Chola (Malayalam/2019)をオンラインで。
2019フィルメックスで『水の影』の邦題で上映されていたのを必要に迫られてやっと。一本も見ていないシャシーダランを、なぜかグロ映画を撮る監督と思い込んでいたけど、そういう意味では問題なかった。Kappellaとかが描いた問題の大本はこれだったかと今更ながらに眼が覚めた。ニミシャとジョジュの演技は鳥肌もの、共同プロデューサーにジョジュと共にカールティク・スッバラージが加わっていたと知り吃驚。後半でのヒロインのやや不可解な行動は、錯乱からというよりはある種のストックホルム症候群だろうかとも思ったのだけど、後から監督のトークを読んで、もっと身も蓋もない理由だったのだと知りどんより。それからレビューを漁るうちに、ラーマーヤナと関連付けるものに当たり、膝を打つ。最初と最後に現れる尤もらしい寓話も、最後に大地が身を震わせるというのを考えれば確かにそうだ。ただ、寓話という考えが浮かばないほどに、キリキリするリアルさが全編を貫いている。特にクライマックスの圧倒的な水の存在感。源氏の宇治十帖のもの恐ろしい滝の音」というのを久しぶりに思い出した。
Kunju Daivam (Malayalam/2018)をYTで。
素人臭い英語字幕付き。ジヨー・ベービ作品なのにThank Godで始まる。前半は田舎で育つ純朴な少年のあれこれを童話調に描く。汚れた大人と純粋な子供の対比と、子供が初めて直面する死が基調。後半で、優等生ながら難病を持つ9年生の少女が現れ、6年生の主人公が腎臓移植を助けるために奔走する。「物の分かった」大人たちは少年の奔走を空回りと見て、鎮めようとするが、彼は矯められることがない。金の工面はできた者の、腎臓の提供者が見つからずにいるところに、名乗り出たのはデカい図体を持て余した万年子供のシブだった。きれいな良い話だったのだけれど、今一つ食い足りない。つい比較してしまうのはManjadikuduで、こちらも子供の純粋と大人の不純とが対比的に描かれたものだったけど、そこにはもう後戻りのできない大人の已むに已まれぬ事情があったし、自分の力ではどうにもならぬことがあるのを初めて知る子供の消沈があった。前作2 Penkuttygalとは違い社会の抱える問題は前面に出てこず、これは児童を描いた児童映画と言っていいものなのかと思った。
2 Penkuttikal (Malayalam/2016)をオンラインで。
このタイトル、よく考えたらRandu Penkuttikal (1978)のranduを数字に変えただけのものものだった。劇中でTVに1978年作品が写って吃驚。北ケーララの山地部でイングリッシュ・ミディアム校に通う(6年生だったっけ?)2人の女の子物語。2人はまだモールに行ったことも海を見たこともない。後者の設定はKapellaを思わせる、そして劇中にはやはりカリカットでの危ういシーンが。メインテーマはこの2人がそれぞれのやり方で女性を取り巻く差別的な状況を学んでいくというものだが、同時に階級の格差とそこにある差別も描かれる。圧巻は貧しい方の家の女の子を演じるアンナ・ファーティマだが、その子が成長した姿としてアマラ・ポールを持ってくるのはどうかと思った。ともかく、アンナの野太い声はこれまでの子役にない迫力。貧しい家の子は、途中からマラヤーラム語ミディアムの学校に移るのだが、硬直した英語ミディアム校よりもむしろ創造的な教育をしているエピソードも。最初はダメ人間に見えた貧しい両親が子供の学びを助けて行く描写も。
Lakshmi's NTR (Telugu/2019)をオンラインで。
お騒がせRGV監督の露悪映画と思っていたけど、しっかりと掘り下げた愛憎ドラマになっていて、お見逸れしましたというところ。現地の評判は悪く、プロパガンダ映画という文言も散見されるが、プロパガンダ上等ではないか。主人公であるラクシュミはあくまでも無辜の人として描かれていたが、そこに目くじらを立てても仕方ない。老いたNTRのセリフ回しにまず唸る。実際にそうだったのかどうか分からないが、実生活においても朗々と文語調の台詞回しで喋るというのが、見事であり、皮肉でもある。そしてラクシュミは常にNTRをスワミと呼び、こちらもバクティ映画を地で行く人として描かれる。シュリーテ―ジのCBN役は、完全に悪役の造形だが、騒々しいBGMが邪魔ながら見事な芝居。予告編でNBKだと思い込んでいた人物はモーハン・バーブだった。ともかく、ラクシュミのNTRへの献身、宮廷クーデタの描写など、全てがマハーバーラタ。特にCBNにつくMLAが当初僅かだったのを、Eナードゥが「多数参集」と書き立てて攪乱するなど、灯火で敵を大勢に見せる戦略そのものではないか。
Brahma Janen Gopon Kommoti (Bengali/2020)をオンラインで。
TGIKと並び必見のような紹介をされてたので。しかし、こっちはフォーマット的には懐かしのバラモン・コメディーの体裁。そこに「女性を穢れと見なすな」というメッセージをうまく落とし込んだ。ヒロインは常人離れした美貌と知性と胆力をもち、大学の講師にして歌の名手、女性の保健衛生意識覚醒のための運動家、なおかつ女性僧侶もこなす、スーパーなキャラクターとして描かれる。それらをこなした上で、婚家では家事労働まで引き受ける(住み込みの複数のお手伝いがいるのだが)。まあこれはヒーロー映画でヒーローが描かれるのと同じ。悪役のプージャーリはあそこまで戯画化される必要はあったか。その悪役との決闘シーンは芸道対決みたいで良かった。もっと長く見せてほしかった。TGIKが「科学に感謝」なのに対して、こちらはあくまでも神の前での両性の平等を突き詰めようとするメッセージ。なので果たし状を突き付けて終わりでは済まない。融和を描くのにコメディーという形式はふさわしかったのだろう。しかしダリトと愛し合った女性のエピソードは不発。
『コンフィデンシャル/共助』(공조、2017)をオンラインで。
まあほんとによくできたアクションで、十分に金がかかってることが分かるチェイスシーンを始めとして、信用できない相棒、ハイテク戦、ニセ札原盤、廃工場と埠頭での銃撃戦、時限装置付き爆弾を仕掛けられた人質、それに適度なセンチメントと、アクション映画の教科書に載ってるものを全部入れて、適材適所過ぎる俳優を配置してよどみなく作った職人芸の世界。しかし本作をスリリングにしているのはやはり南北のぶつかり合い。北の国家ぐるみの犯罪の資源を盗み出した人間をストーリー中でどういう位置づけにするのかというのは結構キツい問題だと思うが、そこはヒラリと回避して、主人公の個人的な怨恨の向かう先としてしまった。したがって南北の刑事の友情は個人のレベルに留まることになった。ちょうど印パキものみたいに。面白かったのは、何でもない食卓でのやり取りで主人公が北の人間だと分かるところ。それから南北の刑事がそれぞれの国の体制をディスり合うシーン。経済状況をディスるのだが人権問題には触れないあたり。
Bajirao Mastani (Hindi/2015)をDVDで。
公開時にインド人自主上映で見て以来の再見。初見時にはただただかったるくて、158分終わった後にはゾンビみたいになった記憶あり。まあ総体としての印象は変わらないものの、字幕の理解度が上がったので随分マシになった。歌詞よりもセリフに織り込まれる韻文が良かった。それから衣装も見応えがあった。女性のものより男性のものにヴィジュアルな驚異がある。解説が必要だと思ったのは、①バージーラーオがバラモンでありながら武人である(宰相兼将軍)という点、②反逆者ではないのに事実上の統治者だった点、③マラーター王国史の中での位置付け、④プネーの宰相府とサーターラーの王府との関係、⑤マラーター王国におけるシヴァ派とヴィシュヌ派との関係、⑥ライバルとしてのムガル帝国とニザーム王国との関係、⑦ブンデールカンドとの関係、というあたりか。例によって絢爛豪華な王宮絵巻なのだが、ややもするとパンジャーブ人の成金あたりが客層のゴテゴテしたリゾートホテルみたいに見える。それもエステルーム。マスターニーの最期は美麗だったが、現実だったら糞尿まみれだったよなとも。
『五月十三日 悲しき夜』(五月十三傷心夜、1965、台湾)をNFAで。
「よみがえる台湾語映画の世界」特別上映の一環として。親を亡くした姉妹が手を取り合って成長するも、同じ男を愛したために三角関係でその絆に亀裂が入る。またそこにパワハラ&セクハラの好色社長が毒牙を掛けようとして犯罪が起きる、というメロドラマ。60年代のあの髪型とチャイナドレスで女優たちは女神のよう。ただし若干顔の見分けがつきにくかった。一方で男の方はなんだか冴えない。先日の『ちまき売り』と同じくほとんどがセット撮影。慎ましい二姉妹の家やファッションは映画的美化の賜物か。日式住宅みたいなのも出てきて興味深い。ナイトクラブに中華式パゴダの装飾があるかと思うと、飲み会会場が完全に日本の座敷だったり。妹の方が連れていかれるデートが猛禽撃ちとはワイルド。姉と男が出かける男の実家は、野柳とか、台北の北の海辺だろうか。男の母親が「私だって若い頃は積極的で、この子のお父さんとは空の舟の中で結ばれたの」などと笑顔で話すのが印象的。姉と男が最初に顔を合わせるのはナイトクラブでだが、その時二人は既知の仲として描かれて説明がないがいいのか。
Tughlaq Darbar (Tamil/2021)をNTFLXで。
英語字幕付き。自分の受け入れ力が落ちていたのか何なのか、全くダメだった。現地の評価はそこそこ笑えると言ってるのと酷評とが混じってる。ズブズブなリアリズムの政治を志す男に異変が起き、時々別の人格が現れて体を乗っ取り、人々のための善政を敷くというサタイア。その二重人格が作劇の上でうまく機能しておらず、またVJSの芝居も気が抜けたようなアパシー。サイドキックのカルナ―カランも同じくただの砂糖水。全体的にペラッペラの安い風刺劇。パールティバンはいい味出してたけどNRDの焼き直しという感じ。最後にCM役で出てくるサティヤラージは、今時珍しく登場シーンで実名テロップつき。Amaidhi Padai (1984)のナーガラージャ・チョーランのその後の姿という設定で笑えた。舞台は北チェンナイではなくマイラープールという設定だが、明らかなスラム。北チェンナイを舞台にするのがはばかられてこうなったのか。航空写真でここだろうかというところがあるのだが特定できず。政治を巡る痛烈さではスーリヤのNGKの方がずっとヒリヒリするものを持っていた。
『MASTER/マスター』(마스터,2016)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」にて。よくできたアクション。ただしアクションバリバリになるのは最後の20分ほど。そこに行くまでにはマルチまがいの経済犯罪の悪どいやり口と、サイバー捜査で肉薄しようとする警察の攻防が描かれるのだが、仕組みがさっぱりわからない。分からないけど安心して見ていられるのは娯楽映画ならでは。特に「大磯の老人」みたいな、ソウル都心部に住む謎の大富豪老婦人(アジア通貨危機でも裏で立ち回ったのだという)がホントに謎過ぎるのだが、気にせず見ていられる。冒頭からかっ飛ばすマルチ商法的金融詐欺師のたたずまいが某科学の宗教団体の代表そっくりのイメージで冷や汗が出る。イ・ビョンホンにそっくりだなと思ってたら本人だった。エンドロールはタダのスクロールなので打ち切ろうと思ったけど、ぼんやり眺めてたら最後にオマケがついてきた。それから主人公の刑事の自宅が、まるで研究者か著述家みたいな蔵書であふれていたのだけれど、あれには何か意味があったのか、ちょっと気になった。
Thalaivii (Tamil/2021)をオンラインで。
ヒンディー盤と結構差異があると聞いて我慢できずに。始まってすぐのMGRとサロージャ(という名の女優)とのフォークロア劇の撮影シーンがT版にはあったが、H盤にはなし。MJRとその最初の顔合わせでジャヤが上手く絡めないところを、振付師が指導する短いショットがT版にのみあり。それ以外では、キャストを替えて撮っただけあってヴィーラッパンとのやり取りの部分に違いがあった。メドゥワダを巡るやり取りでは、RNVが逆襲でジャヤにメドゥワダを贈るシーンがHにはあった。それから、デリーから戻ったジャヤにRNVが「お前みたいな間は何人も来ては去っていった」というのを、後でジャヤがそっくりそのまま返すシーンがHにはあった。ジャヤとRMVとの和解のシーンの台詞も変わっていた。逆にHになくてTにあるのは、CMに就任したジャヤのオフィス前で閣僚たちがジャヤをバカにして声高に話すシーン。総じてH版ではタミル政治に疎い観客にも理解されるようにする方向でロジックをうまく転がすためにRNVの悪役性を高めた印象がある。しかし音楽とダンスはどれを見てもボリウッド風。
Thalaivii (Hindi/2021)をNTFLXで。
英語字幕付き。予想した通り、今も健在な人物に対しての配慮だろうか、生臭いことにはほとんど蓋をして、ジャヤのCM就任のところで終わっている。男中心で動いている社会の中であからさまなセクハラにも負けず最高位に上り詰めた女性を描くというスタンス。悪はカルナとヴィーラッパンにのみ背負わせたというところ。アラヴィンド・スワーミのMGRはヌメリ感と弛み感が絶妙。ナーサルのカルナは冷静に見れば全然似てないのにこれもまた魂が降りてきたような快演。ソングシーンはどことなくヒンディー語映画風。ラーダー・ラヴィがMKラーダーをやってるってのはかなり凄いことじゃないか。そのMKラーダーのMGR狙撃のエピソードが史実とされるものと全然違ってたのはなぜなのか。それからちょこっと出てきたシヴァージ・ガネーサン(ジシュ・セングプタが演じていたのか?)も、MGRへの当てつけのための噛ませ馬って感じでインパクトがない。ヴィーラッパンを演じたラージ・アルジュンはかなりの好演。「シークレット・スーパースター」の父役だったか。サムドラカニが演じたタミル版も見てみたい。
インド最高裁が「本編に全く関係のないプロモソング/ビデオ」を不当として訴えた消費者の言い分を支持し、映画製作者に罰金支払いを命じる判決。
https://www.filmsaagar.com/index.php/2021/10/02/jabra-fan-verdict/
『ちまき売り』(燒肉粽、1969、台湾)をアテネフランセにて。
「よみがえる台湾語映画の世界」シンポの一部として。デジタル・リマスター版、モノクロ。いきなり悪役男女のベッドシーンから始まる強烈設計。そして主人公である男が、自分自身浮気をしているにもかかわらず自宅に男を連れ込んだ(という状況証拠を偽装されてしまった)妻を許せず追い出す。その後、省略された何ごとかが起こり、彼は無一文の非熟練労働者に堕ち、そこから彼は3人の子供を抱える「耐える母」的な役回りを演じていく。印象的なのは、冒頭の悪役以外、隣人の風船売り夫婦といい、捨て子を一時的に拾った資産家夫婦といい、粽屋といい、皆お人好しな味方であること。これが台湾呑気というものなのか。上映を挟んだ前後のレクチャーでは、台湾語映画の再発見の状況(1000本と言っていたのは製作された全本数なのか、レストアされた本数なのか)やその文化的位置づけがよく分かった。
『神と共に 第二章:因と縁』(신과함께-인과 연、2018)をオンラインで。
前編がVFX多用で劇画由来を強く感じさせるものだったのに対し、こちらは1000年前の因縁譚を入れたことによって、よりドラマらしくなった。地獄に送られてきた霊が転生する瞬間を印象的に描き、記憶を持ち続ける(=人格を保持すること)が苦であり、リセットして生まれ変わること(=前世の人格の消滅)が望ましいものであるという思想が分かりやすく示される。それから、女真族の死者も受け入れる地獄という発想が面白い。見たところ韓半島出身者限定の地獄であるようなのに、女真族も入ってくるというのはある種の中華思想か。韓流時代劇を見た後のお約束である俳優のオフスクリーン写真を見て盛り上がるというのを、思いついてやってみたら、結構劇中イメージと違うものがあって面白かった。韓流というのは、整形でつるんと仕上げられた俳優が、劇中では演技力と演出とメイクとによって非常に味のあるキャラクターになり得るという世界なのか。
『神と共に 第一章:罪と罰』(신과함께-죄와 벌、2017)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」にて。鳴り物入りの超大作と知っていたので心して臨んだけど、いい意味で軽くて楽しく見られた。PCで見たせいかVFXにはそれほど迫力は感じられず、どっかで見たようなのが後から後から出てくる印象。しかしまあ、ファンタジーの影にも貧困が潜んでいて、そこにオカンのセンティメントも絡めるってのが韓国映画だと思う。冥界案内人兼弁護人がスタイリッシュに決まってるのはとてもいい。軍隊内の兵役参加一般人に問題を含む人物がいるのは、まあそうだろうねと思った。裁判を重ねながら冥界を旅する途中でもあれこれ試練があって、それがVFXの見せ場となっているのだが、あそこで負けちゃったらどうなるのかが知りたい。
ゴールデンスランバー(골든슬럼버、2018)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」にて。見終わった後にレビューなどで日本の小説が原作で、日本映画にもなっているということを知って吃驚。あの設定はどう考えても韓国の方がしっくりくる。スピーディーでそつのないアクション&ポリティカル・スリラー。アクションとしては上出来だが、ポリティカル・スリラーとしては弱い。冒頭で殺される友人は、大韓民国国家情報院の諜報員だったというのが分かるが、なぜ国家の中枢が野党(?)党首を殺すのか分からない(殺されれば同情票が集まるってもんじゃないのか)。計画の狂いは、たまたま実行部隊員が主人公の親友で、主人公を捨て駒にできなかったところから生じるわけだが、その誤算を最初から見越したように主人公のそっくりさんを作っておくのがご都合主義に思えた。また任務を終えたとされるそっくりさんが冷徹な組織から消されずに逃走を御膳立てされるというのもリアリティがない。国家情報院の反逆者ミンがなぜ反逆者になったのかも分からない。主人公と友人たちの階級差とか、ところどころの場面の飛躍とか、細かい点では納得できないところもある。
Alai Osai (Tamil/1984)をYTで。字幕なし。
Pariyerum Perumalの中で本作の有名ソングPoradulaを聞いて以来、どうしても全編を見たいと思っていた。冒頭、都会で教育を受けた主人公が故郷に帰って来るシーン、バスを降りてから延々と歩くことが暗示されており、そこでまずダリトダリト映画の背景が浮き彫りになる(Karnanで言われていたところのKaaduか)。問題のソングは中盤でダリトが寺院への入稿を拒否されるところで歌われる。乱入したダリトはカーヴァディ(காவடி)を担いで踊る。それからAsuranにも出てきたキールヴェンマニの虐殺を思わせるシーンも。つまり、近年の田舎ダリトもののモチーフは大体出てきてるのだが、やはり80年代タミル映画なのでハチャメチャな部分も。Poradula以外のソングは基本的にはラブソングなのだが、屋外で戯れるもの、ヒロインの妄想のセクシーソングなどなど、いずれもド派手衣装のヴィジャヤカーントをフィーチャーしたものでハイカロリー。アヌラーダによるアイテムソングはキャプテンによって鞭でシバかれながら踊るとか、特殊性癖者向けのド迫力。
Mimi (Hindi/2021)をNTFLXで。
かなり評判になっているらしいが、微妙な読後感。金目当てでアメリカ人夫妻をクライアントに代理母になったけど、生まれた子に愛着が湧き…というありがちなストーリーにツイストを加えて飽きさせない作りにはなっているが、「堕胎は罪」「生みの(生物学的な)親より育ての親」「非嫡子でも(生まれてしまえば)可愛い」「色白は善」「子供を持つなら健康で頑強で美しいほうがいい」という通俗的なセンチメントを熱源として動かすところが気持ち悪い。クリティ・サーノンの没個性な顔立ちもマイナス(ただこの系統がボリウッドでは成功の鍵だというのは分かってる)。一番問題なのは障碍者差別を最悪の形で見せつけたアメリカ人夫婦を断罪しきれていないところ。それから、「代理出産より養子縁組でしょう」という現在の趨勢がランタイムの9割がたを使っても一向に出てこず、最後に唐突に見せる。アメリカ人夫婦がなぜインドに拘るのかがハッキリ分からない。それにしてもマラーティー語映画のリメイクというのがあまり喧伝されないのはなぜなのか。あと、ラートール姓を名乗る一家が代々音楽家だったというのも不思議。
Mullum Malarum (Tamil/1978)をDVDで。
ラジニカーントの演技者としての最高傑作とされる一本。6~7年ぶりの再見。舞台となる田舎がどこなのだろうと思ったが、後から調べたところによればウーティー周辺にある著名な水力発電所のロープウェイとのことだった(他の撮影場所としてカルナータカ州シュリンゲーリも)。極めて特徴的な塵なのでロケ地=設定地と考えて良さそう。主人公が酔って乱入する部族民の祭事のシーンを偶然YTで目にし、そのソングRaman Aandalumが素晴らしすぎて思わず全編を再見。部族民たちが神像をいただく神輿を担いで山野を練り歩くところから始まり、ファイヤーダンスに興じる様子が描かれ、部族民の女性たちが輪舞する。歌詞には「マドゥライの王は俺」「ラーマが治めようがラーヴァナが治めようが俺には無縁」というフレーズも見られ、音楽自体は当時のダンスビートを踏襲しながらもパライ太鼓が画面に映り、クディライやカラーがッタムの踊り手も脇を固める。これはどういう文脈に位置付ければいいのか要検討。台詞は極めてシンプルで、表情や身振りで多くを語らせる演出。リマスターされないか。