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Petta (Tamil - 2019)を川口スキップシティで。 

タミル・ニューウェーブの旗手であるカールティク・スッバラージが、伝統回帰的な「スタイル」重視のラジニ映画を撮ったというので現地で話題になった一作。ストーリーを煎じ詰めてみれば、結局『バーシャ!』のバリエーションなんだわな。ヒル・ステーションの半寄宿学校の舎監としてやって来た謎の中年男が、不良学生たちの心を掴んで正道に導くという話と、ラクナウを舞台にした銃撃アクションを無理に繋げた感じ。後者はどうしたって「Gangs of Wasseypur」を思わせるし、意図的にモチーフを取り入れていることはよく分かる。期待のナワーズッディーン・シッディーキーはもちろんいいのだが、マドゥライの男にはちょっと見えない。北インドに行ってヒンドゥトゥヴァ政党をおっぱじめた理由は何か。ラジニ以外の美味しいところはやっぱVJSが攫った感がある。通常のアクションもので2/3ぐらいのところで殺されるラスボスの間抜けな息子のポジションながら、2/3で死なないし、ツイストが二回もある。シムランとのデートの場面で昨年泊ったコダイカナルのホテルが出てきて吃驚。

Vinaya Vidheya Rama (Telugu - 2019) を川口スキップシティで。 

酷評以外の嵐だったが、開けてみればボーヤパティ節絶好調で全然文句ない。テルグならではのポトラックもここに極まれり。盛大に繰り出される大殺戮は正月らしい大盤振る舞いのめでたさだし、相変わらずの家具店・アパレル店の広告みたいな現実感ゼロのスイートホーム描写もお約束。テルグ映画が無邪気に持つ偏見も。しとやかさを至上価値とする女性観、ビハールを舞台にすればどんな無法地帯でも描いていいと思ってる中華思想、イージーにムスリムの宗教慣行をアクションに取り込む唯我独尊などなど。偏見で一番印象的だったのが、屈服させた相手にバングルをさせて「女の腐った奴」として屈辱を味あわせるシーン。また同じく足鈴輪を着けて踊らせるという辱めは、男性舞踊家及び芸能人全般への蔑視が前提。チャランはボディビル、踊り、殺陣、いずれにも精進のあとが見られる。けれど、優しい女顔で殺気を出そうとしているのには相変わらず痛ましいものを感じる。ヴィヴェーク・オベロイとプラシャーントは哀愁漂い、シナリオが用意した以外の感情をもって見てしまう。

NTR Kathanayakudu (Telugu - 2019) をイオンシネマ市川妙典で。 

会場の埋まり具合は8割程度だったか。全観客の少なくとも3割は日本人。こんなマニアックな映画にこれだけ日本人ファンが訪れるのもラーナー効果。二部作の前半なのでまだ評価はしにくいが、ずっしり腹に溜まる感がすごい。当たり前だが公式伝記映画なので、生臭かったりちょっと滑稽だったりする部分は綺麗にロンダリングされてる。初クリシュナ役での周囲の反応とか、ANRとのライバル関係、あと災害復興慈善活動中のよろめき事件とか。映画界のあれこれはもちろんのこと、戒厳令下のマドラスの様子とか、謎のグルとか、知らないことが多かった。主演作を自ら監督するシーンでは、キンキラの神様装束のままでアクション!とか言っちゃうのが凄かった。ああいうのは助監督にやらせるんだと思ってたから。ただ綺麗にまとまった本作に対して、後編は大波乱なしでは済まされない内容。綺麗な本作で関係者(特にCBN)を篭絡してから、スキャンダラスな後半をどさくさで封切っちまうのではないか、実は後半は1時間しかないのじゃないかとか、妄想が膨らんで止まらない。

Viswasam (Tamil - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。初の2019年映画鑑賞。 

季節の縁起物としてのファミリー・エンターテイナー。アジットがのっしのっしと歩いて、ドーティーをたくし上げ、髭をひねるのをただ見惚れていればいいのだが、そこにナヤンが加わってアジットに上から目線で命令したりするのだから堪らない。訳あって使用人として妻の邸宅に出入りし、マダムとか言っちゃう恥辱プレイがいい。「妻は命じ、夫は従う、それが摂理だ」みたいなことを言うところで観客(95%タミル人)はバカ受け。ダンス、格闘、若干の教訓、センチメント、目新しいものは何もないのだが、アジットとナヤンがやれば2時間半の見ものになる。テーニの村祭りダンスシーン、アイヤナール(?)に御柱を立てる神事が面白かった。絵にかいたようなタミルの田舎の極彩色の祝祭の絵柄(ただしざらついた埃は丁寧に消去されている)の中で、ルンギダンスなんぼのもんじゃい、本場もん見せたるわいおらおらのドーティーまくりダンスが、ステップ的には素朴なものながらキュートで良かった。ただ自分にはVedhalamで見せた狂気が少しでもいいから欲しかった。

Pariyerum Perumal (Tamil - 2018)をオンラインで。 

ダリト・リベレーションの注目すべき一作。リアリズムに基づいた激烈なカースト間コンフリクト(ウルトラ暴力を含む)と、青色を多用した夢幻的で象徴的なシーンが混じりあい、くぎ付けにされる。パ・ランジットがKaalaでやろうとした仰ぎ見るダリト像の確立とは別のベクトル。ダリト差別以外にも、異性装者差別などもむくつけに描かれる。平凡な石工のおっさんが、密かに行われる名誉殺人の請負人であるとか、地方都市の生々しい描写が凄い。主演のカディールは眼力強い系のイケメンだが、娯楽映画ヒーローのような完璧人格ではなく、クオータでカレッジに入りながら今一つ勉強に打ち込めない(というか勉強の何たるかが分かっていない)若者としてまず提示され、そこから手酷いイニシエーションを経て立ち上がる者として描かれる。このヒリヒリとした感覚と比べると、やはり『世界はリズムで満ちている』は甘すぎるという思いを新たにした。カラガッタムを職業的に踊る男性とか、主人公の名前の由来であるHorse riding godなど、もっと知りたくなる部分も多かった。

96 (Tamil - 2018)をオンラインで。 

やっぱり年間ベストは大晦日の最後の瞬間まで決めるべきじゃないと確信した。VJSの童貞コメディみたいな寸評をちらりと耳にしていたけど全然違った。絶対に結ばれることがないことが分かっている恋人たちが、間近に迫った別れの時を前に対峙するという王道の悲恋もの。VJSがアクションやコメディなしの恋愛ものをやるとは。トリシャーは沈痛なストーリーラインが本当に合う。メトロ、高架道路、空港といった都市特有の地物が夜に帯びるしみじみとした寂寥感。街を行きかう、一切の干渉をしないない無関心な人々。『慕情』『ディーヴァ』『Anand』等々の過去作品のそぞろ歩きシーンの数々が脳裏をよぎる。あれこれ漁ったレビューの中で、たったひとつだけ「見合い婚を称揚する相も変らぬ保守性」みたいな評言を目にしたが、それはちょっと違う。多分この評者は二人が結ばれないフラストレーションを思わずこう表現したのだと思う。冷静に考えればこのカップルは30代の半ばで、まだ老成には程遠いはずなのだが、そこには諦念や甘酸っぱい追憶があり、それでも幾つかの瞬間に堰を切って溢れようとするものがある

Seethakaathi (Tamil - 2018)を川口スキップシティで。 

デビュー作NKPK(2012)でブッ飛ばされたダラニーダラン監督の6年のブランクの後の一作。正直なところ、NKPKには及ばなかった。しかしまあ、意表を突く展開の凄さ。トレーラーを見て想像していたものを卓袱台返ししてくれた。一言で言えば映画界へのサタイアなのだけど、それを演劇界の老優にやらせた。サタイアなのだからリアリティーがなくとも文句言っちゃいけないのだろうけど、本当にタミルの衆は、演技力というものを崇めてカットアウトまで立てちゃうものなのか。やはり俳優へのカルトな崇拝を生むのは演技力よりも身体性ではないだろうか。それが一番引っかかった点。それから作中でまるで稀少な宝石のように扱われていた演技力というものの実態。それから終盤の尻すぼみ感。転げまわって笑った後にジーンときたNKPKに比べると弱い。しかしもちろん高く評価すべき面もある。すっかり大物になったVJSのおんぶに抱っこを避けた意地。そして相変わらずの言葉遊びとかそういったものに頼らずに生成する抱腹絶倒の笑い。VJS以外はほぼ無名の俳優たちを使って見事。

KGFの日本上映はめでたいが、やはりヤシュは苦手。 

カンナダの男前美学のひとつである(らしい)苦み走った感を出そうとしてるのは分かるが、ただ渋面つくったり、三白眼で上目遣いしてみてもなあ。何かそれらしくやってみた感ばかりが見えて底が浅い印象。お人好しボンボン顔をただむさ苦しくしてみただけに見える。しかし現地では着実に人気が上昇しているのだから、自分には分からない何かがあるのだと思うが、その魅力が分かるようになってしまうことが望ましいのかどうかは分からない。

京都文化博物館で、『近松物語』4Kリマスター版。溝口生誕120周年のシンポの一環としての上映。 

一番印象に残っていた琵琶湖畔(?)での香川京子の着物の照り映えについては今回は不思議に感銘しなかった。目ざましかったのは音のクリアネス。その後のパネラーによる各種報告も含めて圧倒的充実。公開シンポだが、一般向け講座ではないので、以下のようなことに対しては一切解説がなかった。①大経師とは何か②磔刑とはどんなものか③登場人物たちの身分とその内実:町人、公家、武家、百姓④元禄とはどういう時代か⑤大店のお取り潰しにまで至る姦通罪の重大性とその性別による不均衡etc。細かいところでは、以春が炬燵に腰かけるシーンとか、また小判を敷き詰めた菓子折を作るところとか。こうしたものについては参加者は既に知っているものという前提で話が進んだ。翻ってインド映画研究はどうかというと、上の①―⑤の解説は少なくとも日本では絶対必要なんだあ。それは研究というよりは解題なんだが、それをやらんことには話が進まないんだから仕方ない。特に日本では。しかしインドでの研究にしたところで「そこから先」が追及されたものがどれだけあるか疑問。

Odiyan (Malayalam - 2018)を川口スキップシティで。 

何というか、まとまり切らない切れ切れの感想が脳内を渦巻く大作。こういうの久しぶり。おそらくは部族の血をひくのであろう黒魔術師の家系に生まれた男が、術殺の嫌疑をかけられて共同体から追放されるが、殺しの真相を明らかにするため15年ぶりに戻るという話。その黒魔術ってのは動物に化けたりするものなのだが、基本的には依頼を受けて被害者の脅かすだけのもので、報酬も酒瓶一本という程度のもの。この辺りのおどろおどろしさの抑制が低評価につながったのかも。しかし普通に考えたら笑っちゃうしかない牛面の着ぐるみをあのスタイリッシュさで撮る技術に唸る。同時に結ばれることのない名家の女性への恋慕心も描かれて、このあたりが芝居としての見せ場。モーハンラールとマンジュの合計100歳超のラブ・デュエットの美麗さには絶句する。夜は全てを美しく包み込むのだ。何度も行ったことのあるテンクリッシが舞台というのに吃驚(ただし実際のロケは明らかに別の場所)。おそらくは1970-80年代が舞台。携帯電話のない世界というのは愛おしいものだと改めて思ったのだった。

BDの件でクサクサしたので『カメラを止めるな!』を見た。 

ネタバレ厳禁作だな。これはなんとしても知り合いのインド人の自主制作野郎に見せなければならない。ホラーは嫌いだと言ってるけど、そこを何とかして見せなければならない。あと、途中のシーンで、まるでいつも行ってる川口スキップシティみたいなところがあるなあと思ってたら、エンドクレジットでホントに川口SKと出てて笑った。大変に楽しかったけど、ここで書けるのはそのくらい。

やれやれ、人生で2枚目のBDを逡巡の末買ったのに見られない。 

無料ソフトでは見られないことは分かっていたので、有料ソフトの体験版をDLして、上手く行けばそれを購入するつもりで臨んだのだけど、結局PCのディスプレイがHDCP対応じゃなかったことが判明。3~4年ぐらい前、人生初のBDを買った際にはWindows7機+現行ディスプレイで普通に見られたのに、その同じディスクが今のPCでは見られないとか、不条理すぎる。DVDだろうがBDだろうが開封して外気に触れれば劣化はいずれ来るだろうから何とかしなければならないのは分かってるけど、癪に障ってどうしようもない。

四方田犬彦『原節子と李香蘭』を読了。 

この二人が同年の生まれとは知らなかった。そしてまるで鏡面像のように対照的な人生行路をたどったことも。出来すぎた映画のストーリーのよう。見たい映画のリストがまた大増量してしまった。特に満映のくだりが興味深かった。五族共和のイデオロギーのもとで寄せ集められた3流技術者のふきだまりだった創始期から、本土東京よりもリベラルな作品が作られた後期まで、興味深いことこのうえない。資産を接収した中国政府の方針によって、いまだ研究のためにフィルムを含む遺物が公開されていないのだとも。

Kondaveeti Donga (Telugu/1990)をDVDで。 

某所でこれについて言及した際に、DVDに字幕が付いてることに気づいたので、手持ちを引っ張り出した。いやもう90年代テルグの全てが詰まっている感じ。反則しまくりの後だしジャンケンの波状攻撃&悪役の雑すぎる造形でストーリーはほとんど体をなしていない。ゾロみたいな装束で原野を疾走するチルの乗馬姿がただもうカッコいい。時間が来ましたって感じでストーリーの流れをぶった切って強引に挿入されるダンスの高速グルーブに脳がキーンとなる。Pathala BhairaviのビジュアルとAlluri Sita Ramarajuとが合体した謎の部族リブ映画。(一応)舞台のコンダヴィードゥ地方はグントゥールの郊外になるらしい。1958年に同じタイトルで作られた作品があるというのが気になった。NTRの警官ものではKondaveeti Simham (1981)というのもあったし、コンダヴィードゥという地名にまつわる共有されたイメージがどんなものなのか、Bobbiliと同様に探求して観なければならない。あと、ナーガバーブが大変にクールだった。

Carbon (Malayalam - 2018)をDVDで。 

非常に評判が高いが手放しで絶賛はできない。カメレオンのように何度も表層が変わる作品。最初は定職に就けず危ない橋を渡る若者のスケッチとして現れ、次にはホラーに行きかけ、その後はネイチャー&アドベンチャー系、そして大自然彷徨の末に神秘的な体験を経て下界に戻るというもの。長い。とても2時間半を切るものとは思えず。劇的な改心を描くためには必要な長さなのだとは思う。親子の情愛も、男女の愛も、先住民の抑圧の歴史も、束の間浮上するが、クライマックスに至る前に末端水系のようにどこかに消える。壊滅的な駄作だったPhotographer (2006) からこっち、マラヤーラム映画には一定数の大自然交感系作品が現れるようになった。他の言語圏ならば外国にでも行く自分探しに、ケーララの衆は自州の西ガーツに向かうんだ。これは結構特異な現象ではないかと思う。トレッキングの退屈さ、パーティーの中での人間関係などを事細かに描いた後に、一人になった主人公がこれまでの人生のもがきを高いところから眺める。しかしトライブのエピソードがが置き去りにされたのがが心残り。

Timepass (Marathi - 2014)をDVDで。 

一昨年あたりの個人的なマラーティー映画フィーバー期に漁った、必見ガイドのリストに必ず挙がっていた。そうじゃなきゃこんなティーンエージャー・カップルのジャケ写映画を見たりはしないのだが。捻りのあるニューウェーブだろうと思ってたらド直球の青春ロマンスだった。90年代のターネーが舞台であるらしい。自らをSingingコミュニティーと称する(しかし芸能には携わらない)バラモン一家の娘と、オート運転手の出来の悪い息子との恋。身分差と教育の差が圧倒的で経済的にも距離はあるが、かといって女の子の家が大富豪という訳でもない。主演のプラタメーシュ・パラブの漫画みたいな顔は見ていて飽きない。Sairatみたいに大惨事が起きるのではないかとハラハラするが、最終的には幼い恋は大人によって引き裂かれ、落第続きのバカ息子が、社会階梯を上るために初めて勉学に意欲を示すところで終わる。しかしこれは、慣れ親しんだ娯楽映画のフォーミュラからすればインターミッションでしかないのだがな。と思ってたら翌年にパート2が公開されたらしい。癪だが見ないと収まらない感じ。

Sarkar (Tamil - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

ヴィジャイの前作・前々作、ムルガダースの前作、いずれもピンとこないものだったので、期待値は低めだったけど、いい意味で裏切られた。最初の20分ほどのかったるいヒーローの紹介部分を我慢すれば、あとはローラーコースターの政治ショーで息もつかせない。キールティーには気の毒だけど、ロマンスもソング一曲だけに押し込めたのが良かった。たった一人の有権者の投票権が不正に奪われたことを民主主義の重大な危機と捉えて訴えを起こす。その訴えをメディアとSNSの力によって拡散し、まさに発足しようとしていた州政権に待ったをかけ、選挙を無効とし、再投票に持ち込み、ついには既成政党を権力の座から引きずり下ろす。これがロジカルに展開するところが凄い。そして拳固の応酬以上に言葉の応酬が凄まじい。悪徳政治家が「選挙民は貧乏にしておけばはした金でいつでも言いなりにさせられる」と嘯くと、ヴィジャイが「ジャリカットゥ」と言い返す、この一語の破壊力。しかしこれをタミルに馴染みのない観客に伝えるのは至難の業だろう。そしてそれこそがオタク心をくすぐるものでもあるのだ。

これ、後で読もう。恋する彗星――映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く(伊藤弘了) 

以下の箇所が気に入ったので。

>誤解のないようにただちに言い添えておくと、それは監督の新海誠(あるいは本作の成立に重要な影響を及ぼしたプロデューサーの川村元気)がそのような読みを要請しているということを言いたいわけではない(彼らの思惑などはどうでもよいことだ)。作り手が自らの創作物の解釈を誤ることはそれほど珍しくもないのだし(このことは一般常識として広く共有されるべきだと思う)、そもそも人は作者のつまらない意図を斟酌するために映画を見るのでは断じてない。

ecrito.fever.jp/20170123213636

『蜘蛛巣城』(1957)をDVDで。 

例によって贈答用の英字幕付きが格安で出ていたので押さえで買った。よく言われることだけど、黒澤映画は劇的な盛り上がりから活舌が悪くなったりするシーンも多いことから、ところどころ英語字幕のお世話になってしまった。本当に必要なのは日本語字幕。ランタイム110分と、普段見ているものと比べれば短く、ちゃちゃっと見られそうなのに、途中息苦しくて何度か止めた。この息苦しさは何だろうと思ったが、ホラーのそれだったのではないか。通常ホラーを見る際と違い、既に粗筋・結末を知っているにも拘らず、やはり怖い。グロテスクな描写がないのに怖い。つまりホラーとして、より厳密にはサイコホラーとしてよく出来ているということ。有名な矢の雨あられシーンはもちろん凄いが、それよりも「森が動く」シーンの、冷え冷えとした湿気が足元から這い上がるようなあの感じが心に沁みた。それにしても、「●●が起きない限り、お前は死なない」(●●は通常物理的に不可能な事象)と言われて、まさにその●●が起きるというの、Bhakta Prahladaを否応なく思い出すけれど、ああいうプロットは世界共通のものなのか。

Oru Vadakkan Veeragatha (Malayalam - 1989)をYTで。 

画質激悪の映像に、ネットを漂ってた素人仕事の英語字幕を苦労して乗っけて観た。この字幕アジャスト作業であらかじめストーリーの概要を知ってしまってからの鑑賞となり気持ち悪いことこの上なかったけど、待っていてもどうやらメディア化されなさそうなので仕方ない。酷いボケボケ映像でも分かるのはチャンバラとしての面白さ。文芸的で沈鬱なストーリーにも拘わらず剣戟をきちんと振り付けたのが素晴らしい。カラリで対戦する時の儀式的な所作など、まるで相撲の土俵入りのようだ。北方剣士ものは、ともかく綺想を凝らした衣装(特に女性の場合はセクシー方向に)とちゃちなチャンバラというイメージがなぜか出来上がっていたのだけど、本作では衣装や美術も重厚で、名作という評判は通説を裏返しにしたストーリーというところからだけではないことを知る。マンムーティが素晴らしいのは分かっていた(特に中年になってからの部分)けど、マーダヴィとギーターという対照的な二人の女性も魅力的。やはりこれはどうしてもリストアした美麗画像で観たいところ。

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