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Viduthalai Part 1 (Tamil/2023) をイオンシネマ市川妙典で。 

ヴェトリマーラン、長編としては2019年のAsuran以来。西ガーツ山中ティンドゥッカル地方の僻村でのナクサル対特別警察の闘い。巻き添えを喰らう部族民、外国資本による鉱物資源採掘と、全部お決まりなのになぜこうも面白いのか。主演のスーリの身体性が立ち上がっていることは、予告編を見た段階で分かっていた。コメディアンとしてはヘン顔と黒い肌だけが突出していたのが、主役となって一気に全身が立体的になった。中年の入り口に立とうとしている男のいがら臭さ、篤実さを物語る丸身を帯びた造作、風雪に刻まれたゴルゴライン、白シャツの下の立体的な体躯などなど、ドギマギするほどに具体性を持って迫ってくる。この身体性を獲得した後に再びコメディアンに戻れるのかと心配になるくらい。一方VJSのキャラは2では膨らむのかもしれないが、本作中では敢えてグラマラスな悪役ぶりになることを抑制しているように感じられた。冒頭の列車を狙ったテロ現場から始まり、村の粗末な診療所、大石を乗り越えるジープ、終盤の屋根伝いの八艘飛びまでリアリティーが凄い。

Love Today (Tamil/2022) をNTFLXで。 

無印ながら随分話題になっていた。オープニングからスマホが話の中心にあるのが分かる。彼女のスマホが壊れたのでかなり奮発して新機を買ってあげた彼氏。二人の仲が彼女の気難しい親父にバレて結婚を前提とした話し合いになり、親父は二人のスマホをスワップして過ごすことを命じられる。お互いの過去のプライバシーが明らかになって荒れ模様の二人。並行して進む、男の妹の見合い結婚。妹がオーケーした容貌魁偉な男は、何事にも鷹揚で紳士的だが、自分の携帯を触ることだけは誰にも許さない。そのことで猜疑心を募らせていく妹。しかし自分の考えではインド人全般、スマホやメールのプライバシーが雑過ぎ。そういう領域まで家族・恋人・親友が立ち入っていいもんじゃないはず。触らせてくれないと怒るのは逆恨みじゃないか。それはともかく、ヴァーチャル空間とSNSに翻弄される若者を描いたものとしてLove Failureから格段の深化。スマホの功罪を印象的に描いた点で2.0をしのぐ。ヨーギ・バーブが演じるキャラは激シブ。巨大な体に静かな悲しみを湛えてただそこにいるのがグッとくる。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(USA/2022)を池袋グランドシネマサンシャインで。 

ヒロインの名前がEvelynなのは題名との頭韻なのか。ヒロインがADHD(注意欠如・多動症)の設定だというのは後から解説読むまで分からなかった。「2001年宇宙の旅」のパロディーだとはっきりわかるシーンがあるが、それ以上に黒いベーグルの含意するものに同作とつながるところがあるように思える。それから昔に星野之宣の漫画「クォ・ヴァディス」で見た絶対静止系の恐怖も思い出した。近ごろはやりのユニバースとマルチバースを理解したくて見たんだけど、マルチバースの方、単にボタンの掛け違いで、分岐点で別方向に行ってたらあったかもしれない別の人生というだけでスケールが小さくないか?マルチバースらしいマルチバースはお手々ソーセージ人間ぐらいだけど、おふざけでしかないし。まあそうはいってもおふざけは楽しい。あり得ないバカなことをするのが他のバースからの力を取り込むトリガーになるというのは楽しいし、画面にちりばめられたポップなアイテム(ギョロ目、アライグマ、ベーグルなどなど)も虚無的なアナーキーでよい。

Cirkus (Hindi/2022)をNTFLXで。 

気分転換で何か軽いものというのと、たぶん例のアレでやることになるから先回りしとこうと思って見たんだけど大外れ。最後まで見てローヒト・シェッティ作品と分かって納得。1942年、同日に生まれた2組の双子の片方ずつの入れ替えを行うマッドサイエンティスト(という設定ではないが実際はそう)。これをムラリ・シャルマーがやるというのはAla Vaikunthapurramlooが意識されているのか。「人格形成には血統よりも育ちが重要」ということを証明するための実験だという。これもまたAVのモヤモヤさせるラストを受けていると思う。4人の赤ん坊、片方の組はバンガロールの財界人の家、もう片方はウーティのサーカスの家で育つ。成長した4人が込み入った成り行きからウーティで鉢合わせするというコメディー。実験の主旨からすれば、両家の間にはステータスの差がなければならないけど、その辺りきわめて曖昧。ランヴィールの二役にしても、見た目で区別がつかないのはいいけど、実見の主旨に反してもキャラはもっとコントラストを出すべき。ジョニー・リーヴァルの自尊式挨拶はよかった。

Dasara (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

インターミッションあたりまでの粗筋を知った上での鑑賞。同じく炭鉱を扱ったWorld Famous Lover (Telugu/2020)と比べるとテランガーナ弁はあまり匂い立つ感じではなかった。絵としてはサティヤン・スーリヤンの手掛けた本作は圧倒的。前半は主人公のダリト性を炭鉱町の荒くれ酒場によって表現。Rangasthalamそのままの上位カーストの地主が出てくる。主人公ダラニは酒の力を借りないと何もできない臆病者とされながらもイントロシーンはほとんどプシュパだ。酒場への入場を巡りカーストの争いが起きて、ひとつの達成としてダリトが酒場を仕切るようになるのに、最後には酒場を悪の象徴として焼き払うというのが嚙み下せない部分。それから、サーイ・クマール演じるキャラが上位カーストでありながら弟との政治的な争いからダリトの側につくのだが、それ以上の展開がなくていいのか。そして真の悪はカーストではなく一人の男の欲情だったというの、スケールダウンの感がある。ラストはダラニと仲間たちがラーヴァナでもあり、ラーマでもあるというビジュアル。

Leader (Telugu/2010)をDVDで。 

粗筋書きのために10年ぶりぐらいに再見。飛ばし見するつもりだったけど、あまりの面白さに綿密なノートを取りながら全面舐めるように見た。最初に文句を書いておくと、後半に主人公が「大磯の老人」を恋人と共に訪れるシーンだけは状況が分かりにくかった。恋人同伴というのが暢気すぎるし、コンボイを組みSPを従えながら寄り道して畑の中で踊るというのがかなり浮いていた。前半のダヌンジャイ主催のパーティでのアイテムソングもそうだけど、御曹司のデビュー作ということで妥協して加えたものだろうか。ラーナーの演技力は未知数だっただろうから、なるべく素に近い、有産階級で米国生活の長い浮世離れした青年という設定にしたのは賢い判断だった。それにNRI映像作家としてのカンムラ自身を投影させることもできたはずだし。重要な悪役としてのスッバラージュの起用には疑問が残る。明らかにジャガンモーハン・レッディやMKスターリン、あるいはアラギリを思い起こさせるキャラなのに、線が細く弱弱しい。むしろ劣化コピーとして終盤に登場するMLAの息子の方が嫌らしさをこってりと盛ってあり良かった。

『RRR』の大ヒット、身も蓋もないけど、南インド映画にしては登場人物の名前が短くて(ラーマ&ビームだもん)、顔の見分けもつけやすいってのがあったかも。

Rangasthalam(Telugu/2018)を川口スキップシティで。 

5年前に自主上映が流れてから、配信では見ていたが、やはり感慨がある。字幕は読みづらくて最低。劇場だと、チッティバーブがかろうじて聞く音と補聴器で聞こえる音との違いがハッキリ分かる。それにしても、悪者を成敗してやりっぱなしのラストというのは近年の作品としては珍しいかも。プレジデントが最後に逃げ出すわけを見た後に尋ねられて思うところを述べたが本当にそれでよかったのか。「もの考える監督」スクマールらしいテーマと大胆なキャスティングだけど、プージャの出てくるアイテムソングだけは宙ぶらりん。プロデューサーからの要請だったのかもしれないが、よりによってヒロインを家に連れてきた直後に酒場の女と浮かれて踊るという筋書きにすることはなかったと思う。最後の方で倒れたダクシナムールティの背中が映り、聖紐がはっきりわかるという演出が心にくい。前半の、アーンドラ地方テルグ人の魂の源郷とでも形容したい田舎の描写は見事で、ずっとこの調子で3時間ぐらい見ていたい気にさせる。実際にはああいうところはゴミだらけだったりするのを知っているせいもあり。

Kabzaa (Kannada/2023)を川口スキップシティで。 

カンナダ人会主催ではないので、カ人率低く、30人以下だったかも。事前予習なく見にきて、結果的に3時間映画で、しかも2部構成というのが最後に分かる。独立闘争志士の遺児の兄弟が北インドからカルナータカに来て慎ましく暮らすが、権力者の横暴を止めた兄がむごたらしく殺され、弟はその報復で下手人の首を刎ねる。そこから地滑り式にアンダーワールドへと入り込み、次々に現れる敵と戦いながらのし上がる。その傍ら旧藩王家の令嬢と恋に落ち駆け落ち婚して家庭を築く。しかし妻は岳父に連れ戻されて、一方で超有能なエンカウンター・スペシャリストと対決することになる。そこに謎の中年男が割って入り…で終わる。予想通りKGFの劣化コピーとの批判が降り注いでいる。「恥ずかしくないのか?」という思いは当然浮かび上がってくる。しかしスディープにしろウペンドラにしろ、数年前まで臆面もなくテルグ・タミルのリメイクばっかやっていたわけで、これはKGFのローカライズした同一言語リメイクなんだろうと思う。カメラ担当のA J Shettyは良かった。第二部の実現可能性には疑問。

贔屓の引き倒しのファンダムって面倒臭いな。 

自分たちがどっぷりつかっている分野で自分たちが一番詳しいからこそ、ダメなものにはダメときちんと批判できないとさらに人を呼び込むのは難しいと思うのだが。

Athisaya Piravi (Tamil/1990)をDVDで。 

何かの記事でソシオファンタジーと知って気になっていた。ふたを開けてみたらチランジーヴィのYamudiki Mogudu (Telugu/1988) のリメイクだった。オリジナルの方はもうあまり覚えてないけど、字幕なしだったかも。ソシオファンタジーとはいえ冥界の描写はそれほど多くないが、いいアクセントになっている。マーダヴィの天女がケバくていい。閻魔帳の書き間違いで本来の寿命より早々と死んだ人間が閻魔に交渉して生き返りを図るというのは、ずっと前に見たPappan Priyapetta Pappanと同じでPPPが一番古いからこれがネタ元か。ストーリーはこれが一番いい。本作は似たようなアクションシーンがあまりにも多くて若干退屈なところがあった。チョー・ラーマサーミがヴィチトラグプタ役で出ていて、変なオーラが良かった。脚本も担当していたとのことで、北インドと南インドを併置したギャグが印象に残ったが、具体的に何をおちょくっていたのか分からず。生まれ変わり候補のオプションを見せられる場面が、ラジニの過去作品からなのは洒落ていた。

Amigos (Telugu/2023)をイオンシネマ市川妙典で。 

カリヤーン・ラームの本格的な主演作を見るのは初めて。カリヤーン兄ちゃん、一緒に並ぶとジュニアより大柄なんだが、オーラが足りない。ドッペルゲンガーを探すというウェブサービスで出会った3人が急速に仲良くなるが、そのうちの1人は指名手配中の死の商人で、そっくりさんを自分の代わりに仕立てて警察に殺させて、その相手に成りすまして国外逃亡を図るというスリラー。他人の空似はコメディーか生き別れのメロドラマかが大概のとこだけど、クライムで来たか。テルグ人、カンナダ人、ケーララ人の3人が激似で都合よくテルグ語を話すという設定以外は難なくまとまった展開だが、難がないため驚きもない。ロマンス部分にはストーカー&チートがあるがこれはテルグの標準か。3役のうち悪役が一番面白くなるべきところだが、眼鏡君の方が似合っていた。同じ3役もの、ついJai Lava Kusaと比べたくなるが、演技では全然問題外。ただ顔をしかめる時の苦虫の嚙み潰し方はよく似ていた。大根でも親父のハリクリシュナぐらいのレベルだとまた味があるがそうもいかず。ダンスの技能は未知数。

わたしはバンドゥピ(반두비、Bandhobi、2009)をユーロスペースで。 

イスラーム映画祭にて。以前別の映画祭で『ソウルのバングラデシュ人』の邦題で上映されたという。旧題で大体どんな話かは分かり、その通りだった。先進国的贅沢な悩みを抱える幼い17歳と、チッタゴンから来て肉体労働に従事し、韓国語も流暢に話すバングラデシュ人。この二人の対比からは当然韓国社会への痛烈な批判しか生まれず、実際青年は直截に「韓国人は醜い」という台詞を口にする。少女は自分の知る唯一のやり方で彼を慰めようとするが、それは過激すぎて失敗する。やっと二人が心を通わせたところで青年は不法滞在で捕まり強制送還される。少女は家を出て自立を模索する。全編を通してイタいのは、韓国とバングラデシュとの間での互いに対しての情報の不均衡。舞台は韓国だから仕方ないのだが、青年は韓国語をマスターし、韓国社会の隅々を知悉しいる上に、英語の世界の隠語まで知っている。それに対し、少女を始めとした韓国人キャラはバングラデシュについて何も知らない。終盤で彼女がバングラ飯屋で手食をするシーンも逆にイタい。ベンガル語を学ぶシーンだったらよかったのに。

Dada (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

「トリシュール行きの列車に乗って」という歌詞が謎だったが、どうもヒロインがマラヤーリ設定であるらしい。婚前交渉からの妊娠により心構えもできないうちに実質的夫婦生活を始めた若いカップルが喧嘩をして、夫が不貞腐れて電話に出ない間に妻は出産、けれども子供だけを残して夫の元から去ってしまう。夫は絶望しつつも何とか子育てして、数年後に職場で妻と再会し、そこから再び揉めるというストーリー。デビュー監督に無名俳優の組み合わせなのに異様なほど評価が高く、特に前半をnaitivityとrealityという語を多用して賞賛するレビューを読んだ。ただし、クライマックスだけは承服できない。古臭い親子泣き別れメロドラマの「運命の悪戯」みたいな手法が使われ、ビジュアルで「子は鎹」が表現されてげんなりする。シングルファーザーものだったらもっとリアルに子育ての苦労を描かないと。謎は幾つかあり、異様に献身的な友人の存在(ゲイ映画なのかと思ったほど)、それから主人公の経済状態の振れ幅。出産前は北チェンナイの団地みたいなところにいたのに後半では瀟洒なフラット住まい。

Vaathi (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

観客にタミル人が少なすぎ。タイトル以外の情報なしで臨み、冒頭にトリヴィクラム、バナーにNTRシニアが出てきて吃驚。監督はテルグの人だった。スマントの無駄遣いに涙。わざとやってるかと思うほど阿南先生30と似てるけど、サムドラカニの悪役はリアリティーに欠けて弱い。「E」の文字の独特の書き方。アルナーチャラム上映と思いきやまさかの特別上映でそこからまさかのマサラ上映になだれ込むシーンは凄い。村八分というか村からの追放とか、パンチャーヤトで決めてしまえるものなのか。先生をかばうと自分たちも村から追放されると言う父親に対して「どのみち俺らは村に入れないし、寺院にも入れてもらえないじゃないか」と言って先生をかばう生徒の台詞が痛い。その辺りからだんだん寓話風なテクスチャーになって行く。やりすぎな野党政治家を演じてたのはタンビ・ラーマイヤーか。旅芝居での演目がラーヴァナだったのには意味があったのか。懐かしいバーラテイラージャーのカメオ。ただし、インド教育ものは機会さえ与えれれば驚異の学力を発揮するキッズしか出てこないのがやはり難しいところ。

Hamid (Hindi/Urdu - 2018)ををTUFSシネマで。 

邦題は「ハーミド~カシミールの少年」。金子淳氏の解説付き。TKF以来意地になって観続けているカシミールもの。「無垢な子供の目から見た」系だと困惑するだろうと予測してまあそれは当たっていたのだけど、電話番号を巡り対立する2者が奇跡のように繋がるという面白い展開があった。ただそこから何かマジカルな飛躍が起きるのではなく、ごく常識的なやり取りで終わってしまったのがやや不満。サウス映画で主人公がカシミールに出掛けて行き、悪いムスリムをやっつけ、良いムスリムから感謝されるという頭悪いプロットを見慣れているので、本作のようなものをやはり見続けていかなければという気になる。解説で冒頭近くで父がほんの数分間行きずりの葬列に加わるシーン、あるいはゲリラの葬儀なのかもしれないとの指摘、あああと思った。I amにあったように、普通の人間がゲリラと化すような状況があり、だからこそ軍も住民すべてが信用できずに簡単にぶっ放す状況がある。父親の書いた詩と軍人が朗誦する愛国詩とが対照されるシーンが興味深かった。出てくる詩はいずれも素晴らしかった。

Shehzada (Hindi/2023)をイオンシネマ市川妙典で。 

いつもと違い日本人が少なく、多分5人以下。インド人は子連れ女性が中心という意外さ。Ala Vaikunthapurramulooのリメイクということで期待値も字幕読みの緊張感も低く臨んだ。オリジナルの165分に対してこちらは140分ほどとコンパクトになっている。ヒーロー&ヒロインのフランス旅行のくだりを省略して「問題を抱えた名家で外から来た異分子がかき回した末に家族の紐帯を回復させる」という基本形がより鮮明になった。原作脚本の最大の問題点、ナワディープのエピソードと結末の血統主義みたいなおかしな展開は上手く調整したと思う。でもただそれだけなんだ。アッル・アルジュンのスワッグというのがどれだけ原作のエッセンスだったかが痛いほど分かった。カールティク・アーリヤンという俳優の退屈さだけが印象に残るファミリー映画。そしてヒーロー以外のキャラクターの極端な類家化と単純化。唯一ラージパール・ヤーダヴだけが客の笑いを誘っていた。ヒンディー語は自分でも聞き取れるほどに単純で明瞭な発音でなるほどこれが最大公約数狙いの映画作りかと思った。

Cobra(Tamil/2022)をヒューマントラストシネマ渋谷で。 

渋谷インド映画祭の英語字幕枠。二度目の鑑賞。仮の邦題は「コブラ」。60席中16ほどが埋まっていた。公開時の180分から20分もカットされたバージョン。話が単純になって分かりやすくなっていた。どこをカットしたのか知りたくて以前にフルバージョンを見た時のメモを取り出してみたけど、終盤で2人が揃った後、トラムデポ~広告塔で戦って滑り落ちて意識不明になる怪我をしたのが弟の方だったと書いてあった。その後兄のカディルが弟マディになり切ってカディルの悪行を告発し、髪の毛も切ってCBIに協力する。この部分が完全に削除され、また広告塔の上で大立回りを演じたのは弟ではなく兄のカディルに変更。一人二役ものながら、敢えて外見上の違いをほとんど作らない演出だったからこういうことができたのか、それともこういう事態を見越して別バージョンも撮ってあったのか。考えても仕方ない。まあともかくゴスペルを歌うスコットランド国教会の牧師とか、あのよく分からないロックスターとかいろいろ笑える。母親が死刑になるくだりも。アーナンド・ラージとのシンクロ演技がいい。

Vendhu Thanindhathu Kaadu Part 1: The Kindling (Tamil/2022)をヒューマントラストシネマ渋谷で。 

渋谷インド映画祭の英語字幕枠。二度目の鑑賞。仮の邦題は「焼け焦げた森/第1章:発火)。席数60でまるで試写室だったけど、映画が始まればそういうことは忘れる。観客はいつも川口あたりに来ているメンツ+数人という感じで65%ぐらいの埋まり方。再見で幾つか分かったことはある。終盤でサラヴァナンの裏切りが分かった時、自分の手でお前を殺しはしないと言いながらもムトゥはその場の他の男たちに目配せをしていた。それから序盤で出てくるセルマドゥライとムトゥの母の間には昔何かがあったのかという疑問。彼をおじだと言うムトゥに対して、「母方か、父方か?」とアンナッチに問われるのだが、答える前に場面が終わってしまう意味深さ。ラウタルは死んだのか、シュリーダルはあの後どうやって恋人と共に逃げおおせたのか。続編で分かるのだろうか。Marakkuma Nenjamは久しぶりにラフマーンの底力を感じさせられたソング、あの明るい歌を運命の激流に流されていく主人公に重ねる妙。

Salaam Cinema(Iran/1995)をアテネフランセで。 

「イラン映画を福岡の宝物に(AIFM)」プロジェクト東京上映会の一環として。映画百年を記念した作品の公開オーディションに数千人が集まる。ほどんどがド素人。100人ほどに絞られてから監督と撮影スタッフがいるホールで実質的選考が開始される。その模様が複数のカメラで撮影され、それ自体が作品となったのが本作。映えるやり取りが選ばれて本編中に使用されればそれが俳優デビューになるという理屈で、面白くはあるけど、結局応募者がカメラに晒すのはオーディション応募というプライベートな行動である点が搾取を感じさせる構造でもある。監督はもちろん意地が悪い。けれどもそれ自体も演技かもしれない。色々なことをやらせるが、最後には「笑え/泣け」が試金石。ほとんどの応募者がいきなりそれは無理だと言う。しかしその抗議の仕方でも、男は弱弱しく、女は強気で我儘。演技などしたくないけど、映画に出ることでビザ受給資格ができて国外に出た恋人を追っていけるかもしれないという若い女性。二人の女性を相手にしての「芸術家は冷酷/温かい人柄であるべきか」という長々しい問答。

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