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すずめの戸締り(Japan/2022)をイオンシネマ海老名で。 

新海作品を映画館で見るのは初めて。本作もまた3.11傷痕文学。宮崎、愛媛、神戸、東京、宮城と地霊を鎮め、常世を覗きながら遍歴する男女(ただし男は異物)の物語。本作もまた圧倒的な天空の描写で魅せる。しかし平板なアニメ絵の人体、というか顔の描写とのギャップが相変わらず。入道雲、浮揚する気圧の力、成層圏のプリズムの煌めき、パラシュートのないスカイダイビングのイメージ、などなどは前作『天気の子』の方がより目覚ましいものだったかもしれない。「鎮め」と「悼み」の物語としては、非常にシンプルで分かりやすい。『君の名は。』からの3作は、明確に民俗学作品と定義されていることを知る。第1作の民俗は取ってつけた感があり飲み下せなかった。第2作は、滅びの形象に震えた。そして本作はアポカリプス後と定義されるとのこと。アポカリプスの後も人生は続いていく。3.11を経験していないと味わえないとの批評もあるが、あれを体験した1億に近い人間に届けばそれは大したことではと思う。最近某国映画で受け手の属性により評価が全然違うものを見てモヤモヤしていたのもあって。

Master (Tamil/2021)を新宿ピカデリーで。 

FDFS。邦題は『マスター 先生が来る!』。ローケーシュ作品はお洒落でダークで、目の悦楽なんだけど、ストーリー理解は本当に難しい。本作を何度見たか覚えてないが、今回初めて分かったのは、JDの心理学の講義で学生にくるくる回ったりさせる恥ずかしいの、あれが学生会長選挙の後のグーンダの乱入シーンで生きてくるところ。少年院収監者の中に『囚人ディリ』のディーナーがいることもやっと確認。まだ不明なのは、終盤でバワーニが少年たちをトレーラーで移送するところ(それは分かる)で、同時にコンボイを組んで何らかのブツを移動する、これがよく分からなかった。それから「この映画は18才未満入場禁止、警備員が見張ってる」から「俺には無数のファンがいる」まで、JDが素のヴィジャイになる1分ほどがあって今更な驚き。これまで何を見てたのか。例のbiographical reference、「楽屋落ち」と訳すと意味が失われる。こういう作劇上で滑らかじゃないものを残したのがいい。髭を剃られながら怒ってるアルジュン・ダースが可愛い。髭ナシの方が男前なのに気づいていない。

Karishma Kali Ka (Hindi/1990)をYTで。 

先日のChhello Showの劇中映画と知り。2時間ちょっとしかなかったが多分トリミングされている。これが90年でAmmoruが95年、えらい違いだな。そしてJai Santoshi Maaが75年。本作までの間の15年に何があったのか探求しなければならない気分になる。レイプされ、殺人の濡れ衣を着せられた女性の復讐譚で、ほとんどホラーの手法。神々しさの演出はほとんどない。彼女の復讐を助けたと見えたタントリが、実は生贄を求めているだけだったというのは捻ったオチ。傷つけられた女性と装身具を盗まれた女神とが重なる。ディヴォーショナルソングは冒頭とエンディングで使い回しか。ショットガンのためのでれでれラブソングが2曲もあって邪魔くさい。悪役が催す酒宴でのアイテムソングをヒロイン自身が踊る(露出は少な目)のはいいが、曲名がInsiallahでバックダンサーがアラブのガトラを出鱈目にしたものを着用して、罰当たり極まりない(ソングとしてはこれが一番出来がいい)。CBI捜査官のヒーロー(一応)が体現する法の正義と女神の正義との対比。

Bang Bang! (Hindi/2014)をオンラインで。 

頭からっぽで楽しめるものと思ってたけど、予想以上に時代を感じさせるものだった。100カロール・クラブ競争が軌道に乗った頃の得意絶好調のボリウッド作品ではあるが。ファッションCMかMPVみたいな軽薄なイメージが、まさにそのために生まれてきたような2人によってフレームに収まる。アクションは確かに激しいものだけど、繋ぎがイマイチで華麗な飛翔感はない(RRR鑑賞後だと何でもチャチにみえるのかも)。パスポートもなく世界中を行き来するリードペアのご都合主義にはサウス映画も青ざめる。カトリーナのアクションシーンの熱演は相変わらず見上げたもの。そしてビキニになっても帰国子女特有の自然体(インド女子の場合、全身にこわばりがある)。当時の現地レビューはかなり悪い。もともと半端な原作をリメイクがさらに支離滅裂にしたと批判している。一方で日本人のレビューはどれも高評価で驚く。世界を股にかけた珍道中の転げるような疾走感がどうも感じらず、それに関しては『タイガー 伝説のスパイ』のほうが上と思った。コヒヌールを盗み出すとインドでは英雄扱いというのが発見。

Korangi Nunchi (Who will marry Thomas?)(Telugu/2021)をオンラインで。 

Indic Film Utsav2022で駆け込み鑑賞。Muthayyaを見た後だったので、映画らしい映画に見えた。舞台はAP州のどこか(おそらくはアラク渓谷)の小集落でバスの終点。部族民でクリスチャンの女性が切り盛りする茶屋。息子トーマスは適齢期になっても独身で、特に慌てることもなく暮らしているが、周りが結婚させようと大騒ぎする。長女は夫と暮らしているが、2人とも街に憧れている。血縁ではない(この辺りが不明)が共に生活している少女ラジは、バス車掌の色男イブラヒームに色目を使われ、これはマズい展開だと思っていると、当人もまんざらではないことが途中で分かる。部族出身者でも街に出て暮らしている者と山に留まる者の間では微妙に地位が異なるらしい。ライフラインのバスの便が廃止になることで、まとまりかけていた町の娘との縁談が破談となる。撮り方が違えば悲壮な家族離散の記録となるところだが、アルチャナおばさまのどっしりした存在感で力強いままで終わる。バンブーチキン作りのシーンが垂涎。

Muthayya (Telugu/2022)をオンラインで。 

Indic Film Utsav2022の最終日になって知り、慌てて鑑賞。テランガーナ州南部のチェンヌールという寒村(APとの州境、ヴィジャヤワーダが最寄りの都会)に住む60歳ほどの男の映画出演への見果てぬ夢を描く。映画館でかかる映画とYTなどのビデオは対立するものと見做されることが多いが、ここでは映画への夢をかなえるものとして登場する。全体に素人臭い造りで、据え置きカメラでずっと撮った感がある。ジミージブもドリーもクレーンも全く使ってないんじゃないか。それを補って余りあるのが静かで涼しげに見えさえする村の風景。緑に溢れているのに全体的に曇天下で撮ったようなクールな画面。これを撮りたくて映画を作ったのではないかとすら。途中の劇中劇でのダクシャの芝居は秀逸。俳優の口説だけで聴衆が魅了された村芝居の伝統はこのようなものかと分かる。しかし118分という通常のテルグ語映画と比べれば短尺なはずが、妙に長く感じられたのは確か。昔爺さんが手持ちの金をかき集めて出て行ったのはHYDじゃなくマドラス。早く出演したのは『ムトゥ』というのが何とも。

Natchathiram Nagargiradhu (Tamil/2022)をNTFLXで。 

168分の長編。止むを得ない事情で前半後半を数日開けてみることになってしまった。前半の印象はパッとしなかった。お洒落なポンディが舞台。演劇人グループの群像ドラマ風。白人、黒人、トランスセクシャル、ゲイ、柄物のクルタ着たインテリ演劇人などが高尚な芝居を作るために集まって、高尚な会話をしながらリハをして、一方若い男女はフワフワと自由恋愛でくっついたり離れたりしている。そこにやってきた異物としての俗物アルジュンが本当にイタイい。完全にデタッチで折り返し。ランジットもこんな思弁を弄ぶ方向に行ってしまったかと思っていたら、後半で完全にひっくり返し。上位カーストのアルジュンの結婚式に至る描写で吹いた。また謎の白衣の悪役のインパクト。そして、クライマックスのステージでの火柱。「演劇はリアリズム映画とは違う、希望を指し示さなければならない」というコンセプトで寝られた芝居の冒頭のダンスは本当に美しい(映画だから撮れる美しさでもあるが)。しかしそこに異物が侵入して、その美が破壊されることによって何かが完成したのだ。

Chhello Show (Gujarati/2022)を試写で。 

英題Last Film Show、邦題「エンドロールの続き」。零落したバラモンの家の男の子が映画に魅せられていくさまを描く。全体としてこの子は映画作りよりも映画上映に魅せられているのだが、ショッキングで厳しいイニシエーションを経て映画作りに向かっていくのだろうというラスト。あのトラウマ体験をポジティブに咀嚼するというのはまさに若いインドの底力としか言いようがない。リアリズムからシュールリアリズムに飛躍する美しくも無残なあのシーンは、『人間機械』を思い起こさせた。サウラーシュトラの自然と風物もたっぷりで、当たり前のように登場するライオンの群れに吃驚。シッディのキャラクターが2人も出てきた。鉄道を使って釘を矢尻に加工する野生児が、映画に魅せられ、自然の中でと同じく傍若無人に振る舞おうとして矯められ、やがて進むべき道を見つけて歩み出すという物語。芸術フォーマットだが、続編を作って欲しい一作。鉄道のゲージ転換が映画のフォーマットの転換とパラレルに語られる。カーストは無関係、夢をかなえる手段は英語しかないというのは、むしろ希望か。

Kantara (Kannada/2022)をイオンシネマ市川妙典で。3回目。おそらくこれがスクリーンではラスト。 

2回目でもまだ分からなかったことが解明した。地主の工場は恐らくサンダルウッドの加工場。前半終わり近くのあわや強制執行という場面での溝は、土地の境界を示すために掘られたものか(これはあまり確信がない)。1970年代の地主の隣の人物が誰なのかはまだはっきりしない。湿気の高い森の描写は森林浴をしているように心地よい。霧とも雨ともつかない降水は、きっと生暖かいのだろうと思わせるものがある。GGVVでのあの雨の冷たさとは対照的に。森と火と黄色いメイクの精霊の取り合わせはうっとりする美しさ。けれどもこれは、映画だからこそ成しえた美で、現実とは微妙なずれがあるんだろうなとも。部族民の穢れへの禁忌の描写も、現代劇では見られないものだったので興味深かった。①地主からシヴァが駄賃を受け取るところ、②シヴァの仲間が地主宅に足を踏み入れて揉めるところ、③シヴァの肩をたたいて唆した地主が後で手を消毒するところ。④地主が躊躇うグルヴァをジープに乗せるところ、⑤グルヴァのお悔やみに来るところは逆の表象。

Good Luck Sakhi (Telugu/2022)をオンラインで。 

114分しかないが、日曜の夜のせいか繋がりが悪く無限回停止しながら観た。バンジャーラ・トライブが主役の芸道ものとミスリードされてたけど違ってた。キールティ演じるヒロインは元々はテランガーナのバンジャーラ・トライブだけど、親の代にラーヤラシーマの農村に移住してきたという設定。2回ある結婚式シーンの正装以外ではトライブ文化への言及はなし。トライブ出身ゆえの差別なども描かれず。幼馴染のゴーリ・ラージュというキャラクターは巡回演劇のヒーロー役者だが、このキャラ造形が決定的に良くない。映画界入りを究極ゴールのように思っている、舞台を途中で放っぽり出す描写が3回も出てくる。10数年ぶりに村に戻ってきて定住するという設定なのか。ラーフル演じる悪役にしても、普通のテルグ語映画なら絶対流血展開へのトリガーになるはずだが、何となく和解してしまっているし、途中までのリアリティあるキャラ造形が活かされていない。HYDブルースのナーゲーシュ・ククヌールの初のテルグ語作品ということだが、オルタナ系であるにしても、観客のパルスを掴んでいない。

Mukkabaaz (Hindi/2017)をオンラインで。 

AK作品と知ってればもっと早く見てた。ヒンディー地方都市ものに特有の空気感の中で展開するリアリティー溢れるボクシング・スポコン&カースト桎梏&ロマンス。試合の迫力で言えば、Sarpatta Parambaraiの方がずっと上なんだけど、スポコンの定番である数々の困難に打ち勝って最後に勝つという「勝利の方程式」を完全に裏切るラストに唖然とした。イスラミックなテイストも感じる♪Bohot Dukha Mannが素晴らしい。悪役のバラモン政治家とそのカースト観の描出が印象的。ボクシングという接触型スポーツの主催者でありながら穢れの感覚を強く持つ。そして自宅では肉を食しているにもかかわらず、聖牛自警団をバックアップしてムスリムを攻撃している。また、スポーツ・クオータでの就職でも、スポーツに専心できない雑用係としての雇用もあることを知った。スポーツ・クオータからあぶれた者は、政治家のボディーガードという道があるというのも。あのラストは、引退が決まっている試合で、妻への愛を示しただけでなく、友である対戦相手に勝利を贈ったとも考えられるか。

アンニョンハセヨ(안녕하세요/Good morning、2022)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。ネット接続が悪く、後半はちょこちょこスキップしながら何とか見た。またしてもほんわかラブコメを予想してたらキャンサードラマだった。ホスピスが舞台なので、初めから分かっているキャンサードラマ。なので泣きの波状攻撃。ただ、養母役の女性のバックストーリーは今一つ説得力がなく、無理に付け足された印象。死に行く人とそれを見送る人の絶対的な立場の違いを長々と述べたのは、ドストエフスキーの『白痴』のイッポリート・テレンチェフだった。本作はそれをひたすら見まいとして様々なドラマを仕掛けているように見えた。ホスピスのスタッフの中に自身が闘病中のキャラクターも加えられ、その境界が見えないようにされていた。人が死ぬとどうして悲しいのだろうと思いながら何人かの死とその周りの人々を眺めた。名前を失念したが、最後の望みをかなえるための救急車というのがあり、したかったことを全部するという制度、実際にあるものなのかどうかわからないけど、それはあってほしいと思った。2年後には誰もいなくなったというラストは怖い。

おひとりさま族(혼자 사는 사람들/Aloners、2021)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。ほんわかラブコメのようなものを予想してたら全然違ってた。大都会で単身暮らす熟練労働者(ただし社会的な地位はない)の砂をかむような日常を描いた文芸の香りのする作品。「小公女」を思い出しもするが、あれほどの詩的な飛躍はなく、リアリティに寄っている。コールセンターでのオペレータとして、面倒な客への応対を淡々とこなしながら、実生活での他人との触れ合いは水のように薄いヒロイン。その代わりに仕事以外のすべての時間に、イヤホンをしてスマホで動画を見ている。食事中も食べながら意味もなく料理番組を見ている描写が印象的。彼女がこうなった理由は語られないのだが、その最大の原因は亡母を苦しめた父にあるらしいことが察せられる。父に対し感情を爆発させた後、距離をとることを言明した後に、彼女が徐々に孤立的な安定を取り戻していくことが暗示されて物語は終わる。明らかに他人を拒絶するオーラを放つ彼女に新人研修を任せた上司の女性が「私たち頑張りすぎてたかも、もっとテキトーでいいのかも」という意味の台詞を吐くのが印象的。

Opium (Hindi/2022)を東京国際映画祭で。 

邦題は『アヘン』、会場は銀座の丸の内TOEI。上映後は監督QAセッション付き。①暴動(ヒンドゥーvsムスリム)、②盲目、③木材(クリスチャン)、④焼き飯(ムスリム)、⑤花びら(ヒンドゥー&ムスリム)の合計五編からなる。ハードなストーリーからハートフルな寓話へという構成。久しぶりの芸術映画。①暴動はQAでも言及されていたがマントー的な苦さを持つ。②盲目は芸術映画でしかお目にかかれない中二病的映像世界だが、深みはない。QAで監督は自身を無神論者的と言っていたが、いかにもな作劇。⑤花びらの撮影地となった寒そうな町の名前を知りたい。少年が毎日8時に耳にする騒音と叫び声は何だったのか最後まで分からず。③木材が一番良かった。あの吝嗇な壮年の男はクンチャコと呼ばれていて、ケーララのシリアン・クリスチャンがルーツと思われる。葬儀を簡素に済ませるために改宗するという発想が非常に笑えた。それは言い換えれば彼の地のリベラルが口にする「すべての宗教は同じところをめざしている」と響き合うのだ。しかもそれを「パパが地獄に行かずに済むように」と言いくるめる妙。

Saawariya (Hindi/2007) をNTFLXで。 

日本語字幕付きだが字面が変。邦題は「愛しき人」。ドストエフスキーの『白夜』の翻案。同作の映画化はこれまでフランス映画で2回見ている。いずれも2時間以下のものだったと思うのだが、本作は140分もある。全体としては米国映画のミュージカルをインド映画もやってみたという趣き。ソングへの導入やソングの質感がハリウッドミュージカル的。ランビールはあの変顔に口紅をつけたりして、ピエロを意識しているのかと思った。ソーナムは非の打ち所がない美貌なのだけど、不思議なほどに眺めているのが退屈。セットは室内の幾つかのシーンのものを除いては、マカオのヴェニーシャンそっくりで笑えるほど。照明や雨や降雪などをいくらSLB節で華麗に演出してもヴェニーシャンなので、シュールなペラペラ感は拭えない。そしてここでも娼婦たちがモブで出てくる。SLBはどうしてこんなに娼館が好きなのか。リードペアと比べてサルマーン・カーンは貫禄があった。しかし「国のために働いているが明かすことはできない、1年後に戻る」って、裏で『タイガー 伝説のスパイ』で派手にやってたんかい?とか。

インド映画(あるいはボリウッドの)右傾化 

みたいな言説をよく目にするようになったけど、ボリウッドが右傾化したんじゃなく、観客が右傾化して、相変わらずのゆるリベラルをやってる映画界に愛想をつかし、一部の迎合的右翼映画だけがヒットするようになったという現象なんじゃないの?

Kantara (Kannada/2022)を川口スキップシティで。 

2度目。スキップシティが7割程度埋まっていて吃驚。字幕は良くないが、2度見で多少理解が進んだ。森林保護官ムラリは、一体を自然保護区として部族民の居住を特例で認めさせるプロトコルを用意していた。シヴァと回りの人々は部族民で、上位カーストからは触れるのも汚らわしい存在だが、リベラルなふりをする地主からは友達扱いされている。村はずれのシヴァの隠れ家には「カイラース」という屋号がある。最初の水牛レースで「走るのは水牛だが、メダルを受け取るのは乗り手だ」という意味の言葉がヤク中の刀研ぎ(だったっけ?)の口から出るのが象徴的。1970年代の場面で「そのお告げはダイヴァのものか、憑子のものか?」にも呼応する。ダイヴァのうち、黄色いPanjurliは恵みの神、黒づくめのGuligaは祟る神であるらしい。何度か登場する神の遣いである猪はどちらに属するのか。そしてシヴァが猪猟をすることは何を意味するのか。先日RRRを見たばかりだけど、これから南インド映画はダリトだけではなくトライブにもハイライトをあてて行くことになるのだろうかと思ったり。

RRR (Telugu/2022)を池袋グランドシネマサンシャインで。 

劇場で見るのは2回目。IMAXで見ておくべきという声が多かったので、無理して行った。IMAXは『2001年宇宙の旅』以来で数年ぶり。劇場自体が一種異様な高揚感を演出するようにできてるんだな。通常DCPとの違いはよくわからなかった。違いとされるものは劇場自体の構造の差からくるもののように思われた。それでもまあ、どんぐり眼のジュニアの顔が、数メートルのアップになるのを眺めるのは心地よい。Sea of Humanityのシーンは冒頭のLala Lajpat Raiの釈放を求める群衆、ソングの組体操や胴上げ、そしてビームの鞭打ち刑と、3回繰り返されることが分かった。シンボルイメージである重ね合わされた手は、橋上での救出からのタイトル出現シーン、ラーマと父親の戦場での別れ、それに懲罰房からのラーマの救出のシーンか。ラージャマウリのアクションは、跳躍系だけでなく、総督がバランスを崩した車の上で銃を構えるシーンに代表される絶妙な小技の効いた小気味のいい振付にある。もうひとつサンプル的なものを見たのだけど、どこだか失念してしまった。

Sardar(Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

7割程度の客の入り。国防アドバイザーの重要人物を殺害した裏切り者の諜報部員の息子が、警察官になり、街頭示威行動へのスマートな対応などで街の人気者となる。実はその国防アドバイザーの方が裏切り者で、その巨大陰謀は現在まで続いていた。バングラデシュのチッタゴン刑務所に収監されて生き延びていた父と息子とが最後には力を合わせて陰謀を葬る。分かりにくすぎるプロットの連続。ペットボトルの容器の汚染と、亜大陸全体の給水システムとの関係がよく分からない。それと、そんなに致命的な物/人ならさっさと消しておけよ、という「お間ぬ系悪役」なプロットが多すぎて、字幕からまともにロジックを追う気が失せる。カールティのファンとしては1人2役で二倍楽しめるのでいいのだろうが、純スリラーとしてはループホールとご都合主義が多すぎ。バングラデシュやパキスタンとタミルナードゥの距離感も無茶苦茶。隠れ諜報員の父親が普段は村芝居の役者という設定も凄いが、そこでやっているのがムルガンとヴァッリの恋物語で、父シヴァクマールとカールティの命名と両方への言及であるのは良かった。

Prince(Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

客入りは半分以下。SKクオリティーには期待してなかったが、唖然とするほどの低劣な出来。これほど低レベルのディーパーヴァリ作品は初めて。ポンディシェリが舞台で、主人公は社会科教師。父は土地の衆に信望のあるプチ名士。リベラルな父は、息子に異カースト・異宗教の相手と結婚させようと考えている。思惑通り息子は英語教師のジェシカと恋仲になる。しかし彼女は英国人。父の祖父は独立運動闘士で英国人に殺された。したがって英国人の嫁だけは認められない。息子は村の衆を巻き込み、「ヒューマニティーかパトリオティズムか」の論争を繰り広げる。bottle gourdの意味がわからず知ったかぶりする長々しいギャグとか、ケンブリッジがフランスにあると思い込む無知とか、咀嚼できないユーモアの嵐。Jathi Ratnaluの監督だが、同作を見た時は、よく理解できないお笑い世界ながら、何か楽しそうな雰囲気を評価してたんだよな。低能ギャグでも使いどころを間違えなければ楽しめるはずだが。ポンディシェリという設定で出てきたトランキバールの景色に郷愁がかき立てられた。

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