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Ala Vaikunthapurramuloo (Telugu/2020)を特別試写で。二回目。を 

二回目だというのに疲れのせいできちんと字幕が追えなかった。トリヴィクラムという映像作家は、「もの考える人」として別格のステイタスを確立しつつあるようだけど、賢げな台詞を書いて散りばめるのと、メッセージを中心にして緊密に物語を組み立てるのとは別物だ。No is Noとか、流行りの政治的に正しい言葉を主人公に言わせながら、別のシーンではヒロインの太腿から目を離せない(見ないでといわれても止められない)主人公をお茶目に描いたりして、要するに気を緩めるとつい地がでてしまうというやつなのだ。流行りの社会派意識をトッピングしてみても、考え方の根幹が旧態依然としているから、ちぐはぐになってしまうんだと思う。そのあたり、2000年代後半のニューウェーブの波に洗われたタミル語映画と随分違うところだと思う。大家族礼賛、消費社会礼賛、性別による分業全肯定という豪農の価値観はそう簡単には変わらないということか。

Sarileru Neekevvaru (Telugu/2020)を特別試写で。二回目。 

初見の時よりも本作の構造がハッキリ見えてきた。やはりこれはユーモア映画なのだ。賑やかでクドいコメディーは考えてみればF2のそれと同じだし。やはり、ファクショニストを悪役として登場させるのにも関わらず、その闘争の過程で主人公が一切人殺しをしないというのが空前のプロット。これはもう革命的と言っていいレベル。これを国境警護の軍人の任務と絡めてロジカルに展開したのは凄いと思った。

『プレーム兄貴、王になる』(Hindi/2015)を試写で。 

昨年7月にDVDで見て以来。様々なツイストが多数用意されている本作だが、やはり一番の泣かせどころは、主人公の見返りを求めないヒロインへの愛で、これはもう信愛と言っていいのじゃないかと思った。二度目に見ると、神話のエピソードの重ね合わせ方に気が付く点が増えた。専門家が言うところの「非合理の瞬間」は後半に出てくるガラスの宮殿の建築学的な無理さに集約されているが、それが同時に一番のビジュアル・ワンダーでもある。モノクロ時代のものを思わせるほどに挿入歌も多い。こうした事々を遅れた未開の表現としか見られない人々を振り分けるだろう。その他のことは別の場所で書こう。

Iblis (Malayalam/2018)をYTで。 

何の予備知識もなく見たけど、イブリースはイスラーム世界の悪魔とは関係ない。設定は80年代とどこかに書いてあったが、レトロ感はなく、一周回ってのお洒落が目につく。ほとんどのキャラが絣風の天然素材の緩衣をまとう。爺ちゃんなんか絣パッチ―ワークだ。そして登場人物が運ぶ皿の上にもしも目があったらこう見えるというような凝りまくった映像設計。後からAdventures of Omanakkuttanの監督だと知って納得。しかしなあ、前作でもそうだったけど、最近の言葉で言うところの「設定資料集」だけ完璧に作り込んで、そこで息切れしてストーリーが追い付かなかったっていう感じだ。生者はいがみ合い、憎み、憂え、恐れる。それに対して、死者はただ朗らかに過ごす。そして両者は同じ空間に存在するのだが、前者は後者を認識できず、後者は前者に働きかけができない。両者が幸運に共存するために、死者はただひたすらに生者を自分たちの側に呼び込む(ゾンビ映画か?)。死者で人口爆発しないため、生者が死者のことを思い出さなくなると、「向こう岸」へ行く。これはつまりモークシャか。

今年のテルグのサンクラーンティ大作二本、AVPLとSLNKは、ガチで正面衝突したけど、どちらも大敗せず、winwinに終わったらしい。 

しかしまあ、どちらのノドに挟まる小骨のような瑕疵を幾つも持っていて、均整の取れた傑作とはいいがたいものだった。カメラの映像美や音楽など、プロダクション・バリューは非常に高い、ただ肝心のストーリーの組み立てに、テルグ特有の無神経さが出てしまった。それは特にコメディーの質と女性の扱いに端的に表れていた。批判的なレビューを読めばいくらでも実例が挙げられている。同時に、両作があらかたの女性観客の支持を得ているだろうことも予測される。豪邸の大家族というテルグ映画の相も変らぬ家族観を、Kumbalangi Nightsと比べたレビューには目を開かれた。ようするに沿海地方ルーツのアーンドラ人マジョリティーの鈍感さをくっきりと反映したものなのだな。外の動きと引き比べながら見ると、そういうものがいちいち神経に突き刺さるのだけど、圧倒的なスターの魅力の前にチクチク指摘するのが野暮ということになってしまうのだ。テルグ映画というのは本当に厄介。

Sarileru Neekevvaru (Telugu/2020)を川口スキップシティで。 

どうせまたカシミールの軍人の武勇とテルグの地でのファクション抗争を雑にくっつけたアイドル映画なんだろうと決めてかかってたけど、アクロバティックなやり方で両者の間にロジカルなつながりを成り立たせた。そしてカシミールでの軍務からカルヌールの抗争に話を移すに当たって、長大な列車でのコメディーを挟んできてリアリズムからの遊離をはっきりと示した。そして特筆すべきなのは、ラーヤラシーマのファクショニスト政治家をメイン悪役に据えながらも、最後にそいつを血祭りに上げるのではなく、軍隊に送って根性を叩き直すというのが新機軸。Alluri Sitaramarajuへの言及がやたらと多かったが、部族民との何らかの連関に意味があるのかどうか。マヘーシュは軍人の役なので、愛郷心よりも愛国心が全面に出ることは分かってたけど、これが巧みな表出で不覚にも泣いてしまった。一つはインド国を母に例えるというロジックで。もう一つは、お前らみたいなのですらを守るためにこっちは国境で命がけの軍務についてるんじゃと言って悪役を殺さないところ。

Pattas (Tamil/2020)をイオンシネマ市川妙典で。 

ダヌシュはVada ChennaiやAsuranみたいなハード路線と本作のようなエンタメ一本槍みたいなものを織り混ぜて(どっちもとことんを追求して)バランスをとってるんだな。デビュー当初からインドのブルース・リーだの何のと言われてきたダヌシュだけど、ここまで正面切ったマーシャル・アーツ映画(ドラマトゥルギーの主軸がストーリーではなく格闘であるという意味で)というのは初めてではないのか?ストーリーの骨格はバーフバリ、それはいいのだけどメヘリーンの役柄とかが本当に雑。古武術を蘇らせて異種格闘技で勝利するというのは、芸道物とも通じるところがあるか。敵役のナヴィーンには哀愁が漂う。古武術アディムライは実際に存在するもものだと言うがどの位正確に再現してるのかは分からない。ともあれ、回想シーンが始まり親父役ダヌシュがドーティーで華麗な技を披露する箇所には目の覚めるものがあった。スネーハーのアクションも結構決まってたのだから、もう少し暴れさせても良かったんじゃないか。英字幕がやたらと分かりにくかったが、後半に行くに従いどうでもよくなる。

Shaitan (Hindi/2011) をNTFXで。日本語字幕付き。 

ベジョイ・ナンビヤール監督なので前から観たかった。幻想的な映像美を追求した作品と聞いていたが、結構ストーリー性のあるクライム・スリラーだった。タイトルの悪魔とは、ヒロインの母親のことだったのかどうか。確かにマディによるカメラは凝った映像で、特に水を扱ったシーンには鳥肌が立つ。一片の共感すらわかないムンバイの上層階級の甘やかされた子弟とその取り巻きが、ふざけているうちに犯罪を犯し、それから逃れようとするうちに第二、第三の犯罪を犯して最終的に破滅する物語。5人組の内部で境遇の違いが露わになり、関係性に亀裂が走っていく描写が素晴らしい。ただし、5人の若い男女を描きながら、彼らのうちに性的な緊張感が余りないというのが面白かった。特にヒロインのエイミーに対して迫ろうとする男が全くいないところ。時折シュールな展開をするカメラ以上に、それがこの作品にある種の非現実感をもたらしている。上層階級じゃない方のキャラに、マートゥルとマルワンカルという2人の警官が登場するのだが、後者にはもう少し踏み込んだキャラの描写が欲しかったところ。

Swamy Ra Ra (Telugu/2013)をDVDで。2回目。 

イケズ感あふれるコメディー、テンポが凄くいい。スワーティを除く登場人物全員が、真っ当じゃないことで生計を立てていてずる賢いのに、必ずどこかで間抜けなミスをする。尤もスワーティもスクーターを取り戻すためにスーリヤに秋波を送るとか中々のタマだけど。冒頭の仕事人2人組にしてからが、ありえんミスをしてツイストを作る。ケーララの由緒ある寺から盗み出された神像が、富の神であるガネーシャであるというのも意味ありげ。その神様が、まるでパチンコの玉、あるいは分子運動のように不規則な転がり方をすることに哲学的な意味があるのだろうか。そして神様を追っていた者たちは、最後に一ヶ所に集められて綺麗に掃除される。ただしスーリヤたち4人は無傷でお土産まで貰って帰る。これもオールマイティーの思召なのか。このアンチクライマックス、アンモラル、ニヒリズムに映像作家の反骨精神を感じる。冒頭の2人組の会話にはテルグのメジャー映画への軽いからかいも。作中の台詞に特定の地方の方言があるのかは分からないけど、テランガーナ映画のカテゴリに入れたい普段のHYD描写。

Ala Vaikunthapurramuloo (Telugu/2020)を池袋HUMAXで。 

おとぎ話のフワフワした雰囲気のファミリードラマに唐突にエグい暴力が挿入され、またすぐに祝祭的なパステルカラーの画に戻る。ストーリーは細部から大枠まで釈然としないところが多い。細部では最低セクハラ野郎として登場したナワディープがその後すぐにサイドキックになったり。大枠での問題はエンディング。真相を知る人は限られてるはずなのに、結局二人の息子はそれぞれの生物学的な親の元に戻ったことが暗示される。それから、障碍に近いような身体的な癖を揶揄するシーンも冷や冷やする。つまり読み込めば読み込むほど冷えどんよりしてくる話なんだけど、アッル・アルジュンの魅力で一気に見せるものとなっている。ダンスはなぜだか出し惜しみ感あり。その代わりにアクションの振付が凝っていた。最初のスカーフ(chunni)をめぐる争いは闘牛みたいだった。クライマックスのシュリーカクラム(?)のフォークソングをバックにしたものでは焼き鳥串の受けに笑った。それから、会議室でヒットソングメドレーをするところも馬鹿っぽくて良かった。スニールに涙。

Darbar (Tamil/2020)を池袋HUMAXで。 

粗筋紹介のため現地レビューを読みまくったのでだいたいストーリーは見えてたけど面白かった。ムルガダースが『サルカール 』で見せたキレキレの作劇術が後退してしまったのは残念だったけど。ナヤンターラと二ヴェーダ・トーマス、2人のケーララ人女優の美と演技力にざまあみろという気持ち。それから地味だけどエロい婦警さんはシャマタ・アンチャンというトゥルナードゥ出身の人だと後から知った。スニール・シェッティの悪役は本当にダメダメで、繁華街でティッシュ配ってる兄さんにしか見えなかった。元ヒーローの悪役は哀愁が漂いすぎて見てられん。押し出しが弱いなら逆に病んだキャラにするとか工夫が欲しかった。二ヴェーダの瀕死の演技は絶賛されてるが、それよりもシュリーマンが家に訪ねて来て、ナヤンターラとの歳の差を考えて身を引いてほしいと頼むシーンで泣いた。アクション的に素晴らしいのはラストよりも駅のプラットフォームでのもの。ヒジュラの姐さんたちのお囃子がいい感じだった。ハードな殺人マシーン・モードとお茶目いたずらっ子モードが共存するのは80年代ラジニ映画への郷愁か。

Tanhaji: The Unsung Warrior (Hindi/2020)を川口スキップシティで。 

続き。女性の扱いとしては、幼児婚が出てくるところ、それから悪役に横恋慕されるカマラという女性が、夫に殉死しようとしていたところを無理に攫われてきたということなどを淡々と描いていた。ヒロインであるサーヴィトリーの最終シーンが、そうしたものを見て落ち着かない気持ちになっていたところに救いをもたらしてはいたが。歴史ものとしては、シヴァージーを全く受け身の優柔不断で温厚な領主(けれどもなぜか神のように慕われている)のように描いていたところに疑問。これはADが普段やってる現代を舞台にしたアクションを単にコスプレに変えただけじゃないだろうかと思えた。例の最終兵器としての大砲というのも、17世紀の話とするとリアリティーがないけど、核のボタンだとすると意味が通じる。

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Tanhaji: The Unsung Warrior (Hindi/2020)を川口スキップシティで。 

マラーター民族主義は何かと問題を含む。本作も色々と工夫はして、最近の作品としては珍しく、タイトルを英語・ヒンディー・ウルドゥーの3言語で表記した。また敵役をムスリムではなくムガル皇帝に仕えるラージプートと設定した。さらにシヴァージーに仕える土候にはムスリムも一人加えた。ヒンドゥーVSイスラームの闘いにするのではなく、スワラージのための闘いと何度も言わせている。色々やったけど、結局レビューではサフロン化だのジンゴイズムだの書かれた。これまでの愛国系歴史ものと違い、ターナージーは独立国の王ではなく、シヴァージーに仕える武将。忠臣ものは日本では十分あるが、インドではどうなのか。ADはいつもながらの芋芝居。見どころはカージョルだった。サイフも悪くなかったが、身勝手な懸想をする相手が主人公の思い人ではないという点は、劇的な構成としてどうだろうと思う。それでパドマーワトのランヴィールと比べられてしまうだろう。シャラド・ケールカル演じるシヴァージーは脚本の弱さが露呈したキャラだが妙に印象に残った。

Thenmerku Paruvakatru (Tamil/2010)をDVDで。久しぶりに字幕なしで。 

ウィキペディアにあっさりした粗筋しかなくて、どうしたものかと思ったけど、見終わってからPride of Tamil Cinemaを見たら3ページ使って詳細な解説。一方ネット上のレビューはごく僅かで、しかも辛い評価のものも。2007年のParuthiveeranからのマドゥライ映画旋風の中で、「またか」って感じであしらわれたのか。国家映画賞を取らなければ完全に忘れ去られていたかも。自分にしてからが当時の底引網漁的なディスク買いで入手したきり忘れてた。作品としてはPVやSubramaniapuramのずっしりとしたインパクトはない。よそ者として平凡な村に入り込んで日々の暮らしを覗かせて貰ってる感、だから台詞の意味が分からなくても不満はない。暴力もドラマタイズされず淡々としてる。クリミナル・トライブへの言及、それから丘の上の十字架が気になった。それにしてもこれが区切りの2010年作で、VJSのヒーロー・デビューだったとは。やはり2010年代を代表するスターはVJSだわなと今更ながらに思った。

Tharai Thappattai (Tamil/2016)をYTで。 

芸道もの、ダリトものの両方でどうしても見たかった一本。バーラー監督だというのは忘れてた。だけど後半になって思い出した。異様なほどにトラウマ的な流血の地獄を撮るのを追求してる人だったわ。例外はAvan Ivanだけ。前半はカラガッタムのど迫力で魅せる。後半は芸の道から徐々に離れてバーラー特有の無惨絵になる。底辺にいる者たちが暗闇に蠢く人非人によって簡単に陥れられて、あり得ないような残虐さで贄となる。創作なのか事実なのかよくわからない点も幾つか。親父が古典声楽的な音楽をやり、息子はフォーク、けれども映画ソングはやらない、でも仕事が来なくて切羽詰まると、葬礼のお囃子も引き受けて、でも尊厳を損なわれてボロボロになるというの、現実にあり得る話だろうか。それとも、ファンタジーとして構築された世界なのだろうか。カースト・ヒエラルキーや禁忌の話になると例によってタミル人レビューワーの口は重そうなので調べても分からないかも。ヴァララクシュミのキャラクターには今ひとつリアリティーが感じられなかったが踊りは全部良かった。映画ソングもいい。

Role Models (Malayalam/2017)をDVDで。 

ファハドのもので見てないものがあったかと再生機に放り込んでみたが、何というか時計の針が10年ぐらい巻き戻ったような古臭いラブコメだった。2002年に失敗作でデビューしたファハドがしがみついて映画に出続けてたらこんなのが沢山世に送り出されただろうというタイプの凡作。どんな場面でも常にBGMが何となく流れてる、政治的にまずいタイプのギャグ、レイプや自殺などの重大事件がちんまりしたエピソードの導入にしかなってない、特に面白くもない映画の引用、オープニングとエンディングとで辻褄の合わない統一感欠如のパーソナリティ、もの凄くキャラの立った設定(多重人格とか)が何となく挿入され何となく消えて行く、後出しジャンケン的種明かし、画面映えのために無理に挿入される金のかかるスポーツ等々、ニューウェーブの顔がやる映画じゃない感が充満。ファハドがバックダンサーを従えフルソングをラジオ体操みたいに踊る一曲は貴重といえば貴重だが。しかし賞レースでは黙殺されても、映画館ではこんなのがそこそこ受けたりするのがケーララの観客の一筋縄じゃ行かないとこだ。

Matha (Malayalam/2000)をDVDで。12年ぶり。 

訂正:Mazha (Malayalam/2000)だった。

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Matha (Malayalam/2000)をDVDで。12年ぶり。 

思い出すだけで泣けてくるほど好きな作品なのに、その魅力を言葉にしようとするとどうにも詰まるので再見してみた。10年以上経つと、構成の甘さや場面転換の不自然さなど粗も見えなくはない。特にややダレ気味の後半の、ティラカンにまつわるエピソードや歌を失うくだり(それがラストでのシャーストリに呼応するものだとしても)などには感心しない。ただ、そうは言ってもサムユクタ・ヴァルマの圧倒的な演技には何度見ても感嘆するほかない。バンガロールからやってきた小生意気なティーン、ハーフサリーを纏った夢多い文学少女、新婚初夜の夫の性暴力に悄然とする花嫁、患者からの信頼篤いドクター、上品なサリーを着こなす有産階級の奥様と、シチュエーションごとの演じ分けが完璧。最終シーンでの失意と呆然と諦念の表現は圧巻。結局この話は、失われた純真、葬られた夢に対するオードなのか。かなり低予算で作られたはずだが、Geyamソングの劇的構成、雨降らしソングの詩的世界の完璧なコンポジションはいまだ超えられていないと感じさせる。Etrameソングの取り込み方も素晴らしい。

Narasimham (Malayalam/2000)をDVDで。 

正月らしく楽しいものを見ようかと思ってたけど、書き物をしてたら参照の必要が出てきたので再見した、14年ぶり。初見時に全く楽しめなかったけど、その後多少知恵がついたから知的な部分で興味が湧くかと思ったけど、やはりどんよりしてた。伝統的なナーヤルの旧家を完全に父権的な装置に変換した(しかも核家族)というのが凄い。本作が嚆矢ではないのは知ってるけど。まるで母系制への復讐。初見時に全く頭に入らなかった複雑な人間関係は、メモを取りながら見たら整理はできたが、悪役を分散させるのはドラマとしてどうかと思った。まあこれはニューウェーブから全否定されるわな。おっさん祭りの一方で女性は3人しか出てこず、しかもラベリングがはっきりしてる。泣き崩れるおかん、清純で可哀想な妹、おキャンで現代的な恋人。これが怒濤のブロックバスターになったというのは、逆に文芸的な繊細な映画に行き詰まりがあったということなのだろう。監督のシャージ・カイラースはそういえば最近聞かないと思ったら、2010年代に入ってからは本数が落ちてしかもフロップ続きになっているようだ。

T. P. Balagopalan M. A. (Malayalam/1986)をDVDで。 

以前に字幕なしVCDで観てたのを字幕付きで再見。ただし画質は最低。DVDのメリットは字幕だけだったけど文句は言わない。以前の鑑賞ではほんわかした読後感だったけけど、台詞の一々を味わいつつ見ると苦いものが残る。婆ちゃんと姉夫婦と妹、それに姉夫婦の娘たちとで暮らす中の下クラスの主人公の、家計の収支を何とかするための戦い。お人好しで、なおかつ自身の金遣いも決して堅実ではない男。恋人の父にいいところを見せるために土地を担保にして金を用立て、見事に土地を失う。しかしその父は、風向きが変わると、掌返しで主人公を追い払う。バーランKナーイルの芝居が真に迫っている。最後に主人公は都会であくせく給与生活をすることを諦めて婆ちゃんと一緒に田舎のタラワードに向かう。そんな避難先があるならいいじゃんと思ってしまうところだが、過度に主人公を追い込まないのは、サティヤン節というものか。この時代のマラヤーラム映画につきものの、しみったれたゴージャスも良い。スレーシュ・ゴーピは、ほぼエキストラ扱いだったけどかなり格好良かった。

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