Kavaludaari (Kannada/2019) をUSAPで。
非常に評判の高いスリラーとのことだったが、惜しい点が幾つかあって、必ずしもスッキリした読後感ではない。この監督らしい、沈鬱さ、クールでムーディーな音楽は相変わらず。スリラーの中に組み込まれた歴史性として、都市バンガロールの野放図な拡張、1970年代の緊急事態宣言下での多数の犯罪者の政界入りという二つが巧みに語られている。また現代の問題として、救急車をまともに走行させない公共心の欠如のような問題も。それから特有の「パワーダイアログ」とでも呼ぶべき譬え話も健在。日本の金継ぎに言及しているところでは吃驚。カーキという色の名前が元々はdirtを意味するところからの気の利いたやり取りも秀逸。問題は、現代の登場人物全てを40年前の惨劇にきれいに紐づけようとして凝り過ぎたこと。それによってループホールというかご都合主義が生じてしまった。観客は神の視点を提供されず、逆にカメラのフレームによって出来事の全体像を見せてもらえないタイプのミステリー。例のボール紙のキモいお面が、ちゃんとキモい文脈で使われていた。Triveniの入れ墨も不発。