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Jailer (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

初回ではないにも拘わらずインド人の熱気で凄いことに。ネルサンはDoctor、Beastと見て、お気に入りとはいいがたい監督だったが、本作はキャリアのトップであるのは間違いない。英語題名や物理法則無視のガンアクション、多言語の混在などはこの人の癖なのだと分かった。特に多言語は本作で爆発していて、マラヤーラム、カンナダ、テルグ、ヒンディー、英語が乱れ飛ぶ。これが本当のマルチリンガルと言わんばかり。バイオレンス度はこれまでになく高い。Kaalaに続き孫がいる設定のラジニのメイク(回想の壮年時代の分も含め)が素晴らしい。爺さんだがアクい、現役の仕置き人という設定はすげえ、年齢を無視したヒーロー仕草、あるいは年齢に合わせたストーリーの翻案というより、アクションヒーローの概念の書き換えだ。前日見たチルのBSと比べてしまう。アニルドの音楽は使いまわし感あり、途中Masterを見てるのかと思った。カンナダ、マラヤーラムからスーパースターを迎えたのにテルグからはスニールというのは何か訳があったのか気になる。バーラティの詩の引用元を調べること。

Bholaa Shankar (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

昨日本国で封切られて酷評だったのもあり、インド人は少なめ。アジットクマールの2010年代トップの名作Vedhalamのリメイクなので、期待値は低めに設定したが、オリジナルを多分見てないだろう現地人の「これじゃない!」感は薄っすら分かった。ストーリーは結末を除きほぼ忠実になぞっているけど、仏作って魂入れずだった。主人公の変容を、オリジナルでは妖魔としたが、リメイクではシヴァ神に変えた。したがって前半で一番の見せ場であるランニングいっちょの主人公のあぶねえニタニタ笑いは、フッというクールな微笑みに変わった。クライマックスで妹に暴力的性向を見せまいとする努力はなくなり、妹が加勢した。妹の実の両親が死ぬ場面もあっさりしたものになった。突然女神のご加護が降ってくるシーンも、ごく僅かな演出の差によって感動が減じた。一番の差はアニルドのアゲアゲ・ソングと本作の凡庸なビートとの対比からか。それから気になったのは、お疲れタマンナーの台詞の吹き替えが明らかにヒロイン系の甲高い声じゃなくなったこと。これは何か深い意味があるのか。

Baby (Telugu - 2023)を川口スキップシティで。 

スカスカでテルグ人は2人だけ。リクエストしてきたテルグ人が配信が始まったとかで日和ってキャンセルしたと。全くノーマークだったけど結構なヒットで、Arjun Reddyの興収超え。175分もあった。アーナンドDは貧者のヴィジャイDといった趣き。主演ペアはハイダラーバードに住むダリト。パステルブルーの壁の家に住み、街頭にはイライヤラージャーのペイントが施されている。居住区は台詞中でバスティと表現される。ヒロインの友人の名字はChapalaとなっていた。リアリスティックな語りと評価された本作だが、ヴァイシュナヴィが演じるヒロインはあまりにも簡単に他人(男も女も)から物をもらえ過ぎ。タダより高いものはないという教訓のためだけに3時間は要らんと思うが。なぜだかトリヴィクラムへの言及があり、オートの背面に書かれた詩のようなものもたぶんトリヴィクラムの名セリフなのだと思う。Color Photoでデビューした監督はテルグのダリト映画の旗手となっていくのだろうか。薄っすらとデーヴダースの影がある。三角関係の3人が鉢合わせするシーンは見事。

Writing With Fire (Hindi/2021)を試写で。 

邦題は『燃えあがる女性記者たち』。以前は「女性」がついていなかったが。約2億人というインド最大の人口を擁するUP州は、ひとたび州議会選挙になればその勝者が国政の与党にもなると言われている。またマイノリティーへの暴力事件がしばしば起こる場所でもあるとテロップが言う。違法な砕石の操業場から政治家の会見場まで、男ばかりの場所にスマホだけを手に果敢に乗り込む女性記者たち。殺された女性の家では遺体の傷まで確かめる。彼女らが赴く田舎の未舗装大通りなど、まさにザ・北インドの荒漠たる田舎。トイレ敷設や道路舗装の遅れを指摘すると、時にそれがウルトラ・ハードモードのソーシャル・ワーク的に機能して事業が進展することも。Avakay Biryaniを思い出したり。気になったのは彼女たちの取材がほぼ成功していること。これは彼女たちを追う第二のカメラがあったせいなのか。そして彼女たちが現在ここに来るまでに辿った道のりがどんなものだったかがむしろ知りたい。またサティヤムという名の純粋と偏執が入り混じったBJP支持者の青年のその後が大変気になった。

先日昔からの印映趣味の友と話したこと。 

R3は好きな作品だが、スクリーンの外側で起きたことのインパクトが大きすぎて、作品への想いに影を落とすようになってしまった。輸入DVDで見ていたならば、思い出すたびに幸福に満たされる作品になっていただろうが、グッズへの狂奔、頓珍漢な考察、汚いだけのファンアート、むき出しの商魂などまでが一緒に思い出されるトラウマ的お気に入りになってしまった。たぶんオタク的行動様式に染まった人には上記の状況はジャンルの勝利の証で、トラウマになるのは理解できないだろうが。

BRO (Telugu/2023)を川口スキップシティで。 

客入りは40%程度か。先日見て最低だと思ったVinodhaya Sithamのテルグ・リメイク。予想通りソング・ダンスとパワンあげ、アクションを加えてきた。パワンの役柄は神秘的な全能者でブレは全くない。まあ、ミニマムな演技の中にどれだけ神性を表現できるかという見どころはあるものの、主役としての起伏はない。サーイ・ダラムの方は好演だけど、童顔の下の鍛え上げた体のパツパツが役に合ってない。それから亡父が下りてくるシーンも仮装っぽくて笑えない。ただ、オリジナルが余りに退屈過ぎたので、多少フリルを付けたこのリメイクの方が印象はいい。神話のイメージとの重ね合わせは予想通り誰でも分かるベタベタにして来た。ギーターからの引用多数。字幕が早すぎて追いつけない箇所も多かったが、トリヴィクラムが担当した脚本にはグッとくる台詞が幾つもあった。台詞だけもう一度味わいたい。注目のプリヤ・プラカーシュはどうってことない役回り。テルグのメジャー映画に出られただけでもマシか。このレベルの脇役の道を歩むか。主人公の子供時代の苦難のセンチメントはうまく結びつかず。

777 Charlie (Kannada/2022)は、 

監督自身が日本で上映すると積極的にSNSで発信し、別方面からも字幕翻訳中という話が漏れてきていたのだけど、結局日の目を見ていない。風の噂では、クライマックスのソングが、日本の某有名アニメ制作会社の有名作のものとまるっきり同じだったから詰んだということらしい。どのソングが問題なのか、自分で聞いても分からないだろうけど。

Nanpakal Nerathu Mayakkam (Malayalam/2023)をNTFLXで。 

リジョーとマンムーティの新作がこんなに苦労せずに見られていいのかという倒錯した感情。ヴェーランガンニ聖堂へのお参りバスツアーのケーララ人グループ。エラナクラムへ戻る途中、おそらくディンディガル~テーニあたり(実際のロケ地はパラニ)の畑で用を足そうとバスを止めたジェームスはそのまますたすた歩いて畑の奥にある村に入り、スンダラムというタミル人として振る舞う。スンダラムはかなり前に雲隠れした男だった、という話。ジェームズやその同行者に見られる微かなタミル人への侮蔑が示される冒頭が上手い。言語的にはタミルが川上なのに、民度で上手に立つケーララの図式。何よりも心打たれるのは、旅行中の車窓に現れては一瞬で過ぎていく「縁のない土地」に降り立ち身を置くことの不思議さ。そこにも多数の人生があることは頭では分かっても全く実感のない「他人の故郷」が突如現実となる身震いする感覚。そして魔術的な午睡から醒める瞬間のあの眩しい永遠の現在時。これを印映で味わったのはインドラガンティのGrahanam以来かもしれない。

Vinodhaya Sitham (Tamil/2021) をオンラインで。 

聞いたことないタイトルだと思ってたらZee5オリジナルだった。かつての名監督であるサムドラカニがRRRの脇役としてのみ注目を浴びていることに微妙な気持ちを持っていたのだけど、これはまたどうしたらいいのかという出来。モーレツ社員(死語)みたいなおっさんが交通事故で死んで死神としての「時」の迎えを受けるが、さんざんゴネて90日間の執行猶予を得て人生の総決算をして、最終的に成仏するまでを描く。もう導入部を見ただけでゴールまでの一本道が見渡せるタイプのファンタジー。死神にはヒンドゥー教の神懸かったところはなく、ただ「時」とだけ名乗るのだが、しばしば御者クリシュナのポジションにはなる。また別の時にはヴィクラマーディティヤ王の背中に乗るべーターラにも。ソング・ダンスは一切なし。ランタイムは99分だが、見通すには忍耐が要った。家族内のゴタゴタは、大体予測の範囲内だし、プロットとしてはどれも薄っぺらかった。面白かったのは最後の方に出てきたマダン・ゴーパールとサティヤのエピソード。これらこそが綺麗にまとめきれない人生そのもの。

K.G.F:Chapter 1(Kannada/2018)をチネチッタ川崎で。 

それ以外は、まあ良識派が非難してやまないトキシック・マスキュリニティの特濃原液。ボリウッドが柔弱になるのが気に食わない北インドの大衆にバカ受けだったのはよく分かる。

成人したロッキーが画面に現れてから最初のソング(確か)で皇帝と讃えられるのは、学者が言う「まだ何事も成し遂げていないヒーローがリーダーとして讃えられる」の見本だ。その讃仰の重圧に耐えられるカリスマを持つ役者だけがヒーローになる資格を持つ。

貧しかった過去への復讐はストーリーの中心だし、メタな視点ではダサいと馬鹿にされ続けてきた過去に血涙で叩き続ける絶縁状のようなところもある。

そしてあの「ロッキーの野望のテーマ」と勝手に呼んでるあれがアラビックな旋律なのは、伝説のボンベイ・ムスリム・ギャングへの憧れなんだと思う。

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K.G.F:Chapter 1(Kannada/2018)をチネチッタ川崎で。 

<LIVEサウンド×RGBレーザー>なるものに期待して、488席の大型スクリーンで。16時始まりで20人ほど。どっちを見るか多少考えたがアナント・ナーグの出てくる1と決めた。スクリーンでは5年前にたった一度見たきりなので新鮮だった。2の公開前の配信鑑賞と、こないだの仕事での仮ミックス通し見とがあったけど、まだ発見があった。バンガロールがベンガルールになってた、さらにマリ女神がマリアンマになってたし。一番わからないのはヴィラート。このキャラのお付きの眼鏡がアンドリュースらと連絡を取り合ってた。つまりガルダ暗殺の黒幕なのか。そして親父が死んだという連絡を受けて走り、病床で改めて親父の顔に枕を押し付けて殺すというのがいまいちわからない。それから冒頭で撮影も録音も禁止と言っていながらビデオ撮影してるのはなぜなのか。ストーリー全体の印象はそう大きくは変わらず。終盤のあの儀式のシーンも馴染んだと言えば馴染んだ。あれは何というか、あそこだけPaathala Bhairaviオマージュなんだと思う。(続く)

ランガスタラム(Telugu/2018)を新宿ピカデリーで。 

FDSSだけど入場者特典は終わってた。とあるレビューで主人公が補聴器を拒否するエピソードを脚本の瑕疵であるかのように書いていて、そりゃ違う、主人公の至らなさを表すための周到な脚本なのだと憤ったり。それはともかく、一般の人々の感想を読み、「不完全な主人公」というものへの付き合い方がどうも変わってきている感じを改めて持った。上記とは別の突込みは、①村長が逃亡した理由、②助手はあの夜何してたのか、③なぜあんな寂しい場所で車から降りてしまったのか、④最初の襲撃の黒幕は誰か、⑤最初の事故は本当に事故だったのかという5点。そしてああいう終わり方をするなら、だれでもあの後どうなったのかを考えると思う。①死刑になる、②長期の服役となる、③ナクサライトに合流するあたりか。たぶん復讐を成し遂げた時点で彼はもう死んでしまったのだと思う。ただ、実質的な新婚初夜に惨劇が起き、夫が妄執の人になってしまったヒロインは可哀そうな役回り。僻地に暮らし歴史の渦に埋もれて消えた無名の運のない人々、彼らにもあった歓喜の瞬間を荘厳する歌というのがまたしても確認できた。

Balagam (Telugu/2023)をオンラインで。 

テルグ人の知人激賞のテランガーナ映画。Rajanna Sircilla県、コーナラーウペータというところが舞台。爺さんが死んで集まった親戚のてんやわんやを描く。このフォーマットはManjadikuruやThithiのパターン。他にもあったはず。それらに比べて本作が優れているかというとちょっと微妙。最終シーンが情緒的すぎやしないかという感想。監督自身が演じた仕立て屋のキャラ、最後に投げかけた言葉のせいで爺さんが死んだのではないかと怯えるプロット、これも何かで見たが何だったっけ。それに、主人公の「あれこれ事業を起こしてみたけど総外れ」みたいな境遇も。弔いの式次第を詳細に見せてくれるところがいい。葬式関連で読んでこられる3種の芸能、太鼓叩きによる葬列の先導、通夜のような場でのハリカタの弔歌、供養の食事をカラスに食わせる儀式に呼ばれた民謡歌手の歌唱、いずれも素晴らしかった。迷信や利己心、くだらない敵愾心や村八分という旧弊な制度の残存などなどが提示されながらも人生は続いていくという醒めた視線、家族のメンバーの情動の波うちが同時に示される。

Fidaa (Telugu/2017)を川口スキップシティで。 

大好きな一作で、プレビューを書くために先日配信で半分程度を再見していた。その前半は本当に良い。本作に関しては良い記憶しかなかったのだけど、後半はやや失速した印象。特にヒーローがキレてブチかます「田舎住みアベレージの女が、俺みたいなスーパーエリートを袖にするとは何だ」という台詞。Anandの時もあった。この身も蓋もない台詞で揺れ動いていたLoveがHateに変わるのだが、うっかり口にしていい台詞なのか。これは劇終までの間にキチンと総括すべきだったろう。それから、緊張感があるはずの2人が北米ドライブ観光旅行を楽しむくだりも弛緩した。まあ、前半の悪党退治のアクションといい、若干妥協した面はあるんだな。雨が常に降り注ぐ雨季の表現の美しさ。ただし、Avakai Biryaniで描写されたような、トイレの普及の遅れから村の広場がすなわちトイレであるというような状況は暗示すらされていなかった。ロケ地のバンスワーダはちょっとした観光地になったらしい。主演のペアは現実離れしてるけど、兄夫婦のキャラは本当に自主上映会に来てるNRI風で感心した。

Brindavanam (Telugu/2010)を川口スキップシティで。 

十数年ぶりの鑑賞。大流血映画の嵐の中で心休まる経験。全体のフォーマットは、三角関係恋愛++ファクション映画まれびとが大邸宅を訪れての人間関係修復というところ。しかし最初の2つにしてもあまりマジになることなく、ファミリー映画としての表現に徹した。アクションも相手を殺さないタイプのもので、その分やや短調だったかも。主人公の父親が、完全にファン代表の役割を担っていた。コメディアンはブラフミーとヴェーヌ・マーダヴで、00年代から比べると絞ってきた感じ。ロケ地はポッラーッチ、アディラッピッリ滝、ウドゥマライッペーッタイの風車、それからイドゥッキあたりの湖沼(またはパランビクラム)で田園風景を撮っている。シュリーハリはラーヤラシーマ・ファクショニストなのになぜかヒンディー語交じりで喋る。田園が舞台だが、土の香りは全くしない。主人公は二人のヒロインに好かれてしまい慌てる(ご愛敬でしかないが)こと以外は全能全知。まるでプニート映画だが、プニート映画と一線を画すものは何だろうと考えると、やはりジュニアの器量しか思いつかないのだ。

自分が大切に思っているあるタミル語映画の 

ヒンディー語リメイクを見て、その空疎さに憤慨している友人の愚痴に付き合った。しかし自分はもうその類のガッカリは幾度も経験済み。何なればサウス圏内でのリメイク(特にマラヤーラムから他の3言語への)のガッカリ感も十分に知ってる。そのガッカリをなくすためにラージャマウリは多言語展開をおっ始めたのではないかとも思っている。しかし多言語展開には、コンテンツを最初からリメイクの薄まった感じにしてしまう危険も十分にある。それならばむしろガッカリなリメイクの山の中にある燦然と輝くオリジナルを見たいのだが。

Maamannan (Tamil/2023)を川口スキップシティで。 

着席率は4割程度か。タミル人はさほど多くなかった。マーシャルアーツの恩師役はカラテ・ヴェンカテーサンに見えたが確認できず。Dojoという語が字幕にあった。ヒーローが乱闘になると滅法強い合理的な理由が示されるのは新鮮。前半の父と子の葛藤の物語は見ごたえがある。自分は椅子に座らない父が、しかし負い目を持っている息子に対しては座れという、しかし自分だけが座ることを拒否する息子との葛藤が暴力沙汰に発展する。このハイライトが中盤で使われてしまったのがちょっと惜しい。例によって象徴的な事物(馬に乗るファハド、豚を逃がす少年期の主人公など)が多いが、嬰児がつるされた夜の木の情景は、心象風景なのか実際に起きたエピソードなのか判断つかず。後半に登場するラール演じるCMは人格者というあつかいだが、これはウダヤニディの父への忖度か。そもそもウダヤニディが本作に主演することの危うさというか現実と虚構との紙一重感が落ち着かない気にさせる。『パリエルム』と同じく、ヒロインはカーストの格差など聞いたこともないような無辜の存在。セーラムの風景が新鮮。

『RRR』の日本語吹替版はまだ見てないけど、吹替え翻訳は、 

SNSでの感想を見る限りは、字幕翻訳の字数制限でやむなく削ぎ落としたものを復活させるとかじゃなく、字幕のテキストに冗長性を持たせる(「何だ?」を「何だってんだ?」にするとかそう言う類の)だけじゃないかと推測。おそらく字幕の監修者は関与していない。もったいない気もするけど、費用対効果を考えたらそうなるか。

Pathaan (Hindi/2023)をオンラインで。 

ヒンディー語映画界が起死回生で「これでダメならもう終わりだ」ぐらいの勢いで作ったというのがよく分かる。ディーピカーはどこまでもサービス精神発揮でお色気開陳を躊躇わない。『バンバン!』と同じく、ロジックは脇に置いといて、ともかく見せ場を術繋ぎにする。しかし最初のドバイの街路での車上アクションなど、どうも作り込みが浅い気がする。モスクワの高層ビルの金庫なども、CGのペラッペラ感がなんとも。ジェットパックまでもが登場したあたりから「SRK版サーホー」という言葉が脳内に明滅し始めた。なんかプレステのコントローラみたいなので操ってたし。サルマーンの登場でやっと体を張ったアクション演技が戻ってきた感じ。任務中の大怪我から復帰した諜報部員と闇落ちして営利誘拐殺人などに手を染めた元諜報部員との対決。そこにパキスタンの女性諜報部員も加わって、国家の枠を超えた人道に対する犯罪への闘いとなる。SRKのルーツを巡る話、370条廃止、ロシアの友好国としてのインドの立場などなどが上手く組み込まれている。エピローグの2カーンの楽屋落ち会話が一番の見どころか。

2018 (Malayalam/2023)を川口スキップシティで。 

久しぶりのセルロイド上映。インド人が圧倒。サバイバル系感動ストーリーとして見事。これはしかしTKFなどの手法の裏返しではないかなどとも微かに思った。それでもジーンとくるのは確か。助走にやたらと時間をかけるのは時にマラヤーラム語映画の欠点となりうるのだが、本作の場合はそれが上手く機能していた。降り続ける雨と鉄砲水の描写の迫力。ヒロイズムの表出はトヴィノとアーシフのキャラクターに集中していて、期待したチャッコーチャンは、あまり起伏の無い役でもったいなかった。全員が全員すごいことをするストーリーでは逆にリアリティーがないという判断だったのかも。アパルナ(なんという肥え方か)のキャラクターも同じ。それから何にも考えてないアホな外国人ツーリストの登場では過去の自分を見ているようで胃がキリキリしたが、最終的には彼らにもそれなりの尊厳を付与したストーリーにはバランス感を感じた。敢えて言うと憎しみを向けるべきキャラクターがないのだが、意図したものだろうか。タミル人のトラック野郎の逸話には説明が欲しかった。5年前の厄災を見事に映像化した。

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