Asuran (Tamil/2019)をDVDで。
ヴェトリマーランだし前評判も聞いてたので、心して臨んだ。キルヴェンマニの虐殺に想を得たストーリーだが、そこがクライマックスなのではなく、それを歯車の一部とした流血の連鎖を描く。流血ドラマには、ポンポン気軽に人を殺すものと、一人が殺されるまでに多くの緊張感あるシーンを畳み掛けるものとがあるが、Vada Chennaiは意外にも後者、Visaaraniも後者、本作はどちらかといえば前者か。人間ドラマはもちろんだが、俯瞰を多用した風景描写が凄い。主人公親子が彷徨う夜の原野が美しすぎる。画面から想像できる村の構造が、今読んでるフィールドワークの本そのままで、北村と南村の空気感が痛いほどわかる。1962年の事件が回想で語られ、15年後の1977年ごろ(貼られている映画のポスターからの年代測定ではそうなのだが、そうすると息子の歳が合わないからもう少し後か)の新たな抗争が現在時として展開する。武器としての爆弾はタミルでは初めて見たかも。マンジュには期待してたけど見せ場が足りない。シャクティヴェール監督のカメオには吃驚。ダヌシュの老けメイクはイマイチ。
Soodhu Kavvum (Tamil/2013)をDVDで。
4年ぶりぐらいに見た。VJSがほっそりしてるのには、分かっていても驚嘆してしまう。訳されなかった「チャトニですらこれをイドリと認めんだろうよ」が惜しい。7年後の今となってVJSとボビー・シンハ、ヨーギ・バーブ以外の俳優の使い捨てられ感が凄い。それにしても、タミルニューウェーブはニューウェーブとはいえ、強固な倫理観をもち、悲劇に終わる作品であっても、世の非情や不正に憤りを掻き立てるものが多いのに、タイトルが示す通りのこの作品の徹底したデモーニッシュぶりはどうだろう。特にそれほど動きがないカルナーカランというキャラクターを巡って周囲が旋回していき、最後にこのキャラが全てを手にするという構図。そして狸キャラCMにバースカルの演じる清廉潔白大臣が引導を渡されるシーンの何とも言えない快感。これをデビュー作でやっちまったんだから。ラストに流れるEllam Kadandhu Pogumadaが見事で、往年のMGRの曲の流用かと思ったのだけど作詞・作曲ともオリジナルと聞いて驚いた。BGMを含む音楽にも高度な諧謔が散りばめられていてお見事。
Agent Sai Srinivasa Athreyaの中で言及されたりしてた映画作品をあれこれと見てた。
特にBBC版「Sherlock」は見ごたえがあった。一回90分て、ほとんど映画一本なのを13本連続にするとか、はっきり言ってSW以上じゃん。下敷きになる歴史的フィクショナル・キャラクターがあるとはいえ、最初の2本ぐらいで「お馴染みのキャラ」を確立し、しかし謎解きしながらも、徐々にそのキャラ間の人間ドラマが深化していくというの、なかなかに凄い。公共放送でヤク中のヴィジョンを描くとかの部分も攻めてる。まあ腐女子入れ食いになるわな。ASSAがこれからインスピレーションを得ながらも、中二病方面に行かずにインド地方都市のリアリティに踏みとどまったのはすごいと思う。逆に中二病とヤク中的ビジョンに舵を切ったのが1: Nenokkadine (Telugu/2014) だったのかと改めて認識した。トラウマによる抑圧によって記憶が改変されるとか、Sherlockの最終エピソードにクリソツ。
Udta Punjab (Hindi/2016)をNTFLXで。
固有名詞のおかしい日本語字幕付き。邦題は『パンジャブ・ハイ』。マルチスター社会派映画。冒頭、パキスタンと書かれたジャージを着た人物が、国境の向こうからヤクの包みをインド側に投げ入れるシーンがあり、これはまたむくつけな、悪いものは全部隣国にひっ被せる手法かいと呆れたけど、解説を読むと実際にアフガニスタン、パキスタンとドラッグがリレーされ、玄関口のパンジャーブが最も麻薬に汚染されているという衝撃の事実。しかしまあ、ということはパキスタンのパンジャーブ地方も同程度に汚染されてるということなのか。カリーナーはスクリーンでしか見られない清楚な薄化粧。シャーヒドは実は得意技と言われてる狂気の演技。目が泳いでる感じが凄い。アーリヤーは不思議な女優で、細密画から抜け出たような繊細で華奢な美女の時もあれば、キーキー声のチンクシャにしか見えない時があって、本作では後者。農作業と薬焼けと監禁性奴隷生活でボロボロでガリガリになった姿が凄絶すぎる。神も仏もないアナーキーな世界の、乾き切ったリアルさが怖い。麻薬撲滅を唱える政治家の裏での麻薬王ぶりも。
Neelakasham Pachakadal Chuvanna Bhoomi(Malayalam/2013)をDVDで。
4年ぶりぐらいに見た。感想はあまり変わらず。長らく豊かな先進国の若者たちが自分探しと称して放浪していた受け身のインド、それも端っこのケーララから、仕返しみたいに自分探し旅をおっ始める奴が出てきたのは痛快。同時にそれはインドの中で旅する主体となれる者と見られる対象となる者との差異を炙り出すものでもある。それぞれの立場は固定的で交換はあまり可能性がない。まあそれにしても前半のテンポの緩いこと。プリーでのお遊びの場面は見ててぐったり。マラヤーラム映画でしかあり得ないテンポ。渡り鳥のバイク野郎なので所詮は浅い付き合い。それをどう繋いで魅せるものにするかなのだが、答えは女性の魅力と映像美ということになるか。ただ景色の方はそれほどドラマチックには展開しない印象。最大のエネルギー噴出点であるはずのコミュナル紛争のシーンは、しつらえがセコくて緊迫感が足りない。ケーララから出発し、遠くへ行くほどワイルドでしかもシャレにならない情景が待っているというのはリアルではあるけどやるせない感じ。
Maari 2 (Tamil/2018)をYTで。
実際は同名のテルグ語吹き替えだが。北チェンナイのヤクザがヴァイザーグ港湾のヤクザに変わってた。If you are BAD, then I'm your DADの初出はどこなのか知りたい。サーイ・パッラヴィ、ヴァララクシュミ、トヴィノ・トーマスという興味深いキャストだが、いずれもブッ飛び方が足りない。特にトヴィノはポスターからもっとイカレたサイコパスを想像してたのに、平凡な悪役キャラだった。前作から設定を受け継ぎつつも、鳩とカージャルがいないので別の話。気のいいチンピラの日々是好日から一転して、結構流血があるし、マーリの人生行路もマジになってしまっていて、これ以上の続編はできない感じ。ダヌシュのカラーシャツと金鎖はいい。サーイ・パッラヴィのダンスも最高。個々のエピソードはいいのにつなぎ方に心がこもってない。裏切り者のコミッショナーが罰されずに終わるのはどうか。しかしまあ、争いから身を引いてオートドライバーになるというの、やはりこれもバーシャ。ラストで意味を持つ先代の息子との友情が説明されてない。Rowdy Babyだけ劇場公開したい。
Stree (Hindi/2018)をキネカ大森で。
邦題は『ストゥリー 女に呪われた町』。舞台はMP州だが、後から知ったところによればカルナータカのNaale Baa伝説に想を得たというホラー・コメディー。しかし軽くて薄い。これがスリーパー・ヒットだったとか、各種の映画賞を獲りまくったとか、ホントにもう最近のボリはよく分からん。まず、女が顔を歪めて絶叫するというホラーの常套句を裏返して男にやらせたことがキーだというのは分かる。それからうがった見方をすれば、暗くなってから男が独りで外に出るのはイカン、さもないと…という状況、インドのレイプ・カルチャーを裏返しにしておちょくってるのだと思う。ただ、そういう批評性は明確に炙り出されず、途中でどこかで消えてしまうプロットが多すぎて娯楽映画としては不発感が残る。たとえばルドラの語る「ストリーを避けるための4箇条」の最後の1項目は何なのかとか、女が主人公に作らせるラハンガーの意味とか、主人公の母親の娼婦の物語とか。結婚に至らずに若くして死んだ者を慰めるのに霊的な結婚式をするとかは中国にもある民俗だが、そうしたものの継ぎ合わせがあまり上手でない感じ。
Jallikattu (Malayalam/2019)をアジアフォーカス福岡国際映画祭で。
邦題は『ジャッリッカットゥ』。やはりリジョーは見逃せないと思ったので。VPNをかませば配信でも見られるけど、IMAX用のスクリーンで見られて良かった。予備知識は極力排して臨んだ。ジャッリッカットゥといえばタミルの政治的なアイコンだが、マラヤーラム語映画でこれをどう扱うのかという好奇心。見てみた結果、これは牛追い祭りとは無関係で、単なる比喩として使われているだけ。あるいは牛追い祭りの原初の形を示したとみるべきか。背景になるのが西ガーツ山脈のどこかの入植によってできたクリスチャンがマジョリティの村というのも神話性を演出する。それにしてもマラヤーラムのクリスチャンものというのは、なぜおしなべてマチズモとマス・フレンジーと暴力を扱うものが多いのか。そしてお約束のように女は淫蕩の翳りを持っている。クリスチャンのリジョーの作品でなかったらステレオタイプとして非難されてたかも。それにしても、娯楽フォーマットの中に魔術的リアリズムを取り入れた快作を撮ってたリジョーが娯楽フォーマットを捨てたのには、何とも言えない。
Maari (Tamil - 2015)をYTで。
公開当時はさして惹かれることもなかったのを見る気になったのは、気になるスターがひしめくパート2がどうしても見たいから。ポスターのビジュアルから大体どんな作品か予想はついてたけど、これほどに予想通りだったとは。続編が作られるほどヒットした映画のはずが、レビューは概ね渋い。いやもう、電飾を背景にしたダヌシュがじゃらじゃら金鎖でふんぞり返るだけで充分ではないか。そして丸いグラサンから醸し出されるペーソスと諧謔。敵役のマイム・ゴーピはいかにもだが小物感が漂う。もう一人の悪徳警部もまた締まりのない感じの小悪人で、劇的緊張感は欠けるがリアリティはあるかなと思って眺めてたら、後から調べてヴィジャイ・イェースダースの若様だと知って吃驚。ダヌシュが演じるのはトリプリケーンの下町でみかじめ料をとって暮らしてる地回り。Happy-Go-Luckyに登場して、多少は浮き沈みはあっても最後までHGLを通す。いつ後ろからドスンとやられるかとかそういう緊張感は全くないのがいい。鳩舎がある屋上からはワーラージャー・モスクがいつも見えていて、撮影場所まで特定できそうだ。
『バーフバリ』二部作とミソジニー批判について思うこと。
この問題を巡って、ともかく昨今の日本の一般ファンのフェミニズム的意識の高まりを見せつけられ、自分のアップデート不足を思い知らされてる。ともかく第一部の評判が悪い。日本ほどハッキリとしてはいないものの、公開時現地でも物申す若い女性がいたのを記憶している。テルグ映画のミソジニーは宿痾ともいうべきもので、2020年の現在も酷いものだが、おそらくラージャマウリと脚本家は第一部の後に批判を受け若干の軌道修正をしたのではないかと勝手に想像する。そこで偉大な父がセクハラ野郎の首をハネるエピソードを入れたのではないか。前の世代の方が進んでるというのはどうしようもない弱点だけど。しかし「指ではなく首だ」というあれにしても、セクハラを罰したのではなく、下人が貴人に手をかけたことへの罰とも取れるのではないか。むしろその方が神話らしさが出る。結局意図したものは何だったのか、仮に当人を捕まえて尋ねることができたとしても、まずぶっちゃけた返答はないと思うが。
Aramm (Tamil/2017)をSunNXTで。字幕なし。
ポスターのナヤンターラのギンギンのカッコよさに加えてダリト映画という評判を聞いて見たくて堪らず、そのためにSunNXTに入ったようなものなのに字幕なし。YTには字幕付きヒンディー吹き替えがあったけど迷った末タミルのオリジナルに。ネットに漂ってた奇態な機械翻訳英字幕テキストと共に。最初から最後までナヤンターラの独演ショーでドスの効いたセリフ回しに痺れたが、これはディーパ・ヴェンカトによる吹き替えとのこと。現実に起きた複数の事件をベースにしていながら、不条理劇要素も混じった象徴的にシンプルな空間で展開する。ナヤンの着衣も全編通して2着の無地のサリーという簡素さ。これがダイナミックな身体性と顔・声の演技を引き立てた。水不足の土地という設定には、清涼飲料水メーカーによる地下水の汲み上げという問題が暗示される。そしてその対処としての井戸掘削の穴が無責任に放置されるという部分にインドの救いのなさが表れる(自分も穴に落ちてえらい目に遭ったことがあるからすごくよく分かる)。それにしてもインド映画ではコレクターが悪役にはならないのが面白い。
恋に落ちたシェイクスピア(USA/1998)をNTFLXで。
コスプレものが止まらなくなって手を出した。ラブストーリーとして特別に胸キュンになるものではない、それからヒーロー役俳優の容姿と演技にはかなりデタッチ気味。ただ、「もうひとりのシェイクスピア」でもそうだったんだけど、木造の劇場やバックステージのあれこれが堪らないんだな。野卑な歓声を上げる観客との距離が近く、客席には階級の溶解の可能性もかすかにある。再現されるドラマ自体も、アホ臭いコメディーあり、怪我しそうな剣戟ありで、ほとんどインド映画だもの。男が女を演じ、女が男のふりをして男を演じ、女が女の役を演じる男の俳優を演じるというたたみかけがが良い。最後に黄門様が出て来て大岡裁き。それから新大陸というものが持つ意味合い。16世紀英国の濃厚なコスプレ物を見ていると、英国あるいは狭いヨーロッパの中でドロドロに争っている閉塞的なものを感じることが多いけど、そこに可能性の大地としての新大陸の映像を加えると一気に視界が開けるあの感じ。シェイクスピア作品からの引用のいちいちに関してはここで読める。https://ci.nii.ac.jp/naid/110004649101
エリザベス:ゴールデン・エイジ(UK/2007)をNTFLXで。
前作から9年を経ているとは思えないくらいの作風の揺らぎなさ。好物の「ワルツ以前の西欧社交ダンス」も見られて満足。前作で若く脆く瑞々しい少女だったエリザベスが色々あって白蠟化してジャッキーンとなるクライマックスを持ってきて見事だったが、本作でも結局のところ再度のジャッキーンが山場となった。今度は戦争という巨大なストレスと中年の危機からの立ち直りで。今回もまた衣装が表現の鍵。前作から思ってたけど、この衣装、正確な時代衣装のようでいて、どこかにロンドン・アバンギャルドがある。中年の危機の演出として、侍女のベスという存在をアルター・エゴとして提示したのは出来すぎのような気がしたが、後から実在の人物と知り吃驚。それから、スペイン王フェリペの娘でまだ少女のイサベラが非常に印象的だったが、これも後から調べると歴史的にはそれほど目立つ人ではなかったようで、ドキドキしたのをどうしてくれようという気持ち。メアリ・スチュアートの最期のシーン、貴人の処刑とはこういうものなのかと勉強になった。オーストリアの王子が英語に苦心していたところもよかった。
エリザベス(UK/1998)をNTFLXで。
インド映画じゃないもので息抜きしようと再生して3分で思い出した、シェーカル・カプール監督作じゃん。87年のMr. Indiaはこてこてマサラ映画だった。94年の『女盗賊プーラン』は未見だけど、これで国際映画市場で頭角を表したと言うことなのか。それにしても10年の時を経てのこの作風の大転換には口あんぐり。カズオ・イシグロなんかもそうだけど、アジア人がイギリスでこてこての英国調をやっちまって成功するのはなぜなのか。ともかく本作や『ゴールデンエイジ』を観て絶賛してる連中には、是非ともMr. Indiaを観て度肝抜かれて欲しい。しかしまあ、主演女優の演技とビジュアルで9割方が決まってる作品だ。宇宙人みたいな顔の造作がどんどん研ぎ澄まされていき、最後に完成形になる。柔らかく瑞々しい若芽が、凍てついた氷の女王になるドラマチックさに痺れる。衣装を中心とした考証は、時代の厳密な再現というよりはファンタジー的造形か。メアリを演じるファニー・アルダンのメアリは現代人的存在感が溢れてしまってちょっと場違いな感じがした。愛人役は余りにもらしさが過ぎてつまらなかった。
C U Soon (Malayalam/2020)をUSAPで。
コロナ禍で苦しむ制作スタッフのために、基本的に俳優と監督だけで(しかも俳優たちも基本的には室内にとどまりながら一堂に会することなく)作った、メタなメッセージを持つ実験作。だから一般作品と比べてどうこう言うべきものではないのはわかる。チャットとボイスメッセージ、スマホまたはPCによるインターネットTV通話、それにオンライン会議ツールの上でやりとりされるインタラクションを、スマホまたはPC上の画面動画キャプチャという形で見せる。これはこれで現代人のリアリティーだよなと思いながら眺める。ただし、普通ならビデオチャットを一旦切るようなところでも、それをせず登場人物のアクションを説明的に見せるところもある。自身が善と信じる目的のためならば不正行為もあえてするというインド的行動様式も取り入れられて、ハッキングその他のグレーな行為もガンガンに、しかも易々と行われる。今ひとつよくわからなかったのは、監視カメラの映像の意味。元締めが逃げた女のもとに来て帰国のためのあれこれを女に渡す、それから女が去り際にSIMを捨てるところ。これらの解釈は?
Forensic (Malayalam/2020)をNTFLXで。英語字幕付き。
女性警部と法医学者が心ならずもチームを組んで連続女児誘拐殺害事件に挑むというもの。女性警部が最初の方で「捜査は自分の領分、お前は法医学の分野で命じられた通り報告をすればいい」と告げるのだが、ストーリーはそれと真逆に進み、法医学者が捜査を先導し、分析し、犯人との格闘までして解決に導く。女性警部の方は必死に後から追いかけ、時に感情的に撃沈されたりして弱さが目立つ。これ、男の警部と女性の法医学者という組み合わせならもっと目の覚めるようなものになったのではないか。最初の方で妻殺しの容疑で尋問を受けていた警察官が、最後の方で制服を着て職務に復帰していたのが腑に落ちない。サイコパスの性格設定も雑。自らの手で殺すことに異常な快感を持っていた殺人鬼が、10年前の事件を期に、「下請け」に出すようになったというのもどうかと思うし、性的なもの一切を拭ってしまったところにも違和感あり。サイコパスが最初に冒した殺人がイージーに見逃されていたのも突込みポイント。片方だけしか作動しなかったエアバッグも、10年以上捕らわれていた犠牲者も。
『2人のローマ教皇』(英米伊亜/2019)をNYFLXで。
予備知識なく臨み、つい昨日の歴史を題材に、今も存命中の人物をモデルに自由に組み立てたフィクションだと知り吃驚。80代と70代の爺さん二人の対話を125分間見せるというのが凄い。凄いしズルい。カトリック界の頂点に立つ二人が時代衣装(教皇や枢機卿の衣装はルネサンス期のものとほぼ変わらない)で対面すれば、何をしてもビジュアルな驚き(その背景がシスティーナ礼拝堂だったりする)だし、時にかわゆい。場面場面で言葉が切り替わるのも非常に知的な部分をくすぐる。保守派と改革派、ヨーロッパとラテンアメリカという対立軸を持ちながらも、二人の対話は結局のところ、「神の声を聞いたかどうか」というシンプルなものに終始し、高踏的な神学論争には行かないところが好もしい。冒頭で航空券を予約するシーンが描かれる、新教皇のランペドゥーザ島行き(これは実際にあった)にはどんな意味があったのか。コルドバ(アルゼンチン)のシーン以外に視界の広いシーンがない本作、ランペドゥーザ島のビジュアルも欲しかったところ。
Babu Bangaram (Telugu/2016)をZee5で。
非契約者も見られるフリーストリーミングで。やはりヴェンカテーシュは90年代の遺産だけで今も食いつないでるスターという印象を新たにした。あとは若手スターと共演して兄貴分格で体裁を保つだけ。アップになるとメイクで塗り固めた皴がきつい。それでもスターをやってるのは、これぞお家の力というやつ。基本がコメディーで、そのうえに昔ながらのコメディアン1ダース総顔見せを久しぶりに見た。よく訳の分からない果物売り役のプリドヴィラ―ジは花柄のシャツをとっかえひっかえで目を奪われる。フィッシュ・ヴェンカトが悪役の手下でいつもヴァイオリン弾いてるとかもナイス。それでも最後に美味しいとこ攫ってくのは後半登場のブラフミーだ。箸にも棒にもかからぬB級作だけど、ヴェンキーのラストシーンでのおふざけアクションとかはさすがに上手い。律義に外国に飛んで撮ったダンスシーンとかでも、超絶技巧ではないけど上手く踊る。お約束のスキャンダル動画データが入ったペンドライブを巡る攻防では、バックアップという概念がない。バンコク=マッサージという謎のステレオタイプも健在。