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Srinatha Kavi Sarvabhowmudu (Telugu - 1993)をDVDで。 

もうNTRの字幕付きDVDは見尽くしたような気になってたけど、ディスクに放り込んだら英字幕が出た。ちゃんと実見して確かめないと。1996年に没したNTRがその3年前に出た最後の作品。ヴィジャヤナガラ朝の伝説的な歌聖を演じるNTRは妖気に満ち満ちていてとても初心者にはお勧めできない感じ。それでも80歳の歌舞伎女形の人間国宝の芸を見るような楽しみはあるのだ。息子たちにはどうあがいても真似のできないある種のエレガンスはあちこちに顔をのぞかせる。本作はNTR主演作としてだけでなくバープ監督としての見どころもある。女好き、といっても美女を目に留める度に一句捻る、という無害な好色爺という性格の前に次々と現れる美女たちの演出。まさに絵師としてのバープの美学がスクリーン上に繰り広げられる絵巻。芸道ものでもあり、バクティものでもある終盤の展開は、よくあるパターンと分かっていてももらい泣きする。テナリラーマもそうだったが、カンナダ語とテルグ語が共存するヴィジャヤナガラ宮廷と言うのは、独特の言語世界観は独特。

Sudani from Nigeria (Malayalam―2018)をDVDで。 二回目。 

一回目に見た時と感想は大きく変わらない。やはり主人公の両親と隣家のおばさんの良い人っぷりが刺さった。冷静に考えると、婚期を逸しかけているとはいえ、30代末ぐらいにみえる主人公の親としては二人は老けすぎてるようにも思えるのだが。これがマラップラムを舞台にしたこと、ムスリム家庭としたことの必然性を考えた。たとえば舞台をパラあたりにして、クリスチャンのコミュニティーを描き、ナイジェリア人青年をムスリムにするというやりかたもあったかと思う。ただやっぱり、「貧しくても眼がキラキラ」感を出すにはマラバールだったかなとも。最後の方に発されるAs-salāmu ʿalaykumとwa ʿalaykumu s-salāmの対の台詞、これは字幕翻訳者泣かせだが、非常にシンプルで強力な殺し文句になっていたと思う。そうなるとやはりムスリム・ソーシャルでしか表現できないものだったかもしれない。

Gully Boy (Hindi - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。 

ベルリン映画祭に出品しただけあって英語字幕の質がいい。やればできんじゃん。テーマはスラムのムスリム青年の成人物語で、それを芸道ものフォーマットに当てはめた、割とマイルドな仕上がり。Kaalaにあったヒリヒリするリベレーションのメッセージは驚くほどない。スラム暮らしの鬱屈の描写はアクセント程度。ラップで面白かったのは、先輩ラッパーとの最初の出会いから、コンテストに至るまでの全ての音楽シーンで、ムシャーイラーっぽい演出がされていたこと。演出というより実際がそうなのだろうか。コンテスト部分では即興が勝っていたが、ラッパー・デビューのシーンでは、自由詩として書き溜めていたものを吐き出す様子が描かれ、また周囲とのインタラクティブなパフォーマンスもムシャーイラーそのものといった感じだった。やはりバトルは芸道ものの華だが、クライマックスでは独演会状態で悪役に相当する相手が出てこなかったのがやや不満。楽曲ではApna Time Aayegaが一番良かった。シェール役でデビューのシッダント・チャトゥルヴェーディは覚えておこう。

Peranbu (Tamil - 2019)をスキップシティで。 

久々のマンムーティが嬉しかった。映画祭アイテムだけあって英語字幕もよくできてた。しかし全体的な印象はイマイチ。芸術映画にありがちな、様式美にそって作られたもので、漲って来るものがない。ラーム監督のデビュー作は全然こんな感じじゃない情念の世界だったのだが。クライマックスは浜辺ではなくその前の性風俗産業の事務所(?)でのやり取りだと思う。しかしいくら障碍のある娘が春に目覚めつつあるからといって、男の娼夫をあてがおうとする父親がいるか、14歳の娘にだ。しかしマンムーティーの存在感と芝居力が無理やりにそれをクライマックスにした。12回も出てくる「自然とは〇〇なり」という警句も、分かったような分からないような。このあたりにB級芸術映画臭が漂う。障碍者の娘の世話を独りでしようとする中年男の極限の疲労と絶望があまり実感できないまま、あのラストシーンなので、完全に納得して劇場を後にすることはできなかった。同じ様式美でも、これはニューウェーブの定式で(センチメントを盛り上げ、フルコーラスのソングなども入れつつ)描くべきものだったと思う。

Happy Wedding (Malayalam - 2016)をDVDで。 

先日のChunkzz (Malayalam - 2017)に続いてオマル・ルル監督の作品。これはデビュー作で100日越えのヒットになったらしい。第二作のChunkzzがあまり言えばあまりな出来だったので期待値を抑えに抑えて。そしたら案外面白かった。ソングは結構いい感じだし、過去の名作映画の引用が所々面白い。ただ、見終わって胸に迫るものは無い。テンプレ風エピソードを喋くりで繋げただけ。この監督は学園ものが本当に好きだと見える。出演者は全員そこらにいそうなリアリティーのある若者で、つまりインパクトが足りない。主演のシジュ・ウィルソンにしてからが、「もうちょっとでニヴィン・ポーリになれなかった男」感100%。と思ったらメインキャストはほとんどPremamに脇役出演してたらしい。そう知ったらこのストーリー自体がPremamのパロディにも思えてきた。サウビン・シャーヒルはいつもながらの練れた感じ、相棒役のシャイフッディーンが非常に良かった。最後の二重のどんでん返しの一つ目では唖然とした。次のひっくり返しは不要だったかも。

Gully Boy(Hindi - 2019)の予習として全曲ジュークボックスを聞いてみた。 

実在のスラムのラッパーの伝記的映画で、音楽は当然ながらモデルになった当人が担当してるのだが、どうも響くものがないのはどうしてか。歌詞の意味が分からないで文句言うのは筋違いかもしれないけど。来週末に映像と一緒に見れば印象は覆るかもしれないけど。だってサントーシュ・ナーラーヤン+パ・ランジットのラップは全然歌詞の意味が分からなくともブッ飛ばされる感じがあったんだけど。相性の問題か。
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Chunkzz (Malayalam - 2017)をDVDで。 

Oru Adaar Loveの公開が俄かに現実味を帯びたので、改めて調べたところ、監督には2本の前作があり、しかもどちらもDVDを架蔵していることが分かったのでウキウキ鑑賞。そして見終わってかなりドンヨリ。じつはこれ、2017年の作品中ではかなりのヒットだったようなのだ。ただし批評家筋からは酷評の嵐。学園ロマンスと見せかけて後半はアダルトコメディー。それは良いが、性的マイノリティーへの差別やミソジニー、肌の色差別などを笑いの燃料に活用していて終わってる。しかもトリックを仕掛け最後に種明かしするという構成を取りながら、そのトリックに全くロジックがなく、種明かしの快感すらないのだ。男子学生たちは結構リアル。そこにクイーンとして現れるハニー・ローズ姐さんは、2歳年上という設定にしてみたって無理がありすぎる。しかし後半のアダルト展開をやってくれるのはハニー姐さんぐらいしかいなかったのだと思う。一番ショッキングなのは、この作品がU指定で、善男善女や男女学生さんたちが大挙して劇場に押し掛けて無邪気に楽しんだってところかもしれない。

Adventures of Omanakkuttan (Malayalam - 2017) をDVDで。 

何かで良作と目にしたので「時間ができたら見るリスト」に入れてあったのだけど、見た後にレビューを漁ったら酷評の嵐だった。コミュ障気味の冴えない若者の現実逃避ファンタジーと犯罪が絡まり合ったブラックコメディー。元ネタは『ウォルター・ミティの秘密の生活』という短編小説で、アメリカでは3回も映画化されているという。各種の批判はまあ分かるけど、あえて良かった点を挙げると、1.マイソールと言う絶妙な設定、2.アーシフ・アリの演技者としての成熟、3.バーヴァナのキャラクターの魅力、というあたり。鬘にまつわるギャグは大笑いではないがニヤリとさせるものがあった。やはり一番好もしかったのはバーヴァナかな。派手好き、利己的で騒々しく、脱法気味の謀略も厭わないアグレッシブな女性なのに、憎めない魅力を持っている。彼女がセルフダビングでカンナダ語を話してるだけでも何か大変なものを見せてもらったような気になる。最終局面で罰を受けるのだが、その罰も決定的な打撃にはなっておらず、改悛などしないだろうと思えるのがいい。

K.G.F: Chapter 1 (Kannada - 2018)を川口スキップシティで。 

スキップシティ325席の8割以上が埋まっていた印象。カンナダ人の熱気も凄かったけど、40-50人の日本人観客も空前。プレビューのために鬼のように現地レビュー読んだし、前作Ugrammの経験から、この監督は人相の悪いのをズラリと並べるのが好きなだけなので、誰が誰だか分からなくともOKと踏んで、適当に流し見。それで問題はなかった。予想通りの汚泥と硝煙の美学。基本的にむっつりで通すだけのヤシュは、逆に演技力と風格が求められるものだったと思う。ストーリーはあってないようなもの。ボンベイの地獄からバンガロールの地獄、そしてコラールの血みどろ絵へと移ろいゆく悪夢の連鎖。ただなあ、Ugrammにあった疾走する感じ、あのソングシーンの高揚感というのが足りなかったなあ。それからクライマックスのPatala Bhairaviもどきが、いかにも唐突な感じでちょっと興ざめ。金属の世界に生温かい土俗信仰風なものが混じって喰い合わせが悪い。あと、後編が来年公開予定と知ってびっくり。もっとサクサクやってくれないと後編公開時に忘

F2 Fun & Frustration (Telugu - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。 

いわゆるサンクラーンティの季節もの商品として作られたコメディー作品。本命視されていたVVRとNTRとがどちらもコケた(あるいはヒットにならなかった)ので、繰り上げ当選的にブロックバスターになった。喋くりの笑いに乗れない(字幕を読むのをほぼ放棄していた)のは承知の上だったけど、それを割り引いてもどうも白けた。縁起もの映画にポリコレ的観点からのケチをつけてもしょうがないが、やはり伝統的な家族観が透けて見えるものだった。ナーサルのおっさんの説教「男の生活には職場や、友達付き合い、家庭生活etc.の多面性があるが、女にとっては夫が全てなのだ」とか、はああ?導入シーンでタマンナーはヤリ手の銀行ウーマンと紹介されてたやないけと虚しい突っ込み。おふざけの中で唯一笑ったのは、メヘリーンが学園祭リハで超絶芸を披露するところで、ムーンウォークの次はヴィーナーステップ!とやりかけて、ワルンが「それだけは駄目~」と止めるくだりぐらいか。仮に字幕付きのメディアになったとしても、笑いはほぼ理解できないだろう。完敗。

Mahakavi Kalidasu (Telugu - 1960)をDVDで。字幕なし。 

Kaviratna Kalidasa (Kannada - 1983)を以前字幕付きで見ていたので、だいたいの筋は追えた。粗野な羊飼いが色々あって文人王の娘婿になるが、無知文盲だと分かった妻に愛想をつかされる。女神に祈ったところ詩の才能を授けられたのは良かったが、それまでの記憶をすべて失い単身旅に出る。この女神からの恩寵のシーンが最大のクライマックスなのだが、それ以降の公判はややダレる。他国の宮廷で大詩人として持て囃される夫を追って身分を隠した妻がやってきて、なんとか復縁しようとするのだが、記憶を失った夫は取り合いもしない。一方宮廷の踊り子は詩人に秋波を投げかけ…と三角関係メロドラマをひとしきり展開したのちに再び女神の恩寵で記憶を取り戻し、大団円。女神から詩作の才能を授かるところまでは口承伝統にもあるようなのだが、後半部はどうも文学としては辿れないもののようだ。おそらくは大衆演劇起源。このやや退屈な後半が伝えるメッセージとは何なのか。夫を馬鹿にすると罰が当たるという婦道訓的なものなのかどうなのか。

Njan Prakashan (Malayalam- 2018) を川口スキップシティで。 

プレビューを書いていたのでもう筋はだいたい読めてたし、そうじゃなくてもサティヤン・アンティッカードならこう来るだろうというのは予測できた。利己的で甘えた若者がイニシエーションを経て社会の中での立ち位置を自覚して大人になる、というストーリーの一番の問題は、インド映画の場合「利己的」の度が過ぎて、壊れた奴にしか見えず(しかし現地観客の多くは、こんな奴いるいる!と言って平気なのだ)、全く感情移入できないという点。その壊れっぷりを散々見せられた後で、最後の改心に納得して、カタルシスを感じられるかは本当に分からないのだ。だからこそ、多くのインド映画では悪人は悪人のまま惨たらしく殺されるのかなどとも思ったり。しかし、クライマックスは本当に凡庸な、5マイル先から見えているようなものであるにも関わらず、やっぱりほだされるのだ、これはもうファハドの芝居力に感服するしかない。あんなプロットで納得しちまう自分が癪に障るのだが仕方ない、ファハドと芸達者脇役たちの底力ってやつなのだと思う。あと、リアリティあるベンガル人も。

Agathiyar (Tamil - 1972)をDVDで。 

ジャケ写があまりにもっさりし過ぎていて、長いこと放置していた一作。アガスティヤ仙というのは実際に短矩の中肉男という伝承であるらしく、作中何度か、お前のような小男がとか言われていた。主演はカルナーティック歌手のシールカリ・ゴーヴィンダラージャンで、当然ながら歌はセルフダビングのはず。フィルモグラフィーを眺めてみると全くの素人でもないらしく出演作が10本あった。実写と書割が共存する屋外シーンの撮影にクラクラ。キャストもあまり知った顔がおらず、全体的にB級&ヘタウマ感が横溢。タミルのバクティものによくあるように、切れ切れの説話が数珠つなぎに13も。全体に神話というより素朴な説話風で、テルグ・バクティのあのインテンシブな陶酔とは程遠いのだが、タミル人の自意識をクッキリと浮かび上がらせる描写が知的好奇心を掻き立てる。多くのサウス産神話・バクティ映画でないことにされる、ヒンドゥー教の北インド起源という事実が、ここでは真正面から取り上げられており、そのうえでご当地の神話・伝承をインド的なスケールの中で取り上げるというユニークさ。面白かった。

Petta (Tamil - 2019)を川口スキップシティで。 

タミル・ニューウェーブの旗手であるカールティク・スッバラージが、伝統回帰的な「スタイル」重視のラジニ映画を撮ったというので現地で話題になった一作。ストーリーを煎じ詰めてみれば、結局『バーシャ!』のバリエーションなんだわな。ヒル・ステーションの半寄宿学校の舎監としてやって来た謎の中年男が、不良学生たちの心を掴んで正道に導くという話と、ラクナウを舞台にした銃撃アクションを無理に繋げた感じ。後者はどうしたって「Gangs of Wasseypur」を思わせるし、意図的にモチーフを取り入れていることはよく分かる。期待のナワーズッディーン・シッディーキーはもちろんいいのだが、マドゥライの男にはちょっと見えない。北インドに行ってヒンドゥトゥヴァ政党をおっぱじめた理由は何か。ラジニ以外の美味しいところはやっぱVJSが攫った感がある。通常のアクションもので2/3ぐらいのところで殺されるラスボスの間抜けな息子のポジションながら、2/3で死なないし、ツイストが二回もある。シムランとのデートの場面で昨年泊ったコダイカナルのホテルが出てきて吃驚。

Vinaya Vidheya Rama (Telugu - 2019) を川口スキップシティで。 

酷評以外の嵐だったが、開けてみればボーヤパティ節絶好調で全然文句ない。テルグならではのポトラックもここに極まれり。盛大に繰り出される大殺戮は正月らしい大盤振る舞いのめでたさだし、相変わらずの家具店・アパレル店の広告みたいな現実感ゼロのスイートホーム描写もお約束。テルグ映画が無邪気に持つ偏見も。しとやかさを至上価値とする女性観、ビハールを舞台にすればどんな無法地帯でも描いていいと思ってる中華思想、イージーにムスリムの宗教慣行をアクションに取り込む唯我独尊などなど。偏見で一番印象的だったのが、屈服させた相手にバングルをさせて「女の腐った奴」として屈辱を味あわせるシーン。また同じく足鈴輪を着けて踊らせるという辱めは、男性舞踊家及び芸能人全般への蔑視が前提。チャランはボディビル、踊り、殺陣、いずれにも精進のあとが見られる。けれど、優しい女顔で殺気を出そうとしているのには相変わらず痛ましいものを感じる。ヴィヴェーク・オベロイとプラシャーントは哀愁漂い、シナリオが用意した以外の感情をもって見てしまう。

NTR Kathanayakudu (Telugu - 2019) をイオンシネマ市川妙典で。 

会場の埋まり具合は8割程度だったか。全観客の少なくとも3割は日本人。こんなマニアックな映画にこれだけ日本人ファンが訪れるのもラーナー効果。二部作の前半なのでまだ評価はしにくいが、ずっしり腹に溜まる感がすごい。当たり前だが公式伝記映画なので、生臭かったりちょっと滑稽だったりする部分は綺麗にロンダリングされてる。初クリシュナ役での周囲の反応とか、ANRとのライバル関係、あと災害復興慈善活動中のよろめき事件とか。映画界のあれこれはもちろんのこと、戒厳令下のマドラスの様子とか、謎のグルとか、知らないことが多かった。主演作を自ら監督するシーンでは、キンキラの神様装束のままでアクション!とか言っちゃうのが凄かった。ああいうのは助監督にやらせるんだと思ってたから。ただ綺麗にまとまった本作に対して、後編は大波乱なしでは済まされない内容。綺麗な本作で関係者(特にCBN)を篭絡してから、スキャンダラスな後半をどさくさで封切っちまうのではないか、実は後半は1時間しかないのじゃないかとか、妄想が膨らんで止まらない。

Viswasam (Tamil - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。初の2019年映画鑑賞。 

季節の縁起物としてのファミリー・エンターテイナー。アジットがのっしのっしと歩いて、ドーティーをたくし上げ、髭をひねるのをただ見惚れていればいいのだが、そこにナヤンが加わってアジットに上から目線で命令したりするのだから堪らない。訳あって使用人として妻の邸宅に出入りし、マダムとか言っちゃう恥辱プレイがいい。「妻は命じ、夫は従う、それが摂理だ」みたいなことを言うところで観客(95%タミル人)はバカ受け。ダンス、格闘、若干の教訓、センチメント、目新しいものは何もないのだが、アジットとナヤンがやれば2時間半の見ものになる。テーニの村祭りダンスシーン、アイヤナール(?)に御柱を立てる神事が面白かった。絵にかいたようなタミルの田舎の極彩色の祝祭の絵柄(ただしざらついた埃は丁寧に消去されている)の中で、ルンギダンスなんぼのもんじゃい、本場もん見せたるわいおらおらのドーティーまくりダンスが、ステップ的には素朴なものながらキュートで良かった。ただ自分にはVedhalamで見せた狂気が少しでもいいから欲しかった。

Pariyerum Perumal (Tamil - 2018)をオンラインで。 

ダリト・リベレーションの注目すべき一作。リアリズムに基づいた激烈なカースト間コンフリクト(ウルトラ暴力を含む)と、青色を多用した夢幻的で象徴的なシーンが混じりあい、くぎ付けにされる。パ・ランジットがKaalaでやろうとした仰ぎ見るダリト像の確立とは別のベクトル。ダリト差別以外にも、異性装者差別などもむくつけに描かれる。平凡な石工のおっさんが、密かに行われる名誉殺人の請負人であるとか、地方都市の生々しい描写が凄い。主演のカディールは眼力強い系のイケメンだが、娯楽映画ヒーローのような完璧人格ではなく、クオータでカレッジに入りながら今一つ勉強に打ち込めない(というか勉強の何たるかが分かっていない)若者としてまず提示され、そこから手酷いイニシエーションを経て立ち上がる者として描かれる。このヒリヒリとした感覚と比べると、やはり『世界はリズムで満ちている』は甘すぎるという思いを新たにした。カラガッタムを職業的に踊る男性とか、主人公の名前の由来であるHorse riding godなど、もっと知りたくなる部分も多かった。

96 (Tamil - 2018)をオンラインで。 

やっぱり年間ベストは大晦日の最後の瞬間まで決めるべきじゃないと確信した。VJSの童貞コメディみたいな寸評をちらりと耳にしていたけど全然違った。絶対に結ばれることがないことが分かっている恋人たちが、間近に迫った別れの時を前に対峙するという王道の悲恋もの。VJSがアクションやコメディなしの恋愛ものをやるとは。トリシャーは沈痛なストーリーラインが本当に合う。メトロ、高架道路、空港といった都市特有の地物が夜に帯びるしみじみとした寂寥感。街を行きかう、一切の干渉をしないない無関心な人々。『慕情』『ディーヴァ』『Anand』等々の過去作品のそぞろ歩きシーンの数々が脳裏をよぎる。あれこれ漁ったレビューの中で、たったひとつだけ「見合い婚を称揚する相も変らぬ保守性」みたいな評言を目にしたが、それはちょっと違う。多分この評者は二人が結ばれないフラストレーションを思わずこう表現したのだと思う。冷静に考えればこのカップルは30代の半ばで、まだ老成には程遠いはずなのだが、そこには諦念や甘酸っぱい追憶があり、それでも幾つかの瞬間に堰を切って溢れようとするものがある

Seethakaathi (Tamil - 2018)を川口スキップシティで。 

デビュー作NKPK(2012)でブッ飛ばされたダラニーダラン監督の6年のブランクの後の一作。正直なところ、NKPKには及ばなかった。しかしまあ、意表を突く展開の凄さ。トレーラーを見て想像していたものを卓袱台返ししてくれた。一言で言えば映画界へのサタイアなのだけど、それを演劇界の老優にやらせた。サタイアなのだからリアリティーがなくとも文句言っちゃいけないのだろうけど、本当にタミルの衆は、演技力というものを崇めてカットアウトまで立てちゃうものなのか。やはり俳優へのカルトな崇拝を生むのは演技力よりも身体性ではないだろうか。それが一番引っかかった点。それから作中でまるで稀少な宝石のように扱われていた演技力というものの実態。それから終盤の尻すぼみ感。転げまわって笑った後にジーンときたNKPKに比べると弱い。しかしもちろん高く評価すべき面もある。すっかり大物になったVJSのおんぶに抱っこを避けた意地。そして相変わらずの言葉遊びとかそういったものに頼らずに生成する抱腹絶倒の笑い。VJS以外はほぼ無名の俳優たちを使って見事。

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