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Villu (Tamil/2009)をオンラインで。 

プラブデーヴァ監督作。ダンスが全部で7曲もあって(体感では10曲だが)クライマックス近くまでみっちり詰まっている00年代仕様。物語の舞台とロケ地がてんでバラバラなのも同上。不敵なコンタクト・キラーが実は愛国的な軍人の息子だったというよくあるパターンながらいちいちが過剰でサービス精神たっぷりな演出。この時期のヴィジャイはトレードマークの童顔にある種の精悍さが加わり、目がさめるような効果。上半身をはだけてギリギリの線を狙った下ネタもやっている。ヴァディヴェールの痛いコメディーは全開。あほくさいアニメと相まって唖然とさせる。ナヤンはまだ初期のぽってりした造作が残っている時代で、これまたサービス全開モード。ともかくカラフルな色彩の洪水。むしろヨーロッパ・ロケ部分で落ち着いてしまうくらい。しかし設定がヨーロッパの部分でも「チャイナ・ゲート」なるポイントで東アジア格闘家と闘ったりする。一番すごいのはラスト30分での赤土。軍人の父役の役作りは髭の形だけ。「アフリカの猿」や大柄女のギャグは今日的にちょっとまずいか。Daddy Mummyソングは名曲。

Veera (Tamil/1994)を日本版DVDで。 

邦題は『ヴィーラ 踊る ONE MORE NIGHT!』。カーヴェーリデルタ地帯の農村に住む無責任な男が、色恋目当てで古典声楽家のもとに入門して師匠の娘にアプローチするが、彼女から打算をたしなめられ、真面目に音楽に精進する。娘もついに心を許し、男はマドラスに因縁の借金を返済するために出かけていくが、戻って来た時には彼女は洪水で流され死んでいた。マドラスでは彼は音楽会社の社長令嬢に惚れられていた。母の願いで彼は令嬢と結婚するが、そこに死んだと思われた師匠の娘が現れる、というタイプのコメディー。モーハン・バーブのテルグ作品のリメイクと知った。主人公の性格は定まらず、回想の初めの方では浴女の衣を盗むなどクリシュナの子供時代が再現され、デーヴィとの出会いによって、より大人になったエロティックで犯罪的なクリシュナとなる。謙虚な田舎者から人気絶頂のポップ歌手となり、悪王を誅殺し、何のかんのと口実をつけ2人の女性と結婚してしまう、壮年期の神となる。神様ギャラリーでの解説は笑える。それから「ゴーヴィンダ―」の用法についても学べる。全盛期のミーナ―。

Arunachalam (Tamil/1997)を日本版DVDで。(2/1) 

邦題は『アルナーチャラム 踊るスーパースター』。20年ぶりぐらいに見たのではないか。字幕翻訳者のクレジットは見たところなし。不思議な素人字幕で、改行位置がアバウトで、さらに「制約」と「誓約」を取り違えるレベルのタイプミスが多数あり。一方で例えばヴェーダ―ヴァッリのような人名は怖ろしく律義にカタカナ化していてしつこい感じ。しかもところどころミスタイプ。監督はデビューから2年後のスンダル・C。前半と後半がほぼ別の映画なのだが、後半の面白さ、風刺の効き具合が比類ない。前半のカンナダ語ソングは今になって聞くと感慨深い。後半に登場するランバーの肉体美と童顔の対比はこの時代ならではのものに思える。使っても使っても減らない金を必死に減らすシュールな状況は庶民の夢だが、その裏に「巨額の遺産を受け継ぐ相続人は、まず金を嫌いにならなければならぬ」という逆説的なロジックが潜み、『ムトゥ』のソングや『バーシャ』の前半で語られたラジニ哲学がここでも見える。浪費作戦で映画製作→政党立ち上げと続く部分にはどうしても現実とのリンクがちらつく。

Kalpana (Hindi/1948)を京橋の国立フィルムアーカイブで。 

大ホールは40%ほどの集客だったか。150分を休憩なしで。結構ショックだったのは途中何度も舟を漕いだこと。しかし、何とも言えない凄い作品だった。ストーリーは薄々。芝居は旧時代の大げさ&演出はシュール。あくまでもダンスの口実としてのストーリーと分かるのだが、夢落ちを多用しながら何とも茫洋としたスケールを感じる果てしない物語(破綻とも言える)。印象的だったのは、額縁エピソードとしての映画界批判、そして作中に現れる「映画は(舞踊に比べて)劣る不道徳なジャンル」という価値観。いわゆる創作ダンスがメインだけど、上手いのは分かっても、バリ島などからエッセンスを借りているのが分かりややシラっと見てしまう。カタカリで演じたBhakta Prahladaと、マニプリ風ダンス、それにゴーピ―の輪舞が印象に残った。ウマー役の女優の円熟の美しさ。三角関係描写は何だかは煮物が挟まったような不完全燃焼
感。独立の志士を列記するシーンでガンディー、ネルーに続いて「ラーマとビーム」と上がっていたと知り合いが言っていたが、どういう意味だったのか。

Manu Man (Telugu/2024)を池袋ヒューマックスシネマズで。2回目。 

それなりにインド人もいる観客は80人ほどだったか。ファンを沸かせた映画の引用シーンは、英語字幕では固有名詞を出していなかった。プラバースのアレ、マヘーシュのAthadu、カリヤーン・バーブの何とか、それにバーラクリシュナのことをチェンナ・ケーシャヴァと形容していた。おばちゃんたちのアヴァカーヤ・ソングはとてもいい。それから宝玉をマニバーブと呼んでたな。主催者夫人によればカリユガを救うために現れる7人のうちの二人がハヌマーンとウィビーシャナだそうだ。見ながらぼんやり考えていたのは、ソシオ・ファンタジーの批評性と罰当たりが嫌われてスーパーヒーローものになったのだろうかということ。一般のアクション映画のヒーローは画面に登場した時からすでに驚異の身体能力を持っているが、スーパーヒーローものは元々頼りない奴がチートによって超常能力を得る。それが面白いと思えるかどうかが鑑賞の鍵のような気がする。それと、やはり俳優の身体性が左右する。科学技術(怪しげだが)を信奉する悪役がクリスチャンというのには何らかの意味があるか。

Merry Christmas (Tamil/2024)を川口スキップシティで。 

オール日本人で結構な盛況。ぬい持参の人も。クリスマスの夜にアルバートはムンバイに帰郷、レストランで子連れの女性と巡り合う。彼女の連れはなぜか慌ててその場を去ったところだった。それから二人は映画などを楽しみ、彼女の家に行って酒を飲み、その後再び出かけて夜の街を彷徨う。彼女のアパートに戻った時、そこには夫の死体があったという掴み。彼女が警察を呼ぼうとするとアルバートはそこにいた痕跡を消し去って逃げる。原作があるというのは知っていたがやはり語り口が巧い。主要登場人物がオールクリスチャンというのは、エキゾティズムに加えて前世紀からあるクリスチャンへの偏見を多少は残しているのか。VJSはごく普通に肉厚ないい男を演じていた。カトちゃんとのペアリングが非常にしっくり。タミル語映画なのにヒンディー語映画を見ている気分。ローカライゼーションとしてラーディカ・サラトクマールを出してきたけど、その必要はなかったような気がする。最後に遊び人ロニーのなけなしの正直と「クララが歩いた」的奇跡からカタストロフに落とし込まれるのは見事。

Manu Man (Telugu/2024)を川口スキップシティで。 

ヒット街道驀進中、特に北インドで評判になっているとのこと。日本人の間でも好意的な感想がやたら目に付き、主催者までもが激賞している。しかし全くノレなかった。たぶんスーパーヒーローものの文法に慣れていないのが一番の原因。それから主人公の三下悪役顔が楽しめなかったこと。そしてスーパーヒーローものと神話もののロジックがどうも理解できなかった。ヒーローと最後の方で氷を突き破って出てくるあれとの関係は何なのか。なぜ辛気臭いウィビーシャナが狂言回し風に登場するのか色々分からなくてスッキリしない。例によって最終シーンで続きの予告がされる。やたらとサンスクリットのハムが流れる。ロケ地の一部はアラク渓谷。しかし海がそばにある設定。村が舞台だから資源開発の悪徳実業家でも出てくるのかと思うと、サウラ―シュトラ出身のマイケルは純粋にスーパーヒーローに憧れるメンヘラ。言及される映画はバーフ、プシュパ、バラクリが手をかざして列車を止めるChennakesava Reddy(だったっけ?), Superman (1980)など。トライブの村の設定。

Captain Miller (Tamil/2024)をイオンシネマ市川妙典で。 

40人ぐらいの入りだったか。血腥そうな植民地時代の話、ぐらいの予備知識で臨んだら、あっと驚くトライバル闘争ものだった。村の寺院への入場を拒まれている部族民青年が尊厳を求め軍隊に入ったところが、与えられた仕事は独立運動集会での無差別発砲だった。彼は上官を殺して逃走するが故郷の村からも拒絶され、ダコイトと見なされている反英武装組織のメンバーとなる。同時期に故郷の寺院の秘宝が英国人に持ち去られ、それを奪還したいラージャーから雇われて銃撃戦の末に秘宝を得るがそのまま逃走する。彼を追う英国人+ラージャーによって村人が殺されたのを知った彼は帰還して最終決戦となる。ゲストのシヴァラージクマールにえらくカッコいい見せ場。主人公と兄が村の祭りで踊るシーンでは明らかに彼らが飲酒していた。これは反サンスクリタイゼーションとして重要。そして、恩寵としてではなく権利の奪還としての「寺院入構」の意味づけ。神自体がトライブから奪い取られたものだった。さらにうっすらと歴史上のキャプテン・ミラーとの重ね合わせも。続編がありそうななさそうな。

Ayalaan (Tamil/2024)を川口スキップシティで。 

ポンガルの祝祭シーズン向けファミリー映画、というか子供映画。妙に評判がいいのだが、実見してあまり感心しなかった。Sparcという謎の宇宙物質を手に入れた悪徳実業家がそれを使って地球の最奥部まで掘り進めて資源の独占を図る。それを捜しに地球にやって来たエイリアンがお気楽農業家の主人公と共にそれに立ち向かうという話。子供向けのSFなのに全然科学的じゃないんだな。主人公は田舎で自然農法を実践する人物という設定。農薬の使用を拒むだけではなく、あらゆる動物への加害を認めない。つまりベジタリアンなのだと推測される。従って悪役との戦いにおいても人は殺さない(自滅して死ぬ人物は出てくるが)。その辺りが土台として弱いところ。エイリアンの能力、エイリアンと何らかの接触をした人間が獲得する能力、そして悪役が開発する高性能ロボットの能力などが場面場面でご都合主義で変わる。シヴァカールティケーヤンは持ち前の「お歌のお兄さん」的アピアランスがまさにはまっている。サプライズのプレゼントを演出する会社が脱法行為を前提としている点など、細部の詰めが甘すぎる。

Guntur Kaaram (Telugu/2024)を池袋ヒューマックスで。 

22年春以来のマヘーシュ、しかもASVRで台詞のカッコよさに刮目したトリヴィクラム作品なので、ぎっちぎちデーの中でも最優先で見に行った。現地の評判はいま一つらしいが、充分に満足。あのマヘーシュがグントゥールの唐辛子農家の鉄火男をやる。ドーティーをまくり上げ、煙草をしきりと吹かし、お国訛りで話し、すぐにカッとなる荒くれ。それをあの外見でやる。ノンシャランと荒くれの不思議な共存。台詞には「俺の肌色を保つには日傘が要る」「一線を越えるな/カバディじゃあるまいし」「俺がサインするのはファンに求められたときだけ」などなどのトリヴィクラム節。訳あって離婚して実家に戻り、その後再婚して政治家になった母、その母と完全に縁を切らせようとする母方親族と主人公との戦い。シュリーリーラは求められているグラマーをきっちり演じた。脇を固める中ではジャヤラーム、ラムヤ、イーシュワリが特に良かった。主人公は赤い車で軽快にグントゥールとハイダラーバードを往復するが、よく考えたら、AP州の分裂が起きてない世界線か。きびきびと小気味いい159分。

Bheeshma Parvam (Malayalam - 2020) をオンラインで。 

題名以外の予備知識なく見て冒頭でやたらと人名が多く出てくるので難しいやつだなと覚悟、早めに切り替わる字幕にも弱ったが、中盤からの怒涛の展開にほぼノンストップで見ることに(だが復習の2度見はしたい)。コッチの有力なシリアン・クリスチャンの一族に翻案したゴッドファーザーとマハーバーラタのリミックス。どちらのストーリーにも緩く符号するキャラクターやエピソードが盛り込まれる。マハーバーラタなら敗者の側になるビーシュマを無双のヒーローとした。ストーリー自体は先の読める単調なものなのにこれらの飾りが効いて飽きさせないものになっている。ヴァ―キー一族は政界、聖職者界、その他の実業界に進出して、映画にまで手を染めているが、堅実なのは傍流の息子がやっているスーパー経営。それがVarkey'sっていうのはオーケーなのか。それにしても、名門クリスチャン家庭を舞台にしたマラヤーラム語映画に特有の暗くささくれ立ったあの感触は何なのだろうと思う。不気味な生ける屍のように登場するKPACラリタとネドゥムディ・ヴェーヌの最晩年の姿。

Kadaisi Vivasayi (Tamil/2022)をオンラインで。 

文芸調の田舎映画。農本主義ユートピアへのあこがれをムルガン信仰と絡めながら描く。風光明媚な農村が舞台だが、多くの村人が離農してしまっている中、頑固に古式の農業を続けている老人が主人公。農地を売り、象を買った住人は象の儀礼参加で稼ぐ。売った土地では都会人の手でオーガニック・ファーミングが行われているという皮肉。老人が理不尽な理由から逮捕・拘留されるなか、意図することなく周りの人間を感化していき、伝統的な村祭りを復興するまでを描く。そこにアラヴィンダン映画を思わせるような不思議な稀人(老人の孫世代の親戚)がムルガン巡礼の中でふらりとやってきて飯を食っては去っていく。舞台のウシランパッティはマドゥライとテーニのちょうど中間のところで、画面にはパラニを思わせる巨石が写り、Sacred Rockと称されている。とても美しい一片なのだが、タミルニューウェーブのラウなあの感じとも、バーラティラージャーのヴィレッジ・シネマとも違う小綺麗な印象。VJS演じるラーマイヤが死んだ恋人が見えていて同行しているというのは旧作からの引用か。

Annapoorani: The Goddess of Food (Tamil/2023)をNTFLXで。 

設定は大変興味深いが、中途半端なメロドラマと、〇か✕かデジタルに勝負をつけるスポコン形式クライマックスを設けたせいでちぐはぐな印象。カースト禁忌と女性としてのハンデ、恵まれた育ちのライバルに加えて難病ものモチーフまで入れて、ヒロインの達成へのハードルを上げたのはいいが、それを絵解きするために挿入されるアニメがセンス最悪でしらける。監督ニレーシュ・クリシュナは過去作にマラーティー映画が1本あるだけ。ナヤンに加えて、ジャイ、サティヤラージなどRaja Raniの同窓会的なキャスティング。ジャイは脇役に徹すると割といい。ただし、アイヤンガール・バラモンの典座職にまつわるあれこれとか(お母さんは生理中の禁忌で調理場から遠ざかっていた)トリビアは捨てがたい。まあそれと、あざとくはあるけれどもインド的な宗教シンクレティズムを示そうとした点は分かった。各種のセンチメンタリズムを抑えて、味覚の天才がその能力を伸ばすところだけに絞った方が良かった。それと高級料理とは西洋料理であるとの偏見も出ていた。

2023のベスト 

1.Yaathisai
1.Viduthalai - Part 1
1.PS2
1.Jigarthanda XX
1.Leo
同率首位で5本

2.Maamannan
2.Mark Antony
同率首位で2本

全部タミル。トータルな意味で名作とは思えないけど印象に残った3本はテルグ。
●Kushi
●Baby
●Bhagavanth Kesari

今年後半からマンムーティの復調
●Nanpakal Nerathu Mayakkam

余りにも多忙で90本前後しか見られなかった。そして仕事で見たもの以外はほとんどが劇場鑑賞(手持ちDVD消化や配信がごくわずか)という異常な事態となった。

翔んで埼玉(2019)をNTFLXで。 

要するにここ2~3年の汎インド映画化みたいなのが気に喰わなくて、それで失われてしまうものを言語化する助けになるかと思って観た。原作は1983年、バブル時代の「トレンディー/ダサい」の対立項をパロディー化したものなのだろうけど未読。田中康夫『なんとなく、クリスタル』は1980年、そういう時代だ。漫画的なのは原作が漫画だからまあ許容。ポリコレ系の視点で見ると、農業・漁業がダサいもんの筆頭にあるのは本来なら警報ものだが、トレンディーとされている東京をゴテゴテ成金趣味にしたことにより中和されているか。が、それによって「東京以外に人生などない」と思い込んでいる東京人への批判は減じられてしまっている。お高く留まった東京人が耳にするだけでもおぞましいものとして草加、春日部、所沢などの地名が上がるが、あくまでも東京人が知っている地名でしかなく、行田の立つ瀬がない。まあ埼玉にしろ千葉にしろ豊かな地域だからこれが作れたんだな。ロードサイドの無味乾燥、県内の鉄道線網の起点が東京に集中し横のつながりがない件も指摘すべきだった。一番笑ったのはエンディングの「埼玉県のうた」。

Hi Nanna (Telugu/2023)を池袋ヒューマックスシネマで。 

事前予約は30人超だったけど結果的には50人ほど入っていたか。タイトルと宣伝画像から想像される通りのおセンチドラマで、あーはいはいと思いながら前半はかったるく見ていたけれど、インターバル前に驚きのツイスト。Hi Nannaは「お父ちゃん!」ではなく「~ちゃんのお父さん」の意味だったか。そして後半は行ったり来たりを繰り返しながらも小型のツイスト(ジャヤラームとアンガド・ヴェーディー)を盛り込む。カメラのトリミングで隠されていたことが最後に明らかになるというタイプの。子供、難病、ワンコ、記憶喪失などありがちなお涙頂戴モチーフを活用しながら独創的なストーリー。ただし例によってあり得ん脇見運転がキーになってたのはちょっといただけない。ウーティーとムンバイとゴアという舞台で、テルグ語地域が全く出てこないのは斬新。シュルティ・ハーサンが勿体ないようなアイテム出演。ヒロインの妹が隠れたところから突然登場するのはよく分からなかった。ジャヤラームの「我々は夫婦としてはダメだったが、親としてしくじるのはよそうじゃないか」が渋かった。

Street Dancer 3D (Hindi/2020)をオンラインで。 

公開時に劇場で観て以来の2回目。まあ余り乗れないのは変わらず。再見ではっきりしたのは、これはパンジャービー・ディアスポラの映画だということ。本来ならパンジャーブ語で作られるべきものだった。インド人もパキスタン人も皆ほとんどがパンジャーブ人。シク、イスラーム、ヒンドゥーの宗教的帰属、国籍上の帰属以前にパンジャーブ人。そこが一般の日本人観客に理解できるかどうか。分からないと抽象的な人道の話になってしまう。それとシク教徒男性にとってターバン、頭髪が持つ意味も。さらには黄金寺院厨房の給食に代表されるシク教徒の喜捨と救貧の精神も。ダンスの方は中盤のプラブデーヴァのソロ以外は組体操あるいはパルクールを観てるみたいで感心しない。それとクライマックスが近づくにつれて主人公たちのチームのパフォーマンスだけがグラフィック処理で飾り立てられるのが却って興を削ぐ。まあそれと「慈善の目的のために踊るから貴い」というのも、ドラマの組み立て上そうなるのは分かっても違うだろと思ってしまう。在英パンジャーブ人の当事者性からは遠いところにある感じ。

LEO (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

二回目。7割ぐらいが埋まった凄い熱気、ほとんどが日本人。以下、気になったところを列記。後半に意味ありげにカフェを尋ねて来る女性はVikramの中のマーヤー(演者はマーヤー・S・クリシュナン)だったことまでは分かった。Vikramを見直さないと。もう一人の意味ありげな男の方は誰だったか。それからラスト近くでリオが腕につけるカダーはMasterにゆかりのものだと思うが、Vikramにも関係があったっけ。それとも単にローケーシュのお気に入りのモチーフというだけのことか。どん詰まりのラストの「Sir, Just sir」の台詞の由来は何か。同行者は2回見てもまだアーントニの人身供犠という行動が呑み込めないようだった。悪魔教という説明やサンジャイ・ダットのビジュアルだけでは納得できないと。今日見た際には「イサクの犠牲」も連想したけど、そんな高級なもんじゃないだろと。ドスーザは死刑を数日後に控えた設定と分かった。このキャラはパールティはリオではないと断言するが、劇終でそれが嘘だったことが分かる、彼が語ったそれ以外の詳細なストーリーも嘘なのか?

Jigarthanda Double X (Tamil/2023)をイオンシネマ市川妙典で。 

10/24公開予定のDhruva NakshatramのFDFSがこけたため代替上映。前回追いきれなかった字幕が少しは判明した。客入りは前回よりも増えて、50人ぐらいになっていたようだった。前回も感じたのだけど、トライブを扱う映画が今年はどっと花開いたのではないか。それはRRRでもあったのだが、あれはスーパーヒーローの活劇で、丁寧な解題によってはじめてトライブに関して学習するというものだった。今年はYaathisaiあたりから始まって連発された印象。19世紀からあったというトライブの叛乱がやっと今になってサルベージされたのか。森に対する伝統的な権利を根こそぎにしようとする権力との戦いという意味ではKantaraとも通じる。森は平地以上に権力のむき出しの暴力が横行する領域だというのが体感できる。同時に、象たちの支配する領域の描写によって、神話の時代からのインド人と森の関係性にまで考えが及んだ。シェッターニは相変わらずわからない。明らかにヴィーラッパンの影があるが、この人物はトライブではないのか。

『RRR』という映画ににまつわる評論では、 

当然文化相対主義を信奉しているだろうリベラルの一部が、ガンディーが出てないからアウトとか、旗を振り回してるから国粋主義とか、自文化の薄っぺらい基準を持ち出して批判したのが多く見られ、底の浅さが露呈してしまったことが印象的だった。

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