王と道化師たち(광대들: 풍문조작단、2019)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第2回。前回の「世宗大王 星を追う者たち」が53分で接続不良で終わってしまい、ストレスが溜まっていた。道化師は賤民で奴婢であり、社会風刺をもっぱらとするものであるという設定(最初に登場するところでは詐欺団だが)。それが良民に取り立てられる代わりに不人気な王を讃えるための工作をせよと命じられる。広告代理店とイベントプランナーとエンジニアを兼ねたような仕事をする主人公。彼らが創意工夫して作る道具の中にはウォーキングマシンみたいなものまであって、史実ではないだろうが笑える。肝になるのは王の正当性を巡る問題で、これはいかにも儒教の伝統という感じ。一方で会盟の義という怪しげな儀式があり、これは国王をも拘束するだけの秘儀だというのが何とも言えない。
Nanban (Tamil/2012)をDVDで。
2日がかりで見た。何でこんなのに時間がかかるのかといぶかしく思ったが、後から見たら3時間越えだったことを知り納得。オリジナルがどうしても駄目だったので、南インド版、それもシャンカル版を見ればスッキリ楽しめるおもた思ったのだけど、やっぱり駄目だった。悪いのは原作で、シャンカルではないのは分かってるが、なぜシャンカルがこのリメイクを手掛けたのかは謎のまま。後半の(劇的進行の見地からは)一番どうでもいいダンスだけは見ごたえがあったが。そのためのイリヤーナーという気がした。ともかく、賢げなメッセージ作品だ。そしてヴィジャイは物静かな変人な天才には全く見えない。脇の二人の演技が手堅いと余計に無理がある。そして悪役のイタさが辛い。暴力映画ならば誇張された悪役は楽しいのだが、そうじゃない作品であそこまでエグいと醒めた気分になる。一番イヤなのは、二回出てくるヒーローへの敬意の表現としてのズボン降ろし(Aruviでネタになってたやつ)。あれってオリジナルにもあったっけ?ラストシーンの絶景を南印のどこで置き換えるのか気になっていたが、あれは上手いと思った。
I (Tamil/2014)をYTで。英語字幕付き。
4~5年ぶりに見た。その後の『ロボット2.0』を見てからの再見だと味わいが増す。両作ともメッセージは極めてシンプル。まだルッキズムという言葉が大衆的に使われる前の作品だが、おそらくは人類が社会生活を始めた頃からあるであろう美醜に基づく差別や不平等を極端な形でこれでもかと提示して断罪する。舞台をモデル&広告業界に置いたのはハマりすぎ。そして極端に美を求める志向のグロテスクさを表すのに、目にもまばゆい美しさをこれでもかと突き詰めることにより、脳をジンジンに痺れさせる。シャンカル監督の蕩尽的なビジュアルにはもう充分な経験があるので驚かされないぞと決意して臨み、やはりその異常イメージの炸裂にキーンとなって打ちのめされる。インドでは広告業界は急成長産業で、数十秒の映像に溢れんばかりの資金を投入し、1秒当たりのバジェットも大層な額になるはずだが、シャンカルはそれを3時間ぶっ続けでやった感じがする。具体的な数字は分からないが。グロテスクな復讐が、ヴィジュアルとしてはかなり笑えるものになっているのも見事。トランスフォーマー・ソングはロボットの萌芽か。
Master (Tamil/2021)を二日に分けて。二回目。
相変わらず字幕は脳を素通りしていく。そのうち日本語字幕で見られるようになるだろうというのもあって。チェンナイ/ナーガルコーイル問題はやや整理されたが、それにしても簡単に行き来してくれるよなあという感じ。特にアンドレやの移動。センチメンタルな「クッティ・ソング」以外のソングは高速ビートで素晴らしい。特にエンドロールのお囃子がいつまでも耳に残る。で、やっぱり印象的なのはヴィジャイの裸だった。おあれはマニュアルに沿って人工的に作られた無個性なムキムキではなく、個人の歴史の証言としての体だったと思う。もちろんしっかりとトレーニングをしているが、むやみと盛り上げればいいというものではなく、あくまでもアクションを美しく行うための肉体の造成の結果としての体なのだと思った。
Manikarnika: The Queen of Jhansi (Hindi/2019)をDVDで。
邦題は『マニカルニカ ジャーンシーの女王』。前半はマキマキで話が進むので国際版なのかと思ったら、本国版と同じく二時間半あった。クリシュ監督因縁の作品なので、いい所を見出す姿勢で臨んだが、全体としてペラペラした印象。一般には評価の高いファッションが浮いていたのが一番の原因かも。特に下層女性までもがファブインディアみたいなのを着てた時点で興ざめ。この時代に存在したかどうかよく分からない「愛国・独立」の概念、および女性のエンパワーメントが二つの柱としてあり、例によってインドの歴史映画はその時代ではなく現代の関心を直接反映しているのだった。単独ヒロインのカンガナーは、これまでの現代劇のようにちょっと頭のネジのイカれた女性を演じれば魅力的だったが、女傑というには迫力が足りない。往年の大女優がやっていたらというのが見てる最中にも頭をよぎった。ラストシーンはさすがに金縛りに持っていったが、ポスター画像などまるで女子プロレスでどうかと思った。「Pazhassi Raja」を越える史劇はやはりまだない。
Action(Tamil/2019)をDVDで。
邦題は『アクション!!』。色々と問題ありげなビデオスルーで、同じ会社から出てる作品についてもいい話を聞いてなかったが、字幕は思ったよりはまともだった。作品自体は何とも言えない古臭さを感じさせる壮大なアクション。明らかなお色気要員扱いのタマンナーが疲れて見える箇所がところどころ。ロンドンと言いながら海が見える場所があったりする(アゼルバイジャンのバクーらしい)イージーさ。しかしクライマックスのラホールのチェイスシーンは迫真的だった。あれはどこで撮ったのだろう。名にしおうアクションのシーンは上手く撮れてた(特に高層集合住宅の壁でのもの)が、それ以外が、ハッキングにしろ、銀行の顧客データ獲得にしろ、出国チェック突破にしろ、面倒だしよく分からないからテキトーにそれっぽくした感が充満。ラホールの婚礼シーンは笑える。最後の航空機ストップのシーン、怪しい乗客が搭乗済みとの情報はどこで入れ替わったのか。管制塔にも潜入要員がいて掃除するふりして通信を断ったりできるのか。冒頭のVJS登場も限りなくチープで凄い。エンカウンターで〆るという感覚もどんなもんだろ。
『アル・リサーラ /ザ・メッセージ』(1976)をイスラーム映画祭で。
リビア、モロッコ、エジプト、サウジ合作。ムハンマドその人については影ですら映さないという幻術映画的な禁欲性と、全盛期ハリウッドの歴史大作風のエンタメ(実際に英語版で主役を演じたのはアンソニー・クインだったというし)が魔結合した不思議な207分。休憩ありだったので最後までスッキリ見られた。預言者が出てこないのは知ってたけど、アリーもまた、劇中には登場するのに剣の先しか映さないという気配り。こういう作品にありがちなんだけど、悪役扱いのキャラの方が個性豊かで魅力的なのはなぜなのか。特にヒンドの魔女っぽい演出が凄い。教団側で良かったのはビラール。それからイスラーム以前のアニミズム的宗教のトーテムが集まった旧カーバ神殿の秘宝館的佇まいにドキドキ。はっきり言えば非常に魅力的。そういう神さんを押し頂いて行進する際のどんどこ鳴り物にもワクワクした。難を言えば、ヒンド以外の女性キャラがあまりいなかったこと。教団内で女性がどういう位置づけだったのかを知りたかったが、宗教界の重鎮ともすり合わせるという慎重な製作では踏み込めなかったのか。
Baiju Bawra (Hindi/1956)をYTで。英語字幕付き。
あらゆる芸道ものの母とまで言われている名作、そしてSLバンサーリーがリメイクを製作中というので、早く見ようと思っていた。シェマルーの全編動画があったので勇んでみたのだけど、なんかかったるい。古典声楽的なものよりもフィルミーソングの方が威張ってる。そして権勢を誇る宮廷音楽家との対決という力の入るプロットに行くまでの道筋がどうもまだるっこしくて説得力がない。特にダコイトの女性のくだりとか。調べてみたらオリジナルは2時間45分あるはずなのだけど、YTでは2時間35分しかなかった。10分のカットが大きいのかどうなのか、DVDを買うしかないのか、しかしシェマルーDVDだと中身同じという可能性もある。終盤の悲劇に至る道筋も、ウィキペディア読んだら細かく書いてあったけどYTではバッサリ刈り取られてるし。ないし。ともかく本作は、事前に言われていた「古典ベースのミュージカルなどウケない」というのをひっくり返してヒットになったという。主演のバーラト・ブーシャンはその後も似たような作品に出たらしく、フィルモグラフィー追跡の必要を感じる。
Halal Love Story (Malayalam/2020)をSGAPで。
『ナイジェリアのスーダンさん』のザカリヤ監督の第二作目で、アマプラオリジナルのOTTリリース。保守的で信仰熱心なムスリムのコミュニティーが、安心して皆が見られる「コミュナル映画」を作ろうとする一部始終を描くコメディー。肌の露出や抱擁などはハラームなので写り込んではならない。またそうした条件をクリアしたうえでも、劇中のカップルは実生活のカップルでもないと安心できない。そこに、そんなの知ったこっちゃないのアート志向の監督が登場して起きるあれこれ。多くのレビューが本作をサタイアと評しているが、サタイアのサタイアたるところは、そのハラールなカップルを劇中および劇中劇中で演じるのがヒンドゥー教徒とクリスチャンであるところではないか。ただの人からちょっとした訓練を受け縁起の才能を開花させる妻役のグレース・アントニーが素晴らしい。インドラジットの痛い人ぶりは演技なのか素を活かしたものなのか分からなくて怖い。草の根イスラムにコカ・コーラ反対の左翼主義がブレンドするところに痺れる。性にまつわる夫妻のプライベートな会話に感銘。
Master (Tamil/2021)を川口スキップシティで。
館内の治安はまあまあ許せる限度内。本作でもローケーシュ・カナガラージの癖が面白かった。それは意地でもロマンス描写に時間を使わないぞというのと、主人公が抱えたトラウマを、通常のタミル映画のような親切仕様フラッシュバックでえ丁寧に描かないというの。VJSはこれまでのヴィジャイ映画の最凶悪役か。アンドレヤのキャラの位置づけは不明ながらカッコいいシーンがあって良かった。シャンタヌ・バギャラージの面変わりに驚く。チェンナイなのかナーガルコーイルなのかよく分からない場面あり。ヴィジャイはもしかして初めて本格的に脱いだか。ボリウッドの人造速成筋肉の塊と違って非常に美しい仕上がりだと思った。子供たち以外にも、意識的に背の低い俳優が集められたのか、俯瞰撮影の工夫があったからなのか、屹立するヒーロー像が強調されていたように思う。最後のメッセージ「子供たちが武器をとることがないように1人で戦う」は素晴らしいが、ある一線を越えてしまった犯罪者は、犯罪の理由がその生い立ちにあろうとも死ななければならない、というリアリズムも示した。映画からの引用多し。
Iraivi (Tamil/2016) をDVDで。
@PeriploEiga カンナギが前面に出されたのは、結局「カンナギがconsortではないから」に尽きるのかも。コーワランはいかなる意味でも神格化はされなかったから。ケーララならバガワティになっていた。タミルでなら単独神としてアンマンというのもあったが、アンマンにはあまりに色がつきすぎていたため避けられたのか。
Iraivi (Tamil/2016) をDVDで。
3年ぶりぐらいの2回目。以前見た時に何らかの感想を書きなぐったと思ったのにどこにもない。せんじ詰めれば女性の受難を描く作品であるのだけど、それをTVシリアルのようなメロドラマにするのではなく、男たちの破滅の物語として描いた点が素晴らしい。ただ、SJスーリヤのパートはこれでもかと言うぐらいに執拗にイタくて、ちょっと息苦しくなる。登場するほとんどの男たちが犯罪を犯すのだが、犯罪を犯すのと引き換えに守りたいものというのが、やはり冷静な目で見るとそれに値しないものであることがハッキリ分かる。まあそれにしても、この入り組んだ筋の中心をなす「カンナギと悪魔」というのが釈然としない。現代のタミルのヒンドゥー教信仰ではカンナギというのはややマイナーな女神のはず。美術品を買いあさる外国人に対するアピールなら、カンナギと言うよりは「チョーラ朝のブロンズ」などと言うはず。そして古代のカンナギ物語には、「悪魔」に代表される怪力乱神の類はほとんど出てこないのだ。このあたり、映像作家がカンナギに込めたメッセージを知るためにもう少しレビューを漁らなければと思った。
Sufiyum Sujatayum (Malayalam - 2020)をUSAPで。
監督が死んだというニュースから入った作品。カンナダ語を話す住人もいる西ガーツ山中の村にやって来る若い男。スーフィーとのみ名乗り、アザーンで美声を聞かせるが、祈りの最中に息を引き取る。その男と過去に愛し合い、今は見合い結婚をしてドゥバイに住むスジャータが葬儀に駆け付け、その過去が明かされるという物語。久しぶりに現れた本格的イスラーミケイト作品。まず、風景が霊的なオーラを帯びているようでびっくりする。山奥のようでいて、俯瞰になると美しい平野のようでもあり、どこまでが実写なのか分からないが、言ってみたくなる景色。うっとりとしたいい時間を過ごしたが、批評はかなり厳しいものが多かった。123分しかないのにかなりゆったり感じた、そのテンポが批判されたのか。まあしかし、ムスリム・ソーシャルから一歩踏み込んだ霊的な語りの試みは評価したい。それと何をやっても絵になるアディティ・ラオ・ハイダリのあれこれと、ムスリム音楽の煌びやかさに点が甘くなるのはある。スーフィーが練習したりしている旋回舞踊は、ケーララにも実在するのか?
君の結婚式(너의 결혼식、2018)をオンラインで
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第6回。疲れていたので、大流血とか無さそうなロマンスは良かった。2005年江陵に住む高校生が転校生に一目ぼれして、相手をどこまでも追い求め、くっついたり離れたりしながら2018年の現在に至るまでの話。主演俳優は絶対何かで見てると思ったけど、後から検索したらやはり初見なのだった。またしても韓国俳優の顔似杉問題。女子の方は背景にシャレにならないDVの親族を抱えているのだが、そのあたりは割とあっさりと描かれ、逆にそこにリアリティーがあったかも。どん底から自力で這い上がり、クリエイティブ職に就き、海外駐在をオファーされるまでになった女子と、彼女を事故から救うために怪我したことによってなぜか低迷してしまう男子とのコントラストは、もうちょっとはっきりしていた方が良かったかも。ホモソーシャルな男同士の付き合いの部分は、理想化されていたけど面白かったし笑えた。これと全く同じストーリーを日本映画で見せられたら、自分はどう反応するだろうかと考えてしまった。
浮島に生きる人々/Floating Life/Phum Shang (Manipuri/2014)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。マニプル州インパールに近いロクタク湖に暮らす漁民と州政府の開発局との戦い。浮島と言うのは比喩かと思ったら、本当に水に浮く草の堆積の上に暮らしているのだった。この浮島は人の手で動かすこともできる。澄み切った湖と白い積乱雲のある空との広がりは、白昼夢のよう。1983年からの開発プロジェクトと2006年の(ラムサール条約批准によってきたる)国内の保護法の制定によって、浮島に暮らして伝統漁法で生計を立てる漁師たちの生存が脅かされる。当局は重機で漁師たちの家を壊すことに熱心な一方で、ダム建設によって湖に流れ込んだ膨大な生活ゴミの堆積には無関心。ゴミの出元を漁師たちだと決めつけて非難する。冒頭の浮島の家が燃えるシーンはシュールレアリズム映画のようだった。
老人と大河 Old Man River (Mising, English/2012)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム州東部のブラフマプトラ川北岸、淡水に浮かぶ島としては世界最大のマジュリ島に暮らす人々の生活誌。ドキュメンタリー映画のいいところで、途中で止めて検索したのだけど、Gマップでは島に見えなかった。実際は半島状の付け根をKherkota川が突っ切り、モンスーンで増水するとクッキリと島になるというものらしい。巨大な本当の周辺に名前もない無数の島々が季節によって現れたり水没したりする。ブラフマプトラ川はどう考えても暴れ川だが、ミシン族の100歳を超える老人はババと呼び崇拝する。国や州による治水事業はことごとく失敗し汚職役人を肥え太らせただけで、島の浸食と森林の消滅は進むばかり。アニミズム的宗教を奉じ水牛と牛の牧畜を生業とする人々は、最小限の持ち物で川と共に生きる。川は全てを与え、時に奪い去る。
僕らは子どもだった/Tales from Our Childhood / Loralir Sadhukatha (Assamese/2018)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム統一独立戦線ULFAの30年の闘争がいかに同州に爪痕を残したかということを、詩的な映像によって描く。思わせぶりな長回しは普段は嫌いなのだが、陰影に富んだ風景描写は飽きさせないものがあった。アッサムの民族紛争と言えばボド・ムスリムばかりに目が行くが、こちらはアッサム人の独立派勢力と鎮圧のため派遣されたインド軍との戦いによって荒廃した人々の生を描く。現在の長閑そのものの景色の中での語りという点は「田畑が覚えている」と同じ。多くの人々はULFAに心情的な支持をしていたが、末尾に登場する若者の独白は、どちらの勢力も無辜の人を殺しまくったことを非難している。情勢が国軍有利になってくると、武装勢力の一部はミャンマーに逃れて挽回の時期を待つなどしていたこともサラリと語られていた。
1987 ある闘いの真実(1978일구팔칠/2017)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第5回。歴史のノスタルジーと、現在の韓国の左翼系政権のよって来るところとを感じさせる秀作。善と悪が割とはっきり分かれていて、知力体力を使った戦いが痛快でスカッとするポリティカル・スリラー。コスタ・ガブラスを思わせるところがある。プロパガンダ映画に転ずるギリギリの線で踏みとどまった感じ。特にジャーナリストの描き方。しかしまあ、この87年に、日本では88五輪を控えて何となく友好ムードが醸し出されて「韓国文化の発見」的な言説が多かったんだよなあ。キム・ユンソク演じる対共捜査所の所長の描写が凄い。要するに対北朝鮮に特化した国の諜報機関なわけだが、やってることは北の諜報機関と同じ過激さ。やっぱりコリアはひとつ。それから教会が反体制運動の表舞台に立ったという部分の描写が劇的すぎて言葉を失うほど。また、黒塗りで乗り付けて料亭=妓生ハウスで密談というのの描写が日本の料亭のそれとほぼ同じでため息が出た。
マニプールのラースリーラ/Raas Leela of Manipur (Manipuri/2018)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。これのみ英語字幕。マニプル・ダンスとカジュアルに括られている芸能、奇抜な衣装から勝手に面白エスノ系と思い込んでたけど、認識が改まった。字幕付きで見ると実に深い。記録映画なのに、見ていて何度か意識が飛びそうになった。脳内お花畑状態。クリシュナ役の少年たちとゴーピ―集団(少女から中年女性までいる)のプリマになる少女たちのの巧みさが神懸かってる。あの特徴的なスカートは下半身の動きによる表現が封じられてしまうが、その代わりにあのスカートを意外な方法で舞台装置として使うのも見られた。クリシュナ以外の人物がヴェールで顔を隠しているので、生身と仮面の中間のような感じになり、幽玄の境地となる。もっと色々見たい。