ユンヒに(윤희에게、2019)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」の5日目。例によって予備知識ゼロで臨み、冒頭の列車の車窓シーンを見て「やっぱこういう景色、日本とそっくりだよな」などと思っていたら、舞台は小樽ということで吃驚した。1時間45分の最後の20分ぐらいになってやっとこれがクイア映画だということが分かって来る。それくらい秘めて秘めて秘められた恋愛感情にそれはないだろというのと、やっぱりそうなのかという気持ちとが半々。ともあれ終盤になってこれは離れ離れのまま中年になった二人の苦くもロマンチックな再会の物語だということが分かる。これがヘテロの男女なら、再会から何らかの物語が始まりそうなものだが、本作では再会後の短い時間を二人が何を語り合ったかは明かさない。そして二人が結ばれることもない。そのクライマックスとしての再開の場が小樽の雪の運河だったというのが何とも言えない。それから、冒頭で母娘が暮らす地方都市の名前が知りたいのだが、何をどう検索しても出てこない。韓流って日本で大流行なんじゃなかったのか。困ったもんだ。
ミッドナイト・ランナー(청년경찰、2017)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」の4日目。これは軽快なアクション・コメディー。ティーザーガン以外の飛び道具は登場せず、刃物もほとんどなく、殴る蹴るブッ飛ばすという基本(警察学校で教えられる武術)だけで見せる本格アクション。デコボココンビのキャラはもう少しコントラストがあってもよかったのではないかと思うが、二人とも結構なスターということなので難しかったか(でもまあ微妙な高低差は感じ取れた)。それからメデューサの名前で呼ばれる女性の鬼教官がカッコよくて痺れた。ソウルの永登浦区大林洞が中国朝鮮族のマフィアの巣窟として描写されていてなかなかに臨場感もあるのだが、当事者から抗議を受けて映画制作側が謝罪することとなったという。観光ガイドでは大雑把にチャイナタウンと呼ばれるこの地区は、2010年代からの韓国映画で描かれることが増え、しかもそのほとんどが犯罪と結びつけたものだという。羊肉の串焼きが美味そう。それから日式耳かきという風俗も初めて知った。インドでのリメイクも可能なような気もするがどうだろう。
晩夏(늦여름、2018)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」の3日目。これまでの二作の浮世離れ感と対極にある現代のロマンス(的な)作品。舞台が済州島であることはすぐに分かったけど、それ以上の詳しい地名が後から調べても分からない。劇中での言及をメモしておけばよかった。リゾートと言うよりは鄙びた漁村の風情のある海辺の集落にあるゲストハウスを舞台にした平凡な男女の物語。主要キャラクターのうちの女性3人が、いずれも韓国整形美女とは異なる個性的で地に足の着いた感じの容貌なのが新鮮。あ、そういう意味では男優もか。小さな片隅の人生にちょっとした波乱が起こりかけるが、3泊4日の最終日の日が沈むころには波も静まるというスケッチ的作品。済州島というのは、だっさい観光地というイメージばかり持っていたけど、少し厚みを持ったものとして見えてきた気がする。
風水師 王の運命を決めた男(명당、2018)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」の2日目。これが儒教ワールドなのか何なのかわからないけど、先祖の遺体をどこに埋葬するかで現世の権力が人から人に渡り移るとか、まるで異世界ゲーム・ワールドみたい。この黄泉の力に支配された呪術世界が19世期末〜20世期前半の設定ってんだから驚く。そして劇中では誰もこのことに突っ込まない。チラチラ見た日本人によるレビューでもそこはスルーのようだった。まあそれにしても、登場人物の殆どが両班のはずだけど、両班てこんなにチャンバラして人を殺すものなのか。例によって俳優の顔認識機能がほぼないので、登場するキャラクターを純粋にキャラとして楽しめた。清冽な時代衣装&宮廷衣装の美に目が楽しまされた。そして毎度ながら観賞後にキャストのオフスクリーンイメージを見てギャップに驚くところまで。
ソリクン(소리꾼、2020)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」の初日。ジャンルすら知らずに全くの白紙での鑑賞。1730年代のパンソリの起源をフィクショナルにドラマ化したミュージカルだった。パンソリものでも、「西便制」や「花、香る歌」と比べて、芸道の厳しさの描写はなく、家族愛に焦点を当て全体的に甘い感じに作ってある。パンソリが劇中で歌われるのに被せ、非ダイアジェティックにオーケストラが伴奏するとか、エンドロールではKポップのテーマソングが流れるとか。邦画で映画コンテンツとは無関係に添えられるエンディングのJポップにはうんざりしてるのだが、それでもここでのKポップは力のある歌手が歌ってるようでマシだった。クライマックスではお約束の黄門様登場シーンがあるのだが、お約束のはずがこれは完全に不意を突かれた。韓国芸能界に詳しければ、その俳優が最初に登場したところで何かしらの予感が持てるものなのかどうか。字幕で「賎民」という語が普通に使われていて驚いた。観賞後にキャストのオフスクリーンイメージを見てギャップに驚くところまでが韓国時代劇。
Karkhanisanchi Waari (Marathi/2020)を東京国際映画祭で。
邦題は『遺灰との旅』。何しろプレミエ上映なので、レビューを探しても一切見つからない。マラーティーらしい、間合いで笑わせるタイプのダークなコメディー。男どもはしょうもなく、女たちが強い。大家族制の欺瞞とうわべの取り繕いに対してフラストレーションを募らせるのは男である主人公だが、ガールフレンドはするりと抜けてみせる。円満な家族の家長を演じていた人物の葬礼を完遂する過程の旅で、大家族の成員間の軋みがひとつひとつ露わになり、最後に崩壊する。それが家長が買ったミニバンとも重なっていき、それから先祖伝来の屋敷の瓦解とも符合する様は見事。サブプロットとしてプネー郊外のデフに亡夫の愛人の存在を知って赴く妻のとことん銭ゲバのエピソード。ここもある種の聖地らしい。ひとりアメリカに渡りNRIとなった四男が、パンダルプルに近づくにつれて鼻をハンカチで押さえるようになるとか、演出が細かい。最後に遺灰ではなく遺品が流されるがどこかに打ちあがる映像があったが、あれの意味が気になった。ワールカリー派の遊行者たちの音楽もよかった。
Aviyal (Tamil/2016)をストリーミングで。
4つの短編から成るアンソロジー。カールティク・スッバラージ製作のアンソロジーBench Talkiesの続編という位置づけ。青臭いプロローグの後の第一部は、僅か一歳年上の叔母に翻弄される若者の話。タミルのオジ・メイ婚について知っていると味わい深い。冒頭でヒンディー語が話されるのはなぜか。第二部は短編を撮り映画界に何とか食い込もうとする若手監督が引ったくりに遭いラッシュを失い奔走する話。犯人に遭遇し手の込んだ芝居でブツを取り戻そうとするが、さらに上手の芝居を仕切っていた人間がいた、というオチ。第三部は見鬼ネタとギャングの麻薬取引が絡み合った話だが、ややもたついた印象。マラヤーラム語とテルグ語が混じる。第4部は幻想的なコメディー。ボビー・シンハーとアルフォーンス・プトランがビシッとまとめた。ここだけ焼き込みの字幕がついており、さらに作品全体の字幕が重なるが、明らかに前者の方が情報が多いのが何とも。このエピソードのニヴィンとボビーにはNeramやJigarthandaのイメージが投影されていた。最後のソングになぜかカルナ―カランの姿。
Kadaikutty Singam (Tamil/2018)をUSAPで。
タイトルとポスターから大体予測はついたけど、タミル南部の豪農の大家族の不和と、ライバル一家との揉め事のクラシックな話だった。批評家からはメタクソ言われたが結構売り上げは良かったらしい。それは分かる。いささかダラダラと長いけど、カールティの陽性さが生かされてたし、流血のない笑えるアクションも気持ちいい。ただ大家族ものの軸となるお館様(サティヤラージが演じる)のキャラ設定がデモーニッシュ過ぎて唖然とする。妻が女児しか産まないので妻の妹を第二夫人にしたり、その新妻も娘を産んだので、別の娘を娶ろうとした時に第一夫人が懐妊して男児を産みそうなんで結婚をキャンセルしたり。全ての不和の元を作りながら反省してない。ただしこれによってタミルの典型的なオジ・メイ婚のセッテングがされそれに乗って物語が進んでいくのに吃驚。2018年の設定のはずなのだが。寺院内での愁嘆場とエンディングロールとでカールティの台詞によって現代的な価値観と実感とが提示されはするのだが。お婆ちゃんが一番インテリ。一番可愛かったのは雄牛のラーム・ラクシュマン兄弟。
Theeran Adhigaaram Ondru (Tamil/2017)をUSAPで。
歴史上のダコイト掃討作戦を題材にしたアクション。ともかく長くて前半の定型部分には飽きる(特にヒロインとのラブラブ・エピソードはヒロインの死亡フラグにしか見えず、その予感は的中する)が、本格的な作戦に入る中盤以降は釘付けになる。それにしても1995年ごろから2003年ぐらいまで続くダコイト襲撃の何とも言えない大時代感(フィクションだったらもっとリアリティ出せと怒るぐらい)と、捜査手法が基本的に熟練のプロによるマニュアル指紋照合というのが凄い。ハイテク捜査を過剰に演出する昨今のポリス・スリラーに物申す感じ。問題となったクリミナル・トライブへの執拗で具体的な言及には息をのむしかない。しかも悪は全て北インドから来るものとなっている。そしてそれが史実なのだからセンシティブさが増すのだが、映画批評界隈は本作をよくできたアクションとして激賞している。この空気感は記憶されるべき。カールティは相変わらず筋トレとは無縁のぷるんぷるんの体を晒してるが、格闘シーンになると筋肉とアクションのカッコよさとは無関係と知らしめる。
Maanagaram (Tamil/2017)をUSAPで。
カナがラージ監督の過去作を漁りたくなったので。どうした訳か字幕が読みづらかったため、所々因果関係が分からなかった。いわゆるハイパーリンク・スリラーで、レビューは絶賛のものが若干見つかるが、これまで目にしたことがなかった一本。「マドラスの日」というローカルな記念日に、チェンナイ市の暗部で起こるあれこれをまとめた(偶然に助けられて最後は悪が罰される)ニューウェーブ系。巧みだとは思うけど、こういうハイパーリンクは2012~15年頃のマラヤーラム映画界で散々に作られたのに付き合って、今更の新味はない(Super Deluxeを絶賛できないのも同じ理由)。もっさりしたサンディープとガリ痩せのシュリーが前面に出て来て、リアルなことこの上ない。シュリーの役柄には過去作品からの残像が混じる。Bクラス俳優を使い、脚本や演出の上手さを見せつける(=次につなげる)だけのために作った低予算映画という感じだけど、多くの時間を占める夜の街路の描写には、二年後のKaithiを思わせるものがあった。チェンナイ賛歌がフワフワした消費文明礼賛じゃなくて良かった。
Naan Mahaan Alla (Tamil/2010)をDVDで。
タミルニューウェーブが盛んだった10年前の作品。一見して前半と後半の乖離が酷く、失敗作と思った。冒頭シーンの惨劇がストーリーの主筋に絡んでくるのが遅すぎてお気楽な前半も楽しめず。ありがちな「途中で消えるヒロイン」も。だが当時のレビューを見ると激賞しているものも多く吃驚。その称賛はリアリティにあるというのだが、カールティが弛んだ体を惜しげなくさらすところなどは確かにリアルだが、最後の格闘では無敵の超人になってしまうのが画竜点睛を欠く。10年たってお勧めとは言えなくなってしまった。ただ、駄作と決めて捨て去るには惜しい部分も多い。惨劇の舞台となる南チェンナイの廃村(津波の犠牲になった場所という)の佇まい、仲良しになったギャングの人の良さ、子供に激モテの主人公を演じるカールティのハマり方、ごみごみしたスラムのリアルさ、少年犯罪グループの不気味なまでの戦闘力の高さとその説得力(実話というのはこの部分か?)などなどが捨てがたい。VJSは主人公の友人役で登場して何か一波乱起こしそうな感じを漂わせるが、何も起きずただの友人で終わる。
Jilla (Tamil/2014) をDVDで。
4年ぶりぐらいに見返した。今になってみると、妹役の二ヴェーダや下働きのタンビ・ラーマイヤ、婦人警官のヴィディユラーマンなど、贅沢な配置だったことが分かる。いわゆるお館様美学を打ち立てた上で、そのお館様がヴィジャイに首を垂れるという構造。しかしここでのお館様というのが、暴力的なのはいいとしても、歴然と反社という風に描かれている(まあ、マドゥライ市内で各種の会社を経営していることになっているが)。伝統的な農本主義の世界での大地主としてのお館様とちょっと違うというところに租借しづらいものがある。それで正義感の強い警察官が赴任するといきなり呼び出して逮捕をちらつかせるというプロットは『ダラパティ』と同じか。しかしどちらの場合も妻子はごく普通に家庭生活を営んでいて、極妻・極娘という自己認識がなさそうなところが不思議。ダンスが潤沢に配されているが、きっつい顔のアイテムお姉さん2人を配したソングなどに時代を感じる。太秦のロケではバックに日本人の女性だけを写すのが分かりやすい。歌詞はカンダンギ・サリーを歌いながら、画面にはそれが全く登場しないのが凄い。
Aayirathil Oruvan (Tamil/2010)をDVDで。
ただし一部再生不可でスキップ。それにしても長大な、ゲップの出そうな特盛りだった。ごった煮感。前半と後半で別の映画みたいになる本作、一般的な評価は後半の方が高いようだが、前半の性的緊張をはらんだ男一人女二人の秘境行軍が面白かった。前半後半を通じて、フォークロアの特徴である尤もらしい捏造の神秘的世界が描かれるのだが、それの土台となる世界観構築はかなり雑。それからチョーラとパーンディヤをあそこまで敵対するものとして描くのは問題ないのか。あと、前半で一行を襲う土着(ベトナムという設定だが、アンダマンを思わせる)部族と後半のチョーラの末裔とが、どちらもインド映画が未開を描く時に用いるクリシェに則っていて区別がつかないという欠点も。クライマックスの、近代的火器で圧倒するインド陸軍がチョーラの末裔を蹂躙するシーン、どう見ても東インドの部族民を好き放題に狩る警察&民兵にしか見えない。全編を東インドのマオイストの物語として読み解きたくなる。リーマーの思い切りの良いセクシー演技は最高。MGRソングへのオマージュシーンはカッコ良かった。
Tholi Prema (Telugu/1998)をDVDで。
ソングシーンだけ字幕なし。歴史的ヒット作でPKの芸歴でもスターダムの足掛かりとなった一本。しかしすでに古色蒼然とした印象。1950年代のクラシックが古びないのと対照的。もろパクリの劇中歌とか、やけに老けた「ナウいヤング」が集まってする異性の品定めとか。無理の上に無理を重ねた冗長なストーリー展開も。PKのアンチが見たら冷笑が止まらないと思う。ただ、当時の若いもんにはバカ受けだったんだよな。ダンスとしょうもないギャグと付焼刃のアクションでミルフィーユになった中の、中産階級(どうもバラモン臭い)の若者の純情の描写がリアルなものに感じられたんだと思う。ただ、その純情の描写にしても、血文字を書いてみたり、それを窘められてしゅんとしたり、これが当時のリアリティだったのかと思うと、背筋がちょっと震える。ビーチのタージマハルは発想がぶっ飛んで凄いが、造作には張りぼてのやっつけ感が隠しようもなく、「ラスヴェガスとしてのテルグ」の夜明け前という感じ。スリムすぎるラヴィ・バーブを見られて得した気分。防虫噴霧の白い煙の中から現れるヒロインに吃驚。
天気の子(2019)をJPAPで。
SNSで「本作の主人公のような反社会的なキャラクターが許せず作品そのものを否定する観客が増えている」と読んで気になったので。で、見てみて拍子抜け。この程度のものが許せないなら、従順な飼い慣らされた社畜のトレンディードラマでも見とくしかないだろ、というものだった。社会の規範からの逸脱を志向する詩的なエクソドスにいちいち文句つけてどうする。まあメガヒット作品で普段映画を見ないような観客の目に触れるとそういうことも起きるのか。尤もらしい神事とか捏造された伝説とかが大きな顔して出てこなかった点で、前作『君の名は。』よりもずっと良かった。震災の傷痕文学だった前作とは異なり、これは東京という土地への美しいオードだと思った。どれほど壮大なビジュアル出会っても舞台は東京の区部のみ。主人公が後にしてきた離島ですらが行政上は東京。エピローグの長雨で水没するのはどうやら東京だけで、他の地方に被害は及んでいないようだ。前作ではまだ記号的だった東京のヴィジョンが、異様なほどの細部とこの世のものとも思えない光とに満たされて画面に広がる快感。積乱雲の上の永遠の晴天を造形する力強さ。