もっと見る

身勝手な願望だけど九龍城寨之圍城は 

半年ぐらいしてから、場末の客もまばらな映画館で見たい。昨今の応援消費的な傾向の強いファンダムはそういうお気持ちに厳しいのは知ってるから表立っては言わない。というか一番館での上映が終わると、二番館にファンが殺到するのが最近のカルト映画だから、場末でのしめやかな上映など無いんだろうとは思う。そうなるとねらい目は一番館での上映打ち切り間際となるか。見極めが難しいかも。

Vidaamuyarchi (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

舞台がアゼルバイジャンということ以外何も知らずに臨んだ。12年の結婚生活の末に破局した男女。主人公は妻を実家に送り届けるためバクーからグルジアのトビリシに車で向かうが、道中で故障し、妻をコンテナ車に託して1人になる。故障は簡単に直り、合流先のカフェに行くも妻の姿はなく、敵意ある人々だけがいる。そこから妻を探すための彼の戦いが始まる。米映画『ブレーキ・ダウン』を大体なぞったものだという。ラーマーヤナ的ヒロイン奪還劇に、熟年の離婚というこれまでタミル語映画が扱ってこなかったモチーフを絡めた。ともかくアジットはレーサーだから、アクション映画の中にカーチェイスを必ず入れるように心がけているのか。結構色んな車に乗ってた。アゼルバイジャンはあんなに砂漠が多いのか。コーカサスというより近東のイメージに近く、劇中BGMも微かにアラブ風。現地人はインド人に憎しみを募らせていることを暗示する台詞があった。中盤で妻の仕組んだ謀殺という説明が悪役からされるが、あれは劇終で完全に否定されたのだろうか。空前の現地語使用率で英語字幕必須作。

Tholi Prema (Telugu/2018)をオンラインで。 

ヴェンキー・アルトゥーリ監督デビュー作と聞いて。品のいいデートムービーといった趣のロムコム。アンガーマネジメントに問題のある男子と常識人の女子とが恋仲になるが、女子にちょっかいを出す奴への男の怒りの爆発がきっかけで破局。6年後のロンドンで社会人となった2人が再会して同じプロジェクトに取り組むことになり、恋心は再燃するがお互いにすれ違うという話。列車での出会いから始まり地下鉄駅で終わる。パーツは全部使い古されたものだが、洒落た台詞が多い。ワルン・テージは不器用な奴役がハマるが、地が不器用なだけじゃないかとの疑念。こういう作品ならもっと胸がキュンキュンするはずなのにそれがなかった原因がそれ。コカ・コーラのタイアップだったのかもしれないけど完全にヤバい使い方。酒を混ぜたり、缶を袋に詰めて武器にしたり、大丈夫だったのか。ラーシ―は登場シーンのメガネっ子が衝撃的だったが、すぐ後の学園のシーンでいつものOL風の見た目になっているのが宜えない。6年後に変えるべきだった。台詞はところどころ洒落てる。タマンのバラードが珍しく印象に残った。

Lucky Baskhar (Telugu/2025) をオンラインで。 

1992年、インドが経済開放に舵を切った翌年のムンバイ。インディラの銀行国有化の大鉈を逃れた民間銀行に勤めるバースカルは、概ねは真面目だったが、貧しい中で妻子を養うため、職場近くのイラーニー・カフェで時間外の業務をこっそり行うなどしていた。確実だと思われた昇進が実現しなかったことで彼の何かが壊れ、銀行から現金を持ち出して密輸の資金として貸し出し利益を得ては元本をこっそり戻すことを繰り返す。やがて念願の昇進も果たし、小遣い稼ぎの不正行為も株式のインサイダー取引なども含み規模が大きくなる。しかし、そうとは知らずに地下社会の大物の資金洗浄の片棒を担ぐことになり、しかもそれが頭取以下の銀行上層部も関与する大型経済犯罪であることを知った彼は、露顕すれば金融危機を招きかねない裏金融から足抜けしようと試みる。家族のための小さな悪事ならば見逃されるというインド映画特有の価値観を前面に押し出した。ただ、同じドゥルカルの悪人ものでも殺人がないのでKurupよりは後味がいい。時代設定も絶妙。見つかるか見つからないかのドキドキ演出が巧み。

Pushpa 2: The Rule (Telugu/2024)をオンラインで。 

横浜港に荷揚げされた怪しいコンテナに満載の密輸紅木。その奥から現れたプシュパは日本の三下ヤクザを相手に暴れた末に取引先の組長と面会して交誼を結ぶ。彼が日本にまで来たのは末端流通に一番近い相手と直接取引して巨額の売り上げを得ることが目的だった。彼を発奮させたのは、彼がCMとツーショット写真を撮るという妻の望みが叶えられなかったこと。ならばCMを差し替えようと考え、政治資金を得て目的を叶える。その後はスリランカに行ったり、異母妹を誘拐から救出したり、大太刀回り。中盤の祭礼のダンスからアクションへとつながる長大なシーンは最大の見せ場で、ヒーローが神と重ね合わせられる、あるいはヒーローに神が降りるというよくある陳腐な演出が、異次元レベルで突き抜けたものとなっている。名前が示すように荒ぶる主人公にはなぜか女性的なものがついて回る。最後の親族との和解でプシュパが泣き崩れるのは、インティ・ペールが幼時から刷り込まれた呪いだったことが分かる。そこで終わりなら綺麗だっただろうが、Rを3つ重ねたいという製作者の意図があるのか。

Radhe Shyam (Telugu - 2022)をオンラインで。 

どちらかといえばドン引きに近い姿勢で最後まで何とか見た。インディラー・ガーンディーの非常事態宣言(1975)を予見し、本人の前でそれを言った天才的な手相見のヴィクラマーディティヤ。彼はそれにより危険人物とみなされてインドにいられなくなりイタリアに住む。そして多くの女性を相手に恋の遍歴の生活を送る。ローマで彼が出会ったプレーラナは医師だが、院外では奇矯な行動をとることもある女性。2人はすれ違いの後に相思相愛となるが、プレーラナが余命2~3ヶ月であることが分かる。しかしアーディティヤは手相から彼女が長寿を全うできると断言する。同時に彼は自分は彼女と結ばれることはないと告げてロンドンに発ってしまう。少女趣味・文学趣味・成金趣味・西欧崇拝が一体となってやりたい放題をした感じの2時間15分。様々な方向性を模索していたとはいえ、よくプラバースはこの脚本に承知したものだと思う。幾ら写実主義ではない象徴的な物語とはいえ、この映画のイタリアの描写は、サウス映画のカシミールと同程度の解像度。敢えて言うならSaawariyaと同じ仲間か。

Madha Gaja Raja (Tamil - 2025)を川口スキップシティで。 

12年熟成と評判のポンガル映画。田舎で非公式な治安維持活動をしている男MGRが、元犯罪者を狙った暗殺計画を阻止し標的となった男とその娘を匿ううちに娘と恋仲になるが、家族の反対で離れ離れになる。その後彼と3人の幼馴染が恩師の家で再会するが、彼らは皆人生の危機にある。そのうち2人の窮状の元はカルクヴェールという悪徳実業家。彼はメディア・マネー・ミニスター(だったっけ?)という3つのМを意のままにして、今や自身が大臣になろうとしている。MGRが3人組と共にカルクヴェールを懲らしめる一部始終。あまり人死にはないが、ラストできっちりシャツが破ける。アーリヤーのカメオにビックリ。予想通り懐かしい顔がわんさか。マニヴァンナン、マイーバラ以外にも、ニティン・サティヤー、サダーなど最近見ない連中も。死体の二人羽織ギャグは先週のヴェンキーのでも見たばかり。ツインヒロインがヒーローを巡りつばぜり合いをするのも、派手派手の田舎ダンスの舞台ポッラーッチも共通。Veeraを受け継ぐような一夫多妻を暗示する井戸からの引き揚げシーン。

1/19Daaku Maharaaj (Telugu - 2025)を川口スキップシティで。 

1996年のアラク渓谷に住む名家の当主クリシュナムールティはMLAの弟の無法を告発する。それに対しMLA一味は報復を試みる。クリシュナムールティの使用人はボーパールの刑務所から密かにダーク・マハーラージを脱獄させ、運転手として館に入り込ませる。その後一度は館を去ったマハーラージだが、再び館がMLA一味に襲われた時に駆け付け、麻薬栽培に手を染めていたMLAらを撃退する。ここまではだいたいKaithiの筋書きか。1992年、マハーラージはダコイトではなくチャンバル渓谷の水問題に取り組むエンジニアだった。違法な鉱山採掘をしているバルワントを処罰するよう彼と妻は県長官のナンディニに進言するが、ナンディニはバルワントの妻だったため、話は筒抜けになり、村人たちは虐殺される。マハーラージは怒り狂って復讐し、そこから彼と生き残りの村人はダコイトになる。ここに来るとKaththiとかが混じってくる。そしてビジュアル的にはBobbili Puliオマージュが入る。バラクリ好みの熟女に混じるシュラッダーが目を引いた。

1/19Sankranthiki Vasthunam (Telugu - 2025)を川口スキップシティで。 

ヴェンキーのお祭り映画というだけの情報で見に行って、面白かった。F2みたいな問題もなく、ただひたすらおバカ。テランガーナに来たNRIのIT系大企業家がギャングに誘拐されたことで、かつて警察の凄腕だった男ラージュが田舎(ヴァイザーグ周辺?)から呼び戻される。タッグを組まされるのは元カノのミーナークシ。この婦警さんのゆっさゆっさ揺れる胸元だけで思考は停止。別れる時に一生お前だけを愛し続けると言った男はその後サッサと結婚して6年経った今は4人の子持ち。妻のバーギヤラクシュミは素朴なおかみさん風だが嫉妬心は強く、ラージュとミーヌの作戦行動に付いて行くと言い張る。一同は人質と交換するために収監中のギャングのボスを連れて指定の場所に出かけるが、バーヌのミスからそのボスが転落死してしまう。などなど。アイシュワリヤーをこういう田舎の嫁さん役にキャストしたのは斬新だけど必ずしもハマっていたようには思えない。デーヴァヤーニ型の女優が欲しかった。シュリーニヴァース・アヴァサラーラのCEOは使い捨て感。

Vanangaan (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

バーラーの作品はトラウマ級の痛そうな描写があるから躊躇ってたけど、見て良かった。ナーガルコーイルのカラフルさ、何とも言えないユーモアが印象に残った。2004年大津波で家族を失った聾唖の少年コーティが同じ境遇の女児デーヴィを妹として育てる。彼らの元の宗教が何だったかは名前からしか推し測れないが、二人はキリスト教徒の庇護下で育ち、いずれの宗教にもなじんでいる。コーティを慕うティーナは彼の分を補うかのように口が達者で実際に彼を助けるが、一度怒ると彼は相手が女でも容赦せずに手を上げる。アンガーマネジメントの話、性的犯罪の被害者が声を上げられない話、神話的なレベルでの(シヴァ?)神の怒りの寓話などが混じりあう。キャラクター造形にはNandhaやPithamaganからのリサイクルも。『Anna Thangi』からのイタダキもあるとのこと。冒頭で泥の中からペリヤール胸像とガネーシャ像を引き上げるイメージに込められたのは何か。シヴァージ似の牧師さんには笑った(バーラー・シヴァージという役者)。ミシュキンはなかなかにいい役を貰ってた。

2024回顧。 

数えてみたらのべ119本を見ていた。しかし旧作の見返しや業務での繰り返し見(上の数字にカウントされないものも数本はある)がやたら多く、不満。数年越しのウィッシュリストも潰せていない。

今年初見でのトップ賞はCaptain Miller、その次がSwathi Mutthina Male Haniye、Viduthalai 2。

旧作を見直して、「買いかぶりが過ぎたか」というのがMajestic、逆に面白さがやっと分かったというのがJakieとRaaj The Showman。プニートごめんよ、となった。

Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。2回目。 

前回ムーナール・ラメーシュと誤解してた警官役はチェータンだった(そしてこの人はプリヤダルシニの夫だというのを知り吃驚)。それから低カースト出身のため特務を任された警官アムダを演じたタミルもかなり良かった。メインのロケ地はSirumalaiとCoutrallamとエンドロールにあった。また、終盤の「イデオロギーを継承せよ、私のファンとして戦ってはならぬ」という意味の台詞も改めて確認した。それと、クマレーサンの最後のシーン、あれは警察官をやめてナクサライトになったということを暗示しているのが、例によって字幕が追いきれなかった。それから列車脱線事故が究極的にはペルマール一味の責任ではないらしいことが語られるのだけれど、それの意味がまだ分からない。Eカンパニーの隊長がドライバーを謀殺したのはパート1での出来事だったかと思い至った。もう一度観ないと。また、回想シーンは最初から血みどろではあるけれど、それでもペルマールは最初の頃は組合主義者だったということがわかり、KKの謀殺後に武装闘争路線を撮ることが分かった。

Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。 

昨年4月に観て以来念じ続けた待望の完結編。覚悟はしていたけど重量級の仕上がりでずどんと来る。ただ、パート1の時ほどのエッジの立った感じはなかった。先日見たテルグの極左映画「Cheemaladandu」が素朴極まりない紙芝居として表現したことを、シリアスで芸術的なタッチで繰り返した。過去の抑圧や弾圧のエピソード自体は図式的。ラージーヴ・メーナンを始めとした支配層の色白と現場の人間の色黒の対比は上手い。ただムーナール・ラメーシュの演じる警官の卑劣さが際立ってしまい、焦点がぼけた気がする。山中の道行きが徐々に警官と捕囚の関係性を切り崩していくところは『ヴィクラムとヴェーダ』を思わせた。マンジュのエピソードは美しい。ラストの銃撃戦の金縛りの緊張感からは、以前見たAnek (Hindi/2022)はやはりママゴト遊びだったことがわかった。パート1でも、あるいはAsuranでも思ったことだけど、森の恐ろしさを描出するのが本当に上手い。VJSはよく喋る役で、字幕が追い付かず。彼自身の声で日本語で吹替えてほしいと切に願った。

Jawan (Hindi/2023)を池袋グランドシネマサンシャインで。通常版。 

アトリは苦手だけど、確認したいことがあり、渋々見に行った。だがアトリ嫌いから見てこのアトリは今までのベストだった気がする。特有のしつこくどぎつい暴力シーンが少なかった。ロジック無視はいつものことで、包帯巻き巻きが父子で共通してるとかそんな細かいことじゃなく、そもそも冒頭の国境付近の村で明らかにちうごくの軍人がただの村人を急襲して殺傷するとか、そこからもう「お話し」として飛ばしまくってる。ナルマダの婿選びにしてからが、それ男女逆転したら大炎上のパターンだな?だし。見てるうちに「こういうのでいいんだよ、こういうので」感がふつふつと湧いてくる。俳優ではSangay Tsheltrimが印象に残った。Zinda Banda Hoは大体予想通りの使われ方。色んな引用は既に多数指摘されているが、ナヤンは「Imaikkaa Nodigal」のイメージを持ってきてるし(Your time starts nowも)、VJSは「Master」での造形を再利用して省エネ。SRKは息子、そして親父の若い時分のメイクに無理があった。

Gandhi, My Father (Hindi/2007)をオンラインで。 

前に『ガンディーの真実―非暴力思想とは何か』を読んでおいて理解ができた。でないと迷子になったかも。マハートマの長子として生まれたハリラールの挫折と悲劇の人生。映画は偉大な父をただ厳格で公正過ぎる人物として、そしてそれゆえのある種の無神経・無理解が息子を追い込んだものとして描いた。しかし息子の人格は割と透明で、「こういう扱いをされたら、それはこうなるだろう」というものでしかない。翻弄される息子を通してマハートマを描こうとした試みに思える。しかし、自身の解脱を最優先事項とした極端な思想の実験者・実践者、自分にできることは他人にもできるだろうと信じて揺るがない、ある意味で非情な社会改革者としてのガンディーの姿が見えないとやや退屈かもしれない。上掲書を読んでいると、南ア時代の友人ヘンリーとの場面で要らない想像をしてしまうが、製作者もそれを意図してのものだったか。ともあれ、聖人フィギュアとして完成形になる前の、どこにでもいそうな温和な小男としてのガンディーの描写は新鮮だった。そして振り回された常識人としての女性たちの姿。

Santosh (Hindi/2024)をヒュートラ有楽町で。 

気の滅入るようなリアリズム。北インドの田舎町。サントーシュの夫はムスリムが多い街の暴動の鎮圧に臨み投石で死亡する。恋愛結婚だったので夫の家族から疎まれ自立の道を探り、警察官になり、ダリトの少女のレイプ殺人の捜査を担当する。彼女の姓のシャイニはOBCに多いものだが、これは夫の姓なのか旧姓なのか。彼女が終盤で訪れる地主の家で男たちが彼女の名前だけでは満足せずに姓を問いただす場面がある。上官のシャルマ―は婆羅門か。彼女が入った警察官舎の部屋を居心地のいい別の部屋と取り換えるために身の回りの雑事を要求する署長などなど、チクチクと嫌なことが積み上がる。サントーシュはダリトの少女の家で出された水を飲まない。その村ではしばしば動物の死体が井戸に投げ込まれる。少女の携帯に残っていたメッセージから怪しいムスリム少年が浮かび上がる。すべてにおいて杜撰なインドがぐわっと迫ってきて、またほとんどすべてのことがあるある過ぎて欝になる見事な構成。上司であるシャルマ―警部の、面倒見がよく、タフな現場責任者だが、組織の中では従順なキャラクターの造形が見事。

Raajakumara (Kannada - 2017)をYTで。 

ただし、ヒンディー語吹替・字幕なしの「Daring Raajakumara」。前半はオーストラリア。NRIのゴージャス・ライフをたっぷり見せ、他愛ないラブストーリーも入れ込む。オーストラリア人にインド人のプライドを誇示するプロットも。本題に入るのは主人公以外の家族全員が飛行機事故で死亡してから。「日本以外全部沈没」じゃあるまいし、雑過ぎるツイスト。主人公がインドに戻り、ベンガルールで訪れるのが「カストゥーリ・ニヴァーサ」。ここは主人公が育った孤児院で、今は老人ホームになっている。ここに至り主人公の父が薬害で非難を浴びていたことが初めて開示される。ところがその薬害は、厚生大臣を追い落として自分が後釜に座ることを目論んだ政治家の陰謀だった。主人公はこの政治家を改心させ、政治家が自首するところで終わる。そして主人公の肩には親父様の映画と同じ鳩が止まりに来る。プニートはぶれなく不動のモラル支柱を演じており、退屈なこと極まりない。プニートが不動なので周りのキャラクターが入れ代わり立ち代わりの芝居をするが、どれも型にはまったもの。

Bagheera (Kannada - 2024)をNTFLXで。 

スーパーヒーローに憧れる子供がマントを着けても空を飛べないことを知り挫折する。母に諭され、父と同じくスーパーパワーなきスーパーヒーローとしての警官を目指し、キャリア組として着任し、マフィア殲滅に着手するが、警察内の「システム」に阻まれてまたも挫折。仮面を被って生きろと言われて本当に仮面を被る。そして警官時代にはない無常さでギャングを殺していく。その辺りからマンガロール市警のこの男を国家の守護者、あるいは神として祀る演出が始まる。しかしクライマックス一つ前の港湾のシーンで、スーパーな彼1人よりも雑魚の警官の集合的な力の方が勝るという映像も挟まれる。ヴィジランテもヴィジランテ、すさまじく陰惨な暴力が支配するし、惨たらしく殺されるヒロインにも吃驚。BGMはKGFそっくりだと思ってたら、そもそもストーリーがプラシャーントNのものだった。彼を追うCBIが「神様へのお勤めは坊主がやる、それ以外の者が関わるのは認めない」的なことを口走るなど、たとえ話の伝統が健在。味方にするのがハッカー、クソガキ、酔っぱらいの火薬職人ていうのが何とも。

Swathi Mutthina Male Haniye (Kannada - 2023) 

タイトルの意味は「真珠のような雨粒よ」か。西ガーツ山中のホスピスに勤めるプレーラナー。全くの大自然の中にあるとは信じがたいモダンで瀟洒な邸宅でお洒落な服をとっかえひっかえするヒロイン。しかしTGIKのように家事は自分で行っている。夫と2人暮らしだからなのか。その夫は浮気をしていることが分かってくる。しかし彼女は何も文句を言わず、そのことを夫と共通の知人である医師から「mature」と褒められる。ある日入院して来た末期癌患者のアニケートの振る舞いに最初は反発し、しかし彼が書いた詩を目にして心を改め、プラトニックな恋愛にまで至る。夫がそれを責めた時、「braveね」と言い返す。このbraveの原語が知りたい。この場面の演技がいい。アニケートへの思いを母にだけ打ち明けた時、母は「母としては責めるが、女としては祝福する」と言う。終末期の人間の描写としては綺麗すぎるのは仕方がないか。ファンタジーとしてはあんな湖の見える洋館で最期を迎えられたらと思う。誌的な台詞のいちいちをゆっくり味わってみたい気にさせる一本。

Ibbani Tabbida Ileyali (Kannada/2024)をオンラインで。 

回線が細く倍ぐらいの時間をかけて見た。タイトルは「露に抱かれた大地」か「大地を露に抱かれしめよ」なのか。富裕層男女の恋愛だが、その豊かさが奢侈品などに現れるのではなく、文学を愛好するようなソフト面に表出されるのがいい。プレーム監督あたりからの「愛とはなにかしら」テーマが非常に洗練されたものになった。少女趣味とすら言えるほどの純粋ロマンスで、現実の汚濁と距離を置くために、ベンガル人、ワイナリー、ゴア、サッカーなど、現実感のないモチーフを散りばめた。バンガロールの街路も全然バンガロールらしくない。ヒロインは詩の他にワイナリー経営の夢も持つが、葡萄にはインド映画が糾弾してやまない飲酒の悪は紐付かない。年長者にはモラルの先導者としての役割はなく、全てがリードペアの主体性の中で決まる。ヴィハーン・ガウダはヴィジャイDに似てるけど、もうすこし誠実そうな感じが出せる。アンキター・アマルは最初は子供じみたヒロインに見えたけど、物語が進むにつれ、子供をから大人までを演じ分けていたことが分かる。ダンスの振付もいい。

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。