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Vikrant Rona (Kannada/2022)を川口スキップシティで。 

プレビュー書きのために散々現地レビューを読み、そして散々な言われっぷりを知っていたので、どんよりとした気持ちで臨んだ。前半1時間以上を使って怪しい奴らと怪しい出来事を一杯にぶちまけたのはいいが退屈だった。スディープのスタイリッシュなあれこれを見せたいのは分かったが。後半には色々動き出し、クライマックスは確かにビジュアルに驚きだし、種明かしとしても面白かった。が、スディープは演技らしい演技はせずにただカッコつけてただけ(アクションも含め)のようで、そこが不満。あのシーンでは、なぜあの化粧をしなければならなかったのか、そのあたり、アヌープ・バンダーリの作風と言うか、ストーリーが弱い所を神秘的な装いで誤魔化すというのが出ていた。監督は弟のニループのスター化計画をまだあきらめていないようだが、あの福笑い顔と大根ぶりでは無理だ。非スター主義ニューウェーブというだけで持て囃されてる気配があったバンダーリ監督、スター中のスターと組んで(たとえばローケーシュ・カナガラージのように)大舞台でも能力を証明したとはとても思えない。

Mayabazar 2016 (Kannada/2020) をオンラインで。 

この3年のカンナダ語映画を集中的に見るプロジェクトの一環。130分とコンパクトなクライム・スリラー。2020作品なのにタイトルに2016とあるのは同年後半の廃貨がモチーフになってるからだが、これに必然性はあったか?登場人物の誰もがこれを事前に知っていたかのように落ち着いてるのは腑に落ちない。ニセITレイドに絡めるにしてもイマイチ説明不足。廃貨のインパクトを最大に生かしたギャグは、やはりJai Lava Lushaだったか。最後の逆転芸にしても、どこから仕組まれたものだったのがか分からない。全体にほわんとしたぬるま湯状態で進み、ぬるま湯のまま終わる感じがしたのはセコいモニタで見たせいなのかどうか。芸達者が揃ったキャストだけど、深く感銘することもなく、ラストのオマケで現れて踊るプニートにいつになく感動した。本編に出てくる俳優たちと明らかに違うスターオーラがあったし、キビキビとしたダンスも良かった。サードゥ・コーキラのギャング兼政治家はタミル語交じりのカンナダ語を話していたように思えたが、何らかのあてこすりなのか。

きのう何食べた?(TVドラマ版)全12話をNTFLXで。 

最近コミックを読んだところで、その帯にある場面写真が、コミックからの再現性(特に内野聖陽)という点で凄いと思ったので。まあほとんどすべてが既知のエピソードで、それをどう映像化するかという興味。12回完結なので、最後の方にエモーショナルな山を持ってきて、そこだけはオリジナルと違っていた。まあそうなるか、と言う感じ。料理度は原作より低く、人間ドラマ寄り。しかしまあ、コミック、ドラマ、映画とこれだけ展開したら、やおい方面二次創作の方も凄いことになってんだろうなと検索したら、なんとオリジナルの漫画家自身が薄い本を出していたというのを知り引っくり返るなど。それから意味もなく出し続けていた英語字幕が大変興味深かった。

岩波ホールの経営の実態は相当厳しかった模様。 

QT:同ホールは一昨年2~6月にコロナ禍で休館、一昨年9月~昨年2月も天井の耐震工事などのために休館した。「再開後の観客増を見込んでいたが、逆に減ってしまった」と力社長。

コロナ禍の影響は確かに大きかった。岩波茂旦常務によると、作品による好不調の波はあるが、午後6時からの最終回の落ち込みがひどかった。観客ゼロで映写機を止めた回もあったという。

同社の売上高のうち映画興行収入は1~2割にすぎず、貸しビル業の賃貸収入は安定している。ただ利益面ではホール部門は赤字続き。「50年間で黒字になった年は数回しかない」と力社長。

…岩波律子支配人(現顧問、雄二郎氏の長女)は、課題の若い観客の取り込みに力を入れた。近隣の大学の先生に声をかけ、上映中の作品を授業で取り上げて議論してもらう学生支援プログラムも始めた。ただ「その輪がなかなか広がらなかった。今の学生にとって1500円は高いのかも」と律子氏。

nikkei.com/article/DGKKZO79820

Kanaa (Tamil/2018)をオンラインで。 

ちょっと異様なほど評価が高いので観てみたけど、あまり感心しない。アイシュワリヤー・ラージェーシュのスポーツウーマンとしての演技は満点。ガタイがいいのでボウラーとしての演技に説得力。最後の試合の場面は色々上手くいきすぎだけど、これは様式美というものか。シヴァカールティケーヤンは客寄せパンダとしての出演であることは理解できるが、Chak DeやBigilと設定が似すぎて、しかも早回しでチグハグ感あり。農民の窮状、女子のエンパワーメント、父娘愛、タミル人目線からの南北問題、などなど色々詰め込んだ。言語の問題は大きいが、長々しいヒンディー語や英語の台詞はタミル語に吹き替えられ、簡単な会話だけがタミル語字幕付きでヒンディー語で発声されるというのが、日本の一般観客には分かりにくいだろうと思う。ヒンディー語でのチーム内指示が対戦相手に読まれてしまったので、タミル語でのそれに変えた(発語しているのは恐らく北インド人)というのが肝のシーンだが、これも分かりにくい。国威高揚、女子のエンパワーメント、農村問題と、ご立派なテーマをぱんぱんに詰め込んで膨満感。

Garuda Gamana Vrishabha Vahana (Kannada/2021)をオンラインで。 

以前から焦ってたのをやっと鑑賞。噂にたがわぬマスターピース。前年のマラヤーラム映画AKと共にこの10年の最高峰と言っていいのではないか。Ondu Motteya Katheは中途半端な設定であまり乗れなかったのだが、本作でのラージ・B・シェッティは何かが乗り移ったよう。本作をPithamaganと比するレビューもあり、確かにそれはある。暗黒系バディームービーとして、片割れはやや世俗に寄ったキャラクターになる点も共通。ただ物語の風合いとしては嫌が応にもUlidavaru Kandanteを思い出す。あの、沿海地方でもケーララとは様相が違う、光の中の黒の粒子というか翳りというか、ともかくスミ濃度の高い絵面。塩気をたっぷりと含んだ熱風と、濃い影を際立たせる日差し。よくある流血サーガである以上に「太陽の光が眩しかったから」的な不条理世界を見ている気もする。『異邦人』と異なるのは神話世界との大胆な類推表現。カ映画に新たな血を途切れることなく供給しているのはトゥルナードだとの認識を新たにした。

Sulthan (Tamil/2021)をオンラインで。 

ヤクザの親分の家に生まれたが、高等教育を受けてロボット工学を修めた若者が、里帰りの際に警察のエンカウンターが準備されていることを知り、一族郎党の命を守ろうと脱ギャングを試みる。亡父が最後に請負った暗殺の仕事ののためギャング一味はセーラムに行くが、そうとは知らない主人公も同行し、紆余曲折の末、ギャングたちを農民にしようとする。敵が無茶苦茶すぎるため、平和主義者の主人公もついに武器を取り、「暴力は正義」に至る。割と古臭いマサラ風味のアクションで、ヒロインや悪役の扱いなど、ご都合主義もいいとこだが、それなりに見せる。カールティの顔が変化に富んでいて、特にクライマックスにかけての表情が美しく、まさにテーラーメイドといった趣。例によって筋肉もりもりじゃない体でカッコよく戦う。農本主義のメッセージもあるが、カンナダ映画のそれほどには泥臭くも力強くもない。ガングロ&ロン毛のラウディー集団の造形にはチェンナイ・エクスプレス味がある。虚構性が高いので、Thevar Maganと比べるのはどうか。ヨーギ・バーブもサティーシュも途中から消える無駄遣い。

RRR (Tamil/2022)をオンラインで。 

ヒンディー版の記憶が新しいうちに観てみた。舞台設定やキャラクター異同は全く分からなかった。ヒンディー語で話しているシーンも結構多い。タミル語も、タミル語と強烈に感じることがあまりない滑らかな言葉に聞こえた。再見して分かったのはベタベタとも言えるくらいの神話モチーフの繰り返し。時はジョージ5世時代、ニザーム領アーディラーバードのゴンド・トライブの若者が仲間と一緒にデリーまでやってきて、近郊の森で猛獣を集めるとかほとんど現実感はないのだが、その辺りは強引に進める。部族民と関わりがあると言っても、ラージュはゴーダーヴァリ沿岸、ビームはテランガーナだから相まみえた可能性はない。しかしこの組み合わせはアーンドラとテランガーナの融和への希求を暗示しているとも受け取れる。現実のラージュの父もヴェンカタ・ラーマラージュという名前で、ラージュが8歳の時に他界しているが、類似点はそこまでで、どうやら中産階級の人だったようだ。また作中ではラージュの聖紐に若干の意味が添えられていたが、この人はクシャトリヤに属していたようだ。しかしジャーティなど詳細は分からず。

RRR (Hindi/2022)をオンラインで。 

SNSで映像がどんどん流れてきてしまうのに腹が立ったので、ヒンディー語版でもいいやという気持ちになって観た。3時間弱だが長さは気にならない。望まず見せられてしまっていたサワリ映像はこういう文脈だったのかという謎解き。全体としてはバーフのようなグルーヴ感に欠けるが、バーフ未見の観客なら熱狂するかも。テルグアクションのエッセンスである重力への華麗な挑戦、発射されて突き進む弾丸との競り合いがこれでもかと繰り返される。コンビのうちRCの方に見せ場が多く用意されていた。弓のラーマと怪力のビーマという別々の神話の系統にある英雄がひとつの画面に収まることの快感、ビーマがランカー島のハヌマーンに変貌する驚き。ただし、時代考証はかなり緩い。英国人女性のファッションは支離滅裂、総督の親戚の娘が自分で車を運転しちゃうとか乱暴だし、森の戦いのシーンで話をしているのは無線という設定なのか、まるでケータイだった。アーリヤーは無駄遣い。ラストのソング&ダンスは楽しいが演芸会的テイストでスタイリッシュではない。何度も繰り返される空中戦でカッコいいのはジュニアと猛獣たち。

Jyothi Lakshmi (Telugu/2015)をオンラインで。 

熱望すれど見ることが叶わなかったのがいつの間にかアップされてた。同名女優の伝記映画ではないし、評判にならなかったのは知っていたので心して臨んだ。どうも半世紀近く前のモラリストの小説を元にしたらしい。PJが愛人とされるチャールミーのあんなとこやこんなとこを舐めるように愛でてフィルムに残したかったのはよく分かった。前半はシュールな恋愛譚としてそこそこ上手く行っていたが、繋ぎが悪くロジックが破綻。トップの女郎が急に貞淑な妻になること、女衒の手下が最後に彼女の味方になること、大元締めが逃げた彼女を泳がせたままにすること等々、ルーズな脚本。そもそも後半は、売春を撲滅したいのか、売春に職業としての尊厳を求めたいのか、単に手入れの際に女郎だけが報道される(そんなわけないと思うが)のを止めたいのか、何だか分からない。雑キャラヒーローのサティヤデーヴは、デビュー作でのヤシュを思い出させた。新婚初夜にゴム製品の使用を拒んで揉めるというプロットは本作の雑さ加減の典型かも。舞台はHYD旧市街のはずだけど途中から海が出てきたりして不可解。

Pushpa: The Rise (Telugu/2021)をオンラインで。 

KGFと並び称されるサウス巨艦。しかしポスターにどうも食指が湧かず。動画を見たら変わるかとも思ったけど、バニーがもっさりした感じがどうも受け付けなかった。冒頭の日本のアニメで滑った。アッル・アルジュンは野生の狂気を出そうとしてぽってりしてしまった感。題名が示す通り、ギャングの人生の上昇部分をまず描くのだが、KGFと被ってる感が強すぎ、同じもっさり男でも、KGFの方がスタイリッシュに思えた。その感触はダンスシーンが伝統的な造りであることによってさらに強まる。私生児として生まれて差別されたことが暴力的な上昇志向の原動力であると説明され、またそこにはカーストの問題があることは察しが付くが、KGFのあのどうかしてるオカンのど迫力を見てしまうとこれもまた弱い。ただし、着想のもとはむしろGangs of Wasseypurの方にあるのではとも思った。サマンタのアイテムダンスはこれまでにないエロさ。離婚と関係があるのが。ファハドは5言語版全てセルフダビングだそうで、ともかく役の作り込みが見事。ダナンジャヤは勿体ない使われ方。

Soorarai Pottru (Tamil/2020)をオンラインで。 

大評判作品をやっと観た。立志伝中の在世中人物の伝記をイケメン俳優で作るのには食傷している。塵埃の中から立ち上がり成功する人物を讃えることに忙しく、塵埃の中に留まり続ける無数の人々には目を留めない傾向から。本作が他作品と違うのは、主人公が高みに上るだけではなく、底辺の人々が利益を得る結末になっていること、とんとん拍子に行かないプロセスの描写がマハーバーラタ的格闘で最後まで目が離せないこと。スーリヤの血管ブチ切れ演技が上手く組み込まれ、アパルナの鉄火とのケミストリーも上々だった。格安航空のプロモでもあるサクセスストーリーであるとともに、夫婦愛の物語だがベタベタしないのがいい。夫が夫なら妻も妻という肝の据わった豪胆さ。前半でのマドゥライ地方の絵になる風土の描写もいい。ただしモデルになった人物はカルナータカ出身とのこと。まぜマドゥライなのにDeccan Airと訝しく思っていたのだ。パレーシュ演じる悪役が、下賤な人々を招き入れないためにあえて航空運賃を高くしているという趣旨のことを言うシーンが非常に分かりやすくて良かった。

Love Story (Telugu/2021)をオンラインで。 

テルグ人の知人が最近のテルグ語映画の中でダリトを登場させたものとして目覚ましいと評したのを聞いて。オープニングでシェーカル・カンムラ作品と知り、必見だったと改めて知る。カースト・宗教の違う(しかも逆毛の)カップルの恋愛譚となれば流血は当然予想されるが、それは脇役の別のカップルのエピソードで済ませ、カンムラらしいデリケートな恋模様を描くのに時間を割いたのは好感が持てる。最後の場面だけは典型的テルグ映画になってしまったが。『パリエルム~』と違い、ヒロインを無垢の天使にせずに、沁み込んだ差別的言辞を口にするエピソードを加えたのが画期的。また、カンムラは「都市の自由」を信じかつ愛しているとも感じられた。舞台はハイダラーバードとニザーマーバードの小村だからテランガーナ映画と言える。NCは例によってぎこちないが、オーラのなさがこの役には非常にフィットしている。この人はもうこういう路線しかないのではないか。チャイルド・アビュースを持ってきたのは悪役を「殺されても仕方ない奴」にするためのギミックだったが、これはスッキリしない後味を残した。

Zindagi Na Milegi Dobara (Hindi/2011)をオンラインで。 

もともとかなりのデタッチで臨み、2:34を何とか耐えた。スペイン政府観光局全面スポンサード作品。以前やはり辛かったプニートのNinnindaleはこれの模倣だったのか。そして見ながら漠然とDil Chahta Haiを思い出してたんだけど、後からレビューを読んで関連作だったと知った。しかし自分が感じた共通点は、どちらも外国で溢れんばかりの富を前提にした物語だということ。冒頭3人がファースト/ビジネスクラスでスペインに向かうシーンに端的だが、全てが金の力で滑らかに整えられ(さらに観光局のバックアップまで)、異郷の空にある不便も、言葉の通じなさも、白人からの見下しも全く描かれない。これがロードムービーとしてのリアリティーを損なって、金持ち息子のグランドツアーを眺めさせられている感覚にさせる。警察沙汰を起こしてすら全く緊迫感がないんだもの。ただひたすらにお洒落にまとめられた映像だけど、土地とそこに暮らす人々への憧れも畏敬もなく、全てが自分に奉仕するためにあるとでも言うような、風物の消費の感覚が辛かった。

Nadunisi Naaygal (Tamil/2011)をDVDで。 

スリラーかホラーらしいという予備知識だけで臨み、冒頭クレジットでガウタム・メーナンの名前を見てちょっと驚いたが、ストーリーが進むにつれてあまりの安っぽさに冒頭で見たのは勘違いだったかと錯覚。しかし最初の銃撃のシーンとかは無駄なくらい凝っていてニューウェーブなのかと期待を持たせた。しかし警官役で出てきたデーヴァという俳優が余りに素人臭くてドッと減点。サミーラ・レッディに似たヒロインだと思ってたら本人だった。サミーラの演技はファーストクラス。主役のサイコ野郎は半端にイケメンで印象に残った。まあストーリーは単純で、幼少期の性的虐待が異常犯罪者を生んでしまうというものでそこには捻りもない。カマルのSigappu Rojakkalの線だし、ミシュキンのPsycoは遥かに細心に彫琢されている。ただし、後半の種明かしの前までの犯罪部分は非常にリアリティーがあり、息苦しいほどの怖さがあった。教育的な目的で撮られた作品なのだということはよく分かった。ラストでサマンタによく似た女優が出てきたと思ったら本人だった。絶頂期のガウタムの珍品。

F3: Fun and Frustration (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

下らないことは前もって承知の上でデタッチメント充分で臨んだ。ギャグもコメディ演技も80年代のものように古臭い。ヴェンキーの強みはコメディーとはいえ、こういう形で演技にしがみついているのを見るとは。癲癇発作に鍵の束を掴ませるギャグの出元は分からなかった。タマンナーの男踊りはなかなか上手い。映画ネタ、事前に知っていたもの以外にNannakku PremathoとGaddalakonda Ganeshも。重要なのは終盤にNutflixとNamazonというブースの前で主演二人がそれぞれNarappaとVakeel Saabに扮して暴れるところ。汎インディア作品やOTTリリースに対して(さらにはシネコンでかかるハイブラウ系リアリズム作品にも)屈折したおちょくりが発される。最後に登場したタニケッラ・バラニの演じる警官が「コテコテのテルグ映画舐めんなよ」みたいな台詞の後にyou are under arrest で締める。タミル、ケーララ、カルナータカのアサシンのうち、カルナータカの黒衣集団は謎。

Chantabbai (Telugu/1986)をDVDで。 

「アトレヤ」にインスピレーションを与えたというので観てみたかった。Shalimarの英語字幕はやっつけ仕事で、気が向いたところだけ訳すというぐらいのスカスカ。おかげでキャラの名前や相関関係をきちんと把握できずあらぬ方向に行くこと数回。探偵事務所の雇われ探偵パンドゥが片思いしてるジュワーラが殺人強盗の犯人に仕立て上げられそうになったのを救うというのが前半。事件解明のカギは実に素朴。「茶色い車が停まってた」とかそんなの証拠にもならないのだが。後半は、ジュワーラの女友達の父親である病院長の行方不明の息子探し。婚前交渉から生まれた息子を認知せず母親と共に放り出したという鬼畜エピソードはサラリと流され(先が短いので終末儀礼をしてほしい!)、息子と名乗り出た偽者を見破る話がメインに。最後にパーンドゥがその息子と分かったところでやっと母子家庭の苦しみが吐露されるのだが、ゴチャゴチャ言ってるうちに和解の大団円。まあロジックをどうこうする作品ではないことは分かる。アッル・アラヴィンドのシュールな刺客(ただし訓練用の仕込み)というのが一番衝撃的。

Suzhal: The Vortex (Tamil/2022)をSPAPで。 

イマイチな日本語字幕で。邦題は『運命の螺旋』。1話40~50分のもの8話がファーストシーズン。2日かかりで見た。こういうのには劇場映画とは違う独特のリズムがあるものだけど、本作ではそれが上手くいって、続け見したくなるものだった。惹きこむ力は強いけれど、スリラーとしては7合目程度でほぼ犯人の予想がついてしまってドキドキはなかった。カディルはいつものあの調子で、演技力がないとは言わないけど、芸域は狭い方だと思う。シュレーヤー・レッディは初見がお巡りさんで、本作でもお巡りさん。ストーリーは何度もDrisyamに行きかけては戻るという危うい離れ業。中心テーマは凡庸で、神話と重ね合わせるというのもお決まりの手法。ただ、女性のきゃらがいずれも強く、それぞれに個性的。幾つか未回収のエピソードもあったように思う。25年前の女児の失踪とか、マラールの父と兄の敵愾心とか。女神カルトの村人たちはほとんどが低カーストだろうが、ダリトではなさそう。ヴァッデ親子は北インド出身なのか。作り物臭くはあるが、テールクーットゥをもっと見たかった。

『トゥルー・ヌーン』(タジキスタン、2009)をアテネ・フランセで。 

原題も「True Noon」。福岡市総合図書館所蔵作品アジア映画セレクションの東京出張上映にて。某研究会行事として一度は顔出ししておかなければならなかったのもあって。しかしどうも驚きのない予定調和のストーリーにデタッチ気味だった。国境の非情さと、その裏に隠れた戦争の非人道性を告発するものなのだろうが、寓話としてはあまりにも単純で、作られた悲劇の作為性が鼻につき、さあ泣けと言われている感。むしろ、郵便局でもめ事を起こすヌスラットの不平青年のキャラに注目したくなるのだが、この人物は途中からただのモブになってしまう。わざわざ寓話で悲劇を創作しなくとも、世界は個別の悲劇に満ち溢れているのに。ただし、背景を知らないから平板なものに見えてしまっている可能性は大いにある。『ワールドシネマ・スタディーズ』という書籍内には、「トゥルー・ヌーン タジキスタンの国境問題と地雷問題:ソ連時代からの負の遺産」という分析があるとのことで、いずれ読みたい。このエッセイも参考になった。jcas.jp/13-2-36_jcas_review_ok

Mishan Impossible (Telugu - 2022)をNTFLXで。 

Agent Sai Srinivasa Athreyaのスワループ監督の次作とのことで期待を持って臨んだが、ダメダメだった。部分的に面白い台詞や面白いシチュエーションはあるものの、メインの子供三人組とタープシーのチームとを繋ぐものが弱すぎて納得できず。前半の田舎部分で子供たちの石器時代みたいなもの知らずが描写される一方、後半のミッションではありえないくらいの有能さと運の良さが出てきて、全くつながらない。RGV大好きな子供がダーウード・イブラーヒームを自分が捕まえられると思いこむとか無茶だし、ジャーナリストが極悪犯罪の捜査の主導権を握るとかもインポッシブル。リシャブ・シェッティのカメオは嬉しいが、もうちょっと面白く演出できただろうにという無駄遣い感あり。子供たち、携帯は全然使ってないんだっけ?ナヴィーン・ポリシェッティが吹き替えをやっているとのことだけどどこだったか分からず。ハリーシュ・ペーラディは例によってバカの子ちゃん路線での使われかた。ボンベイのムンバイへの改称はやはり南インドでは浸透していないのか。

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