『オクス駅お化け』※動物無事 

ゴシップwebニュース記者の女性がバズるネタを求めに、オクス駅に現れる子供やオクス駅での自殺者を調査し始めるも、呪いは拡散していく。
脚本の高橋洋味が非常に強く、終盤まで韓国版現代『リング』といっても差し支えない。韓国におけるパワハラが色濃く反映された復讐譚となりスッキリ終わるはずなのだが、呪いの根源となった事件が非常に後味悪く、厭な気持ちを引きずらせてくれる。
蜘蛛の糸を求めて呼ばせるという呪いの決まり事が物悲しい。
あるシーンが非常に迫力があるので、劇場で見るとなかなかよい体験ができるのではないか。耳キーンとしますよ。

大いなる自由 ※当方による下品な表現アリ 

恋人を自殺によって失った悲しみを受け止めるための抱擁。薬物を体から抜く苦しみを和らげるための抱擁。

ハンスとヴィクトールは性的な関係を結ぶが、互いにとって互いが性愛の対象というよりは、信頼と親愛で結ばれたのではないか。
監獄というホモソーシャルな環境下だが、彼らの関係はホモソーシャルもしくはホモセクシュアルではなく友情だと考えるのは、些か美化しすぎであろうか。

ゲイバー地下のフリースペースは、海外では一般的な仕様と聞く。それにハンスは男子トイレでの性的接触を頻繁に行っていたことを考えれば、あの形態の場も彼には問題のない場であったはず。
自分を縛り付け、恋人を死に追いやった憲法の改正。唐突に知らされ、与えられた自由は、彼にとって居心地の悪いものだったのかもしれない。

懲罰房で灯るマッチと煙草の火。肌に刻まれる墨。寒空の下、覆った毛布の内側で触れる指。
撮り方が非常に好ましい一本だった。

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大いなる自由 ※当方による下品な表現アリ 

第二次世界大戦後の西ドイツ。男性同性愛を禁じる憲法175条によって、強制収容所から直接刑務所へ送られたハンス。同条違反により何度も刑務所へ送られる彼は同性愛者嫌悪(当時はこの反応が普通だろう)のヴィクトールと長い年月をかけてかけがえのない友情を築き、互いにとってなくてはならない存在だと気がつく。

冒頭のトイレちんしゃぶ描写が汚えと耳に挟んだので見に行ったが、性愛を親愛が超える非常に趣深い映画だった。
何が起こったか、何を思ったかを直接台詞にすることなく、表情と撮影で読ませる。久しぶりに映画らしい映画を見た。
ハンスが収監された3つの時代が組木細工のように組まれ、二人の関係を情緒豊かに知らせる。

憲法改正により釈放されたハンスがゲイバー『大いなる自由』にて、地上地下ともに同性愛を謳歌する彼らに背を向け、防犯ベルのけたたましい音を聞きながら煙草を土産に待つラストは非常に感慨深い。
ヴィクトールがハンスを支えたように、ハンスがヴィクトールを支えようとする。年老いたからこそ辿り着く悟りのような諦観のような。

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー ※メモ 

痛みとセックス、内蔵への欲情よりも摂食についての物語ではないか。
イート・チェアという消化補助器具が出てくるが、腰掛けている間はがたがた揺れ、まともに食事を取ることができない。本作の食べることへの不快さはヤン・シュヴァンクマイエル並だ。(個人的にすげえ不味そう第一位は『オテサーネク』)

そうした中で、猛毒プラスチックバーをかじり涙を流すヴィゴ・モーテンセン。椅子の停止は生命維持ができなくなったことで消化も不要となったゆえのもので自らも肉体からの解放を喜んでいるのか、臓器多産性質の彼はすでにプラスチックを消化する術を得ており、ようやく食べられるものを得たことによる安寧の涙なのか…。

まとまりがつかないのでどうしたらいいのかわからんこの頃です。
裸のランチ4K楽しみですね。

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クライムズ・オブ・ザ・フューチャー ※メモ 

どのように見るべきか未だわからない一作。
単純に、痛み=快楽、内蔵の美ではない気がする。息子クローネンバーグの方がわかりやすい映画を撮っていたことよ。

無痛の世界ゆえに身体を切り開き、世界と接することが悦楽として処理されるのか。同じ苦痛を味わうこと自体がセックスであり、他者に人体が切り開かれることはセックスと同様。ただし何も産まない。
臓器の生成が身籠ることと同義ならば、処女懐胎か? しかしそれらは人体で機能し続ける前に摘出され見世物となる。

マイクロプラスチックをすでに人体に取り入れている現人類。身から出た錆である有害なプラスチックを食物として摂食する大義は頓挫する。政府は人間のさらなる進化を望んでいない。

K.G.F ※とりとめのない書付 

人望、権力、金と母親が願ったあらゆる物を手に入れても、愛した女とその子供、人並みの幸せな家庭を築くことはできなかった。父親になれない英雄。どこまでも個であり続ける。

全てを得て全てを失う様は『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を想起させたが、CHAPTER3があるのは夢のような泡のような結末だと感じた。

ロッキーの存在を完全に抹消する必要が最後まで感じられなかったが…アメリカ政府の管理下(?)となったロッキーを逃がすため…ではないであろうし。

主人公の圧倒的なカリスマを示すためには、多数の群衆の力強い演技が必要なのだとひしひしと感じた。モブのみなさんが感情豊かに演じるからこそスターが輝く。

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K.G.F ※とりとめのない書付 

たまたま時間が合ったのでCHAPTER1&2をぶっ続けで見る。情報の洪水で頭がくらくらしている。予告編すら見ずに鑑賞したため、ポスターからは想像できない陰惨な物語だった。

劇中人物も語っていたが、ロッキーの一大叙事詩でありつつも、情に厚く欲に忠実なロッキーを作り上げた帝王哲学の持ち主である母親の物語に思えた。ロッキーを奮起させる存在として何度も登場する。ヒロインがラストを飾るための添え物。

存在を抹消された「ロッキー」の物語を聞く現在パートから、語り手によるロッキーの生い立ちの過去パート。更にロッキーが母との過去を思い出したり、語り手が自身の過去や時系列から外れたロッキーの過去を語るため、CHAPTER1では非常に混乱した。現在パートでも語り手が倒れて息子にバトンタッチするなど、何かと慌ただしい。特に序盤のKGFを巡る権力争いの説明は、誰が誰なのかわからなくなり困った。

CHAPTER1はロッキーがKGFを掌握するまでを描くため、場面ごとの語りが短くPVを見ている気分だった。2作通して暗転が多く、流れが切れる感じがする。

サクッ さんがブースト

K.G.F:Chapter 1(Kannada/2018)をチネチッタ川崎で。 

それ以外は、まあ良識派が非難してやまないトキシック・マスキュリニティの特濃原液。ボリウッドが柔弱になるのが気に食わない北インドの大衆にバカ受けだったのはよく分かる。

成人したロッキーが画面に現れてから最初のソング(確か)で皇帝と讃えられるのは、学者が言う「まだ何事も成し遂げていないヒーローがリーダーとして讃えられる」の見本だ。その讃仰の重圧に耐えられるカリスマを持つ役者だけがヒーローになる資格を持つ。

貧しかった過去への復讐はストーリーの中心だし、メタな視点ではダサいと馬鹿にされ続けてきた過去に血涙で叩き続ける絶縁状のようなところもある。

そしてあの「ロッキーの野望のテーマ」と勝手に呼んでるあれがアラビックな旋律なのは、伝説のボンベイ・ムスリム・ギャングへの憧れなんだと思う。

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感染 

2004年から始まった、Jホラーシアター企画の一作。『日本のこわい夜』との連動ならびに、『世にも奇妙な物語』内『急患』を下敷きとする。

経営状態が逼迫し、いつ閉鎖に追い込まれるかの瀬戸際となっている病院で、医療ミスが発生。医療ミスの隠蔽を図る中、未知の病原体に侵された患者が緊急搬送される。緑色に変化した体液を垂らしながら全身が溶けゆくその患者は病室から抜け出し、院内に感染が広まっていくことに。一方、医者たちは病原体を調べることで、功績を上げようとするが全滅する。

とにかく俳優が豪華。急患が運ばれる前から病院内がギスギスし、建物は古く暗く、陰湿で非常に厭らしい。
罪悪感から感染する狂気に侵された看護師や医者が自罰する形で自傷し、緑色の体液を撒き散らして内側から破裂する。
話題のゴア描写や体液の汚らしさよりも、逼迫した経営状態の病院に勤務する看護師たちや、医療ミスを隠す医者たちの焦りが恐ろしい。

「感染すると緑色の体液を流す病院ホラー」は、ドラマ『コワイ童話』の『みにくいアヒルの子』があり、勝手ながら関連付けてしまう。
当時は怖くて挫折したが、見られるようになってしまった…。

オカルトの森へようこそ 

白石晃士監督ユニバースの総括ともいえる、モキュメンタリーPOVサイコホラー。長時間集中して見続けると手ぶれで酔う。

『オカルティズム』で一世を風靡したものの、燻るホラー監督黒石の下に心霊動画が送られる。取材を行う最中、異常な超常現象がつづき、神を降ろそうとする『祟りの森』たるカルト集団へ潜入する。
『オカルト』→『カルト』の暗渠的続きなのでは?と思わせる「霊体ミミズ」の出現に「NEO」を思わせる最強金髪霊能力者、異界の神を呼び寄せる儀式の招き猫風動作の「ァア〜」。『コワすぎ!劇場版』と『カルト』で見られた超常現象とバトルの釣瓶打ち。異界の神降ろしの本格的阻止と、超常現象バトルはあまりに長いし回数が多く飽きる。
「少女含め全員殺せば蘇る」と告げて殺される能力者を信じて大量殺人を行う流れは、『ある優しき殺人者の記録』。結果として最善の方法だったが、倫理的に危ういのではと落ち着かなかった。
バス逃走、銃火器で対応する宇野祥平のキャラクターがよかった。

「異界の邪神降ろし」をほぼ同じ表現で何度も映像化する白石晃士こそが、異界の邪神を降ろしたがっているのではないか。

死霊軍団 怒りのDIY 

新型コロナ感染症の影響を受けた映像作品に関わる仕事人が継続的に仕事ができるようにと用意された、SONYピクチャーズ主催のオムニバス映画『DIVOC-12』の一本。
THEジャンル映画。他の12本に対して、この一本だけバリバリの娯楽作品で異色だったと聞き、非常に気になっていた。

空手部に所属しDIYが趣味で、武器および体術に優れたホームセンターアルバイター清野菜名が、ホームセンターを舞台に突如発生したゾンビ的感染者をなぎ倒していく。同時に、強すぎて恋人ができない清野の強さに異性が惚れることで、女性らしさではなく彼女らしさを肯定する。

低予算かつ10分間の短い時間で、娯楽作としてきれいにまとめ上げている。見栄や外連の取り入れ方が上手い。
ゾンビたちが『スリザー』よろしく合体し、巨大な怪物になったのをチェーンソウで斬るという、ジャンル映画のツボを抑えている。ゾンビの手足がぱらぱらと千切れ飛びながらも、安さを感じさせない。
新型感染症が流行った!それならゾンビだ!という安直な発想が好ましい。
監督が『先生!口裂け女です!』の中元雄だったため、納得した。

恐怖人形 

巨大市松人形がチェーンソウを持って襲いかかってくることで有名なアイドルホラー。

十万円の報酬に釣られてコテージに集まった若い男女。彼らは幼い頃にサマーキャンプで少女の市松人形を燃やしていた。一心同体ともいうべき市松人形を燃やされた少女はショックのあまり衰弱死。少女の両親は復讐のため彼らを集める。

胸に抱く程度の市松人形がどんどん大きくなっていき、成人男性以上の背丈となって若い男女を血祭りにあげる。包丁やハンマー、紐で絞殺など殺し方は単純だが豊富。
コテージでの復讐は『13日の金曜日』、死体をテーブルに並べて晩餐を行う、巨軀がチェーンソウで追いかけるのは『悪魔のいけにえ』を想起させる。

市松人形の巨大な着ぐるみが凶器片手に迫る様は冗談にしか見えない。しかし、持ち主を殺された市松人形の呪いであるから仕方ないと見守っていくと本当に着ぐるみだったので (゚Д゚)ハァ?
市松人形の両手足を縛って笑いながら「僕を呪え〜」と痛めつける、唐突な心霊研究家の登場も混乱を招く。カオス

ミュージカル『刀剣乱舞』にて三日月宗近を演じる黒羽麻璃央が突然角材で市松人形相手に剣技を振るう様に笑った。

リング 

鈴木光司の出世作であり、Jホラーブームを巻き起こしたキラーコンテンツ。
『女優霊』の監督中田秀夫と脚本高橋洋のタッグで送る、呪いのテープを巡るタイムリミットサスペンス。

映画を見ていなくとも内容は知ってしまっているので、恐怖よりも観光地に赴くような気持ちだった。
ここで怖がって下さい!という場面で仰々しい音楽が入るので、親切でもある。
問題の呪いの動画部分よりも、動画視聴者の顔が歪む写真、見える真田広之のもとに現れる薄汚れた白いパンプスの足といった、細かな演出が光っていた。室内撮影時における、気に留めるほどでもないが不穏さのある薄暗さだとか。
もはやコメディとなってしまった、井戸から出てくる場面は、しかし顔の見せない相手が唯一見せる狂気に溢れた眼力が色褪せない。

呪いの元凶である貞子を成仏させれば呪いは消えるだろうという、古来よりつづく因果の定理から、ある動作を踏まなければ解放されないという機械的な手段を踏まなくてはいけない点で、情が入る余地を無くしており、画期的だったのだと考える。
目的を失った呪いの複製と拡散、それ自体が目的である呪いというのは、今なお新鮮で面白い。

夏は薄暗い部屋に籠もってホラー見るのが楽しいっすね…

地獄少女 

『なかよし』連載漫画を原作とした実写ホラー映画…のはずが、監督白石晃士によりモキュメンタリーホラーシリーズ『コワすぎ!』のスピンオフとなっていた。
少女時代に地獄通信を用いた母親を持つルポライター工藤仁と、親友を救うため地獄通信を用いた高校生市川美保が中心となって話を動かす。登場人物の名前だけでも噴飯ものだが、白石晃士作品に通底する「異界の神(邪悪な心霊存在)を呼び出す/呼び出させる」というテーマがこの作品にも表れている。ただし、今作でその行為は一個人の妄想として一蹴される。儀式を行う前に阻止されたことで実体化できなかったのかもしれないが。
地獄へ堕ちる際の通称「雑コラ空間」、地獄で受ける「霊体ミミズ」風表現など、『地獄少女』の皮をかぶった『コワすぎ!』としか思えないのだが、当時の反応はどうだったのだろうか。

環ティナの人外じみた容貌が発揮される閻魔あいが非常に美しく、物語に説得力を持たせていた。
『ちゃお』を思わせる少女漫画的な強引なストーリーは、ホラーキラキラ映画とも呼べなくはない。
ステージ上の歌手を滅多刺しにし、挑発する手紙を送る通り魔とその母親が非常に良かった。

マキタスポーツの汚え飯の食い方が最も印象に残っているかもしれん…
見ていて、うわあオッサンだ…ってなる、いい飯の食い方だったんですよね
持ち帰りの牛丼ばかり食っていたし

マキタスポーツの役は、報酬も貰えたしライブ会場にもいないしで、一人勝ちしたかもしれん

ミンナのウタ、マキタスポーツの汚え飯の食い方がよかったです。マキタスポーツがGENERATIONSを調理する立場だったというか。
昭和対令和?(彼女は平成)価値観の対立と理解が1つのテーマだったのではないかと。

せっかくの本人役なのに、GENERATIONSの面々は『アイドルのオフの姿』『アイドルの姿』しか与えられていなかったのが勿体ないというか。ブランドイメージを傷つけも広げもしない役。怪異に驚き、怖がるだけのアイドルで、どのグループでも代わりがきく。
怪異の発端となる小森と、怪異を解く側の白濱は演技時間が長いが、記憶に残る演技ではなかった。

早見あかりは『シロメ』のラストシーンであるももクロライブの後に、怪異に憑かれる役でもあったので、レコーダーでライブ会場の音源を聞かせていたのは、そちらに寄せたのか。

ギャグなのかわからないが、幼い弟で彼女の媒体でもある「としお」くんは、やりすぎではないでしょうか…
無限リピートする実家の家族の様子といい、彼女に取り込まれて使役されていそう。呪怨の例を紐解くならば。

ミンナのウタ ※猫殺害匂わせアリ 

LDHのプロモーションシリーズこと、HiGH&LOWおよびPRINCE OF LEGENDにて顔と名前をなんとなく覚えたGENERATIONSのメンバーが本人役で怪異に見舞われる、夏のアイドルJホラー映画。
安心の映倫Gを目指して、あからさまな裂傷・ゴア描写は避けた上で、凄惨な自殺・殺害を打ち出している。胎児・妊婦へのサウンドアタックは、生理的嫌悪を及ぼして良かった。
万人が楽しんで怖がれる商業Jホラーとして及第点だと感じるものの、ビデオ版劇場版呪怨のあらすじやショック描写、特に現場となった家で過去を幻視し、怪異の本丸と邂逅する流れは、呪怨としか言いようがなかった。生前から危険な思想の持ち主が死後怪異となる点も、電波ノート記述の点から寄せている。
報酬をもらえる解決のリミットカウントダウンはリングであるし、虐げられたと思われた者が実は虐げていた流れは着信アリを想起させる。

正直、ここまで呪怨の内容で新作を作っていいのか…?と不安にかられながらの鑑賞だった。
せっかくアイドルに祟ったのだから、ライブ会場で彼らに呪いを電波させ、阿鼻叫喚の観客が見たかった…

ザ・ハント 

自分の正義こそ正しいという視野の狭さを考えると、『ゲット・アウト』にも共通する点がある

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ザ・ハント 

上映時の大仰な宣伝によって当時見る気をなくしていた一本。期待値が下がっていたので、意外と楽しめた。アダム・ウィンガードの『サプライズ』を前半にして、二本立てで名画座で見たい。新世界国際劇場であれば「庶民を弄ぶド外道所業許しておけぬ!死ぬのはお前だ!」等と楽しいキャッチフレーズを付けてくれることだろう。
鼻持ちならない金持ち似非リベラルの冗談チャットを真に受けた陰謀論者たちがネットで糾弾。社会的地位を失った似非リベラリストが、陰謀論者たちを拉致して彼らの望む人間狩り荘園ゲートを実現させる、夢のようなお話。
スラッシャー&サバイバルガールジャンルの定石を中盤まで外し、撒餌を軽快に散らしていくさまはジャンル映画として非常に楽しめる。全力のキャットファイトは大変満足感のあるものだった。
キモノガウンを前に文化盗用と罵りつつ、保身のために有色人種もターゲットにするあたりで似非さが透けて見える。
似非リベラルも保守派の陰謀論者も笑い者にするブラックな一本だった。
客室乗務員に対するの扱い、眼の前の人に対等に接する姿勢が全てなのだろう。
腹の裂傷をバーナーで焼く描写が非常によい。

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映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。