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Pushpa: The Rise (Telugu/2021)をオンラインで。 

KGFと並び称されるサウス巨艦。しかしポスターにどうも食指が湧かず。動画を見たら変わるかとも思ったけど、バニーがもっさりした感じがどうも受け付けなかった。冒頭の日本のアニメで滑った。アッル・アルジュンは野生の狂気を出そうとしてぽってりしてしまった感。題名が示す通り、ギャングの人生の上昇部分をまず描くのだが、KGFと被ってる感が強すぎ、同じもっさり男でも、KGFの方がスタイリッシュに思えた。その感触はダンスシーンが伝統的な造りであることによってさらに強まる。私生児として生まれて差別されたことが暴力的な上昇志向の原動力であると説明され、またそこにはカーストの問題があることは察しが付くが、KGFのあのどうかしてるオカンのど迫力を見てしまうとこれもまた弱い。ただし、着想のもとはむしろGangs of Wasseypurの方にあるのではとも思った。サマンタのアイテムダンスはこれまでにないエロさ。離婚と関係があるのが。ファハドは5言語版全てセルフダビングだそうで、ともかく役の作り込みが見事。ダナンジャヤは勿体ない使われ方。

Soorarai Pottru (Tamil/2020)をオンラインで。 

大評判作品をやっと観た。立志伝中の在世中人物の伝記をイケメン俳優で作るのには食傷している。塵埃の中から立ち上がり成功する人物を讃えることに忙しく、塵埃の中に留まり続ける無数の人々には目を留めない傾向から。本作が他作品と違うのは、主人公が高みに上るだけではなく、底辺の人々が利益を得る結末になっていること、とんとん拍子に行かないプロセスの描写がマハーバーラタ的格闘で最後まで目が離せないこと。スーリヤの血管ブチ切れ演技が上手く組み込まれ、アパルナの鉄火とのケミストリーも上々だった。格安航空のプロモでもあるサクセスストーリーであるとともに、夫婦愛の物語だがベタベタしないのがいい。夫が夫なら妻も妻という肝の据わった豪胆さ。前半でのマドゥライ地方の絵になる風土の描写もいい。ただしモデルになった人物はカルナータカ出身とのこと。まぜマドゥライなのにDeccan Airと訝しく思っていたのだ。パレーシュ演じる悪役が、下賤な人々を招き入れないためにあえて航空運賃を高くしているという趣旨のことを言うシーンが非常に分かりやすくて良かった。

Love Story (Telugu/2021)をオンラインで。 

テルグ人の知人が最近のテルグ語映画の中でダリトを登場させたものとして目覚ましいと評したのを聞いて。オープニングでシェーカル・カンムラ作品と知り、必見だったと改めて知る。カースト・宗教の違う(しかも逆毛の)カップルの恋愛譚となれば流血は当然予想されるが、それは脇役の別のカップルのエピソードで済ませ、カンムラらしいデリケートな恋模様を描くのに時間を割いたのは好感が持てる。最後の場面だけは典型的テルグ映画になってしまったが。『パリエルム~』と違い、ヒロインを無垢の天使にせずに、沁み込んだ差別的言辞を口にするエピソードを加えたのが画期的。また、カンムラは「都市の自由」を信じかつ愛しているとも感じられた。舞台はハイダラーバードとニザーマーバードの小村だからテランガーナ映画と言える。NCは例によってぎこちないが、オーラのなさがこの役には非常にフィットしている。この人はもうこういう路線しかないのではないか。チャイルド・アビュースを持ってきたのは悪役を「殺されても仕方ない奴」にするためのギミックだったが、これはスッキリしない後味を残した。

Zindagi Na Milegi Dobara (Hindi/2011)をオンラインで。 

もともとかなりのデタッチで臨み、2:34を何とか耐えた。スペイン政府観光局全面スポンサード作品。以前やはり辛かったプニートのNinnindaleはこれの模倣だったのか。そして見ながら漠然とDil Chahta Haiを思い出してたんだけど、後からレビューを読んで関連作だったと知った。しかし自分が感じた共通点は、どちらも外国で溢れんばかりの富を前提にした物語だということ。冒頭3人がファースト/ビジネスクラスでスペインに向かうシーンに端的だが、全てが金の力で滑らかに整えられ(さらに観光局のバックアップまで)、異郷の空にある不便も、言葉の通じなさも、白人からの見下しも全く描かれない。これがロードムービーとしてのリアリティーを損なって、金持ち息子のグランドツアーを眺めさせられている感覚にさせる。警察沙汰を起こしてすら全く緊迫感がないんだもの。ただひたすらにお洒落にまとめられた映像だけど、土地とそこに暮らす人々への憧れも畏敬もなく、全てが自分に奉仕するためにあるとでも言うような、風物の消費の感覚が辛かった。

Nadunisi Naaygal (Tamil/2011)をDVDで。 

スリラーかホラーらしいという予備知識だけで臨み、冒頭クレジットでガウタム・メーナンの名前を見てちょっと驚いたが、ストーリーが進むにつれてあまりの安っぽさに冒頭で見たのは勘違いだったかと錯覚。しかし最初の銃撃のシーンとかは無駄なくらい凝っていてニューウェーブなのかと期待を持たせた。しかし警官役で出てきたデーヴァという俳優が余りに素人臭くてドッと減点。サミーラ・レッディに似たヒロインだと思ってたら本人だった。サミーラの演技はファーストクラス。主役のサイコ野郎は半端にイケメンで印象に残った。まあストーリーは単純で、幼少期の性的虐待が異常犯罪者を生んでしまうというものでそこには捻りもない。カマルのSigappu Rojakkalの線だし、ミシュキンのPsycoは遥かに細心に彫琢されている。ただし、後半の種明かしの前までの犯罪部分は非常にリアリティーがあり、息苦しいほどの怖さがあった。教育的な目的で撮られた作品なのだということはよく分かった。ラストでサマンタによく似た女優が出てきたと思ったら本人だった。絶頂期のガウタムの珍品。

F3: Fun and Frustration (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

下らないことは前もって承知の上でデタッチメント充分で臨んだ。ギャグもコメディ演技も80年代のものように古臭い。ヴェンキーの強みはコメディーとはいえ、こういう形で演技にしがみついているのを見るとは。癲癇発作に鍵の束を掴ませるギャグの出元は分からなかった。タマンナーの男踊りはなかなか上手い。映画ネタ、事前に知っていたもの以外にNannakku PremathoとGaddalakonda Ganeshも。重要なのは終盤にNutflixとNamazonというブースの前で主演二人がそれぞれNarappaとVakeel Saabに扮して暴れるところ。汎インディア作品やOTTリリースに対して(さらにはシネコンでかかるハイブラウ系リアリズム作品にも)屈折したおちょくりが発される。最後に登場したタニケッラ・バラニの演じる警官が「コテコテのテルグ映画舐めんなよ」みたいな台詞の後にyou are under arrest で締める。タミル、ケーララ、カルナータカのアサシンのうち、カルナータカの黒衣集団は謎。

Chantabbai (Telugu/1986)をDVDで。 

「アトレヤ」にインスピレーションを与えたというので観てみたかった。Shalimarの英語字幕はやっつけ仕事で、気が向いたところだけ訳すというぐらいのスカスカ。おかげでキャラの名前や相関関係をきちんと把握できずあらぬ方向に行くこと数回。探偵事務所の雇われ探偵パンドゥが片思いしてるジュワーラが殺人強盗の犯人に仕立て上げられそうになったのを救うというのが前半。事件解明のカギは実に素朴。「茶色い車が停まってた」とかそんなの証拠にもならないのだが。後半は、ジュワーラの女友達の父親である病院長の行方不明の息子探し。婚前交渉から生まれた息子を認知せず母親と共に放り出したという鬼畜エピソードはサラリと流され(先が短いので終末儀礼をしてほしい!)、息子と名乗り出た偽者を見破る話がメインに。最後にパーンドゥがその息子と分かったところでやっと母子家庭の苦しみが吐露されるのだが、ゴチャゴチャ言ってるうちに和解の大団円。まあロジックをどうこうする作品ではないことは分かる。アッル・アラヴィンドのシュールな刺客(ただし訓練用の仕込み)というのが一番衝撃的。

Suzhal: The Vortex (Tamil/2022)をSPAPで。 

イマイチな日本語字幕で。邦題は『運命の螺旋』。1話40~50分のもの8話がファーストシーズン。2日かかりで見た。こういうのには劇場映画とは違う独特のリズムがあるものだけど、本作ではそれが上手くいって、続け見したくなるものだった。惹きこむ力は強いけれど、スリラーとしては7合目程度でほぼ犯人の予想がついてしまってドキドキはなかった。カディルはいつものあの調子で、演技力がないとは言わないけど、芸域は狭い方だと思う。シュレーヤー・レッディは初見がお巡りさんで、本作でもお巡りさん。ストーリーは何度もDrisyamに行きかけては戻るという危うい離れ業。中心テーマは凡庸で、神話と重ね合わせるというのもお決まりの手法。ただ、女性のきゃらがいずれも強く、それぞれに個性的。幾つか未回収のエピソードもあったように思う。25年前の女児の失踪とか、マラールの父と兄の敵愾心とか。女神カルトの村人たちはほとんどが低カーストだろうが、ダリトではなさそう。ヴァッデ親子は北インド出身なのか。作り物臭くはあるが、テールクーットゥをもっと見たかった。

『トゥルー・ヌーン』(タジキスタン、2009)をアテネ・フランセで。 

原題も「True Noon」。福岡市総合図書館所蔵作品アジア映画セレクションの東京出張上映にて。某研究会行事として一度は顔出ししておかなければならなかったのもあって。しかしどうも驚きのない予定調和のストーリーにデタッチ気味だった。国境の非情さと、その裏に隠れた戦争の非人道性を告発するものなのだろうが、寓話としてはあまりにも単純で、作られた悲劇の作為性が鼻につき、さあ泣けと言われている感。むしろ、郵便局でもめ事を起こすヌスラットの不平青年のキャラに注目したくなるのだが、この人物は途中からただのモブになってしまう。わざわざ寓話で悲劇を創作しなくとも、世界は個別の悲劇に満ち溢れているのに。ただし、背景を知らないから平板なものに見えてしまっている可能性は大いにある。『ワールドシネマ・スタディーズ』という書籍内には、「トゥルー・ヌーン タジキスタンの国境問題と地雷問題:ソ連時代からの負の遺産」という分析があるとのことで、いずれ読みたい。このエッセイも参考になった。jcas.jp/13-2-36_jcas_review_ok

Mishan Impossible (Telugu - 2022)をNTFLXで。 

Agent Sai Srinivasa Athreyaのスワループ監督の次作とのことで期待を持って臨んだが、ダメダメだった。部分的に面白い台詞や面白いシチュエーションはあるものの、メインの子供三人組とタープシーのチームとを繋ぐものが弱すぎて納得できず。前半の田舎部分で子供たちの石器時代みたいなもの知らずが描写される一方、後半のミッションではありえないくらいの有能さと運の良さが出てきて、全くつながらない。RGV大好きな子供がダーウード・イブラーヒームを自分が捕まえられると思いこむとか無茶だし、ジャーナリストが極悪犯罪の捜査の主導権を握るとかもインポッシブル。リシャブ・シェッティのカメオは嬉しいが、もうちょっと面白く演出できただろうにという無駄遣い感あり。子供たち、携帯は全然使ってないんだっけ?ナヴィーン・ポリシェッティが吹き替えをやっているとのことだけどどこだったか分からず。ハリーシュ・ペーラディは例によってバカの子ちゃん路線での使われかた。ボンベイのムンバイへの改称はやはり南インドでは浸透していないのか。

犬王(2022)を109シネマズ湘南で。 

予告編だけの情報で見に行ったけど、非常に良かった。まさかの芸道もので、南北朝〜室町時代が舞台のロックオペラだった。できれば歌詞だけでも日本語字幕をつけてほしかった。実在の謎めいた人物がモデルだとも、原作小説があるとも後から知った。普段見てるものとは違い、97分という短尺なので呪いの部分と未完の復讐についてはやや説明不足に感じられた。小説を読めば理解できるだろうか。しかし音楽はいいし、何よりも絵が素晴らしい。盲目の主人公の心象のぼんやりした視界から始まり、父ちゃんの亡霊(『デーヴィド』を思い出す)、厳島神社の鳥居のフジ壺、異形の犬王の無重力の躍動、ステージの視覚的演出まで圧倒するものがある。最後の犬王の変節(と思われるもの)だけが咀嚼しにくいものがあった。言葉を扱うものは言葉に殉じるが、肉体で語るものは融通無碍に生き延びるということか。室町の世の京の都にハードロックというパラレルな世界にすんなり入り込める楽曲構成の妙。平家琵琶と能楽の謡いとが混じり合うというのは実際にあり得ることなのか。エンディングのアニメーターのクレジットにはベトナム人名が多数。

Gangubai Kathiawadi (Hindi/2022)をNTFLXで。 

騙されてボンベイの娼館に売られた田舎娘がやがて赤線地帯全体を取り仕切る大女衒となり、4000人の女たちのために社会と渡り合うという物語。おなじような境遇の女たちの中でリーダーとして頭角を現し、大小の様々な敵と戦うが、最終的には全員が彼女を称えるようになる(それはPMと対面したからなのか?、そして面談の結果何が変わったのかを見せてほしかった)。アーリヤ―が童顔のままで鉄火を演じるのを楽しむ映画。ヴィジャイ・ラーズはもっと見せ場があってもよかった。フマー・クレーシーはどこに出てきたかと思ったら、ムジュラ―の場面の色っぽい小母さんだった。娼婦としての哀しみよりもリーダーとしての手腕がメインのテーマなので、彼女がいかに豪胆で交渉に長けているのかを見せることになり、よくあるヒーロー映画でのアクションや恋愛は退けられた。演説や権力者との交渉など、各場面の配置はいいが、もっと魂から絞り出すような表現が欲しかった。つかの間の恋も、御大尽として男遊びを楽しむ余裕ぶり、しかし相手に身を固めさせるシーンでの咬み殺した悲哀の表現。

Ante Sundaraniki! (Telugu/2022)を川口スキップシティで。2回目。 

再見でやっと理解できた点。
スンダルの会社は思い切った広告戦略に出るがその割に予算がないので、会社で一番役立たずな者をモデルとして活用する/リーラの病は想像妊娠とかよりももう少し深刻/馬頭双神タトアストゥは夕刻に願い事を何度も唱えるとそれが現実に起きる/バラモンはいいようにおちょくられてるが、クリスチャンに対してはいじりはない/幼少時のスンダルのクラスメートでオバがラーダーだという少年は、長じて不妊治療医となる/スンダルはなぜ妊娠判定薬にそんなに詳しいのか/キールティ・スレーシュのギャグは今回もまた分からなかった/ラストのオチの写真家の名が実は家庭教師だったというのもよく分からず/ローヒニが演じた母の役名/業務出張+写真のコースという名目で出かけたNYから、そんなに簡単に帰って来られるものなのか

Virata Parvam (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

マハーバーラタになぞらえた何者かと思っていたら、ミーラー・バーイーものだった。ヒロインは民謡歌手の娘。村人はほとんどが低カースト。隠れて回し読みされていた革命詩人の詩に熱狂して昂ぶり、警察とのいざこざの場に現れた本人を見て恋に落ちる。そして無謀にも家を出て彼のdalam(部隊という程度の語か)に加わろうとする。無知な田舎娘の危なっかしい探索の末に奇跡的に目指すところに行きつく。相手にしない男に対して粘りに粘り、入隊し戦闘員となる。しかし彼女の到来が多くの同志の死と重なったため、スパイと疑われてハイコマンドからの指令で処刑される。保守的な俗物に見えた従弟がナクサル支持の言明をするところ、テランガーナの伝統工芸の人形、ミーラー・バーイーの詩の引用、「戦闘員として死ぬのは低カーストだけ、理論家のハイカーストは生き延びる」、父親の歌う民謡、などなど印象的な要素多数。トレーラーにあって本編にないシーンも幾つか見受けられた。わき役に徹してストイックなゲリラを演じたラーナーもよかった。常識外の狂気の愛をSPは美しく演じた。

Cobalt Blue (Hindi/2022)をNTFLXで。 

日本語字幕付き、邦題は『コバルトブルー』。ケーララが舞台のヒンディー語作品というだけの情報で見始め、色々吃驚。フォート・コーチンのそこここ、特にKMBのインスタレーション会場がそのまま使われたと思しきロケ・スポットが懐かしい。主人公の住む屋敷も覚えがあるけど名前が思い出せないもどかしさ。ただし、青カンの現場のあの沼地はあり得ねえと思う。全体におしゃれ過ぎる演出なのだけど、フォート・コーチンのあの特有の空気感は出てる。プラティーク・バッバルが謎めいたバイの男を演じて実にはまっている。ヘテロ男女の三角関係なら単なるだらしなさになるものが、クイアだと美しくなるというのはなぜなのか。冒頭で語られる、主人公のマハーラーシュトラからケーララへの移住の理由が、父親の性欲処理という身も蓋もないものであるのと対照的。インドラジットの嫁の名があったので興味津々だったが、尼さんだったとは。そして尼さんが箪笥の内側に貼っているブロマイドがナグ様というのが何とも言えない。性愛描写は美しくロマンチック、差し挟まれる、愛の絶望と諦念とを歌う詩が美しい。

Liar's Dice (Hindi/2013)をNTFLXで。 

低劣な日本語字幕付きで。たったの103分なのにグダグダになりながら見た。最終的には国内労働移民への非人間的な扱いがテーマだと分かるが、そこまでの間で主にナワーズッディーンにまつわるエピソードがよく分からず謎めいていて、娯楽映画ではないので最後まで謎のままで残り、不完全燃焼感がある。本名が分からず、銃を携帯しており、登場シーンでは大怪我をしていた。インド・チベット国境警察の身分証を持つが、バスが検問で止められるとなぜか緊張している。部分的には「バジュランギおじさん」を思わせるところもあるのだが、もちろんその道行きは苦さに満ちている。開始後20分ぐらいから本格的なロードムービーになるのだが、そこで行きかう人々は皆狭量で他者を思いやる余裕はない。ヒロインである母親からすれば、敵意に満ちた世界で、その中で欲得ずくではあるが金さえ払えば助けになりそうなナワーズが唯一の頼みの綱であるという状況。よく考えればこの非人道的な扱いは、2020年のパンデミック下のロックダウンで労働者放っぽり出しでさらに劇的なstatisticになった訳だが。

王の涙 -イ・サンの決断-(역린、2014)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。3月に見た『王の運命 -歴史を変えた八日間-』の続編ではもちろんないのだが、ちょうど綺麗に歴史の連続をカバーしている。壬午士禍での思悼の米櫃餓死事件の背景の解釈もまあ違ってるし(本作では英祖はやむなく実子である思悼を殺したという筋立て)、『運命』の方では貞純王后は不思議なほど賢い女性として描かれているのに対し、こちらではメインの悪役に近く、典型的なファム・ファタールの演出。基本的には血腥い宮廷クーデタの一部始終を時系列で追うだけなのだけれど、「●時間前」などというテロップが何度も出て、息苦しさが尋常ではなく、休み休みやっと観た。王一人を守るために/殺すために、庶民階級が無数に死ぬ。この感じは『イワン雷帝』のそれに近い。あれは様式化された歌舞伎なので安心して見ていられるが、こちらはただ重苦しい。『中庸』二十三章の引用はとても効果的でラストに繰り返されるところが感動的。キーパーソンである忠臣が尚冊(図書の者)であるというのもくすぐられる感覚がある。それをもってブロマンスとか言ってしまうのはどうかと思う。

Haathi Mere Saathi (Hindi/2021)をオンラインで。 

プラブ・ソロモンがラーナーというそこそこのスターと組み、初の多言語展開、しかもテーマは相変わらずの愛象ものというので、期待と不安半々で臨んだが、どうしちゃったんだという出来。ヒンディー語版の舞台はチャッティースガルということになった(でも撮影はケーララのはず)。劇中で50年森を守ったとあり、ラーナー演じる野人が初老の男で、いわゆる「村外れの狂人」に近い演出もあるが、中途半端に思える。サブ主人公を演じた俳優も、生っ白い都会風で、マハウトには到底見えない。ナクサライトもバリバリに登場するが、この軍団が部族民の生活よりも象の福利厚生に執着しているというのがあり得ない。警察はエンカウンターや村の焼き払いをやりたい放題なのにさ。安いコメディアン、薄っぺらい悪役、イージーな恋愛譚、木を植えるから偉い風な単純化されたエコ正義など、調子外れ感と引き伸ばし感が酷い。プラブ・ソロモンの大好きな、煌めく象の眼と霧にけぶる大森林とは時たま挿入されるが、物語と嚙み合わない。そういや野生象として登場する軍団は雌ばっかだったがなんでだろ。

Ante Sundaraniki! (Telugu/2022)を池袋ヒューマックスシネマにて。 

176分の長丁場、配信だったら大変だったかも。すごい爆音にさらされ続けて台詞も多くグッタリだけど、テルグ人観客は終始気持ちよく笑い続けていた。ナーニらしい、アクション皆無&ペーソスが基調のユーモア。アメリカに行ったけど何もせずに帰ってきた部分のプロットがちょっと弱かったか。当てずっぽうで書いた「カーラーパーニーを穢れと見なす超保守派のバラモン」が当たってた。古典音楽教師のおばあちゃんが許諾の代わりにヴィーナーを弾くとか、清めの儀式のあれこれとか、好きなように笑いのネタにしている。対してクリスチャンの方にはおちょくりはない。直接的な描写はないにしても、結構な身の下ネタで話が進むのだが、ナーニ+ナスリヤだと生々しさがない。男児向けと女児向けの自転車の構造の違いにそういう意味があるのか?Thadasthu Devathaluという馬頭双身神は初めて見たが、名前は tat (so) + astu (happen or be it) からなり、その神に向かって言ったことは実現するというの、うまい使い方。

Vikram (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

期待が膨れ上がっていたけど、珍しくそれが報われた。満席のホールにカマルの人気を再確認。カマルのうっとり自己陶酔と、他の役者たちのそれを邪魔しないけれども存在感たっぷりな芝居のコンビネーションが良かった。印象的だったのはチェンバン・ヴィノード・ジョーズで、注目のファハドは予想よりもずっと普通の人でやや肩透かし。VJSはケダモノを演じきった。「先にKaithiを見とけ!」は単なるご祝儀コメントかと思ったら実質的な続編だった。カマルのダンスはかなり省エネ型だったけど、アクションは申し分なし。ローケーシュの大好きなビリヤニと重火器もパワーアップ、ロマンスは相変わらず最低限。終盤でフリップ付きで紹介されるエージェント・ティナ、ローレンス、ウッピラッパンがいちいちカッコよく、特にティナのシーンは大うけだった。前作に出て来たとかそういうのでもなく、スリーパーセルの設定だったようだ。あれゲスト出演のあの人は?と思ってたところに極悪野郎として出てきたスーリヤにも吃驚。これは初の悪役ということになるのか?次作はカマル軍団vsスーリヤになるのか?

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