Jersey (Telugu - 2019)を川口スキップシティで。
正直なところ、この類の生真面目な作品はいまひとつ乗り切れないのだが、まずまず綺麗にまとまった一本。スポーツ映画なので最後はある種の勝利で終わるだろうことは予想でき、それは予想通りになるのだけど、クライマックスでちょっとしたサプライズがあり、それはとても良かった。ただ、全然違う映画だけど『カーンチワラム サリーを織る人』なんかでも感じたのと同じく、子供の望みを叶えることに親が常軌を逸するほどに全てをなげうってしまうというの、まるでバクティ映画で信者が体の一部を神にささげる行みたいに思えて、若干気持ちが悪い。貧乏な家という設定の中で、それでも妻が綺麗な服を着る言い訳をちゃんと用意した設定が良かった。ジャーナリスト役で登場するサヌシャ(後から調べて分かった)が凄かったな。10年前のReniguntaの少女とは別人みたいな育ちっぷり。そしてラストシーンで27年後のジャーナリストとして登場するところではホントの小母さんになってた。なんだなんだという感じ。
Lucifer (Malayalam - 2019) を川口SKIPシティで。
今回もまたプレビューを書くために現地レビューをアホのように読んだので、既視感たっぷり。特にモーハンラールの繰り広げるあんなことやこんなことはほとんど想定内。なのでどちらかといえば脇役の方に目が行った。ヴィヴェーク・オーベーロイは悪役転向からこっち情けないのばっか見てたけど、今回は迫力があった。吹き替えのヴィニートに賞賛の声が上がってるが、確かに凄い。吹き替えの重要さを今更ながらに痛感した。トヴィノ・トーマスは最初は賑やかし用イケメンとしての起用かと思ったけど、見せ場が用意されており、それに応える芝居だった。それにしても亡父に似せたメイクであれこれというのには笑った、というか唸った。マンジュ・ワーリヤルの役どころには例によってバイオグラフィカル・リフェレンスがあるかも。どかんどっかん盛大にバトルをする場面があるが、スティーファンにしろマスードにしろ、そんなに戦闘力高いなら、最初からマフィアを根絶しときゃよかったじゃんていうのはあるんだけど、それ言っちゃおしまいか。ムラリ・ゴーピの脚本は中二病が若干キツかった。
Mayaanadhi (Malayalam - 2017)をオンラインで再見。
昨年の1月に旅先で字幕なしで見て以来の再鑑賞。やっぱり唸るわ。以前に書いたことをすっかり忘れてまた「これは灰とダイヤモンドじゃん!」と発見して興奮した。特に好きなのがエルナクラム北駅そばのメトロ高架下のCalimiro Restaurantでヒロインがお持ち帰りを注文するとこ。ヒンディー語で注文してた。これなんかもう、仕事帰りの疲れたOLがコンビニで弁当買って帰るところと同じに見えて訳もなく感動した。クライマックスもどこぞのマックだし、徹底的に平凡な都会を描こうとしているようだ。あと駆け出し女優のサミーラがごくごく些細な肌の露出に拘って変な笑いを誘いながら、ラストになってその意味が分かるところ。サウビン・シャーヒルが完璧な悪役として登場し、その笑いを一瞬でひっくり返す、その見事さ。あと、見た目は典型的なタミルの田舎警官3人組がが、それでもそれぞれに違ったものの見方をしていて、後ろ暗い任務に対して意見を戦わせるところ。やっぱりアーシク・アブからは目が離せない感じ。
Avan Ivan (Tamil - 2011) をDVDで再見。
感想は初見の時とそう変わらないのだけど、細部で分からないことが出てきてしまった。ハイネスと称される旧時代の領主の末裔だが、最初の方の台詞では、「かつて妻子、それに大勢の側室がいた(しかし没落と共に親族に見捨てられた)」というように描写されるのに、後半では「結婚を勧められたがしなかった(なので現在は孤独である)」と独白するところがあることに気付き、どちらを採ればいいのか迷う。後者の独白を採るならば、この人はゲイだという可能性すら出てくる。自分は7年前に書いたレビューで「60歳を迎えた土地のラージャー…二人の妻と幾人かの愛人に生ませた15、16人もの子供達は誰一人寄り付かず」とやけに詳しく書いているが、これはどこから来たのか、ちょっと検証してみなければならない。それから「クリミナル・トライブ」の問題、「牛肉の食用」問題などの改めての洗い直しが必要かもしれない。今から8年前の作品、改めて見ると一々禁煙・禁酒広告が入らない画面は、確かに清々しい。
アテネフランセで『仕立て屋akaサイゴン・クチュール』(Viet Nam - 2017)をレクチャー付き上映で。
サイゴンで代々続くアオザイ仕立ての大店の一人娘が、伝統服を嫌い、当主である母と対立しているうちになぜか2017年にタイムスリップするというファンタジー。タイムスリップものなのにベトナムの現代史を一切感じさせないという点が娯楽映画の娯楽映画たるところ。プロットの一々がイージーで、思わせぶりに登場しながら消えてしまうキャラなど、文句を言い出せばキリがないが、ベトナム産のガールポップ映画を見るという稀有な体験の前に不問に付したくなる。陥落前のサイゴン、タリバン以前のカーブル、ホメイニ以前のテヘラン…。先日の2本を見ても思ったのだけど、どんなテーマを扱おうと、映像のインスタ映え的な美しさが半端ではない。これはフランスの置き土産なのか、もともとの民族の感性なのかはよく分からない。尖がった人々の喋る言葉に1969年にはフランス語が、2017年には英語が混じる。レクチャーによれば越映画には南北問題や暗黒期、空白期など様々あり、それ自体が波乱万丈で個別作品よりも興味をそそられるものがあった。
Kumbalangi Nights(Malayalam - 2019)をGalaxy Paradiseで。
認証画面に英語字幕とあるのに字幕なし。事前に現地レビューを読みまくったので筋はほとんど頭に入ってたし、解釈までもが事前に分かってしまっていたのが残念。そんなハンデはあっても、ただもう美しい映画体験だった。カメラのシャイジュ・カリヤドの勝利。大自然の中にありながら小汚いあの半端な感じ、そんな景色を例えようもなく美しく撮る。例えば投げ網の場面の美しさ。演技賞はやはりファハドだが、大げさなBGMは不要だったのではないか。理容師の設定は意外だったが、仕事柄完璧なグルーミングをしてるのに、体型や着衣も含め全体としてどこかちぐはぐで不気味という役作り。初期のファハドの悪役キャラは神経質な奴というのが多かったように思うけど、本作ではある種のインド人にありがちな鈍感の塊。微かに潤んだ目で上から見下ろす余裕の笑みがその鈍感さを際立たせる。シェイン・二ガムはここにきて開花。NPCBあたりでは何とも思ってなかったのに、こうして最前列に出てくると確かにいい男。だけど筋トレとか全く考えてないのが好もしい。
Yajamana(Kannada - 2019)をナルタキで。
単館でマス映画で英語字幕付きに吃驚。後からこれもスレーシャ監督のこだわりポイントだったと知る。ダルシャンが食用油搾り一筋の奴ってのは微かに笑えるけど、これもカンナダ映画に連綿と続いてきた農本主義と巨大企業嫌悪のヴァリアントか。ともかく本作、二点で衝撃的。一つは、アート命の人だと思ってたスレーシャ監督が、よりによってダルシャンの、こてこてマス映画全部入り(一定の間隔で律儀に入る格闘、外国にワープするソング、笑うに笑えないコメディー)、何があったのか問い詰めたい。二つ目は、ダルシャン映画なのに何だか筋が通ってる(それこそがスレーシャ効果なのだが)という点。2011年のSaarathiは傑作と思ったが、それ以降の作品はただもう空疎なヒロイズム称揚に見えて敬遠気味だった。本作には大雑把だけどストーリーがあってロジックも一応ある。気になった点は、主人公の名前がクリシュナなのに、守り神がシヴァナンディであること。それから、村はずれの道祖神前での格闘シーンで背景にあった3頭の異形の神。多分テキトーにそれっぽく作ったってだけなのだろうけど。
Bell Bottom(Kannada 2019)をINOX Lidoで。英語字幕付き。
快作。リシャブ・シェッティは監督としてのイメージが強くて、おだてられて主演までしちまった痛い奴なのかと勝手に考えてたけど、バイオグラフィー見たら出発点では俳優(端役だけど割に重要作品)だったのを知った。今度見直してみよ。ハリプリヤーの方もメイクがこれまでと全然違ってて誰だか分かんなかったけど非常によろしかった。親父役のアチュート・クマールも含め、なんだか80年代のグラマラスがぴったりハマって、まったりといい感じ。不思議なもんだ、自分だって80年代を生きていて、インドに来たことすらあるのに、その時は自分がグラマラスな時代を生きてるとは全然思えなかったのに。リシャブの昔の巡査の制服にも痺れ。一応推理ドラマにはなってるんだけど、謎ときよりも時代性を大いに盛り込んだ即意妙答のやり取りに擽られて笑った。いや、笑えたのは現地人の2割程度でしかなかったと思うけど、その2割にやられた。田舎町の奇人変人の人間模様には、『マレナード物語』をちょっと思わせるところもあって、それがツボにハマった最大の理由かもしれない。
June(Malayalam - 2019)をシヴァージーナガラのサンギータで。
スクリーンが暗い上に字幕が無くて残念。Premamを裏返しにしたような、女学生の恋から結婚までの様々な遍歴を描く。男女を問わず、人は思春期から始まり様々なレベルの恋愛感情を経験するのが普通だが、伴侶は最終的にお見合いで決めても全然かまわないんじゃないか、という幾度も繰り返されてきたインド的な結婚観。主演のラジシャは可愛いけど、パドマプリヤーに似た魔女の鼻がそのうちハンデになりそう。ケーララ人だけどムンバイから来たせいで王子様に見えるサルジャノは、ハイスクール時代は輝いてたのに、成人してヒゲ面で再登場するとなぜだかつまらん奴に見えるのは、役づくりなのか。隠し玉のアーナンド役のアルジュン・アショーカンはただの端役だけど何となく二ヴィンに似てるなあと思って見てたら、後半に予想外の再登場をして、そこでも二ヴィンに似てるのだった。似てはいるけど多分スターにはなれない、本当にスターとその他との分かれ目は何なのだろうと思えてくる。ジョジュ・ジョージの父役が称賛を得ているが、一番美味しい役はこの子だったと思う。
Tik Tik Tik (Tamil - 2018)を機内上映で。
ジャヤム・ラヴィはThani Oruvanでいきなり開花してセクシーな奴っていう扱いになったようなんだけど、あれは脚本と演出の良さによる底上げなんじゃないかという疑念は常にある。本作でも、油断すると顔を覗かせる昔の垢抜けなさ、大味などん臭さが所々で感じられた。チェンナイ周辺に向かって飛来する巨大隕石(だっけ?)が直撃すると数千万人の死者を出すことになるので、それを核ミサイルで粉砕した上で軌道を変えさせる必要があるのだが、色々あってインド保有の核は使えない(何でだっけ?)ので、某国が不法に宇宙空間に秘匿する核を奪って使うという奇想天外作戦。その某国ってのがセリフに出るたびに音消しされてんだけど、ビジュアルでは五星紅旗がそのまま出てくるわ、ちうごくって漢字で書いてあるわで大笑い。その盗みをさせるために、民間人のマジシャン、それも犯罪者を宇宙飛行士として一から訓練するという壮大さ。敵役の中国人俳優は悪くなかった。綺麗なお姉さんも出てきたけど恋愛沙汰を盛り込まないところが潔くて良かった。まあ、おバカ宇宙映画の系譜に連なるものか。
『ボヘミアン・ラプソディ』(UK/USA - 2018)を機内上映で。
予告編を劇場で見てもあまり興味をそそられなかったけど、世に溢れるレビュー類を読みたいという欲から見て見ることにした。日本語吹き替え版。もちろんソングは吹き替えなしだけど。ソングシーンは極上で言うことなし。ソングそのものだけじゃなくパフォーマーとしてのフレディーの躍動する身体性と婆娑羅ぶりに目を奪われる感じ。まあそれにしてもこれは普段慣れ親しんでる芸道ものそのものだわな。この一言で全て言い尽くせてしまう。世の人々があーでもないこーでもないと書きまくってるあれこれも、ほとんどが言わずもがな、伏線だ回収だとか書かれてることも、それわざわざ説明要るかいという感じで。史実をゆがめたとか言われてるのも、インド映画に慣れきってると、何怒ってんじゃい?だわ。
Chalo(Telugu - 2018)を機内上映で。
ナーガ・シャウリヤは見たことなかった、アッキネーニ家の外戚かなんかだったっけなどと思ってたけど、後から調べたら家系じゃない一匹狼だった。それにOohalu Gusagusaladeも見てたし。あんまし印象に残らなかったのは確か。こうしてヒーローとして見てみれば、テルグスターの要件である高身長はクリア、くしゃっとした顔も悪くないけど、インパクトには欠けてるかも。ストーリーは奇天烈で、タミル・アーンドラ州境によって分断されてしまった村でのタミル人とテルグ人の争いの中でのロマンス。主人公はテランガーナ人、ヒロインはタミル人という設定。アチュート・クマールがテルグ人の長という設定。タミル人のトップはマイム・ゴーピで、明らかに野蛮人という演出。ドタバタコメディーにロジックを求めてもしょうがないけど、御都合主義によってタミル人がほとんどタミル語を喋らないので、訳が分からなくなる。一つだけ言えるのは、州境を挟んでいがみ合う村人たちというのは、明らかにアーンドラとテランガーナの隠喩であること。はっきりとは描けないものなのか、そこだけが気になった。
Parava (Malayalam - 2017)をDVDで。
一昨年だったかに字幕なしで劇場で見て、ほぼ撃沈された一作。一般娯楽映画に比べるとセリフは極端に少ないのにも拘わらず、映像の連関が全くつかめなかった。ただ、監督のサウビン・シャーヒルがアート志向を持っていて、カメラマンがそれに完璧に応えたということしかわからなかった。しかし英語字幕付きで見ると、初見の際に辛かったセリフなしの長いシーンもその意味付けが分かって、あまり長さを感じなくなる。マッタンチェーリという極小の、その中でもムスリムコミュニティーの中での息苦しい諍いと、空にハトを放つことで得られる爽快感との対比。ハトの飼育と飛翔競技はイスラーム文化伝来のそれなのか。ともあれ、何の知識もなしで臨んでも、最後のほうではその競技のおおまかなルールは分かるようになっている。二つほど分からなかったのは、中盤で唐突に少年たちが競技凧に夢中になるところ。短いエピソードの後、話はすぐにハトに戻るが。それから監督自身が演じる悪役の性格付け。ヤク中とした意味、それ以外のバックグラウンドの不明さ、バイク炎上のシーンでの奇態なコスチュームについて。
Nene Raju Nene Mantri (Telugu - 2017)をオンラインで。
昨日に続いてラーナーを潰すために半ば課題として見たのだけど予想外に面白かった。感動したといってもいい。いわゆるラーヤラシーマものかと思いきや、政治的なドライブがかかり、田舎の気の良い金貸しから州首相(何州かは明確になっていない)を目指して各種の悪役と戦う極悪主人公の物語が神話的に立ち上がる。主人公が煙草を吹かしまくるとこからはじまり、色んなとこで挑発的な内容。テージャ監督がNTRの伝記映画から外されたのは、この野心的な政治性の表出にあったのではないかと疑われる。ただし現地のレビューは滅法塩辛い。クライマックスに至る部分のロジック無視が気にくわなかったのか。ジュニアのTemperなどとも通じるが、ロジックの破綻を超える力強いドラマがあれば目を瞑れると思うのだが。あるいは事情通氏の言うように、芸能メディアには政治的な力が働いていて、イデオロギーに沿わない良作を腐すような構造になってしまっているのか。ともあれこれは台詞をきちんと吟味しながら見たい一本となった。
2017年のベトナム映画『ベトナムを懐う』(Dạ cổ hoài lang)を試写で。
こちらは北米のベトナム移民を扱ったメロドラマ。ありがちな一世と三世の世代間ギャップとか、行き場のない老人の悲哀とかが描かれて、ああこの展開ねと油断してると、途中からバディ・ムービーに変わっていき、これが泣かせどころとなる。ただ、一世と三世(厳密な言い方ではない、一世の方が後から来たんだから)に挟まれた二世の悲劇的なエピソードにどうもリアリティーが感じられなくて、そこがひっかかった。実話なのかもしれないけど。後から解説を読んで知ったが、元はヒットした舞台劇だそうだ。それから劇中の「S字」についても解説で読んだが、これは解説読まないとわからないというのがちょっと勿体ない気がした。エンドロールにはトロント市が協力したことを示す各種クレジットが続いたが、設定はあくまでもNYで押し通してる。これはちょっとインド映画みたいだと思った。主人公の青年期を演じた俳優の切れ長の目が鮮烈で、その切れ長の目が、老年期を演じる俳優にもそっくりそのままあるのが凄いことに思えた。
2009年のベトナム映画『漂うがごとく』(Adrift : Chơi vơi)を試写で。
ベトナム映画といったら『無人の野』(1979)と『青いパパイヤの香り』(1993)の二本きり。なので俳優や監督にも全く馴染みなく、まっさらな状態での鑑賞。題名通り、水棲植物が波にたゆたうように頼りなく、ゆらゆらとくっついたり離れたりする男女のセクシュアリティの断片。色々と謎のままで終わる結末はアート映画のそれ。身も蓋もなく書くならば姦通をもプロットに含んでいるので、普段接している国の映画だったら、仮にアート映画だったとしても許されない筋立てなんだけど、東南アジアのあの揺らぎのなかでなら、それもありだろうと思わせる。セクシュアリティを巡る欲望と抑圧を巡るにも拘わらず、中心となる男女の面立ちが、あどけないと言えるほどの若々しさ。それが一層のエロティシズムを生む。日本人の自分ですらそう感じるのだから、欧米人などにはさらに刺激的なものとなるのではないか。久々の尖がったアート映画に普段使わない脳筋を刺激された感じ。
Nenu Naa Rakshasi (Telugu - 2011) をDVDで。
事情あってラーナーの主演作はなるだけ見といた方がいい状況になったので、まずDVDになってるこれから潰した。よくよく見れば監督はプーリ・ジャガンナードとあり、居住まいを正して臨んだが、やや見通すのが辛い出来。デビューから僅か三作目のラーナーが頼りないのはしょうがないとして(デビュー作のLeaderはシェーカル・カンムラ監督の演出がよほど良かったのだと思った)、テーマも鋭いし、全体にイイ感じに転がりそうなのに、不発なプロットがいくつも。アリーのレイシスト系エロジョークはただもう痛い。プーリ・ジャガンナードはやっぱ2006年のPokiriあたりが頂上だったのかな。2015年のTemperにはかなりの感動があったのだけど、あれはNTRジュニアの演技力でねじ伏せたものだったのかも。プロットの細かい整合性の雑さが気になって作品が評価できないのは、自分が気難しくなったからなのか、映画にパワーがないからなのかよく分からない。結局裏切らなかったのはイリヤーナーの腰のラインだけだったかも。ラーナーの踊りの能力には重大な疑惑。
Sri Madvirat Veerabrahmendra Swami Charitra (Telugu - 1984)をDVDで。字幕なし。
昨日のMahanayakuduに食い足りなかったので思わず手を伸ばした。字幕なしで、しかも手引きにできるような詳細シノプシスなしでの鑑賞だったので、レビューじみたことは書くべきではない。ところどころにアッと驚くようなイメージあり。それらの現れ方もいかにも唐突で、シュールなヘタウマ絵を眺めているよう。そう、全体的なナラティブが悪夢のようなヘタウマSF映画風で、かつてあれほど繊細巧妙な描写を繰り出していたテルグ神話映画がどうしてしまったのかという印象。しかし1997年のAnnamayyaまで下れば、再び洗練されたものが出てくるのだから、これはキャンペーン映画だからということなのか。だけど、17世紀の予言にたけた聖人の伝記を、選挙に向けたキャンペーン映画にするもんだろうか、普通。このあたりもう少し探求してみるべきか。
NTR Mahanayakudu (Telugu - 2019)をイオンシネマ市川妙典で。
色々予習する過程で、まあこれはかなり骨抜き映画になるだろうと予想していて極力期待値低めで臨んだけど、やっぱり前後編の後半僅か128分てのはいかにもバランスが悪い。前半は散漫すぎるほどに様々な要素を取り込んだのに、後半は党内抗争と反中央闘争と夫婦愛だけ。抗争・闘争は激烈に、夫婦愛は美しく描かれた。さすがのクリシュ監督。ただもう何ての、満腹になれずに帰宅して、うーんベッドに入る前に何食べよう?とか思ってしまうあの感じ。前後編通して良かったのはスマント。それから妙に目を奪われたのは若き日のYSR役を演じたシュリーテ―ジ。別にYSRに似てるとは思わないが、Lakshmi’s NTRのチャンドラバーブ役での人品骨柄の代わりぶり(トレーラーで見られる限りだが)を見ていると、結構役者としてポテンシャル高いのかと思ってしまう。まあ村八分になったりしないように頑張って欲しい。あ、それから、重要な役なのにビジネスヴィディヤー・バーランのヘアスタイリングの手抜きが酷いと思ったのだが、何か事情があったのだろうか。