もっと見る

犬王(2022)を109シネマズ湘南で。 

予告編だけの情報で見に行ったけど、非常に良かった。まさかの芸道もので、南北朝〜室町時代が舞台のロックオペラだった。できれば歌詞だけでも日本語字幕をつけてほしかった。実在の謎めいた人物がモデルだとも、原作小説があるとも後から知った。普段見てるものとは違い、97分という短尺なので呪いの部分と未完の復讐についてはやや説明不足に感じられた。小説を読めば理解できるだろうか。しかし音楽はいいし、何よりも絵が素晴らしい。盲目の主人公の心象のぼんやりした視界から始まり、父ちゃんの亡霊(『デーヴィド』を思い出す)、厳島神社の鳥居のフジ壺、異形の犬王の無重力の躍動、ステージの視覚的演出まで圧倒するものがある。最後の犬王の変節(と思われるもの)だけが咀嚼しにくいものがあった。言葉を扱うものは言葉に殉じるが、肉体で語るものは融通無碍に生き延びるということか。室町の世の京の都にハードロックというパラレルな世界にすんなり入り込める楽曲構成の妙。平家琵琶と能楽の謡いとが混じり合うというのは実際にあり得ることなのか。エンディングのアニメーターのクレジットにはベトナム人名が多数。

Gangubai Kathiawadi (Hindi/2022)をNTFLXで。 

騙されてボンベイの娼館に売られた田舎娘がやがて赤線地帯全体を取り仕切る大女衒となり、4000人の女たちのために社会と渡り合うという物語。おなじような境遇の女たちの中でリーダーとして頭角を現し、大小の様々な敵と戦うが、最終的には全員が彼女を称えるようになる(それはPMと対面したからなのか?、そして面談の結果何が変わったのかを見せてほしかった)。アーリヤ―が童顔のままで鉄火を演じるのを楽しむ映画。ヴィジャイ・ラーズはもっと見せ場があってもよかった。フマー・クレーシーはどこに出てきたかと思ったら、ムジュラ―の場面の色っぽい小母さんだった。娼婦としての哀しみよりもリーダーとしての手腕がメインのテーマなので、彼女がいかに豪胆で交渉に長けているのかを見せることになり、よくあるヒーロー映画でのアクションや恋愛は退けられた。演説や権力者との交渉など、各場面の配置はいいが、もっと魂から絞り出すような表現が欲しかった。つかの間の恋も、御大尽として男遊びを楽しむ余裕ぶり、しかし相手に身を固めさせるシーンでの咬み殺した悲哀の表現。

Ante Sundaraniki! (Telugu/2022)を川口スキップシティで。2回目。 

再見でやっと理解できた点。
スンダルの会社は思い切った広告戦略に出るがその割に予算がないので、会社で一番役立たずな者をモデルとして活用する/リーラの病は想像妊娠とかよりももう少し深刻/馬頭双神タトアストゥは夕刻に願い事を何度も唱えるとそれが現実に起きる/バラモンはいいようにおちょくられてるが、クリスチャンに対してはいじりはない/幼少時のスンダルのクラスメートでオバがラーダーだという少年は、長じて不妊治療医となる/スンダルはなぜ妊娠判定薬にそんなに詳しいのか/キールティ・スレーシュのギャグは今回もまた分からなかった/ラストのオチの写真家の名が実は家庭教師だったというのもよく分からず/ローヒニが演じた母の役名/業務出張+写真のコースという名目で出かけたNYから、そんなに簡単に帰って来られるものなのか

Virata Parvam (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

マハーバーラタになぞらえた何者かと思っていたら、ミーラー・バーイーものだった。ヒロインは民謡歌手の娘。村人はほとんどが低カースト。隠れて回し読みされていた革命詩人の詩に熱狂して昂ぶり、警察とのいざこざの場に現れた本人を見て恋に落ちる。そして無謀にも家を出て彼のdalam(部隊という程度の語か)に加わろうとする。無知な田舎娘の危なっかしい探索の末に奇跡的に目指すところに行きつく。相手にしない男に対して粘りに粘り、入隊し戦闘員となる。しかし彼女の到来が多くの同志の死と重なったため、スパイと疑われてハイコマンドからの指令で処刑される。保守的な俗物に見えた従弟がナクサル支持の言明をするところ、テランガーナの伝統工芸の人形、ミーラー・バーイーの詩の引用、「戦闘員として死ぬのは低カーストだけ、理論家のハイカーストは生き延びる」、父親の歌う民謡、などなど印象的な要素多数。トレーラーにあって本編にないシーンも幾つか見受けられた。わき役に徹してストイックなゲリラを演じたラーナーもよかった。常識外の狂気の愛をSPは美しく演じた。

Cobalt Blue (Hindi/2022)をNTFLXで。 

日本語字幕付き、邦題は『コバルトブルー』。ケーララが舞台のヒンディー語作品というだけの情報で見始め、色々吃驚。フォート・コーチンのそこここ、特にKMBのインスタレーション会場がそのまま使われたと思しきロケ・スポットが懐かしい。主人公の住む屋敷も覚えがあるけど名前が思い出せないもどかしさ。ただし、青カンの現場のあの沼地はあり得ねえと思う。全体におしゃれ過ぎる演出なのだけど、フォート・コーチンのあの特有の空気感は出てる。プラティーク・バッバルが謎めいたバイの男を演じて実にはまっている。ヘテロ男女の三角関係なら単なるだらしなさになるものが、クイアだと美しくなるというのはなぜなのか。冒頭で語られる、主人公のマハーラーシュトラからケーララへの移住の理由が、父親の性欲処理という身も蓋もないものであるのと対照的。インドラジットの嫁の名があったので興味津々だったが、尼さんだったとは。そして尼さんが箪笥の内側に貼っているブロマイドがナグ様というのが何とも言えない。性愛描写は美しくロマンチック、差し挟まれる、愛の絶望と諦念とを歌う詩が美しい。

Liar's Dice (Hindi/2013)をNTFLXで。 

低劣な日本語字幕付きで。たったの103分なのにグダグダになりながら見た。最終的には国内労働移民への非人間的な扱いがテーマだと分かるが、そこまでの間で主にナワーズッディーンにまつわるエピソードがよく分からず謎めいていて、娯楽映画ではないので最後まで謎のままで残り、不完全燃焼感がある。本名が分からず、銃を携帯しており、登場シーンでは大怪我をしていた。インド・チベット国境警察の身分証を持つが、バスが検問で止められるとなぜか緊張している。部分的には「バジュランギおじさん」を思わせるところもあるのだが、もちろんその道行きは苦さに満ちている。開始後20分ぐらいから本格的なロードムービーになるのだが、そこで行きかう人々は皆狭量で他者を思いやる余裕はない。ヒロインである母親からすれば、敵意に満ちた世界で、その中で欲得ずくではあるが金さえ払えば助けになりそうなナワーズが唯一の頼みの綱であるという状況。よく考えればこの非人道的な扱いは、2020年のパンデミック下のロックダウンで労働者放っぽり出しでさらに劇的なstatisticになった訳だが。

王の涙 -イ・サンの決断-(역린、2014)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。3月に見た『王の運命 -歴史を変えた八日間-』の続編ではもちろんないのだが、ちょうど綺麗に歴史の連続をカバーしている。壬午士禍での思悼の米櫃餓死事件の背景の解釈もまあ違ってるし(本作では英祖はやむなく実子である思悼を殺したという筋立て)、『運命』の方では貞純王后は不思議なほど賢い女性として描かれているのに対し、こちらではメインの悪役に近く、典型的なファム・ファタールの演出。基本的には血腥い宮廷クーデタの一部始終を時系列で追うだけなのだけれど、「●時間前」などというテロップが何度も出て、息苦しさが尋常ではなく、休み休みやっと観た。王一人を守るために/殺すために、庶民階級が無数に死ぬ。この感じは『イワン雷帝』のそれに近い。あれは様式化された歌舞伎なので安心して見ていられるが、こちらはただ重苦しい。『中庸』二十三章の引用はとても効果的でラストに繰り返されるところが感動的。キーパーソンである忠臣が尚冊(図書の者)であるというのもくすぐられる感覚がある。それをもってブロマンスとか言ってしまうのはどうかと思う。

Haathi Mere Saathi (Hindi/2021)をオンラインで。 

プラブ・ソロモンがラーナーというそこそこのスターと組み、初の多言語展開、しかもテーマは相変わらずの愛象ものというので、期待と不安半々で臨んだが、どうしちゃったんだという出来。ヒンディー語版の舞台はチャッティースガルということになった(でも撮影はケーララのはず)。劇中で50年森を守ったとあり、ラーナー演じる野人が初老の男で、いわゆる「村外れの狂人」に近い演出もあるが、中途半端に思える。サブ主人公を演じた俳優も、生っ白い都会風で、マハウトには到底見えない。ナクサライトもバリバリに登場するが、この軍団が部族民の生活よりも象の福利厚生に執着しているというのがあり得ない。警察はエンカウンターや村の焼き払いをやりたい放題なのにさ。安いコメディアン、薄っぺらい悪役、イージーな恋愛譚、木を植えるから偉い風な単純化されたエコ正義など、調子外れ感と引き伸ばし感が酷い。プラブ・ソロモンの大好きな、煌めく象の眼と霧にけぶる大森林とは時たま挿入されるが、物語と嚙み合わない。そういや野生象として登場する軍団は雌ばっかだったがなんでだろ。

Ante Sundaraniki! (Telugu/2022)を池袋ヒューマックスシネマにて。 

176分の長丁場、配信だったら大変だったかも。すごい爆音にさらされ続けて台詞も多くグッタリだけど、テルグ人観客は終始気持ちよく笑い続けていた。ナーニらしい、アクション皆無&ペーソスが基調のユーモア。アメリカに行ったけど何もせずに帰ってきた部分のプロットがちょっと弱かったか。当てずっぽうで書いた「カーラーパーニーを穢れと見なす超保守派のバラモン」が当たってた。古典音楽教師のおばあちゃんが許諾の代わりにヴィーナーを弾くとか、清めの儀式のあれこれとか、好きなように笑いのネタにしている。対してクリスチャンの方にはおちょくりはない。直接的な描写はないにしても、結構な身の下ネタで話が進むのだが、ナーニ+ナスリヤだと生々しさがない。男児向けと女児向けの自転車の構造の違いにそういう意味があるのか?Thadasthu Devathaluという馬頭双身神は初めて見たが、名前は tat (so) + astu (happen or be it) からなり、その神に向かって言ったことは実現するというの、うまい使い方。

Vikram (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

期待が膨れ上がっていたけど、珍しくそれが報われた。満席のホールにカマルの人気を再確認。カマルのうっとり自己陶酔と、他の役者たちのそれを邪魔しないけれども存在感たっぷりな芝居のコンビネーションが良かった。印象的だったのはチェンバン・ヴィノード・ジョーズで、注目のファハドは予想よりもずっと普通の人でやや肩透かし。VJSはケダモノを演じきった。「先にKaithiを見とけ!」は単なるご祝儀コメントかと思ったら実質的な続編だった。カマルのダンスはかなり省エネ型だったけど、アクションは申し分なし。ローケーシュの大好きなビリヤニと重火器もパワーアップ、ロマンスは相変わらず最低限。終盤でフリップ付きで紹介されるエージェント・ティナ、ローレンス、ウッピラッパンがいちいちカッコよく、特にティナのシーンは大うけだった。前作に出て来たとかそういうのでもなく、スリーパーセルの設定だったようだ。あれゲスト出演のあの人は?と思ってたところに極悪野郎として出てきたスーリヤにも吃驚。これは初の悪役ということになるのか?次作はカマル軍団vsスーリヤになるのか?

Jana Gana Mana (Malayalam/2022)をNTFLXで。 

沢山盛り込んだ映画で、満腹。着想元は2019年ハイダラーバード・エンカウンター事件、それにローヒト・ヴェムラの自殺、政界の腐敗、警察の腐敗、大学の腐敗、肌の色差別、マスコミの軽率と軽薄などなど。前半の中心はレイプ殺人事件を担当したACPが、苦渋の決断として容疑者をエンカウンターで殺すところ。後半は彼を裁く裁判で原告側の弁護士が超法規的制裁の是非を問うとともに、事件そのものの驚くべき真相を明らかにするというもの。どうして原告側弁護士にそんな真相が分かるのかという疑問にはぎゅうぎゅう詰め感のあるラストで一応説明がされるが、若干説得力に欠ける。マラヤーラム語映画なのだが、舞台はカルナータカという設定で(大学はマニパル大学あたりのイメージ?)、またタミル語を喋る脇役も多数。英語も当然多い。スラージの演じるACPも一部カンナダ語を喋っていた。悪役政治家はタミル語を喋りながら名前は明らかにテルグ人で、これは要するに汎南インドの仮想空間を作るための設定なのかとも。こういう混ぜこぜは好きじゃないが、テーマに合致してはいる。

Super 30 (Hindi/2019)をオンラインで。 

やっぱインド映画の教育ものとは相性が悪いわ。よくよく考えれば、教育ものというだけじゃなく、このころ大流行だったバイオピックでもあるわけだ。まあ日本と印度じゃ教育の位置づけが全然違う。インドじゃ磨かれない原石が最貧層の中にもゴロゴロいて、それを以下に拾い上げて磨き、社会のために奉仕させるかというところに主眼がある。一方日本じゃ、天才や秀才じゃない者が社会の中での自分の居場所を見つけ、平均的な教養を身に着けるかというところが問題意識の中心がある。天才を探すことに必死なインドには、落ちこぼれを構っている余裕はまだないのだ。二時間半の長々しいストーリーは基本的にはスポコンのフォーマット。しかし勉強は地味で画面映えしないので、クライマックスの前にはスリラー展開を加えた。お蔭で寝ないで観られたが、ズルと言えばズルだ。エンドロールでは様々な表彰がテロップで流れ、お約束の「偉い人に褒められたから偉い」論法。英語コンプレックスの描き方にしても半端。理系ばかりが持て囃される風潮にそのまま乗っかってて、『Kalloori』を見てくれと言いたくなった。

Anek (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

下ネタ絡みじゃないアーユシュマーンを始めて見たかも(偏見)。ストーリーは非常に分かりにくく、固有名詞は伏せられている。3州にまたがる反政府運動となっているが、おそらくはナガランドがモデル。横山ノック似のあの実在の人物が思い浮かぶ。台詞は基本的にヒンディー語。父親に「アッパー」呼びかけられていたのが印象的。警察の覆面特殊部隊員が北東州の工作で潜入。上司は内務省の実力者。有名な反政府ゲリラのトップのタイガーは高齢化して、口で勇ましいことを言うだけらしいが、配下の軍事組織はまだ実力がある。このタイガーを政府との和平協定の場に呼び出して協定を結ばせ、紛争は終結したことにしたい政府。タイガーにゆすぶりをかけるために、造反して離れて行った過激派のジョンソンにこっそり援助をしている(?)。何度かカシミールとの対比がなされ370条と371条が言及される。また「インドに行く」「アッサムに行って稼げ」などの台詞も。ナスリーン・ムンニ・カビールが字幕翻訳を担当していた。予測可能なボクシングのエピソード、サージカル・ストライク、少年兵の最期などちぐはぐな印象。

Ugramm(Kannada/2014)をDVDで。 

何年ぶりかの鑑賞。この作品は大画面と大音響でなければ意味がないので、さらっとなぞるものであることを肝に銘じながら。まあそれと、どうしたってKGFと比べてはしまう。本当は二部作にしたかったのだろう無念とか、国家の力の及ばない治外法権ギャング・ネーションとか。思ってたよりもコメディーシーンの占める割合が高く、しかもおかしな二人組、八百屋、悪ガキ、それにヒロインと、ボケの担い手が多彩で独特。これがKGFから完全に失われてしまったもの。シュリームラリはパッと見が貧相で、やはりイケメンとは言い難いのだが、怒りの表現は素晴らしい。しかしそれよりも何よりも、硬派で不器用な男の含羞、母への誓いを破ることへの葛藤、内なる情動との戦いを、極めて抑制された演技で示すところが最大の魅力となっている。ラブソングのシーンにおいてすら破顔することはなく、ほんの微かな口の表情と眼差しだけで表現する。全編中に数回しか現れないそれらを、観客は両手で受け止めて稀なる甘露であるかのように飲み干すのだ。アクションシーンは意外に簡潔で、むしろピリッとした山葵のように感じられた。

Bhool Bhulaiyaa 2 (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

期待値最低限で臨んだが、それでもチャチだった。シリーズ前作から引き継いだのは、ラージパール・ヤーダヴとクライマックスソングとベンガル人設定だけ。舞台はラージャスターンのハヴェ―リー。なのに怨霊はベンガル人女性。怨霊に取りつかれた人間がベンガル語で話すのが今になると分かった(しかし英語字幕は区別をしていない)。いきなり最初にシムラーあたりのスキー場から話が始まりそこからチャンディーガルへのバス旅行など始まり、何かと思った。そこからラージャスターンにリードペアが赴く理由がバカバカしくご都合主義で、その程度の話なんだということがそこで分かってデタッチモード。怨霊の種明かしも1キロ手前から見えてるような素朴なもので、明らかに怖がらせや謎解きが主眼の作品ではない。城館の一族の中の戯け者たち、司祭兼霊能者の一族全員がお笑い担当で、コテコテのギャグを後から後から繰り出す。憑依の芸を見せるのが女優ではなく男優というのは目新しいが、別に感動はない。タブーの演技が高い評価を得ているが、お化けとしての作りは安っぽく通俗的で冴えない。

Aligarh (Hindi/2016)をオンラインで。 

LGBQ差別を告発する戦闘的な映画かと思っていたけど、そうではなかった。シラース教授はムスリム大学の中にありながらヒンドゥー教徒ブラーミンで、人気のない現代地方語学部のトップでマラーティー語の教授でもある。性的嗜好以前にすでにマイノリティー。そして俗世には興味のない旧時代の詩心を生きる人物。人生の友は詩と酒と愛。ディープーに会った時の「君ら若者は何でも1語で片づけようとする」という台詞が象徴するように、レッテル貼りを嫌う。ゲイという言葉も彼にとっては新奇なもので、性交をしていた相手のイルファーンのことも友人としか呼ばない。かつては妻帯していたこともある彼は、女性、イルファーン、ディープ―とのそれぞれの関係性に分かりやすい1語のレッテルを貼って確別しない。それぞれが薄っすらと連続した愛の関係であるかのようだ。大学の教員宿舎から始まって、その後転々とする住処はいずれも寒々と寂寥感漂う場末だが、64歳の彼の周りだけはそれを認めまいとするかのようなある種の優雅さが漂う。最後に謎なままに残ったのは下手人というよりイルファーンの共謀の有無か。

Pizza (Tamil/2012)をDVDで。 

たぶん5年ぶりぐらいの再鑑賞。恐怖にゆがむVJSの顔をひたすら凝視するという歪んだ愉楽。そしてゾロリとほくそ笑むあのシーン。やはりあそこがいちばんのクライマックスだ。しかしリードペアはどちらも孤児でクリスチャンという設定だけど、周りはお構いなしにヒンドゥー教のお祓いを受けさせたり、ティラカをつけさせたりしてるのがいい。それから、二人の質素な住まいというのが、案外広々として趣のある借家だというのも印象的。あと、どうしてもミスだと思えるのは、ピザの本来の発注主が黙ってたのかという点だ。

Don (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

SKだからあまり期待せずに臨んだ。レビューはミックス。メッセージを伝える意図は不発気味だが、エンタメ要素はそれなりに楽しめるという意見が大勢。学園のがんじがらめ規則を粉砕するというトリックスター的主人公の搔きまわしは痛快で、悪役のSJSもいつまでも眺めていたい気にさせる好演。しかし後半から急に出てくる夢の実現話と父とのエモーショナルな絆の話は場違いで安易。本来別々の話をイージーにつなぎ合わせた感があり(特に唐突に映画モチーフが出てくるあたり)、SK作品のスケールはまあこんなもんだよなとの感想。サムドラカニが凄いというレビューもあったが、肯えない。気鋭の監督から、かなりキてる悪役になったところまでは良かったが、その悪も擦り切れてしまい人情もの常連まで来てしまったかという無念さ。それにしても、高校生という設定の若作りSKは痛々しいが、逆にメガネっ子のプリヤンカーはむしろカレッジギャルよりもいいとい不思議さ。舞台はポッラーッチ~コインバトール間らしく、時折遠景として映る緑の洪水のような景色が美しく、これを活かせないのが不思議だった。

Bell Bottom (Kannada/2019)をDVDで。 

改良版日本語字幕で久しぶりに見た。わずか3年前のものなのに、遠い日のような記憶が蘇って不思議な気分。ノスタルジーに塗りこめられた作品なのに、画面自体はキラキラしてる。恥ずかしい感じをお洒落で包んで仕上げる画面作りには高度な知性が感じられる。そしてBGMを含めた音楽の質が高い。至ってお気楽なコメディースリラーなのに、台詞に織り込まれた歴史や文化の厚みが凄くて圧倒される。特にリンガーヤタ派の未知の世界はもっと知りたくなる。引用される文豪の言葉、ハリカタの芝居、冗句に現れる儀軌の面白さ等々。以前はヨーガラージ・バットのキャラに感銘を受けていたけど、ピント役の俳優もやっぱりいい。

Acharya (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

印度人は6~7人しか見に来てなかった。アーンドラとオディシャの州境付近の部族民が住む山中の大寺院城下町が舞台。部族民は純粋な信仰と自然との共存、アーユルヴェーダの知恵などなどお約束のてんこ盛り。しかし信仰の場にサンスクリットの声明が出てくるのはやはりどうかと思った。部族民がいるところ、レアアースあり&悪徳鉱業マフィアあり。そして部族民への抑圧に対してマオイストが反撃するのも定石。しかしフィクションとはいえ極左暴力をここまでの称揚をやっちまうということはチルはもう政治家稼業は諦めたということなのか。似たような筋立てでもAkhandaはヒンドゥー右翼から絶賛され、本作はボコボコに叩かれるというのはハッキリしてなという感じ。しかし回想シーンでチルの若い頃の顔がCGで出てきたのには驚いた。ラストの悪役との対決シーンの神懸かった映像美はすごい、日食まで起きてた。悪役が串刺しされた三叉鉾から滴り落ちる血までもが美しかった。踊りは省エネタイプが多かったけど、ヒロイン抜き親子共演のBhale Bhale Banjaraでは意地を見せた。

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。