若おかみは小学生!(2018、劇場版)をJPAPで。
SNSとかで異様なほどに好評が聞こえてきて、しかし同時に「きつい」という感想(これも好評の一部だが)も散見されて謎の多かった作品をやっと観た。原作はロングラン小説で多数のエピソードの累積から成るらしい。それならば小学生が旅館の若女将というシュールさも薄らぐ。コミックの分野で昔からある、専門職の世界を覗き見るジャンル(これを言い表すカタカナ語があったはずだが思い出せない、獣医学部の日常とか、大阪の街金のしのぎとか、そういうやつ)。ただ94分の劇場版の中でそれを納得させるのはちょっと無理がある。専門職の世界の描写以外にも、見鬼という重要なモチーフがあり、それから(『君の名は』を思い起こさせる)もっともらしい伝統芸能もあり、盛り沢山。映画的な面白さは見鬼の部分にあると思うのだが、それならばインド映画の方がもっと上手く感傷的に盛り上げる。お仕事の内側を除くという部分については、純日本的な(ものに思える)「お客様のご満足のために、マニュアル以上にサービスを尽くす」価値観が充満していて、かなり息苦しかった。一泊5万円ぐらいは取る宿なんだろうか。
Uma Maheswara Ugra Roopasya (Telugu/2020)をNTFLXで。英語字幕付き。
「マヘーシュの復讐」のリメイクだってことは知ってたけど、なにもプラスの材料なく興味はなかったんだけど、Arukaの宣伝に載せられて見てみた。舞台がアラク渓谷というのにまず度肝抜かれた。ボーラ鍾乳洞前でバンブーチキンで商売してたというスアースは部族民の血が混じってる設定か。トライブ・ダンスやってるおばちゃんたちなども背景に登場し、好感度爆上がり。リメイクは何か原作と違うことをしようとして逆効果になることが多いが、ここではドーティーの柄まで原作に揃えてきた。自信の表れと言っていいのか。唯一気にくわなかったのは3人の主要情勢キャラが似すぎていて区別がつかなかったこと。ただ、主に北インドから来た現実離れした色白ヒロインばかりのテルグ映画で、リアルなヒロインを見るというのはそれ自体が感動的ではある。音楽(なぜか英語字幕なし)も非常に抒情的で透明感があり、耳新しいと思ったらMDはビジバールだった。主演のサティヤデーヴはいかにも地味地味な奴でぽっと出かと思ってたら実は出演作は幾つも見てた。
The Man Who Knew Infinity (English/2015)をNTFLXで。
邦題は『奇蹟がくれた数式』。例によって日本語字幕は良くない。デーヴ・パテールがタミル・バラモンの天才数学者なんてミスキャストもいいとこだろと思ってたけど、悪くなかった。妻役と母役にはあまり感心できず。イギリス人の俳優たちは皆ラーマーヌジャンのことをラーマヌージャンと呼んでたように思えた。「誰かに発見されるのを待ってただそこに自らある真理と、直観(女神の導きと表現される)によってそこに辿り着いてしまい、後から人々が追い付くのをもどかしく待つ天才」というのがとてもシンプルに美しく描かれていたと思う。しかし、本作中の描写が本当だとすれば、天才を夭逝させたのは間違いなく英国の不味い(味的にも、浄性の面でも)飯だと確信してしまう。同窓のインド人(ベンガル人)や医師として現れるインド人が気になった。英国での暮らしの苦難とゆっくりと育まれるハーディーとの友情が丁寧に描かれる一方、インドでの生い立ちや家庭生活などはおざなりで不満が残る。やはりタミル語の伝記映画Ramanujanを見なければという気になった。
1: Nenokkadine (Telugu/2014)をYTで。
封切り時に見て以来2度目。2時間54分。ラスト近くの子供時代の自分を追いかけるマヘーシュのシーンに吸い込まれるような感じを受けたのは今でもよく覚えてる。再見したくてDVDをしつこく探したが、テルグ版がDVDになることはなかった。奇異なのはその場面の舞台がBelfast, South Englandとされていたこと。有名な吊り橋なども登場し、どう考えても北アイルランドのベルファストなのだが。そしてベルファストとゴアをつなぐ線が全く分からない。かなり本格的なサイコスリラーで、よく考えられた脚本なのだが、それでもテルグの観客の嗜好に合わせた全部盛りにしたため大長編になった。サイコロジカルなツイストは洗練されているが、主人公をロックスターにしたあたりとかは対照的に非常に雜。テルグ・メジャー作品の抱える問題を炙り出す典型的な一作。本作でデビューのクリティがその後ボリで堅実にやってるのは驚き。ナヴィーンはそれほど印象的ではないが適役ではある。最後の方になって出てくる父親役はあのアーナンドだったかと後から調べて溜息。マヘーシュの筋肉
D for Dopidi (Telugu/2013)をSunNextで。字幕なし。
ナヴィーン出演作を遡るというのを始めてしまって止まらないので、ずっと逡巡してたSUNに1カ月だけ加入した。しかし当然入ってるだろうと思った字幕がなくて憤激。4人組の中での序列は、ワルン、サンディープ、ナヴィーンという順番(4人目はお約束のおデブ君)。しかしワルンもサンディープもその後鳴かず飛ばず。一番貫録を見せるのが終盤にアイテムソングで登場するナーニ君だってんだから。そのナーニのダンスの後に4人組のソングをくっつけるというのは余りも杜撰。まあでも低予算おふざけ映画で字幕なしの割には楽しかった。笑いどころが何となくわかるのが不思議。チャで始まる決まり文句以外にもぽつぽつ拾る語があると笑えるところが増える。認証画面では125分となってるのに動画は99分しかない。何なのか。タニケッラ・バラニの田舎親分のプロットは、お館様映画のパロディーか。肝心のナヴィーンはと言えば、才能の片鱗は見せるものの、3番手なので得意のマシンガントークの余地は与えられず。テルグ・ニューウェーブに特徴的な、乾いた語りと善悪の彼岸の超越。
Life is Beautiful (Telugu/2012) をDVDで。
2012年に劇場で字幕なしで見て以来。DVDを入手してもそんなに急いで見てみたいとも思えずにいた。それを見る気になったのは、これがヴィジャイDのデビュー第二作でナヴィーン・ポリシェッティのデビュー作というのに気づき、どんな役柄だったか確かめるため。二人とも主人公たちと対立する金持ちのゲ―テッド・コミュニティーのボンボン。ナヴィーンの方は典型的な憎まれ役。ヴィジャイDの方は後年を予言するかのような助駒氏訳。英語とテルグ語に象徴される階級格差を描き、またアーンドラとテランガーナの対比も描くが、それは人と人との関係性を絶対的に決定するものではないというところにカンムラらしさが出ている。それにしても本作、主役格の5人の若手たち(シュレーヤーは別格だから外すとして)はその後鳴かず飛ばす、悪役の2人にブレイクが巡って来るとは。デコボコの成年群像は面白いが、シェーカル・カンムラの癖なのか何なのか、女優のチョイスがロングヘアのスレンダーなお姉さんに偏り過ぎて、最初の方ではツインヒロインの見分けがつかなかった。これはマイナス。
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(USA/2002)をNTFLXで。
これも今手掛けてる仕事に関係があるので。まあしかしそういう意味ではあまり必要のないものだった。ハリウッド映画で140分というのは長いと思ったけど、ダレずに見られた。ともかくパンナムが画面上に現れるだけでどっとノスタルジーの世界に持ってかれる。本作が2002年封切りというのも唸るほかない。2001年の大惨事を経験する前のゆるゆるの航空業界。そして人々がパイロットとスチュワーデスに向ける憧れの目。そして描かれるメンヘラ像の呑気さ。これが現在ならばペーソスはありつつも爽やかさを保った描き方はできないのではないか。そしてとことんおバカな女性の描き方も、今じゃありえなさそう。パイロットを大勢連れ車から降りてホテルに向かうパイロットの大名行列、これが後半でも繰り返されるところが良かった。ともかく陰惨な結末じゃなく見られるのがとても良かった。それにしてもこの英語をそのままカタカナにしただけの邦題、この頃の流行りだったっけ。客を選ぶこういうのも今じゃ考えられん。
ユージュアル・サスペクツ(USA/1996)をJPAPで。
日本語字幕版。ちょっと今手掛けてる仕事に関係があるので見た。2時間もないランタイムだったけど、やっぱこう、緊密な構成でしかもドンパチが続くタイプのスリラーは疲れるわ。適当なところでトンチキなお笑いだの歌だのを入れてくれないと老残の身には辛い。ラストで捜査官が真犯人に気付くシーン、よく分からなくて3度見ぐらいした。「信用できない語り手」の技法だが、どこまでが完全な作り話で、どこからが捻じ曲げられた実話なのかも細かく分析したいところ。それから、最後に去っていく2人組のうちのどっちが黒幕なのかもよく分からなかった。だってファックスで届く似顔絵が雑過ぎるんだもん。どっちが黒幕でもストーリーとしては成り立つか、そのあたりも検証すれば面白いと思うけど、面倒なので誰かにやって欲しい。純粋な謎解きで、犯罪の裏の情念ドラマみたいなのは無し。
Mooga Manasulu (Telugu/1964)をYTで。
以前から興味があったのだけど字幕なしは辛いし、どっかの辺鄙な配信サービスを穿るのが面倒だと思ってたらYTに字幕付きがあった。盲点だった。インド映画史で初ではないだろうけどかなり早い輪廻転生ものの作例。その転生モチーフ自体はひねりも何もない素朴極まりないもの。しかし転生は一度だけでなく2度も繰り返されたことになっている。最初の2人の物語について何も明らかにされてないのが気になる。後から調べてこのYT動画にはカットがあるらしいことがわかったので、実は前世譚もあるのかもしれない。この時代にパピコンダルを舞台にしたのはありきたりだったのか珍しかったのか。ともあれストーリーを追うよりも村の暮らしの中に入り込んだような気にさせる日常描写が心地いい。幻想の宇宙空間のようなところに飛ぶソングは、ボール紙で作ったみたいなお月様とかが美しいというよりはカワゆい。身分の高い女性にひたすらな献身をする男の抑圧された恋心というのに覚えがあると思ったが、あれだ、近松物語だ。それにBharathi Kannammaだな。川辺の豪邸のロケ地も知りたい。
Mahanati (Malayalam/2018)をUSAPで。
Nadigaiyar Thilagamの吹き替え版。本当はNadigaiyar Thilagamを見たいけど供給がないので止むを得ず。そもそも本籍地テルグのオリジナルバージョンを見てるのだから、本来はこういう見方をしたくないのだが確認したいことがあったので仕方なく。最初の方でジャーナリストが直面するシャンカライヤという人物の謎、劇場で見たときは気づかなかったけど、そういうことだったか。ラストの方に来るともうシャンカライヤが誰かとかは気にならなくなってしまうのだが。どんなに世に注目を集めたスターでも、余人には知り得ないものを抱えてあの世に行くというコンセプトはいい。しかし、サマンタが演じる女性ジャーナリスト、1980年代始めで二十歳ぐらいという設定だけど、1950年代から70年代半ばまでを活躍した女優にまつわる知識が一切ないというの、映画が王様の国でありえるだろうかというのが気になった。ガネーシャンとの関わりでは、どこまでが本当の出来事だったのか気になった。トラムの屋根で結婚を公にするところとか。HYDで拗ねちゃうとことか。
Kappela (Malayalam/2020)をNTFLXで。
英語字幕付き。おもろい顔の脇役専門俳優ムスタファ・ムハンマドの初監督作。監督となったおかげでやっと顔と名前が一致した。ワヤナードの保守的で慎ましいクリスチャン家庭の女の子が自由を求めてカリカットに出かけて醜いものをいろいろ見てしまうという話。色々とハラハラさせ、ほぼもう最悪コース確定と観客に思わせておきながら、どんでん返しが二回も起き、奇跡のように無傷で生還する。多分それは舞台がカリカットだから。ワヤナードから到着するシーンでは、観客の目にすらすごい大都会に見えてしまうが、バススタンドで一旦下車したヒロインをバスの車掌が覚えていて雑踏の中から見つけてくれるとか、他の都市だったらありえないもん。こういうところ、Vikruthiとかもそうだったけど、マラヤーラム映画の田舎力を感じる。アンナ・ベンは魅力的。シュリーナート・バシの役柄はもう少し丁寧な彫琢があってもよかったのではないか。ラストシーンは美しいが、リベラルな人には受け入れがたいものがあるかも。娘を持つ親には、携帯電話を持たせるのがまずいという結論に飛びつく人もいるかも。
Valaiilla Pattadhari(Tamil/2014)をYTで。
たぶん5年ぶりぐらいの二回目。インドの教育制度と社会制度のゆがみのひとつとして、その時々の人気専攻に学生も雇用主も集中して、それ以外の分野の学士が不遇をかこつというのがある。前世紀末から現在に至るまでの圧倒的な勝ち札は情報処理専攻。NadodigalやKattradhu Thamizhは文系に進んだだけで負け犬となってしまった青年の鬱屈を描いていた。しかし、同じ理系でもコンピュータではなく、土木エンジニアリング専攻でも職がない状況というのは本作を見るまで知らなかった。ダヌシュ演じる主人公が本気を出すと格闘家はだしに強いということ以外は全編がリアル。対する敵役の金持ちボンボンは以前だったら誇張が過ぎると思ったかもしれないが、実際にこういう奴がいるだろうというの、今なら分かる。主筋はロウワ―ミドルクラスの若者の成長譚であるものの、重要なモチーフとしてスラムの住人の生活環境改善というものも織り込まれる。このあたり、2010年代後半に入ってからのダヌシュ・プロデュース作品Kaalaなどと共通するものが認められて興味深い。
Thupparivaalan (Tamil/2017)をUSAPで。
これでミシュキンの監督作は全部潰したことになる。謎解き部分には遺漏がなく、しかもヴィシャールのアクションも無理なく入り、ミシュキン特有の映像美(+独特の間)と、おまけに笑える香港・日本映画へのオマージュも加わって大充実。ワトソン君役のプラサンナ―は何だか可愛い。アヌはねっとり過ぎてちょっとと思っていたが最後のシーンで泣かせた。アンドリヤーはイメージを裏切るマッチョな役で肉体派アピール。唯一どうかと思ったのは、不気味な連続殺人が蓋を開けてみれば金銭ずくのものだったこと。もっと情念の滲み出るものが欲しかった。金銭ずくの割には組織への忠誠心が異様に高いメンバーもいて謎。バギャラージやアンドリヤーなど本作の悪役たちはあまり多くを語らないキャラが多く、それがらしさを醸し出していた。ラストのマングローブのシーンはハリウッド映画か何かへのオマージュか。それにしてもミシュキン映画の割には昼間のシーンがやたらと多かったな。ヴィシャールのキャラはもちろん肉体派・武闘派ではあるのだが、ぶっきらぼうな愛し方や富豪の依頼を断る正義感などに好感。
Dear Zindagi (Hindi/2016)をNTFLXで。
邦題は『ディア・ライフ』。翻訳はインド映画字幕翻訳の第一人者なので見やすかったが、歌詞に全く訳がなかったのはなぜなのか。近年低迷中のSRK作品で例外的に良作と聞いたので見てみれば、何のことはない「拡大カメオ出演」だった。それでもやはりこの人の表情の作り方やセリフ回しには何か宜えないものがある。主演はアーリヤ―だが、最初の30分ほどは「なぜ独りで立つ女性をヒロインにすると、衝動的なキレキレとして描くことになるのか」といういつもの疑問が。後半になるとそこには一定の理由があったことが示されるのだが、スッキリしない部分も残る。幼少期の孤独がヒロインを不安定にしたのは分かる。だが、前半で示されるヒロインの行動に本当に問題があるのか。解決されるべきは不眠であって、BFをとっかえひっかえすることではない。その辺りの区分けが観客に十分に示されたか。「不品行な女がセラピーによって正道に戻った」話として受け止められたら堪ったものじゃない。両親に向かって啖呵を切るシーンなど胸のすくもので、「これが問題と言うなら治って欲しくない」と思った。
Dhuruvangal Pathinaaru (Tamil/2016)をUSAPで。
4年前の旅行時に評判だったので見たかったのだけど都合が合わず見逃したものをやっと鑑賞。ソングなしの105分。よくできたそつのない殺人ミステリ。ただ、Evaruを見た時とかにも思ったけど、インドである必然性はほぼない。あ、杜撰すぎる脇見運転てのがあったか(Evaruにもあった)。映画公開年の16年を5年後の21年から振り返るという斬新な設定。舞台はコインバトールとウーティー。主人公がカップ麺を啜るシーンだけでその境遇を提示して、それ以外は一切語らないところが新世代という感じ。タイトルの16 extremesには明確な説明はないが、最終シーンで独白される、犯罪と捜査のそれぞれの局面での合理性から外れた行動が悲劇にと導いたということを言いたいらしい。ただしそこで挙げられたエピソードは16もなかったが。ラフマーンはいつものごとくクールで、沈鬱なテーマが良く似合ってる。交通事故は故意だったのかどうかが気になる。それから真相を知る人物が、推理するふりをして捜査をミスリードするところ、どこまでが芝居だったのか。
Asuraguru (Tamil/2020)をNTFLXで。
英語字幕付き。久しぶりに真正B級作を観た。A級にすべく予算をかけて取り組んだのに力及ばずB級になったのじゃなく、予算組み時点でもうB級が見えてただろう一作。119分という短尺もそこからきているものと想像。不世出の名優の孫息子であるヴィクラム・プラブの華のなさ、表情の乏しさに泣けてくる。悪役もヒロインも皆チープ。窃盗癖に悩まされる男が次々と現金強奪を繰り返し、警察とヤクザの両方から追われることになるというヘイストもの。主人公は紙幣に病的な執着があり、使ったり貯蓄するためではなく、純粋に盗みの快感のため盗む。窃盗欲の発作での苦しみから逃れるためなのだが、その割には冒頭の列車強盗のシーンは大掛かりで(CGはチープだけど)、綿密な下準備が必要なものだったりする。一方で安食堂のレジで現金を数えてるのを見て突発的・暴力的に強奪したり。スッバラージュ演じる捜査官の役名がマーニッカヴァサガルというとてつもない名なのは何か意味があるのか。サイドキックが警察官なのだけど、友情を優先して、主人公に盗んでもいい汚い金の在り処を教えるというのが何とも。
Ayyappanum Koshiyum (Malayalam/2020)をUSAPで。
久しぶりにガツンとやられた一作。ほのぼの田舎コメディーかと思いきや、全編くんずほぐれつの殴り合いド突き合い罵り合いの176分。部族民ルーツで、生母を捨てたらしい父にあやかりナーヤルの名を持つ初老の警察官と、クリスチャンの名家出身で陸軍少佐を退役したまだ若い男とが、禁酒地区への酒の持ち込みで揉め、退役軍人の方が拘留に対して度を越した復讐をしたことで戦いの火蓋が切られる。両者ともにマチズモの塊なので、何らかの仲介者が間に入ることを嫌うのだが、否応なしに様々な人々を巻き込み、却って騒ぎが拡大する。退役軍人の父役のランジット、警官の妻役のガウリ・ナンダもいいキャラで、なおかつ好演。しかし見せ場は何と言ってもビジュ・メーノーン。定年退職を目の前にしているのに乳飲み子がいる。必殺技は背後からの抱きつき●●。神話の世界と現代の階級格差の世界との両方を生きる男。そうした重たい世界を背後に持ちながらも、2人の最後の決闘は、あらゆる影響力を排するために、制服を捨て、影響力を捨てるために隣州の集落に場所を移して行われる。