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Sathyaa (Tamil/1988)をDVDで。 

3in1なのに字幕がついてた、ありがたや。前日にタイトル一文字違いの作品を見て空振りだったけど、12年後の本作は目の覚める出来ばえ。ヒンディー語映画のリメイクとはいえ、スレーシュ・クリシュナはデビュー作とは思えない。アクションのキレは95年のバーシャよりもこっちが上ではないか。怒れる若者のカマルを見るのは新鮮。もちろん上手い。最大の悪役は中年の冴えない風貌の政治家なのだが、これを演じたのがキッティだと後から知り吃驚。悪人が善人を演じているのを演じるのが非常に深いニュアンスを含んでいて唸らされた。ストーリーはスブラマニヤプラムの原型みたいな話で、職のない若者を政治家が鉄砲玉として雇って、不要になったらさっさと捨てるというのをどぎつく描いた。悪役政治家のカットアウトに掴まってボードごと倒れたり、巨大ポスターの前で殺人が行われその顔に血糊がついたりという描写は痛烈。キャバレーソングシーンは今は見ることが亡くなったケバケバダンサーにグロテスクな男どもが群がるというある種リアリズムの演出。未婚の乙女のハーフサリーをむしり取るという古風な描写も。

Sathyam (Tamil/1976)をYTで。字幕なし。 

久しぶりに凄いもの(酷い状態のもの)を見た。カマルハーサンのकड़ाのことを調べていて、これが元ネタと書いてあったので、すっかり信用して151分を字幕なしで(しかも時々音声がミュートになる、複数ある全編動画がどれも同じ)見て疲れた。シヴァージが篤実な村の長的キャラクターを演じるメロドラマ。カマルはその優男な弟で、この弟の結婚をめぐり三角関係の悲劇が起きる。悪辣な資本家が放火して村人の家を焼くのは実際に起きた事件を反映しているのかどうか。その資本家の娘がカマルにベタ惚れして結婚を申し込む。それがある種の交換条件だったためにシヴァージは断れず、許婚である娘(親戚で、同居人でもある?)に犠牲を強いることになり、娘は家を出て女神の寺院で寝泊まりするようになる。紆余曲折の末、その娘は交通事故に遭ったカマルの命を助けるために女神に願掛けして代わりに死ぬ。大雑把にはこんな感じだけど、泣きの要諦が分からないのがもどかしい。16 Vayathinileよりも一年早いカマルハーサンはヒョロヒョロして頼りない坊やで、कड़ाなどとは無縁なのだった。

The Hangover (USA/2009)をJPAPで。字幕版。 

邦題は『ハングオーバー!消えた花婿と史上最悪の二日酔い』。現在手掛けてるものの関連作というので。しかしネタのパクリとかではないので一安心。男四人、重要な行事を控えてるというのだけが共通点。ただ、4人の中で極端にお笑いに寄ってる奴がいるというの、それから本来の主役的立場のキャラクターが一番影が薄いという設定は若干似てたかも。教師役のもう一人が無駄にリティク・ローシャンに似てたかも。だからなのかZNMDを思い出す部分も。久しぶりにアメリカ流の下品ネタの洪水に溺れそうに。欲を言えばもう少しこなれた訳で見たかった(吹き替えがベターだったかも)。ラスベガスのありとあらゆるいかがわしいものが総出。ヤクなどやらなくともその存在だけで人を狂わせる巨大人工物としてのベガスの輪郭はよく分かる。そういう点ではSimranを思い出したりもした。

Tarak (Kannada/2017)をオンラインで。 

例によってマサラの満漢全席。しかしレビューの評価は妙に高い。ジェネリックな欧州の某国でリッチに暮らす男女の出会いと恋。そこから愛を試すためと称して女は男を2ヶ月のバンガロール帰省に送り出す。バンガロールの大富豪&家族の中でも揉め事を解決する主人公に遠縁の娘はベタ惚れ。心筋梗塞で余命数日となった祖父の願いでその娘との結婚を約束させられて往生するという話。命を奪う業病が2度も出てくるストーリーはズル。ダルシャンにしてはアクションが少ない。その貴重なアクションシーンで、沈痛な面持ちで黙々と雑兵を片付ける演出が不思議だった。ガジニをネタにしたアホくさいコメディーで子供が持つビデオカメラが主筋に絡むのかと思ったら何もなかった。シュルティは場違いに美しい。大家族の成員を男は名前で、女は「クッキングクイーン」などの肩書で紹介したり、女を給仕に立たせて男だけが会食するシーンにドン引き。スイスでのダンスを複数入れてくるあたりが正調マサラという感じ。強いられての結婚式で、ターリを肩にかけるだけにして結ぶのは母に頼むから結婚じゃないというのが凄かった。

『白頭山大噴火』(백두산、2019) 

韓国文化院提供の映画特集で。題名以外何も予備知識なく見た。白頭山の位置ぐらいは知ってたけど、活火山とは知らなかった。これが噴火するだけで充分ディザスターだけど、主人公の軍人が北朝鮮に潜入し、米軍に管理権が引き渡される寸前の核を盗み出して白頭山の地下に設置して爆発させ、マグマだまりの威力を削ぐという荒唐無稽な作戦。一回目の噴火によって北朝鮮は無法地帯と化している。瀕死の北朝鮮の軍の残党、中国の特務機関(と思われるもの)、在韓米軍までもが絡まり合っての死闘。これを129分にまとめ上げる手腕は凄い。インド映画なら4時間ものになってた。公式サイトにある「北朝鮮・人民武力部の工作員リ・ジュンピョン」というのがよく分からなくて、二重スパイで実際は韓国側(でも怪しい)という設定なんだっけ。白頭山の噴火という自然災害が北朝鮮の体制を打ち下き、結果的に南北統一につながるというのは楽観的だが、CGで作られた荒廃した地方都市の様子が何とも言えなかった。ユーモアの部分では、マ・ドンソクが英語しか分からないふりをしていると隣の米人が韓国語で助け舟を出すというところが笑えた。

Yuvarathnaa (Kannada/2021)をオンラインで。 

プニートの服用は時間を空けてじゃないと身がもたん。SIIMA2022にノミネートされたというので観てみたが、どこまでもコテコテのプニート映画だった。全く弱みも過失もない無謬の主人公が、悪役以外の全ての人間を魅了して膝まずかせ(大学の恩師も含む)、ミルフィーユ状に格闘とソングを挟んだストーリーの中で、革新的授業を行い、教育マフィアをやっつける。全編に渡り説教調。ヒロインなんか最後まで名前も分からなかった(ウィキペディアには役名が載っているけど)。台詞の所々に「血統」にまつわる楽屋落ちが何度も挟み込まれる(僕ら兄弟には年齢は関係ない、とか)。ただしダンスシーンのプロダクションバリューはかなり高くなってた。ヤクシャガーナからヒップポップ風のものまで撮影技術が驚異的に洗練された。男子クリケットチームを一つにまとめるために女子選手をダシに使うプロットはどうかと思った。主人公のアゲはラストシーンに学長が彼をユヴァラトナと呼び、Wall of Fameにその写真を掲げるところで最高潮に達するが、ものすごく不吉な映像になってしまった。

Dia (Kannada/2020)をオンラインで。 

Love Mocktailと同年のこてこてロマンスもの。まあともかくクシ・ラヴィの見た目が素晴らしい。披露宴のシーンでだけバッチリメイクをするのだが、そうすると魅力が半減。前半の揺れる乙女心の描写がリアルで引きこまれるのだが、物語の結節点は全てご都合主義で衝撃のラストに至るまで韓流ドラマみたい(ただし悪人は登場しない)。前半の恋人は脳内妄想みたいに甘ったるく、後半の恋人はリアルだが説教臭くもあり、徐々にヒロインのドラマから自分のドラマに話を引っ張っていってしまう。ヒロインは父子家庭、後半ヒーローは母子家庭。ヒロインの父はオジさんが常にそばにいる。この二人の関係が謎めいていてた。ムンバイへのワープもあるのだが、後半定石通り州都から沿海部への移動が組み込まれる。また、本来一番ありそうなバス移動はなく、どこまでも鉄道に固執する。沿海部北端のカールワールの描写も素晴らしい。実際のロケ地はウドゥピの有名なPadukere Beachだそうだ。実家は明らかにリゾート・ホテルを利用しているが、どこなのかが分からない。あるいはケーララのものなのかも。

Hero (Kannada/2021)をオンラインで。 

ポスターからブラックな作風のものだとは分かっていたが、そう来たかという死体隠蔽&要塞脱出もの。女に振られて酒浸りの男が、女を殺そうと嫁ぎ先を訪れるが、DVに苦しむ女が夫を撲殺したところに居合わせることになり、夫の手下であるギャングたちの追跡を逃れ二人で脱出しようとする。死体を見ても動じない料理人、追跡の最中に猪が気になって離脱する三下、素っ頓狂な医者などの癖のあるキャラが絡まって、血みどろのドタバタが起きるという造り。このスラプスティック感はどこかで見た記憶があるが思い出せないのが悔しい。部分的には『Mariyada Ramanna』を思わせるところもあるが。プラモード・シェッティの悪役&死体役は余り怖くなくてペーソスを感じさせる。ヒロインのガーナヴィ・ラクシュマンは雰囲気のあるいい顔。撮影地はチカマガルールのどこかであるとのこと(スーリヤの24のロケ地とも重なるところがあるようだが)。冒頭挨拶文からもパンデミック下での撮影が困難を極めたものだったことが強調されていた。『ハリーの災難』(amazon.co.jp/gp/product/B00JEZ

Love Mocktail (Kannada/2020)をSGAPで。 

現代の都会を舞台にしたリアルなロマンスなのかと思ってたら大違い。ひねりも何もないキャンサー・ドラマだった。監督は96にインスパイアされたと言ってるらしいが、それよりもAutographとPremamからの焼き直し感が強い。最後の部分はTrivundrum Lodgeか。Autograph的な物語は登場人物の個性の出し方によって何回でも作っていいものだと思うが、本作のそれはどうも宜えない。まずヒーロー無謬が徹底している。それから学生時代の恋の相手の悪役的描写がきつ過ぎる。社会人になってからの相手は第一ヒロインなのだが、そつのない美人である。だが優等生のOL的美しさで見ていて快感がない。それなら地に足の着いたOLかというとそうでもなく、血肉がない。ただ癌になるためだけに生み出されたキャラという風情。しかしこれが同年のトップ10に入る作品になり、パート2もできて、さらに3も構想中というのだから、自分のカンナダ道もまだまだと思わされる。ケーキだの風船だののファンシーな愛情表現も死ぬほど古臭い。冒頭のアクションシーンもイタい。

Roberrt (Kannada - 2021)をオンラインで。 

高慢な女の心を溶かして惚れられたり、ご都合主義設定での人助けからヒロイズムを高めたり、例によってコテコテの大衆路線。ロバートというタイトルとハヌマーン・イメージは掴みとしては完璧。1曲目のラーマ賛歌は唖然とする規模。ストーリーに新味は全くなく、BaashaとVedhalamとUgrammとAvan Ivanをミックスしたようなもの。前半でラーガヴァを名乗り、後半で親友のラーガヴァが登場したところで、この親友に死亡フラグが立ち、展開はほぼ読めてしまうんだけど、そこは結構工夫を凝らして予想外のものとした(結局死ぬが)。吃音で北インドでもドーティーで通す謙虚な料理人ラーガヴァをクールカットでシャツもパツンパツンのダルシャンが演じるのはミスマッチ感満点なのだが、そこに奇妙な魅力があるし、後半のロン毛との対比も効いている。それにしても、ドスを聞かせた台詞の応酬の中で言及される、ラーマからチトラグプタにまで至る神話のキャラクターの異様な多さ。カンナダ語映画全般がそうだけど、ダルシャンの好みなのか。現地レビューは高評価と低評価真っ二つ。

Vikrant Rona (Kannada/2022)を川口スキップシティで。 

プレビュー書きのために散々現地レビューを読み、そして散々な言われっぷりを知っていたので、どんよりとした気持ちで臨んだ。前半1時間以上を使って怪しい奴らと怪しい出来事を一杯にぶちまけたのはいいが退屈だった。スディープのスタイリッシュなあれこれを見せたいのは分かったが。後半には色々動き出し、クライマックスは確かにビジュアルに驚きだし、種明かしとしても面白かった。が、スディープは演技らしい演技はせずにただカッコつけてただけ(アクションも含め)のようで、そこが不満。あのシーンでは、なぜあの化粧をしなければならなかったのか、そのあたり、アヌープ・バンダーリの作風と言うか、ストーリーが弱い所を神秘的な装いで誤魔化すというのが出ていた。監督は弟のニループのスター化計画をまだあきらめていないようだが、あの福笑い顔と大根ぶりでは無理だ。非スター主義ニューウェーブというだけで持て囃されてる気配があったバンダーリ監督、スター中のスターと組んで(たとえばローケーシュ・カナガラージのように)大舞台でも能力を証明したとはとても思えない。

Mayabazar 2016 (Kannada/2020) をオンラインで。 

この3年のカンナダ語映画を集中的に見るプロジェクトの一環。130分とコンパクトなクライム・スリラー。2020作品なのにタイトルに2016とあるのは同年後半の廃貨がモチーフになってるからだが、これに必然性はあったか?登場人物の誰もがこれを事前に知っていたかのように落ち着いてるのは腑に落ちない。ニセITレイドに絡めるにしてもイマイチ説明不足。廃貨のインパクトを最大に生かしたギャグは、やはりJai Lava Lushaだったか。最後の逆転芸にしても、どこから仕組まれたものだったのがか分からない。全体にほわんとしたぬるま湯状態で進み、ぬるま湯のまま終わる感じがしたのはセコいモニタで見たせいなのかどうか。芸達者が揃ったキャストだけど、深く感銘することもなく、ラストのオマケで現れて踊るプニートにいつになく感動した。本編に出てくる俳優たちと明らかに違うスターオーラがあったし、キビキビとしたダンスも良かった。サードゥ・コーキラのギャング兼政治家はタミル語交じりのカンナダ語を話していたように思えたが、何らかのあてこすりなのか。

きのう何食べた?(TVドラマ版)全12話をNTFLXで。 

最近コミックを読んだところで、その帯にある場面写真が、コミックからの再現性(特に内野聖陽)という点で凄いと思ったので。まあほとんどすべてが既知のエピソードで、それをどう映像化するかという興味。12回完結なので、最後の方にエモーショナルな山を持ってきて、そこだけはオリジナルと違っていた。まあそうなるか、と言う感じ。料理度は原作より低く、人間ドラマ寄り。しかしまあ、コミック、ドラマ、映画とこれだけ展開したら、やおい方面二次創作の方も凄いことになってんだろうなと検索したら、なんとオリジナルの漫画家自身が薄い本を出していたというのを知り引っくり返るなど。それから意味もなく出し続けていた英語字幕が大変興味深かった。

岩波ホールの経営の実態は相当厳しかった模様。 

QT:同ホールは一昨年2~6月にコロナ禍で休館、一昨年9月~昨年2月も天井の耐震工事などのために休館した。「再開後の観客増を見込んでいたが、逆に減ってしまった」と力社長。

コロナ禍の影響は確かに大きかった。岩波茂旦常務によると、作品による好不調の波はあるが、午後6時からの最終回の落ち込みがひどかった。観客ゼロで映写機を止めた回もあったという。

同社の売上高のうち映画興行収入は1~2割にすぎず、貸しビル業の賃貸収入は安定している。ただ利益面ではホール部門は赤字続き。「50年間で黒字になった年は数回しかない」と力社長。

…岩波律子支配人(現顧問、雄二郎氏の長女)は、課題の若い観客の取り込みに力を入れた。近隣の大学の先生に声をかけ、上映中の作品を授業で取り上げて議論してもらう学生支援プログラムも始めた。ただ「その輪がなかなか広がらなかった。今の学生にとって1500円は高いのかも」と律子氏。

nikkei.com/article/DGKKZO79820

Kanaa (Tamil/2018)をオンラインで。 

ちょっと異様なほど評価が高いので観てみたけど、あまり感心しない。アイシュワリヤー・ラージェーシュのスポーツウーマンとしての演技は満点。ガタイがいいのでボウラーとしての演技に説得力。最後の試合の場面は色々上手くいきすぎだけど、これは様式美というものか。シヴァカールティケーヤンは客寄せパンダとしての出演であることは理解できるが、Chak DeやBigilと設定が似すぎて、しかも早回しでチグハグ感あり。農民の窮状、女子のエンパワーメント、父娘愛、タミル人目線からの南北問題、などなど色々詰め込んだ。言語の問題は大きいが、長々しいヒンディー語や英語の台詞はタミル語に吹き替えられ、簡単な会話だけがタミル語字幕付きでヒンディー語で発声されるというのが、日本の一般観客には分かりにくいだろうと思う。ヒンディー語でのチーム内指示が対戦相手に読まれてしまったので、タミル語でのそれに変えた(発語しているのは恐らく北インド人)というのが肝のシーンだが、これも分かりにくい。国威高揚、女子のエンパワーメント、農村問題と、ご立派なテーマをぱんぱんに詰め込んで膨満感。

Garuda Gamana Vrishabha Vahana (Kannada/2021)をオンラインで。 

以前から焦ってたのをやっと鑑賞。噂にたがわぬマスターピース。前年のマラヤーラム映画AKと共にこの10年の最高峰と言っていいのではないか。Ondu Motteya Katheは中途半端な設定であまり乗れなかったのだが、本作でのラージ・B・シェッティは何かが乗り移ったよう。本作をPithamaganと比するレビューもあり、確かにそれはある。暗黒系バディームービーとして、片割れはやや世俗に寄ったキャラクターになる点も共通。ただ物語の風合いとしては嫌が応にもUlidavaru Kandanteを思い出す。あの、沿海地方でもケーララとは様相が違う、光の中の黒の粒子というか翳りというか、ともかくスミ濃度の高い絵面。塩気をたっぷりと含んだ熱風と、濃い影を際立たせる日差し。よくある流血サーガである以上に「太陽の光が眩しかったから」的な不条理世界を見ている気もする。『異邦人』と異なるのは神話世界との大胆な類推表現。カ映画に新たな血を途切れることなく供給しているのはトゥルナードだとの認識を新たにした。

Sulthan (Tamil/2021)をオンラインで。 

ヤクザの親分の家に生まれたが、高等教育を受けてロボット工学を修めた若者が、里帰りの際に警察のエンカウンターが準備されていることを知り、一族郎党の命を守ろうと脱ギャングを試みる。亡父が最後に請負った暗殺の仕事ののためギャング一味はセーラムに行くが、そうとは知らない主人公も同行し、紆余曲折の末、ギャングたちを農民にしようとする。敵が無茶苦茶すぎるため、平和主義者の主人公もついに武器を取り、「暴力は正義」に至る。割と古臭いマサラ風味のアクションで、ヒロインや悪役の扱いなど、ご都合主義もいいとこだが、それなりに見せる。カールティの顔が変化に富んでいて、特にクライマックスにかけての表情が美しく、まさにテーラーメイドといった趣。例によって筋肉もりもりじゃない体でカッコよく戦う。農本主義のメッセージもあるが、カンナダ映画のそれほどには泥臭くも力強くもない。ガングロ&ロン毛のラウディー集団の造形にはチェンナイ・エクスプレス味がある。虚構性が高いので、Thevar Maganと比べるのはどうか。ヨーギ・バーブもサティーシュも途中から消える無駄遣い。

RRR (Tamil/2022)をオンラインで。 

ヒンディー版の記憶が新しいうちに観てみた。舞台設定やキャラクター異同は全く分からなかった。ヒンディー語で話しているシーンも結構多い。タミル語も、タミル語と強烈に感じることがあまりない滑らかな言葉に聞こえた。再見して分かったのはベタベタとも言えるくらいの神話モチーフの繰り返し。時はジョージ5世時代、ニザーム領アーディラーバードのゴンド・トライブの若者が仲間と一緒にデリーまでやってきて、近郊の森で猛獣を集めるとかほとんど現実感はないのだが、その辺りは強引に進める。部族民と関わりがあると言っても、ラージュはゴーダーヴァリ沿岸、ビームはテランガーナだから相まみえた可能性はない。しかしこの組み合わせはアーンドラとテランガーナの融和への希求を暗示しているとも受け取れる。現実のラージュの父もヴェンカタ・ラーマラージュという名前で、ラージュが8歳の時に他界しているが、類似点はそこまでで、どうやら中産階級の人だったようだ。また作中ではラージュの聖紐に若干の意味が添えられていたが、この人はクシャトリヤに属していたようだ。しかしジャーティなど詳細は分からず。

RRR (Hindi/2022)をオンラインで。 

SNSで映像がどんどん流れてきてしまうのに腹が立ったので、ヒンディー語版でもいいやという気持ちになって観た。3時間弱だが長さは気にならない。望まず見せられてしまっていたサワリ映像はこういう文脈だったのかという謎解き。全体としてはバーフのようなグルーヴ感に欠けるが、バーフ未見の観客なら熱狂するかも。テルグアクションのエッセンスである重力への華麗な挑戦、発射されて突き進む弾丸との競り合いがこれでもかと繰り返される。コンビのうちRCの方に見せ場が多く用意されていた。弓のラーマと怪力のビーマという別々の神話の系統にある英雄がひとつの画面に収まることの快感、ビーマがランカー島のハヌマーンに変貌する驚き。ただし、時代考証はかなり緩い。英国人女性のファッションは支離滅裂、総督の親戚の娘が自分で車を運転しちゃうとか乱暴だし、森の戦いのシーンで話をしているのは無線という設定なのか、まるでケータイだった。アーリヤーは無駄遣い。ラストのソング&ダンスは楽しいが演芸会的テイストでスタイリッシュではない。何度も繰り返される空中戦でカッコいいのはジュニアと猛獣たち。

Jyothi Lakshmi (Telugu/2015)をオンラインで。 

熱望すれど見ることが叶わなかったのがいつの間にかアップされてた。同名女優の伝記映画ではないし、評判にならなかったのは知っていたので心して臨んだ。どうも半世紀近く前のモラリストの小説を元にしたらしい。PJが愛人とされるチャールミーのあんなとこやこんなとこを舐めるように愛でてフィルムに残したかったのはよく分かった。前半はシュールな恋愛譚としてそこそこ上手く行っていたが、繋ぎが悪くロジックが破綻。トップの女郎が急に貞淑な妻になること、女衒の手下が最後に彼女の味方になること、大元締めが逃げた彼女を泳がせたままにすること等々、ルーズな脚本。そもそも後半は、売春を撲滅したいのか、売春に職業としての尊厳を求めたいのか、単に手入れの際に女郎だけが報道される(そんなわけないと思うが)のを止めたいのか、何だか分からない。雑キャラヒーローのサティヤデーヴは、デビュー作でのヤシュを思い出させた。新婚初夜にゴム製品の使用を拒んで揉めるというプロットは本作の雑さ加減の典型かも。舞台はHYD旧市街のはずだけど途中から海が出てきたりして不可解。

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