スティング
昭和の子供には「ピエール・カルダン」的に耳になじんだ、それでいて何者なのかわかっていなかったポール・ニューマンを初めてちゃんと見た。なんだかえらくかっこいいおじさんだった。「大きな森」シリーズで「父さんの目がチカチカっとした」みたいな表現があったけど、あの目。笑みをにじませたっていうのかな、余裕と遊び心という感じ。ランニングのおっちゃんがスーツでばしっと決めるところ、フォーマルなおしゃれもよいものだな、と思った。若造のロバート・レッドフォードもちゃんとした服を着せると見栄えが良くなりとてもよい。
話は『オーシャンズ11』の元祖という趣でわくわくと楽しく、詐欺師ものを観慣れていないので存分に楽しめた。脇役のおじさんたちも楽しそうで能力が高いのがいい。わたしはしっかり騙されたので、結末でにこにこしている自分に気が付いた。
そもそも悪いのはどっちかということを考えるとちょっと盛り下がるところはあるけれど、それ以外は文句なし。楽しい一本。
プルートで朝食を
パトリシアの孤独がぎりぎりと胸に迫ってひさしぶりにじわっときてしまった。わたしに理解できることではないと思う、けど目の前をちらりとかすめていくものがあった。
短い章仕立てになっていてキャッチーな音楽が挟まるから観ていられるけれど、パトリシアも辛いし時代も辛い(トランスジェンダーであることだけで酷い暴力にさらされなかったのもファンタジーなんだろうか)。映画の終わりではパトリシアは生きる理由を持っているけれど、また辛いときが来る予感がして胸がぎゅっとなった。パトリシアは「I just want to belong」って言う。わたしもどこにも属していないと思うけれど、本当は何かに属しているんだろうか。
キリアン・マーフィーはいつまでも見ていられるきれいさ、というかキリアン・マーフィーだと分かっていなくてエンドロールでうぉっとなったのだった。『インセプション』を観たばっかりだからね、役者はすごいね...
トゥルー・グリット
話のとっかかりの女の子が振り返る形でナレーションをするので、そんなにひどいことにはならないのだろうと思いながら観て、やっぱりそんなにひどいことにはならなかった。「この先どうする!」という強い不安に襲われないので、西部劇ってアメリカ人の寅さんみたいなものなのかなーと感じた。コーエン兄弟だからもっとひねくれたものを予期していたのだけれど。
ジェフ・ブリッジスが飲んだくれのガンダルフみたいで、ちっちゃい目が急にかっこよくなる瞬間があってそれを観る映画。でも老人と小娘の純愛映画と解釈するには敵が死に過ぎた。そういう時代の話なんだろうけど。
ロジャー・ディーキンスが撮影なので画はきれいです。
ダンガル きっと、つよくなる 〈オリジナル版〉
2時間半以上だけど長くない、最後まで描き切っていてすっきり。日本公開版て20分どこをカットしたんだろうか...
もとい、自分の夢の実現のために娘を使った父の話とも言えるので、娘ちゃんたちがぐれなくてよかった、そこが第一。アーミル・カーンだから我慢できるひどい父なんだけど、すごいね、実話ベースなのね。エンドロールで本物が出てきて、まあ強そうなお父さんだった(笑)
そんなにひどい悪人は出てこないし(だいたいインド映画に心からの胸糞キャラってあまりいない気がする)、最後のあれも父の教えを完成形に持っていくためには不可欠だし、意外性はない、でもだからこそのよさがあった。だいたい登場人物がやっていることを自分もやりたくなったら(MMFRならライフルを撃ちたいとか)それはいい映画なのだけれども、ちょっとだけレスリングかっこいいなって思ったものね。あと、コミュ力低めの父と娘の感じを思い出して懐かしいような気持ちになった。21世紀のお父さんたちはあんなじゃないですね?
あの従兄はどうやって生計を立てていたのか謎で、個人的には彼が一番の妖精キャラ。
インセプション
おもしろかった、けど映画っていうよりアトラクションぽかったな。アトラクションぽい映画でべつに悪いことはないんだけれども。人間ドラマというより映像と設定の映画。でも「~士」っていう役割名はアガりますね、たぶん『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のせい。映像は個人の無意識が滲み出す感覚がとても『パプリカ』ぽかった。
ディカプーはここ最近観続けていたディカプー映画の中では一本調子でないという点でけっこうよかった。アクションもちゃんとカッコよかった。ただ『シャッターアイランド』に続いてヤバい妻を心底愛する夫でお気の毒であった。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットはよい間をつくる人だなあと思ったのでもっとこの人の演技を観たいです。
ノー・カントリー
『009 スカイフォール』からハビエル・バルデム&ロジャー・ディーキンスつながりで。一番怖かったのは雑貨屋さんとシガーのやりとり。そもそもキャッチボールにならない会話がとても苦手なのだけれど、いつ「ぷしゅ」ってされちゃうかと気が気でなかった。でもモスの奥さんも言ってたけど、決めてるのはコインの表裏じゃなくてシガーなのよね。ものすごい傲慢を見たわ。
モスのDIYぶりがおもしろかった。敵が来たら撃ち殺す世界観で生きている人。ベトナム戦争の帰還兵ならあそこまで警察に頼らないでいることが現実的にありだったのかもしれない。No country for old menなオチだったけど、ああいう世界は老人じゃなくたって無理で、コロナのために半径2キロの世界で静かに暮らしている自分には気つけ薬のように効いた。
ところで...ハビエル・バルデムが人を殺さない映画が観たい。『スカイフォール』のときもそうだったけど、とても濃い顔立ちなのに顔色が青白いものだから、いっそう怖く感じた気がする。ハビエル・バルデムの顔色がいい映画が観たい。
仁義なき戦い 完結編
狂犬が2匹、武田と広能の交流のシーンもたっぷりあり、不要という評が多い本作だけれども個人的にたいへんなサービス映画だった。今までの、現実にのっとっているために不完全燃焼な終わり方をするよさはなかった、けれど起承転結がくっきりしているから感情的に満たされる。
しかしなぜわたしは『仁義なき戦い』を観続けるのか、原初的な暴力衝動が発散されるってことなのか... これで完結なわけだけれど、深作欣二の映画を漁っていけばいいのかな... 『バトル・ロワイヤル』がおもしろかったら、ヤクザ映画ではなくて深作欣二が好きということなのだろう。
余談:
- 天政会の会議、扇風機がぐるぐるしてたり三角に切ったスイカが山盛りだったり、小学生の集まりみたいでふふっとなってしまったのだけど、あれは業務中はお酒飲まないみたいなことなんだろうか。
- 伊吹吾郎がぜんぜんヤクザに見えないのがちょっとおかしかった。
- 宍戸錠はがんばってたけど、大友勝利はやっぱり千葉真一で観たかった。
- 今回も松方弘樹のメイクは不思議だったけれど、狂犬2としてかなりよかったので不問にする。
仁義なき戦い 頂上作戦
三作観た積み重ねがあるからだろうけれど、本作が一番盛り上がった。小林旭がかっこよすぎる。ああいう小林旭がもっと観たい。
今回はいつも抑え気味な広能が打って出ようとするし幹部レベルの口合戦がよい。決め台詞多すぎ。そして山守のおっさんは憎たらしさが極まっておもしろキャラに成長していた。
居場所と使命があればひとは頑張れる、それが年寄りにいいように利用される構図が今回も繰り返された。第二部、三部のように特定の若者に焦点を絞らないぶん、居場所のなかった無名の若者たちが犬死にしていくのがいたましい。
今回思ったこと:
- ヤクザの事務所で乱暴者の男たちばかりのはずだけど、お客さんが来るとちゃんとお茶が出る。座って正座してあいさつする。今よりずっと丁寧。
- 手作り爆弾の缶がバヤリース。アサヒ飲料はクレーム入れなかったのか。
- 武器をぐいぐい自作していくのに感心。当時爆弾を自作していたひとたち、事故って手をふっとばしたりしなかったんだろうか。したんだろうな。今でも作ろうと思えば資料があるんだろうか手作り爆弾。
- 松方弘樹の顔色を設計した人!
007 スカイフォール
初めての007シリーズ、ロジャー・ディーキンスが撮影監督なので観てみた。引きの画がとてもディーキンスで満足。スコットランド高地の風景!
ところでダニエル・クレイグはこきたないほうが趣があってよいな、などと思っていたのだけれど、あの上半身とトム・フォードのスーツはすばらしかった。スーツでぎゅんぎゅん動くのが007なのかな? ちょう豪華火曜サスペンス劇場だと思って楽しく観た、というか火サスがフォーマットを踏襲してるんだろうけども。『ミッション・インポッシブル』とかそういうタイプの(このジャンルをぜんぜん観ていない者の感想です)。
出てくる人たちみんな魅力があってよかった。俳優陣に見とれているとあっという間に時間が経つやつです。
MI6の建物、タイレル社みたいで映画用のセットなのかと思ったら本当にあんなのだった。びっくり。
20センチュリー・ウーマン
いつまでも観ていたいやさしい世界。声出して笑っちゃうところもありながら、人間の孤独をつよく感じる映画だった(やさしい世界を作るには孤独な方がいいんだと思う、孤独でないとやさしい世界を作れないような気がする)。
3つの世代の女たちがそれぞれにひりひりと生きていてよかった。実際のところあのように自己制御がきいた女たちが3人も同じ時間同じ地点に存在することはないので、そこがファンタジーなのだろうけれど、あの男の子(信じられないくらいかわいい)から見てそうだった、ということなのだろう。幼かったころ他者が謎めいて見えてしかたなかったことを思い出した。服もみんなかわいかったですね... カジュアル衣料のよさがあった。
タイトルについては「ウーマンとウィメンの変化中学で習っただろうが」と言わざるを得ない。ちゃんとして。しないんだったらカタカナはよせ。
あとねービリー・クラダップの雑魚サブキャラぶりがなんか気の毒なくらいだったので、何かもうちょっとパッとしたのを観て埋め合わせようと思いました。
ブラック・スワン
んー良くも悪くもぎこちなかった。性的に成熟していないことのハンデとか干渉しすぎる母親とか、この映画の魅力というか怖いところはどうも既視感があって、たぶん山岸凉子でこういうの通過してるんですよね... でもなあ性的快楽を知ればどうにかなるようなことを追求しているわけじゃないでしょバレリーナは。芸術家の狂気を親離れできない子供の苦しみと混ぜた点は納得できなかった。
それはそれとしてナタリー・ポートマンは頑張ってた。最後の最後まであのか細い声で「照明つけてください...」とかね、ニナになってる感じはあった。ニナはずっと可哀そうだったけれど、あの神経の細さではそもそもカンパニーに入れなかったんじゃないの...
地味に痛そうなシーンが多くて、自分史上もっとも目をつぶってしまった。終始ニナが痛がってる映画でした。
PK
寓話的なのでいちいち都合のいい展開ではあるのだけれど、そのぶん宗教の問題にかなりはっきりもの申す脚本になっていて、インドでここまで表現するのありなんだなあという驚きがあった。同じ時代に生きてるんだから、憎悪扇動や集金のためのシステムとしての宗教に疑問を持つ人がマジョリティになってきているのだろう。インド人の同僚がいたとしても、素朴な疑問を投げるのは憚られるけれども(海外から見ると天皇制も宗教の一種に見えるらしいし、日本人は無宗教でもない、考える機会がないだけだと思う)。
アーミル・カーン目的で観る者にとっては、表情の乏しい演技をせざるを得ない役柄なのは物足りなかったし目が乾く(観ればわかります)、が、それはそれとしてジャグーの幸せとpkの悲しみどちらにも共振してしまいインド映画で涙目になるという初めての体験をしてしまった。
ファイト・クラブ つづき
軍団の構成員の気持ち悪さはリアルだった。何かに取り込まれていたい群れは気味が悪い。
最近『ハワーズ・エンド』『英国王のスピーチ』で観たばっかりのヘレナ・ボナム=カーター、『ファイト・クラブ』のシザーハンズメイクがいちばんかっこいいと思った。
ファイト・クラブ
みんなだいすきブラッド・キチガイ・ピットをたっぷり鑑賞できる。あんまり面白くない...?って思った直後から面白くなったので満足。どんでん返しがちゃんとどんでん返しに感じられた。小六男子的な途中の子供っぽさも理解できる、すっきり。
ただ時代を感じたのもほんとうで、今ってそんなにモノを買いそろえなくてはというオブセッションは共有されていないから、この映画の前提が崩れているような気がした。そもそも日本だと景気が延々悪くてばかすか買ってる場合じゃないとか、買うんだったら好きなジャンルのものだけ吟味するとかだから、買いものは「みんなやってるしやらなくちゃ」でする行為じゃなくなってる。やってもいいしやらなくてもいいし、やるんだったらそれなりに真剣に、自分の生の一部をなす行為として、よりカスタマイズされた体験を慈しんで消費しているんじゃないだろうか。
まあ20年前はあんなにのんびりホワイトカラーでいられたんだから、そりゃ虚無い心情になる余裕もあったんだろうな。今は首を水面から出しておくだけで大変だからね、虚無くなっている余裕ないです。