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Thupparivaalan (Tamil/2017)をUSAPで。 

これでミシュキンの監督作は全部潰したことになる。謎解き部分には遺漏がなく、しかもヴィシャールのアクションも無理なく入り、ミシュキン特有の映像美(+独特の間)と、おまけに笑える香港・日本映画へのオマージュも加わって大充実。ワトソン君役のプラサンナ―は何だか可愛い。アヌはねっとり過ぎてちょっとと思っていたが最後のシーンで泣かせた。アンドリヤーはイメージを裏切るマッチョな役で肉体派アピール。唯一どうかと思ったのは、不気味な連続殺人が蓋を開けてみれば金銭ずくのものだったこと。もっと情念の滲み出るものが欲しかった。金銭ずくの割には組織への忠誠心が異様に高いメンバーもいて謎。バギャラージやアンドリヤーなど本作の悪役たちはあまり多くを語らないキャラが多く、それがらしさを醸し出していた。ラストのマングローブのシーンはハリウッド映画か何かへのオマージュか。それにしてもミシュキン映画の割には昼間のシーンがやたらと多かったな。ヴィシャールのキャラはもちろん肉体派・武闘派ではあるのだが、ぶっきらぼうな愛し方や富豪の依頼を断る正義感などに好感。

Dear Zindagi (Hindi/2016)をNTFLXで。 

邦題は『ディア・ライフ』。翻訳はインド映画字幕翻訳の第一人者なので見やすかったが、歌詞に全く訳がなかったのはなぜなのか。近年低迷中のSRK作品で例外的に良作と聞いたので見てみれば、何のことはない「拡大カメオ出演」だった。それでもやはりこの人の表情の作り方やセリフ回しには何か宜えないものがある。主演はアーリヤ―だが、最初の30分ほどは「なぜ独りで立つ女性をヒロインにすると、衝動的なキレキレとして描くことになるのか」といういつもの疑問が。後半になるとそこには一定の理由があったことが示されるのだが、スッキリしない部分も残る。幼少期の孤独がヒロインを不安定にしたのは分かる。だが、前半で示されるヒロインの行動に本当に問題があるのか。解決されるべきは不眠であって、BFをとっかえひっかえすることではない。その辺りの区分けが観客に十分に示されたか。「不品行な女がセラピーによって正道に戻った」話として受け止められたら堪ったものじゃない。両親に向かって啖呵を切るシーンなど胸のすくもので、「これが問題と言うなら治って欲しくない」と思った。

Dhuruvangal Pathinaaru (Tamil/2016)をUSAPで。 

4年前の旅行時に評判だったので見たかったのだけど都合が合わず見逃したものをやっと鑑賞。ソングなしの105分。よくできたそつのない殺人ミステリ。ただ、Evaruを見た時とかにも思ったけど、インドである必然性はほぼない。あ、杜撰すぎる脇見運転てのがあったか(Evaruにもあった)。映画公開年の16年を5年後の21年から振り返るという斬新な設定。舞台はコインバトールとウーティー。主人公がカップ麺を啜るシーンだけでその境遇を提示して、それ以外は一切語らないところが新世代という感じ。タイトルの16 extremesには明確な説明はないが、最終シーンで独白される、犯罪と捜査のそれぞれの局面での合理性から外れた行動が悲劇にと導いたということを言いたいらしい。ただしそこで挙げられたエピソードは16もなかったが。ラフマーンはいつものごとくクールで、沈鬱なテーマが良く似合ってる。交通事故は故意だったのかどうかが気になる。それから真相を知る人物が、推理するふりをして捜査をミスリードするところ、どこまでが芝居だったのか。

Asuraguru (Tamil/2020)をNTFLXで。 

英語字幕付き。久しぶりに真正B級作を観た。A級にすべく予算をかけて取り組んだのに力及ばずB級になったのじゃなく、予算組み時点でもうB級が見えてただろう一作。119分という短尺もそこからきているものと想像。不世出の名優の孫息子であるヴィクラム・プラブの華のなさ、表情の乏しさに泣けてくる。悪役もヒロインも皆チープ。窃盗癖に悩まされる男が次々と現金強奪を繰り返し、警察とヤクザの両方から追われることになるというヘイストもの。主人公は紙幣に病的な執着があり、使ったり貯蓄するためではなく、純粋に盗みの快感のため盗む。窃盗欲の発作での苦しみから逃れるためなのだが、その割には冒頭の列車強盗のシーンは大掛かりで(CGはチープだけど)、綿密な下準備が必要なものだったりする。一方で安食堂のレジで現金を数えてるのを見て突発的・暴力的に強奪したり。スッバラージュ演じる捜査官の役名がマーニッカヴァサガルというとてつもない名なのは何か意味があるのか。サイドキックが警察官なのだけど、友情を優先して、主人公に盗んでもいい汚い金の在り処を教えるというのが何とも。

Ayyappanum Koshiyum (Malayalam/2020)をUSAPで。 

久しぶりにガツンとやられた一作。ほのぼの田舎コメディーかと思いきや、全編くんずほぐれつの殴り合いド突き合い罵り合いの176分。部族民ルーツで、生母を捨てたらしい父にあやかりナーヤルの名を持つ初老の警察官と、クリスチャンの名家出身で陸軍少佐を退役したまだ若い男とが、禁酒地区への酒の持ち込みで揉め、退役軍人の方が拘留に対して度を越した復讐をしたことで戦いの火蓋が切られる。両者ともにマチズモの塊なので、何らかの仲介者が間に入ることを嫌うのだが、否応なしに様々な人々を巻き込み、却って騒ぎが拡大する。退役軍人の父役のランジット、警官の妻役のガウリ・ナンダもいいキャラで、なおかつ好演。しかし見せ場は何と言ってもビジュ・メーノーン。定年退職を目の前にしているのに乳飲み子がいる。必殺技は背後からの抱きつき●●。神話の世界と現代の階級格差の世界との両方を生きる男。そうした重たい世界を背後に持ちながらも、2人の最後の決闘は、あらゆる影響力を排するために、制服を捨て、影響力を捨てるために隣州の集落に場所を移して行われる。

スシャント・シン・ラージプートの急逝。 

そりゃ自殺だから急逝だ。何が原因なのかは措いといて、Chhichhoreの配給さんは気の毒としか言いようがない。だって、「自殺するな、それは解決じゃない、生きて前に進むことが大事なんだ」ってメッセージの映画なんだもん。主演俳優にもう会えないことを宣伝の前面に押し出すこともできない、もう頭抱えるしかない状況。

World Famous Lover (Telugu/2020)をNTFLXで。(続き) 

それはそうと、VDが筋トレを全くした形跡のないたぷたぷした腹を晒すシーンは良かった。素でそうなのか、それとも役作りのためにあえてそうしたのかは分からないが、単細胞でアホな筋肉礼賛の流れに乗らないというのはそれだけで好感度爆上がりじゃ。

World Famous Lover (Telugu/2020)をNTFLXで。 

英語字幕付き。Arjun Reddyの二日酔いを濃厚に含む怪作だった。今時これはないだろうと言うぐらいの破滅型の小説家志望の男が、ヒモとなって怠惰に暮らしていた恋人についに見限られ、追い詰められた末に執筆した2本の短編小説、およびそれらを集成した単行本がベストセラーになるまでの顛末を描く。額縁ストーリーである小説家の男の物語が焦点定まらない感じでイライラする。ヒモになってから1年半を無為に過ごした理由とか、後半での暴れたり泣いたりの振れ幅とか。劇中劇2編はレベルの格差が凄い。二つ目のパリが舞台の話は雑すぎ。一つ目のテランガーナの鉱山の話は素晴らしい。ここだけ切り取って短編映画祭に出せばというくらい。州営のSingareni Collieries が舞台という設定らしい(実際の撮影地はコーラールあたりかも)。ここでヴィジャイが口にするコテコテのテランガーナ弁が見もの。キャサリンは相変わらずの魔性の女テンプレでちょっと気の毒。アイシュワリヤ・ラージェーシュは通俗ヒロインじゃない地に足のついた役が本当に上手い。

Varane Avashyamund (Malayalam/2020)をNTFLXで。 

英語字幕付き。スレーシュ・ゴーピとショーバナの久々のカムバックということで楽しみにしていた。カリヤーニを見るのも初めて。チェンナイ・マラヤーリの世界を描いたものとしても久しぶりか。普通に社会人として中産階級の恵まれた生活を送る男女四人の心模様。サティヤン・アンティッカードの都会版。四人とも普通の社会人だが、その家族の在り方はいずれも破格で、なおかつ程度の差はあっても過去に家族にまつわるトラウマを抱えている。否応なく思い起こされるのがKumbalangi Nightsだが、あそこまでの張りつめた緊張感と孤絶感はなく、フィールグッドなファミリードラマに留めた。この辺りがサティヤンの息子であるデビュー監督アヌープの選んだ中庸の道か。スレーシュの過去作への言及(オルマユンド~)とか、心憎い脇役の配置(ウルワシやKPACラリタなど)は、プロデューサーとしてのDQのサービスかも。ヒロインの「私はdecentだからお見合いで結婚相手を探すの」という台詞は何気に破壊力がある。カリヤーニに激しい既視感。どこで見たのか?

Majili (Telugu - 2019)をYTで。 

実際に見たのは同名のヒンディー語吹き替え版。普段はこういう見方はしないけど、やむをえない事情から手を出した。ただこれはオリジナルか吹き替えかを問うレベルの作品でもない気がする。予想通り問題はチャイで、相変わらず硬直した演技。しかしそれが「演技開眼」とか好意的に評されてるのを見ると目の前真っ暗。一番馴染んで生き生きして見えるのが高校生時代の部分だというのはPremamから変わってない(逆に大したことだが)。サマンタのしっとりとした好演は素晴らしいが、「自我を押し殺し耐えに耐える健気な妻」というのにはやはり肯えない。作中のホテルはタージ系のThe Gatewayだと調べて分かった。ストーリー展開の肝は主人公が初恋に破れるシーンだが、この経緯がモタモタしてスッキリしない。相手が「北インドの女の子だから」とかいってコンドーム持参で出かけるとか、問題あるだろ。やってきた彼女も結局何をしたかったのか分からない。そこから暴力沙汰に発展し、追っ手を避けるために独りで缶詰めになったGatewayの一室が失われた恋のメモリアルとか、よく分からん。

Sepet (Malaysia/2005)をYTで。 

ヤスミン・アフマドの傑作とされているものを英語字幕で鑑賞。日本語タイトルは『細い目』。さして長くはないし、英語字幕で充分だろうと思って臨んだが失敗。劇中の台詞は7割ほどがマレーシア英語で、それには字幕がついていないのだった。そしてその聞き取りに歯が立たず、重要と思われる台詞のかなりが分からずに見ることになった。しかしまあ、日本でも大傑作とされている本作、多民族社会に生きる若者の姿を写実的に描き、そこに民族差別への批判を盛り込んだと理解されているようだけど、実はかなりハイコンテクストな作品なのではないか。まずブーミプトラ政策が頭に入っていないと、ヒーローとヒロインとの間の格差が単に偶然の個人的なものとしか捉えられない可能性がある。まあ普通に、マレー人と中国系人がいて、後者の方が差別される地位にあるとか体感できないし。作中のタゴールや金城武が象徴するように、登場人物は皆が何かしらの形で越境の指向性を持っている。中国系ヒーローがやはり中国系の友人にプラナカンとは何かと説明する箇所が大変に興味深い。ここを中心として日本語字幕版を見直したい。

Sathuranga Vettai (Tamil/2014)をYTで。 

予備知識ゼロで臨んだ。テンポが良く、かなり考えられた詐欺師もの。ありふれた蛇を稀少種として売りつける詐欺から始まり、大掛かりなマルチ商法で水道水を健康食品として売りさばく詐欺。普通はそこから細く長くという戦術に切り替えるところを、また蛇詐欺をやって捕まり、裁判にかけられ、しかし実弾ばら撒き戦術によって無罪放免になったところを、かつて詐欺でコケにした相手に捕まって…と際限なく続く化かしの連鎖。マルチ商法は世界どこにでもあるが、それ以外の騙しの手口というのがインドならではのもので飽きない。口八丁手八丁の詐欺師が結局のところ正道に戻るまでの跛行をたっぷりと時間をかけて描くのだが、妙なユーモアが素晴らしい。たとえば蛇に映画スターの名前を付けるところなど。多くのシーンが田舎町か地方の半端な都市を舞台にしており、そこに蠢く欲深な詐欺被害者たちの描写にリアリティーがある。一方で、主人公が一時的に暮らす桃源郷のような農村は、ちょっと理想化が過ぎのような気がした。あれで生活が立ちいくならば、誰も都会のスラムには住まない。

Shiraz (Silent/1928)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はBFI。デジタルリマスターしたうえでアヌシュカ・シャンカルの音楽をフィーチャーしたもの。色々印象的なところがあった。キスシーンが二回(三回?)もあるとか、いわゆるイスラミケイト作品であるところとか。オステンのイマジネーションは完全にアラビアンナイトのもので、まがりなりにもヒンドゥー神話を映画化したダンガンとは随分違う。登場人物は全員ムスリムで、映像のソースはトルコ辺りのもののように見える。これは個人の嗜好によるものなのか、それともドイツ人とアメリカ人との差なのか。恋愛の情感表現は至極あっさりしたもので、逆に悪役女性のキャラが立っているように思えた。本作に限らず古映画で悪役が目立ってしまう現象は何なのか。その悪役を演じたシーター・デーヴィーがどう見ても一番「顔がいい」役者なのでその印象が一層深まる。それから、一切セットを組んでいないということだが、シャージャハーンの宮廷のシーンのロケ地はどこなのだろうか。あと、アーダーブの所作が現代の映画で見るのとは微妙に違っているように思えた。

Android Kunjappan Version 5.25 (Malayalam - 2019)、三回目の通し見。 

特に感想はないが、ラストシーンで、爺様が縋りつく息子のヘルメットが、直前に被っていたものとは別のものに変わっていることをやっと気づいた。本物のクンニャッパンのポートレートがほんの1秒ぐらい変わるところといい、ものすごく集中力を試すようなものになってる。現地の観客でも気づかずスルーしてしまった人は多かったのではないか。

Nasir (Tamil/2020)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はムンバイ国際映画祭。割と珍しいタミルの芸術映画で、なおかつ非常に稀なタミルのイスラミケイト映画。コインバトールで伝統的なサリーショップの店員として働くムスリムの男が主人公。この貧しい中年男の砂をかむような数日間が描かれる。エンディングでそれは彼の生涯の最後の数日間だったことがわかる。つまらない暮らしをしているように見えて、詩心があり、また熟年になっても妻を熱愛している。そして実子ではない知的障害のある子供を引き取り育てるという篤志家的一面も。この男に降りかかる運命の無残を理解するには、コインバトールのコミュナル紛争の歴史的事実と、タミルで勢力を広げようとしているヒンドゥー・ムンナニについての知識が要る(画面中に何度か登場するガネーシャ像の意味合いなど)が、外国の映画祭、いやムンバイ映画祭でも、観客にそれを求めるのは多分無理だと思う。かといって、事前にそれをレクチャーしてしまったら感銘を削ぐことになるだろう。このあたりが、作品の文脈の解題と映画的なライブ感とを巡る難しい問題。

Falaknuma Das (Telugu/2019)をUSAPで。 

Angamaly Diariesのリメイク。タイトルから真正のテランガーナ映画だと予測して見てみたところ、大当たり。ハイダラーバード旧市街を舞台にした作品は今でも珍しく、ちょっと思い出すぐらいではOkkadu (2003) ぐらいしか出てこない。原作でコッチ郊外のクリスチャン養豚業者として登場した主人公は、ここではファラクヌマのヒンドゥー教徒マトン精肉業者となった。ファラクヌマといったらタージ系列の宮殿ホテルのイメージ(ラストで壮麗な姿が空撮で眺められる)だけだが、周辺にはこんな雑駁な世界が広がっていたか。特に巨大な羊マーケットが壮観(ただし実際にあるのかは不明)。現地レビューは渋い。こういう作風はテルグのエスタブリッシュメントには気にくわないのか、それともやはり原作には及ばないプロダクション・バリューがシビアに評価されたのか。原作と比べて明らかに落ちるのはクライマックスの1シーン1カットの長回し。モニタで見てるというのを差し引いても歴然と劣っていた。そういってもHYD旧市街の混沌と汚濁を描き出したのは特筆もの。

Kannum Kannum Kollaiyadithaal (Tamil/2020)をNTFLX で。 

英語字幕付き。全く予備知識なく見た本作、本格的なヘイストものと分かり吃驚。トリックはハイテクを取り込んで良く考えられたもの(多少うまく行き過ぎの感があるが)。ただ軽快なクライム映画としては2時間40分は長すぎでダレる。オープニングでDQ25などと謳われるが、タミル映画界ではDQはまだ2軍に毛の生えた程度なのだというのが、脇役の布陣などで見て取れる。チンケなサイバー犯罪を重ねて気楽に暮らす2人組vs色仕掛けで油断させて置き引きする2人組、どっちもショボいのが手を組んで麻薬王から大金を盗み出すというストーリー。インド映画を見てると倫理的規範の開示がどこかにあるものと思い込んでしまうが、本作は最後まで現生マンセーで、それが劇的に正当化されてないのが引っかかった。ガウタム・メーナン演技は硬いが役には合っていた。アニーシュ・クルヴィラは無駄遣いという感じ。ラスト近くのシーンはDQのツーリング映画の引用か。GMのUnnaithaandi Varuvaayaの劇中歌も茶化すように使われていて笑った。

Natkhat (Hindi/2020)をYTで。 

WeAreOneオンライン映画祭の一環としての配信。提供元はムンバイ国際映画祭。ヴィディヤー・バーラン製作・主演の31分の短編。いや短編映画のお手本と言っていいような見事な一本。ヴィディヤーのMotherIndia的なドーンとした押し出しにまず感銘。メッセージは100キロ先からでも分かる説教映画だが、そのプレゼンテーションが心憎い程に巧み。少女のお下げを切るシーンの意味するところは火を見るよりも明らかだが、リアルな恐怖感が伴う。母が息子に話す御伽噺は単純だが恐ろしく含意に富んで深い。食卓を囲む男たちの短い会話とその立ち振る舞いによって、彼らが代表する病巣の部分がくっきり浮かび上がる。「ラーマーヤナとマハーバーラタ以外のTVを見せるな」という祖父の台詞には逆説が潜む。最後にエンディングロールのキャスト紹介によって引っくり返るという演出。

An American in Madras (English - 2013) をYTで。 

以前から海外のNTFLXで見られるようにはなっていたらしいけど、晴れてYTで公開されて嬉しい。7年越しの想いが実った。画面は隅から隅まで(1930年代の映画作品の抜粋も含め)ピカピカに美しい。ダンガンには自伝があってそちらの方がもちろん情報量は多いが、あくまでもダンガンの自分語りで触れられない部分もあった。本作では様々な人の証言が集成され、若干の批評性(たとえばプラバ―ト・フィルムとの比較とか)も加わり、多角的なものになっている。フィルム・ニュース・アーナンダンやPKナーヤルなど、もう既に向こう側に行ってしまった人の姿もあって、まあこの作品のギリギリ間に合った感が迫って来る。ダンガンはMGRに対しての恩人なのだと思っていたが、そうでもなかったというエピソードが新鮮。脚本家としてカルナーニディが登場したPonmudi (1950)がDMKイデオロギーを前面に押し出した最初の作品になったなどという知らなかった事実も。ハイライトは何と言ってもMSの主演した2本の作品にまつわる部分と再会に関するところ。

インド映画のディスクから配信への流れはコロナ禍で加速しただろうし、 

もう抵抗してもしょうがないという諦めはあるのだけれど、この不安定感は何だろう。まずIPアドレスによる壁があり、課金制度があり、なおかつ配信の期限というのがどうなってるのか分からない。それから、とあるサービスでは字幕がなく、また別のサービスでは字幕付きだがカットされているとか、余りにも混沌とした状態。それに比べると音源の方は、まあだいたいいつでもYTかVimeoにあるし、民間ボランティアのアップロード()もあって、映像とは異なり不安感がない。どうしても物理的に所有しないと落ち着かないという煎りたてるような感じはないのだ。映像も音源並みに落ち着ける日が来るのだろうか。

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