Agent Sai Srinivasa Athreya (Telugu/2019)をUSAPで。
秀作との評判が高かったのをやっと観られた。字幕が早すぎて苦労したけどなるほど面白いわ。お気楽探偵が殺人事件に巻き込まれ…というのはだいたい想定内だが、その裏にある組織犯罪が、インドでしかあり得ねえというタイプの宗教が絡んだもので、しかも現実に起こっているらしいことがエンディングで臭わされ、ぐああとなる。主人公の名前がバラモンのものであるのは意味があるのか。ファティマには?彼は最後に自分のフルネームとシーヌという母からつけられたニックネームとを対比して語る。それは科学とセンチメントとの対立であるようだ。途中でカンナダ人の似たような探偵が出てくるが、彼がちょこっと喋るカンナダ語に字幕がついていないのが不満。ここはリシャブに出てきてほしかった。プロットも年代設定も全然違うけど、全体の雰囲気にやはり『ベルボトム』味がある。無理があるのは、周りの人物が簡単に殺されるのに、主人公だけは泳がされて直接手を下されず、回りくどい方法で貶められようとするところか。これは間違いなく続編ができると思う、期待したい。
Rangasthalam (Telugu/2018)をUSAPで。
179分はいかにも長いが、テルグの衆には堪らないものがあったというのはよく分かる。商業映画にありがちな緑の田園地帯に建つキラッキラの大豪邸で賑やかな結婚式というようなテレビ・コマーシャル的なのじゃない真正の田舎の景色があるし、そこで生粋のゴーダーヴァリ弁が喋られて、御曹司ラームチャランがむさ苦しい田舎男を好演してるのだから。何時間でも観てられるんだろう。やはりテルグの映画人は(ある程度まで観客も)、ルーツとなるアーンドラ地方農村社会に特別な感情を持っているのだと分かる。特にゴーダーヴァリ沿岸のパピコンダルを舞台にしたというのが非常にキャラ立ち度が高い。単純と言えば単純なストーリーラインは、赤旗映画のそれ。そしてダリトvs婆羅門という割とスッパリしたカースト対立というのもある。中間カーストを入れると色々問題が起きるのだろうか。時代設定を1980年代としたのも、現代に繋がりながらもレトロであるという綱引きの結果か。ジャガパティの演じるバラモンの金貸しが、極端に暴力的でしかも動物供犠まで行っているというのはリアリティあるのか?
Rangoon (Hindi/2017)をNTFLXで。
邦題は『ラングーン』。フィアレス・ナディヤがモデルの作品と聞き、芸道ものかと期待したけど全然違ってた。ボリウッダイズされた『遠すぎた橋』とでもいうか。例によって導入部での背景を述べるテキスト部の翻訳がひどい。どうしてなんだ。あとMariyama Ramannaもちょっと入ってないか。日本人役がまともでちょっとホッとした。ルストムはグジャラート人という設定だったがパールシーなんだよね。そこもモデルがいる話なのか。時代がかった派手なソング(戦地慰問シーンでのものはとてもそうとは思えない大掛かりさだったが)はどれも良かった。戦争ものとしての緊迫感はそれほどないけどそれなりに積み重ねたプロットを一気にひっくり返すクライマックスの列車救出シーンは、多分現地のインテリ観客からは総スカンだったと思うけど、そうこなくっちゃという感じ。それから歌でもって名乗りを上げるシーンがインドらしくてよかった。日本兵は「菜の花畑に入り日薄れ」を歌ってた。しかし宝剣を持ち出すことがなぜ独立運動になるのかよく分からなかったが、要するに売って軍資金にするってことか。
Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。(続き)
それから、マドラス・カフェ(シンガポールやロンドンにあるという設定)に蠢く人々が結局誰だったのかがハッキリしないところ。観客は思わせぶりにその連中を何度か見せられているので、おおよその察しはついている。だからヴィクラムが最後にそこを見つけて、全てを白日の下にさらしだしてくれないとカタルシスが得られない。しかしそうはならず、よく分からない神父への打ち明け話で終わってしまう。ポリティカル・スリラーに虚構が混じるのは全然かまわないのだが、コスタ・ガヴラスの『Z』みたいにスカッとしたものにしてもらえなかったかと思う。
Madras Cafe (Hindi/2013)をNTFLXで。
邦題は『マドラス・カフェ』。これも駆け込み鑑賞。書かないと気が済まないから書くけど、日本語字幕良くない、特に暗号解読のシーン。ラージーヴ・ガーンディー暗殺を国際謀略というフィクショナルな仮説によってスリラーに仕立てるという意欲的な試みだが、その仮説に説得力があるかというと疑問。スリランカ北端の民族紛争が終結しないこと(そして武装勢力が支配を堅固にすること)が本当にインドの国力を弱め、諸外国がインド洋から東南アジアに至る覇権を伸張できることになるのか、そしてスリランカの首脳すらがそれを黙認するのかという疑問。また、そのような壮大な計画が、インドの野党党首の暗殺によって本当に可能になるのか、可能だとするなら、作中でもっと丁寧に解説してほしかった。ナラティブにもところどころ不可思議な飛躍あり。一番変なのは主人公が武装勢力の捕虜となるところ。経緯が不明。それからジャヤがヴィクラムに「デリーに来て」と言って次のカットで航空機が映るのに、その続きでヴィクラムはマドラスだかどこかにいるところ。(続く)
Aiyyaa (Hindi/2012)をNTFLXで。
邦題は『あなたを夢みて』。配信終了間際というので駆け込みで。ヒンディー語とタミル語とが混ざり合うが、明かに日本語翻訳者は違いが分かってない。マドラーシーというのが何かも。ここのところの心臓に悪い系作品の後だからバカっぽいのがとても良かった。ストーリーは水のように薄いが、これでもかと詰め込まれたシュールでイタくてウザいプロットをポカンと見てるだけでいいので気が楽。北と南を対比させる作品にまた一つ追加。対比させながらもヒーロー、ヒロインがどちらもバラモンというのが興味深い。この辺は、マラーティーのバラモン・コメディーをそのまま持ってきた感じか。ラーニーの特徴的なキャッツアイと白皙の肌は相変わらずで、そこに熟れ熟れボディーがくっついてなんとも言えない。ヒロインが眩惑される男の体臭というのが、ラスト近くで花火用の火薬の匂いだというのが種明かしされるのだが、タミルの花火工場なんて全く良いイメージはないがいいのか。ソングシーンの中であからさまに性的な所作があってドキドキしたが、あれは大丈夫なのか。ヒンディー語作品だが実質的にはマラーティーもの。
Visaaranai (Tamil/2015)をNTFLXで。二回目。邦題は『尋問』。
原語脚本(もちろん読めない)を台紙にしてストーリーの要点を記入しながら。日本語字幕は予想通りに酷い。けれどもドラマの力が勝って見れてしまう。そして二回目だというのに、ドキドキして息苦しくなりながら3日かけて見た。問題だったのは、各種レビューでダリトの若者に襲いかかった警察の組織的な暴力という風に評されているのに、彼らがダリトだと明示される箇所が一回目の鑑賞では見当たらなかったこと。今回はそこに最大限の注意を払って見通したのだけれど、やはり何もなかった。ネイティブに質問してみたけど、割と歯切れ悪く、カーストは第二のネイチャーで、初対面での相互の紹介で二つめか三つ目にはカーストを尋ねるのだと。伏せられていても大体カーストは分かってしまうものだと。やはりこの辺り、外国人には踏み込みにくいところではあるな。見るからに貧しい人物は分かるけれど、それがダリトなのかシュードラなのかまでは分からないし。
Psycho (Tamil - 2020)をNTFLXで。英語字幕。
いきなりの斬首シーンから始まる金縛りの146分。見終わってから首元に毛布を巻き、夢を見ないといいがと思いながら就寝したが、目覚めると不思議なほどに晴れ晴れとした気分だった。これがredemptionというものか。漆黒の夜、障碍者、哀歌、暗い情念等々、もちろん本作でもミシュキン節が炸裂。本作の新機軸はアディティ・ラーオ・ハイダリという大輪の花をその無残絵の最中に配したことか。血糊でべたつく陰惨な地下室で、バラ色の服をまとった彼女が振り下ろされんとする刃を目にしながら薄っすらと笑うシーンだけで言葉にならない美が画面を支配する。ニティヤもまたベスト演技のひとつではないか。華やぎではアディティに譲り、男らしさを前面に出した。ドライブでのシーンは笑う。ウダヤニディは芝居ができるタマかどうか知らないが、全編グラサンで通したことによって能面のような効果が生じて悪くなかった。サイコキラー役のラージクマール・ピッチュマニは今後役者人生が開けるかどうかは分からないが、狂気とそこそこのイケメンぶりとのブレンドが良かった。画面から血の匂いが。
Sainikudu (Telugu/2006)をDVDで。
イルファン・カーンの追悼として見た。公開当時レビューが悪く興行的にも失敗した作品。テーマは若者の政治的覚醒による世直しだが、アクション(ピーター・ヘイン担当)のいい訳としてのストーリーでしかない。世直しの矛先は、民から吸い上げるばかりの腐敗政治と力で権力を握ろうとするグーンダ政治。成績優秀な学生アジャイをMLA候補に擁立しながら、表に出てくるのはマヘーシュばかりという矛盾。お尋ね者として逃走中なのに、ひょっこりTVレポーターの前に登場するご都合主義、あり得ないほどにフレキシブルな法廷、なぜ可能なのか分からない警察署潜入など、いわゆる「混乱した脚本」。ただしアクションはくっきりとグナシェーカル印で色々凄い。前半の深山幽谷に突然現れる無駄に高所にある木造橋、それから後半クライマックスの建設中ビルのシーン。ラーナーがコーディネーターをしたというCGは暴走気味で仰け反るが、雲の中をバイクで走るソングは秀逸。テランガーナという背景、部族民&晩ジュラ・トライブのモチーフなどなどオタクにとっては養分たっぷり。ワランガル舞台の作例としても貴重。
Mary Kom (Hindi/2014)をNTFLXで。
邦題は『メアリー・コム』色々な意味でヤバいものを見た感じがする。インド映画に「文化の収奪」みたいなメリケンのポリコレ思想が未輸入だというのは分かった。皮肉にもなのか、意図してなのか、本作はカーフュー下のインパールで始まる。そしてクライマックスはインド国家の斉唱で終わる。メーリ・コムが分離主義の人ではないことは分かる。しかし北東人への見下しのに耐えながらボクシングに精進してインドに金メダルをもたらすというダイナミズムが、プリヤンカ―をキャストしたことでほぼ無効化されてしまっている。代わりに分かりやすいハードルとして出産・子育てと、腐敗した連盟役員、強豪ドイツ選手を持ってきた。それにしてもメーリと夫以外のキャストが全て北東系と思われる俳優で占められているので、やはり異様。夫役のダルシャン・クマールはまだ馴染んでいたかもしれないが。スポーツドラマとしては勘どころを押さえた手堅い作り。まあただ、ボリウッドにとってどこまでが我々でどこからが他者なのかという微妙な問題に、『チェンナイ・エクスプレス』以上に踏み込んだ作例として貴重。重要資料。
Talvar (Hindi/2015)をNTFLXで。
邦題は『有罪/Guilty』。イルファン・カーン追悼として見た。予備知識ゼロで臨んだが、現実の迷宮入り事件(一応判決は出て犯人とされた者が終身刑に服しているのだが)をかなり正確に再現したものらしい。テーマは明快で、まず警察の無能と予断を持った捜査への批判。それから、本来警察とは別組織であり、むしろ緊張・対立関係にあると一般的に思われているCBIが、警察とぐずぐずのトップの意向で、警察の面子を守るために捜査を歪めてしまうという点。一般に、容疑者でネパール系の貧しい若者と中産階級の医師夫妻とがいたら、ネパール系の方に肩入れしそうなものだが、そういうポリコレは関係なく描写する。レビューの幾つかには羅生門的語りで、真相はなのかを明かさずに終わるとあったが、映像作家がどちらの説に肩入れしているかは一目瞭然。ただ、真相に近づいたように描かれる側にも弱いところがあって最終的な勝利には至れない。それは捜査にナルコアナリシスを使ったこと(これは違法ではないが)、自白を引き出すのにお馴染みの殴る蹴るをやってしまったこと。鍵の問題はよく理解できなかった。
Bombay Talkies (Hindi/2013)をNTDLXで。
これも月末で配信終了と聞いて。4話のオムニバス+エンディングの豪華絢爛スター総出演ソングという5部構成。このエンドソングと本編の文芸調とが全く噛み合わずちぐはぐ。豪華な顔ぶれよりもむしろ不在者が気になる。カラン・ジョーハルの第1話はラーニーの熟女ぶりに圧倒された。熟れ切って崩れる寸前というのをよくもまあ演じたもんだ。一部で酷評されていたが、ゲイ同士の緊張感のある心理戦と大人の女との絡み方は面白かった。評価の高い第2話では例によって日本語字幕に苛々。エキストラがエキストラとして一瞬の演技に精魂を込めるということ実際がよく分かる。ゾーヤーの第3話は子役の演技力に頼り切っているきらいはあるが、カトリーナのあのセリフがオタクには刺さりまくるだろう。アヌラーグの第4話は、いつもの作風から離れて意表を突く古譚の味わい。方言のニュアンスが分かれば一層面白いのだろう。ムラッバーという食べ物の存在を初めて知ったが、検索するとジョージア料理として出てくる不思議。実在の人々をキャストしたというバッチャン邸の警備員の面々の顔がいちいちいい。
OMG – Oh My God! (Hindi/2012)をNTFLXで。
邦題は『オーマイゴッド 〜神への訴状〜』。月末で配信終了とのことでざわついていたので、もう一度見とくかと思った。日本語字幕は例によってグダグダ。Go go Govindaを「行け 行け ゴービンダ」とするのは意訳としてありなのかどうか。とはいえ裁判シーンは日本語化のせいでよくわかった。よく分かったところで、どうかというと、ボリウッドのソシオファンタジー(特にPKとか)にありがちな賢げでこぢんまりとした感じがつまらないなあと思った。クライマックスは感動というよりは理知的な感銘。まあただ、言ってることは結構過激だ。「神を信じよ、だが寺院には詣でるな、お印も求めるな」だもの。ラスト近くで怪しげな宗教家の言う「人は弱いのだ、彼らは必ずまた寺に来る」という意味の台詞が逆に重みをもつ。これを見ると、Mayabazaar (Telugu/2006)なんかの圧倒的な神様の強さが慕わしくなる。神が真の姿を見せるシーンの安っぽさとか(北インド風のあの衣装はいただけない)。逆に現代装束での神性の表出はさすがにアッキーと思ったのだった。
オタクのジャーゴンや定型表現の分析としてこれは興味深い。
ただ、これらの表現が自分とは全く縁遠かったのはなぜなのかがよく分からない。単なる世代差なのか、もともと来たクラスターが全然違うものだったのか。後者だとして、もともとのクラスターは何だったのか。
「推しの顔が好きすぎて語彙力死ぬ」問題をライターの僕が本気で考えてみた
https://mi-mollet.com/articles/-/23182?page=2&per_page=1
Virus (Malayalam/2019)をDVDで。2回目。
初回と違って、人物相関関係が分かって見たのでやや理解が進んだ。しかし頻出する医学用語などにはまだ追いつけていない。今この状況下でまた違った感慨があるかとも思ったが、そうでもない。まず平時からERが凄まじいのが示され加我の差を思い知らされる。大学病院であっても陰圧室とかは望みえない一部木造建築。まあそれと、現状のコロナとニパとのスケールの差。量によって質もまた変質する。感染もどうやら唾液や吐瀉物への接触からのようで、エアロゾル感染ではない模様。フルーツコウモリが大元の感染源らしいことが予想され果物屋が風評被害を被るというのがなんとも。だからマスクの奪い合いのような描写はない。致死率は60〜74%と高い。現状と符合するものがあるのは、感染発症によって日頃の行いが炙り出されてしまうことか。陰謀論は現況では一般市民のを巻き込んだプチ・インフルエンサーから湧き上がっているが、作中では中央政府と防衛筋から。市井の人々のパニックや流言飛語といったものはあまり描写されない。州政権への批判は全くない。一番の見どころはクラスター追跡の手法。
Dhobi Ghat (Hindi/2011)をNTFLXで。
邦題は「ムンバイ・ダイアリーズ」。大層心に染みわたる映画体験だった。ストーリーよりもまず映像のテクスチャーがいい。マハーラクシュミーのドービー・ガート、どこかは分からないがアーティストの好きそうな見捨てられた地区、海に突き出した富豪の邸宅。画家のアルンと金融コンサルタントのシャイとの関係性はリアルで、典型から外れたものを感じる。洗濯屋稼業をしながら俳優を目指すムンナも少しだけ外れてる。フッテージを残したヤスミンも、犠牲祭は嫌いだなどと告白し、属性から期待されるキャラクターから外れる。シャイが撮るという設定の写真のショットの数々が素晴らしい。特に洗濯場でのムンナを撮ったもの。プラテイクの役へのなじみ方がいい。どうしてTSみたいなのがスターになって、この子は相変わらず地味なのかとばかり思いながら見ていた。ムンナのバイトとしての鼠捕りが、洗濯屋仲間からさえ汚らわしいとされ、シャイに知られたことがトラウマになる(洗濯は撮影させてたのに)ということの意味は何なのか。ラスト近くでムンナが中産階級の婦人から馘を言い渡されるシーンの意味は?
Jo Jeeta Wohi Sikandar (Hindi/1992)をYTで。
学園ものを固め見する必要があり、詳しい人に教えてもらって鑑賞。英語字幕はついているがソングシーンで無音になるという訳ありビデオ。見終わった後に、これが93年の福岡アジア映画祭で「勝者アレクサンダー」のタイトルで上映されたと知り吃驚。確かに主人公はカレッジ学生だが、教室でのシーンは数分しかなく、学園ものというよりスポーツドラマに近い(ただし、クライマックスの自転車ロードレースはかなり汚い戦い)。もっともお約束のダンス・バトルはあるが。デヘラードゥーンという設定だが、かなりの部分をコダイカナルで撮影したとのこと。なるほどウーティーやデヘラードゥーンなど避暑地として有名な場所には、英国式の寄宿制カレッジが林立するが、貧しい地元民が学ぶ公立カレッジもあり、そこに階級間の緊張が生まれるというのは面白い。学園を舞台にしながら、青年のイニシエーションと階級闘争と恋愛を主なモチーフとして、しゃらくさい教育論を開陳したりしないところが良かった。富豪の館としてバンガロール城が出てきたが、こういう滅茶苦茶な誇張が90年代らしい。
Prathidhwani (Kannada/1971)をErosNowで。
サイト上でのカバーイメージは実はクリシュナデーヴァラーヤのもので、イージーな取り違え。とんだチートだ。フォークロアだと思って再生したらいきなり西部劇風の画面で吃驚。しかも西部劇ファンタジーかと思うとそうではなく、ソーシャルの復讐もので、主人公は警察官。なぜか馬に乗るシーンでだけ保安官風になる。これはシュールなご都合主義なのか、それとも撮影中に脚本が決まらずフラフラしたのか。相思相愛のヒーロー&ヒロインは最後に叔父と姪だということが分かるのだが、これは構わないのか。物語の舞台ははっきりしないが、マイソールまたはバンガロールか。デートのシーンになると突然クドレムカとかに飛ぶ。後からDBサイトを見たらジョーティラクシュミが上がってるにだが作中では見当たらず。西部劇の酒場シーンでもあって、それがカットされてしまったのだろうか。147分もあったからノーカットかと思ったのだが。無理にねじ込んだラージクマールの女装シーンがあった。目と目が離れたアーラティは、ミニスカも厭わない都会的ヒロインという立ち位置にあったことが分かった。
Giri Baale (Kannada/1985)をErosNowで。
タイトルの意味は「山の娘」か。サムネだけで予備知識なく見たシリーズ。ここのところの低空飛行の中では前半が目覚しく面白かったので、隠れた名作かと期待しながら見てたら、終盤の50分で色んなものをぶちまけた感じで収拾つかず強制終了という感じの終わり方。ヘロヘロになった。まずはショーバナの登場に吃驚。この時代のカンナダのクソださ振付のダンスでもショーバナが踊ると見られるものになる。彼女は前半の噛ませ役で退場するのかと思いきや、終盤に再登場して異様なツイストを巻き起こす張本人となる。しかし各エピソードとその時間配分のバランスがどうにも悪い。それと各キャラの性格の一貫性もぐらついてる。もしかして本当に脚本なく撮り始めて無理やりに終わらせたものじゃないのか。アクションを入れるためだけに加えられたシュリーニヴァースのキャラとか、悪役としての役割を全うできず変質するニーラヴェ二の父とか。子供を得るために第二夫人を持つというの、当時の観客にはどう受け止められたのか。二人組のコメディーはしんどい。海岸地方(?)の水辺の景色は新鮮で美しい。
Huli Hebbuli (Kannada/1987)をErosNowで。
未知のシャンカルナーグ英語字幕付きを引き続き。これはかなり楽しい。相変わらずプロダクション・バリューは最低ではあるが。シーンとシーンの繋ぎが粗雑で唐突。それ今になっていうか!的なご都合主義プロットが後から後から。愛の芽ばえとか愛が不信に転じるなどのシーンの描写が手抜き。悪者がプロレスラーの衣装みたいなのでキメていて、その衣装を無理やり他人に着せると冤罪が成り立つとか。文字通りの濡れ衣。シャンカルナーグは警官の制服がどうしてこんなに似合うのか。そして何故かヒッピー風の奇態な変装で悪の巣窟に乗り込むダンスシーンが二つもある。スマラターはこの年に本作とThoovanathumbikalに出てたのか、すごいコントラスト。そしてまさかのアナントナーグの拡大カメオにびっくり。生き別れの兄弟役なら本来はこの人のはずだが、キャラが全く合わないからゲストに収まったのか。リーラーヴァティは典型的な「カンナダ映画のおかん」を演じて見事。シャンカルナーグのアクション映画は必ずしも彼のワンマンショーではないものもあると分かったのが収穫。