Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。2回目。
前回ムーナール・ラメーシュと誤解してた警官役はチェータンだった(そしてこの人はプリヤダルシニの夫だというのを知り吃驚)。それから低カースト出身のため特務を任された警官アムダを演じたタミルもかなり良かった。メインのロケ地はSirumalaiとCoutrallamとエンドロールにあった。また、終盤の「イデオロギーを継承せよ、私のファンとして戦ってはならぬ」という意味の台詞も改めて確認した。それと、クマレーサンの最後のシーン、あれは警察官をやめてナクサライトになったということを暗示しているのが、例によって字幕が追いきれなかった。それから列車脱線事故が究極的にはペルマール一味の責任ではないらしいことが語られるのだけれど、それの意味がまだ分からない。Eカンパニーの隊長がドライバーを謀殺したのはパート1での出来事だったかと思い至った。もう一度観ないと。また、回想シーンは最初から血みどろではあるけれど、それでもペルマールは最初の頃は組合主義者だったということがわかり、KKの謀殺後に武装闘争路線を撮ることが分かった。
Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。
昨年4月に観て以来念じ続けた待望の完結編。覚悟はしていたけど重量級の仕上がりでずどんと来る。ただ、パート1の時ほどのエッジの立った感じはなかった。先日見たテルグの極左映画「Cheemaladandu」が素朴極まりない紙芝居として表現したことを、シリアスで芸術的なタッチで繰り返した。過去の抑圧や弾圧のエピソード自体は図式的。ラージーヴ・メーナンを始めとした支配層の色白と現場の人間の色黒の対比は上手い。ただムーナール・ラメーシュの演じる警官の卑劣さが際立ってしまい、焦点がぼけた気がする。山中の道行きが徐々に警官と捕囚の関係性を切り崩していくところは『ヴィクラムとヴェーダ』を思わせた。マンジュのエピソードは美しい。ラストの銃撃戦の金縛りの緊張感からは、以前見たAnek (Hindi/2022)はやはりママゴト遊びだったことがわかった。パート1でも、あるいはAsuranでも思ったことだけど、森の恐ろしさを描出するのが本当に上手い。VJSはよく喋る役で、字幕が追い付かず。彼自身の声で日本語で吹替えてほしいと切に願った。
Jawan (Hindi/2023)を池袋グランドシネマサンシャインで。通常版。
アトリは苦手だけど、確認したいことがあり、渋々見に行った。だがアトリ嫌いから見てこのアトリは今までのベストだった気がする。特有のしつこくどぎつい暴力シーンが少なかった。ロジック無視はいつものことで、包帯巻き巻きが父子で共通してるとかそんな細かいことじゃなく、そもそも冒頭の国境付近の村で明らかにちうごくの軍人がただの村人を急襲して殺傷するとか、そこからもう「お話し」として飛ばしまくってる。ナルマダの婿選びにしてからが、それ男女逆転したら大炎上のパターンだな?だし。見てるうちに「こういうのでいいんだよ、こういうので」感がふつふつと湧いてくる。俳優ではSangay Tsheltrimが印象に残った。Zinda Banda Hoは大体予想通りの使われ方。色んな引用は既に多数指摘されているが、ナヤンは「Imaikkaa Nodigal」のイメージを持ってきてるし(Your time starts nowも)、VJSは「Master」での造形を再利用して省エネ。SRKは息子、そして親父の若い時分のメイクに無理があった。
Gandhi, My Father (Hindi/2007)をオンラインで。
前に『ガンディーの真実―非暴力思想とは何か』を読んでおいて理解ができた。でないと迷子になったかも。マハートマの長子として生まれたハリラールの挫折と悲劇の人生。映画は偉大な父をただ厳格で公正過ぎる人物として、そしてそれゆえのある種の無神経・無理解が息子を追い込んだものとして描いた。しかし息子の人格は割と透明で、「こういう扱いをされたら、それはこうなるだろう」というものでしかない。翻弄される息子を通してマハートマを描こうとした試みに思える。しかし、自身の解脱を最優先事項とした極端な思想の実験者・実践者、自分にできることは他人にもできるだろうと信じて揺るがない、ある意味で非情な社会改革者としてのガンディーの姿が見えないとやや退屈かもしれない。上掲書を読んでいると、南ア時代の友人ヘンリーとの場面で要らない想像をしてしまうが、製作者もそれを意図してのものだったか。ともあれ、聖人フィギュアとして完成形になる前の、どこにでもいそうな温和な小男としてのガンディーの描写は新鮮だった。そして振り回された常識人としての女性たちの姿。
Santosh (Hindi/2024)をヒュートラ有楽町で。
気の滅入るようなリアリズム。北インドの田舎町。サントーシュの夫はムスリムが多い街の暴動の鎮圧に臨み投石で死亡する。恋愛結婚だったので夫の家族から疎まれ自立の道を探り、警察官になり、ダリトの少女のレイプ殺人の捜査を担当する。彼女の姓のシャイニはOBCに多いものだが、これは夫の姓なのか旧姓なのか。彼女が終盤で訪れる地主の家で男たちが彼女の名前だけでは満足せずに姓を問いただす場面がある。上官のシャルマ―は婆羅門か。彼女が入った警察官舎の部屋を居心地のいい別の部屋と取り換えるために身の回りの雑事を要求する署長などなど、チクチクと嫌なことが積み上がる。サントーシュはダリトの少女の家で出された水を飲まない。その村ではしばしば動物の死体が井戸に投げ込まれる。少女の携帯に残っていたメッセージから怪しいムスリム少年が浮かび上がる。すべてにおいて杜撰なインドがぐわっと迫ってきて、またほとんどすべてのことがあるある過ぎて欝になる見事な構成。上司であるシャルマ―警部の、面倒見がよく、タフな現場責任者だが、組織の中では従順なキャラクターの造形が見事。
Raajakumara (Kannada - 2017)をYTで。
ただし、ヒンディー語吹替・字幕なしの「Daring Raajakumara」。前半はオーストラリア。NRIのゴージャス・ライフをたっぷり見せ、他愛ないラブストーリーも入れ込む。オーストラリア人にインド人のプライドを誇示するプロットも。本題に入るのは主人公以外の家族全員が飛行機事故で死亡してから。「日本以外全部沈没」じゃあるまいし、雑過ぎるツイスト。主人公がインドに戻り、ベンガルールで訪れるのが「カストゥーリ・ニヴァーサ」。ここは主人公が育った孤児院で、今は老人ホームになっている。ここに至り主人公の父が薬害で非難を浴びていたことが初めて開示される。ところがその薬害は、厚生大臣を追い落として自分が後釜に座ることを目論んだ政治家の陰謀だった。主人公はこの政治家を改心させ、政治家が自首するところで終わる。そして主人公の肩には親父様の映画と同じ鳩が止まりに来る。プニートはぶれなく不動のモラル支柱を演じており、退屈なこと極まりない。プニートが不動なので周りのキャラクターが入れ代わり立ち代わりの芝居をするが、どれも型にはまったもの。
Bagheera (Kannada - 2024)をNTFLXで。
スーパーヒーローに憧れる子供がマントを着けても空を飛べないことを知り挫折する。母に諭され、父と同じくスーパーパワーなきスーパーヒーローとしての警官を目指し、キャリア組として着任し、マフィア殲滅に着手するが、警察内の「システム」に阻まれてまたも挫折。仮面を被って生きろと言われて本当に仮面を被る。そして警官時代にはない無常さでギャングを殺していく。その辺りからマンガロール市警のこの男を国家の守護者、あるいは神として祀る演出が始まる。しかしクライマックス一つ前の港湾のシーンで、スーパーな彼1人よりも雑魚の警官の集合的な力の方が勝るという映像も挟まれる。ヴィジランテもヴィジランテ、すさまじく陰惨な暴力が支配するし、惨たらしく殺されるヒロインにも吃驚。BGMはKGFそっくりだと思ってたら、そもそもストーリーがプラシャーントNのものだった。彼を追うCBIが「神様へのお勤めは坊主がやる、それ以外の者が関わるのは認めない」的なことを口走るなど、たとえ話の伝統が健在。味方にするのがハッカー、クソガキ、酔っぱらいの火薬職人ていうのが何とも。
Swathi Mutthina Male Haniye (Kannada - 2023)
タイトルの意味は「真珠のような雨粒よ」か。西ガーツ山中のホスピスに勤めるプレーラナー。全くの大自然の中にあるとは信じがたいモダンで瀟洒な邸宅でお洒落な服をとっかえひっかえするヒロイン。しかしTGIKのように家事は自分で行っている。夫と2人暮らしだからなのか。その夫は浮気をしていることが分かってくる。しかし彼女は何も文句を言わず、そのことを夫と共通の知人である医師から「mature」と褒められる。ある日入院して来た末期癌患者のアニケートの振る舞いに最初は反発し、しかし彼が書いた詩を目にして心を改め、プラトニックな恋愛にまで至る。夫がそれを責めた時、「braveね」と言い返す。このbraveの原語が知りたい。この場面の演技がいい。アニケートへの思いを母にだけ打ち明けた時、母は「母としては責めるが、女としては祝福する」と言う。終末期の人間の描写としては綺麗すぎるのは仕方がないか。ファンタジーとしてはあんな湖の見える洋館で最期を迎えられたらと思う。誌的な台詞のいちいちをゆっくり味わってみたい気にさせる一本。
Ibbani Tabbida Ileyali (Kannada/2024)をオンラインで。
回線が細く倍ぐらいの時間をかけて見た。タイトルは「露に抱かれた大地」か「大地を露に抱かれしめよ」なのか。富裕層男女の恋愛だが、その豊かさが奢侈品などに現れるのではなく、文学を愛好するようなソフト面に表出されるのがいい。プレーム監督あたりからの「愛とはなにかしら」テーマが非常に洗練されたものになった。少女趣味とすら言えるほどの純粋ロマンスで、現実の汚濁と距離を置くために、ベンガル人、ワイナリー、ゴア、サッカーなど、現実感のないモチーフを散りばめた。バンガロールの街路も全然バンガロールらしくない。ヒロインは詩の他にワイナリー経営の夢も持つが、葡萄にはインド映画が糾弾してやまない飲酒の悪は紐付かない。年長者にはモラルの先導者としての役割はなく、全てがリードペアの主体性の中で決まる。ヴィハーン・ガウダはヴィジャイDに似てるけど、もうすこし誠実そうな感じが出せる。アンキター・アマルは最初は子供じみたヒロインに見えたけど、物語が進むにつれ、子供をから大人までを演じ分けていたことが分かる。ダンスの振付もいい。
Shivaji Surathkal: The Case of Ranagiri Rahasya (Kannada/2018)をオンラインで。
ここのところ納税仕事めいた鑑賞が多かったけど、これは本当に面白かった。アガサ・クリスティーの超有名ミステリからアイディアをいただいていることは途中で何となくわかり、謎解きの面白さは特になかったけど。回想部分をマイスール、現在部分をケーララ州境(黒魔術といったらケーララだから?)としているのが新鮮。主人公がマディケリに行けと言われて嫌がるのだけがよく分からなかシーヴァージ・サラトカルが特別にエキセントリックな人物として造形されたのはそれ以外の登場人物から目を逸らさせるためか。何だかラメーシュがバラクリに見えて仕方がなかった。悪い奴がテルグ語を母語としていることは意味があるのか。冒頭ソングAPARICHITAのビジュアルは本当にいい。フラッシュバックの挿入の仕方も混乱させることなく、また捜査するシヴァージ自身がだんだん妄執に捕われていく様の演出も巧い。聾唖の女性黒魔術師のエピソードだけは不発感あり。劇団員のシーンの場所はシャンカル・ナーグ劇場なのか。
Manjummel Boys (Malayalam/2024)をオンラインで。
洞窟内のパニック映画とは知ってたけど、「ボーイズ」が実はおっちゃんだらけなのに感銘。パーティ成員の年齢に幅があるような気がしたが、回想の子供時代の彼らはほぼ同い歳に見える。綱引きに興じる(これがグループの主目的なのか?)など普段から割と大人気ない連中が旅に出てさらにはっちゃけるのがイタい。天罰なのか何なのか一人が深い穴に転落する。『Aramm』と同じ展開じゃん。ラーマチャンドラ・ドゥライラージが出てくるのは製作者も意識してるからなのか。立ち入り禁止区域に入るいい歳したボーイズも酷いが、人命救助にまともに取り組まない警察も酷い。迷信深い地元人の描写もあり。遵法意識の低さと命の軽さ、インドの悪いとこが全部出たような映画なのに、とりあえずはカタルシスが得られるのが癪に触る。深い穴を取り囲む深い森の神秘的な佇まいと人間たちの騒ぎとの対比が。結局、祟りとかはなく、危ないところには蓋をすればいいだけのことなのに「これまでに13人死んでる、諦めろ」とか酷いな。落ちた奴も含め各人が徐々に日常生活に戻っていく描写は面白かった。
Ramaleela (Malayalam/2017)をDVDで。
ディリープのもので食指が動かず放ってあったけどこれは拾い物のポリティカル・スリラー。脚本はあのサッチだ。公開時にディリープは逮捕されてたが、興収トップに。もちろん撮影は逮捕前のものだが、悪という字が浮き上がるような容貌になっている。CPMとNDAがモデルの2つの政党の間をスイッチした男が補欠選挙の運動期間中に遭遇した、衆人環視の元での政治家の暗殺事件。彼が筆頭の容疑者となるが、軟禁状態から抜け出してゴアの沖合のリゾートアイランド(実際のロケ地はモルディブのサン・アイランド)に潜伏し、電話やネットが遮断された状態で真犯人が誰なのかを推理するという展開。利用されるのは特ダネに飛びつくマスコミ、信じやすい警察、激しやすい大衆など。後から考えれば物理的に無理なトリック、偶然に頼り過ぎた仕掛けなどはあるのだが、まずは緊張感のあるストーリーと、イイ顔親父満載のキャストに癒される。レナが吃驚する美しさになっていた。前半ではコッチの旧市街の知ってるホテルがロケ地だった。死体役でしか知らなかったプラギヤ・マールティンはシャープな感じで好感。
Mr. & Mrs. Ramachari (Kannada/2014)をDVDで。
『Naagarahaavu』の主人公と同じ名を持つラーマ―チャーリは、勉強はあまりできないが腕っぷしの強い奴に育ち、ヴィシュヌヴァルダンの強火ファンとして騒ぐ以外は悪友との酒と煙草で無為に過ごす。とりあえずラージクマールかシャンカル・ナーグかヴィシュヌ翁のファン、というありがちスタート。アクションの一部ではコブラを使ったものがあった。最初のソング(確か)ではカルナータカ州旗がはためく。しかし生意気盛りのヤシュの主演作なのに、基調はロマンスで、一定の間隔ごとに始まるアクションシーンはすべて女子に不埒なことをする不良が相手。社会の巨悪と戦うシーンはない。大学で出会ったディヴィヤと相思相愛になるも、取るに足らない行き違いからの冷戦の最中に、ラーマ―チャリに家庭の事情が降りかかり、恋路にストップがかかる。ありがちな優秀な兄や、心臓の弱い親族とか、婚約者の方にも恋愛の相手がいたとか、クリシェ満載。ただ、最後にチトラドゥルガ―のあの岩山を持ってきたのは新鮮だった。しかし大事な誕生日のプレゼントにあの写真はどうなのか。
Amaran (Tamil - 2024)をイオンシネマ市川妙典で。
インド人を中心に30人強ほどの客入り。鉄兜ものという以外予備知識なしで見て、実在のタミル人将校の伝記映画だと知る。映画内言語としては、タミル/マラヤーラム語は方言のレベルで入り混じり、登場する人々は難もなく理解し合う。ヒンディー語やテルグ語もタミル語字幕なしでそこそこ出てくる。カシミール人とのやり取りで緊縛した戦闘シーンになると現地語の上にタミル語を被せる方式と都合よくタミル語を話せる奴の登場とでしのぐ。慣用句を連ねたような鉄兜ものだが、作劇は緻密で、カシミールでの作戦行動にも一定のリアリティーがある(実話だからか)。軍国の母/妻を演じたサーイ・パッラヴィも型通りの脚本の中で見事な演技。新進パラニサーミ監督はサウス伝統の能天気カシミールものを恥じて北インド人にも見せられるようなものを作りたかったんだろうか。ただ外国人の共感を得られるかというと難しい。相手をパキスタンではなく国内のミリタントとしたところが問題をはらみ、例えば投石者たちを民間人だが足を引っ張る者としか描けていない。それが軍人にとってのリアリティーだからだ。
Buddhivantha (Kannada/2008)をVCDで。
字幕なし鑑賞。後からタミル語映画『Naan Avan Illai』のリメイクと知ったがもう遅い。台詞の多い作劇ではあるが、ウッピのハイテンションで何とか見られてしまう。薄っぺらい詐欺師が薄っぺらい犯罪を繰り返し、そこに映画の慣用句のラブソングを入れることでシニズムとニヒリズムをあぶり出しているように感じたがどうか。中の一曲は中国の都市部(深センか?)でロケしているようで、うすら寒い感じが却って効果を上げている。一番傑作なのはサローニをフィーチャーしたラーヤラシーマのパートで、ボリウッド、タミルのパロディーも混じるが、本格的にファクション映画のパロディーをやっているところ。全体としては女性への搾取をカジュアルかつグロテスクな形でサタイアにする意図か。大学映像研のような青臭い映像は、ネガ、シャッフル、逆回し、早回し、リピートなどを多用する。ともかくこのメタ視線と虚無的な軽薄さで貫かれた悪夢のような映像は、はウペンドラのために作られたものにしか見えず、リメイクとは信じられない。こういう作品が興収トップになるカンナダ語映画とは。
再見シリーズ:Killing Veerappan (Kannada/2016)をDVDで。
RGVらしいエッジの立ち方と、シヴァンナの大芝居とが不思議なくらい融合。主人公がヴィーラッパンを狩る公的な理由と私的な理由を述べる箇所、私的な理由として「ラージクマール誘拐が許せなかった」と述べるあたりに歌舞伎味がある。史実と異なる点はRGVのそうあって欲しいという願望か。「次の誘拐の標的はラジニカーントだ」というくだりは痺れる。検問所の入り口でチャイを売っていた男が、部族民を利用し、警察の失態に乗じて今や強大な悪魔になった」という台詞が印象的。シュリヤが、おっかなびっくりの協力者だったはずなのに、いつの間にかエージェントになっているのだけはよく分からない。後から読んだ資料では、ヴィーラッパンの死後、森はかえって無秩序になって資源が枯渇してしまったというような話も読んだが、作中では感情移入させるような人間味をあまり描写しなかったのが良かった。
再見シリーズ:Kirik Party (Kannada/2016)をDVDで。
プレビューまで書いて備えた一作だったけど、あまりピンと来なくて自主上映で1回見たきりでほったらかしだった。そもそも学園ものが合わない。中盤のヒロインの唐突な退場もあまりといえばあまりで、不条理劇みたいなのに一方で甘酸っぱい青春ロマンの味付けがよく分からなかった。再見してみて、多少印象は良くなった。欧米風ミュージカル仕立てというのはかなり斬新。初学年の借りてきた猫から最終学年のヤクザもどきへの変貌、Premamでもあったけど、無茶ながら演じ分けるラクシトは凄いと思った。最後に与えられる許し、下級生女子に助けられて心がほぐされていく過程など脚本は上手く組み立てられている。二人のヒロインの対比もいいし、年上の女性との恋愛を普通に受け入れているところも新しい。ハーサンの大学におそらくは北東州からの学生が多くいることもアクセントになっている。一方で学園もの全般から受ける、「やんちゃ放題をやっておいて、卒業式でスーツを着たら何食わぬ顔で分別臭い社会人」という図式に寒々したものを感じたりもした。
Brother(Tamil/2024)を川口スキップシティで。
大雨予報の日とはいえ、30人前後の動員、そのうちインド人は2~3人のみとは。問題のBadugas Nightはカーステレオから流れる1分弱の音に縮小されていた。きっと大がかりなソングシーンを撮ってあったんだろうに。本編は古臭い家族センチメントドラマで逆に新鮮。わざわざ舞台をウーティーにするというのもレトロ。融通が利かない愚直な正義漢が社会と摩擦を起こし続け、厄介払いで姉の嫁ぎ先に預けの身となるが、そこでも問題を起こし続ける。姉の婚家の家長でコレクターの地位にあるシヴが最大の敵だが、彼を懐柔しようとすればするほど姉を始めとする婚家の他のメンバーがシヴを見限って家を出てしまう。実の両親に姉の婚家での安定を守ることを誓った主人公がやればやるほどぶち壊しにするのを笑うコメディーだがあれこれ不発。ソング1曲目Makkamishiではジェヤム・ラヴィが古典舞踊を習っていたという驚愕の事実と目の前のビジュアルのギャップにクラクラ。いや別にヘタではないんだが馬鹿殿がそんな風に踊らなくてもというお気持ち。バダガと思われる部族の顔出しもあった。
Malaikottai Vaaliban (Malayalam/2024)をオンラインで。
予備知識なく見始めて、なんじゃこの無国籍はと思い始めたところで、リジョー作品だったことを思い出し納得。しかし最後の5分ぐらいで悪い予感がしてラストにIIの文字が出たところで「リジョー、おまえもかあ」となった。タミル語とマラヤーラム語が話される広大な岩砂漠。師匠と弟弟子と共に牛車で遍歴するワーリヴァン。行く先々で土地の力自慢を倒して看板を貰っていく。弟弟子は武芸家というよりは先触れの吟遊詩人のよう。途中のアンバトゥールのマライコッタイ(山城のことだが、実際には並置にある)南欧語を話す魔的な植民地支配者と勝負して、人民を解放する。しかしそれすらも彼の武勇譚の連なりの一つでしかない。赤子の時に賊に襲われ全滅した村で生き残り、師匠に拾われた孤児であるワーリヴァンだが、ティルチェントゥール村の大祭での悲劇により、本当の出生の秘密を知る。師匠と縁を切った彼の前に得体のしれない怪物が現れるところで幕。寓話的な物語を奇想を凝らした映像の連なりで語ることの巧みさはさすがのリジョーだが、適切な尺があるんじゃないか。
Devara (Telugu/2024)をオンラインで。
1996年とその12年前の1984年が舞台(メインの現在時は96年より遡る?)。アーンドラ・プラデーシュ州とタミルナードゥ州の州境部分の海辺の切り立った山地ラトナギリ。そんな地形なので僻村のまま放置されたエッラ・サムドラというエリアに4つの隣接した村があり、基本的には漁村なのだが、いつしか密輸の下働きに手を染めるようになっていた。村人は元々は尚武の気風を持つ戦士の末裔で、4村が合同で行うアーユダ・プージャー(道具=武具祭り)は大祭と位置付けられていた。4村のうちの一つの村長デーヴァラは、ずば抜けた強さと冷静さを持ち合わせていたが、自分が加担した密輸が無辜の人々を殺す原因になったことを知り、足を洗う決意をする。それに反対する他の人々との間で武闘が起き、彼は姿を消す。村人たちに、再び密輸を行えば、必ず彼が犯人に死の裁きを与えると予告して。時が流れ、成長した彼の息子ヴァラダは外見こそ父に似るが、怯懦で無力な青年だった。またしても二部作。コラターラ・シヴァのストーリーは例によって緩いが、その分ジュニアの演技をたっぷりと見せることになった。