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Sarkaru Vaari Paata (Telugu/2022) を川口スキップシティで。 

読みにくい英語字幕でだんだん筋が追えなくなっていった。まじめに働いてる庶民が一生かけてコツコツ貯金しても病気だのなんだのの椿事で簡単に財政状況が悪化し、借金漬けとなりついには住処を手放すことになるのに対し、悪徳実業家は銀行から多額の借り入れをして返済をバッくれても影響力を行使して罪に問われず、銀行の融資担当者を人身御供にして逃げおおせることができるという不平等を糾す、という趣旨であることは分かった。マヘーシュは相変わらずのクールガイぶりで、弱みや愛嬌をほぼ出さないヒーロー造形。一番の見せ場はbank noticeをデコトラに乗って金融犯罪者のところに届けに行く粉砕走行シーンか。キールティはアホの子ちゃんとして出てきて、途中からしおらしくなるのか、あるいは隠された真の性格が出るのかと思ったら、最後まで悪い子のまま(ただし親父が悪すぎてまともになる)で新鮮。まあただ、金融犯罪を扱いながら最後は肉弾戦になるのは同じサルカールでもヴィジャイのものとは異なる。そっちで行くなら悪役も血祭りにして欲しかった。

CBI 5:The Brain (Malayalam/2022) を川口スキップシティで。 

悪評を散々読んでしまっていたけど、そしてかなり分かりにくいストーリーではあったけど、そんなに酷い作品とも思えなかった。特に終盤キャラの立った悪役が出てきてからはメリハリが生まれた。ただし、怪しい人間の怪しいエピソードを撒餌としてばらまきすぎたため、回収されずに途中で消えてしまったエピソードがあったのではないか。女弁護士を巡るものとか、行方不明のムスリムの男とか。トリックの要の心臓ペースメーカーも、あの人がつけているという説明あったっけ?ぐっと来たのはほんの一瞬セードゥラーマが自宅のプージャー・ルームでお勤めするシーン。ジャガティの登場シーンは単なる同窓会的な記念撮影かと思ったけど、ちゃんと必然性があって捜査の重要な転換点となるものとして組み込まれていた。全身の麻痺は、共和国歴代首相の不自然な死の真相に肉薄しすぎたために謀殺されかかったというエピソードとなった。以前見たOneもそうだったけど、踊りはおろか歌もコメディーもない160分をエンターテインメントとして受容するケーララ人はやはり凄いと思った。

Heropanti 2 (Hindi/2022)を川口スキップシティで。 

先月末に公開されて酷評の嵐だったので、インド人観客は10名以下だった。しかし日本人女子が30名以上はいて、お約束の祭壇も作られてた。2014年のHeropantiは見てなかったのだけど、Paruguのリメイクか。ということは、今日見た2は第1作とは全く無関係ということじゃないか。主人公の名前が同じ、1のヒロインのクリティ・サーノーンがエンディングでケバい踊りをするというので無理矢理にシリーズ化か。タイガー映画にストーリーやエモーションなどを端から期待していないから平静に見てたけど、単純な話なのに過去と現在の切り替えが下手で、何がどうなってるのか分からない(識別子はヒロインの髪型だけ)というのは監督の無能と言わざるを得ない。諜報機関のデスクのカーンが途中でいなくなったりやっぱり出てきたりの理由が分からない。ヒロインのデーシー版パリス・ヒルトンみたいなキャラは膨らませればもっと面白くなったはず。終盤は特にそうだけど、格闘系のゲームみたいな画面構成で、まあこういう映画を観たい客層もあるのか(自分は関係ないけど)と思った。

Kaathuvaakula Rendu Kaadhal (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

悪評判は聞いていたし、予告編を見てもぬるま湯ぶりは分かったので過大な期待無しで臨んだ。両手に花の三角関係をどう処理するのかに興味があった。両方とも幸せにするために結婚してあげるとか、どちらをより愛しているかが最後の瞬間に分かってあぶれた女が譲るとか、「どーなるのこれ?」で結末をばっくれて終わるとかが考えられたが、3人とも独り身のままという、歯切れの悪い結末。主要登場人物の多くがムスリム、ベンガル系などのマイノリティー中心なのは何か意味があるのか分からなかった。オープニングのクレジットからナヤンターラvsサマンタとしてvsからVJSのフルネームが浮かび上がってくるなど、言葉の遊びが全編に溢れ、翻訳者泣かせになるだろうなという感触。おかんセンチメント担当でシーマが出てきて吃驚。お得意の多重人格ものとして進めておいて、途中から嘘でした、どっちも好きだからというのは妙な引き延ばしで、不完全燃焼。フィールグッドな恋愛物語二つを一人の男が体験することによる不気味な変質をもっと追及してほしかった。

KGF2のヒットよりもヤシュの毛髪量に嫉妬を感じてるスターはいるはず。

K. G. F: Chapter 2 (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

本国での熱狂が異様に高かったというタミル語版。基本的に同じはずなのに英字幕が早くて追うのが大変、北インド人キャラが口にするヒンディー語はミニマム。カンナダ語の新聞の見出しがそのまま画面に出てきた。前回思いついだコピーは結局浮かばなかった。煤煙と硝煙で冥く煙った曇天、逆光の中に屹立するハンマーを持った神というイメージへの執着はよく分かった。ロッキーとアディーラの闘いが綺麗なシンメトリーになっていることも分かった。その対決の第一ラウンドで、白スーツのロッキーがリーナーを取り戻すために雑兵と戦うシーン、死屍累々なのに白スーツがと汚れていないとか、神話映画っぽいところも気づいた。さらにアディーラに一撃を喰らったあと中東でカラシニコフを大量に購入してくるくだり、アルジュナが天界でシヴァ神などから神的な武器を授かる挿話を思い出させる。最後に結局残るのはロッキーの母の異常な意思の強さで、それを極貧という状況が際立たせている。アディーラがヴァイキングに憧れていたという説明もなんか凄い。金のモチーフもさらに目についた。

『サニー 永遠の仲間たち』(2011、써니)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。いわゆる同窓会映画で、ノスタルジックな感傷、映像の上で現在と過去を交錯させる(1ショットの中で)技法、懐メロ、そしてラストの邂逅などなど、全てが予測の範囲内でありながらも上手く見せる。似たような題材を扱った『最善の人生』(2021)でも思ったが、女子学生の間での愛憎のすさまじさは印象的で、淡い初恋エピソードなど吹っ飛ばす勢い。過去のエピソード部分は1980年代後半のソウル。全斗煥時代の末期という設定。ヒロインの兄は労働運動家で全政権反対デモにも参加するような熱情家だが、機動隊との衝突のシーンで、女の子たちの対立グループ間のもみ合いが始まるというの、多分に楽天的だが思わず笑ってしまう。またヒロインの一家が全羅道出身者で訛りをからかわれているというのもあり、字幕は結構苦労だったと思う(東北弁を適当にアレンジしたのもが用いられていた)。現代のパートで、病院のTVで流れている連続ドラマで、愛し合う二人が実は兄妹だったという怒涛の韓流展開のシーンで、かたずをのんで見ていた一同が頭を抱えるというシーンがウケた。

セシボン(쎄시봉、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。1970年代のポップシンガーたちが主役の青春映画。実在の伝説のヴェニューをモデルにしたものだという。イケメンと実力派、二人のソウル在住シンガーをコンビにするにあたって、もう一捻りを加えるために取り込まれた忠武出身のギターも弾けない田舎者が主人公。そして彼らに楽曲を提供するもう一人の若者、女優志望の美人が絡んでの青春模様。ポップといいながら、ドニゼッティのUna Furtiva Lacrimaが出てきたり、「大きな古時計」を切々と歌い上げたり、一々思い出せないけどスコットランド民謡みたいなのがあったりで吃驚。ハーモニー重視の教会聖歌隊の世界に近い。そして元ネタが分かるというのはつまりほとんどが西欧世界の音楽のカバーだということ。歌声酒場的(酒の提供はないが)健全歌謡、そこにいわゆるグルーピー的な女性ファンが群がる不思議ワールド。知られざる韓国ポップ史を覗いた気分。しかし青春メモリーのあちこちには、夜12時のカーフューとか、ミニスカ狩り(よく分からないけどそんなのがあったのか)などなど、厳しい時代の足枷が見え隠れする。

K. G. F: Chapter 2 (Kannada/2022)を川口スキップシティで。 

川口のゆったりシートと美麗画像、迫力音響で見たため、そして、二度目ゆえに細部にまで目配りができたため、印象がぐっと良くなった。途中ではこの台詞はどう訳すかとか、煽り文のコピーなどが思い浮かんだのだが、劇終で綺麗に忘れてしまった。ヤシュは4年前と比べると額に縦線演技が上手くなった。ソングシーンで踊らないのも見識。細かいところで分かったのは、最初のシーンでベッドで苦悶する人物はアーナンドだということ。しかしアーナンド退場の意味はよく分からない。父と疎遠だったという息子が現れて父と同じ内容を語り出すのは変な設定。それからヘリコプターとパーパルの関係。またパート1でリーナーが初登場で金の服を着ていた件、パート2でのロッキーのバイオレンス演説のところで辛子色のスーツが最後の方で金色に光っているのに照応しているなどなど。幼少期の憧れだったシェッティの玉座に座って下さいと言われて座らず、オットマンとして使うとか、金のインゴット一枚のために機関銃ぶっ放して煙草に着火とか、そういう格好のつけ方がいちいち凝っていた。

Beast (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

久しぶりの満員に近い活況。開映前に注意してもお構いなしで叫ぶ連中が一定数いた。ネルサンらしい雑なアクション。昨年11月のDoctorと同じで、アクションの見せ方、コメディーの入れ方に癖がある。ヴィジャイ、それに北インド人設定のキャラクターのヒンディー語セリフ率は空前。英語字幕で追ったタミル人観客もいたはず。軍人を主役にするサウス映画の常で、北インドにはムスリムのテロリストと、バランスをとるために投入される無辜のムスリム女性しかいないことになっている。RAWの隊員がラージャスターンでの任務にあたっていたが、民間人の巻き添えもやむなしとして強行された作戦にトラウマを受けて除隊し、チェンナイでは民間の警備会社に入るがそこでモールのハイジャック事件に巻き込まれるというプロット。物理法則無視でいかなる弾丸も避けられる主人公が百発百中で敵をなぎ倒す。モールでの攻防をもっと緊迫感をもって描き(Helenほどにも緊迫感がなかった)、エアフォースの部分はなしにした方が良かった。シャイン・トム・チャッコーと例のお婆ちゃん、二人のケーララ人俳優も。

Dil Bechala (Hindi/2020)をオンラインで。 

スシャーントの遺作で、何やらラジニ関連だという程度の知識で観てみた。キャンサードラマ(しかもキャンサーは開始直後に明示される)で吃驚。ハリウッド映画The Fault in Our Starsの割と忠実なリメイクだという。設定は妙に凝っていて、ジャールカンド州ジャムシェードプルが舞台。ヒロインはザンビアで生まれインドに戻ってきたベンガル人というもの。ベンガルの外にいるベンガル人で、両親役は二人ともベンガル俳優、しかし台詞はヒンディー語。こういうの、ヒンディー語圏の観客はどういう風に見るのか(本来はベンガル語だけど、観客の利便のためヒンディー語にしていると思うのか、それとも実際にヒンディー語を喋るベンガル人なのだと思うのか)。しかし、リメイク元があるとは思えないような弱いストーリー。ヒーローのラジニマニアというのが活きていない。途中からどっかに行ってしまう。変な踊りを踊りながらの初登場シーンも不発。スシャーントのお通夜にしみじみ観るにはいいかもしれないが。ヒーローの祖母役にマラヤーラム語映画界のお婆ちゃん俳優が出ていて吃驚。

K. G. F: Chapter 2 (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

本国と同日のFDFS。インド人(ネパール人も?)が荒れてて不快だったけど、一方でお行儀のよい日式マサラ上映よりもナンボいいかと気を取り直す。168分間、ヤシュは例の調子で格好をつけまくって、あまり好きじゃないけどここまでくるとお見事と感じた。ストリートで身に着けたという設定だろう英語もナイス。ヤシュのマチズモ金字塔おったてと同時に、PN監督が好きな映像的な実験が200%詰め込まれていた。内容があるかと言われればまあ無いが。終盤でのラスボスの開示はビックリでお見事。そこに行く前には1984年のインディラ暗殺事件が頭をよぎったが、それに落とし込まずに上手く処理した。ソングもどれもがスタイリッシュに演出されてカンナダ映画離れしてる。一番良かったのはGagana Neeで、おかんセンチメントを抑制しながらも放出。ラブソングMehaboobaも、強面がとつぜんデレデレみたいなことをせずにどこまでも抑制抑制。もう全編にわたって「カンナダ映画がドン臭いみたいなことを絶対に言わせんぞ」という強迫観念のようなものが感じられた。

Shikara (Hindi/2020)をNTFLXで。 

先日のTGF以来、一種の宿題としてカシミール・パンディットものを見ている。これはKPのエクソダスを背景にしたロマンスもので、テーマは一番近い。ロマンス部分には出来すぎて作り過ぎた感じがあって甘々だが、俳優の力で見せるものになっている。はっきりと年号を表示して描かれる歴史的事件(たとえばブットー首相の演説なども織り交ぜられる)は、問題の概要を知るのにありがたい。それから「インドに行く」という空間認識なども。ARRが総指揮したという音楽は"Shukrana Gul Khile"が素晴らしい。これまでに見たことのないKP女性の宝飾品のつけ方とかも。一番衝撃的だったのはヒロインがローガン・ジョーシーを作るところ。調べてKPは肉食を忌避しないと分かった。「バラモンの中のバラモン」、ネルー家に代表される、白皙で知的でプライドの高い人々というイメージでは説明できないあれこれを、本作中の本物のKPだというエキストラの人々を見て思った。結果的にヒーローはシュリーナガルの家を売ったと告白するが、ラストシーンでその家が廃屋になっているのが引っかかった。

『ブリジャートン家』(Bridgerton、米、2020-2022)をNTFLXで。 

一週間ぐらいかけて数話ずつ見た。いや奇態なドラマだ。英国ロマン主義時代のメロドラマは『いつか晴れた日に』などでも垣間見ていたが、グロテスクな人身売買の結婚市場を愛と言いくるめてロマンスとするのに辟易してた。インドの見合い婚の方がよっぽど文明的に見える。ここもその世界観で成立している。シリーズ1は黒人の公爵が登場して、子爵家の令嬢との恋模様が描かれた。ジョージ3世妃のシャーロットが一部黒人の血を引いていたという説から着想されたのか。身分制度はがっちりあるが、人種差別はなく、宮廷には黒人や極東人も闊歩する並行世界(以前には差別があったが王妃の登場でそれがなくなったと微かに言及されるが)。ちょうどオペラの世界でジェシー演るのを見るようなものか。王妃とその周辺だけが半世紀ほど前の衣装というのは何か意味があるのか。しかしシーズン2になってインドからシャルマ一家が登場することによって、その並行世界に歴史と文化が持ち込まれておかしなことになった。高貴な野蛮人じゃなく英国宮廷にインド人がいたならそれをこそ物語にすべき。

Ghani (Telugu/2022)を池袋ヒューマックスシネマズ6番スクリーンにて。 

劇場の予約システムで事前に確かめたら、50弱が埋まっていてなかなかじゃんと思ったが、前の2列21席は感染症対策でアキとのことで、一気に30台に。昨日現地公開でイマイチなレビューが揃ったため、テルグ人は数人のみ。劇場の音響は音割れが気になった。ストーリーは型通りのスポコンもので、ワルンが出てなかったら確実に眠ってた。体をさらに鍛えたのは歴然だが、演技力はもっと鍛えないとアカン。ボディビルと違って成果が比例級数で目に見える形で伸びていくものではないが。プロ中のプロとしての仕事をしていたのはアイテム出演のタマンナー。演技のときとは全く違う役作りでエロいお姉さんを演出していた。ボクシングのシーンは不思議なほどに迫力がなく、力こぶを握りしめることはついぞなかった。Sarpatta Parambaraiと大した違いだ。ただ、CGを全く使っていないということで、それに感銘を受けていた観客もいた模様。ナヴィーン演じるボクサーが裏切ったかに見えて味方したというプロットだったが、それではあの試合途中の不調は何だったのか。

Shubh Mangal Saavdhan (Hindi/2017)をDVDで。 

以前に見たKalyana Samayal Saadham (Tamil/2013)の、同じ監督によるリメイク。オリジナルは字幕なしで見たけど、こんな話だったっけ?という感じ。タミルの方はプラサンナーが主演で勇気あるなあと思ったけど、映画としてはヒットだったという記憶はない。サウスの観客は身の下話が本当に嫌いだから。ヒンディーの方はかなりのヒットだったらしい。確かにボリ向けの題材。映画の結婚と現実との違い、熊との格闘から決め打ち型オンライン見合いあたりまでのところは相当面白かったんだけど、それ以降はダレダレ。お笑いの半分は、お約束通りに銭ゲバだったり迷信家だったりする騒々しい家族で占められており、肝心のEDの話が進まない。ヒーロー・ヒロインはどちらもバラモン。片方は玉葱を食べるが片方は忌避するなどという部分が面白い。そこから新郎新婦が祝い料理を自分たちで作り始めるところぐらいまで、バラモンコメディーの一面も。ゴンドラでの大立回りはビジュアルは効いてるけど、そこからドラム缶結婚式に至るロジックがよく分からない。

Gaddalakonda Ganesh (Telugu/2019)をオンラインで。 

リメイクは追わないつもりだったが、ヒンディー語版も見たし、ワルン・テージは注目している俳優なので行きがかり上観てみた。笑われ役・悪役に挑戦するとは偉いじゃないかと思ったが、やはり妥協というか御曹司(メガプリンスという冠名が出てた)に相応しい改変がされていた。出演する映画が普通にカッコイイものとして描かれているのと、プージャーを配した過去の恋愛譚。これでだいぶ毒が薄まってしまった。ラストシーンのスターもお猿だし、第二ヒーローの変貌ぶりにキレがない。演技の先生はブラフマージーで、生徒よりもヤバい奴として描かれ、やり過ぎ感あり。ランタイム170分は原作と同じなのだが、色々詰め込んだ割には個々のシーンが間延びして感じられた。特にタニケッラ・バラニが演じる元映画監督志望青年のエピソードなど。劇中で久しぶりに「マラヤーラム語映画=エロい」という文脈の言及があった。舞台はラーヤラシーマだと思うが、要確認。ワルンは角度によって時々伯父上や父上の面影が明滅するのに見入ってしまうが、荒くれとしての演技はメイクに頼ってたかも。

The Kashmir Files (Hindi/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

巨大な6番スクリーンがほぼ満席。入場前のロビーでは印国旗を広げて記念撮影までしてた。エンドロールになり大勢が帰ろうとしているのを、声の大きい誰かが押しとどめて、起立の上国歌斉唱(アカペラ)、こんなの始めて。映画自体は、プロパガンダ臭がキツくなおかつ陰惨極まりない大長編。なぜかインターミッションなし。序盤からから徐々に高まっていく殺戮、そして現代のデリーでの大演説、仕上げに身の毛もよだつ虐殺という構成は、大衆扇動という目的に適っているかという点では200%の出来。映画としてみると、全然ダメなのはまずタイトルの「Files」が単なる新聞の切り抜き帳であること。新聞に掲載された出来事が隠された真実なのか。それから狂言回し的主人公のクリシュナが、最高レベルの大学に学ぶものでありながら、簡単に洗脳される奴であること。ムスリム側とパンディット側、それぞれの話を聞いて丸ごと信じてしまう。メーノーン姓(カシミールに一切個人的関りを持たないことが暗示される)の大学教授が真の悪役か。ああいうキャラへの嫌悪は確かに分かる。

「花、香る歌」(도리화가、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。2016年だったかに、珍しく劇場で見て以来2度目。劇場と違い、何度も中断しながらダラダラと。やはりパンソリのクライマックスにBGMを被せるのはいただけない。主演女優の歌唱が酷評されたというのを後から知ったが、それを誤魔化すために肝心の歌を点景化しようとしたのだろうか。オンラインで見たせいか冗漫が感じられたが、ストーリーは良い。不幸な生い立ち、禁じられているのに入門する、歯を食いしばって修行する、権力者との交渉、進退窮まった窮地での絶唱、余人を寄せつけない芸の境地を獲得するとともに大切なものを失う、etc.という芸道もののお約束を可能な限り取り込んでいる。村ののど自慢大会の場面ではSavitriを、ラストの雪のシーンではUmrao Jaanを思い出した。お楽しみの宮中のシーンもゴージャス。俳優の名前は憶えたくないのだが、一方で今後の韓流時代劇の鑑賞のため歴史の本を読んでおきたくなった。こちらのレビューは鑑賞中に気になった用語をほぼ全て網羅していてありがたい。filmarks.com/movies/66760/revi

『王の運命(さだめ) –歴史を変えた八日間–(사도、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。いやこれは傑作だわ。側室の息子として生まれた王子が、唯一の男児だったために王妃の子として引き取られ、母の愛を失い、神経質で加虐性もある王の下で抑圧された思春期を送り、成人後も自立を許されず次第に精神のバランスを崩し、謀反の疑いで米櫃に閉じ込められて餓死させられる。有間皇子か大津皇子か。国是たる礼と学問のどちらにも馴染めなかったというのが極めて批判的で現代的。毒親もののようでいながら、その枠だけにも収まらない深みを持つ。某国映画の歴史もののペラペラの大仰さとは一線を画す。歴史ものの醍醐味の一つは、あり得ないほどの事大主義と虚礼の足枷に絡めとられた人間の観察だが、一方で一個の肉塊となって死にゆく人間のリアルな苦悶も感じられた。ラストでその王子の息子が王となり、王家に平安が訪れる。新王はその父に生き写し。まあ、劇的効果で同じ俳優がやるよねと思ったが、後から調べたら全然別の俳優だった。韓国人の顔認識ができてなかったのにショック。某国人の顔認識は得意で、それができてない他人を笑ってたのだが。

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