Made in Bangladesh (Bengali/2019)を試写で。
バングラデシュ映画が映画祭ではなく一般劇場公開になるのは初めてか。社会派でありながら同時にカラフルで楽しい一本。『グレート・インディアン・キッチン』と同じでメッセージはド直球だけど、細部の描写のリアリティーが凄い。直接は関係ない細部のリアリティーがメッセージに説得力を持たせるのだ。たとえば色々な階層の女性たちのまとう衣装。黒づくめのニカブの通行人からスリーブレスのブラウスにサリーを合わせる進歩派の女性まで。役所の無能な女性官僚の着る金糸のダッカ・モスリン・サリー(ジャムダニというのだとすぐ後の教室で習った)が美しかった。それぞれの衣装のニュアンスが奥深い。女性が頭髪を覆う慣習/規範に対する様々な姿勢も一覧される感じで、興味深い。夫は暴力的傾向もある一方で、調理を一緒に行ったりもする。大家の小母ちゃんは相当保守的だが、部屋に閉じ込められた妻を文句を言いながら解放する。ヒロインや仲間は、望み薄な不倫をしている同僚をからかいこそすれ道徳的な非難はしない。作中人物の誰もがファストファッションを身につけていないのも皮肉。
三人姉妹(2016年版)(インドネシア、2016)をオンラインで。
国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。フローレス島のマウメレにある風光明媚なリゾートホテルでの3人姉妹の恋模様。見始めでははっきりしないんだけど、この3姉妹はクリスチャン。東ヌサ・トンガラ州の87.7%がクリスチャン。主要登場人物の一人がムスリムとクリスチャンの間に生まれたということで、微かにアウトサイダー扱いだった。だけど3人姉妹の父親の名前はクレスナだったりする。あの国ではアルジュンという名のムスリムがいたりするから本当によく分からない。なので、ヒジャブを被るジャワ島のムスリム女子とはまた違う世界が展開している。1992年のフローレス大地震と津波の痕跡もちょっとだけ映るが、設定を十分に生かした観光画像も。ミュージカルとしてはどうかというと、さほど感心しなかった。日頃見ている某国大衆映画のソングとは決定的に何かが違う、つまりハリウッド・ミュージカルを忠実になぞった正統派。この何か違う感じを誰か言語化してくれないか。
愛のスープ(タイ、2020)をオンラインで。
国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。テレビドラマみたいな平板でステレオティピカルな棒読み演技、映像的な正面性偏重とご都合主義、つながらないロジック、予測可能なストーリーの99分だが、タイ深南部のムスリム世界を覗くという意味で貴重。パタニ王国のムスリム宮廷の料理人の血を引く女性(料理の腕は大したことない)がバンコクの名門ムラユ料理店に入門してあれこれあり、最終的には店の味に新風を吹き込み、経営者の御曹司と結ばれるというロマンチック・コメディー。ナラーティワート空港が映り、ラストシーンはナラタートビーチ。おぼつかないやり方で調べたが、主要な俳優はすべて非ムスリムの模様。バンコクのブルジョア世界が主要な舞台で、登場人物ほぼ全員がムスリムだが、タイ人でムスリムであること&バンコクで生活していることを意識してる気配は全くないという点で、非常にお気楽。某映画祭で上映されるようなタマではないが、こうしたものが世に出るという事実が面白い。こちらに厳しいレビューあり。https://coconuts.co/bangkok/lifestyle/sexism-sours-the-broth-in-muslim-thai-rom-com-love-na-soup-soup/
ワンタンミー(シンガポール、2015)をオンラインで。
国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。星州版の孤独のグルメ。1965年生まれの主人公が幼少期を過ごした団地の取り壊しを目前にして、愛するホーカーを巡り歩き、その厨師にインタビューして人生の歩みを聞き出す。インドレストラン(フィッシュヘッドカレー)と寿司レストランだけが独立店舗で、他は全て中国系かプラナカン系のホーカー。ホーカーの連中が揃って言うのが、休みがないことと重労働であること。ホーカー出店のための初期投資も作中で描かれるのだが、それはそうなるなという感じ。父祖の築いた味を継承したいという熱意から料理に携わる若手も幾たりか出てきたが、子供も妻も信頼せずに、たった一人ですべてを切り盛りする(しかも便利な機械などを極力使わず)初老の店主が印象的だった。正直なところホーカーフードには大したことない味のものも多いのだが、失われゆくものへの哀惜が感じられるグルメ映画だった。エビワンタン麺食べたい。ここに店名を書き出してくれてる人がいた。ありがたい。https://www.asiatravelnote.com/2015/08/18/singapore_movie_wanton_mee.php
カンボジアの失われたロックンロール(米・カンボジア/2014)をオンラインで。
国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。カンボジアの20世紀を語ることは、ジャンルが何であれ最後は鎮魂歌になってしまう。驚異の映像に目を奪われながらもひたひたと迫るカタストロフを予測しながら見る。登場した一人が語っていた「下放先では歌手と名乗らず、バナナ売りをしていたと言った。それで命が助かった」という言葉。しかし逆に言えば現在もかの地で「昔はルージュで暴れてた」というのを言わずに暮らしてる者もいるんだろうなと。50~60年代、音楽の風はフランス、キューバ、南米から吹いていたと。そして70年代前半になってアメリカ音楽が圧倒したのだという。しかしどこの音楽が席巻しようとも、結局カンボジア風味にフュージョンされてしまうところが面白い。グラマラスな50年代のプノンペンは幻惑するが、首都の繁栄と享楽の陰で、きっと地方では貧困の中でルサンチマンを募らせていた農民も無数にいたのだろうことが察せられる。「運命に翻弄された悲劇の小国」と某ルポライターが書いた「ダメな国」とが明滅する。
Sur Sangam (Hindi/1985)をDVDで。(1/26)
Sankarabharanamのリメイク、それもヴィシュワナート自身によるリメイクと聞いて。まだindunaにDVDが残ってたので取り寄せた。この業者だとスピーディー。予想通りの低品質DVDだが、まあ話は分かった。ギリーシュ・カールナードは好きな俳優だし、パンディットとしての見た目の仕上がりは完璧だが、ソーマラージュルの巌のような存在感とは違い、神経質な印象。シヴァ・ソングでは自分で踊っちゃったりしてた。これは逆効果だったのではないか。ジャヤプラダーはもちろん美しいのだが、マンジュ・バールガヴィの古典彫刻の美しさとは違い、あくまでもボリウッド・ビューティーだし、踊りもバラタナーティヤム風だったり、カタックだったり(しかもそれをハレビードで踊ってる)で統一感がない。音楽もヒンドゥスターニーの陶酔的で神秘的な風合いがマイナスに働いたような気がする。娘役はシュリ―デーヴィーかと思ったが別人だった。娘の恋人役はまさかのサチン・ピルガーオカルで吃驚。全体的に早回しな印象。パンディットが得意とするラーガはMalkaunsだった。
Bangarraju (Telugu/2022)を川口スキップシティで。
せっかくのサンクラーンティ映画なのにインド人ゼロ、観客は15人いなかった。まあこれはナーガールジュナの映画なのだと思って見れば腹立ちも少なくはなるが、チャイは本当にしょうもない。名門に生まれて引くに引けない立場なのは分かるが、一体何年ヒーロー俳優やってんだよという感じ。いまだに父におんぶに抱っこかよ。後ろ盾のない俳優ならとっくに脇役か悪役になってた。サンクラーンティのおめでたい絵柄の連続で、バイオレンスやエロは抑え目。天界(インドラの統べるスワルガ・ローカで、至高のヴァイクンタよりは下らしい)のキラキラの描写が楽しい。後半はシヴァ系のイコノロジーに彩られた土俗神話譚的なエピソードも混じるが、神の絵姿は現れない。聖蛇シャンカラーバラナムが活躍する。かなり前に撮了していたのだろうが、チャイが後半で親戚の女性に家族愛や夫婦愛を説いて改心させる下りは痛すぎ。天界と共に重要な緑の田園風景は、マイソール周辺で撮影されたというのを知っていたが、今のAPだと田舎に行ってもゴミだらけで無理なんだろうなという、過去の見聞から来る納得。
Nenjam Marappathillai (Tamil/2021)をキネカ大森で。
ジャングルをフィーチャーしたEn Pondatti Ooruku Poitaの動画が理由でいつか必ず見なければと思っていたもの。セルヴァラーガヴァン監督作と知り尚更。SJSのキモい顔芸に頼り切った部分があるとはいえ、快作。相変わらずセルヴァラーガヴァンはグレーなヒーロー(最後にはグレーから真っ黒になるのだが)を描くのが上手い。リアルから外れた情念世界を描くのも。通常ホラーは怪異が先行し、その怪異の元を辿っていったところで過去の惨劇や怨念が明らかになるというのが定石だが、これは倒叙型とでもいうべき、べったりと時系列にそって叙述するスタイルで、却って新しい。主人公の名のラムゼーというのはRamsey兄弟へのオマージュか。シヴァージ主演の1963年の同名作への言及もあるという。En Pondatti~は歌詞の意味が分かると尚更にジンジンくるし、劇中の「一度轢かれた犬は、その後に来るトラックに何度でも轢かれるさ」という台詞など、酷すぎで効果的。出だし近くの子供の入浴シーンあたりからの映像の凝り方がとてつもない。
Naai Sekar (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。
アジットのValimaiが公開延期になったことを受けての急遽差し替え作品。明らかなB級作品で、しかも子供向けということが予想されたが、夜8時からの上映にはインド人の姿はなく、自分を含め観客は5人。東京の感染症状況がここまで酷くなければもう少し集客が見込めただろうか。寂しいポンガル。寂しい初2022作品。コンテンツはそつなくまとめられていて、B級作でも技術的にここまで持っていけるのだというタミル語映画界の底力が垣間見られた。特にアニルド作曲のEdakku Modakkuソングの仕上がり度は大したものだった。ヒロインもそこそこ可愛かった。ただな、製作に携わってる人間全員が、「身の程を知ってる」なかで作られた作品という感じはあった。ハチャメチャじゃないんだな。それと、顔はよく知ってるけど名前は分からないというレベルの脇役俳優が、普段より目立つような撮られ方をしていたのが逆に哀愁だった。笑いどころの中ではシャバリマラ巡礼の警官のネタが妙に面白かった。犬の誘拐犯たちが何のために犬を集めていたのか、さっぱり分からずに終わった。
「ボイコット・ボリウッド」、興味深い情報満載なのでここにメモしておく。
ただ分からないのは、「まとめ」の前の段落に書いてあること。今度書いた人に会った時に尋ねてみたい。
https://filmsaagar.com/index.php/2022/01/10/boycott-bollywood/
Shyam Singha Roy (Telugu/2021)をスキップシティで。
プレビュー執筆のため現地レビューを随分読んだので、最終場面以外は大体予測の範囲内の展開。勿体なくて何も読まずにとっておいた終盤が、全部予測の範囲内のメロドラマ展開だったのにがっかり。超現実的なファンタジーだからリアリティーをあれこれあげつらってもしょうがないのは分かるが、法と裁判にまつわる部分が雑なご都合主義だったのがマイナス。著作権侵害の疑いではいきなり逮捕したりしないし、最後に判決が引っくり返る老人の乱入も、本来はあり得ない。それから、ベンガル編中盤のプレクライマックスで、やっぱりテルグ剣法での大暴れが出たのも、しっとりとロマンチックな情緒に影を差した。ロマンチックなままでも胸焼けしたかもしれないが。各種レビューが指摘していたベンガル語の恣意的な挿入もテルグ語ネイティブ人なら気になったことと思う。最初はテルグ語の字幕を振ってあったのが次第にヘタってきて消滅し、英語字幕すらがラストシーンでは消え、字幕担当者のギリギリの仕事ぶりがしのばれた。ヒロインがバングラデシュ引き揚げベンガル人という設定は斬新だった。
Joji (Malayalam/2021)をオンラインで。
120分に満たないのに3回分割で。特に最後は息苦しさに何度も中断しながら見た。いや、ファハドはすごいわ。こういうのを見せられると、しばらくマラヤーラム語映画だけ見てればいいんじゃないかという気になる(しかしファハドが進出してるタミルもテルグも観なきゃいけない)。マクベスの翻案と断る必要があったかどうかは別だが、ともかく真っ黒なサイコの世界を易々と演じる。パーラ地あたりのクリスチャンの地主の家庭が舞台で、原初の愛憎劇のようでいながら、登場人物はマスクをしている。Kumbalangi Nightsでもファハドはサイコをやったが、あれはメールショービニズムの権化だったのに対し、こちらはただもう怯懦で落ち着きがなく、世を拗ねた落ちこぼれ男。財を欲っしているが、その財で何をしたいのかもよく分からない。利己目的で時おり動物的なまでに機転の利いた立ち回りをすることがあるが、一方でバカみたいに馬脚を露す。ひとかどの者として見られたい渇望と、誰もいないところでの子供じみた振る舞い。最後のWhatsAppでのメッセージは実在の犯罪者を思い出させた。
Nalpathiyonnu (Malayalam/2019)をオンラインで。
いや、凄いもの見た。41ってタイトルは主人公の年齢で、ほろ苦い熟年ラブコメかなんかだと思ってたら、これがシャバリマラ巡礼の41日間の道行きのことで吃驚。しかもそれが分かるのがインターミッションも近くなってから出、メインイベントにいたるまでの説明やキャラ確立がやたらと長いマラヤーラム語映画の例のパターンだった。ガチガチの合理主義者兼コミュニストが、断酒できない末端党員の更生を助けるために41日間の巡礼に付き添うという話。いったんそこに至ってからは驚異のイメージの連続。おそらく実際の巡礼のドキュメンタリー画像を使用しているのだろうが、劇映画としての映像とのシームレスな繋がりが凄い。巡礼の各段階での参拝先や儀式、そこでの巡礼の振る舞いも詳細に記録されており、また次第に熱狂が増幅していくさまも手に取るようにわかる。問題のプッルメードゥでのシーンも、あんな広々として見晴らしのいいところでなぜ将棋倒しが起きるのかというのを説得力を持って描いた。2010年のThathwamasiと共に注目のシャバリマラ映画と見なすべきもの。
One (Malayalam/2021)をNTFLXで。
本来の意味でのポリティカル・スリラーで、議会とその裏での駆け引きのスリリングさを楽しみ、最後は演説で締めるというもの。マンムーティのCMぶりのカッコよさが9割で、ダンスも乱闘もコメディーもない。テンション最高となるクライマックスはとある法案を議会に通すシーンだとか、これを2時間半の娯楽作品にするマラヤーラム語映画はやはりすごい。他言語のリメイクも考えることはできるが、絶対に余計な尾鰭つけるだろう。大好きないい顔のオッさんも大挙して出演で眼福。リサ・バーワなど2021年の物故者もいて涙。マームッコーヤの老けぶりが尋常でなくて心配。マドゥ翁はお元気そうで何より。無謬の倫理性をもつスーパーCMの瑕疵は、時々記憶障害になること(Undaを思い起こさせるがここでは意味があったろうか?)、そして亡き両親に孝養を尽くせなかったこと、妹とも充分な触れ合いができなかったこと、自身も結局独身で終わりそうなこと。完璧CMに対する無辜の庶民を一つの家族で代表させるのは作為的ではあるが、その受難の描写にはリアリティーがあって、特に長女の無念には共感がある。
テュベテイカをかぶった天使(ソ連/1968)をユーロスペースで。
中央アジア今昔映画祭にて。カザフ最大の都市アルマアタ(アルマトイ)を舞台にしたカザフスタン映画。台詞は基本的にロシア語で、一部民謡の部分のみがカザフ語。その部分には朗読でロシア語の大意が挿入される例のシュールな構成。本来はカザフ語の作品だったもののロシア語版なのか、最初からロシア語で撮られたものなのか不明。昔ならソ連映画の中の民族共和国映画として見ていたはずだ。ストーリーはないに等しいミュージカル映画。スターリン・ゴシックの建造物に白樺並木を吹き抜ける爽やかな風が感じられるあのソ連映画の空気感。おそらくムスリムであろうと思われるが宗教色はほとんど出ていない登場人物。モブとしてはロシア人、朝鮮人など多彩な顔。1950~60年代のモダニズムの衣装や住居などなど、夢のようなビジュアルが走馬灯のように繰り広げられる。母親とロマンスグレーの間はどうなったのかとか、置き去りになったプロットや順序が逆転していないか?というプロットもあった。
Taxiwala (Telugu/2018)をオンラインで。
ラーフル・サーンクリティヤーン監督の前作と知り見ておきたかった。手に職もなく学歴もなくハイダラーバードにやってきて、親類の経営する自動車修理工場に転がり込んだ若者が、手っ取り早い収入の道としてタクシードライバーになることを考える。破格の値段で売られていたヒンドゥスターン・モーター社の古風なコンテッサ(そんな車種があるとは知らなんだ)を買って改造する。その車が次々と怪異を起こし始めて主人公は怯えるが、そこに宿るものの正体が、幽体離脱中に肉体と離れ離れになってしまった若い女性の魂と知り、肉体を取り戻すための作戦を刊行する。新人監督らしい演出のもたつきとストーリーのムラが気になったが、まあ面白いスリラー・コメディーだった。悪役がちょっと気になったのだけど、Shiju RashidまたはShiju ARというケーララ人だとのこと。ガレージの二人組と主人公、それに間抜け泥棒が繰り広げるコメディーは、近頃のマルチリンガル作品からは消えつつある古き良きテルグ・コメディーで、癒された。ラストシーンは先行きが見え見えなのにやはりもらい泣きした。
「40日間の沈黙」(ウズベキスタン、2014)と短編ドキュメンタリー「彼女の権利」(ウズベキスタン、2020)をユーロスペースで。
中央アジア今昔映画祭にて。同映画祭のポスタービジュアルがとてつもなく魅力的に思え、作品自体は当てずっぽうで見たけど、完膚なきまでに拒絶された気分。映画を観ながらの迫りくる睡魔との戦い(瞬間的には負ける)、狭い椅子で音を出さないように身をよじる体験を久しぶりにした。懐かしの純映画祭アイテム。これはどうしたって事前のティーチインが要る作品でしょ。見終わった後にトークショーの記録の断片を集めて多少は分かったところもあったけど、それでも不明な点は残った。映像作家がこうした表現形式をとったのが、検閲対策のため(台詞がタジク語だったのもそのためらしい)なのか、それとも創造物としての内的必然だったのかは知りたいところ。
Dwaraka (Telugu/2017)をYTで。
全く別の作品のフル動画を探してたら検索でこれが筆頭に出てきて気づかずに見てしまった。この当時のVJDKらしい、ちんまりとして細部が雑なコメディー。仲間と共にコソ泥をやってた男が、ボタンの掛け違いから聖人と見做されるようになり、自身を中心として一大産業が興っていくのを見て、戸惑いながらも敷かれたレールから降りられなくなるという話。そこに偽スワーミを暴くのを使命と考えるラショナリストや宗教で儲けようとする悪徳政治家などが絡む。グル産業の急成長の部分と、ラショナリストとの対話の部分は面白いが、一々のエピソードの演出やロジックが雑。似たような設定のマラヤーラム語映画God for Sale: Bhakthi Prasthanamは、その辺りはるかにリアリスティックで丁寧なドラマ(どシリアス系)だったが、これも参考にしているんだろうか。ともかくインチキ・スワーミというのは言語圏を問わずどこにでもいる&信者は多いということは分かる。プリドヴィラージが演じる、グルムールティという神懸かってるのに自身は教祖にならないナンバー2のキャラが面白かった。
Minnal Murali (Malayalam - 2021)をNTFLXで。
邦題は『ライトニング・ムラリ』。スーパーヒーローものとは相性が悪いと思ってたけど、これは良かった。本来のドラマが始まるテイクオフに1時間近くかかるというのは普通は欠点だが、舞台がド田舎である点も含め、古き良きマラヤーラム語映画らしくて良い。「ママの作ったスーツで参上」というのは他作品の謳い文句だが、こっちはムンドゥのままだ。クライマックスのスーツは仕立て屋なので自分で縫う。自身の役で特別出演のセレブがスディーシュというのが(Kindiネタも含め)凄いのだが、日本語字幕で見た人のうちでその凄さが分かる人はいたのか。負け犬から邪悪な力の権化にと移ろう悪役の変貌が、特殊メイクではなく基本的には演技に拠っているというのもマラヤーラム語映画らしい。マラヤーラム語映画なのに159分の長尺、ヒンディー、テルグ、タミル、カンナダとマルチリンガル展開(ダブだろうけど)している点、世界同時公開で日本語字幕がついている点などなど、いろいろ型破り。まあただやっぱりガチなスーパーヒーローと言うよりはパロディーだなと言う感触を持った。
Solo (Malayalam/2017)をDVDで。
ビジョーイ・ナンビヤールのものなのになぜか寝かせていたものをやっと観た。しかし期待には届かず。4部構成のオムニバス映画でそれぞれの頭にシヴァ神のイラストと共に水、風、炎、大地にまつわる韻文が朗読される。つまりもうナンビヤールの中二病大爆発な訳だが、内容が追い付いていない。ドゥルカルはそれぞれで怒れる青年をやるのだが、キャラ立ちがイマイチで、外見をちょこちょこ変えても一本調子に感じられ、ファン以外は喜ばないと思う。第一部では粗暴な愛が娘への愛に変わる過程、第二部では愛する者を奪った相手への復讐、第三部では血腥い銃撃戦での復讐劇の中で父母の愛の葛藤を初めて知った息子の絶望、第四部では愛する者と引き裂かれた青年が、その裏にあった父親の過去の過ちを知るというもの。タイトルの意味は最後まで不明(愛する者と添い遂げられないということを表すのか?)、各セグメントの冒頭の詩とコンテンツとの関連性は希薄。ドラマ性はドゥルカルではなく、むしろ周りの人物の方にある。Roshomonは珍しく踊るタイプの曲だが、ディスコ調で踊れない俳優を踊らせる苦肉の策か。