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Mark Antony (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

何という怪作か。マッドサイエンティストが作った電話型タイムマシンが、紆余曲折の末にギャングの遺児で今は地道にメカニックをやっている男の手中に転がり込み、過去にコールして過去の人間(自分自身含む)の行動を変えさせることによって過去を変え、非業の死を遂げた母を延命させたり、意図せず自身を有力ギャングの後継者にしてしまったりする。その操作に気付いたライバルギャングの息子が自分に有利なように改変したりして、ウィキペディアの編集合戦みたいになる。これをSJSとヴィシャールという爽やかさゼロのコンビの一人二役で、こてこて80’sのビジュアル&狂騒的なテンションで151分突っ走る。バーシャ、マッドマックスFD、バーフバリ、24、Vaali、SJSの過去作などへの言及多数。一番テイストが近いのはMaanaadu。どっちがより好きかはちょっと考えてしまう。スニールは最初は無駄遣いに見えたけど、後半の御館様ぶりは良かった。リトゥ・ヴァルマのヒロインにはいいところなし、スポット登場のシルク・スミタ―(AIかと思ったけど違った)が最高だ。

Ante Sundaraniki (2022), Kushi (2023), MSMP (2023)、 

3本のニューウェーブ系映画に共通していたのは、ヒーローが優男なのと、ヒロインの妊娠が重要なモチーフになっていたこと、これは何かの符号なのか。

Sye Raa Narasimha Reddy (Telugu/2019)をオンラインで。 

ずっと気になってたのをやっと観た。メモを取りながらお勉強風に。全体としてはラクシュミー・バーイーが弱腰の兵士たちを奮い立たせるために約10年前にラーヤラシーマで起きた反乱の一部始終を物語るという入れ子構造。そしてエンドロールではRRR方式で34人もの独立闘争の志士が紹介される。チルが演じるナラシンハ・レッディは30過ぎという設定。それはともかく、戦闘シーンでのアクションのキレも申し分なく、何よりも英国支配に対する怒りの表現が素晴らしい。ヒロインは炎の女を演じたタマンナーが抜きんでていた。ナヤンターラは無垢で無邪気なところもある若妻の設定、息をのむ美しさだが、賢さと玲瓏さが上回って、ちょっと役柄と合っていなかった気がする。止むを無いことではあるが、個々のエピソードは紙芝居的。また敵役も、植民地向けのB級人材というリアリズムはありながらも貧相すぎて怒りが殺がれる面があった。主人公をナラシンハの再来としながらも、ムスリムやトライブとも連携させるというのは、多数派の無意識の傲慢の現れでもあるように思えた。

Miss. Shetty Mr. Polishetty (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

殆ど前知識なく鑑賞。テルグ人は3~4人の1パーティだけ。アヌシュカ登場で歓声。ロンドン在住NRIで成功したシェフである女性が、ただ一人の肉親で死期の近い母の望みでHYDに移る。彼女は離婚した母を知っているため結婚に憧れない。母を見送り天涯孤独になった彼女は子供が欲しくなり、人工授精を考える。たまたま見かけた新人スタンダップ・コメディアンを見て、精子ドナーとしてスカウトするという話。Vicky Donerへの返歌といえるか。しかし精子のもつ遺伝子情報を選別するグロテスクは変わらない。主導権を持つヒロインの行動を男性に置き替えたらとんでもないミソジニー物語になる。そして最後の結婚という結論はOK Darlingを思い起こさせた。若者らしい反逆性や大胆さは結婚に至るまでのプロットだけで、最後の落ち着き先は保守的。エンディングは1キロ先から見えているが、どう着陸させるのかお手並み拝見という感じ。アヌシュカはだいぶ貫禄が付いた。そしてその体形に合わせたかのようなあまり他で見ない服を着ていた。

Kushi (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

何か弱っちいポスターだし、期待せずに臨んだら瓢箪から駒。最初の「カシミールの現実」シーンではズッコケたし、オートバイでのチェイスに至るまでの展開には雑なご都合主義が満載だったけど、ヒロインが正体を現したところから俄然面白くなる。二人の間を阻むのは、インドとパキスタンの戦争や、ヒンドゥーとイスラムの対立、カーストの違いではなく、神憑りと無神論との戦いだったというの。そして前半の7割ぐらいをヒンディー/ウルドゥー語で通すという「言語的リアリティー」。現地観客から文句はなかったのか。後半に入り二人が対立する両家の親に逆らって登記所で結婚して生活を始めてからはAlai Payutheyの本歌取りになる。二人が行き違いから決裂した時に年長者の夫婦に結婚生活の模範を見るという部分もそっくり。そして前半の"Na Rojaa Nuvve"はマニ映画のタイトルを網羅したメドレーで作詞はシヴァ・ニルヴァーナ監督自身。主人公の移動には無理があるものの、カシミール、アレッピー、ハイダラーバードと景勝地を網羅。特にHYDメトロが舞台のシーンに笑った。

Lootcase (Hindi/2020)をオンラインで。 

邦題は『ルートケース』、コロナ禍でOTTリリースされたクライム・コメディー。割と評価は高いのだが、131分を見通すのは何だか骨だった。字幕は良くない。MLAが「国会議員」とか訳されていた。ソングの歌詞は全てぶっちぎり。それはそうとして、まあよくもこれだけ典型的な駒を揃えたもんだと思った。汚職政治家(「キケンな誘拐」を思い起こさせる)、抗争しあうギャング、アウトロー警官(これも上記作にあり)、カネの問題で首が回らない主人公という組み合わせ。おかしな悪人を多数登場させたうえでの棚ボタ物語の源流はおそらく「マダムと泥棒」(1955)にまで遡ると思う。結末は大体予想がついてしまう中で、途中で癖のある連中をどれだけ活躍させられるかが鍵となるタイプのクライムもの。ヴィジャイ・ラーズ演じるギャングの親分がBS放送の『ナショジオ』マニアで、何かというと譬えに出すというのは、繰り返しによるおかしみの演出だろうが、あまり成功していない。ギャングの秘密の取引の場がBook Bugsという閉店した書店だというところ、あざとくはあるが良かったところかも。

Sholay (Hindi/1975)をオンラインで。 

90年代だったかに一度見たきりだったものを再見。当時の感想は、「インド人だってやろうと思えば首尾一貫した話を作れんじゃん」という失礼なものだったのを覚えてる。多分当時、インド映画の笑えないコメディーとか、超絶のご都合主義とかとどう向き合っていいのか分からなかったのだと思う。特に主人公2人のクールな掛け合いが見事だと思ったのだ。見直してみて、アスーラーニーのコメディーなどはさすがに古色蒼然だけど、70年代のおっとりした悠揚迫らざるペース、アクションでありながらバイオレンス度を抑えた描写などが好もしく思えた。岩だらけの中にも緑が点在するウエスタン。動く乗り物(バイク、タンガ)の上でのソングシーンでのアクロバティックな振り付けはすごい。ストーリーがわかった上で見どころと言えるのは俳優の演技。考え抜かれた脚本が人物のキャラクターをくっきり浮かび上がらせる。शोलेとは直訳で「燃え殻、灰」とのことだが、なぜこれがタイトルになったのかまだよく分からない。馬、列車、馬車、バイクと前進し続ける何かと、太古からと同じ時を刻み続けようとする農村の対比。

King of Kotha (Malayalam/2023)を川口スキップシティで。 

珍しく書き足りないので追記。主人公が北インドに去った後、裏切った友人がドンとなって好き放題をおこなっているところに、満を持して主人公が帰還するくだり。ヒロインが子供たちに神様コミックを読み聞かせていて、おそらくラーマーヤナだと思うが、正義の王の帰還を告げるシーンがある。これがまた堪らなくあざとくて、マラヤーラム語映画らしくない度が最高潮だった。近年の汎インド映画の影響で神話と重ねるのがクールだと映像作家が思い込んだのか。しかし中二病的なものしか感じられなかった。

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King of Kotha (Malayalam/2023)を川口スキップシティで。 

入りはスカスカ。インド人も一握り。悪評判を聞いてたので心して臨むも、退屈。前半のサッカーシーンは必要だったか。監督はジョーシの息子、デビューではないにしても新人。KGFとPushpaにインスパイアされた、1980-90年代の架空の町を舞台にしたギャングもの。自分が歳取ったせいか、ひどく幼いお遊戯風のものに映った。ナイラの代わりにナヤンターラが、プラサンナーの代わりにファハドが、ドゥルカルの代わりに80年代マンムーティがやってたらどうだったかと思った。センティメントをくすぐったり驚きをもたらすはずの仕掛けがすべて予測可能(スーツケースの中身とか、スクーターのエンジンとか)。音楽もずっとクライマックス風にうるさくて参った。「友情と裏切り」がテーマの割には、友情を育む描写が薄かった。主人公の「マドラーシ―」の異名が生きてない。ラクナウの印象的なショットも無駄。セットは良かった。シャビール・カッララッカル(Sarpatta Parambaraiでダンシング・ローズをやってた)は手堅かった。字幕が読みやすかった。

Jaane Bhi Do Yaaro (Hindi/1983)をオンラインで。 

映画批評サイトでオールタイム・ベストテンに入っていたので。伝説のマハーバーラタ・シーンがあると聞き以前からウィッシュリストに入れてたけど忘れてた。まずNFDC製作というのに驚き。基本的にはボリウッドにありがちなロジック無視で子供っぽく、ご都合主義なドタバタが続くのだが、扱う題材はゼネコンと監督官庁の癒着・汚職と手抜き工事で、さらにマスコミと警察の腐敗も明らかになっていき、まるで社会派。最終シーンの若者の怒りの表情は、カンナダのAccidentと同じ激しさを感じる。”We shall overcome”のソングがヒンディー語で歌われ、Kalloriを思い出す。「ドラウパディーの凌辱」に「Mughal-e-Azam」がマッシュアップされるシーンは字幕が手抜きでも面白過ぎた。こういうのは今ではもうできないだろうか、いやそれは考えすぎかとも思ったけど、やはり今ではできないと言ってる記事が見つかる。ドタバタを排してリアリズムで作ったらシャープなクライムものになると思うのだが、そうするとマハーバーラタはなくなってしまう。

Adipurush (Hindi/2023)をNTFLXで。 

暑さを理由にダラダラしてる自分を罰したいような気持になったので鑑賞。3時間を2回に分けて。何と言うか、軍記ものとしてのラーマーヤナで、造形としてはアメコミやRPGの煤煙にまみれた近未来ディストピア都市の廃墟、巨大化した害獣の跋扈する世界、みたいなものになっている。屋内・野外ともにすべてがVFXアニメーションで、人間だけが実写、ただし重度なCG加工が加わることもある。バドラーチャラムの森は北米の亜寒帯みたいだ。そうしたセッティングなので、芝居としては演じ手の顔の力がものを言うことになる。リードペアは見どころなし。美男美女を並べればエピックになるというものではない。ラーヴァナ、ハヌマーン、ウィビーシャナ役の俳優は良かった。プラバースの代わりにNTRだったらどうだったか、ジェヤム・ラヴィだったらどうだったかと思わないでもない。3時間もあるのにいわゆるソングは1曲、チンタラしたラブソングだけでダンスはなし。そのラブソングのシーンですら、空気は影をはらんでいて、ひたすら重い。ラーマーヤナ物語を演劇というルーツから切り離そうとする試みか。

Jailer (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

初回ではないにも拘わらずインド人の熱気で凄いことに。ネルサンはDoctor、Beastと見て、お気に入りとはいいがたい監督だったが、本作はキャリアのトップであるのは間違いない。英語題名や物理法則無視のガンアクション、多言語の混在などはこの人の癖なのだと分かった。特に多言語は本作で爆発していて、マラヤーラム、カンナダ、テルグ、ヒンディー、英語が乱れ飛ぶ。これが本当のマルチリンガルと言わんばかり。バイオレンス度はこれまでになく高い。Kaalaに続き孫がいる設定のラジニのメイク(回想の壮年時代の分も含め)が素晴らしい。爺さんだがアクい、現役の仕置き人という設定はすげえ、年齢を無視したヒーロー仕草、あるいは年齢に合わせたストーリーの翻案というより、アクションヒーローの概念の書き換えだ。前日見たチルのBSと比べてしまう。アニルドの音楽は使いまわし感あり、途中Masterを見てるのかと思った。カンナダ、マラヤーラムからスーパースターを迎えたのにテルグからはスニールというのは何か訳があったのか気になる。バーラティの詩の引用元を調べること。

Bholaa Shankar (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

昨日本国で封切られて酷評だったのもあり、インド人は少なめ。アジットクマールの2010年代トップの名作Vedhalamのリメイクなので、期待値は低めに設定したが、オリジナルを多分見てないだろう現地人の「これじゃない!」感は薄っすら分かった。ストーリーは結末を除きほぼ忠実になぞっているけど、仏作って魂入れずだった。主人公の変容を、オリジナルでは妖魔としたが、リメイクではシヴァ神に変えた。したがって前半で一番の見せ場であるランニングいっちょの主人公のあぶねえニタニタ笑いは、フッというクールな微笑みに変わった。クライマックスで妹に暴力的性向を見せまいとする努力はなくなり、妹が加勢した。妹の実の両親が死ぬ場面もあっさりしたものになった。突然女神のご加護が降ってくるシーンも、ごく僅かな演出の差によって感動が減じた。一番の差はアニルドのアゲアゲ・ソングと本作の凡庸なビートとの対比からか。それから気になったのは、お疲れタマンナーの台詞の吹き替えが明らかにヒロイン系の甲高い声じゃなくなったこと。これは何か深い意味があるのか。

Baby (Telugu - 2023)を川口スキップシティで。 

スカスカでテルグ人は2人だけ。リクエストしてきたテルグ人が配信が始まったとかで日和ってキャンセルしたと。全くノーマークだったけど結構なヒットで、Arjun Reddyの興収超え。175分もあった。アーナンドDは貧者のヴィジャイDといった趣き。主演ペアはハイダラーバードに住むダリト。パステルブルーの壁の家に住み、街頭にはイライヤラージャーのペイントが施されている。居住区は台詞中でバスティと表現される。ヒロインの友人の名字はChapalaとなっていた。リアリスティックな語りと評価された本作だが、ヴァイシュナヴィが演じるヒロインはあまりにも簡単に他人(男も女も)から物をもらえ過ぎ。タダより高いものはないという教訓のためだけに3時間は要らんと思うが。なぜだかトリヴィクラムへの言及があり、オートの背面に書かれた詩のようなものもたぶんトリヴィクラムの名セリフなのだと思う。Color Photoでデビューした監督はテルグのダリト映画の旗手となっていくのだろうか。薄っすらとデーヴダースの影がある。三角関係の3人が鉢合わせするシーンは見事。

Writing With Fire (Hindi/2021)を試写で。 

邦題は『燃えあがる女性記者たち』。以前は「女性」がついていなかったが。約2億人というインド最大の人口を擁するUP州は、ひとたび州議会選挙になればその勝者が国政の与党にもなると言われている。またマイノリティーへの暴力事件がしばしば起こる場所でもあるとテロップが言う。違法な砕石の操業場から政治家の会見場まで、男ばかりの場所にスマホだけを手に果敢に乗り込む女性記者たち。殺された女性の家では遺体の傷まで確かめる。彼女らが赴く田舎の未舗装大通りなど、まさにザ・北インドの荒漠たる田舎。トイレ敷設や道路舗装の遅れを指摘すると、時にそれがウルトラ・ハードモードのソーシャル・ワーク的に機能して事業が進展することも。Avakay Biryaniを思い出したり。気になったのは彼女たちの取材がほぼ成功していること。これは彼女たちを追う第二のカメラがあったせいなのか。そして彼女たちが現在ここに来るまでに辿った道のりがどんなものだったかがむしろ知りたい。またサティヤムという名の純粋と偏執が入り混じったBJP支持者の青年のその後が大変気になった。

先日昔からの印映趣味の友と話したこと。 

R3は好きな作品だが、スクリーンの外側で起きたことのインパクトが大きすぎて、作品への想いに影を落とすようになってしまった。輸入DVDで見ていたならば、思い出すたびに幸福に満たされる作品になっていただろうが、グッズへの狂奔、頓珍漢な考察、汚いだけのファンアート、むき出しの商魂などまでが一緒に思い出されるトラウマ的お気に入りになってしまった。たぶんオタク的行動様式に染まった人には上記の状況はジャンルの勝利の証で、トラウマになるのは理解できないだろうが。

BRO (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

客入りは40%程度か。先日見て最低だと思ったVinodhaya Sithamのテルグ・リメイク。予想通りソング・ダンスとパワンあげ、アクションを加えてきた。パワンの役柄は神秘的な全能者でブレは全くない。まあ、ミニマムな演技の中にどれだけ神性を表現できるかという見どころはあるものの、主役としての起伏はない。サーイ・ダラムの方は好演だけど、童顔の下の鍛え上げた体のパツパツが役に合ってない。それから亡父が下りてくるシーンも仮装っぽくて笑えない。ただ、オリジナルが余りに退屈過ぎたので、多少フリルを付けたこのリメイクの方が印象はいい。神話のイメージとの重ね合わせは予想通り誰でも分かるベタベタにして来た。ギーターからの引用多数。字幕が早すぎて追いつけない箇所も多かったが、トリヴィクラムが担当した脚本にはグッとくる台詞が幾つもあった。台詞だけもう一度味わいたい。注目のプリヤ・プラカーシュはどうってことない役回り。テルグのメジャー映画に出られただけでもマシか。このレベルの脇役の道を歩むか。主人公の子供時代の苦難のセンチメントはうまく結びつかず。

777 Charlie (Kannada/2022)は、 

監督自身が日本で上映すると積極的にSNSで発信し、別方面からも字幕翻訳中という話が漏れてきていたのだけど、結局日の目を見ていない。風の噂では、クライマックスのソングが、日本の某有名アニメ制作会社の有名作のものとまるっきり同じだったから詰んだということらしい。どのソングが問題なのか、自分で聞いても分からないだろうけど。

Nanpakal Nerathu Mayakkam (Malayalam/2023)をNTFLXで。 

リジョーとマンムーティの新作がこんなに苦労せずに見られていいのかという倒錯した感情。ヴェーランガンニ聖堂へのお参りバスツアーのケーララ人グループ。エラナクラムへ戻る途中、おそらくディンディガル~テーニあたり(実際のロケ地はパラニ)の畑で用を足そうとバスを止めたジェームスはそのまますたすた歩いて畑の奥にある村に入り、スンダラムというタミル人として振る舞う。スンダラムはかなり前に雲隠れした男だった、という話。ジェームズやその同行者に見られる微かなタミル人への侮蔑が示される冒頭が上手い。言語的にはタミルが川上なのに、民度で上手に立つケーララの図式。何よりも心打たれるのは、旅行中の車窓に現れては一瞬で過ぎていく「縁のない土地」に降り立ち身を置くことの不思議さ。そこにも多数の人生があることは頭では分かっても全く実感のない「他人の故郷」が突如現実となる身震いする感覚。そして魔術的な午睡から醒める瞬間のあの眩しい永遠の現在時。これを印映で味わったのはインドラガンティのGrahanam以来かもしれない。

Vinodhaya Sitham (Tamil/2021) をオンラインで。 

聞いたことないタイトルだと思ってたらZee5オリジナルだった。かつての名監督であるサムドラカニがRRRの脇役としてのみ注目を浴びていることに微妙な気持ちを持っていたのだけど、これはまたどうしたらいいのかという出来。モーレツ社員(死語)みたいなおっさんが交通事故で死んで死神としての「時」の迎えを受けるが、さんざんゴネて90日間の執行猶予を得て人生の総決算をして、最終的に成仏するまでを描く。もう導入部を見ただけでゴールまでの一本道が見渡せるタイプのファンタジー。死神にはヒンドゥー教の神懸かったところはなく、ただ「時」とだけ名乗るのだが、しばしば御者クリシュナのポジションにはなる。また別の時にはヴィクラマーディティヤ王の背中に乗るべーターラにも。ソング・ダンスは一切なし。ランタイムは99分だが、見通すには忍耐が要った。家族内のゴタゴタは、大体予測の範囲内だし、プロットとしてはどれも薄っぺらかった。面白かったのは最後の方に出てきたマダン・ゴーパールとサティヤのエピソード。これらこそが綺麗にまとめきれない人生そのもの。

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