Luka (Malayalam - 2019)をDVDで。
何かのついでに買ってあったDVDで、トレーラーすら見ていなかった一本。最近こういう白紙での映画体験は珍しい。監督はほぼ新人。構成力の弱さからくる150分の長尺。ただし、見覚えのあるフォート・コーチンの風景、そして醸し出される若者の解放区的な雰囲気には涙しかない。コーチンのビエンナーレが背景になった映画としては初ではないか。サブ主人公である警官の性的不能は非常に奥歯に挟まった言い方で暗示されて、どうだろうと思った。妻であるムスリム女性がヴェールを一切被っていないの印象的。ロマンスが絡んだマーダー・ミステリーで、殺人のトリックは古典的と言えば古典的。それが却って盲点となり、種明かしまで気づかなかった。一方で難病ものとしてのモチーフもあり、主人公にはネクロフォビア、タナトフォビア、アンガー・マネージメント欠如症などと色々盛りだくさん。それらと合わせ技でボヘミアン的アーティストというやや気恥ずかしいパーツもあり、しかしそれらを一つのキャラとして統合したトヴィノは凄いし、トラウマを抱えたヒロインをやったアハーナの個性的な風貌も生きていた。
Kayamkulam Kochunni (Malayalam/2018)をDVDで。
畢生の超大作に見えて案外ひっそりと消えていった感のある歴史もの。堂々170分。19世紀前半に実在したとされる義賊を描く。昨今ブームの時代ものの中では、庶民視点という意味で画期的かも。きらびやかな歴史絵巻を繰り広げようという意思は感じられず、マラヤーラム映画特有の隙間の多い風景が展開して、世界の片隅の辺境感が強い。モーハンラールは文句なしの格好よさ。プリヤ・アーナンドはシュードラの娘には見えずミスキャスト。判断に困るのは主演の二ヴィン。身体を鍛え、乗馬やカラリの特訓をしたのは評価したい。ただ伝説の義賊としてはどうかと思う瞬間も多々あった。豪傑ではなくとても生真面目な奴に見えてしまうのだ。アウトローの孤独や開き直りは表現されず。物語は言い伝えを順々になぞりながら淡々と編年体で語られていくように見えながら、最後のシーンでひっくり返す。ここと、中盤の市(ヒンドゥーの祭?結婚式?)での格闘シーンはファンタスティック。歴史ものというよりは時代アクションとして吹っ切れることができれば、大成功になっていたんじゃないか。
Athiran (Malayalam/2019)をDVDで。
現地公開時からポスターの怪しい光を湛えたファハドの瞳にただならぬものを感じていたので、序盤で彼が冷静な医師であると分かりはぐらかされた。しかしラストでああそういうことかと納得。よく出来た組み立て(まあ、元ネタがあるらしいが)。ただし組み立ては良くともストーリーは冗長。ちっとも怖くないのはわかり切ったことながら、神秘的な情趣が全く感じられないのが問題。多くのレビューが映像美に言及しているが、凝った映像であることは認めるが美があるとも感じなかった。ゴーストハウスの造形などペラペラの安普請感がイタい。どうしてここで手を抜いたのかと疑問に苛まれる。脇役のナンドゥやレナも芝居が妙に安っぽい。しかしこれだけネガティブな要素があっても、ファハドとサーイ・パッラヴィの演技を見るのは無上の快感。無理のあるラブソングもしっかり決めて魅せるシーンにしている。自閉症児がカラリパヤットには特異な才能を見せるというのにリアリティがあるのかどうか分からないけど、舞踊家であるパッラヴィが行う立ち回りの美しさは、それだけずっと見ていたいと思わせるほどに魅力的。
Ishq not a love story (Malayalam - 2019)をDVDで。
シェイン・二ガム主演のスリラー。低予算映画だったらしいけど、やはり上り調子の俳優にはいい脚本が来るものだと感心。冒頭のコーチンのロケ地に涙。シェインはただでさえ頼りない甘えん坊風なのに歯列矯正の金具までつけていて、それが役作りなのか素のままなのか分からず不安。不安と言えば、インド映画の見過ぎで、わき見運転とか道路横断とかのシーンで一瞬先の惨劇を予想して身構えてしまう。なのでラブラブの二人に厄災が降りかかってきたところで逆にほっと安心した。モラル・ポリシングの恐怖と、ポリスの恐怖とを混ぜ込んだクレバーな脚本。134分の映画なのに、一部では冗長と批判された、二度にわたる嗜虐シーン、たぶんそれは最終シーンでのひっくり返しのために必要だったのだと思う。しかしモザイクは必要だったのだろうか。弱いものを見つけて執拗にハラスメントを行う悪人を演じるシャイン・トーム・チャーッコーは目の輝きがヤバすぎる。その妻を演じるリヨーナ・リショーイはもう随分出演作があるのに全く認識していなかったけれど、場違いにゴージャス。
『燃えよスーリヤ』Mard Ko Dard Nahi Hota (Hindi/2018)を試写で。
痛みを感じない病気を持つ男が、幼児に体験した暴力に復讐するために格闘技の道に進むというストーリー。ジャンル映画という形容では足りない、全きオタク映画。モチーフのオタク的読み解きはプレスに詳細に記されていて、とても自分などが口を挟める世界ではない。冒頭のチル・オマージュには痺れたが。そういう細かいことを超えて、インド映画というものが持つ痛覚のなさが皮肉られているのではないかとも思ったり。「それ、絶対死んでるだろ」という身体的ダメージを負いながら、根性と情念だけで戦ったり歌ったりする登場人物というのは80年代を頂点に、普通のメロドラマなどにも全く断りなく現れていた。テルグやタミルなんて今でもそうだ。それに対して無痛症という合理的説明をつけたのは進歩なのか後退なのか。ともあれ、女性がカッコよく暴れる映画は気持ちいい。どこまでも昆虫の生態観察風なクールなナラティブはパスティーシュという意図を明確にするためか。ぞっとするような怪我のシーンでも、怪我を負った人物が痛がっていないと割と平気なもんなんだ。
『カーラ 黒い砦の闘い』でもう一つ思い出したこと。
カーラと妻はティルネルヴェーリの出身。劇中で故地のタミラバラニ川のことが言及されるシーンがあった。彼らは親の代からムンバイにいたので直接の関係はないのだが、1999年に、プランテーション労働者による労働運動への弾圧で、警察により多数のダリトが殺される事件のあったところ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Manjolai_Riots
Aami (Malayalam - 2018)をDVDで。二回目。
最初に見た時はえらく評価してたな、自分。二度目の鑑賞はかなりかったるかった。カマラの生涯のシャレにならない部分を暗示だけであっさり流し、夫ダースのメンヘラをきちんと描かなかった。観客のほとんどは、既にインプットされているカマラの伝記的事実で補いながら見ることになるのだが、そうした作業を当て込んで、映像はただ蝶よ花よと、カマル監督らしい柔弱さが溢れていた。カマラの著作から想を得た詩的なスケッチと言い張ることもできたとは思うが、そういうものだとすると、詩的な飛躍が足りなくて俗っぽい夫婦唱和譚になってしまっている。しかし160分は不思議と長さを感じないのは確か。
https://eigadon.net/@PeriploEiga/13233407
Kaithi (Tamil - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。
279席のスクリーン2は70%ぐらい埋まってたか。デビュー作以降あまりいい脚本に恵まれなかったカールティの代表作となることは間違いない。148分がほぼ全部夜、ソング・ダンスなし、いわゆるヒロインがいない、などなど異色づくしで、ニューシネマ風だけど、こってりしたファミリー・センチメントもあり、後半に行くに従い、非合理の瞬間というか、満身創痍で馬鹿力みたいなタミル・アクションの作風も濃度が上がって来る。そして最後に「それズルじゃん!」という最終兵器(中国製)が出てきて、しかし不思議なくらいの爽快感で終わる。カールティは持ち前の童顔にほとばしる怒りをうまく乗せることができた。つぶらな瞳が愛くるしいジョージ・マリヤーンは初めて顔と名前が一致。なかなかの見せ場を与えられていた。ナレーンは久々に見た感じだが、すっかり脇役に回った感じ。KPYディーナーは初めて見た。プロのコメディアンがこういう素っ頓狂な天然DQN役をやるのが新鮮。いかにも続編を構想中といった終わり方、ヴィジャイ64もいいが早くそっちを作ってくれ。過去作も観なくては。
And The Oscar Goes To..(Malayalam/2019)をDVDで。
『アダムの息子、アブ』のサリム・アフマド監督の最新作。『アダム』の日本での上映に伴う来日で、ちょっと話した際に、製作中の本作のタイトルを教えてくれて、「映画についての映画か~」と楽しみにしていた。それ以上の予備知識なく臨んで、監督のほぼ自叙伝というのに気づき吃驚。主演がトヴィノなんですけど、監督、これは…。ええと、これは自己のイケメン化じゃなく、客を呼ぶための戦術なんだよね、監督。ともかく、デビュー作『アダム』の撮影から封切り、国家映画賞主演男優賞獲得、オスカー外国語映画部門へのインドからの出品作としてのセレクション、LAに乗り込んでのプロモーション作戦、ショートリストに残れず敗退したところまでを時系列順に淡々と描く。所々楽しいトリビアはあるけど、色んなエピソードを詰め込みすぎてどれも掘り下げが足りない印象。ただ勉強になる一本であることは確か。『アダム』では、まるで現身の人間とは思えない崇高な「許し」をリアリティをもって描いていたが、本作のテーマは「どんな人間もグレーである(真っ黒ではない)」か。
Virus (Malayalam/2019)をDVDで。
これについては(自分は行けなかってた)上映会用のプレビューを書くために鬼のように現地レビューを読みまくったのでほとんどストーリーを知っていた。それでも実見して面白かったのは、やはりマラヤーラム映画界が誇る渋い脇役と渋い主役格が一体となって、スターエゴを出すことなく役になり切っているのを目にできたからだろう。ただし、現地レビュー百万遍をやらないで観る人には結構分かりにくい点もあると思う。ヴィシュヌの妻が堕胎を打ち明けるシーンなどがそれ。それからバーブラージ医師の破綻した結婚生活に何か展開があるのかと思うとそれはどこかに消えて行ってしまうとか、ドラマチックにするのを抑制しようとする気遣いが各所に見られる。基本的にはリアリティがある演出だが、デリーからやって来た役人がマラヤーラム語を喋るというのは観客のための方便なのだろうか。それから、地方都市であるコーリコードで、なおかつ救急病棟であるというのを割り引いでも、それでもあの病院のどんよりとした薄暗さと不潔感は恐ろしいと感じる。無菌室みたいなセットにしなかったのもリアリティ追求のためか。
Bigil (Tamil/2019)をイオンシネマ市川妙典で。
518席がフルハウス。タミル人が500人はいたか。アトリ監督は自分には相性が良くない方だが、今作はこれまでのベストだった。スクリーンを支配するのはヴィジャイだが、女性のエンパワーメントを大きくフィーチャーした。アジットにしろヴィジャイにしろタミルの大スターはこうした流れをうまく取り入れてる(それに比べるとテルグのスターさんたちは…とほほ)。ただ、北チェンナイのドンをやってた親父の役までヴィジャイがやる必要はなかったんじゃないかというのが周りの意見。マス映画というのは、ともかくいつも主役が画面にいなきゃいけないモノなのだと再認識。あと、決勝当日にビギルが警察署に連行されて以降のエピソードのロジックが分からないのと、大量のヘロインを打たれて云々の落とし前がよく分からず。多分アトリの手抜きなんだと思う。親父への襲撃にしろアシッド・アタックにしろ、先の見え過ぎた展開ではあるが、そこは突っ込みどころじゃないんだろうね。客席の盛り上がりは、ヴィジャイ>ナヤン=ヨーギ=ARR>カディールという感じだった。ワルシャ・ボッラッマちゃんが良い。
Sanju (Hindi/2018)をインド版DVDで。
ラージクマール・ヒラーニーは苦手だが、本作はかなり良かった。仮に完全なフィクションだったとしても楽しめたストーリーだと思う。実在でなおかつ現役のセレブの伝記とは相当にトリッキーだし、普通に考えてイタいゴマスリになる危険は十分にあったが、独房で便器の中身が逆流シーンや入所時の身体検査のシーンが物語るように、映画の上いく劇的な人生が面白くない訳がないのだ。とはいえ各方面への気遣いもバッチリで、主要テーマは、父子の愛、友情、マスコミ批判に絞られ、男女間の生臭い話は抑えられた。インド映画に特有だと思うのだけど、この映画という虚構の中への現実のリフレインの混ぜ込み方は凄い。他の国なら躊躇して避けるだろうことを意識的にガンガン入れてきてる。癌のサバイバーであるマニーシャーを末期癌のナルギス役で起用したり、役者業でのスランプ突破口としてヒラーニー監督のMunna Bhai MBSSを出してきて劇中でそれを再現するとか。ラストのソングで当人が出てくるとか。手前味噌と言われかねないものをドーンと打ち出してそれを見せ場にする。ジェットコースター感。
Thackeray (Hindi/2019)をDVDで。
ずっと見たいと思ってた謎映画。右翼の超大物の伝記でナワーズが演じるというの、いきなり巨大な疑問符。アート映画のように問題のある人物にスポットライトを当て何らかの批判的なメッセージを発するというのではない、だってシヴ・セーナー公認の伝記映画なんだから。当然ながらなぜこの役を受けたのかというのは何度もインタビューで尋ねられたようだが、役者としてのチャレンジという以上のことは答えていない。出版界の片隅の一漫画家から、政治団体の首領へ、そして結党して連立によって州与党の一翼を担うまでになる道筋を描く。描写は淡々として激情的なところはどこにもない。たとえば、ボンベイをムンバイに変えさせたことひとつとっても、分厚い歴史があるはずなのだが、それは法廷での二言三言に圧縮されている。映像はかなり作り込んだ感じで、冴え冴えと冷たいけれど目に心地よい。筋を追いながらも、いつもの疑問「タ―クレーとラージクマールの違いは政党政治に乗り出したことだけだったのか?」が再び去来した。ラージクマールのファンとして、BJPの批判者として違いを見つけたいところだけど。