June(Malayalam - 2019)をシヴァージーナガラのサンギータで。
スクリーンが暗い上に字幕が無くて残念。Premamを裏返しにしたような、女学生の恋から結婚までの様々な遍歴を描く。男女を問わず、人は思春期から始まり様々なレベルの恋愛感情を経験するのが普通だが、伴侶は最終的にお見合いで決めても全然かまわないんじゃないか、という幾度も繰り返されてきたインド的な結婚観。主演のラジシャは可愛いけど、パドマプリヤーに似た魔女の鼻がそのうちハンデになりそう。ケーララ人だけどムンバイから来たせいで王子様に見えるサルジャノは、ハイスクール時代は輝いてたのに、成人してヒゲ面で再登場するとなぜだかつまらん奴に見えるのは、役づくりなのか。隠し玉のアーナンド役のアルジュン・アショーカンはただの端役だけど何となく二ヴィンに似てるなあと思って見てたら、後半に予想外の再登場をして、そこでも二ヴィンに似てるのだった。似てはいるけど多分スターにはなれない、本当にスターとその他との分かれ目は何なのだろうと思えてくる。ジョジュ・ジョージの父役が称賛を得ているが、一番美味しい役はこの子だったと思う。
Tik Tik Tik (Tamil - 2018)を機内上映で。
ジャヤム・ラヴィはThani Oruvanでいきなり開花してセクシーな奴っていう扱いになったようなんだけど、あれは脚本と演出の良さによる底上げなんじゃないかという疑念は常にある。本作でも、油断すると顔を覗かせる昔の垢抜けなさ、大味などん臭さが所々で感じられた。チェンナイ周辺に向かって飛来する巨大隕石(だっけ?)が直撃すると数千万人の死者を出すことになるので、それを核ミサイルで粉砕した上で軌道を変えさせる必要があるのだが、色々あってインド保有の核は使えない(何でだっけ?)ので、某国が不法に宇宙空間に秘匿する核を奪って使うという奇想天外作戦。その某国ってのがセリフに出るたびに音消しされてんだけど、ビジュアルでは五星紅旗がそのまま出てくるわ、ちうごくって漢字で書いてあるわで大笑い。その盗みをさせるために、民間人のマジシャン、それも犯罪者を宇宙飛行士として一から訓練するという壮大さ。敵役の中国人俳優は悪くなかった。綺麗なお姉さんも出てきたけど恋愛沙汰を盛り込まないところが潔くて良かった。まあ、おバカ宇宙映画の系譜に連なるものか。
『ボヘミアン・ラプソディ』(UK/USA - 2018)を機内上映で。
予告編を劇場で見てもあまり興味をそそられなかったけど、世に溢れるレビュー類を読みたいという欲から見て見ることにした。日本語吹き替え版。もちろんソングは吹き替えなしだけど。ソングシーンは極上で言うことなし。ソングそのものだけじゃなくパフォーマーとしてのフレディーの躍動する身体性と婆娑羅ぶりに目を奪われる感じ。まあそれにしてもこれは普段慣れ親しんでる芸道ものそのものだわな。この一言で全て言い尽くせてしまう。世の人々があーでもないこーでもないと書きまくってるあれこれも、ほとんどが言わずもがな、伏線だ回収だとか書かれてることも、それわざわざ説明要るかいという感じで。史実をゆがめたとか言われてるのも、インド映画に慣れきってると、何怒ってんじゃい?だわ。
Chalo(Telugu - 2018)を機内上映で。
ナーガ・シャウリヤは見たことなかった、アッキネーニ家の外戚かなんかだったっけなどと思ってたけど、後から調べたら家系じゃない一匹狼だった。それにOohalu Gusagusaladeも見てたし。あんまし印象に残らなかったのは確か。こうしてヒーローとして見てみれば、テルグスターの要件である高身長はクリア、くしゃっとした顔も悪くないけど、インパクトには欠けてるかも。ストーリーは奇天烈で、タミル・アーンドラ州境によって分断されてしまった村でのタミル人とテルグ人の争いの中でのロマンス。主人公はテランガーナ人、ヒロインはタミル人という設定。アチュート・クマールがテルグ人の長という設定。タミル人のトップはマイム・ゴーピで、明らかに野蛮人という演出。ドタバタコメディーにロジックを求めてもしょうがないけど、御都合主義によってタミル人がほとんどタミル語を喋らないので、訳が分からなくなる。一つだけ言えるのは、州境を挟んでいがみ合う村人たちというのは、明らかにアーンドラとテランガーナの隠喩であること。はっきりとは描けないものなのか、そこだけが気になった。
Parava (Malayalam - 2017)をDVDで。
一昨年だったかに字幕なしで劇場で見て、ほぼ撃沈された一作。一般娯楽映画に比べるとセリフは極端に少ないのにも拘わらず、映像の連関が全くつかめなかった。ただ、監督のサウビン・シャーヒルがアート志向を持っていて、カメラマンがそれに完璧に応えたということしかわからなかった。しかし英語字幕付きで見ると、初見の際に辛かったセリフなしの長いシーンもその意味付けが分かって、あまり長さを感じなくなる。マッタンチェーリという極小の、その中でもムスリムコミュニティーの中での息苦しい諍いと、空にハトを放つことで得られる爽快感との対比。ハトの飼育と飛翔競技はイスラーム文化伝来のそれなのか。ともあれ、何の知識もなしで臨んでも、最後のほうではその競技のおおまかなルールは分かるようになっている。二つほど分からなかったのは、中盤で唐突に少年たちが競技凧に夢中になるところ。短いエピソードの後、話はすぐにハトに戻るが。それから監督自身が演じる悪役の性格付け。ヤク中とした意味、それ以外のバックグラウンドの不明さ、バイク炎上のシーンでの奇態なコスチュームについて。
Nene Raju Nene Mantri (Telugu - 2017)をオンラインで。
昨日に続いてラーナーを潰すために半ば課題として見たのだけど予想外に面白かった。感動したといってもいい。いわゆるラーヤラシーマものかと思いきや、政治的なドライブがかかり、田舎の気の良い金貸しから州首相(何州かは明確になっていない)を目指して各種の悪役と戦う極悪主人公の物語が神話的に立ち上がる。主人公が煙草を吹かしまくるとこからはじまり、色んなとこで挑発的な内容。テージャ監督がNTRの伝記映画から外されたのは、この野心的な政治性の表出にあったのではないかと疑われる。ただし現地のレビューは滅法塩辛い。クライマックスに至る部分のロジック無視が気にくわなかったのか。ジュニアのTemperなどとも通じるが、ロジックの破綻を超える力強いドラマがあれば目を瞑れると思うのだが。あるいは事情通氏の言うように、芸能メディアには政治的な力が働いていて、イデオロギーに沿わない良作を腐すような構造になってしまっているのか。ともあれこれは台詞をきちんと吟味しながら見たい一本となった。
2017年のベトナム映画『ベトナムを懐う』(Dạ cổ hoài lang)を試写で。
こちらは北米のベトナム移民を扱ったメロドラマ。ありがちな一世と三世の世代間ギャップとか、行き場のない老人の悲哀とかが描かれて、ああこの展開ねと油断してると、途中からバディ・ムービーに変わっていき、これが泣かせどころとなる。ただ、一世と三世(厳密な言い方ではない、一世の方が後から来たんだから)に挟まれた二世の悲劇的なエピソードにどうもリアリティーが感じられなくて、そこがひっかかった。実話なのかもしれないけど。後から解説を読んで知ったが、元はヒットした舞台劇だそうだ。それから劇中の「S字」についても解説で読んだが、これは解説読まないとわからないというのがちょっと勿体ない気がした。エンドロールにはトロント市が協力したことを示す各種クレジットが続いたが、設定はあくまでもNYで押し通してる。これはちょっとインド映画みたいだと思った。主人公の青年期を演じた俳優の切れ長の目が鮮烈で、その切れ長の目が、老年期を演じる俳優にもそっくりそのままあるのが凄いことに思えた。
2009年のベトナム映画『漂うがごとく』(Adrift : Chơi vơi)を試写で。
ベトナム映画といったら『無人の野』(1979)と『青いパパイヤの香り』(1993)の二本きり。なので俳優や監督にも全く馴染みなく、まっさらな状態での鑑賞。題名通り、水棲植物が波にたゆたうように頼りなく、ゆらゆらとくっついたり離れたりする男女のセクシュアリティの断片。色々と謎のままで終わる結末はアート映画のそれ。身も蓋もなく書くならば姦通をもプロットに含んでいるので、普段接している国の映画だったら、仮にアート映画だったとしても許されない筋立てなんだけど、東南アジアのあの揺らぎのなかでなら、それもありだろうと思わせる。セクシュアリティを巡る欲望と抑圧を巡るにも拘わらず、中心となる男女の面立ちが、あどけないと言えるほどの若々しさ。それが一層のエロティシズムを生む。日本人の自分ですらそう感じるのだから、欧米人などにはさらに刺激的なものとなるのではないか。久々の尖がったアート映画に普段使わない脳筋を刺激された感じ。
Nenu Naa Rakshasi (Telugu - 2011) をDVDで。
事情あってラーナーの主演作はなるだけ見といた方がいい状況になったので、まずDVDになってるこれから潰した。よくよく見れば監督はプーリ・ジャガンナードとあり、居住まいを正して臨んだが、やや見通すのが辛い出来。デビューから僅か三作目のラーナーが頼りないのはしょうがないとして(デビュー作のLeaderはシェーカル・カンムラ監督の演出がよほど良かったのだと思った)、テーマも鋭いし、全体にイイ感じに転がりそうなのに、不発なプロットがいくつも。アリーのレイシスト系エロジョークはただもう痛い。プーリ・ジャガンナードはやっぱ2006年のPokiriあたりが頂上だったのかな。2015年のTemperにはかなりの感動があったのだけど、あれはNTRジュニアの演技力でねじ伏せたものだったのかも。プロットの細かい整合性の雑さが気になって作品が評価できないのは、自分が気難しくなったからなのか、映画にパワーがないからなのかよく分からない。結局裏切らなかったのはイリヤーナーの腰のラインだけだったかも。ラーナーの踊りの能力には重大な疑惑。
Sri Madvirat Veerabrahmendra Swami Charitra (Telugu - 1984)をDVDで。字幕なし。
昨日のMahanayakuduに食い足りなかったので思わず手を伸ばした。字幕なしで、しかも手引きにできるような詳細シノプシスなしでの鑑賞だったので、レビューじみたことは書くべきではない。ところどころにアッと驚くようなイメージあり。それらの現れ方もいかにも唐突で、シュールなヘタウマ絵を眺めているよう。そう、全体的なナラティブが悪夢のようなヘタウマSF映画風で、かつてあれほど繊細巧妙な描写を繰り出していたテルグ神話映画がどうしてしまったのかという印象。しかし1997年のAnnamayyaまで下れば、再び洗練されたものが出てくるのだから、これはキャンペーン映画だからということなのか。だけど、17世紀の予言にたけた聖人の伝記を、選挙に向けたキャンペーン映画にするもんだろうか、普通。このあたりもう少し探求してみるべきか。
NTR Mahanayakudu (Telugu - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。
色々予習する過程で、まあこれはかなり骨抜き映画になるだろうと予想していて極力期待値低めで臨んだけど、やっぱり前後編の後半僅か128分てのはいかにもバランスが悪い。前半は散漫すぎるほどに様々な要素を取り込んだのに、後半は党内抗争と反中央闘争と夫婦愛だけ。抗争・闘争は激烈に、夫婦愛は美しく描かれた。さすがのクリシュ監督。ただもう何ての、満腹になれずに帰宅して、うーんベッドに入る前に何食べよう?とか思ってしまうあの感じ。前後編通して良かったのはスマント。それから妙に目を奪われたのは若き日のYSR役を演じたシュリーテ―ジ。別にYSRに似てるとは思わないが、Lakshmi’s NTRのチャンドラバーブ役での人品骨柄の代わりぶり(トレーラーで見られる限りだが)を見ていると、結構役者としてポテンシャル高いのかと思ってしまう。まあ村八分になったりしないように頑張って欲しい。あ、それから、重要な役なのにビジネスヴィディヤー・バーランのヘアスタイリングの手抜きが酷いと思ったのだが、何か事情があったのだろうか。
Srinatha Kavi Sarvabhowmudu (Telugu - 1993)をDVDで。
もうNTRの字幕付きDVDは見尽くしたような気になってたけど、ディスクに放り込んだら英字幕が出た。ちゃんと実見して確かめないと。1996年に没したNTRがその3年前に出た最後の作品。ヴィジャヤナガラ朝の伝説的な歌聖を演じるNTRは妖気に満ち満ちていてとても初心者にはお勧めできない感じ。それでも80歳の歌舞伎女形の人間国宝の芸を見るような楽しみはあるのだ。息子たちにはどうあがいても真似のできないある種のエレガンスはあちこちに顔をのぞかせる。本作はNTR主演作としてだけでなくバープ監督としての見どころもある。女好き、といっても美女を目に留める度に一句捻る、という無害な好色爺という性格の前に次々と現れる美女たちの演出。まさに絵師としてのバープの美学がスクリーン上に繰り広げられる絵巻。芸道ものでもあり、バクティものでもある終盤の展開は、よくあるパターンと分かっていてももらい泣きする。テナリラーマもそうだったが、カンナダ語とテルグ語が共存するヴィジャヤナガラ宮廷と言うのは、独特の言語世界観は独特。
Sudani from Nigeria (Malayalam―2018)をDVDで。 二回目。
一回目に見た時と感想は大きく変わらない。やはり主人公の両親と隣家のおばさんの良い人っぷりが刺さった。冷静に考えると、婚期を逸しかけているとはいえ、30代末ぐらいにみえる主人公の親としては二人は老けすぎてるようにも思えるのだが。これがマラップラムを舞台にしたこと、ムスリム家庭としたことの必然性を考えた。たとえば舞台をパラあたりにして、クリスチャンのコミュニティーを描き、ナイジェリア人青年をムスリムにするというやりかたもあったかと思う。ただやっぱり、「貧しくても眼がキラキラ」感を出すにはマラバールだったかなとも。最後の方に発されるAs-salāmu ʿalaykumとwa ʿalaykumu s-salāmの対の台詞、これは字幕翻訳者泣かせだが、非常にシンプルで強力な殺し文句になっていたと思う。そうなるとやはりムスリム・ソーシャルでしか表現できないものだったかもしれない。
Gully Boy (Hindi - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。
ベルリン映画祭に出品しただけあって英語字幕の質がいい。やればできんじゃん。テーマはスラムのムスリム青年の成人物語で、それを芸道ものフォーマットに当てはめた、割とマイルドな仕上がり。Kaalaにあったヒリヒリするリベレーションのメッセージは驚くほどない。スラム暮らしの鬱屈の描写はアクセント程度。ラップで面白かったのは、先輩ラッパーとの最初の出会いから、コンテストに至るまでの全ての音楽シーンで、ムシャーイラーっぽい演出がされていたこと。演出というより実際がそうなのだろうか。コンテスト部分では即興が勝っていたが、ラッパー・デビューのシーンでは、自由詩として書き溜めていたものを吐き出す様子が描かれ、また周囲とのインタラクティブなパフォーマンスもムシャーイラーそのものといった感じだった。やはりバトルは芸道ものの華だが、クライマックスでは独演会状態で悪役に相当する相手が出てこなかったのがやや不満。楽曲ではApna Time Aayegaが一番良かった。シェール役でデビューのシッダント・チャトゥルヴェーディは覚えておこう。
Peranbu (Tamil - 2019)をスキップシティで。
久々のマンムーティが嬉しかった。映画祭アイテムだけあって英語字幕もよくできてた。しかし全体的な印象はイマイチ。芸術映画にありがちな、様式美にそって作られたもので、漲って来るものがない。ラーム監督のデビュー作は全然こんな感じじゃない情念の世界だったのだが。クライマックスは浜辺ではなくその前の性風俗産業の事務所(?)でのやり取りだと思う。しかしいくら障碍のある娘が春に目覚めつつあるからといって、男の娼夫をあてがおうとする父親がいるか、14歳の娘にだ。しかしマンムーティーの存在感と芝居力が無理やりにそれをクライマックスにした。12回も出てくる「自然とは〇〇なり」という警句も、分かったような分からないような。このあたりにB級芸術映画臭が漂う。障碍者の娘の世話を独りでしようとする中年男の極限の疲労と絶望があまり実感できないまま、あのラストシーンなので、完全に納得して劇場を後にすることはできなかった。同じ様式美でも、これはニューウェーブの定式で(センチメントを盛り上げ、フルコーラスのソングなども入れつつ)描くべきものだったと思う。
Happy Wedding (Malayalam - 2016)をDVDで。
先日のChunkzz (Malayalam - 2017)に続いてオマル・ルル監督の作品。これはデビュー作で100日越えのヒットになったらしい。第二作のChunkzzがあまり言えばあまりな出来だったので期待値を抑えに抑えて。そしたら案外面白かった。ソングは結構いい感じだし、過去の名作映画の引用が所々面白い。ただ、見終わって胸に迫るものは無い。テンプレ風エピソードを喋くりで繋げただけ。この監督は学園ものが本当に好きだと見える。出演者は全員そこらにいそうなリアリティーのある若者で、つまりインパクトが足りない。主演のシジュ・ウィルソンにしてからが、「もうちょっとでニヴィン・ポーリになれなかった男」感100%。と思ったらメインキャストはほとんどPremamに脇役出演してたらしい。そう知ったらこのストーリー自体がPremamのパロディにも思えてきた。サウビン・シャーヒルはいつもながらの練れた感じ、相棒役のシャイフッディーンが非常に良かった。最後の二重のどんでん返しの一つ目では唖然とした。次のひっくり返しは不要だったかも。
Gully Boy(Hindi - 2019)の予習として全曲ジュークボックスを聞いてみた。
実在のスラムのラッパーの伝記的映画で、音楽は当然ながらモデルになった当人が担当してるのだが、どうも響くものがないのはどうしてか。歌詞の意味が分からないで文句言うのは筋違いかもしれないけど。来週末に映像と一緒に見れば印象は覆るかもしれないけど。だってサントーシュ・ナーラーヤン+パ・ランジットのラップは全然歌詞の意味が分からなくともブッ飛ばされる感じがあったんだけど。相性の問題か。
https://youtu.be/Wp31HBq3BG4
Chunkzz (Malayalam - 2017)をDVDで。
Oru Adaar Loveの公開が俄かに現実味を帯びたので、改めて調べたところ、監督には2本の前作があり、しかもどちらもDVDを架蔵していることが分かったのでウキウキ鑑賞。そして見終わってかなりドンヨリ。じつはこれ、2017年の作品中ではかなりのヒットだったようなのだ。ただし批評家筋からは酷評の嵐。学園ロマンスと見せかけて後半はアダルトコメディー。それは良いが、性的マイノリティーへの差別やミソジニー、肌の色差別などを笑いの燃料に活用していて終わってる。しかもトリックを仕掛け最後に種明かしするという構成を取りながら、そのトリックに全くロジックがなく、種明かしの快感すらないのだ。男子学生たちは結構リアル。そこにクイーンとして現れるハニー・ローズ姐さんは、2歳年上という設定にしてみたって無理がありすぎる。しかし後半のアダルト展開をやってくれるのはハニー姐さんぐらいしかいなかったのだと思う。一番ショッキングなのは、この作品がU指定で、善男善女や男女学生さんたちが大挙して劇場に押し掛けて無邪気に楽しんだってところかもしれない。
Adventures of Omanakkuttan (Malayalam - 2017) をDVDで。
何かで良作と目にしたので「時間ができたら見るリスト」に入れてあったのだけど、見た後にレビューを漁ったら酷評の嵐だった。コミュ障気味の冴えない若者の現実逃避ファンタジーと犯罪が絡まり合ったブラックコメディー。元ネタは『ウォルター・ミティの秘密の生活』という短編小説で、アメリカでは3回も映画化されているという。各種の批判はまあ分かるけど、あえて良かった点を挙げると、1.マイソールと言う絶妙な設定、2.アーシフ・アリの演技者としての成熟、3.バーヴァナのキャラクターの魅力、というあたり。鬘にまつわるギャグは大笑いではないがニヤリとさせるものがあった。やはり一番好もしかったのはバーヴァナかな。派手好き、利己的で騒々しく、脱法気味の謀略も厭わないアグレッシブな女性なのに、憎めない魅力を持っている。彼女がセルフダビングでカンナダ語を話してるだけでも何か大変なものを見せてもらったような気になる。最終局面で罰を受けるのだが、その罰も決定的な打撃にはなっておらず、改悛などしないだろうと思えるのがいい。
K.G.F: Chapter 1 (Kannada - 2018)を川口スキップシティで。
スキップシティ325席の8割以上が埋まっていた印象。カンナダ人の熱気も凄かったけど、40-50人の日本人観客も空前。プレビューのために鬼のように現地レビュー読んだし、前作Ugrammの経験から、この監督は人相の悪いのをズラリと並べるのが好きなだけなので、誰が誰だか分からなくともOKと踏んで、適当に流し見。それで問題はなかった。予想通りの汚泥と硝煙の美学。基本的にむっつりで通すだけのヤシュは、逆に演技力と風格が求められるものだったと思う。ストーリーはあってないようなもの。ボンベイの地獄からバンガロールの地獄、そしてコラールの血みどろ絵へと移ろいゆく悪夢の連鎖。ただなあ、Ugrammにあった疾走する感じ、あのソングシーンの高揚感というのが足りなかったなあ。それからクライマックスのPatala Bhairaviもどきが、いかにも唐突な感じでちょっと興ざめ。金属の世界に生温かい土俗信仰風なものが混じって喰い合わせが悪い。あと、後編が来年公開予定と知ってびっくり。もっとサクサクやってくれないと後編公開時に忘