もっと見る

82年生まれ、キム・ジヨン鑑賞。
人間って心の栄養が足りないと簡単に壊れちゃうんだなぁ。憑依状態の時の人格がジヨンを守ってくれていた(あるいはジヨンが守りたいと思う?)女性なのも、女性として生きる苦しみの一つにも思える。そのみんなが味わってきたことだから、「わかるよ」「ごめんね」を含むような守り方。赤の他人で、ジヨンを詰る側に女性がいるのも、ジヨンを守る女性がいるのも強く印象に残った。
ものすごく嫌な人も出てくるけれども、例えばその人がいなかったとしてジヨンの生きづらさが消えるわけではない。誰か一人が特別悪いってわけではないのが、根深い問題だしリアルだと思う。リアルと言えば、カフェで盗撮事件の顛末を話した後、女性たちが吐くため息が、ズシッときた。冗談みたいに笑い飛ばせもしない、どうしようもない時のため息。

僕らの世界が交わるまで鑑賞。
誰と誰の世界が交わるのか、ポスターもあらすじもろくにチェックしないまま見始めたので最初あまりわかってなくて、あーそういう話か!となる終盤がすごく面白かった。最後にやっとお互いを”見つけた”。映像として映るものは静かなんだけど、最後、ほんとめちゃくちゃ良かった。結局似てるんだよね、反骨精神とか、好きな人にエゴを押し付けるようなところとか。もしかしたら、そうやって身近な人の中身が見えてくることで、自分自身を知ることにもなるのかもしれない。
好きにもいろいろ種類があるんだろうけど、社会問題に対する姿勢が好きなのに、その内容には注意を払わないし何一つわかってないんだな…というジギーの軽薄な若者感が素晴らしい(褒めてない)。が、単純に疑問なんだけど、好きな人の好きなものって知りたくならないんだろうか。

野生の島のロズ鑑賞。めっちゃ泣いた! 

観る前から泣くと思ってたけど、やっぱりすごく泣いた。ロズには必要とされることが仕事で、あれだけ一生懸命(空回りの)プロモーションをして、初めて必要としてくれたのがキラリだった。利用してやろうと近づいたチャッカリ。そうして出来上がる家族。そもそもああいうタイプの家族ものに弱いのもあるし、みんないいやつでさぁ🥲
子育てってこういう感じだなーよりは自分の親ってこんな気持ちだったのかなーという方向ではあるんだけど、デコボコ家族の子育て・子離れの面でも泣いたし、チャッカリが意外としっかり寂しがりなのもめちゃめちゃかわいくて泣いた。ひとりぼっちなのは、三人ともそうだったのか。
ロズもだし、周りの動物たちも、プログラムされたものから変われるということと、変化への戸惑いや葛藤も含めて変わったことで築かれる関係が愛しい。

ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇鑑賞。
え、うそ…こんなの奴隷じゃん、現代の話でしょ?ってなる。夜道を歩いてたらいきなり拉致されて気づいたらもう船の上だったとか。何年も働かされ続ける。今なら帰れますと手を差し伸べられても「もうここで妻子がいて今の生活があるし…」って、10年とか20年とか、元の人生よりも長いくらいそこにいる人までいて、もう何とも言えない重苦しい気持ちになってしまう。
タイの(違法)漁業の現場もすごいけど、そのまぁ言ったら奴隷扱いされてる人を、ただそうすべきだと思ったという動機で助けようと活動してる人もすごい。本当に。
例えば屠殺の過程を見てお肉食べられなくなる人っていると思うけど、食卓の魚料理から巻き戻っていくという最後の見せ方が面白くて、魚自体がどうっていうのじゃないのに魚食べるの怖くなるね。

リアル・ペイン〜心の旅〜鑑賞。 

すごく好きかもしれない。修学旅行みたいなツアー、年代も人種もバラバラなグループ、ルーツを辿る旅。どの要素も良かったし、そういうバラバラさにズカズカ入り込めるベンジーと一歩引いてしまうデヴィッドというキャラクターもすごく良かった。
ベンジーがどれだけ傍迷惑なやつでも、そのあけっぴろげなあたたかさにみんなが彼を好きになる。それが誇らしくて妬ましくて、大好きだけど同じくらい憎い。私はどちらかというとデヴィッドのような人間だし、ベンジーのような友人がいる(もちろんあれほど破天荒でも尖ってもいないが)ので、そういうデヴィッドの気持ちに共感して結構泣いてしまった。彼になれるならなんだって差し出すのに。それなのにその彼は。ベンジーは肝心なところに踏み込ませない。
ベンジーの苦しみに迂闊に踏み込めない遠慮と罪悪感を抱いているデヴィッドが、旅の終わりにバチンとやるのがおかしくて、そこでも笑って泣いてしまった。結構痛そうな音がしたぞ!

オン・ザ・ロード〜不屈の男、金大中〜鑑賞。 

民主主義を確立したいの一心で、そこまでできるのか。拘束されても、拉致されて殺されかけても、死刑を宣告されても、亡命しても、そのためにずっと活動し続けて、戻ってくる。
それに、熱狂して迎える民衆っていうのも、なんか、自分の身に置き換えると、そこまで政治に一生懸命になれるか…なれてないなぁ…。
去年『ソウルの春』を観ていたので、あ!わかる!となる部分があったものの、もうちょっといろいろ勉強してから観ないとなーと思った。勉強って言っても、映画観るだけだけど。

ボーダーランズ鑑賞。
アクションがちょっとぬるいのは否めないが、素直に楽しかった。ケイト・ブランシェットがこんながっつりエンタメに振ったゲームの映画に出てくれると思ってなかったし。見た目もガチャガチャして楽しかった。一匹狼系主人公に行きがかり上仲間が増えていくような話、好きだし!
ケイト・ブランシェットにしてもジェイミー・リー・カーティスにしても、あと私の大好きなジーナ・ガーション!も、わりと年齢高めな女性がこういう…なんていうの?しっとりしてない感じ?で映画出てくれるのって、結構嬉しい。

敵鑑賞。続き。 

代々そこで暮らしてきた人の気持ちは、人が失われてもあの家にずっと残り続ける。物置のアルバムのように昔から彼へとつながり、彼から次の世代へと受け継がれていく。過去も現在も未来もあの家でまじりあう。「男の人が立ってましたよ」と教え子が言ったあれは、ご先祖じゃなくて、映画の最後で家屋を受け継ぐことになった人のことだと思った。

スレッドを表示

敵鑑賞。 

食べることは生きることだなぁ。手元と食材が映る、丁寧な料理シーンがやたら印象的で。だって私、一人で串焼きって絶対にしない!ただフライパンで焼いて食べちゃう(ずぼら!)
夏~秋に続くそんな生活と、寒くなるにつれて失っていく料理への熱意と心の均衡。例えば体の不調、クローゼットから出てきた妻のコートを抱きしめる瞬間、斜陽なジャンルとわかっていても打ち切りになる連載への気落ち。そういう少しの寂しさが重なって死・老いに傾いていく。迫りくる敵とは、逃れようもない死や老いかもしれないし、自分を取り残して流れていく時勢かもしれない。あるいは、死を前にして思い出す罪悪感や心残りかもしれない。妄想?夢?に責められて苦しんでるけど、下心が消えないって人間ってどうしようもないなぁと笑っちゃたし、本人がそれを分かっているなら何も清廉潔白でなくてもよいじゃないか、という気もした。

ミッシング・チャイルド・ビデオテープ鑑賞。 

見てはいけないもの?を見ることで呪われたり憑かれたりという話はよくあるけど、その何かの側に見られる/記録されることが失踪に繋がっているっぽい?のが面白かった。
映像の不気味さや、旅館の青年が訥々とした語り口、ばあちゃんの話の内容といったパーツは面白いんだけど、映画全体としてエンジンがかかるのが遅めなためか、あるいは無理に驚かすような話でないためか、少々退屈に感じる部分もある。個人的な好みとしてもうちょっと情報を開示してほしいというか、クリアにみせてほしいというか。まぁ、クリアにしてしまったら台無しになる部分があるというのもわかるのだけれども。

アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方鑑賞。続き2。 

(あくまでもこの映画の)トランプがこういう人なのは自分が空っぽだからかな、と思う。すごい人と友人の俺はすごい。自分の考えも別にないから、「金もうけは芸術だ」と言ったウォーホルの言葉も映画の最後の取材で「取引は芸術だ」としてしまうし、コーンのルールも自分のものとして、すごい人が口にしたことをそのまま自分の言葉にしてしまう。そういう空っぽの人が上り詰めていくのって、ひいては他人に勝ちたいだけの空っぽがもてはやされる今になっていくのって、シンプルに怖い。

スレッドを表示

アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方鑑賞。続き。 

3つのルール以外にも、有力者?成功者?をそばにおきたがるところも似ているなぁと思う。だからこそ、コーンにしてみたら、トランプの、何者でもなく、自分の言いうことを聞く、自分を崇めて頼り切っている若造、そういうところがかわいかったんだろうな。なんならラッセル同様ブロンドで体格の良い青年だし…。
一方で、トランプと違って、コーンには、成功の見込みがある者と付き合う・人脈形成によって便宜をはかったりはかられたりして、その中にある意味義理堅さ?を感じた。たとえばラッセルなんかは初期のころから恋人?付き人?の関係で、一旦お気に入りが変わった?という時期を挟んだけれど、それでもおそらく最期の面倒を見るというような動きをしていた。トランプにはそれがない。コーンを招いて自分の成功を見せつけ、寛大な見せかけで、大いに彼を侮る。自分の教えをまるっと受け入れた「怪物」を作ってしまったコーンの絶望。

スレッドを表示

アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方鑑賞。 

観終わって、映画終盤のロイ・コーンじゃないけれど、私も気力を吸い取られてぐったりしちゃった。とてもパワーのある作品だったから。
あまりぱっとしない青年が、どんどん権力者の顔になっていく。もちろんメイクの効果もあるし、権力者ムーブ?人の話を聞かなくなるようなキャラクターもあるんだけど、話す時のちょっと唇をとがらせたような表情とか、セバスチャン・スタンがどんどん今のトランプに似てくるのがすごい。でもまつげがセバスチャン・スタンだからちょっと安心する!(なんだそれ)
ロイ・コーンのジェレミー・ストロングもすごかった。なんかもう、目つきがただものじゃない。三白眼で表情も全然変わらないし、姿勢も独特だし。それと終盤の憔悴しきった弱弱しい姿のギャップがすさまじい。

聖地には蜘蛛が巣を張る鑑賞。
娼婦連続殺人と聞くとそこばっかり強烈に感じるけれど、むしろこんな事件が起こるような社会に対する視線が冷静かつ大層鋭くてしびれた。事件発生や捜査の停滞、そこに至る思想や社会構造が、やんわりと拒絶されたり、断ってもあからさまに迫られたり、ナイフを持ち歩いたりという、ラヒミの取材生活を通しても伝わってくる。敬虔な男・良い父親で良い隣人、そして"街を浄化する英雄"サイードも同様の距離感で描かれていて、怒りはもちろん感じるけれども、激昂というのではなく、冷静に理屈を積み上げている痛烈な社会批判という印象を受けた。
娼婦たちばかりが責められ蔑まれ、命まで奪われ、死んだあとでさえ恥とされる。そんな事件自体も重苦しい気持ちになるし、その価値観が無邪気に誇りとして受け継がれていくのもめちゃくちゃしんどい。

どうすればよかったか?鑑賞。続き。 

やっと治療が始められて、カメラの前でおどけたりするお姉さんの姿に心が痛んだ。普通の人が考えるまったくの“正常”というのではないにしても、正気を取り戻したら、まして本来医学を志したような人が自分を取り戻したら、20代~30代?たぶん人生で一番良い時期を失っていたわけで、自分の人生って何だったんだろうって思ったりしたんじゃないのかなぁ。かといって、今合う薬があっただけで、初期のころにどんな治療を受けられたかはわかんないんだけど。
途中でお姉さんに「パパやママに対する復讐なの?」と尋ねていたけれど(そういうところもずるいと思うんだよなぁ)、もしかしたら、この作品こそが弟としての復讐なのかもしれない。

スレッドを表示

どうすればよかったか?鑑賞。 

どうすればよかったって、そりゃあ何としてでももっと早くに病院に連れていく、というのはそうなんだけど。映像として(編集されて)残ったものとしては、両親は治療をしなかった責任を相手に押し付けあっている形になっている。それってずるいよなぁと思うし、当時結局何もできなかったのに、お姉さんが亡くなった後、老いてすっかりパワーダウンしている父親に対して当時ちゃんと診断を受けるべきだったんじゃないかなんて言うのも、なんだかちょっと弟もずるくはないか?とも思う。

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦鑑賞。 

一見ただの床屋のおじさん(眼光鋭い!)な龍兄貴がかっこいい。
洛軍が受け入れられたと感じた場所。九龍城砦の清濁併せ呑む懐の深さはそのままロン兄貴や若者たちの心の持ちように繋がっているようで、戦いが終わった後の光景、その場所が近いうちに失われていくとわかっていても、大切な場所として眺める4人の姿に、変に感動してしまった。4人の友情もラスボスの能力も、漫画みたいで面白かった。気功、強すぎる。
若者組の絆もアツいけど、若かりし頃の龍兄貴と殺し屋陳占の友情とその結末も好きです、とても好きです。
壁や机がぼろぼろっと崩れたりするのを観るとカンフー映画!って感じがするwそこかしこに出ているワイヤー?配管?とかを使ったり、ああいう作りの建物だからこそという縦横無尽に走りまわるアクションがユニークで楽しかった。

裸のランチ鑑賞。
何を観ているんだろう…意味がわからないということではなくて(まぁ、意味もわからないけど)混ざり合ってグロテスクに溶け出していく中毒者の夢と現実と恍惚。現実なんて最初からないのかもしれない。見えている世界が違う人、の世界を見るって、まさしくこういう感じなのかもしれない。でも完全に私向きの映画ではなかったなー、『ミミック』と同じ方向で。妙に内臓や生殖器っぽかったりする作りへのこだわりもその面白さもわかる、なんならクローネンバーグらしくて好きだ。でも足が多い生き物、苦手なんだよね。ごめんね。しかも喋るし。
人体が何かと融合してるのはよく見るけど、そっちとタイプライターかぁ!というのは意表をつかれたし、ちょっとだけ、あれがGとさえ思わなければ、クラーク・ノヴァはちょっとかわいいかもしれない。共食いするけど。

TITANE/チタン鑑賞。
アレクシアが産んだのは、大きくなりすぎて抱えきれなくなった罪悪感かなぁと思う。"良心"に咎められるのとかもそのままアレクシアの良心が傷んでいるのかな、お腹もどんどん大きくなるし…と受け取ったのだけれど、それだと陳腐すぎるか?
人間とは心を通わせられないアレクシア。狂気的な執着で結果的にアレクシアの全てをそのまま受け入れる消防隊長。心を許した人のために産み落とし、生まれなおす。自分の為にしか生きていなかった/生きられなかったアレクシアが、息子のためにしか生きられない男へ、人間として?たった一つだけできたこと。
マッチョな世界で生きる老いに抗う男性、アレクシアが性別まで偽ること、父親との確執?とか、意味があるのだろうとは思うけどまだよく飲み込めてない。
『クラッシュ』を思い出したりもしたが、趣旨が違う気もする。必要以上に(と私が勝手に感じてしまう)痛い描写が多くて、それなのに変に強烈な愛情深さ?家族愛?を感じてしまうところに『RAW~少女のめざめ~』と似た感触がすると思ったら、監督が一緒だった。

不都合な記憶鑑賞。 

映像が綺麗だし悪くはないけど、話は割と普通。
ナオキの続けようとしている生活はおままごとに過ぎなくて、たとえマユミとジェブの関係がなくとも二人の関係は終わっていたし、アンドロイドとの生活もいずれ破綻する未来しかない気がする。あの世界の技術がどうなのか知らんけど、アンドロイドは成長も老化もないだろうし、どう考えても彼が求める「本物のマユミ」であることは不可能。それに、外国で暮らして自分で店をもってるくらいに自立して開かれた生活をしているマユミを、二人だけの生活に閉じ込めてて上手くいくのか?と余分なことまで考えた。文句ばっか言ってるけど、異国で同郷の人と出会うみたいな二人のなれそめや、もう疲れたって言う別れ話の感じとかは、こういうこと普通にありそう…という妙なリアルさは、良い意味で嫌だった。
映像はリッチだけど、よく考えたら登場人物も少ないし、よくある設定だし、宇宙でやる必要あったのかなぁ(よくある設定だからリッチに見える宇宙でやったのか)と、ほんの少しだけ思う。

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。