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World Famous Lover (Telugu/2020)をNTFLXで。(続き) 

それはそうと、VDが筋トレを全くした形跡のないたぷたぷした腹を晒すシーンは良かった。素でそうなのか、それとも役作りのためにあえてそうしたのかは分からないが、単細胞でアホな筋肉礼賛の流れに乗らないというのはそれだけで好感度爆上がりじゃ。

World Famous Lover (Telugu/2020)をNTFLXで。 

英語字幕付き。Arjun Reddyの二日酔いを濃厚に含む怪作だった。今時これはないだろうと言うぐらいの破滅型の小説家志望の男が、ヒモとなって怠惰に暮らしていた恋人についに見限られ、追い詰められた末に執筆した2本の短編小説、およびそれらを集成した単行本がベストセラーになるまでの顛末を描く。額縁ストーリーである小説家の男の物語が焦点定まらない感じでイライラする。ヒモになってから1年半を無為に過ごした理由とか、後半での暴れたり泣いたりの振れ幅とか。劇中劇2編はレベルの格差が凄い。二つ目のパリが舞台の話は雑すぎ。一つ目のテランガーナの鉱山の話は素晴らしい。ここだけ切り取って短編映画祭に出せばというくらい。州営のSingareni Collieries が舞台という設定らしい(実際の撮影地はコーラールあたりかも)。ここでヴィジャイが口にするコテコテのテランガーナ弁が見もの。キャサリンは相変わらずの魔性の女テンプレでちょっと気の毒。アイシュワリヤ・ラージェーシュは通俗ヒロインじゃない地に足のついた役が本当に上手い。

Varane Avashyamund (Malayalam/2020)をNTFLXで。 

英語字幕付き。スレーシュ・ゴーピとショーバナの久々のカムバックということで楽しみにしていた。カリヤーニを見るのも初めて。チェンナイ・マラヤーリの世界を描いたものとしても久しぶりか。普通に社会人として中産階級の恵まれた生活を送る男女四人の心模様。サティヤン・アンティッカードの都会版。四人とも普通の社会人だが、その家族の在り方はいずれも破格で、なおかつ程度の差はあっても過去に家族にまつわるトラウマを抱えている。否応なく思い起こされるのがKumbalangi Nightsだが、あそこまでの張りつめた緊張感と孤絶感はなく、フィールグッドなファミリードラマに留めた。この辺りがサティヤンの息子であるデビュー監督アヌープの選んだ中庸の道か。スレーシュの過去作への言及(オルマユンド~)とか、心憎い脇役の配置(ウルワシやKPACラリタなど)は、プロデューサーとしてのDQのサービスかも。ヒロインの「私はdecentだからお見合いで結婚相手を探すの」という台詞は何気に破壊力がある。カリヤーニに激しい既視感。どこで見たのか?

Majili (Telugu - 2019)をYTで。 

実際に見たのは同名のヒンディー語吹き替え版。普段はこういう見方はしないけど、やむをえない事情から手を出した。ただこれはオリジナルか吹き替えかを問うレベルの作品でもない気がする。予想通り問題はチャイで、相変わらず硬直した演技。しかしそれが「演技開眼」とか好意的に評されてるのを見ると目の前真っ暗。一番馴染んで生き生きして見えるのが高校生時代の部分だというのはPremamから変わってない(逆に大したことだが)。サマンタのしっとりとした好演は素晴らしいが、「自我を押し殺し耐えに耐える健気な妻」というのにはやはり肯えない。作中のホテルはタージ系のThe Gatewayだと調べて分かった。ストーリー展開の肝は主人公が初恋に破れるシーンだが、この経緯がモタモタしてスッキリしない。相手が「北インドの女の子だから」とかいってコンドーム持参で出かけるとか、問題あるだろ。やってきた彼女も結局何をしたかったのか分からない。そこから暴力沙汰に発展し、追っ手を避けるために独りで缶詰めになったGatewayの一室が失われた恋のメモリアルとか、よく分からん。

Sepet (Malaysia/2005)をYTで。 

ヤスミン・アフマドの傑作とされているものを英語字幕で鑑賞。日本語タイトルは『細い目』。さして長くはないし、英語字幕で充分だろうと思って臨んだが失敗。劇中の台詞は7割ほどがマレーシア英語で、それには字幕がついていないのだった。そしてその聞き取りに歯が立たず、重要と思われる台詞のかなりが分からずに見ることになった。しかしまあ、日本でも大傑作とされている本作、多民族社会に生きる若者の姿を写実的に描き、そこに民族差別への批判を盛り込んだと理解されているようだけど、実はかなりハイコンテクストな作品なのではないか。まずブーミプトラ政策が頭に入っていないと、ヒーローとヒロインとの間の格差が単に偶然の個人的なものとしか捉えられない可能性がある。まあ普通に、マレー人と中国系人がいて、後者の方が差別される地位にあるとか体感できないし。作中のタゴールや金城武が象徴するように、登場人物は皆が何かしらの形で越境の指向性を持っている。中国系ヒーローがやはり中国系の友人にプラナカンとは何かと説明する箇所が大変に興味深い。ここを中心として日本語字幕版を見直したい。

Sathuranga Vettai (Tamil/2014)をYTで。 

予備知識ゼロで臨んだ。テンポが良く、かなり考えられた詐欺師もの。ありふれた蛇を稀少種として売りつける詐欺から始まり、大掛かりなマルチ商法で水道水を健康食品として売りさばく詐欺。普通はそこから細く長くという戦術に切り替えるところを、また蛇詐欺をやって捕まり、裁判にかけられ、しかし実弾ばら撒き戦術によって無罪放免になったところを、かつて詐欺でコケにした相手に捕まって…と際限なく続く化かしの連鎖。マルチ商法は世界どこにでもあるが、それ以外の騙しの手口というのがインドならではのもので飽きない。口八丁手八丁の詐欺師が結局のところ正道に戻るまでの跛行をたっぷりと時間をかけて描くのだが、妙なユーモアが素晴らしい。たとえば蛇に映画スターの名前を付けるところなど。多くのシーンが田舎町か地方の半端な都市を舞台にしており、そこに蠢く欲深な詐欺被害者たちの描写にリアリティーがある。一方で、主人公が一時的に暮らす桃源郷のような農村は、ちょっと理想化が過ぎのような気がした。あれで生活が立ちいくならば、誰も都会のスラムには住まない。

Shiraz (Silent/1928)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はBFI。デジタルリマスターしたうえでアヌシュカ・シャンカルの音楽をフィーチャーしたもの。色々印象的なところがあった。キスシーンが二回(三回?)もあるとか、いわゆるイスラミケイト作品であるところとか。オステンのイマジネーションは完全にアラビアンナイトのもので、まがりなりにもヒンドゥー神話を映画化したダンガンとは随分違う。登場人物は全員ムスリムで、映像のソースはトルコ辺りのもののように見える。これは個人の嗜好によるものなのか、それともドイツ人とアメリカ人との差なのか。恋愛の情感表現は至極あっさりしたもので、逆に悪役女性のキャラが立っているように思えた。本作に限らず古映画で悪役が目立ってしまう現象は何なのか。その悪役を演じたシーター・デーヴィーがどう見ても一番「顔がいい」役者なのでその印象が一層深まる。それから、一切セットを組んでいないということだが、シャージャハーンの宮廷のシーンのロケ地はどこなのだろうか。あと、アーダーブの所作が現代の映画で見るのとは微妙に違っているように思えた。

Android Kunjappan Version 5.25 (Malayalam - 2019)、三回目の通し見。 

特に感想はないが、ラストシーンで、爺様が縋りつく息子のヘルメットが、直前に被っていたものとは別のものに変わっていることをやっと気づいた。本物のクンニャッパンのポートレートがほんの1秒ぐらい変わるところといい、ものすごく集中力を試すようなものになってる。現地の観客でも気づかずスルーしてしまった人は多かったのではないか。

Nasir (Tamil/2020)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はムンバイ国際映画祭。割と珍しいタミルの芸術映画で、なおかつ非常に稀なタミルのイスラミケイト映画。コインバトールで伝統的なサリーショップの店員として働くムスリムの男が主人公。この貧しい中年男の砂をかむような数日間が描かれる。エンディングでそれは彼の生涯の最後の数日間だったことがわかる。つまらない暮らしをしているように見えて、詩心があり、また熟年になっても妻を熱愛している。そして実子ではない知的障害のある子供を引き取り育てるという篤志家的一面も。この男に降りかかる運命の無残を理解するには、コインバトールのコミュナル紛争の歴史的事実と、タミルで勢力を広げようとしているヒンドゥー・ムンナニについての知識が要る(画面中に何度か登場するガネーシャ像の意味合いなど)が、外国の映画祭、いやムンバイ映画祭でも、観客にそれを求めるのは多分無理だと思う。かといって、事前にそれをレクチャーしてしまったら感銘を削ぐことになるだろう。このあたりが、作品の文脈の解題と映画的なライブ感とを巡る難しい問題。

Falaknuma Das (Telugu/2019)をUSAPで。 

Angamaly Diariesのリメイク。タイトルから真正のテランガーナ映画だと予測して見てみたところ、大当たり。ハイダラーバード旧市街を舞台にした作品は今でも珍しく、ちょっと思い出すぐらいではOkkadu (2003) ぐらいしか出てこない。原作でコッチ郊外のクリスチャン養豚業者として登場した主人公は、ここではファラクヌマのヒンドゥー教徒マトン精肉業者となった。ファラクヌマといったらタージ系列の宮殿ホテルのイメージ(ラストで壮麗な姿が空撮で眺められる)だけだが、周辺にはこんな雑駁な世界が広がっていたか。特に巨大な羊マーケットが壮観(ただし実際にあるのかは不明)。現地レビューは渋い。こういう作風はテルグのエスタブリッシュメントには気にくわないのか、それともやはり原作には及ばないプロダクション・バリューがシビアに評価されたのか。原作と比べて明らかに落ちるのはクライマックスの1シーン1カットの長回し。モニタで見てるというのを差し引いても歴然と劣っていた。そういってもHYD旧市街の混沌と汚濁を描き出したのは特筆もの。

Kannum Kannum Kollaiyadithaal (Tamil/2020)をNTFLX で。 

英語字幕付き。全く予備知識なく見た本作、本格的なヘイストものと分かり吃驚。トリックはハイテクを取り込んで良く考えられたもの(多少うまく行き過ぎの感があるが)。ただ軽快なクライム映画としては2時間40分は長すぎでダレる。オープニングでDQ25などと謳われるが、タミル映画界ではDQはまだ2軍に毛の生えた程度なのだというのが、脇役の布陣などで見て取れる。チンケなサイバー犯罪を重ねて気楽に暮らす2人組vs色仕掛けで油断させて置き引きする2人組、どっちもショボいのが手を組んで麻薬王から大金を盗み出すというストーリー。インド映画を見てると倫理的規範の開示がどこかにあるものと思い込んでしまうが、本作は最後まで現生マンセーで、それが劇的に正当化されてないのが引っかかった。ガウタム・メーナン演技は硬いが役には合っていた。アニーシュ・クルヴィラは無駄遣いという感じ。ラスト近くのシーンはDQのツーリング映画の引用か。GMのUnnaithaandi Varuvaayaの劇中歌も茶化すように使われていて笑った。

Natkhat (Hindi/2020)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はムンバイ国際映画祭。ヴィディヤー・バーラン製作・主演の31分の短編。いや短編映画のお手本と言っていいような見事な一本。ヴィディヤーのMotherIndia的なドーンとした押し出しにまず感銘。メッセージは100キロ先からでも分かる説教映画だが、そのプレゼンテーションが心憎い程に巧み。少女のお下げを切るシーンの意味するところは火を見るよりも明らかだが、リアルな恐怖感が伴う。母が息子に話す御伽噺は単純だが恐ろしく含意に富んで深い。食卓を囲む男たちの短い会話とその立ち振る舞いによって、彼らが代表する病巣の部分がくっきり浮かび上がる。「ラーマーヤナとマハーバーラタ以外のTVを見せるな」という祖父の台詞には逆説が潜む。最後にエンディングロールのキャスト紹介によって引っくり返るという演出。

An American in Madras (English - 2013) をYTで。 

以前から海外のNTFLXで見られるようにはなっていたらしいけど、晴れてYTで公開されて嬉しい。7年越しの想いが実った。画面は隅から隅まで(1930年代の映画作品の抜粋も含め)ピカピカに美しい。ダンガンには自伝があってそちらの方がもちろん情報量は多いが、あくまでもダンガンの自分語りで触れられない部分もあった。本作では様々な人の証言が集成され、若干の批評性(たとえばプラバ―ト・フィルムとの比較とか)も加わり、多角的なものになっている。フィルム・ニュース・アーナンダンやPKナーヤルなど、もう既に向こう側に行ってしまった人の姿もあって、まあこの作品のギリギリ間に合った感が迫って来る。ダンガンはMGRに対しての恩人なのだと思っていたが、そうでもなかったというエピソードが新鮮。脚本家としてカルナーニディが登場したPonmudi (1950)がDMKイデオロギーを前面に押し出した最初の作品になったなどという知らなかった事実も。ハイライトは何と言ってもMSの主演した2本の作品にまつわる部分と再会に関するところ。

インド映画のディスクから配信への流れはコロナ禍で加速しただろうし、 

もう抵抗してもしょうがないという諦めはあるのだけれど、この不安定感は何だろう。まずIPアドレスによる壁があり、課金制度があり、なおかつ配信の期限というのがどうなってるのか分からない。それから、とあるサービスでは字幕がなく、また別のサービスでは字幕付きだがカットされているとか、余りにも混沌とした状態。それに比べると音源の方は、まあだいたいいつでもYTかVimeoにあるし、民間ボランティアのアップロード()もあって、映像とは異なり不安感がない。どうしても物理的に所有しないと落ち着かないという煎りたてるような感じはないのだ。映像も音源並みに落ち着ける日が来るのだろうか。

Eeb Allay Ooo! (Hindi - 2019) をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はムンバイ国際映画祭。久しぶりに映画祭アイテム。題名は猿を追うための(泣き声に似せた)掛け声。一群の男たちが集められ、首都デリーのそのまた中枢部のニューデリーで手に負えない程に増えて凶暴化した猿たちについてレクチャーを受け、市民生活を脅かさないよう、さらにニューデリーで行われる政府系の建物で問題を起こさぬよう「追う」。政府の仕事とはいえ一時雇い。そして、一般市民の中には問題を認識せず、宗教的慣行として猿に餌をやる者が後を絶たない。貧しい国内移民である主人公は仕事に馴染めず、馴染めないながらに様々な工夫もするが、うまく行かない。不運が重なり、相棒の男が死に、彼もまた解雇されるというところで終わる。まさに今現在インドで起きている国内移民労働者クライシスと重なり、タイムリーな作品ではあるが、たとえば主人公の故郷はどこなのかとか、もう少し情報を入れても良かったのではないか。それからエンドロールにかぶせた台詞に字幕がないなど、国際映画祭向けにしては雑な面も。

Bigil(Tamil/2019)をYTで。メモを取りながらの2回目。 

1回目に見たときの感想を読み返してみたら随分好意的なこと書いてるな。だけど、やはりコカインの件と警察での拘束の件ではモヤる。それとオヤジとしての役作りにも諾えないものがある。ファンなら大喜びだろうが、ファンじゃないと童顔の老けメイクに居心地悪い感覚を持つ。構成としての欠陥は、デリーでの最初の2試合の後に踊りやらなんやらを入れたこと。そこでスポ根的な血潮の滾りが一旦ストップしてしまう。そしてその後の舞台がチェンナイなのかデリーなのか曖昧になる。ヤクザ者としてスポーツ界を追われた主人公が、場面場面でフェアプレーと極道手法とを使い分けしてるのも気になった。試合の経過を見せる特撮はもっさりしてショボいのだけどそれでもちゃんと感動できるのが凄い。

パプリカ(2006)をNTFLXで。 

『狂つた一頁』(1926)は見ていないのだけど、同作の映画作家が現代に生きていたらこういうものを作ったのではないかと思わせる大正ロマン的不条理夢幻劇。『ルシア』のように、胡蝶の夢を哲学的に展開する部分、そして夢見る装置としての映画への愛なども組み込まれた、イマジネーションの奔流のような90分。こういうのを見ると、2000年以降の日本映画で最も才能ある人材は全てアニメに流れたのではないかという性急な決めつけに走りたくなる(自制しないと)。これまで『千年女優』しか見ていなかったけど、現実に夢を入り込ませて魔術的な世界を構築することにかけては第一人者であると確信した今敏は、やはり全作見なくてはという気になった。

Ente Ummante Peru (Malayalam/2018)をUSAPで。 

ポスターから読み取れる情報以外の予備知識ゼロで臨んだ。やはりまっさらからの鑑賞は楽しい。要するにマーピラ版『母をたずねて三千里』なわけだが、途中はもしかして『菊次郎の夏』になるのじゃないかと思い、半分ぐらい当たった。甘えん坊で若干トロめの青年と、がさつで生活力旺盛な継母とが、青年の生みの母を訪ねてタラッシェーリからラクナウまで出かけていく。タラッシェーリの田舎感はとても良いし、対するラクナウも、これまでのサウス映画で描かれた北インドの中では特段にリアリティーがある。観光ガイド的イメージは極力退けられている。ただ、生母と父との関係が完全に説明がないこと、ダンスと現在の生母との関りに引っ掛かりが残る。ウルワシとトヴィノの掛け合いは、たぶんネイティブ観客には絶妙なのだと思う。字幕をヨチヨチ追って読むだけでもその感じは分かる。演技賞はウルワシ。かつてならKPACラリタがやっていたようなキャラを血肉の通ったものとして演じきった。トヴィノの方はOru Kuprasidha Payyanから続いてのバカの子ちゃん。

この世界の片隅に(2016)をNTFLXで。 

太平洋戦争を題材にした映画作品の例にもれず、本作も戦争責任や植民地支配責任を描いているのかどうかなどの点で封切り時に議論があったらしい。まあしかし、これはそういう観点から称揚したり断罪したりする作品ではない。劇中でヒロインを「普通の人」と形容するシーンがあるが、そういう普通の人が担った時代精神を描くことに注力したものだ。それは漫画で「坊ちゃんの時代」が行おうとしたことに近い。「普通の人」の幅は若干広めにとられているが、その度量は割と広い。世界の中での日本の立場については理解が及んでいないかもしれないが、目の前の日常生活における出来事への対応は、割と柔軟で優しさがある。戦後の民主主義は戦前の全否定から出発し、明治以降の戦前を暗黒時代として描くことに没入したが、良きにつけ悪しきにつけ、日本の精神史は敗戦で全く断絶することなくなだらかに連続的に持続してきたのだということを、極限の時代の中の普通の暮らしと普通の気持ちを丹念に再現することで証明しようとしたのではなかったか、そのように感じられた。

NOTA (Telugu - 2018)をUSAPで。 

タイトルの意味は知っているけど、それがこの話とどう関係するのか最後まで分からなかった。テルグ・タミル・バイリンガル作品だけど、ヴィジャイDが主演なのだからとテルグ版を選んでみたのだけど、タミル人役者がわさわさ出てきて、むしろ本籍タミルなのかも。実際にタミル版の方がヒットしたというのだけど、今一つ解せない。タミル映画ならもっと暑苦しい民族主義を入れないと現実感がないのではと思ってしまう。Mudharvanから始まり、Leader、BAN、Lucifer、etc.に至る政治スリラーの定石をうまく取り込んで飽きない作りになっているが、クライマックスに親子の個人的なセンチメントを持ってきたのは余り感心できない。盛り上がりに欠けてカタルシスがない。野党代議士を演じたサンチャナ・ナタラージャンが悪くないと思った。俳優出身の政治家、CMの息子がポッと出で襲名する慣行、裏金満載のコンテナ、ホテルでの籠城、大水害など、お馴染みモチーフで埋め尽くされる。暴動を防ぐために暴れそうな奴を予備拘束するのを善として描くところには彼我の差を感じずにはいられない。

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