Yatra (Telugu - 2019)をUSAPで。
昨年の総選挙がらみで無闇と作られた政治家の伝記映画のうちのひとつ。マンムーティが主演じゃなければ見てなかった。結果としては見て良かったし、勉強になった。伝記とはいっても、幼少期から死までを時系列で描くのではなく、2003年の州会議員選挙での巻き返しのためにパーダヤートラを決行するところだけに絞っているのがいい。彼の敵はTDP以上に、コングレス内の「ハイコマンド」であるというのが全編を通して語られる。この辺り、NTRが自前政党をおったてて州政権を会議派から奪取した時の状況とほぼ変わっていないのがよく分かる。マンムーティの神彩が、このプロパガンダを格調高いものにしているし、CBS、ジャガン、ソニアを画面に出さなかったのが英断だったと思う。腹心のKVPを演じるラーオ・ラメーシュも良かった。クリスチャンとしての描写は全くなかった。彼が政界入りする前は「1ルピー・ドクター」と呼ばれていたというの、メルサルの元ネタはこれだったかと思った。やむを得ないこととはいえ、エンディングロールで本物のYSRやジャガンの記録映像を入れたのは興ざめだった。
Periyar (Tamil - 2007)をErosNowで。
3日がかりで2時間48分を何とか見た。でもウィキペディアには3時間8分と書いてあるがどうなってるのか。カルナーニディの政権下でDMKが資金を出して作られたプロパガンダ映画。教科書みたいに細かいエピソードを数珠つなぎにした構成で見通すのは辛いし、既に皆が知っているという前提で付帯説明なしに現れるシーンが多すぎる。それでも老齢に至ったペリヤールを演じるサティヤラージは鬼気迫っていて、目が離せない。メイクの技術も秀逸。勝手に幼な妻だと思い込んでいたマニヤンマーイは、実は30歳の成熟した女性で、教祖に付き従う信徒のようなものだったというのは初めて知った。彼女と共にペリヤールがダリトの家で饗応を受けるシーンは特筆もの。心には理想が掲げられていても吐き気には勝てないという身も蓋もない現実が示される。これは実際にあったことなのか。また、ごく若い時点で、おどけ者のバラモンと組んで無神論を歌と踊りで説法するシーンも気になった。ダリトに対して「都市や外国に出て身分を隠して別の仕事をせよ」とアジるシーンはナイーブ過ぎだと思ったがどうなのだろう。
NETFLIX 『ラガーン』の日本語字幕について①というブログ記事。
仰っていることはいちいちごもっともだが、後半の酷い例、これはもう翻訳者の英文和訳能力が極端に低い、そしてそれをチェックする機能が配信サイト側にないという、ただそれだけのことではないだろうか。
https://blog.goo.ne.jp/sakohm27/e/db3a22d2436c761c91035a66bf1331d2
Kavaludaari (Kannada/2019) をUSAPで。
非常に評判の高いスリラーとのことだったが、惜しい点が幾つかあって、必ずしもスッキリした読後感ではない。この監督らしい、沈鬱さ、クールでムーディーな音楽は相変わらず。スリラーの中に組み込まれた歴史性として、都市バンガロールの野放図な拡張、1970年代の緊急事態宣言下での多数の犯罪者の政界入りという二つが巧みに語られている。また現代の問題として、救急車をまともに走行させない公共心の欠如のような問題も。それから特有の「パワーダイアログ」とでも呼ぶべき譬え話も健在。日本の金継ぎに言及しているところでは吃驚。カーキという色の名前が元々はdirtを意味するところからの気の利いたやり取りも秀逸。問題は、現代の登場人物全てを40年前の惨劇にきれいに紐づけようとして凝り過ぎたこと。それによってループホールというかご都合主義が生じてしまった。観客は神の視点を提供されず、逆にカメラのフレームによって出来事の全体像を見せてもらえないタイプのミステリー。例のボール紙のキモいお面が、ちゃんとキモい文脈で使われていた。Triveniの入れ墨も不発。
Brochevarevarura (Telugu/2019)をUSAPで。
ASSAが何となくベルボトムを思い起こさせるように、本作はキケンな誘拐を彷彿させる。しかしもちろんパクリではない。ハイダラーバードで新人監督が人気女優に脚本ナレーションをする。すぐ後にグントゥールまたはテナリ辺りらしい田舎の高校生活が描かれる。これがナレーションの映像化なのだと思って見ていると後半にひっくり返される。それだけでなく、この2つのパーティーがアクロバティックなツイストによってひとつとなり、くんずほぐれつの追っっかけっこになり、最後にとりあえずのハッピーエンドになる。これは見事。その辺はSwami Ra Raに似てるがもっと上手い。それから特筆すべきなのはオシャレな色彩設計。貧乏学生3人組の着る平凡なTシャツが、何故だかクールなものになってる。そして、ポスターのアートワークがその色彩設計をさらに補強している。村はずれの狂人や間抜けな犯罪者たちのキャラ立ちも十分。シュウェータ主演のA指定映画からマニ・ラトナムに至るまでの映画ネタの挿入の仕方もさり気なく独特。ハイダラーバード郊外の岩砂漠みたいな景色が強烈。
Goodachari (Telugu/2018)をUSAPで。
スリラーとして傑作との評判。まずまず筋の通った脚本。ジャガパティ・バーブの使い方、見せ方は上手い。典型的な、劇中人物には見えてるのに、観客からはフレームアウトされて見えてないというスタイルをキープ。画面に初登場するシーンでは既に悪の本性を負ってのものとなる。そのくらい、この人はタイプキャストされていて、意外性がなさすぎるのを映像作家は理解していたことになる。内通者は一番らしくない奴というのは定石通り。後半のチェイスからの展開はスピーディーで良いけど、最終シーンの舞台が分からず気持ち悪い。本作の面白さは、定石のスパイものだけど、それがどローカルな風景の中で展開するという点だと思うのだが、チッタゴンのシーン以降それが曖昧になってしまっているから。アディヴィ・セーシュは脚本も手掛けるNRI俳優だというのを最近知って何か腑に落ちるものがあったけど、あんましカッコよくねえなというのが正直なところ。アジトへの潜入シーンなどで、へっぴり腰とまでは言わないものの、気迫が足りないように感じた。首ちょんぱコンビのラーケーシュ・ヴァレが良かった。
Agent Sai Srinivasa Athreya (Telugu/2019)をUSAPで。
秀作との評判が高かったのをやっと観られた。字幕が早すぎて苦労したけどなるほど面白いわ。お気楽探偵が殺人事件に巻き込まれ…というのはだいたい想定内だが、その裏にある組織犯罪が、インドでしかあり得ねえというタイプの宗教が絡んだもので、しかも現実に起こっているらしいことがエンディングで臭わされ、ぐああとなる。主人公の名前がバラモンのものであるのは意味があるのか。ファティマには?彼は最後に自分のフルネームとシーヌという母からつけられたニックネームとを対比して語る。それは科学とセンチメントとの対立であるようだ。途中でカンナダ人の似たような探偵が出てくるが、彼がちょこっと喋るカンナダ語に字幕がついていないのが不満。ここはリシャブに出てきてほしかった。プロットも年代設定も全然違うけど、全体の雰囲気にやはり『ベルボトム』味がある。無理があるのは、周りの人物が簡単に殺されるのに、主人公だけは泳がされて直接手を下されず、回りくどい方法で貶められようとするところか。これは間違いなく続編ができると思う、期待したい。
Rangasthalam (Telugu/2018)をUSAPで。
179分はいかにも長いが、テルグの衆には堪らないものがあったというのはよく分かる。商業映画にありがちな緑の田園地帯に建つキラッキラの大豪邸で賑やかな結婚式というようなテレビ・コマーシャル的なのじゃない真正の田舎の景色があるし、そこで生粋のゴーダーヴァリ弁が喋られて、御曹司ラームチャランがむさ苦しい田舎男を好演してるのだから。何時間でも観てられるんだろう。やはりテルグの映画人は(ある程度まで観客も)、ルーツとなるアーンドラ地方農村社会に特別な感情を持っているのだと分かる。特にゴーダーヴァリ沿岸のパピコンダルを舞台にしたというのが非常にキャラ立ち度が高い。単純と言えば単純なストーリーラインは、赤旗映画のそれ。そしてダリトvs婆羅門という割とスッパリしたカースト対立というのもある。中間カーストを入れると色々問題が起きるのだろうか。時代設定を1980年代としたのも、現代に繋がりながらもレトロであるという綱引きの結果か。ジャガパティの演じるバラモンの金貸しが、極端に暴力的でしかも動物供犠まで行っているというのはリアリティあるのか?
Rangoon (Hindi/2017)をNTFLXで。
邦題は『ラングーン』。フィアレス・ナディヤがモデルの作品と聞き、芸道ものかと期待したけど全然違ってた。ボリウッダイズされた『遠すぎた橋』とでもいうか。例によって導入部での背景を述べるテキスト部の翻訳がひどい。どうしてなんだ。あとMariyama Ramannaもちょっと入ってないか。日本人役がまともでちょっとホッとした。ルストムはグジャラート人という設定だったがパールシーなんだよね。そこもモデルがいる話なのか。時代がかった派手なソング(戦地慰問シーンでのものはとてもそうとは思えない大掛かりさだったが)はどれも良かった。戦争ものとしての緊迫感はそれほどないけどそれなりに積み重ねたプロットを一気にひっくり返すクライマックスの列車救出シーンは、多分現地のインテリ観客からは総スカンだったと思うけど、そうこなくっちゃという感じ。それから歌でもって名乗りを上げるシーンがインドらしくてよかった。日本兵は「菜の花畑に入り日薄れ」を歌ってた。しかし宝剣を持ち出すことがなぜ独立運動になるのかよく分からなかったが、要するに売って軍資金にするってことか。
Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。(続き)
それから、マドラス・カフェ(シンガポールやロンドンにあるという設定)に蠢く人々が結局誰だったのかがハッキリしないところ。観客は思わせぶりにその連中を何度か見せられているので、おおよその察しはついている。だからヴィクラムが最後にそこを見つけて、全てを白日の下にさらしだしてくれないとカタルシスが得られない。しかしそうはならず、よく分からない神父への打ち明け話で終わってしまう。ポリティカル・スリラーに虚構が混じるのは全然かまわないのだが、コスタ・ガヴラスの『Z』みたいにスカッとしたものにしてもらえなかったかと思う。
Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。
邦題は『マドラス・カフェ』。これも駆け込み鑑賞。書かないと気が済まないから書くけど、日本語字幕良くない、特に暗号解読のシーン。ラージーヴ・ガーンディー暗殺を国際謀略というフィクショナルな仮説によってスリラーに仕立てるという意欲的な試みだが、その仮説に説得力があるかというと疑問。スリランカ北端の民族紛争が終結しないこと(そして武装勢力が支配を堅固にすること)が本当にインドの国力を弱め、諸外国がインド洋から東南アジアに至る覇権を伸張できることになるのか、そしてスリランカの首脳すらがそれを黙認するのかという疑問。また、そのような壮大な計画が、インドの野党党首の暗殺によって本当に可能になるのか、可能だとするなら、作中でもっと丁寧に解説してほしかった。ナラティブにもところどころ不可思議な飛躍あり。一番変なのは主人公が武装勢力の捕虜となるところ。経緯が不明。それからジャヤがヴィクラムに「デリーに来て」と言って次のカットで航空機が映るのに、その続きでヴィクラムはマドラスだかどこかにいるところ。(続く)
Aiyyaa (Hindi/2012)をNTFLXで。
邦題は『あなたを夢みて』。配信終了間際というので駆け込みで。ヒンディー語とタミル語とが混ざり合うが、明かに日本語翻訳者は違いが分かってない。マドラーシーというのが何かも。ここのところの心臓に悪い系作品の後だからバカっぽいのがとても良かった。ストーリーは水のように薄いが、これでもかと詰め込まれたシュールでイタくてウザいプロットをポカンと見てるだけでいいので気が楽。北と南を対比させる作品にまた一つ追加。対比させながらもヒーロー、ヒロインがどちらもバラモンというのが興味深い。この辺は、マラーティーのバラモン・コメディーをそのまま持ってきた感じか。ラーニーの特徴的なキャッツアイと白皙の肌は相変わらずで、そこに熟れ熟れボディーがくっついてなんとも言えない。ヒロインが眩惑される男の体臭というのが、ラスト近くで花火用の火薬の匂いだというのが種明かしされるのだが、タミルの花火工場なんて全く良いイメージはないがいいのか。ソングシーンの中であからさまに性的な所作があってドキドキしたが、あれは大丈夫なのか。ヒンディー語作品だが実質的にはマラーティーもの。
Visaaranai (Tamil/2015)をNTFLXで。二回目。邦題は『尋問』。
原語脚本(もちろん読めない)を台紙にしてストーリーの要点を記入しながら。日本語字幕は予想通りに酷い。けれどもドラマの力が勝って見れてしまう。そして二回目だというのに、ドキドキして息苦しくなりながら3日かけて見た。問題だったのは、各種レビューでダリトの若者に襲いかかった警察の組織的な暴力という風に評されているのに、彼らがダリトだと明示される箇所が一回目の鑑賞では見当たらなかったこと。今回はそこに最大限の注意を払って見通したのだけれど、やはり何もなかった。ネイティブに質問してみたけど、割と歯切れ悪く、カーストは第二のネイチャーで、初対面での相互の紹介で二つめか三つ目にはカーストを尋ねるのだと。伏せられていても大体カーストは分かってしまうものだと。やはりこの辺り、外国人には踏み込みにくいところではあるな。見るからに貧しい人物は分かるけれど、それがダリトなのかシュードラなのかまでは分からないし。
Psycho (Tamil - 2020)をNTFLXで。英語字幕。
いきなりの斬首シーンから始まる金縛りの146分。見終わってから首元に毛布を巻き、夢を見ないといいがと思いながら就寝したが、目覚めると不思議なほどに晴れ晴れとした気分だった。これがredemptionというものか。漆黒の夜、障碍者、哀歌、暗い情念等々、もちろん本作でもミシュキン節が炸裂。本作の新機軸はアディティ・ラーオ・ハイダリという大輪の花をその無残絵の最中に配したことか。血糊でべたつく陰惨な地下室で、バラ色の服をまとった彼女が振り下ろされんとする刃を目にしながら薄っすらと笑うシーンだけで言葉にならない美が画面を支配する。ニティヤもまたベスト演技のひとつではないか。華やぎではアディティに譲り、男らしさを前面に出した。ドライブでのシーンは笑う。ウダヤニディは芝居ができるタマかどうか知らないが、全編グラサンで通したことによって能面のような効果が生じて悪くなかった。サイコキラー役のラージクマール・ピッチュマニは今後役者人生が開けるかどうかは分からないが、狂気とそこそこのイケメンぶりとのブレンドが良かった。画面から血の匂いが。
Sainikudu (Telugu/2006)をDVDで。
イルファン・カーンの追悼として見た。公開当時レビューが悪く興行的にも失敗した作品。テーマは若者の政治的覚醒による世直しだが、アクション(ピーター・ヘイン担当)のいい訳としてのストーリーでしかない。世直しの矛先は、民から吸い上げるばかりの腐敗政治と力で権力を握ろうとするグーンダ政治。成績優秀な学生アジャイをMLA候補に擁立しながら、表に出てくるのはマヘーシュばかりという矛盾。お尋ね者として逃走中なのに、ひょっこりTVレポーターの前に登場するご都合主義、あり得ないほどにフレキシブルな法廷、なぜ可能なのか分からない警察署潜入など、いわゆる「混乱した脚本」。ただしアクションはくっきりとグナシェーカル印で色々凄い。前半の深山幽谷に突然現れる無駄に高所にある木造橋、それから後半クライマックスの建設中ビルのシーン。ラーナーがコーディネーターをしたというCGは暴走気味で仰け反るが、雲の中をバイクで走るソングは秀逸。テランガーナという背景、部族民&晩ジュラ・トライブのモチーフなどなどオタクにとっては養分たっぷり。ワランガル舞台の作例としても貴重。
Mary Kom (Hindi/2014)をNTFLXで。
邦題は『メアリー・コム』色々な意味でヤバいものを見た感じがする。インド映画に「文化の収奪」みたいなメリケンのポリコレ思想が未輸入だというのは分かった。皮肉にもなのか、意図してなのか、本作はカーフュー下のインパールで始まる。そしてクライマックスはインド国家の斉唱で終わる。メーリ・コムが分離主義の人ではないことは分かる。しかし北東人への見下しのに耐えながらボクシングに精進してインドに金メダルをもたらすというダイナミズムが、プリヤンカ―をキャストしたことでほぼ無効化されてしまっている。代わりに分かりやすいハードルとして出産・子育てと、腐敗した連盟役員、強豪ドイツ選手を持ってきた。それにしてもメーリと夫以外のキャストが全て北東系と思われる俳優で占められているので、やはり異様。夫役のダルシャン・クマールはまだ馴染んでいたかもしれないが。スポーツドラマとしては勘どころを押さえた手堅い作り。まあただ、ボリウッドにとってどこまでが我々でどこからが他者なのかという微妙な問題に、『チェンナイ・エクスプレス』以上に踏み込んだ作例として貴重。重要資料。
Talvar (Hindi/2015)をNTFLXで。
邦題は『有罪/Guilty』。イルファン・カーン追悼として見た。予備知識ゼロで臨んだが、現実の迷宮入り事件(一応判決は出て犯人とされた者が終身刑に服しているのだが)をかなり正確に再現したものらしい。テーマは明快で、まず警察の無能と予断を持った捜査への批判。それから、本来警察とは別組織であり、むしろ緊張・対立関係にあると一般的に思われているCBIが、警察とぐずぐずのトップの意向で、警察の面子を守るために捜査を歪めてしまうという点。一般に、容疑者でネパール系の貧しい若者と中産階級の医師夫妻とがいたら、ネパール系の方に肩入れしそうなものだが、そういうポリコレは関係なく描写する。レビューの幾つかには羅生門的語りで、真相はなのかを明かさずに終わるとあったが、映像作家がどちらの説に肩入れしているかは一目瞭然。ただ、真相に近づいたように描かれる側にも弱いところがあって最終的な勝利には至れない。それは捜査にナルコアナリシスを使ったこと(これは違法ではないが)、自白を引き出すのにお馴染みの殴る蹴るをやってしまったこと。鍵の問題はよく理解できなかった。
Bombay Talkies (Hindi/2013)をNTDLXで。
これも月末で配信終了と聞いて。4話のオムニバス+エンディングの豪華絢爛スター総出演ソングという5部構成。このエンドソングと本編の文芸調とが全く噛み合わずちぐはぐ。豪華な顔ぶれよりもむしろ不在者が気になる。カラン・ジョーハルの第1話はラーニーの熟女ぶりに圧倒された。熟れ切って崩れる寸前というのをよくもまあ演じたもんだ。一部で酷評されていたが、ゲイ同士の緊張感のある心理戦と大人の女との絡み方は面白かった。評価の高い第2話では例によって日本語字幕に苛々。エキストラがエキストラとして一瞬の演技に精魂を込めるということ実際がよく分かる。ゾーヤーの第3話は子役の演技力に頼り切っているきらいはあるが、カトリーナのあのセリフがオタクには刺さりまくるだろう。アヌラーグの第4話は、いつもの作風から離れて意表を突く古譚の味わい。方言のニュアンスが分かれば一層面白いのだろう。ムラッバーという食べ物の存在を初めて知ったが、検索するとジョージア料理として出てくる不思議。実在の人々をキャストしたというバッチャン邸の警備員の面々の顔がいちいちいい。
OMG – Oh My God! (Hindi/2012)をNTFLXで。
邦題は『オーマイゴッド 〜神への訴状〜』。月末で配信終了とのことでざわついていたので、もう一度見とくかと思った。日本語字幕は例によってグダグダ。Go go Govindaを「行け 行け ゴービンダ」とするのは意訳としてありなのかどうか。とはいえ裁判シーンは日本語化のせいでよくわかった。よく分かったところで、どうかというと、ボリウッドのソシオファンタジー(特にPKとか)にありがちな賢げでこぢんまりとした感じがつまらないなあと思った。クライマックスは感動というよりは理知的な感銘。まあただ、言ってることは結構過激だ。「神を信じよ、だが寺院には詣でるな、お印も求めるな」だもの。ラスト近くで怪しげな宗教家の言う「人は弱いのだ、彼らは必ずまた寺に来る」という意味の台詞が逆に重みをもつ。これを見ると、Mayabazaar (Telugu/2006)なんかの圧倒的な神様の強さが慕わしくなる。神が真の姿を見せるシーンの安っぽさとか(北インド風のあの衣装はいただけない)。逆に現代装束での神性の表出はさすがにアッキーと思ったのだった。