Manmarziyaan (Hindi/2018)をオンラインで。
AKが正統派ロマンスを撮ったというので。フリル部分は斬新ながら、ストーリーの骨格はRNBJやミモラと同種のお約束系。新しいのは、シュールな双子の存在とか、ヒロインがビッチでやたらと強いところなど。それからお洒落パンジャーブというのが、近年の傾向とはいえやはり目覚ましいものがあった。AKは土地のオーラをしっかり撮る傾向があるけど、ここでのパンジャーブはどうなんだろう。そもそもボリ映画の観客は非ヒンディー語圏を舞台にしたボリ映画をどう見るのか。ヴィッキーはかなり酷い奴なんだけど、こいつを責めてもしょうがないと5分ぐらいで分かるという点で名演。アビは長身だが鍛えられていない肉体で、実にその辺りにいそうな中流の好青年のリアリティーを持ちながらも、ところどころ親父様そのものという瞬間もありナイス。タープシーは全ての騒動の元で、日本の観客ならそのキャラを憎む人もいるだろうというほどのものだけど、インド世界に親しむと、自分優先で他人に迷惑をかけるのは割とありだと分かってくる。終わりの方で3人が雁首揃えて話し合うシーンは不発感があった。
James (Kannada/2022)をスキップシティで。
2年ぶりのカンナダ人会上映。最後列に陣取ったカンナダ人ガールスが手製バナーをもってプニートをリスペクトしていたのに驚き。まるで日本のオタク女子。それから開始前とインターミッション明けとにファンメイドのトリビュートビデオ(結構質が高く最初は本編かとおもった)を流すなど濃密さが凄い。映画自体は、プニートが生きていたならば酷評され、そこそこヒットして、忘れられていったような締まりのないマサラアクション。インターミッションの吃驚はNTRジュニアの主演作にあったし、カシミールでの作戦行動はマヘーシュのSLNKのそれにそっくり。最前線は悪いテロリストを叩き潰す戦いの場という迷いのない描写。プニートは軍人なので州旗は出てこない。しかし、ミリタリー設定もあるのだろうが飛び道具を使いすぎ。飛び道具で趨勢が決まっているのにその後から肉弾戦を始めるクライマックスはどうかと思った。サードゥ・コーキラの癒しのコメディーシーンがちょっと入ったけど、途切れなく続く殺戮シーンに、暴力というものがなぜこれほどの娯楽になったのかという哲学的な問いが湧きおこった。
Bachchan Paandey (Hindi/2022)をキネカ大森で。
本日は一席空けナシのほぼ満員。『ジガルタンダ』のリメイクとの予備知識でラストのスターを誰が演じるのか期待して見に行ったらあのどんでん返しのプロット自体が没になっていた。つまらねえ、ブラックユーモアが単なる人情譚になり果てた。原作の狂言回し的主役の新進監督を女性にしたのは女性のエンパワーメントを暗に込めたかったからなのだろうが、バッチャンとの間のロマンス(微かなものに留めたのは良かったが)とかはちょっと違うだろと思った。そしてサウラ―シュトラの泥棒娘と元映画青年の老人のエピソードは消えた。ただ、台詞が面白いことは片鱗からもうかがわれ、客席は大いに湧いていた。パンカジ・トリパーティーの人気が高いことも登場シーンでよく分かった。しかしその笑いはやや誇張が過ぎないかとも。設定はUP州の田舎の具体的な地名(実際のロケ地はジャイサルメールらしい)だったが、これがどのような土地のオーラを持つのかが分からずもどかしい。アッキーのギャングはヴィンテージカーを乗り回しながらも一方でバンディットみたいなヴィジュアルもあり、作り物臭い。
Bharaate (Kannada/2019)をオンラインで。
週末に上映のJamesの過去作というので。しかし時計の針が10年ぐらい戻ったような一作だった。主人公がラージャスターンでガイドをしてるというのはNTRのShaktiみたいだし、2時間を過ぎたぐらいでやっと出てくる過去の因縁譚はまるでMuthu(ラリタ・マハルというロケ地も同じ)。Muthuと同じくシュリームラリは2役だが、メインの若者キャラがUgrammだったり、恋人を相手にふざけまわるトリックスターだったりして落ち着きがない。インターミッション後からは問題を抱えた名家に奇妙な客人が入り込んで掻きまわすという例のパターンも。最近あんまり見なくなったコテコテのスイスロケ・ダンスもあって面はゆい。しかし撮影技術だけは無駄なほどに高度。悪役は3勢力がクライマックスで三つ巴になるのだが、メイン以外の2つがどう絡むのか分かりにくくて、途中からどうでもよくなる。それでも現地レビューは妙に気前よく星をつけてるのがあって呆然。これが19年のSIIMAでBell BottomやAvane Srimannarayanaと同じ土俵に立ってたとは。
Baar Baar Dekho (Hindi/2016)をスキップシティで。
邦題は『あの時にもう一度』。タイムスリップ恋愛ものというので、『イル・マーレ』みたいなのを予測していたが、全く捻りのない「タイムループ+やり直し」ドラマ。しかしその作りのものではこないだダイナミックなMahanaaduを見てしまっているから、動きのなさ、ひねりのなさに肩透かし。140分かけて結論として導き出されるのが、老後に孤独になるのが嫌だから、結婚相手に多少は妥協して思いやりを持とうとか、何だそれって感じだ。そもそも、タイムループ発生時点での「勝手に家を決める妻+勝手に外国での就職を決める夫」の対決はどうなったのか。飛んでいく未来を見てみると、結局夫の仕事が優先になったみたいじゃん。仮に男と女が逆だったら、結構反動的にならないか。そもそも若くして天才的な数学者とか、易々と個展を成功させるアーティストとか、そういう属性が、まるで映画の小道具みたいに最初から用意されてるって安易すぎだろ。リードペアの誕生シーン~子供時代からの色白俳優ばかりの登場(サリカーもいた)にはホワイトウォッシュ味があって感心できなかった。
Etharkkum Thunindhavan (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。
小さい4番スクリーンではあったものの、久しぶりに満席に近い客席。正調マサラ映画らしいという以外の予備知識はほとんどなく見て、女性への性暴力への告発の世直し映画だと知った。しかし恐ろしくオールドファッション。Kadaikutty Singamの監督と思い出せればもっと用心していたが。ケダモノのような性犯罪者の成敗と、カラフルな田舎の人情譚的ロマンスを混ぜようとして全然混ざらずちぐはぐなものに。スーリヤは弁護士として登場するのだが、法を武器にした戦いはほとんどせず、肉弾戦をしているか、ヒロイン相手にトリックスター的なおイタをしてるかどっちか。ダンスシーンでは鍛え上げた筋肉が邪魔をしていた。大体悪役がヤバいビデオをアップするとか言ってるのに新婚初夜のウキウキダンスを踊ってるとか、どうかしてるんじゃないのか。またその悪役が弱い。商売でやっているのではなく、政治家の甘やかされた変態息子という設定なのだが、それならもっと親父の権力を笠に着る描写がないと。冒頭での古譚的な北村と南村の争いという設定も不発。
スーリヤ、いいこと言うなあ。
“We will make them (Bollywood) talk about us by the work we are doing here,” said Suriya when asked if he desires to work in Bollywood. “Of course, it’s a bigger industry and a bigger platform. If I get a chance, I’ll work in Bollywood. But I don’t think we need to go there to prove ourselves,” he added.
https://indianexpress.com/article/entertainment/malayalam/we-dont-need-to-work-in-bollywood-to-prove-ourselves-suriya-7807129/
Chak De! India (Hindi/2007)をオンラインで。
ある作品との類似性を確かめたくて。まあかなり似てた。トラウマ的な出来事があって引退した花形選手が、女子ホッケーのインド代表チームをまとめることになり、メンバーの士気低く、お互いにいがみ合い、何よりも周囲から全く期待されていない寄せ集めを何とかワールドカップに出場させるという話。最初の半分はコーチへの不信感とその克服というモチーフ。その後はチーム内の個々人のエゴの克服に移り、対戦相手との戦術的な駆け引きはちょっとだけ。決勝はPK戦にもつれ込むというのもお約束。(インドでは)比較的マイナーなスポーツを持ってくると収まりがいいように思える。しかし地域ごとに分かれて一つになれないインドを批判するテーマ立てをしながらも、人間的なドラマの主役はアーリヤ系のバックグラウンドの女性たちだけで、北東州人、アーディヴァーシー、テルグ人などはやってます感を出すためだけに取り込まれた印象。SRKは顔をヒクヒクさせることで演技してるように見せる癖が苦手だが、本作ではそれが抑え目で良かった。チームがデリーで食事しに行くのがマックってのに時代感。
The Fame Game Season 1 (Hindi/2022)をNTFLXで。
一話43~54分のエピソードが8話で一応完結。2日かけて見た・いかにもなボリウッド内幕者風の造り。人気に影が差し始めた熟年大女優、金の亡者のプロデューサーである夫、ヤバいストーカー的ファン、問題を抱えた子供たち等々、お約束に近いキャラが登場するが、巧みな切り替えの手法(Davidを思い起こさせる)で面白く見せる。ボリウッドの芸能一家について大して知らないけど、実在のスターの家(特にSRK家とシュリーデーヴィー家)がどうしたって思い起こされる。まあそれに、「特別なフェロモンを持っていて観衆を魅了したその魔法が50歳を過ぎてもまだ生きているけど、確かに主演作・ヒット作は減っている」という主演のキャラは、シュリーデーヴィー亡き今はもうマードゥリーしかいない。半ば記号となった、慣用句でしかない美貌という点でも。劇中の「一族で所帯をもった女はお前が初めてだ」とヒロインの母が言う台詞が印象的。デーヴァダーシーにあたるカーストの出身ということなのか。種明かしは予想の範囲内だったが、真相と真逆の幾つかのカットはズル。
薬の神じゃない!(我不是藥神、Dying to Survive)〔中国、2018〕をNTFLXで。
インド関連中国映画ということで気になっていた一本。2014年に起きた実話をもとに膨らました作品。現実には癌患者が自分でジェネリック薬品を密輸したというものだったのを、患者ではない癖のある男を主人公とした。日本の公式サイトが「ニセ薬事件」と書いているのはどうかと思う。ジェネリック薬品を偽薬と言うのは、劇中の悪役であるスイス製薬会社のロジックではないか。インド要素はというと、冒頭からいきなりボリウッドソングで攻めてきた。主人公は怪しげなインド製精力剤を扱う商店の経営者でかなりの屑野郎。そんな男が色々あって白血病患者のために、スイスの製薬会社の治療薬と同じ薬効のインド製ジェネリック薬品を求めてムンバイに行く。そして仕入れた薬をコンテナに隠して密輸。その取引相手のインド人が、変な誇張がなく、しぶとい商売人だが仁義のあるやつとして描かれていた。主人公が変な形でインドに迎合しようとしないところにも好感度あり。資料:https://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/3b3519abea4965b42dc478fa9d26f6bb
ダウントン・アビー(UK、2019)をNTFLXで。
疲れ気味なので日本語字幕で見たかった。なんとなく名前だけ知ってて、多分流血とかはなさそうということで選んだ。しかし人物関係はわかりにくい。後から調べたら、2010年から5年も続いたTVシリアルのスピンオフだという(ストーリーはドラマの要約ではなく後日譚的オリジナル)。道理で情報不足感、不完全燃焼感があるわけだ。劇中の要所要所で巧みな人物紹介がなされるのだが、それが大体遅すぎのタイミング。連続ドラマを見ていたらスッと入っていけるのだろうけど。1927年の設定だとのことだが、批判精神なく繰り広げられる上流階級ライフを見続けるのは退屈だった。もちろん劇中キャラのそれぞれには愛憎のドラマがあるのだが、スケールが小さい。上流階級以外に語るべき人生はないという作品世界は例えば源氏物語だってそうだけど、20世紀でこれかよという失望。時代劇には、歴史的構造性とヒリヒリした苦味が欲しい。疲れ気味だったのでヌルい話で安らぎたかったのだけれど、これは駄目だと思った。
世宗大王 星を追う者たち(천문:하늘에 묻는다、2019)をNTFLXで。
昨年韓国文化院のオンライン映画祭で途中まで見ながら、ネット不調で途絶して気持ち悪かった作品をやっと通して観られた。上手い役者と上手い語り口でまとめ上げられた佳品。冒頭いきなり輿が壊れて地面に放り出される王。随身一同は平伏して「このような不吉なことを起こらしめた自分を殺してほしい」と懇願する。まさにかの国の旧体制下での事大主義の結晶のような光景で、これに似たことは劇中でその後も何度か繰り返される。誰も自分が本当に死を賜るとは思っていない。しかし後半のクライマックスでは、主人公は王への忠義ゆえに敢えて自分を反逆者として受刑しようとする。この二つの言葉の対比が鮮やか。世宗大王についてハングルの創設者という以外にはほとんど知らす、豪放磊落な人物と勝手に考えていたが、明国の強圧と統率しきれない宮中の諸勢力との間で困難な統治をおこなった人物として描かれていたのが意外だっだ。独自の暦、時計、文字の創造も、日本では自然発生的に生まれたものと理解しているが、明に従属的な立場にある朝鮮ではこれほどに困難で挑戦的なものであったとは。
Bheemla Nayak (Telugu/2022)をスキップシティで。
予想通りAKとは別の映画だった。AKでは上層階級の傲慢と被差別階級のルサンチマンとが激突し、揉みあい押し合いを(時おりの引きも交えながら)続けるうちに、戦いの「合理的な」理由はどこかに行ってしまい、いがみあうオスとオスとの闘い、どちらかが死ななければ終わらない不条理の世界に突入していく過程を、徐々に高まる血潮と共に駆け上がっていくのが快感。しかしBNでは最初からPKがヒーローで救世主。「あの時助けていただいた●●です」を導入し無理矢理〆た。それで二人が和解するというのも、分かりやすいが薄っぺらい。そもそもワランガルのMPの息子ダニエルがなぜ部族民の娘と結婚するのか。AKと違いこの男は妻に手を上げることもしない。父も家父長制の権化というよりは単に汚い奴としか描かれていない。それから、ビームラーの出生についての部分はきれいに抹消されていた。彼と部族民との繋がりは過去の人助けと、妻スグナの行う自助支援活動のみだったか。音楽と振り付けは(ラブソングを入れなかったことも含め)非常に良かった。最後の果し合いの場所はどこか。
Valimai (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。
それなりに期待していったが、どうも微妙な出来だった。アクションの洪水にアジットの演技が窒息させられている感じがした。中途半端なファミリーセンティメントはそこだけカンナダ映画。アジットの見た目もどうも精彩を欠いていた。そしてともかく悪役が弱い。巨額のコカイン取引をやってるのに、手下のボーイズにはゴールドチェーン強盗をやらせてる元こじらせ系無職の大卒。劇中でアジットに決して少額ではないと言わせているが、薬物で儲けてるならそんな危険なことやる必要ないじゃん。へんな隈取をしてみても悪役の弱さは隠しきれず。権力中枢に入り込んでる中ボスの頭脳系悪役がディネーシュ・プラバーカルというのもミスキャスト。まあただ、アクションは本当に力が入ってた。モトクロでの空中戦(インドでモトクロってどのくらいポピュラー?)、護送車での攻防戦、ごく短い時間ながらチェンナイ市街でのチェイス、それに火花の散る幻想的なアジトでの肉弾戦。Sooryavanshiがパロディーとしてやったことを、ここでは大真面目にやっていた。ただもうヴィノード監督は信用できないわ。
Padayottam (Malayalam/2018)をDVDで。
先日AKを見直してから、ビジュメをもっと見たくなって。160分で確かに長いのだが、3日かかったことで、自分が疲れてるのが分かった。例によって離陸までにノロノロ運転が続くストーリー。ボコボコにされた悪ガキ仲間の仇討のために、トリヴァンドラムからカーサラゴードに出かけていく凸凹4人組の話。州都から始まり、エルナクラムで知りもしない人間の家での結婚式前夜祭に参列し、トリシュール近郊のチャーヴァッカードでは妙な手配師(リジョー・ジョース)に振り回され、カーサラゴードにつくと、仇はマンガロールのギャングのドンの息子であることが分かり、しかもその息子が行方不明、4人組が誘拐したと思われていることが判明する。ドンはトリヴァンドラムで家族を人質に取っていることが分かり、慌てて来た道を戻ろうとする4人組。しかし持ち金をすべて盗まれており…というストーリー。各地のご当地ネタが盛り込まれ、方言での笑いもネイティブには堪らないものなのだろう。ギャングものだが血はほとんど流れない。ビジュメは安定のもふもふ。字幕なしで呑気に楽しめたら、という一作。
Sathyam Paranja Viswasikkuvo (Malayalam/2019)をDVDで。
ビジュ・メーノーンとサンヴリタのイメージに惹かれて。字幕が雑だった。無闇と登場人物の多い田舎人情譚。話の主筋の輪郭が分かるまでに枝葉のエピソードが延々続くあのパターン。先日観た41とシームレス。特に冒頭に出てくる政治家のエピソードが思わせぶり(とりわけあの無駄に強面のマダムとか)だけど、今ひとつ絡み方に説得力がない。しかし、無茶苦茶なローリーの事故からの、積荷の散乱による村の狂乱、「ハイウェイ」ジェシーの鉄火ぶりとか、連行される主人公たちへの村人たちの容赦ない罵倒のお祭り騒ぎなどなど、色々野蛮なイメージが畳み掛けるように出てくるところからは楽しい。ど田舎の村なのに当たり前のようにベンガル人が出てくるところも興味深かった。サンヴリタは久しぶりに見るなあと思ってたら、カムバックとのことだった。かつての丸顔の瑞々しさは後退したが、苦労人のおかみさんを難なく演じていた。ビジュメはいつも通りの愛くるしさ全開。だらしなくてバカな奴のキャラを衒いなく誇張もなく演じ、最後の泣き笑いの改心が美しかった。
Rang Milanti (Bengali/2011)をDVDで。
タイトルの意味は直訳だとcolor matchingとなるのだが、劇中の星取表と関係があるのかないのか。DVDをショップで漁ってた時にカウシク・ガングリーの名前に惹かれて買ったが、何とも言えない微妙な出来。昨年見たBrahma Janen Gopon Kommotiに近い、説教テーマをシュールな喜劇に仕立てたもので、これがベンガルコメディーの定型と言っていいのかは、もう少し見る必要がある。現代版スワヤンヴァラのような設定で、一人の女性が親しい4人の男を配偶者としてふさわしいかどうか、10のクライテリアで10点満点で採点して、最高得点者と結婚すると宣言。最後には満点人間などいないという説教で〆るのだが、何か前提から間違ってる。途中では明らかに一番スペックの低い引き立て役に花を持たせていい所を強調し、大穴狙いを予想させながら、決断場面で振り捨て、エピローグでは死んだことになっているのがよく分からなかった。それはそれとして、シャシュワト・チャタルジーやチュルニ・ガングリが織りなす大人の世界のグラマラスな雰囲気は非常に良かった。
Kumbalangi Nights (Malayalam/2019)をYTで。
公開時にプレビューを書くために山ほど現地レビューを読んでストーリーを事前にほぼ知ってしまったのに、自分自身は旅先の場末館の字幕なし上映で見なければならなかった痛恨作。YTに降りてきて初めて英字幕付きで観た。やはりこれは真っさらで観たかった。そして4人兄弟のバラバラの出自に驚き、終盤のアレに震えたかった。なるほどクンバランギはエコヴィレッジなのか。そして兄弟の住処近くだけが「ゴミ溜め」と貶められた場所で、一家の生業は一応は漁労であったか。それにしてもやはりファハドが凄まじい。肥大した自意識と階級意識の化け物で、でも実際は町の床屋さんという庶民的な職業(グルーミングのプロというのは象徴的だが)。微かに潤んだ目でいつも他人を見下している。猛禽のようにシャープな容貌のファハドが、このねっとりと薄気味悪い男をこれほどリアルに演じられるとは。そして彼が同世代の中のトップ俳優であるという事実に、マ映画界の特殊性が迫ってくる。それに女優の個性的な容貌も。3年前に一度聞いただけの音楽もスッと心に馴染むもので見事。カメラも最上。
Kurukshetra (Kannada/2019)をYTで。ただしヒンディー語吹き替え版。
オリジナルより14分も短いのはソングがないから。見通した後で字幕なしカンナダ版オリジナルでソングだけまとめ見という変則鑑賞。それにしてもストーリーを知ってる古典物語を見るというのは、しんさくの鑑賞とはずいぶん違う。なんだかんだで一気見した。小林秀雄の平家物語のあれを思い出すなど。全体としてはムラが目立つが一部のキャストは目覚ましい。MVPはラヴィチャンドランのクリシュナ。ラヴィシャンカルのシャクニはコテコテだが表現力がある。スネーハのドラウパティーも、凌辱のシーンでの全ての男を呪う横顔のカットが良かった。ペラッペラの安いCGは劇場で見たら腰砕けだったかもしれないが、数をこなして慣れた。一方でパーンダヴァの妖の宮殿のシーンは上手いと思った。「クリシュナ使者に立つ」でのスヨーダナ、「バガヴァット・ギーター」でのクリシュナは古典的な謡いの演出。後者ではヴィジュアルもなかなか良かった。アビマンニュはどう考えてもミスキャスト。この役者だけではないが、ムキムキが多すぎて疲れた。古式ゆかしき矢による空中戦も。
Pudhupettai (Tamil/2006)をDVDで。
無字幕DVDにネットで拾った字幕データを合成して自家製ディスクを作るという手間をかけてやっと鑑賞。7G Rainbow ColonyやKadhal Kondeinと共通のドス黒い心理描写と象徴的な夜の描写で覆い尽くされている。北チェンナイのダリト少年が辛酸をなめ尽くした末に、埋もれていた異様な身体能力を発揮して殺しを行い、政治家の手足となって汚れ仕事と資金調達で重宝されるようになるが、政界のパワーバランスとギャング界の力の均衡の両方を破ったために孤立無援となる。よくあるギャング映画なら、そこで主人公が殺されて終わり、ある種の教訓物語となるところだが、最後にセルヴァラーガヴァンらしい捻りを加えて、これがNGKを予告するものとなっている。特に政治家の二枚舌をどぎつく演出するところが秀逸。最初の方で街に放り出された主人公が、喉の手術をして声が出ない病人を装って物乞いをし、最終シーンではタミル特有のあの政治演説のレトリックや節回し(中身はない)をマスターしているというのは、綺麗に符合している。実在の地名を歌い込んだ最初のソングがいい。