Salaam Cinema(Iran/1995)をアテネフランセで。
「イラン映画を福岡の宝物に(AIFM)」プロジェクト東京上映会の一環として。映画百年を記念した作品の公開オーディションに数千人が集まる。ほどんどがド素人。100人ほどに絞られてから監督と撮影スタッフがいるホールで実質的選考が開始される。その模様が複数のカメラで撮影され、それ自体が作品となったのが本作。映えるやり取りが選ばれて本編中に使用されればそれが俳優デビューになるという理屈で、面白くはあるけど、結局応募者がカメラに晒すのはオーディション応募というプライベートな行動である点が搾取を感じさせる構造でもある。監督はもちろん意地が悪い。けれどもそれ自体も演技かもしれない。色々なことをやらせるが、最後には「笑え/泣け」が試金石。ほとんどの応募者がいきなりそれは無理だと言う。しかしその抗議の仕方でも、男は弱弱しく、女は強気で我儘。演技などしたくないけど、映画に出ることでビザ受給資格ができて国外に出た恋人を追っていけるかもしれないという若い女性。二人の女性を相手にしての「芸術家は冷酷/温かい人柄であるべきか」という長々しい問答。