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男と女(남과 여、2016)をオンラインで。 

韓国文化院の「韓国映画特別上映会」ドラマ特集の第一回。もしも「隣の女」のリメイクとかだったらどうしようと懸念があったがそれはなかった。フィンランドとソウルの高級住宅地とが舞台で、さらりと透明な感じにまとめた不倫もの。主演の女優は最初に登場してきたところでは、なんか薹が立ってるし、ヤンキーっぽくも見えてどうしたものかと思えたのに、中盤以降しっかり感情移入させる。男優の方も、トッポい学生風なのでストーカーの生々しさがない。純粋な恋愛感情を描こうとするときはとりあえず現実感のない場所に舞台を移す&登場人物に生活の心配をさせない程度に裕福にするというのはセオリーか。まあ、じれったい進行なんだけど、こういうテーマの場合は観客にじれったさを感じさせれば勝利なのかもしれない。

「僕の名はパリエルム・ペルマール」 

についてふっと思ったんだけど、あのカルッピの死は、スパイク・リーの「マルコムX」での主人公の父の死のシーンにインスパイアされたものなんだろうか。「マルコムX」見てないんだけど。

ヒンディー語映画の研究者が何かのきっかけで地方語映画を見るようになったらしく、 

その過程で思いついたことを書いているのがかなり酷い。「プロダクションバリューや演技の技術にギャップがある」と書きながら、言い訳がましく「必ずしもヒンディーの方が勝っているというわけではない」とか注釈して、結局何が言いたいのか分からない。地方語俳優がヒンディーに何本か出ただけで終わっていることを、「ヒンディーへの挑戦に敗れた」としか見ない典型的なボリウッド原理主義。こういう発想の人間はやっぱりインドにもいるんだ。
madhulikaliddle.com/2021/04/28

The Disciple (Marathi/2020)をNetflixで。日本語字幕付き。 

邦題は「夢追い人」。チャイタニヤ・タームハネー作品だから、予定調和の芸道ものにはなる訳ないのは分かっていたのだが、なんとも心ふたがれる一作。ヒンドゥスターニー音楽についてよく知らなくとも、主役の男の「ダメなアーティスト」オーラが凄くていたたまれなくなることも。24~36歳の変貌と合わせて凄い演技。リアリティーショーの優勝者である女性の挿話によって、旧時代の求道的古典芸術と現代のポップカルチャーの対比は非常に明快に描写される。しかし純粋を求める古典芸術において、どうしてもブレークスルーできず、一家をなせない者はどうしたらいいのかという話。歌において霊感の降りてくる無我の境地を達成できない主人公だが、ムンバイの街をバイクで移動する時だけは、全てから解き放たれ浮遊する境地を味わう皮肉。最後に彼は音楽家としては半端なまま、アールワール派の伝統遺産の管理人的なところに落ち着くことが暗示される。彼を叱咤する実在のグルもまた、老いて衰えていくことが示され、声を聞いたこともない伝説の女性歌手の教えだけが残される。

Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela (Hindi/2013)をDVDで。 

タミルが誇る天才カメラマンのラヴィ・ヴァルマンが手掛けた作品であることを思い出しやっと鑑賞。SLBについてはもう全く合わない監督だから期待せず。ロミオとジュリエットからインスパイアされたと冒頭で謳われる。まあしかし、後はどのくらいオリジナルから遠ざかるかに勝負どころを見出したようにも思えた。舞台はグジャラート(ロケ地の一部はラージャスターンだが)。嬉しいと言ってはぶっ放し、悲しいと言ってはぶっ放す、DQNだけが住む架空の街が舞台。DQNだらけの中で特に蓮っ葉な男女が出会って一目惚れ。映像が美麗に作り上げられるほどにストーリーの空虚さが浮かび上がる。美男美女がお互いをうっとり見つめ合うだけでは「運命の恋」とはならない。ヤンキー同士の惹かれ合いというなら、もっとざらついた演出にして欲しかったが、どこまでもDQNな不条理劇のよう。例によってディーピカーに不満。静止画像だと﨟󠄀たけて高貴なのに、どうがになると妙に薄っぺらい。場所の設定から衣装、儀式まで全てがそれっぽく作られた架空のインドに見えた。

王の預言書(흥부: 글로 세상을 바꾼 자、2018)をオンラインで。 

韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第4回。劇中の「興夫(フンブ)伝」というのは実在の書物だと知った。で、また劇終後に出演者の顔を画像検索してどひゃーとなる年中行事。人気者の●●がカメオ出演と解説サイトに書いてあっても劇中の誰だったのか全然分からないとか、何度も連呼される登場人物の名前が覚えきれなくて心許なくなるとか、役職名がさっぱり分からないとか、そもそも人名を聞いて男なのか女なのかも分からないとか、あと見覚えのある顔だけど過去の映画で見た俳優なのかそれとも整形で同じ顔になってるだけなのかとか、五里霧中感を楽しむ。自分が普段見ている地域の映画を始めてみる人はこんな感じなんだろうというのを噛みしめる。「朝廷」と「王宮」が混在しているなど、字幕は多少腑に落ちない点あり。クライマックスの御前上演の踊りと歌は現代舞踊みたいでカッコいい。これまで見てきたかぎりの時代物では、王の正当性は絶対だった。悪役は全て大臣。あとなんだろ、歴史的背景などを解説したきちんとしたレビューがないかと探してみたんだけどなぜだか見つからなかった。

Chekka Chivantha Vaanam (Tamil/2018)をDVDで。 

昨日の投稿に途中で文字飛びが起きてた。そこで書いていたことを再現する。
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久しぶりに途中で止まるDVDだった。なだめながら何とか見通した。まだ感想がまとまり切れない。途中は「あれ、これシェイクスピアの翻案だったっけ?」というくらいの根源的な人間ドラマに見え、ところどころでマハーバーラタにも見え(ジャヤスダーとクンティーが重なった)、最後はタミル・ニューウェーブになった。ジャヤスダーとプラカーシュ・ラージ、アラヴィンド・スワーミがシェイクスピア的な世界を支えている。

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Chekka Chivantha Vaanam (Tamil/2018)をDVDで。 

久しぶりに途中で止まるDVDだった。なだ最後にダーは時にクンティーにも見えた。疑いなく、彼女とプラカーシュ・ラージ、アラヴィンド・スワーミがシェイクスピア的な世界を支えている。最後に全部持ってくVJSはひとりだけ「血の抗争」的なざらついた世界にいる。アルンとシンブは血気盛んで軽薄な若いのという役どころなんだから薄っぺらくても構わないのだが、今一つ。これをファハドとドゥルカルでやっていたらどうなっていたか。アルンの根城がドゥバイというのは、富と享楽の巷の典型として分かるが、シンブの方のセルビアというのはロケの都合意外に必然性があったか。なんか寒々しい。ジョーティカは悪くないけど、もう少し鉄火なシーンがあってもよかったと思う。極妻軍団は気の強さというのはあっても、あまり内面的な肉付けはない。スリラーではあるが、最後のあれ以外にはどんでん返しはない。アクションシーンもあるが、銃を向けられた人間はやはり死ぬし、奇跡の脱出とかはない。あくまでも人間ドラマ。ARRのソングは驚くほどに引っかかりなく何も残らなかった。

Perumaan (Tamil/2012)をYTで。 

奇妙な体験。Speedの公式動画は字幕なし。Indian Movies With English Subtitlesなるチャンネルに英語字幕付きがあるが、なぜか音声が無関係な映画のものになっている。IMWESから字幕データをDLしてSpeedの動画に被せたが全く同期せず。しかたなくDLした字幕テキストをタブレットに表示して横眼で追いながらSpeed版を見るという変則に。それにしても誰が何のためにIMWES動画のような妙なものを作ったのか。1:47しかない作品ながら、ソングはいっちょまえに4曲ほど入り、一曲などはシンガポールでロケしている。ストーリーはありがちな若者と犯罪との間の緩く、付かず離れずの結びつきを描いたもの。犯罪は思いもよらず簡単に成功し、その後の場当たり的展開によって若者が揺れ動き、良心の呵責と新たなる犯罪の誘惑とがせめぎ合う様子を微かなシュールレアリズムを交えて語る。タイトルはシヴァ神の意味で、ソング中にもシヴァの名が繰り返されるが、あまり意味は分からない。アルジュン・ダースは顔と声の立派さと体の貧相さとがアンバランス。

朝鮮名探偵 鬼<トッケビ>の秘密(조선명탐정 흡혈괴마의 비밀、2018)をオンラインで。 

韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第3回。『朝鮮名探偵』というシリーズ物の3作目だという。韓国時代物なので、鑑賞後に恒例の俳優名の画像検索をして「うそマジこいつが?」をやった。連続ものなのでいわゆる「お馴染みキャラ」が確立されており、ゆるいギャグにも殺陣にも安心感が漂う。祟り+ヴァンパイア+宮廷陰謀+推理で、まあ後半に入ると結末は大体見えてくるのだが、ギャグとセンティメントとを交えながら見せるものになっている。こないだの「王と道化師たち」でも思ったけど、厳密な時代考証に拘るよりは21世紀の欧化した現代の視点(微妙な西欧ホラー風味とか)も適宜入れ込み、楽しさを追求したものになってる。資料:twin2.co.jp/catalog/%e6%9c%9d%

Kettyolaanu Ente Malakha (Malayalam/2019)をオンラインで。 

昨日のTGIKを見てはたと気づいたんだが、ここのところのマラヤーラム映画ではミソジニー批判の作品がやたらと目立つ。Kumbalangi Nightsみたいに大ヒットしたのもある。それで本作が思い出されてやっと見た。図柄だけ見るとほのぼの田舎コメディー風、だが実際はドメスティック・レイプを扱うというので。これは凄い、途中3分の2ぐらいまでは傑作の予感に打ち震えてた。主人公が自然の中で覚醒するシーンで最高潮となり、その後失速。よくあるラブコメのハッピーエンドパターン(別れが見えて愛を悟る)に落とし込まれ、モラル的にも問題のあるエンディングに。カップルが受けたカウンセリングを描写しなかったのも気になる。ただ、アーシフ・アリの演技者としての覚醒ぶりにはこちらの目が啓かれた。田吾作であるが社交的、一方でインド男にありがちな極度の鈍感、マザコン、潔癖症、などなどの側面を見事に一つの人格にまとめ上げて演じた。見た目にも、臆病で繊細な青年と角刈りの農家のオッさんとが明滅して、目が離せないものになっていた。

映画も特定地域のものをかれこれ20年も見てると、 

個々のストーリーはもちろん気になるけど、その地域の映画界のより大きな集合的な物語として見てしまうというのはどうしてもある。

The Great Indian Kitchen (Malayalam/2021)をオンラインで。 

パワフルで、ヒリヒリとして、タフで、ハードコアなファミリー映画。ミソジニー批判が大爆発のメッセージ作品で、見事な出来だが、好きかと言われると全く宜えない教育的ドキュメンタリーに似た一本。この数年、マラヤーラム語映画で特に目立つtoxic masculinity批判のテーマ。Kumbalangi NightsやIshqなど秀作も多い。それだけ男性の側にも疲弊が募っているということなのか。家事労働マシーンとしての単調で過酷な昼と、セックスマシーンとしての同じく辛い夜の繰り返し。OTTリリース前提だったのかインターミッションに当たる部分がない。ただし後半に入ってシャバリマラ巡礼のモチーフが加わることによって一気に政治性と社会性が加わる。撮影はヒロインの背後に貼りつくような徹底的なリアリズム。開始間もなくの旨そうな料理の数々がやがて食べ残しと詰まるシンクと汚水溜めに取って代わられ、その臭気が感じられそうなほどになる。超保守的な人々の間にもFacebookが広まり、監視ツールとなっていことなど痛烈。

Vakeel Saab (Telugu/2021)を川口スキップシティで。 

大体筋は分かってるし、タミル版のリメイクは数日前に見たばかりなので、緩い心構えで臨んだ。メッセージ映画としては50/100点ぐらい。ナーラーヤナ・ムールティの赤旗映画のウルトラ・デラックス版みたいな感じで、女性を性的な脅威から守ることよりも弱者に寄り添う弁護士先生を礼賛することに重点が移ってる。アジット版のリメイクだが、さらに増し増しになってて、オリジナルからの借用部は圧縮されて早回しに。「あんたはヴァージンか」というのも敵方弁護士が言うというのに変わってたし。北東州出身の3人目の娘はアディラーバード出身のトライブの女性に代わってて、この人が証言台に立つシーンがなく、従って例のグッとくるセリフもなかった。弁論の最後の英語のパワーフレーズもなかったし。全体にテルグの保守的な観客に配慮した作りになったか。本当に問題なのは、これを見た観客が「だから娘は独りで街に行かせたりできないんだ」と思ってしまわないかという点。たとえ性風俗産業の女性であっても、その意思を無視した性行為を行ってはならないというメッセージは伝わったか。

Jathi Ratnalu (Telugu/2021)を川口スキップシティで。 

まあ予想通り早口の字幕になかなかついて行けず、しかもその字幕がところどころ消えたりしてた。ときどき出会うことのある「よく分からないけどなんか楽しそうだなチッキショー」というタイプ。マスト・アリーも出てきて、ハイダラーバード・ウルドゥー語映画を彷彿させるところあり、あるいはLadies Tailorの呑気世界を思わせるものもあり、新しいスタイルのテランガーナ映画の可能性を窺わせるものがあった。主演の3人のうちプリヤダルシはTelangana Baashaで定評があるのだという。カメオのヴィジャイDにいたるまで、全体にテランガーナ色の強いキャスティング。センサー付きで自動で水が出る蛇口の使い方が分からなくてまごつく田舎ものとか、犯罪再現ドラマで実物と全然違う凶悪な俳優が出て来るとか、下手なギャグで笑わせる。法廷のシーンでブラフミーが渋い演技をしていて唖然とするなど。最後のナヴィーンによる自己弁護演説は支離滅裂なそれらしいフレーズの寄せ集めで笑わせるものだったと思うが、それぞれのネタ元が分からずにやや不完全燃焼。

インド映画における「外国人向け」と言う雑な言い方に関してはどこかで一度書いておかなければという気になっている。 

欧米諸国の映画チケット定価がインド国内のものよりも圧倒的に高いのは疑いようがない。つまり少数の動員でも売り上げが上がるということだ。だからどんな作品でもoverseas revenueは無視できないものになってるし、映画製作者が海外市場を意識してしまうのは当然だ。しかし海外市場の内実はNRIだと言うことは明記しなくてはならない。NRIの嗜好は国内のインド人とは多分微妙に違うものだろうとは思う。しかし欧米人がインド映画を全面的に受け入れているかのような誤解を与える言説はまずい。また映画館での興行と自主上映とを峻別する日本のような考え方はインドには全くない。欧米や中東でも、かなりの国が両者を分けてカウントしていない模様。この辺りを腑分けしていかないと、「世界に躍進するインド映画、日本はインド映画後進国」というような妙な上から目線の言説の跋扈を許すことになってしまう。

Mookuthi Amman (Tamil/2020)をオンラインで。 

いやなかなかに楽しい時間を過ごせた。Kanchanaを思わせる騒々しいコメディーと、ナヤンターラの神々しさと、時事ネタを盛り込んだギャグ、アジャイ・ゴーシュ(最初の構想でハリハランだったという)の布袋様みたいなゆるキャラ感、それぞれがいい感じにミックスされてるし、ナーガルコーイルのむっとするような熱気(明らかにチェンナイのそれとは違う)合わさって、ビジュアルだけでも大いに楽しめた。欲を言えばナヤンの無双シーンがもうちょっとほしかった。中盤ではアンマンがティルパティのバーラージに対抗意識を燃やすところがあってウケたが、さすがに人気ナンバーワンの神様を悪役にできるわけがなく、その後にゴッドマンが登場し、大体先の読める展開に。「PK」を思わせる問答の果てに「神は皆の心の中にある」ときれいに〆た。出奔した父の回心と母の拒絶のシーンは「クイーン」か。ともかく、キンキラ神様装束でなくとも神としての存在感を出せるナヤンターラは大したもの。「Ammoru」のラムヤ・クリシュナンの鬼気の再現を追求することはせずに、神の威厳を表現した。

Nerkonda Paarvai (Tamil/2019) をオンラインで。 

テルグ版が上映されると聞いて、慌てて見た。テルグ版はヒンディーのオリジナルよりも、こっちから持って来てるんじゃないかという気がしているから。予想通り余計な枝葉がついて、オリジナルに20分プラスされた156分。公園とガレージでのよく分からない格闘と、いくつかのソング、それに亡き妻とのセンチメンタルなエピソード。しかしまあ、無理筋と思われたアクションの入れ方は上手い。オリジナルではバッチャンは認知症の初期症状らしきものを暗示していて、実はそれが一番のスリリングな要素だったりしたのだが、アジットの場合は双極性障害というのに変わってた。主役の女性のサブにムスリムとNE人というマイノリティーを配したのは原作に同じ。ヴィディヤのパートはどういう風に解釈していいのか悩む。出産という大事に望んで殉じた聖なる母性という扱いなのか。いずれにしてもあまり感心しなかった。法廷でのアジットの話術は見事。役名がバラット・スブラマニヤンというのは、スブラマニヤ・バーラティへのオマージュ。スーパーヒーローぶりの誇示とテーマとの危ういバランス。

Nainsukh (Dogri/Kangri - 2010)をVimeo有料配信で 

48時間の中で2回見た。初回は人物相関関係が全く把握できず。細密画の画家にまつわる話だとしか知らなかったが、その画家ナインスクの有名作品を活人画のように再現するショットの積み重ねと、若干の説明的描写+瞑想的長回しだけでの82分。ジャスローターなどに残る遺跡を、往時の華やかな宮殿に見立て、活人画のように細密画を再現する手法で構成した映像詩。パラジャーノフを思わせるが、霊性ではなく乾いた感傷が込められた画面。廃墟を前にして映像作家が幻視した過去の情景を映像化したとでも言うような。小さいとはいえ宮廷でのあれこれの行事は優雅で、白い長衣をまとった男たちの仕草が雅やか。正面か横顔かのどちらかで写される人物像。ほんのわずかではあるものの歌舞音曲のシーンがあり、神寂た情趣があり非常に印象的。二度目のある程度背景を把握した上での鑑賞では、ナインスクと兄のマナクとの間で画業を巡っての確執があったらしいことが仄めかされるが、これは史実だったのか。ラージプートとムガルとの両細密画の間でのブリッジとしての側面も興味をそそられた。

Drishyam 2 (Malayalam/2021)をDVDで。 

ケーララの兄ちゃんがどうしても見て欲しいと言ってきた。パート1から6年後という設定。実際の年月の経過に揃えたのかと思ったけど、前作公開は2013年だから、8年たってるはずなんだけど、2015年ヒンディー語版のことが念頭にあったのか。まずは次女の成長ぶり(あたりまえなのだが)に驚き、そして絵に描いたようなリアルな反抗期ぶりに笑った。全体の調子は苦渋に満ちたもので、一家がトラウマに苛まれ、また警察による再度の取調べの恐怖と隣り合わせで生きていることが克明に描写される。これは世の完全犯罪クライム映画のハッピーエンドに対する辛辣な批判となっている。この棘を抱えながら死ぬまでを過ごすことが、理由は何であれ人を一人殺したことの罰なのだという明確なメッセージ。トリックにはやや苦しい部分もあったが、それを劇中人物に「かなりリスキーだ」と言わせて、あらかじめ批判を封じる手腕。これほど苦悩に満ちたモーハンラールを見たのはChenkol以来の気がする。白骨はDNA鑑定できるが、遺灰になってしまったらそれはできないというのを後から調べて知った。

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