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Shaitan (Hindi/2011) をNTFXで。日本語字幕付き。 

ベジョイ・ナンビヤール監督なので前から観たかった。幻想的な映像美を追求した作品と聞いていたが、結構ストーリー性のあるクライム・スリラーだった。タイトルの悪魔とは、ヒロインの母親のことだったのかどうか。確かにマディによるカメラは凝った映像で、特に水を扱ったシーンには鳥肌が立つ。一片の共感すらわかないムンバイの上層階級の甘やかされた子弟とその取り巻きが、ふざけているうちに犯罪を犯し、それから逃れようとするうちに第二、第三の犯罪を犯して最終的に破滅する物語。5人組の内部で境遇の違いが露わになり、関係性に亀裂が走っていく描写が素晴らしい。ただし、5人の若い男女を描きながら、彼らのうちに性的な緊張感が余りないというのが面白かった。特にヒロインのエイミーに対して迫ろうとする男が全くいないところ。時折シュールな展開をするカメラ以上に、それがこの作品にある種の非現実感をもたらしている。上層階級じゃない方のキャラに、マートゥルとマルワンカルという2人の警官が登場するのだが、後者にはもう少し踏み込んだキャラの描写が欲しかったところ。

Swamy Ra Ra (Telugu/2013)をDVDで。2回目。 

イケズ感あふれるコメディー、テンポが凄くいい。スワーティを除く登場人物全員が、真っ当じゃないことで生計を立てていてずる賢いのに、必ずどこかで間抜けなミスをする。尤もスワーティもスクーターを取り戻すためにスーリヤに秋波を送るとか中々のタマだけど。冒頭の仕事人2人組にしてからが、ありえんミスをしてツイストを作る。ケーララの由緒ある寺から盗み出された神像が、富の神であるガネーシャであるというのも意味ありげ。その神様が、まるでパチンコの玉、あるいは分子運動のように不規則な転がり方をすることに哲学的な意味があるのだろうか。そして神様を追っていた者たちは、最後に一ヶ所に集められて綺麗に掃除される。ただしスーリヤたち4人は無傷でお土産まで貰って帰る。これもオールマイティーの思召なのか。このアンチクライマックス、アンモラル、ニヒリズムに映像作家の反骨精神を感じる。冒頭の2人組の会話にはテルグのメジャー映画への軽いからかいも。作中の台詞に特定の地方の方言があるのかは分からないけど、テランガーナ映画のカテゴリに入れたい普段のHYD描写。

Ala Vaikunthapurramuloo (Telugu/2020)を池袋HUMAXで。 

おとぎ話のフワフワした雰囲気のファミリードラマに唐突にエグい暴力が挿入され、またすぐに祝祭的なパステルカラーの画に戻る。ストーリーは細部から大枠まで釈然としないところが多い。細部では最低セクハラ野郎として登場したナワディープがその後すぐにサイドキックになったり。大枠での問題はエンディング。真相を知る人は限られてるはずなのに、結局二人の息子はそれぞれの生物学的な親の元に戻ったことが暗示される。それから、障碍に近いような身体的な癖を揶揄するシーンも冷や冷やする。つまり読み込めば読み込むほど冷えどんよりしてくる話なんだけど、アッル・アルジュンの魅力で一気に見せるものとなっている。ダンスはなぜだか出し惜しみ感あり。その代わりにアクションの振付が凝っていた。最初のスカーフ(chunni)をめぐる争いは闘牛みたいだった。クライマックスのシュリーカクラム(?)のフォークソングをバックにしたものでは焼き鳥串の受けに笑った。それから、会議室でヒットソングメドレーをするところも馬鹿っぽくて良かった。スニールに涙。

Darbar (Tamil/2020)を池袋HUMAXで。 

粗筋紹介のため現地レビューを読みまくったのでだいたいストーリーは見えてたけど面白かった。ムルガダースが『サルカール 』で見せたキレキレの作劇術が後退してしまったのは残念だったけど。ナヤンターラと二ヴェーダ・トーマス、2人のケーララ人女優の美と演技力にざまあみろという気持ち。それから地味だけどエロい婦警さんはシャマタ・アンチャンというトゥルナードゥ出身の人だと後から知った。スニール・シェッティの悪役は本当にダメダメで、繁華街でティッシュ配ってる兄さんにしか見えなかった。元ヒーローの悪役は哀愁が漂いすぎて見てられん。押し出しが弱いなら逆に病んだキャラにするとか工夫が欲しかった。二ヴェーダの瀕死の演技は絶賛されてるが、それよりもシュリーマンが家に訪ねて来て、ナヤンターラとの歳の差を考えて身を引いてほしいと頼むシーンで泣いた。アクション的に素晴らしいのはラストよりも駅のプラットフォームでのもの。ヒジュラの姐さんたちのお囃子がいい感じだった。ハードな殺人マシーン・モードとお茶目いたずらっ子モードが共存するのは80年代ラジニ映画への郷愁か。

Tanhaji: The Unsung Warrior (Hindi/2020)を川口スキップシティで。 

続き。女性の扱いとしては、幼児婚が出てくるところ、それから悪役に横恋慕されるカマラという女性が、夫に殉死しようとしていたところを無理に攫われてきたということなどを淡々と描いていた。ヒロインであるサーヴィトリーの最終シーンが、そうしたものを見て落ち着かない気持ちになっていたところに救いをもたらしてはいたが。歴史ものとしては、シヴァージーを全く受け身の優柔不断で温厚な領主(けれどもなぜか神のように慕われている)のように描いていたところに疑問。これはADが普段やってる現代を舞台にしたアクションを単にコスプレに変えただけじゃないだろうかと思えた。例の最終兵器としての大砲というのも、17世紀の話とするとリアリティーがないけど、核のボタンだとすると意味が通じる。

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Tanhaji: The Unsung Warrior (Hindi/2020)を川口スキップシティで。 

マラーター民族主義は何かと問題を含む。本作も色々と工夫はして、最近の作品としては珍しく、タイトルを英語・ヒンディー・ウルドゥーの3言語で表記した。また敵役をムスリムではなくムガル皇帝に仕えるラージプートと設定した。さらにシヴァージーに仕える土候にはムスリムも一人加えた。ヒンドゥーVSイスラームの闘いにするのではなく、スワラージのための闘いと何度も言わせている。色々やったけど、結局レビューではサフロン化だのジンゴイズムだの書かれた。これまでの愛国系歴史ものと違い、ターナージーは独立国の王ではなく、シヴァージーに仕える武将。忠臣ものは日本では十分あるが、インドではどうなのか。ADはいつもながらの芋芝居。見どころはカージョルだった。サイフも悪くなかったが、身勝手な懸想をする相手が主人公の思い人ではないという点は、劇的な構成としてどうだろうと思う。それでパドマーワトのランヴィールと比べられてしまうだろう。シャラド・ケールカル演じるシヴァージーは脚本の弱さが露呈したキャラだが妙に印象に残った。

Thenmerku Paruvakatru (Tamil/2010)をDVDで。久しぶりに字幕なしで。 

ウィキペディアにあっさりした粗筋しかなくて、どうしたものかと思ったけど、見終わってからPride of Tamil Cinemaを見たら3ページ使って詳細な解説。一方ネット上のレビューはごく僅かで、しかも辛い評価のものも。2007年のParuthiveeranからのマドゥライ映画旋風の中で、「またか」って感じであしらわれたのか。国家映画賞を取らなければ完全に忘れ去られていたかも。自分にしてからが当時の底引網漁的なディスク買いで入手したきり忘れてた。作品としてはPVやSubramaniapuramのずっしりとしたインパクトはない。よそ者として平凡な村に入り込んで日々の暮らしを覗かせて貰ってる感、だから台詞の意味が分からなくても不満はない。暴力もドラマタイズされず淡々としてる。クリミナル・トライブへの言及、それから丘の上の十字架が気になった。それにしてもこれが区切りの2010年作で、VJSのヒーロー・デビューだったとは。やはり2010年代を代表するスターはVJSだわなと今更ながらに思った。

Tharai Thappattai (Tamil/2016)をYTで。 

芸道もの、ダリトものの両方でどうしても見たかった一本。バーラー監督だというのは忘れてた。だけど後半になって思い出した。異様なほどにトラウマ的な流血の地獄を撮るのを追求してる人だったわ。例外はAvan Ivanだけ。前半はカラガッタムのど迫力で魅せる。後半は芸の道から徐々に離れてバーラー特有の無惨絵になる。底辺にいる者たちが暗闇に蠢く人非人によって簡単に陥れられて、あり得ないような残虐さで贄となる。創作なのか事実なのかよくわからない点も幾つか。親父が古典声楽的な音楽をやり、息子はフォーク、けれども映画ソングはやらない、でも仕事が来なくて切羽詰まると、葬礼のお囃子も引き受けて、でも尊厳を損なわれてボロボロになるというの、現実にあり得る話だろうか。それとも、ファンタジーとして構築された世界なのだろうか。カースト・ヒエラルキーや禁忌の話になると例によってタミル人レビューワーの口は重そうなので調べても分からないかも。ヴァララクシュミのキャラクターには今ひとつリアリティーが感じられなかったが踊りは全部良かった。映画ソングもいい。

Role Models (Malayalam/2017)をDVDで。 

ファハドのもので見てないものがあったかと再生機に放り込んでみたが、何というか時計の針が10年ぐらい巻き戻ったような古臭いラブコメだった。2002年に失敗作でデビューしたファハドがしがみついて映画に出続けてたらこんなのが沢山世に送り出されただろうというタイプの凡作。どんな場面でも常にBGMが何となく流れてる、政治的にまずいタイプのギャグ、レイプや自殺などの重大事件がちんまりしたエピソードの導入にしかなってない、特に面白くもない映画の引用、オープニングとエンディングとで辻褄の合わない統一感欠如のパーソナリティ、もの凄くキャラの立った設定(多重人格とか)が何となく挿入され何となく消えて行く、後出しジャンケン的種明かし、画面映えのために無理に挿入される金のかかるスポーツ等々、ニューウェーブの顔がやる映画じゃない感が充満。ファハドがバックダンサーを従えフルソングをラジオ体操みたいに踊る一曲は貴重といえば貴重だが。しかし賞レースでは黙殺されても、映画館ではこんなのがそこそこ受けたりするのがケーララの観客の一筋縄じゃ行かないとこだ。

Matha (Malayalam/2000)をDVDで。12年ぶり。 

訂正:Mazha (Malayalam/2000)だった。

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Matha (Malayalam/2000)をDVDで。12年ぶり。 

思い出すだけで泣けてくるほど好きな作品なのに、その魅力を言葉にしようとするとどうにも詰まるので再見してみた。10年以上経つと、構成の甘さや場面転換の不自然さなど粗も見えなくはない。特にややダレ気味の後半の、ティラカンにまつわるエピソードや歌を失うくだり(それがラストでのシャーストリに呼応するものだとしても)などには感心しない。ただ、そうは言ってもサムユクタ・ヴァルマの圧倒的な演技には何度見ても感嘆するほかない。バンガロールからやってきた小生意気なティーン、ハーフサリーを纏った夢多い文学少女、新婚初夜の夫の性暴力に悄然とする花嫁、患者からの信頼篤いドクター、上品なサリーを着こなす有産階級の奥様と、シチュエーションごとの演じ分けが完璧。最終シーンでの失意と呆然と諦念の表現は圧巻。結局この話は、失われた純真、葬られた夢に対するオードなのか。かなり低予算で作られたはずだが、Geyamソングの劇的構成、雨降らしソングの詩的世界の完璧なコンポジションはいまだ超えられていないと感じさせる。Etrameソングの取り込み方も素晴らしい。

Narasimham (Malayalam/2000)をDVDで。 

正月らしく楽しいものを見ようかと思ってたけど、書き物をしてたら参照の必要が出てきたので再見した、14年ぶり。初見時に全く楽しめなかったけど、その後多少知恵がついたから知的な部分で興味が湧くかと思ったけど、やはりどんよりしてた。伝統的なナーヤルの旧家を完全に父権的な装置に変換した(しかも核家族)というのが凄い。本作が嚆矢ではないのは知ってるけど。まるで母系制への復讐。初見時に全く頭に入らなかった複雑な人間関係は、メモを取りながら見たら整理はできたが、悪役を分散させるのはドラマとしてどうかと思った。まあこれはニューウェーブから全否定されるわな。おっさん祭りの一方で女性は3人しか出てこず、しかもラベリングがはっきりしてる。泣き崩れるおかん、清純で可哀想な妹、おキャンで現代的な恋人。これが怒濤のブロックバスターになったというのは、逆に文芸的な繊細な映画に行き詰まりがあったということなのだろう。監督のシャージ・カイラースはそういえば最近聞かないと思ったら、2010年代に入ってからは本数が落ちてしかもフロップ続きになっているようだ。

T. P. Balagopalan M. A. (Malayalam/1986)をDVDで。 

以前に字幕なしVCDで観てたのを字幕付きで再見。ただし画質は最低。DVDのメリットは字幕だけだったけど文句は言わない。以前の鑑賞ではほんわかした読後感だったけけど、台詞の一々を味わいつつ見ると苦いものが残る。婆ちゃんと姉夫婦と妹、それに姉夫婦の娘たちとで暮らす中の下クラスの主人公の、家計の収支を何とかするための戦い。お人好しで、なおかつ自身の金遣いも決して堅実ではない男。恋人の父にいいところを見せるために土地を担保にして金を用立て、見事に土地を失う。しかしその父は、風向きが変わると、掌返しで主人公を追い払う。バーランKナーイルの芝居が真に迫っている。最後に主人公は都会であくせく給与生活をすることを諦めて婆ちゃんと一緒に田舎のタラワードに向かう。そんな避難先があるならいいじゃんと思ってしまうところだが、過度に主人公を追い込まないのは、サティヤン節というものか。この時代のマラヤーラム映画につきものの、しみったれたゴージャスも良い。スレーシュ・ゴーピは、ほぼエキストラ扱いだったけどかなり格好良かった。

Mathilukal (Malayalam/1989)をYTで。 

久しぶりにアドゥール先生の芸術映画。名作の誉高いのにこれまでDVD化されたことがなく、諦めてたら、YTに英語字幕付きで画質も悪くなくアップされていた。何がどうなってんだか。バシールの原作は読んでいるのでストーリーは折り込み済み。ディスク化はないものの、ケーララではインド独立記念日にこれがTV放映されたりしてるのを知ってるが、何とも心優しい独立闘争譚(いや、闘争してないな)。まず驚くのは独立闘争時代の英領マラバール・カンヌールの牢獄の人道的で長閑な佇まい。この間「サンジュ」で見た独立後のムンバイ監獄とえらい違いだ。獄衣や寝具がパリッとしてお洒落、独房も清潔で、まるで僧院の宿坊みたい。トイレは共同で、独房内にはないことが台詞で分かる。これらは映画的脚色なのか、史実に即しているのか。ともかくそういう設定から予想外の映像美があった。一番の期待はKPACラリタの声の出演だが、これは判断に迷う。あの声を聞けば、誰だって彼女の顔を思い浮かべる。つまり彼女を映しているのと同じなのだが、本当にそれでよかったのか、それが原作からの最大の改変。

Antony Firingee (Bengali/1967)をDVDで。 

Jaatishwar (Bengali/2014)があまりにも好きすぎて、先行作としての本作も見てみたかったので。アントニー(1786–1836)の伝記的事実について、両作に共通の要素によって、伝承の骨格について分かるところがあり、また映像作家が自由に創作した部分も分かった。本作ではアントニーはポルトガルから来訪したのではなく、ポルトガル人の父とベンガル人の母の間に生まれたという設定。ポルトガル系なのに在地の西洋人社会では英語で話している、また混血として蔑まれながらも一応西欧社会の一員となっている、等々が興味深かった。最大の見せ場はやはりカビガーンのパート。あの闘争的な性格は両作共通。不思議な芸能だ。どうやら詩だけが残り、メロディーは消えてしまったようだ。そもそもが歌舞というよりは即興の詩作合戦というのが基本のようだし。音楽はどれもいい。極めてシンプルな楽曲に思えるのに、ハウラー川の川面やコルカタの古建築などの映像にのるとジーンとする。19世紀初頭のバラモン未亡人がサティーを強制されるという箇所は心底恐ろしかった。

Nadi (Malayalam - 1969)をDVDで。 

クリスマス・ソングのあるミュージカル映画ということで。しかしここでのミュージカルは「名曲揃い」という程度の意味だった。確かに、ぬるい感じのバラードが並び全部同じに聞こえることが多いマラヤーラム映画ソングとしては出色のものが揃っていた。ストーリーは大体先が見えるメロドラマなのだけど、前史の説明がもっと欲しかった。2つの家の不仲の原因はなんだったのかとか。それからリードペアは明かに映画開始前の時点で心を通わせているのだけど、その発端や恋心を押し殺すようになった経緯が不明。まあともかく若い頃のシャーラダの美しさが堪能できて良かった。プレーム・ナシールの男前ぶりも良く分かった。一番魅力的だったのは悪役のマドゥーだったが。この人のドラマティックな容貌からは本当に目が離せない。欧化の度合いが少ないクリスチャンの風俗描写も凄い。バックウォーターに停泊したハウスボートで暮らすというのにはどんな意味があるのか。どう考えてもトイレは備えていない船に見える。しかし水上生活者が必ずしも貧民ではないことが劇中の設定から分かるのだ。これについて調べること。

いつか晴れた日に/Sense and Sensibility (UK-USA/1995)をNetflixで。 

連日のインド映画漬けの箸休めでサラッとしたものを見ようと手を出してみたら140分もあった。まあメモを取らずに見れたという点で気晴らしにはなったけど。普段あまり邦題にはガタガタ言わない方だけど気の抜けたタイトルだ。それにしてもこの作品、ロマンスなのか、お笑いなのか、告発ものなのか、場面場面で変わって見えてまごついた。ロマンスとしては、見かけや如才なさや財産とかに惑わされずに真実の愛を見つけなさいという教訓話か。お笑いとしては、ヒロインの母の世代にあたる人々までもが恋愛の風向きの行ったり来たりに翻弄されて落ち着かない様子がシュールなレベルなのがおかしい。告発としては、この時代の女性の極端な男性依存と結婚依存、そして男性のモラルのなさが、現実性が感じられないほどどぎつく描かれる点。結婚の可能性が曖昧な眼差しや思わせぶりな言葉だけで交わされ、後から裏切った裏切られたの騒ぎになるというのが阿呆臭く思えてしまう。ガッツリ親が決めた相手と見合い婚するインド人が素晴らしく見えてしまうではないか。

Vada Chennai (Tamil/2018) をDVDで。 

なんと二部作前提だったか、予備知識なく見て驚愕。細かいあれこれを消化するには少し時間がかかりそうだけど、ヴェトリマーラン印がくっきり刻印されたギャングもの。ただし、前作Visaaranaiでのような釘付けにするインテンシブさ(主演俳優が撮了後もしばらくハングオーバーから抜けられなかったというあれ)はなかった。Subramaniyapuramのように始まり、途中からKaalaのようになるのが若干不可解。90年代のスラムの大親分を演じる見慣れない俳優がアミール・スルタンだと後から知りビックリ。タイトル通り北チェンナイの漁村(実際には密輸業に転換)のバイオレントな年代記。ご丁寧に各エピソードには西暦年号が表示され、しかもそれが(例えばMGRの死のような)重大事件とリンクしている。にもかかわらず時系列は分かりにくくて、紙に書いて表にしたくなる。さっき獄中にいた人間がなんで娑婆にいるのか?みたいな混乱。しかし最初の方のハルタルからの電器店略奪のシーンはキツい。アンドレア・ジェレミヤーのまさかの鉄火女役は衝撃で、そこから引き込まれた。

Sufi Paranja Kadha (Malayalam/2010)をDVDで。約8年ぶりの鑑賞。 

不当に無視された一作だと改めて思った。ヒンドゥーとムスリムの共存と融和みたいな分かりやすいテーマにすれば映画祭では好評だったかもしれないが、映像作家はそういう安易な道を取らなかった。むしろ19世紀前半のマラバールの社会の総体を価値観を交えずに描き、そこに時空を超えたマジカルな女性のパワーを現前させた。冒頭に登場するビーウィーとだけ称される女性の聖人は、ちょうどケーララの地母神がバガワティーとのみ称されることの対照か。また縁起を説くスーフィー(バーブ・アントニー)が、劇中で最後はサニヤーシーとなって登場するシャング・メーノーン(タンビ・アントニー)と同じ顔(そりゃ兄弟だから)なのにも意味があるかもしれないと気づいた。インドではクリスチャンもムスリムも先祖をたどれば大体ヒンドゥーという当たり前だが言いにくいことを認めたうえで、大伝統の神を遥かに凌駕する、土地の霊力と共にある古来の神の存在の根深さをクッキリと指し示した。性的な表現も厭わない本作だが、一番エロティックなのは女神像発見のシーン。

Ozhimuri (Malayalam - 2012)をDVDで。6年ぶりぐらい。 

公開時に見て大変な感銘を受けた一作。男と女、タミル人とケーララ人、ブラーミンとナーヤル、老人と若者という幾つもの対立軸を展開して、旧トラヴァンコール藩王国の人間関係を描く。これら諸要素は対立しながら混じりあい、汽水域のように絶えずお互いを侵食しつつ濃密なレイヤーを作り上げる。初見時は納得できなかった結末も、今回はすんなり腑に落ちるものがあった。老境の夫婦の、夫は女性を恐れるがゆえに妻に対して専横となったこと、妻は夫の奴隷であり続けたこと、これらを断ち切るために二人は離婚という手段を選び、そのうえで一緒の生活を続けていくという終わり方は、この物語の結語にふさわしい。そこから、過去を恥じることなく(かといって栄光化することもなく)曇りない目で見つめなおし、同時に過去にとらわれることなくより良き関係性を模索しようというメッセージが感じられる。一方で、特定のカーストの人々の群像的肖像を描こうとするこの意思は、インド映画においては極めて特異なものに思える。もう少しきちんとした英語字幕が付いていればと惜しまれる。

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