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パプリカ(2006)をNTFLXで。 

『狂つた一頁』(1926)は見ていないのだけど、同作の映画作家が現代に生きていたらこういうものを作ったのではないかと思わせる大正ロマン的不条理夢幻劇。『ルシア』のように、胡蝶の夢を哲学的に展開する部分、そして夢見る装置としての映画への愛なども組み込まれた、イマジネーションの奔流のような90分。こういうのを見ると、2000年以降の日本映画で最も才能ある人材は全てアニメに流れたのではないかという性急な決めつけに走りたくなる(自制しないと)。これまで『千年女優』しか見ていなかったけど、現実に夢を入り込ませて魔術的な世界を構築することにかけては第一人者であると確信した今敏は、やはり全作見なくてはという気になった。

Ente Ummante Peru (Malayalam/2018)をUSAPで。 

ポスターから読み取れる情報以外の予備知識ゼロで臨んだ。やはりまっさらからの鑑賞は楽しい。要するにマーピラ版『母をたずねて三千里』なわけだが、途中はもしかして『菊次郎の夏』になるのじゃないかと思い、半分ぐらい当たった。甘えん坊で若干トロめの青年と、がさつで生活力旺盛な継母とが、青年の生みの母を訪ねてタラッシェーリからラクナウまで出かけていく。タラッシェーリの田舎感はとても良いし、対するラクナウも、これまでのサウス映画で描かれた北インドの中では特段にリアリティーがある。観光ガイド的イメージは極力退けられている。ただ、生母と父との関係が完全に説明がないこと、ダンスと現在の生母との関りに引っ掛かりが残る。ウルワシとトヴィノの掛け合いは、たぶんネイティブ観客には絶妙なのだと思う。字幕をヨチヨチ追って読むだけでもその感じは分かる。演技賞はウルワシ。かつてならKPACラリタがやっていたようなキャラを血肉の通ったものとして演じきった。トヴィノの方はOru Kuprasidha Payyanから続いてのバカの子ちゃん。

この世界の片隅に(2016)をNTFLXで。 

太平洋戦争を題材にした映画作品の例にもれず、本作も戦争責任や植民地支配責任を描いているのかどうかなどの点で封切り時に議論があったらしい。まあしかし、これはそういう観点から称揚したり断罪したりする作品ではない。劇中でヒロインを「普通の人」と形容するシーンがあるが、そういう普通の人が担った時代精神を描くことに注力したものだ。それは漫画で「坊ちゃんの時代」が行おうとしたことに近い。「普通の人」の幅は若干広めにとられているが、その度量は割と広い。世界の中での日本の立場については理解が及んでいないかもしれないが、目の前の日常生活における出来事への対応は、割と柔軟で優しさがある。戦後の民主主義は戦前の全否定から出発し、明治以降の戦前を暗黒時代として描くことに没入したが、良きにつけ悪しきにつけ、日本の精神史は敗戦で全く断絶することなくなだらかに連続的に持続してきたのだということを、極限の時代の中の普通の暮らしと普通の気持ちを丹念に再現することで証明しようとしたのではなかったか、そのように感じられた。

NOTA (Telugu - 2018)をUSAPで。 

タイトルの意味は知っているけど、それがこの話とどう関係するのか最後まで分からなかった。テルグ・タミル・バイリンガル作品だけど、ヴィジャイDが主演なのだからとテルグ版を選んでみたのだけど、タミル人役者がわさわさ出てきて、むしろ本籍タミルなのかも。実際にタミル版の方がヒットしたというのだけど、今一つ解せない。タミル映画ならもっと暑苦しい民族主義を入れないと現実感がないのではと思ってしまう。Mudharvanから始まり、Leader、BAN、Lucifer、etc.に至る政治スリラーの定石をうまく取り込んで飽きない作りになっているが、クライマックスに親子の個人的なセンチメントを持ってきたのは余り感心できない。盛り上がりに欠けてカタルシスがない。野党代議士を演じたサンチャナ・ナタラージャンが悪くないと思った。俳優出身の政治家、CMの息子がポッと出で襲名する慣行、裏金満載のコンテナ、ホテルでの籠城、大水害など、お馴染みモチーフで埋め尽くされる。暴動を防ぐために暴れそうな奴を予備拘束するのを善として描くところには彼我の差を感じずにはいられない。

Yatra (Telugu - 2019)をUSAPで。 

昨年の総選挙がらみで無闇と作られた政治家の伝記映画のうちのひとつ。マンムーティが主演じゃなければ見てなかった。結果としては見て良かったし、勉強になった。伝記とはいっても、幼少期から死までを時系列で描くのではなく、2003年の州会議員選挙での巻き返しのためにパーダヤートラを決行するところだけに絞っているのがいい。彼の敵はTDP以上に、コングレス内の「ハイコマンド」であるというのが全編を通して語られる。この辺り、NTRが自前政党をおったてて州政権を会議派から奪取した時の状況とほぼ変わっていないのがよく分かる。マンムーティの神彩が、このプロパガンダを格調高いものにしているし、CBS、ジャガン、ソニアを画面に出さなかったのが英断だったと思う。腹心のKVPを演じるラーオ・ラメーシュも良かった。クリスチャンとしての描写は全くなかった。彼が政界入りする前は「1ルピー・ドクター」と呼ばれていたというの、メルサルの元ネタはこれだったかと思った。やむを得ないこととはいえ、エンディングロールで本物のYSRやジャガンの記録映像を入れたのは興ざめだった。

Periyar (Tamil - 2007)をErosNowで。 

3日がかりで2時間48分を何とか見た。でもウィキペディアには3時間8分と書いてあるがどうなってるのか。カルナーニディの政権下でDMKが資金を出して作られたプロパガンダ映画。教科書みたいに細かいエピソードを数珠つなぎにした構成で見通すのは辛いし、既に皆が知っているという前提で付帯説明なしに現れるシーンが多すぎる。それでも老齢に至ったペリヤールを演じるサティヤラージは鬼気迫っていて、目が離せない。メイクの技術も秀逸。勝手に幼な妻だと思い込んでいたマニヤンマーイは、実は30歳の成熟した女性で、教祖に付き従う信徒のようなものだったというのは初めて知った。彼女と共にペリヤールがダリトの家で饗応を受けるシーンは特筆もの。心には理想が掲げられていても吐き気には勝てないという身も蓋もない現実が示される。これは実際にあったことなのか。また、ごく若い時点で、おどけ者のバラモンと組んで無神論を歌と踊りで説法するシーンも気になった。ダリトに対して「都市や外国に出て身分を隠して別の仕事をせよ」とアジるシーンはナイーブ過ぎだと思ったがどうなのだろう。

もうすぐErosNowの太っ腹2カ月無料配信が終わる。 

やはりウィッシュリストは潰せてない。というか、お籠りの初期にこのサイトで、「今見たい」ではなく「今見とかないと損」という作品を固め見していたらちょっと鬱っぽくなってしまったのだった。

NETFLIX 『ラガーン』の日本語字幕について①というブログ記事。 

仰っていることはいちいちごもっともだが、後半の酷い例、これはもう翻訳者の英文和訳能力が極端に低い、そしてそれをチェックする機能が配信サイト側にないという、ただそれだけのことではないだろうか。
blog.goo.ne.jp/sakohm27/e/db3a

Kavaludaari (Kannada/2019) をUSAPで。 

非常に評判の高いスリラーとのことだったが、惜しい点が幾つかあって、必ずしもスッキリした読後感ではない。この監督らしい、沈鬱さ、クールでムーディーな音楽は相変わらず。スリラーの中に組み込まれた歴史性として、都市バンガロールの野放図な拡張、1970年代の緊急事態宣言下での多数の犯罪者の政界入りという二つが巧みに語られている。また現代の問題として、救急車をまともに走行させない公共心の欠如のような問題も。それから特有の「パワーダイアログ」とでも呼ぶべき譬え話も健在。日本の金継ぎに言及しているところでは吃驚。カーキという色の名前が元々はdirtを意味するところからの気の利いたやり取りも秀逸。問題は、現代の登場人物全てを40年前の惨劇にきれいに紐づけようとして凝り過ぎたこと。それによってループホールというかご都合主義が生じてしまった。観客は神の視点を提供されず、逆にカメラのフレームによって出来事の全体像を見せてもらえないタイプのミステリー。例のボール紙のキモいお面が、ちゃんとキモい文脈で使われていた。Triveniの入れ墨も不発。

Brochevarevarura (Telugu/2019)をUSAPで。 

ASSAが何となくベルボトムを思い起こさせるように、本作はキケンな誘拐を彷彿させる。しかしもちろんパクリではない。ハイダラーバードで新人監督が人気女優に脚本ナレーションをする。すぐ後にグントゥールまたはテナリ辺りらしい田舎の高校生活が描かれる。これがナレーションの映像化なのだと思って見ていると後半にひっくり返される。それだけでなく、この2つのパーティーがアクロバティックなツイストによってひとつとなり、くんずほぐれつの追っっかけっこになり、最後にとりあえずのハッピーエンドになる。これは見事。その辺はSwami Ra Raに似てるがもっと上手い。それから特筆すべきなのはオシャレな色彩設計。貧乏学生3人組の着る平凡なTシャツが、何故だかクールなものになってる。そして、ポスターのアートワークがその色彩設計をさらに補強している。村はずれの狂人や間抜けな犯罪者たちのキャラ立ちも十分。シュウェータ主演のA指定映画からマニ・ラトナムに至るまでの映画ネタの挿入の仕方もさり気なく独特。ハイダラーバード郊外の岩砂漠みたいな景色が強烈。

Goodachari (Telugu/2018)をUSAPで。 

スリラーとして傑作との評判。まずまず筋の通った脚本。ジャガパティ・バーブの使い方、見せ方は上手い。典型的な、劇中人物には見えてるのに、観客からはフレームアウトされて見えてないというスタイルをキープ。画面に初登場するシーンでは既に悪の本性を負ってのものとなる。そのくらい、この人はタイプキャストされていて、意外性がなさすぎるのを映像作家は理解していたことになる。内通者は一番らしくない奴というのは定石通り。後半のチェイスからの展開はスピーディーで良いけど、最終シーンの舞台が分からず気持ち悪い。本作の面白さは、定石のスパイものだけど、それがどローカルな風景の中で展開するという点だと思うのだが、チッタゴンのシーン以降それが曖昧になってしまっているから。アディヴィ・セーシュは脚本も手掛けるNRI俳優だというのを最近知って何か腑に落ちるものがあったけど、あんましカッコよくねえなというのが正直なところ。アジトへの潜入シーンなどで、へっぴり腰とまでは言わないものの、気迫が足りないように感じた。首ちょんぱコンビのラーケーシュ・ヴァレが良かった。

Agent Sai Srinivasa Athreya (Telugu/2019)をUSAPで。 

秀作との評判が高かったのをやっと観られた。字幕が早すぎて苦労したけどなるほど面白いわ。お気楽探偵が殺人事件に巻き込まれ…というのはだいたい想定内だが、その裏にある組織犯罪が、インドでしかあり得ねえというタイプの宗教が絡んだもので、しかも現実に起こっているらしいことがエンディングで臭わされ、ぐああとなる。主人公の名前がバラモンのものであるのは意味があるのか。ファティマには?彼は最後に自分のフルネームとシーヌという母からつけられたニックネームとを対比して語る。それは科学とセンチメントとの対立であるようだ。途中でカンナダ人の似たような探偵が出てくるが、彼がちょこっと喋るカンナダ語に字幕がついていないのが不満。ここはリシャブに出てきてほしかった。プロットも年代設定も全然違うけど、全体の雰囲気にやはり『ベルボトム』味がある。無理があるのは、周りの人物が簡単に殺されるのに、主人公だけは泳がされて直接手を下されず、回りくどい方法で貶められようとするところか。これは間違いなく続編ができると思う、期待したい。

Rangasthalam (Telugu/2018)をUSAPで。 

179分はいかにも長いが、テルグの衆には堪らないものがあったというのはよく分かる。商業映画にありがちな緑の田園地帯に建つキラッキラの大豪邸で賑やかな結婚式というようなテレビ・コマーシャル的なのじゃない真正の田舎の景色があるし、そこで生粋のゴーダーヴァリ弁が喋られて、御曹司ラームチャランがむさ苦しい田舎男を好演してるのだから。何時間でも観てられるんだろう。やはりテルグの映画人は(ある程度まで観客も)、ルーツとなるアーンドラ地方農村社会に特別な感情を持っているのだと分かる。特にゴーダーヴァリ沿岸のパピコンダルを舞台にしたというのが非常にキャラ立ち度が高い。単純と言えば単純なストーリーラインは、赤旗映画のそれ。そしてダリトvs婆羅門という割とスッパリしたカースト対立というのもある。中間カーストを入れると色々問題が起きるのだろうか。時代設定を1980年代としたのも、現代に繋がりながらもレトロであるという綱引きの結果か。ジャガパティの演じるバラモンの金貸しが、極端に暴力的でしかも動物供犠まで行っているというのはリアリティあるのか?

Rangoon (Hindi/2017)をNTFLXで。 

邦題は『ラングーン』。フィアレス・ナディヤがモデルの作品と聞き、芸道ものかと期待したけど全然違ってた。ボリウッダイズされた『遠すぎた橋』とでもいうか。例によって導入部での背景を述べるテキスト部の翻訳がひどい。どうしてなんだ。あとMariyama Ramannaもちょっと入ってないか。日本人役がまともでちょっとホッとした。ルストムはグジャラート人という設定だったがパールシーなんだよね。そこもモデルがいる話なのか。時代がかった派手なソング(戦地慰問シーンでのものはとてもそうとは思えない大掛かりさだったが)はどれも良かった。戦争ものとしての緊迫感はそれほどないけどそれなりに積み重ねたプロットを一気にひっくり返すクライマックスの列車救出シーンは、多分現地のインテリ観客からは総スカンだったと思うけど、そうこなくっちゃという感じ。それから歌でもって名乗りを上げるシーンがインドらしくてよかった。日本兵は「菜の花畑に入り日薄れ」を歌ってた。しかし宝剣を持ち出すことがなぜ独立運動になるのかよく分からなかったが、要するに売って軍資金にするってことか。

Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。(続き) 

それから、マドラス・カフェ(シンガポールやロンドンにあるという設定)に蠢く人々が結局誰だったのかがハッキリしないところ。観客は思わせぶりにその連中を何度か見せられているので、おおよその察しはついている。だからヴィクラムが最後にそこを見つけて、全てを白日の下にさらしだしてくれないとカタルシスが得られない。しかしそうはならず、よく分からない神父への打ち明け話で終わってしまう。ポリティカル・スリラーに虚構が混じるのは全然かまわないのだが、コスタ・ガヴラスの『Z』みたいにスカッとしたものにしてもらえなかったかと思う。

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Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。 

邦題は『マドラス・カフェ』。これも駆け込み鑑賞。書かないと気が済まないから書くけど、日本語字幕良くない、特に暗号解読のシーン。ラージーヴ・ガーンディー暗殺を国際謀略というフィクショナルな仮説によってスリラーに仕立てるという意欲的な試みだが、その仮説に説得力があるかというと疑問。スリランカ北端の民族紛争が終結しないこと(そして武装勢力が支配を堅固にすること)が本当にインドの国力を弱め、諸外国がインド洋から東南アジアに至る覇権を伸張できることになるのか、そしてスリランカの首脳すらがそれを黙認するのかという疑問。また、そのような壮大な計画が、インドの野党党首の暗殺によって本当に可能になるのか、可能だとするなら、作中でもっと丁寧に解説してほしかった。ナラティブにもところどころ不可思議な飛躍あり。一番変なのは主人公が武装勢力の捕虜となるところ。経緯が不明。それからジャヤがヴィクラムに「デリーに来て」と言って次のカットで航空機が映るのに、その続きでヴィクラムはマドラスだかどこかにいるところ。(続く)

Aiyyaa (Hindi/2012)をNTFLXで。 

邦題は『あなたを夢みて』。配信終了間際というので駆け込みで。ヒンディー語とタミル語とが混ざり合うが、明かに日本語翻訳者は違いが分かってない。マドラーシーというのが何かも。ここのところの心臓に悪い系作品の後だからバカっぽいのがとても良かった。ストーリーは水のように薄いが、これでもかと詰め込まれたシュールでイタくてウザいプロットをポカンと見てるだけでいいので気が楽。北と南を対比させる作品にまた一つ追加。対比させながらもヒーロー、ヒロインがどちらもバラモンというのが興味深い。この辺は、マラーティーのバラモン・コメディーをそのまま持ってきた感じか。ラーニーの特徴的なキャッツアイと白皙の肌は相変わらずで、そこに熟れ熟れボディーがくっついてなんとも言えない。ヒロインが眩惑される男の体臭というのが、ラスト近くで花火用の火薬の匂いだというのが種明かしされるのだが、タミルの花火工場なんて全く良いイメージはないがいいのか。ソングシーンの中であからさまに性的な所作があってドキドキしたが、あれは大丈夫なのか。ヒンディー語作品だが実質的にはマラーティーもの。

Visaaranai (Tamil/2015)をNTFLXで。二回目。邦題は『尋問』。 

原語脚本(もちろん読めない)を台紙にしてストーリーの要点を記入しながら。日本語字幕は予想通りに酷い。けれどもドラマの力が勝って見れてしまう。そして二回目だというのに、ドキドキして息苦しくなりながら3日かけて見た。問題だったのは、各種レビューでダリトの若者に襲いかかった警察の組織的な暴力という風に評されているのに、彼らがダリトだと明示される箇所が一回目の鑑賞では見当たらなかったこと。今回はそこに最大限の注意を払って見通したのだけれど、やはり何もなかった。ネイティブに質問してみたけど、割と歯切れ悪く、カーストは第二のネイチャーで、初対面での相互の紹介で二つめか三つ目にはカーストを尋ねるのだと。伏せられていても大体カーストは分かってしまうものだと。やはりこの辺り、外国人には踏み込みにくいところではあるな。見るからに貧しい人物は分かるけれど、それがダリトなのかシュードラなのかまでは分からないし。

Psycho (Tamil - 2020)をNTFLXで。英語字幕。 

いきなりの斬首シーンから始まる金縛りの146分。見終わってから首元に毛布を巻き、夢を見ないといいがと思いながら就寝したが、目覚めると不思議なほどに晴れ晴れとした気分だった。これがredemptionというものか。漆黒の夜、障碍者、哀歌、暗い情念等々、もちろん本作でもミシュキン節が炸裂。本作の新機軸はアディティ・ラーオ・ハイダリという大輪の花をその無残絵の最中に配したことか。血糊でべたつく陰惨な地下室で、バラ色の服をまとった彼女が振り下ろされんとする刃を目にしながら薄っすらと笑うシーンだけで言葉にならない美が画面を支配する。ニティヤもまたベスト演技のひとつではないか。華やぎではアディティに譲り、男らしさを前面に出した。ドライブでのシーンは笑う。ウダヤニディは芝居ができるタマかどうか知らないが、全編グラサンで通したことによって能面のような効果が生じて悪くなかった。サイコキラー役のラージクマール・ピッチュマニは今後役者人生が開けるかどうかは分からないが、狂気とそこそこのイケメンぶりとのブレンドが良かった。画面から血の匂いが。

Sainikudu (Telugu/2006)をDVDで。 

イルファン・カーンの追悼として見た。公開当時レビューが悪く興行的にも失敗した作品。テーマは若者の政治的覚醒による世直しだが、アクション(ピーター・ヘイン担当)のいい訳としてのストーリーでしかない。世直しの矛先は、民から吸い上げるばかりの腐敗政治と力で権力を握ろうとするグーンダ政治。成績優秀な学生アジャイをMLA候補に擁立しながら、表に出てくるのはマヘーシュばかりという矛盾。お尋ね者として逃走中なのに、ひょっこりTVレポーターの前に登場するご都合主義、あり得ないほどにフレキシブルな法廷、なぜ可能なのか分からない警察署潜入など、いわゆる「混乱した脚本」。ただしアクションはくっきりとグナシェーカル印で色々凄い。前半の深山幽谷に突然現れる無駄に高所にある木造橋、それから後半クライマックスの建設中ビルのシーン。ラーナーがコーディネーターをしたというCGは暴走気味で仰け反るが、雲の中をバイクで走るソングは秀逸。テランガーナという背景、部族民&晩ジュラ・トライブのモチーフなどなどオタクにとっては養分たっぷり。ワランガル舞台の作例としても貴重。

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