『侍タイムスリッパー』(2024)をキノシネマ神戸で。
自主制作がまさかの全国公開にまで至った怪作。確かに脚本が流れるようで見事。2時間11分と邦画にしては長い方だが、スルリとした喉越し。幕末の騒乱の時代と現代を対比させるのは効果的。その対比の小道具が白米の握り飯だったり、ショートケーキだったりすることからは「スイス300年の平和が何を産んだ?」というセリフを思い出すなど。クライマックスの真剣勝負は、昔の大河ドラマ(何だったか忘れた)でのアメリカ人に見せるための剣術試合を真剣で行ったというエピソードを思い起こさせた。あれは実話に基づく場面だったのかどうか。日本人が出身地域によっていがみ合い・殺し合いをしたのは幕末〜戊辰戦争期が最後だったのだなと感慨。それにしても「カメとめ」といい本作といい、保守本流の大作ではなく、映画についての映画というメタな作品が大評判&ブームになることには複雑な思い。某国との違い。韓流時代劇を見た後と同じく、主演格俳優のオフの写真を検索して劇中との落差でジンジンくる感を味わうなど。竹光であることが分かっているチャンバラを見る安心感の中に真剣勝負を入れた緊張感は秀逸。
Joyland(Panjabi/Urdu/2022)をシネリーブル神戸で。
邦題は『ジョイランド 私の願い』。夕方回なれど客は自分含め4人。しばらく前にどこかで知らない人が「生きづらさばかり描く日本映画に倦み疲れていると、インド映画の豪快さにせいせいする」という意味のことを書いていてなるほどと思ったのだけど、まさにこれはパキスタンの古都に住む中流家庭の成員たちの生きづらさを描いたもので,南アジアからもこういうものが出てきたかという感慨。クイア映画として宣伝されているが、生きづらさを感じているのは必ずしも性的少数者だけではない。主人公にあたるハイダルは、繊細でインテリ臭も漂わせるが、優柔不断なところもある静かな男。妻がありながらムジュラーを生業にするヒジュラーと付き合うのだが、彼がバイであることが明かされる場面が衝撃的かつ悲しい。監督によれば、自分の求めるものが何かわからず混乱している状態。全体的に暗さと汚れをリアルに描き、その中に美を見出す美学が貫かれる。カットアウトをバイクで夜に運ぶシーンが美しかった。論評しようとすると生真面目になるしかなく、茶化しながら愛することはできない類の一作。
The Good, the Bad and the Ugly(伊、1966)をオンラインで。
邦題は『続・夕陽のガンマン』。やたらと早い英語字幕をいいかげんに見ながらだったけど、途中から字幕不要な感じになっていくのがインド映画に近いかも。なるほどこれがカルト・クラシックとされているもの分かる。序盤の人物紹介と終盤とでタイトルがテロップのように出るとか、墓場を回るカメラとか、超アップの手先だけで緊張感を高める技法など、斬新な工夫が一杯だけど、どこまでも下世話。はっきりと南北戦争下であることが示され、戦争は賞金稼ぎの三つ巴の争いよりさらに非人道的で下らないと言うかのような扱い。The Goodと形容されるクリントのキャラクターは別に善人でも何でもないのだが、否応なしに応援させる方向にもっていく作劇が見事。最後のオチだけは見通せてしまうが、それ以外での玉がどこに転がっていくか分からない感を出す脚本が絶妙。3人の間で上手に立つ者がシーソーのように変転するのが必然ではなく不規則な分子運動のようでいて、やはり見えざる手があるのかと思わされる滑らかさ。例の短いジングルは発射した拳銃から立ち上る煙か。
Vettaiyan (Tamil/2024)を川口スキップシティで。
50~60人程度しか来ていなかった。『ジャイ・ビーム』のニャーナヴェール監督らしい強いメッセージを持つ一作。パー・ランジットとのコラボに続き、ラジニがメッセンジャー役を引き受けた感じか。しかし、カマルの『Indian 2』に続いてまたしても観客に飲み下しにくい批判を突き付けたものとなり、特大ヒットまでは行かないのではないかとの予感。「エンカウンターという超法規的措置ですら、被疑者の社会的ステータスに応じて行われる」という事実を批判する。警察の捜査が予断に基づいたものであるという事情は前作と同じ。重々しい脇役たちを集めながら、それぞれの持ち味を十分に生かした配役と采配。脇役もエージェント・ティナに至るまで良かった。残忍な犯罪が行われ、それにより火のついたような反対運動が起き、それ自体が反社会的な性格を帯びるまでになるというあの国の恐ろしさをリアリズムで描いた。さらにそこに、民間の教育機構の利益第一主義というこれもまたポピュラーな問題提起を盛り込んだ。ラジニのアクションは極力殺さないが、やる時は銃で一思いにというスタイル。
Kishkindha Kaandam (Malayalam/2024)を川口スキップシティで。
客入りは全体の半分強。西ガーツ山中の僻村ば舞台でティルネッリの地名が出たような気がするが要確認。ソングは全くなし。それなりに格式ある退役軍人の家で起きた拳銃の紛失事件と過去の未解決の子供の行方不明事件をめぐるミステリー。森の恐ろしさ・不吉さを重要なモチーフとする。16年前の当主の陸軍からの退役、8年前の拳銃の登録、3年前の孫の失踪、3年ほど経った猿の死体の発見、2年前の土地の一部の売却、そして2年前の次男の妻の病死。これらが提示されていき、そこに当主の健忘症(あるいは初期の認知症)と怒れる年寄りぶりや、何やら不穏な旧友の訪問、発砲事件、人間の持ち物を攫って行く野生の猿、次男の後妻への当主の敵意、姿を見せないナクサルの脅威などが合わさって最後まで気を抜けない。『Drishyam』『Ghajini』の影響の指摘はあるのだろうが、どちらとも違う森閑・沈痛と老いの悲しみの悲痛が胸に刺さる。アーシフ・アリの演技者としての成長に驚き、ニシャンのカムバックに驚いた。出汁がしみ込んだヴィジャヤ・ラーガヴァン。
Jigarthanda (Tamil/2014)をオンラインで。
邦題『ジガルタンダ』。2020年に劇場でやった頃以来ずっと見直さなければと思っていたのをやっと。たぶん3~4回目の通し見になるのだろうけど、驚くほど喉越し良く、味わいどころを余すことなく味わえた気がする。これまではなぜ隔靴掻痒感があったのかというと、タランティーノ的な大車輪のノリがどうもテーマと合っていない気がしていたのと、終盤のギャングの回心の作為性が目立ちすぎると思っていたせい。しかしDXを見た後だと、その意図するものがすっと入ってくるし、後後に響く思わせぶりな台詞のいちいちにジンジンとくる。「芸術の白鳥となれ」「王として生きる、名誉とプライドとともに」「デビュー作でいきなり巨匠(サタジット・レイ)になろうとして…今頃巨匠(バーラチャンダル、バーラティラージャー)になってた」などなど。それからあからさまと言えるほどの『Thalapathi』からの引用とか、4年前も気づかなかったはずはないけど印象に残らなかったのか。劇場に行ってみたら思ってたのとは違う映画がかかってたというのも重要な共通点だったことにも改めて感じ入った。
Hanu Man (Telugu/2024)を池袋ヒューマックスシネマズで。2回目。
テルグ語映画のヒーローが問答無用で超人的に強いのに対して、本作がヒーローに超人的な強さを与えるのに理屈(超常的な者であっても理屈は理屈)を付けようとしているところが楽しめない原因かもしれない。底に時間を割いた分、悪役の悪やその他の部分を丁寧に描けなかった。その代わり、古典的な「訳もなく強い」が主人公の姉の属性となっているのが興味深い。これが若干の救い。
Navra Maza Navsacha 2 (Marathi/2024)をイオンシネマ市川妙典で。
149席のスクリーン4がほぼ満席。日本人は3人だけだったかも。パート1は19年も前のものだそうだ。1で子供を望んだカップルがその後娘を授かり、その娘の恋愛から始まるドタバタ。そこに宝石泥棒と間抜けな手下の話が混じる。ガンパティープレーへ全裸で巡礼というシュールな苦行が絡むのも1から引き継いだらしい。劇中人物のコミュニティーがよく分からないのだが、ともかく昔ながらのマラーティーのバラモン・コメディーの雰囲気が濃厚。夫妻が祀っているガナパティ像(ムールティと称される)が俗悪そのもののケバい飾りのものに見えるのに、だんだんありがたみが出てくるのが凄い。なんなら自分も家に祀りたいと思ったほど。そして無神論者が最終的に苦行を行い、神の御業によって回心するというアクロバティックな展開。ガネーシャの乗り物であるネズ公も役割を果たす。サチンは相変わらず前髪が不自然。婿役のスワプニル・ジョーシーはヤングの設定だけど脱ぐと凄いことになる。出発地はムンバイなのか不明。ともかくラトナギリで下車することは分かった。
Dam 999 (English/2011)をDVDで。
怪しげな日本語字幕付き。出たと自分で言ってたティラガンは姿が見えず。予想通りのスカスカのアマチュア映画。もちろん最後の大災害の6~7分を見せるためだけに作られた。そこに至るまでの様々な人々の人生行路を描くわけだが、雑過ぎて各々を突っ込む気すら失せる。では大学の映像研並みかというとそうでもなく、それなりに金を使っている気配もあるが、イージーな脚本とアートディレクションが台無しにしている。名門のアーユルヴェーダ施設の跡取りに生まれたヴィナイは船乗りになっていたが、破綻した結婚の末に引き取った息子サムの小児糖尿病の治療のため、実家に戻る。そこには彼の出奔の原因となった幼馴染のミーラが暮らしていた。ヴィナイが乗り組んでいた船のキャプテンであるフレディ―は西ガーツ山脈のエステート経営者だったアングロ・インディアンの名家の末裔。体が不自由な姉のマリアは同地の野心家の政治家ドゥライと結婚したが、半ば幽閉されたように暮らしている。etc。半年ぐらい前にいきなりSNSのチャットをしてきて日本版DVDを出すのを手伝えとか言ってたのは監督自身だったか。
A.R.M. [Ajayante Randam Moshanam] (Malayalam - 2024)を川口スキップシティで。
7割近く埋まる盛況。舞台は北ケーララでヤクシャガーナ芸人などもいる地域。複雑な1人3役。1900年頃の戦士。土地のラージャを助け、褒美として稀少な女神像形の燭台を得る。被差別民の女性と愛し合うが天然痘で死ぬ。1950年代の大盗賊。ラージャから与えられた燭台がレプリカであると知り本物を盗み出し、滝に追い詰められ死ぬ。1990年の電気工アジャヤン。ラージャの末裔スデーヴに弱みを握られ、オリジナルの燭台を探すことを強いられる。祖父のせいで日頃から盗人扱いされている。上位カーストのラクシュミと恋仲。被差別民なので寺院に入構できない。監督は本作が長編デビュー。知ってた訳じゃないけど、見ていて色々ヘタクソな部分が目についた。ところどころジャッリカットゥ、別のところでカーンターラ、他ではブラフマーストラもどき、でもやっぱりオリジナルより劣る。被差別民/クリミナル・トライブのモチーフの取り込み方も安っぽい。それからワチャワチャ出てくるいい顔軍団も世代交代が生きてることを実感。
Jigarthanda Double X (Tamil/2023)を新宿ピカデリーで。
『ジガルタンダ・ダブルX』のFDFS、157席のシアター8にて。埋まり方は75%ぐらいだったか。日本語字幕版を劇場で見るのは初めて。思い出したこと、あの重そうなマスクはアーヴィング・ペンが撮ったニューギニアのMud Man。『Godfather』は1972年公開。『Apoorva Ragangal』は1975年の8月15日公開!最初の方の学園祭はよく分からないけど、独立記念日とディーパーヴァリがはっきりテロップで出るんで、時系列は追いやすい。もっと細かく検証できるかも。初見でなくともやはり引き込むのはサナーの音楽。普通にお気に入り曲をリピートするのと同じく「来るぞ来るぞ…」と待ち構えて流れに身を任せる。サナーの音楽もそうだけど、KSは本当に世界を見た男なのでクリント・イーストウッドからアフリカ系女性ミュージシャンまで世界のサブカル要素を入れ込むのが巧い。その巧みさをもってして、世界を知らなかった時代を描くのだ。調べ直してみたけど、TVが一般家庭に本格的に普及し始めたのはやっと1980年代になってから。
The Greatest Of All Time (Tamil/2024)をユナイテッド・シネマ アクアシティお台場 で。
612席が85%以上埋まってたかも。そのうちの3割以上が日本人という感触。VP's Heroのタグは通例に反して最初に出た。プラシャーント、アジマル以外にも懐かしい顔が山ほど。昔『Jeans』(1998)がインドのCG技術力を世界に見せるための作品(たぶん穿ち過ぎの深読み)と言われたけど、本作はAI作画技術のデモみたい。他人の顔そっくりなマスクなど、前世紀の粗雑なアクションのトリックだったけど、今は実現に近づいてる。最初のシーンのVJKはVJKとヴィジャイのハイブリットのようで、何とも言えない感触。後半の10代ヴィジャイの出演も。イライヤ・タラパティのビジュアルにはどのくらい加工が入ってるのか。台詞は無数の引用に満ちており、字幕は忠実にそれを拾う。意表を突くキャスティングの嵐。3人の相棒はいずれも裏切りそうな風情。クライマックスでの悪成敗シーンの「お前は誰のファンだ?」の下り、それからエピローグのクローンのくだりはak絡みだと思うのだけど、あそこが分かりにくかった。
Indra (Telugu/2002)を川口スキップシティで。4kリマスター版。
インドラの親族を皆殺しにする。怒り狂ったインドラはシヴァレッディと弟の一人を除いて一家の男たちを報復で殺す。その場にいた花嫁姿のスネーハラタはインドラへの復讐を誓う。シヴァレッディは若い弟を使い、インドラの姪と懇ろになり、結婚に持ち込むが、固めの儀式が終わった後(?)に正体を現して花嫁を捨てさせる。妊娠していた姪は自殺を図るが、すんでのところで救われ、最終的には夫と一緒になる。インドラはシヴァレッディと最終決戦。命をとることはせずに打ちのめして大団円に。
忘備録:和解としての縁組と、そこで起こる裏切りの゙繰り返し/警察は仲介するだけで裁かない/大衆とともにあるチルの姿
ヴィーナー・ステップ/両手に花、エロティシズムを含むギャグ/鬼神の怒り/前半の舞台がヴァーラーナシーであること、シュローカの朗誦、神の怒りを表すかのようなアクションの演出などなど神話言及の多さ/神そのものというよりも、神の祝福と信任を得て大衆のリーダーとなる男/“称え役”のサイドキック/カーシーではシヴァを称え、シーマではヴィシュヌを称える
Indra (Telugu/2002)を川口スキップシティで。4kリマスター版。
ヴァーラーナシーに暮らす実直なタクシー運転手シャンカラナーラーヤナ。声楽家を志す姪と暮らすが、彼自身が超絶の歌い手。UP州の知事として赴任したテルグ人チェンナケーシャヴァの゙娘パッラヴィは一目惚れして彼の家に押しかけて同居。怒ったチェンナケーシャヴァはグーンダを差し向けてシャンカラの家の者たちを誘拐するが、シャンカラは獅子奮迅の働きで彼らを救う。チェンナケーシャヴァはそこで初めてタクシー運転手がかつてラーヤラシーマで尊崇を一身に集めていたインドラセーナ・レッディであることを知る。そこから彼の過去が物語られる。シーマの゙カダパ地方、2つの名家の゙間での絶えざるファクション抗争の中、1965年と1975年に起きた大衝突。1975年に年長者を皆殺しにされた少年インドラは自分が一家を背負うことを誓う。成長した彼は地域の人々に慕われる当主となるが、農民たちに水を与えるために敵対するシヴァレッディの゙家との間で大幅な妥協をする。家屋敷を捨て、シヴァレッディの゙妹と結婚するというものだった。しかし式の当日シヴァレッディは
Saripodhaa Sanivaaram (Telugu/2024)を池袋ヒューマックスシネマで。
@PeriploEiga 忘備録:そういやクリシュナとサティヤバーマが共同でナラカスラを倒すエピソードへの言及が何度も出てきたな。
Saripodhaa Sanivaaram (Telugu/2024)を池袋ヒューマックスシネマで。
幾つかの章立てがなされてテロップが出るが、英語字幕は全部訳してない。舞台は海辺の街とハイダラーバード。基本的にはビジランテ・ムービー。そこにナーニらしい屈折とツイストとメタ視点を入れた。さらにどこぞのシュローカなども交え、流行の神話風ふりかけもトッピング。アンガーマネジメントの話というとクソガキのNaa Peru Surya, Naa Illu Indiaを思い出す。それと同じく、本作もまた怒りの制御の試みを描くが、暴力は全然否定していない。主人公の身体能力の高さの説明は全くないテルグ伝統ナラティブ。SJSの敵役も完全に向こう側に行ってしまってるキャラでそれは暴力的に矯めるしかないわ、と誘導する。母の戒め、ダリト集落の救世主、運命の巡り合わせの恋、マスク怪傑ものと色々盛り込んだので、やや冗長になった。土曜日のみ溜めた怒りを放出させていいというのは、スーパーヒーロー映画の超能力3分間の縛りみたいなものか。怒りの放出=暴力的私刑というのも考えものだが。結局ナーニは何をしたいのかが分からない。
Kalki 2898 AD (Telugu/2024)をオンラインで。
予備知識なく見て終わりに来て「Kalki Cinematic Universe」出てガックリ。一話で終わるもんを作らんかい!となった。180分使って世界観らしきものを提示し(それでもイマイチ分からないところも残る)、ヒーローの正体判明&覚醒らしきもののところで終わる。ディストピアSF、バウンティーハンターもの西部劇、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、ニューエイジ・スピリチュアル映画、トランスフォーマーものなどをごった煮にした上に『マハーバーラタ』を織り込んだ大味な大長編。どこかで見たような映像が連なるが、インド産のユニヴァースを創ることに意義があると言わんばかり。今作においては神話モチーフはかなり込み入っていて、原典を知らなくとも雰囲気だけ楽しむというのでは歯が立たない。アンナ・ベンはフレッシュな魅力、パシュパティは窮屈そう。無量光はプラバース以上にアクションが多い。カマルハーサンの妖気は確かにラスボスにふさわしく、このキャラがアルジュナの神弓を持つというのが思わせぶり。Brahmashirastraは要調査。
Laapataa Ladies(Hindi/2023)を試写で。
邦題は「花嫁はどこへ?」。キラン・ラーオらしい、手堅い脚本、適切なランタイム、映画祭受けしそうな分かりやすい寓話。冒頭にはMP the heart of Incredible Indiaと出て、MP州観光局のバックアップが謳われる。風景の美しさと対照的な農村の後進性が背景なのだが。尤も後進性の中に真心を持った人間が幾人も現れて御伽噺のような大団円になるからまあいいのか。鉄道映画としても出色で、冒頭で駅ともいえない踏み台みたいなプラットフォームから乗車するシーンで度肝を抜かれた。あれは駅なのか。プール、プシュパ、スーリヤムキと、花の名前が多出するのも一層のファンタジー風味。インド映画は、才能があるのに機会に恵まれない人間を浮上させることに性急で、それ以外の凡人たちを背景に押しやることが多いが、本作は主婦を夢見て育った女性をメインに据え、学問を修めて社会に奉仕したい女性と対比させ、どちらにも尊厳を与えているところがクレバー。最終的には美味しいところはラヴィ・キシャンが持って行った。Vaathiでのサーイ・クマールを思い出した。
Nuvve Kavali (Telugu/2000)をYTで。字幕なし。
昨日の中断の後、セカンドハーフを見た。オリジナルでクリスチャンだったリードペアがヒンドゥー教徒に変わっている。MSナーラヤナのコメディー、アパレルショップでの恋敵の微妙なギャグが追加され、学園祭の出し物としてライラがアイテムダンスを踊るシーンが追加された。その代わり、クライマックスに至る愁嘆場がやや削られたか。試しにタミル語リメイクを見てみたら、ロケ地までオリジナルにそっくり同じだった。本作はまだオリジナリティーを出した方だったのか。クンチャッコーと比べてタルンは表現力が乏しい。リッチャーは割と良かった。カンナダとヒンディーはまともな動画が見つからず。テルグ化されてもアクションシーンの付加はなかった。それにしてもカレッジに行くような年の、そしてそれなりに裕福な男女の、格言ポスターだのぬいぐるみだのが満載の生活空間のファンシーさが何とも言えない。オリジナルのマラヤーラムが特別に田舎臭いのかとも思いかけたけど、テルグでも変わらないということは、この時代のハイティーンは実際にあんな感じだったのか、確かめてみたい気がする。
Niram(Malayalam/1999)をYTで。字幕なし。
Nuvve Kavali(字幕なし)を必要に迫られ見ていたところ、実は元ネタがあると知り半分で停止して、こちらに切り替えた。どっちにしろ字幕なしではあるけれど、クンチャッコーが主演ならば説得力が違う。コッチで同じ日に同じ病院で生まれた中産階級クリスチャンの男女は、両親までもが互いに親しく、ダメ押しでお互いが向かい合った家に住んでいる。劇中で何度もシャム双生児と形容されている二人は常に一緒にいてふざけ合う親友どうしとして育ち、カレッジに通うようになってもそれは変わらなかった。しかし二人がそれぞれに「外野」の第三者の異性から好意を告白されると、関係がぎくしゃくし始め、まず男の方が愛を自覚する。女の方ははるかに鈍くて、男の方の優柔不断とボタンの掛け違い的タイミングの悪さも手伝って、好意を寄せてきた男と婚約までしてしまう。過ちに気付いた女は自分から愛を告白するが、男はもう遅すぎると言ってその手を振りほどこうとする。よくある四角関係ものに、友情の絶対的な神聖視というこの時期のインド映画にありがちなモチーフも絡む。アクションは一切なし。