後から来た妻と娘も、ベナレスについたとたん、僅かながら世俗から遊離する。息子は携帯の電源を切る。

Udaharanam Sujatha (Malayalam/2017)をDVDで。 

義務としての鑑賞。しかし案外見つけものかもしれないと期待したけど、やっぱり納税仕事だった。三分の一ほどでNil Battey Sannata(2015)のリメイクだと判ってしまったから。腐れ縁でタミル・リメイクのAmma Kanakku(2016)も見て、どんよりした記憶がよみがえる。それでも意識高いマラヤーラム語映画人があの直球のド差別的な台詞を改良しないだろうかとの期待をもって最後まで見たけど、ダメだった。そのダメさを指摘するレビューは一つ見つかったが、批判しながらも全体として評価しているのが腑に落ちない。ただ、俳優陣の演技の質の高さという点では3作中のトップであることは間違いない。憧れのコレクターをマムタがやるのもいい。ジョージュ・ジョージの愛くるしさは反則レベルだし。同級生のメガネ君を演じた子役スワラージ・グラミカも良かったけれど、アナスワラと違ってその後はパッとしないようだ。マンジュの汚れ役は賞賛されているけれど、この人の芸歴を知っていればそれほど驚くものでもないと思う。娘はDQファンの設定。

Watermelon, Fish and Half Ghost (2014)をYTで 。 

これが初作品。トリロジーを見たので止まらなくなり鑑賞。少女と年下の男子アショーク、格子から足を出しスイカを食べる。チャール(chawl、マラーティー式長屋)の描写。無尽蔵の時と折り合うためにルーティーンに明け暮れる人々。横になった祖母を訪れる祖父。上半身だけしかない。葬儀の時に坊主がマントラを半分唱えそこなったので、祖父の半分が地上に残ってしまった。我慢できなくなった祖母は自分が昇天し、祖父の半分もつれていくことにした。若い女リニと、いつもテラスで英語の詩(ワーズワース)を朗読している若い男スジョーイ。リニの結婚が決まると、スジョーイの読む詩はリルケの悲しげなものになる。長雨により洪水になり、アショークの家は浸水する。電気も止まる。彼と母は少女の家に避難してくるが、父は職場から戻らなかった。魚になったのだとアショークは言う。魚を食べたら父を食べることにならないか。スジョーイの詩を除くすべてのナレーションは少女の囁き声。イラストを混ぜる手法がすでにある。ロケ地としてDevlankar wadaの表示。

➂And What is the Summer Saying (2018)は山形の映画祭から。 

邦題は『夏が語ること』。①と似た森が舞台。夜の森を懐中電灯を持ち歩く2人の姿。老婆の声。神はここにいない、村にいる。新しい神ラームやラクシュマンは外からもたらされた。電気がないので盗みも起きない。ここからモノクロになり、男の声、父の思い出。彼と父が二人で真夜中の森を歩いていたところで虎に遭い、彼をかばい一人で戦い殺されたらしい。父は野生の蜂の蜜を集める専門家だった。カワーとサーイーという子供。若い男女の会話。料理する女性の独り言?屋内の牛の姿、年の離れた亡夫の思い出を語る老女の声「まるで子供のように可愛がってくれた」。テロップで父の教え「蜂は常に独りで飛ぶ、ひとたびつがいになるとオスは死ぬ、それが生まれてくる唯一の目的だから」「愛の中で死ぬ蜂についてますます考えるようになった」。女性の声「寝ている間にクムクマを塗られた、嫁がされたらしい」。子供への親の言葉「広場の向こうに行くんじゃない」、「恋文を書いた」など。ムンバイの東200kmのビーマシャンカル、コンドワル村で録音された音声とのテロップ。

②Afternoon Clouds(2017)も初上映。邦題『アフタヌーン・クラウド』。 

最もエレガントでドラマ性のある一作。ムンバイの海を間近に望む部屋。猫を飼う初老の未亡人カキ。住み込みで料理などの手伝いをするネパール人マールティ。二人はヒンディー語で会話。鉢植えの花が開花するが、花は2日しかもたない。カキの夫も園芸好きだったと語られる。床にマットを敷いて寝るマールティ。サパンという男の後ろ姿。船がムンバイに寄港したので会いにきた。二人の会話はおそらくネワール語。膝に痛みがあり足を引きづって歩くマールティ。二人は故郷でのように米を食べられないことを嘆く。共同住宅のパブリックスペースに佇む二人に退けと命じる男。アフリカ土産の絵葉書。英語の詩。立ち去り際に一緒に来ないかと誘うサパン。そこに消毒の煙が立ち込め、サパンの姿は煙の中に消えていく。ラジオからガザルの音楽(kaahe ko nehaa lagaaye)も忍び入ってくる。カキは昼間から窓を開け放してベッドに横たわる。そこにも消毒の白煙。夜になってから起き上がるカキ。午後に見た夢の中で雲が家の中に入ってきたと。夜になり風の勢いが増す。

『ラストマンゴー・ビフォア・モンスーン』 

冒頭の暗い室内ショットでマンゴーを食べる女性。これは妊娠を表すものか。そして屋外の光景。山間部を行く車からの眺めを背景に、暴れ像がエステートに侵入した際の混乱がタミル語で語られる。そして動物用CCTVを設置する男たち、マラヤーラム語で会話する。次に風景に被さってカーンタという男と妻らしき女性の会話(言語不明)。長らく森を彷徨っていた男。最後に一度妻の料理を口にしたくてやって来た。そして生まれ変わる、虫か、鳥か、獅子か、象か、再び人間にか。地面に横たわる男。森を歩く男。横たわるヒトの姿を描く絵に、赤子らしきものが重なる。CCTVカメラが映した柵を超える象。都会の夜景。集合住宅の小さな部屋。台所仕事をする女性。前夜の夢を語る老女の声。村にいた頃のモンスーンの初め、あなたの父が来たと語る。彼はプーランポリを食べたがったという。母子らしき二人の女が床に座り食事するシーンで劇終。この会話も言語不明。カーンタが森を彷徨ったのは極左活動家だったからなのか(だとすれば本作もまた政治的な色合いを帯びたものになる)、舞台はムーナールあたりの茶農園地帯ということか。

パヤル・カパーリヤー短編トリロジーを早稲田松竹レイトショーにて。 

「世界をひらくまなざし アノーチャ・スウィチャーゴーンポンとパヤル・カパーリヤー」特集の一部として。二本立て鑑賞可能なシステムで『AWIAL』の後だったにしても、150席の6割以上は埋まっていたのではないか。いかにも学生街の名画座で老若男女が入り交じり、しかし推し活勢はほぼいない感じだった。PKの短編は全4作あるが、なぜそのうちの3つがトリロジーと呼ばれるのかの説明はないが、実見してみると、配偶者が近くにいない女性がメインの語り手であるという共通点があることに気づいた。つまり『AWIAL』を準備するものだったということだ。他に共通する作風として木々の騒めき、海鳴り、地鳴り(のようなもの)、耳の中で響く音(モスキート音的な何ものか)がサウンドスケープを形成し(『ANoKN』に通じる)、言語の多様性、民俗画的なアニメーションの挿入など。①The Last Mango Before the Monsoon (2015) は初上映で邦題は『ラストマンゴー・ビフォア・モンスーン』レンブラント的ビジュアルからタルコフスキー的なものへ。

all we imagine as light(2024)の劇場売りパンフ 

資料になるかもと思って昨年渋々買ったんだけど、こういうデザイナーが威張ったパンフはどうしても好きになれない。凝った装丁をしたい気持ちはわかるけど、表紙はどう考えても昭和末期の有明あたりにあった勘違い系トロピカルカフェのインテリア。あの映画見てどうしてこういうデザインになるかね。そしてそれが全然テイストの違うチマンラール風封筒に入って、保存しにくいったらない。デザインしたご当人がSNSで自画自賛してたけど、ケッとなったのを覚えてる。

公開迫ってきた『クベーラ』、 

SNSの広報が色々酷いな。外部サイトでそれなりにきちんとしたコピペじゃないレビューが複数上がってるのにガン無視。「ダヌシュ特集」と銘打って何をするのかと思ってみると、単に数行のポエムを2回ほど投稿しただけとか。

昨日知人と古い日本映画や韓国映画の話になって、 

特に最近の日本の若い俳優の男女の顔や体の造作が「K-ポップ」になっていることに話が及んだ。昔は日・中・韓は何となく区別がついていたんだけど、今は東アジアK-ポップ共栄圏が出来上がっていると。

『佐藤忠男・映画の旅』のパンフ1000円、 

資料として必要になるかもしれないと思って買ったけど、あんまし良くない。作中でインタビューに答えた人のプロフィールは全員載せるべき。せめて名前だけでも。インドからはアラヴィンダンとシャージ・N・カルンしか載ってない。例のKummattyマニアの人(Muralidharanとか何とかいってなかったっけ?)の名前が載ってるかと思ったのに。それから一番の疑問「佐藤はアートハウス以外のインド映画をどう見ていたのか?」に関しては佐藤を知る人物には知られていたようだった。

QT:『魔法使いのおじいさん』以外のインド映画、特に「歌って踊るインド映画」について、佐藤忠男はどう思っていたのか等々、お話する予定です。
cinemaasia.hatenablog.com/entr

『佐藤忠男、映画の旅』(2025)を下高井戸シネマで。 

2022年に没した佐藤忠男の最晩年を取材し、死の15日前までの姿を収めた。ゆかりの人々を訪ね、日本、韓国、インドで談話を取り、佐藤の最愛の映画『魔法使いのおじいさん』の映像を散りばめ、関係者を追い、ロケ地まで訪れた。日本映画から出発し、「チャンバラに興奮し、母ものに涙する自分を受け入れる」という視点を取り入れ、面白さの分析した佐藤は、1980年代にアジア映画を「発見」し、1991年からアジアフォーカス福岡国際映画祭のディレクターとなるが、2006年に辞任。同映画祭は2020年に第30回で終了した。福岡でその遺志を継いで映画祭を立ち上げた人物が唐突に画面に出たが覚えきれなかった。アジア映画開拓者となってからはアート一直線だったか。ケーララのパートが明らかにハイライトで、ゴーパーラクリシュナン、シャージ・N・カルンのほか、シンガーのカーヴァーラム・シュリークマール(労働歌の誕生を説明するシーンがいい)、元子役のアショーク・ウンニクリシュナンが語る。圧巻は「愛好家」という肩書の人物(名前が覚えきれず)がかつての子役たちを集合させたところ。

『推しは香港に在り ―新時代の香港映画・音楽ガイド―』(紅 水蜜桃)、たぶん日本では20年ぐらい書籍として出てなかった香港映画本。どこの出版社が先頭を切るかと思ってたけど早川だったか。しかし本のタイトルが時代だなあという感じ。
hayakawa-online.co.jp/shop/g/g

Neru (Malayalam/2023)をオンラインで。 

本格的な法廷もの。人間関係は複雑だが、交通整理がうまくて見失わずに追える。家族と使用人ががいなくなるのを見計らって盲目の女性の家に忍び込んでレイプした富豪の息子。思い付きの犯行ではあっても手慣れたところもあり、体液を残さず、スマホのGPS移動記録によるアリバイも作っていた。弁護側は被害者の家庭環境が乱れているという印象を作り上げようとして、犯人は被害者の義父だという方向に誘導しようとする。被害者が事件の直後に記憶を頼りに作った犯人の塑像は見事な出来栄えだったが、写真が警察から失われ、本物は証拠品としての価値を失う。そこにスペシャルPPとして登場したヴィジャヤモーハンは有能だが脛に傷を持つ弁護士でしかも法廷で対決する相手は因縁の元上司と昔いい感じだったその娘。本作で一番怖いキャラはその娘で、家での父との会話ではそんな男その場で殺せと言いながらも、法廷ではその弁護にベストを尽くす。そして結審後には父と共に礼儀正しくスポーツの試合の後のように爽やかに相手におめでとうと言う。各キャラクターへの配役がどれもピッタリ。シッディクのはまり方。

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