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Amaran (Tamil/1992)をYTで。字幕なし。 

昔字幕付きDVDが出ており、そのカバーだけはよく覚えてたのに買ってなかった痛恨の一本。この1992作品が現在タミル語映画の定番であるガーナー・スタイルの歌唱の嚆矢だという情報を得たので、どうしてもチェックしたくなった。ストーリーは単純で雑。スラム育ちの孤児が、長じて親の仇である悪いドンと対決し、自分もドンとなり、その過程で大ぜい死に、最後に仇を惨殺するというもの。カーチェイスだの爆発炎上だのビジュアルは派手だが、エクゼキューションが雑で、つながりが悪く、狙った効果が出てない。また本作は殺人の流血をリアルに描くという意味でもトレンドセッターだったという。問題のガーナーは一曲目だが、今日のそれと比べると、たとえばウルミの音なども抑えてあって、随分大人しめ。ただし、その歌が始まる前に、「アマランのガーナーは最高だ、アマランのガーナーを聞いていけ」というぐらいの前口上がモブの一人によって口にされる。この文言は後できちんと訳を試みること。何度か出てくる港湾の景色はやはり北チェンナイか。悪いドンの息子を襲撃するシーンはゴッドファーザーから。

Nammavar (Tamil/1994)のテルグ語吹替版Professor Viswam (Telugu/1995)をYTで。 

字幕なし。また、後から調べたところではタミル語オリジナルより20分ぐらい短い。ヴィジャイのMaster がオマージュを捧げているというのを確かめたい一心で悪条件下でも見てみた。ストーリーは分かりやすい。荒れる学園にやってきた教授が、破天荒なやり方で授業を行い、暴れ者に対しても暴力以外の手段で教化を試み、歌ってよし踊ってよし、一般の生徒からの絶大な信頼を集め、同僚の女性教授からはベタ惚れされるが、実は癌に冒されているという話。モーハンラールのCheppuのリメイクと聞いてびっくり。あれはもっと荒くれ教師の話じゃなかったっけ。キャンサードラマと分かってから一気にストーリーが動くが、作中では主人公は死なないというのが珍しい。テーマは生真面目なものだが、ヒロインとの間での焦らすようなロマンス描写や、伴奏なしでのミュージカル、ナーゲーシュの踊りの巧みなところを見せたりと、各アイテムが魅力的に作られてる。これが成人デビューだったというカランの悪役造形はコッテリして印象的。

Kilometers and Kilometers (Malayalam - 2020)をNTFLXで。 

あのジヨー・ベービの過去作ということで、何かヒリヒリしたものになるに違いないと思って臨んだら、気が抜けるくらいの「ドライブングMissデイジー」型(見てないけど)古典的なほのぼのロマンス。型通りの展開で型通りに着地する。トヴィノはメカニックを主にした何でも屋でバカの子ちゃん。アメリカ人ヒロインは家族に問題があり、金(それもあぶく銭)の力以外何も信じない御大尽ツーリスト。バイクでケーララ起点でインド一周をするというのがちょっと現実感ないと思うが。しかも軽装で髪の毛も下ろしたままというのは元バイク乗りとして気になるところ。それからトヴィノが何回かレインボーカラーの服を着ていたのも気になったが、意味を分からず着用させていたのか。物語が本当に動くのはラージャスターンに入ってからだが、TGIKのお点前おじさんシッダールト・シヴァがいい味を出していた。ただ、現地観客にはあの顔が現れた時点でマラヤーリと分かっていしまい、種明かしの驚きは仲たんだろうなと思った。ブレットのエンジン音の響きを堪能した。

Nayattu (Malayalam/2021)をNTFLXで。 

クンチャーコーお坊ちゃんが深刻な顔で温泉に浸かってる画像が気になってた一本。見てみたら温泉気分は全くなく、最大の悪役は政治システムであるというポリティカル・スリラー。小さな悪役はゴロツキまがいのダリト運動活動家というのだから、もしも劇場で公開されてたら大騒ぎになったかも。しかし主演の(被害者としての)警察官の一人もダリトであり、その部分でバランスを取ろうとした苦心の跡がうかがえる。ダリト活動家の疑わしい交通事故死。選挙を目前に控え、野党や世論を刺激しないために州政府トップが即時の犯人逮捕を求め、警察トップもその圧に抗しきれず、色々と手続きを省略して主人公たちを犯人に仕立て上げようとする。それが分かっている主人公たちはひたすら逃げる。警察幹部の言う「CBIに介入されたらコトだ」というのが印象的。なぜCBIが存在するのかがよく分かる。色々なボタンの掛け違えが雪だるま式に膨れ上がって最終的な悲劇に繋がっていく脚本の見事さ。特に終盤のスマホをぽろっと落とすシーンの痛恨たるや。マーティン・プラッカートがここまで巧みな作劇をするとは。

Peraanmai (Tamil/2009)をDVDで。 

久々の怪作。カールティのAayirathil Oruvanに近いか。部族民差別を描いているというので見てみたが、それ以外にも共産主義と愛国(両者は両立する)、森林乱開発への警鐘などが未消化のまま混ざり合って、でも前半1/3以降は基本的にヘビーなサバゲ―描写でぶっちぎり、ロジックもブッ飛ばし、ジャナナーダン監督らしいというか、ちょっと前のタミル語映画らしいというか、壊れてるけど異様な迫力がある一本になってる。本作のため体を絞り、アクションの鍛錬を積んだジェヤム・ラヴィにとっても転換点となったらしい。冒頭で褌一丁のシーンがあるが、前からしか移さなかったのはギリギリの交渉によってか。セクシーイケメンで文武両道に秀で、しかも忍耐と寛容の心も持つという、あり得ないスーパーヒーローだが、JRのお坊ちゃん顔だともう突っ込む気力もなくす。しかし生徒の讒言によってトイレ掃除をさせられるシーンでの澄んだ瞳は忘れがたい。森の戦闘での、確実に相手の息の根を止めるメソッドの迫真性と、重火器戦の大雑把さのコントラストが酷い。部族民差別を描く部分は消音だらけ。

字幕のことで日ごろ以上に思うことのあった数週間、 

自分が翻訳を手がけたことのあるようなものならともかく、ぱっと見で誤訳を抽出するのは不可能に近い。だからその筋の専門家でも字幕の質の批判には慎重にならざる得ない。その代わりに句点の有無だとか固有名詞の表記だとかで翻訳者の姿勢や技量を推測するんだろうね。仮に正確な訳だったとしても固有名詞の表記が間違ってたらそれでサゲになるということは肝に銘じなくては。

AK vs AK (Hindi/2020)をNTFLXで。残念クオリティーの日本語字幕付き。 

アニルが落ち目の元スーパースター、アヌラーグはヒットから見放された元鬼才ニューウェーブ監督という身も蓋もない設定。二人の過去作の具体名もバンバン出てくる。アニルへの罵りが「ミスター・インディア(誰の視界にも入ってない)」とか、アヌラーグがアヌラーグ・バスと混同されたり、当てこすりは容赦なく、ボリに詳しければ抱腹絶倒だったと思う。アニルの息子のハルシャヴァルダン、まだ俳優としてはイマイチらしいけど、極めつけのおバカ演技が印象的。アヌラーグの悪役演技の方は、多分セルフダビングだと思うのだけど、声に迫力が足りない。顔面は充分にサイコなのに、『まばたかない瞳』のあの低音ボイスがないと、凶悪さも半減する。ともかく悪ノリもここに極まれりというヤケクソ力。群衆シーンなどもあることから、コロナ騒ぎ前に撮了していたものと思われるが、このイカレたテンションは、後から振り返れば2020年末の異常事態を象徴するものに見えるかも。お遊び映画ではあるものの、撮影技術はかなり高度で、事前に十分に計算されたものだと察せられる。

Victoria & Abdul (2017)をNTFLXで。邦題は『ヴィクトリア女王 最期の秘密』。 

米英合作作品でインド映画ではない。気になってたけど映画館に行くほどでもなかったのをやっと見られた。それにしてもアリ・ファザルの起用の意味は何だったのか。歴然と色悪の顔をしてるんだけど、その実在人物とは全く似てない色悪顔が、アブドゥルというキャラクターの解釈を難しくしている。低い身分からのし上がるためになんでも利用する策略家なのか、生まれや育ちとは無関係に天性の詩人だったのか。そして、女王が認めたウルドゥー語の日記が後世にアブドゥルの回想録と照合されてその裏付けとなるとか、どれだけ女王の語学力が凄かったのか、アブドゥルの教え方が上手かったのか。とはいえ、二人の交流は中断を挟みながらも10年以上続いたのだからあり得ることか。元になったノンフィクションの方がよっぽど読みたくなってきた。とはいえ、女王の臨終シーンは迫真的で感動的。「落ちていくよう」という女王に対して「身を任せて落ちればいいのです。安息に向かって」という意味の言葉を返すアブドゥルには、確かに師に相応しい洞察と不動の精神があった。

Mandela (Tamil/2021)をNTFLXで。英語字幕。 

寓話風とリアリズムが入り混じったメッセージ映画。村のこまごまとした描写にはリアリティがあり、たとえば「ようこそサッジャンプルへ」のような作り物めいた予定調和感は少ない。まず村落のトイレ問題、それからダリト差別、カースト間抗争、そこからの地方自治レベルでの選挙の腐敗が語られ、最後には拝金主義への戒めまで盛り込まれる。しかしカースト間抗争を語るのに、北村と南村という言い換えはやはり解釈を難しくしているのではないか。か細いヒントは南村の若者が壁に貼るシャシクマールの写真(さらっと調べたところではヤーダヴァだそうだが)。最も胸を打つ描写は、選挙騒動が起きる前の主人公の生活の描写。黙々と仕事をこなすが、対価をばっくれられることもある。配給食材の各戸への配達など、本来の職能とは無関係なことまで無給で奉仕させられる。緊急のトイレ掃除に呼ばれるが、車に乗ることすら許されず、後を走ってついていく。ヒロインが体現する郵便という制度の近代性。終わり方もうまいが、結局カースト・ファナティックな候補者のどちらかが勝ったことになるのはどんなものか。

24 Frames (2017)をJaiHoで。折り返し地点まで。 

アッバス・キアロスタミの遺作。いわゆる実験映画。ピーテル・ブリューゲルの『雪中の狩人』を4分間写し、画中の動物たちをアニメで動かしたりする4分間。このFRAME 1でかなり盛り下がる。以降は監督が撮ったネイチャー写真を同じ手法で4分間展開するのが23編続く(はず)。第二フレームから共通するのは、動物/雨または雪/潜在する敵の脅威/群れ、といったところ。4分という時間の長さが存分に味わえる作りになっている。

小公女 (소공녀/MICROHABITAT、2017)をJaiHoで。 

JaiHo無料期間最終日に駆け込みで。韓国インディーズというのは初めてかもしれない。豊かな社会の中での孤独な貧困の描写が、ヒリヒリとして身につまされる感覚でありながら、全体としてはファンタジーであるという不思議さ。韓国高度成長期の皆が貧しいという社会背景とは全く違う。ミニマリストというと、ついフリーライダーという言葉がセットになって思い起こされてしまうが、ヒロインは盗まず、騙さず、借金もせず、有能な家事代行として一人で自立して生きている。お気に入りタバコから賃貸住宅まで、手が届かない物は多いが、それによって社会への怨詛を募らせることもない。ここが一番真似できないファンタジーの部分。稼ぎはまず酒とタバコに使うという点で、ドヤ街のおっちゃんに近いと言えば近い。ただ、中年の入り口の単身女性がそれをやるということは、普通はありえないような鋼鉄のメンタルが要るはず。でなければどこか情緒が欠落しているか。学生時代の友人を次々に訪問するというプロットは「舞踏会の手帳」に近いか。旨そうにのむウィスキーと、旨そうに吸うタバコが羨まし。

Girlfriend (Marathi/2019)をオンラインで。 

一人も知った顔がないと思いながら見ていたが、主人公はAiyaaの弟君だったか。ストーリーは全然違うし、そもそもAiyaaはヒンディー語映画だが、監督がマラーター人のせいなのか、良作の雰囲気は驚くほど似ている。本作の主人公がそうなのか分からないが、マラーティーお得意のバラモン・コメディーの雰囲気が色濃い。素っ頓狂なADHD気味の人物が前面に現れて、そのやることなすことがかなり痛い。そしてヤケクソみたいにハイテンションなソング+ダンス。古風なインド映画のソング+ダンスのパロディーをやろうとしてるかのよう。別に超自然的な何かを描いてるわけじゃないのに、シュールさが漂う筋立て。とは言ってもラブコメとしては非常に丁寧な作りで、ヒーロー+ヒロインの心理の綾の描き方にも説得力がある。デビュー監督のものとしてはかなりの完成度。特にじっくりとキャラを確立した前半から、嵐のような中盤への切り替わりが凄い。ただリードペアのどちらもが個性的すぎる顔立ちなのはマイナスではないかと思った。ヒロインは絵に描いたようなかわい子ちゃんでもよかったのでは。

Velaiyilla Pattathari 2 (Tamil/2017)をSGAPで。 

あまりよい評判を聞いてなかったが、行きがかり上見てみた。監督・脚本がサウンダリヤ・ラジニカーントで、ストーリーがダヌシュ。つまり身内の馴れ合いで作ったということか。ダヌシュとカージョールという驚異のキャスティング、評価の高い前作のお馴染みのキャラ群をもってしても退屈。メリハリのない語りが最大の要因。お約束のソングとギャグとファイトを定量ずつ粛々と繰り出すが、スパークがない。クライマックスで悪役との間でどんな落としにするかは興味津々だったが、「災害という極限状況下で一緒に酒を酌み交わして仲良くなった」というのは脱力。現実の出来事でなら最も望ましい解決だったと思うが。しかしまあ、あのチェンナイの大水害をうまく使ったとは思う。カージョールは彼女でなければ出せない高ビー演技で素晴らしいが、ファッションが微妙にダサいのはなぜなのか。そうは言っても土建屋の社長ということでなのか。アマラのガミガミ屋女房への変貌はなかなかに面白かったが、稼ぎのいい歯科衛生士が結婚と同時に専業主婦というのは現実味に書けるのではないか。

Enai Noki Paayum Thota (Tamil/2019)をSGAPで。 

151分、ガウタム・メーナンの悪い所の集大成みたいだった。Neethaane En Ponvasantham (2012)みたいな延々たる恋愛模様の描写にオーバーラップで「ビースト・モード」のアクションも加えてきて、しかもお得意の自分語りモードでぼそぼそとナレーションする。ソングが無闇に多い印象があったが、後から見たら全9曲で全部バラード。誰も止めなかったのか。キスシーンを入れ、ベッドシーンも暗示するのもいつもの作風。悪役に強烈なキャラを配置せず、団体戦にしたのはリアリティの追及だったのか。その割にはIT野郎の主人公は無痛症で超人的身体能力という設定になってるが。一番悪いことになってるクベーラというキャラがぼんやりと曖昧。ティーンエージャーで家出した兄がムンバイで優秀な警察官になってるというのは映画の中だから分かるが、内通者に仕立て上げられた経緯が曖昧、それとヒロインの救出とを繋げるロジックが弱すぎる。主人公の絶体絶命からの奇跡の脱出が3回もあるのだが、余り説得力無し。まさにtedious watch。

Kodi (Tamil/2016)をYTで。 

30分あたりから字幕がどんどんズレていき、ほとんど使えない状態に。つまり字幕完成後に本編を編集し、字幕と同期させなかったということか。ダヌシュのB級作を潰すシリーズのつもりで見たけど、これは現地では案外評価が高かった模様。しかし字幕のせいで評価3割減なのを差し引いても宜えない。ポリティカルスリラーとは政治そのものの仕組みがスリリングで恐ろしいものであることを描写してこそと思うのだが、ここでのスリラーはごくごく粗暴に邪魔者を消すということでしかなく、しかも最大の悪役であるヒロインが、なぜか自分の手を汚すことに宗教的意味でも見出しているかのように、危うい橋を自ら渡り、そういう意味で全く冷徹さがない。彼女がどの時点で最初の犯罪を犯すことを考えるようになったのか、説明がないのがマイナス。無闇と謀殺のプロットが出てくるが、後先考えない粗暴犯罪という感じで理解できない。かといって「スブラマニヤプラム」みたいに、政治的な争いが人間の業を炙り出すというものにもなってない。ダヌシュの一人二役の演じ分けといい、硬派なトリシャといい、演技は申し分ないだけに、残念。

Thodari (Tamil/2016)をYTで。 

余りにも評判が悪くて気になりながらもほったらかしだった一作。いや、一般向きではないかもしれないけどとてもいい。ダヌシュの十八番であるロウワーな底辺労働者はもちろんいいが、キールティの「負けが込んでるのに全然気付いてない天然のバカの子ちゃん」が素晴らしい。マラヤーラム語とマラヤーラム語混じりのタミル語が話され、たぶんタミル人に意味がとれるように調節されているのだろう。最初の客車上の幻想ソングから始まり、全編の半分近くが走行中の列車の屋根で展開するというイメージ。特に前半、ドゥードゥサーガルの滝からしばらくの西ガーツ区間、実際の場所ではないのだろうが、プラブ・ソロモンお得意の霧に煙る緑の山地の風景が素晴らしい。ハリーシュ・ウッタマンのサイコ野郎のキャラはやや説得力に欠けるか。まあそれにしても、老朽化した橋を全速力で渡ったり、火災を沿道から消し止めたり、ヘリを投入したりと、凄いシーンをCGで撮った技術は大したもの。クライマックスのチェンナイ・セントラル駅突入のシーンには確かなカタルシスがあった。プラブ・ソロモンの鉄分含有量はかなり高いと見た。

Kaithi (Tamil/2019)を川口スキップシティで。 

邦題は『囚人ディリ』。映画館の大画面で見るのは2回目。見どころの多い作品だが、やっぱりワクワクするのは最初の襲撃シーン。冷静に考えれば、あの仕掛けを作るのにどんだけ時間使ったんだ?となるのだけど、ともかく受けた側のダメージが強そうな作戦なのにあまり堪えてなさそうなヒーローがいい。クライマックスの滅多撃ちシーンは、1秒1秒が甘露の味わい。ずっと続いてくれというものだった。

チャンス商会~初恋を探して~(장수상회、2015)をオンラインで。 

韓国文化院の「韓国映画特別上映会」ドラマ特集の第四回。いわゆる孤独な老人ものとして始まり、頑固で我儘な老人の地域社会の中での立ち回り、そしてある日目の前に現れた老婦人との交流の中でぎこちなく心を開いていく様子が丁寧に綴られる。それが丁寧すぎてある種痛くて、若干辛くなってきたころに、韓流の本領発揮のどんでん返しがある。まさかそれは~というのはあったとしても、やはり作劇術が上手い。冒頭の過去の夢幻的なまでに美しいシーンの描写と現代のソウル近郊の地域社会の中のフリークス性を帯びた人々の描写のコントラスト。これでもかと言うぐらいに癖のある人物が後から後から出てくる。スーパーの店長の愛人の女性が、少女を取り囲む不良を独りで蹴散らすシーンが面白かった。ああいうのをもっと見たい。

Purampokku Engira Podhuvudamai (Tamil/2015)をYTで。 

字幕のずれがひどく、明らかに何人かで分担しているようで、読むのが大変だった。タイトルの意味はよく分からないが、直訳すると「共有地は皆のもの」ぐらいか。冒頭にゴミ問題が取り上げられ、そこから頭のねじが何本か飛んだ鉄道労働者のヤマリンガムの紹介。レバーを引いて線路のポイント切り替えをする仕事。しかし同時に代々の死刑執行人。レバーを引くというのが仕事上の共通点。ここでダイレクトに『シャド-・キル』が引用されるのだが、ほとんどのレビューワーは気づいていない様子。死刑執行に使用されるロープにまつわる民間信仰も同作そのまま。それから極左革命の闘士であるバルが現れるのだが、この人のイデオロギーがチグハグで現実感に欠ける。さらにその革命的作戦行動がバカみたいで、ここで一気に盛り下がる。革命同志を演じるカールティカは相変わらず大根。監獄のトップであるマコーリーを演じたシャームが収穫。前半はやや硬いと思ったが、その硬さが後半に生きた。この役名はトーマス・バビントン・マコーリーから来ているようだ。脱獄作戦も杜撰。

Jagame Thandhiram (Tamil/2021)をNTFLXで。 

日本語字幕付き。邦題は『トリッキー・ワールド』、翻訳は藤井美佳氏。とても楽しかったが、見終わってレビューを漁ると案外渋いものが多くて吃驚。スリランカ移民のエピソードはあまりにも図式的に思えたけど、主要ポーションであるイギリスの部分には、これまでのインド映画のエキゾチズム優先の観光客目線のものではなく、深々と冷え込む感じがしっかりあって、なおかつ絵としても美しくて非常に良かった。降りしきる雪の中でのダップ太鼓をたたく葬式が印象的。ダヌシュは最初から最後まで謎の戦闘力と強運をもったトリック・スター(ハードモードのマーリ)として描かれるのかと思いきや、180度の改心があってそこで物語が引っくり返る。子の改心がやや弱いか。そこで改心するならそもそもあんなことしなかったろう、という意味で。不勉強でしたで済むことと済まないこととがある。最後にはまたトリック・スターに戻るのだが、これが一番のスッキリしない点。ピーターの最終兵器に弾が装填されていなかったのはなぜなんだろう。リトル・インディアじゃなくマドゥライとしたのは天晴。

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