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Jana Gana Mana (Malayalam/2022)をNTFLXで。 

沢山盛り込んだ映画で、満腹。着想元は2019年ハイダラーバード・エンカウンター事件、それにローヒト・ヴェムラの自殺、政界の腐敗、警察の腐敗、大学の腐敗、肌の色差別、マスコミの軽率と軽薄などなど。前半の中心はレイプ殺人事件を担当したACPが、苦渋の決断として容疑者をエンカウンターで殺すところ。後半は彼を裁く裁判で原告側の弁護士が超法規的制裁の是非を問うとともに、事件そのものの驚くべき真相を明らかにするというもの。どうして原告側弁護士にそんな真相が分かるのかという疑問にはぎゅうぎゅう詰め感のあるラストで一応説明がされるが、若干説得力に欠ける。マラヤーラム語映画なのだが、舞台はカルナータカという設定で(大学はマニパル大学あたりのイメージ?)、またタミル語を喋る脇役も多数。英語も当然多い。スラージの演じるACPも一部カンナダ語を喋っていた。悪役政治家はタミル語を喋りながら名前は明らかにテルグ人で、これは要するに汎南インドの仮想空間を作るための設定なのかとも。こういう混ぜこぜは好きじゃないが、テーマに合致してはいる。

Super 30 (Hindi/2019)をオンラインで。 

やっぱインド映画の教育ものとは相性が悪いわ。よくよく考えれば、教育ものというだけじゃなく、このころ大流行だったバイオピックでもあるわけだ。まあ日本と印度じゃ教育の位置づけが全然違う。インドじゃ磨かれない原石が最貧層の中にもゴロゴロいて、それを以下に拾い上げて磨き、社会のために奉仕させるかというところに主眼がある。一方日本じゃ、天才や秀才じゃない者が社会の中での自分の居場所を見つけ、平均的な教養を身に着けるかというところが問題意識の中心がある。天才を探すことに必死なインドには、落ちこぼれを構っている余裕はまだないのだ。二時間半の長々しいストーリーは基本的にはスポコンのフォーマット。しかし勉強は地味で画面映えしないので、クライマックスの前にはスリラー展開を加えた。お蔭で寝ないで観られたが、ズルと言えばズルだ。エンドロールでは様々な表彰がテロップで流れ、お約束の「偉い人に褒められたから偉い」論法。英語コンプレックスの描き方にしても半端。理系ばかりが持て囃される風潮にそのまま乗っかってて、『Kalloori』を見てくれと言いたくなった。

Anek (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

下ネタ絡みじゃないアーユシュマーンを始めて見たかも(偏見)。ストーリーは非常に分かりにくく、固有名詞は伏せられている。3州にまたがる反政府運動となっているが、おそらくはナガランドがモデル。横山ノック似のあの実在の人物が思い浮かぶ。台詞は基本的にヒンディー語。父親に「アッパー」呼びかけられていたのが印象的。警察の覆面特殊部隊員が北東州の工作で潜入。上司は内務省の実力者。有名な反政府ゲリラのトップのタイガーは高齢化して、口で勇ましいことを言うだけらしいが、配下の軍事組織はまだ実力がある。このタイガーを政府との和平協定の場に呼び出して協定を結ばせ、紛争は終結したことにしたい政府。タイガーにゆすぶりをかけるために、造反して離れて行った過激派のジョンソンにこっそり援助をしている(?)。何度かカシミールとの対比がなされ370条と371条が言及される。また「インドに行く」「アッサムに行って稼げ」などの台詞も。ナスリーン・ムンニ・カビールが字幕翻訳を担当していた。予測可能なボクシングのエピソード、サージカル・ストライク、少年兵の最期などちぐはぐな印象。

Ugramm(Kannada/2014)をDVDで。 

何年ぶりかの鑑賞。この作品は大画面と大音響でなければ意味がないので、さらっとなぞるものであることを肝に銘じながら。まあそれと、どうしたってKGFと比べてはしまう。本当は二部作にしたかったのだろう無念とか、国家の力の及ばない治外法権ギャング・ネーションとか。思ってたよりもコメディーシーンの占める割合が高く、しかもおかしな二人組、八百屋、悪ガキ、それにヒロインと、ボケの担い手が多彩で独特。これがKGFから完全に失われてしまったもの。シュリームラリはパッと見が貧相で、やはりイケメンとは言い難いのだが、怒りの表現は素晴らしい。しかしそれよりも何よりも、硬派で不器用な男の含羞、母への誓いを破ることへの葛藤、内なる情動との戦いを、極めて抑制された演技で示すところが最大の魅力となっている。ラブソングのシーンにおいてすら破顔することはなく、ほんの微かな口の表情と眼差しだけで表現する。全編中に数回しか現れないそれらを、観客は両手で受け止めて稀なる甘露であるかのように飲み干すのだ。アクションシーンは意外に簡潔で、むしろピリッとした山葵のように感じられた。

Bhool Bhulaiyaa 2 (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

期待値最低限で臨んだが、それでもチャチだった。シリーズ前作から引き継いだのは、ラージパール・ヤーダヴとクライマックスソングとベンガル人設定だけ。舞台はラージャスターンのハヴェ―リー。なのに怨霊はベンガル人女性。怨霊に取りつかれた人間がベンガル語で話すのが今になると分かった(しかし英語字幕は区別をしていない)。いきなり最初にシムラーあたりのスキー場から話が始まりそこからチャンディーガルへのバス旅行など始まり、何かと思った。そこからラージャスターンにリードペアが赴く理由がバカバカしくご都合主義で、その程度の話なんだということがそこで分かってデタッチモード。怨霊の種明かしも1キロ手前から見えてるような素朴なもので、明らかに怖がらせや謎解きが主眼の作品ではない。城館の一族の中の戯け者たち、司祭兼霊能者の一族全員がお笑い担当で、コテコテのギャグを後から後から繰り出す。憑依の芸を見せるのが女優ではなく男優というのは目新しいが、別に感動はない。タブーの演技が高い評価を得ているが、お化けとしての作りは安っぽく通俗的で冴えない。

Aligarh (Hindi/2016)をオンラインで。 

LGBQ差別を告発する戦闘的な映画かと思っていたけど、そうではなかった。シラース教授はムスリム大学の中にありながらヒンドゥー教徒ブラーミンで、人気のない現代地方語学部のトップでマラーティー語の教授でもある。性的嗜好以前にすでにマイノリティー。そして俗世には興味のない旧時代の詩心を生きる人物。人生の友は詩と酒と愛。ディープーに会った時の「君ら若者は何でも1語で片づけようとする」という台詞が象徴するように、レッテル貼りを嫌う。ゲイという言葉も彼にとっては新奇なもので、性交をしていた相手のイルファーンのことも友人としか呼ばない。かつては妻帯していたこともある彼は、女性、イルファーン、ディープ―とのそれぞれの関係性に分かりやすい1語のレッテルを貼って確別しない。それぞれが薄っすらと連続した愛の関係であるかのようだ。大学の教員宿舎から始まって、その後転々とする住処はいずれも寒々と寂寥感漂う場末だが、64歳の彼の周りだけはそれを認めまいとするかのようなある種の優雅さが漂う。最後に謎なままに残ったのは下手人というよりイルファーンの共謀の有無か。

Pizza (Tamil/2012)をDVDで。 

たぶん5年ぶりぐらいの再鑑賞。恐怖にゆがむVJSの顔をひたすら凝視するという歪んだ愉楽。そしてゾロリとほくそ笑むあのシーン。やはりあそこがいちばんのクライマックスだ。しかしリードペアはどちらも孤児でクリスチャンという設定だけど、周りはお構いなしにヒンドゥー教のお祓いを受けさせたり、ティラカをつけさせたりしてるのがいい。それから、二人の質素な住まいというのが、案外広々として趣のある借家だというのも印象的。あと、どうしてもミスだと思えるのは、ピザの本来の発注主が黙ってたのかという点だ。

Don (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

SKだからあまり期待せずに臨んだ。レビューはミックス。メッセージを伝える意図は不発気味だが、エンタメ要素はそれなりに楽しめるという意見が大勢。学園のがんじがらめ規則を粉砕するというトリックスター的主人公の搔きまわしは痛快で、悪役のSJSもいつまでも眺めていたい気にさせる好演。しかし後半から急に出てくる夢の実現話と父とのエモーショナルな絆の話は場違いで安易。本来別々の話をイージーにつなぎ合わせた感があり(特に唐突に映画モチーフが出てくるあたり)、SK作品のスケールはまあこんなもんだよなとの感想。サムドラカニが凄いというレビューもあったが、肯えない。気鋭の監督から、かなりキてる悪役になったところまでは良かったが、その悪も擦り切れてしまい人情もの常連まで来てしまったかという無念さ。それにしても、高校生という設定の若作りSKは痛々しいが、逆にメガネっ子のプリヤンカーはむしろカレッジギャルよりもいいとい不思議さ。舞台はポッラーッチ~コインバトール間らしく、時折遠景として映る緑の洪水のような景色が美しく、これを活かせないのが不思議だった。

Bell Bottom (Kannada/2019)をDVDで。 

改良版日本語字幕で久しぶりに見た。わずか3年前のものなのに、遠い日のような記憶が蘇って不思議な気分。ノスタルジーに塗りこめられた作品なのに、画面自体はキラキラしてる。恥ずかしい感じをお洒落で包んで仕上げる画面作りには高度な知性が感じられる。そしてBGMを含めた音楽の質が高い。至ってお気楽なコメディースリラーなのに、台詞に織り込まれた歴史や文化の厚みが凄くて圧倒される。特にリンガーヤタ派の未知の世界はもっと知りたくなる。引用される文豪の言葉、ハリカタの芝居、冗句に現れる儀軌の面白さ等々。以前はヨーガラージ・バットのキャラに感銘を受けていたけど、ピント役の俳優もやっぱりいい。

Acharya (Telugu/2022)を川口スキップシティで。 

印度人は6~7人しか見に来てなかった。アーンドラとオディシャの州境付近の部族民が住む山中の大寺院城下町が舞台。部族民は純粋な信仰と自然との共存、アーユルヴェーダの知恵などなどお約束のてんこ盛り。しかし信仰の場にサンスクリットの声明が出てくるのはやはりどうかと思った。部族民がいるところ、レアアースあり&悪徳鉱業マフィアあり。そして部族民への抑圧に対してマオイストが反撃するのも定石。しかしフィクションとはいえ極左暴力をここまでの称揚をやっちまうということはチルはもう政治家稼業は諦めたということなのか。似たような筋立てでもAkhandaはヒンドゥー右翼から絶賛され、本作はボコボコに叩かれるというのはハッキリしてなという感じ。しかし回想シーンでチルの若い頃の顔がCGで出てきたのには驚いた。ラストの悪役との対決シーンの神懸かった映像美はすごい、日食まで起きてた。悪役が串刺しされた三叉鉾から滴り落ちる血までもが美しかった。踊りは省エネタイプが多かったけど、ヒロイン抜き親子共演のBhale Bhale Banjaraでは意地を見せた。

Sarkaru Vaari Paata (Telugu/2022) を川口スキップシティで。 

読みにくい英語字幕でだんだん筋が追えなくなっていった。まじめに働いてる庶民が一生かけてコツコツ貯金しても病気だのなんだのの椿事で簡単に財政状況が悪化し、借金漬けとなりついには住処を手放すことになるのに対し、悪徳実業家は銀行から多額の借り入れをして返済をバッくれても影響力を行使して罪に問われず、銀行の融資担当者を人身御供にして逃げおおせることができるという不平等を糾す、という趣旨であることは分かった。マヘーシュは相変わらずのクールガイぶりで、弱みや愛嬌をほぼ出さないヒーロー造形。一番の見せ場はbank noticeをデコトラに乗って金融犯罪者のところに届けに行く粉砕走行シーンか。キールティはアホの子ちゃんとして出てきて、途中からしおらしくなるのか、あるいは隠された真の性格が出るのかと思ったら、最後まで悪い子のまま(ただし親父が悪すぎてまともになる)で新鮮。まあただ、金融犯罪を扱いながら最後は肉弾戦になるのは同じサルカールでもヴィジャイのものとは異なる。そっちで行くなら悪役も血祭りにして欲しかった。

CBI 5:The Brain (Malayalam/2022) を川口スキップシティで。 

悪評を散々読んでしまっていたけど、そしてかなり分かりにくいストーリーではあったけど、そんなに酷い作品とも思えなかった。特に終盤キャラの立った悪役が出てきてからはメリハリが生まれた。ただし、怪しい人間の怪しいエピソードを撒餌としてばらまきすぎたため、回収されずに途中で消えてしまったエピソードがあったのではないか。女弁護士を巡るものとか、行方不明のムスリムの男とか。トリックの要の心臓ペースメーカーも、あの人がつけているという説明あったっけ?ぐっと来たのはほんの一瞬セードゥラーマが自宅のプージャー・ルームでお勤めするシーン。ジャガティの登場シーンは単なる同窓会的な記念撮影かと思ったけど、ちゃんと必然性があって捜査の重要な転換点となるものとして組み込まれていた。全身の麻痺は、共和国歴代首相の不自然な死の真相に肉薄しすぎたために謀殺されかかったというエピソードとなった。以前見たOneもそうだったけど、踊りはおろか歌もコメディーもない160分をエンターテインメントとして受容するケーララ人はやはり凄いと思った。

Heropanti 2 (Hindi/2022)を川口スキップシティで。 

先月末に公開されて酷評の嵐だったので、インド人観客は10名以下だった。しかし日本人女子が30名以上はいて、お約束の祭壇も作られてた。2014年のHeropantiは見てなかったのだけど、Paruguのリメイクか。ということは、今日見た2は第1作とは全く無関係ということじゃないか。主人公の名前が同じ、1のヒロインのクリティ・サーノーンがエンディングでケバい踊りをするというので無理矢理にシリーズ化か。タイガー映画にストーリーやエモーションなどを端から期待していないから平静に見てたけど、単純な話なのに過去と現在の切り替えが下手で、何がどうなってるのか分からない(識別子はヒロインの髪型だけ)というのは監督の無能と言わざるを得ない。諜報機関のデスクのカーンが途中でいなくなったりやっぱり出てきたりの理由が分からない。ヒロインのデーシー版パリス・ヒルトンみたいなキャラは膨らませればもっと面白くなったはず。終盤は特にそうだけど、格闘系のゲームみたいな画面構成で、まあこういう映画を観たい客層もあるのか(自分は関係ないけど)と思った。

Kaathuvaakula Rendu Kaadhal (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

悪評判は聞いていたし、予告編を見てもぬるま湯ぶりは分かったので過大な期待無しで臨んだ。両手に花の三角関係をどう処理するのかに興味があった。両方とも幸せにするために結婚してあげるとか、どちらをより愛しているかが最後の瞬間に分かってあぶれた女が譲るとか、「どーなるのこれ?」で結末をばっくれて終わるとかが考えられたが、3人とも独り身のままという、歯切れの悪い結末。主要登場人物の多くがムスリム、ベンガル系などのマイノリティー中心なのは何か意味があるのか分からなかった。オープニングのクレジットからナヤンターラvsサマンタとしてvsからVJSのフルネームが浮かび上がってくるなど、言葉の遊びが全編に溢れ、翻訳者泣かせになるだろうなという感触。おかんセンチメント担当でシーマが出てきて吃驚。お得意の多重人格ものとして進めておいて、途中から嘘でした、どっちも好きだからというのは妙な引き延ばしで、不完全燃焼。フィールグッドな恋愛物語二つを一人の男が体験することによる不気味な変質をもっと追及してほしかった。

KGF2のヒットよりもヤシュの毛髪量に嫉妬を感じてるスターはいるはず。

K. G. F: Chapter 2 (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

本国での熱狂が異様に高かったというタミル語版。基本的に同じはずなのに英字幕が早くて追うのが大変、北インド人キャラが口にするヒンディー語はミニマム。カンナダ語の新聞の見出しがそのまま画面に出てきた。前回思いついだコピーは結局浮かばなかった。煤煙と硝煙で冥く煙った曇天、逆光の中に屹立するハンマーを持った神というイメージへの執着はよく分かった。ロッキーとアディーラの闘いが綺麗なシンメトリーになっていることも分かった。その対決の第一ラウンドで、白スーツのロッキーがリーナーを取り戻すために雑兵と戦うシーン、死屍累々なのに白スーツがと汚れていないとか、神話映画っぽいところも気づいた。さらにアディーラに一撃を喰らったあと中東でカラシニコフを大量に購入してくるくだり、アルジュナが天界でシヴァ神などから神的な武器を授かる挿話を思い出させる。最後に結局残るのはロッキーの母の異常な意思の強さで、それを極貧という状況が際立たせている。アディーラがヴァイキングに憧れていたという説明もなんか凄い。金のモチーフもさらに目についた。

『サニー 永遠の仲間たち』(2011、써니)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。いわゆる同窓会映画で、ノスタルジックな感傷、映像の上で現在と過去を交錯させる(1ショットの中で)技法、懐メロ、そしてラストの邂逅などなど、全てが予測の範囲内でありながらも上手く見せる。似たような題材を扱った『最善の人生』(2021)でも思ったが、女子学生の間での愛憎のすさまじさは印象的で、淡い初恋エピソードなど吹っ飛ばす勢い。過去のエピソード部分は1980年代後半のソウル。全斗煥時代の末期という設定。ヒロインの兄は労働運動家で全政権反対デモにも参加するような熱情家だが、機動隊との衝突のシーンで、女の子たちの対立グループ間のもみ合いが始まるというの、多分に楽天的だが思わず笑ってしまう。またヒロインの一家が全羅道出身者で訛りをからかわれているというのもあり、字幕は結構苦労だったと思う(東北弁を適当にアレンジしたのもが用いられていた)。現代のパートで、病院のTVで流れている連続ドラマで、愛し合う二人が実は兄妹だったという怒涛の韓流展開のシーンで、かたずをのんで見ていた一同が頭を抱えるというシーンがウケた。

セシボン(쎄시봉、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。1970年代のポップシンガーたちが主役の青春映画。実在の伝説のヴェニューをモデルにしたものだという。イケメンと実力派、二人のソウル在住シンガーをコンビにするにあたって、もう一捻りを加えるために取り込まれた忠武出身のギターも弾けない田舎者が主人公。そして彼らに楽曲を提供するもう一人の若者、女優志望の美人が絡んでの青春模様。ポップといいながら、ドニゼッティのUna Furtiva Lacrimaが出てきたり、「大きな古時計」を切々と歌い上げたり、一々思い出せないけどスコットランド民謡みたいなのがあったりで吃驚。ハーモニー重視の教会聖歌隊の世界に近い。そして元ネタが分かるというのはつまりほとんどが西欧世界の音楽のカバーだということ。歌声酒場的(酒の提供はないが)健全歌謡、そこにいわゆるグルーピー的な女性ファンが群がる不思議ワールド。知られざる韓国ポップ史を覗いた気分。しかし青春メモリーのあちこちには、夜12時のカーフューとか、ミニスカ狩り(よく分からないけどそんなのがあったのか)などなど、厳しい時代の足枷が見え隠れする。

K. G. F: Chapter 2 (Kannada/2022)を川口スキップシティで。 

川口のゆったりシートと美麗画像、迫力音響で見たため、そして、二度目ゆえに細部にまで目配りができたため、印象がぐっと良くなった。途中ではこの台詞はどう訳すかとか、煽り文のコピーなどが思い浮かんだのだが、劇終で綺麗に忘れてしまった。ヤシュは4年前と比べると額に縦線演技が上手くなった。ソングシーンで踊らないのも見識。細かいところで分かったのは、最初のシーンでベッドで苦悶する人物はアーナンドだということ。しかしアーナンド退場の意味はよく分からない。父と疎遠だったという息子が現れて父と同じ内容を語り出すのは変な設定。それからヘリコプターとパーパルの関係。またパート1でリーナーが初登場で金の服を着ていた件、パート2でのロッキーのバイオレンス演説のところで辛子色のスーツが最後の方で金色に光っているのに照応しているなどなど。幼少期の憧れだったシェッティの玉座に座って下さいと言われて座らず、オットマンとして使うとか、金のインゴット一枚のために機関銃ぶっ放して煙草に着火とか、そういう格好のつけ方がいちいち凝っていた。

Beast (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

久しぶりの満員に近い活況。開映前に注意してもお構いなしで叫ぶ連中が一定数いた。ネルサンらしい雑なアクション。昨年11月のDoctorと同じで、アクションの見せ方、コメディーの入れ方に癖がある。ヴィジャイ、それに北インド人設定のキャラクターのヒンディー語セリフ率は空前。英語字幕で追ったタミル人観客もいたはず。軍人を主役にするサウス映画の常で、北インドにはムスリムのテロリストと、バランスをとるために投入される無辜のムスリム女性しかいないことになっている。RAWの隊員がラージャスターンでの任務にあたっていたが、民間人の巻き添えもやむなしとして強行された作戦にトラウマを受けて除隊し、チェンナイでは民間の警備会社に入るがそこでモールのハイジャック事件に巻き込まれるというプロット。物理法則無視でいかなる弾丸も避けられる主人公が百発百中で敵をなぎ倒す。モールでの攻防をもっと緊迫感をもって描き(Helenほどにも緊迫感がなかった)、エアフォースの部分はなしにした方が良かった。シャイン・トム・チャッコーと例のお婆ちゃん、二人のケーララ人俳優も。

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