Halliya Surasuraru (Kannada/1990)をErosNowで。
タイトルは「村の悪魔」ぐらいの意味か?階級闘争とカースト間の争いを暗示しているようなのだが、表面的には戯画的な金貸し悪党と正義の勢力との間の死闘。ただし、プロット・演出・編集・アクション振付など、目眩がするほど粗雑で、プロダクション・バリューは最低。この時代のカンナダの非ラージクマール映画としてはまあこんなものなのだが。一方、80年代ボリウッドの暗黒映画の、カルナータカにおける呼応と考えれば落ち着きがいい気もする。シャンカルナーグのワンマンショーかと思えばそうではなく、3組の恋人たちに均一に時間が割り振られている。印象的なのは、低カースト出身ながらI A Sを目指す若者が金貸しの娘と恋仲になる設定。俳優名はわからないが、この男が恋人の危機に田舎のプレスリーみたいな格好で耕運機を運転しながら現れてアクションになだれ込むのが凄い。衣装とかも場当たりだったのだろうか。悪役のアシュワトをはじめとして皆誠実に演じているが、ロングショットで走ったりするシーンに、演じ手たちのアパシーが出てしまったような気がする。
Android Kunjappan Version 5.25 (Malayalam - 2019)、二回目の通し見。
ネイティブ・スピーカーによく分からないところを尋ねた上での再鑑賞。やはり台詞の一々が面白い。スルーした箇所も丁寧に翻訳してあればさらに面白かったはず。スラージの芝居は名演なのだが、ラストに近づくにつれてやや息苦しくなっていく。ラストシーンでのサウダーミニは謎だ。彼女は本当に物理的に存在する人だったのか?ほんの数秒だけ写真が映る悪魔のような矮人クンニャッパンの意味は何なのか?どちらも存在論哲学を感じさせるものがあるが、脚本家の苦し紛れなのか深すぎるのか分からない。田舎の衆のコクのあるキャラは何度も見ると味わいが増す。特に従兄のプラサンナンがいい。おっちょこちょい、知ったかぶり、うろ覚えの知識をひけらかすなどなど。それから薬剤師か何かの資格を持つ万年求職親父のまったりとしたキャラが凄すぎる。劇団のトップのヴィヌ(?)の実父クンニャッパンに対するオブセッションがよく分からず不気味。現地レビューでも終わり方に対する苦情はちらほら。シンプルで温もりがあるソングと歌詞はジワジワ来る。
Hosamane Aliya (Kannada/1991)をErosNowで。
未見の英字幕付きアナントナーグ主演作があるというので予備知識ゼロで臨んだけど、オープニングのクソコラ風のスタッフロールで察しがついた。とことん脱力系のカンナダ呑気ワールドだった。ただ2時間を切るランタイムはやはり変で、ところどころに、雑な作劇では説明のつかない唐突な場面転換や飛躍があった。配信にのせる段階でカットしたとも思えないので、残存プリントの問題だったのかと思う。もちろん雑な作劇も多数。学位を持ってるのに就職できない若者の鬱屈とかは途中で消え、恋愛描写も変。スチルなども残ってないと見えてカバーがわりのイメージは、どシリアスなアナント翁のアップで、本編とのギャップがすごい。しかしこの人は、時々のアート系シリアスで演技力を見せつけながらも、通常運転はこうした呑気ユーモア映画だったのではないか。クライマックスでの人質救出アクションシーンは、Amar Akbar Anthonyを何となく思い出させるミュージカル仕立て。なぜマジシャンに扮するのかとか、なぜ奇術で悪漢を倒せるのかとか、一切の説明がないところが良い。
Mallishwari (Telugu/1951)をErosNowで。字幕なし。
DVD(字幕なしだど)を探し回ってどうしても入手できなかった一作。イロスでも無字幕だからYTと変わりはないのは知ってたけど勢いで見た。プリントの状態はかなり悪い。それから後半に場の繋ぎがどう考えてもおかしいところがあった。フィルムからデジタル化する際にリールの順番を間違えたとしか思えない。亜大陸的作風。しかしまあ、楽しい2時間37分だった。ストーリーは驚くほど単純。才能ある石工と歌舞の上手い村娘。相思相愛の2人がお忍びの王様に屋外で会い、男が戯れにこの娘が王宮に上がればいいと言う。しかしそれが本当になり娘は召し上げられ、パルダに囚われてしまう。禁を破り王宮に侵入した男は捕まり、2人は決まりに従い処刑されるものと思われたが、王が最後に種明かしして大団円。まさに歌と踊りを盛る器としてのストーリー。美男美女のカップルのアップを見てるだけで楽しいが、ここでは明かにバーヌマティの方にスポットライトが当たっていたことが分かる。気になったのは「お召し」がすなわち「お手つき」ではなかったのかという点。踊りはオリエンタル風。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』をNTFLXで。
敢えて真冬にアイスを食べるぐらいの気持ちで臨んだ。登場人物たちの運動量が凄い。で、扉を抑えるところでは一緒に歯を食いしばったりして、観てる方も運動になる。政治的・歴史的なコノテーションは盛んに言われていた通りで、うなずきながら見ていたが、鼻持ちならない感じはなくドラマにきっちりと寄り添って見事。列車の進行が朝鮮戦争のものとパラレルなのはわかったが、ゾンビ化はすなわち共産主義思想化と言うことになりはしないか(そこまで言ってるレビューは今のところ見つからず)9号車から13号車に生還した一握りの人々は脱北者だから差別されたのか。逃げ遅れた老女がゾンビ化しながらもただ立って南側を見つめているというのも、老女の妹が安全圏のおぞましい人間模様に嫌気がさして自分からバリアを開けてしまうところとかも。ホームレスが最後に自己犠牲を行ったのは母性と子供に対する畏敬によってなのか。自然すぎるドラマにあれこれ後から意味を考えるのが楽しい。レビューではこれが良かった。http://lovekuzz.hatenablog.com/entry/2017/09/03/145219
Munna Michael (Hindi/2017)をErosNowで。
EN耽溺の中で、気分転換&もしかしたら芸道もの?の期待から見てみた。変則的ではあるものの、やはりダンス芸道ものだった。変則的な部分とは、1.任侠板挟みモチーフ2.NZSQによるコメディーとしての踊り3.お約束アクションの三つ。こういう変則アイテムがしっくり溶け合えずに子供っぽいものになってしまった。タイガーは相変わらず爬虫類みたいで胸の洗濯板も腕のもっこりもダンスの邪魔じゃないかと心配になる。まあきっと、せめてもの芸の肥やしと幼少時から仕込まれたんだろな。ダンスコンペがクライマックスとなるとどうしてもStyleと比べてしまうけど、PDでも出したらよかった。ダンスものにはあの艶と風格が欲しい。ストーリーのひねりとしてはドリーの父とマヒンダルの妻とを活用してほしかった。芸道ものとしては、いい感じの競り合うライバルがいて、そいつの下手な(けれど耐え難い程ではなく)踊りと競いながら、主人公の踊りがどんどん上り調子になっていき最後に爆発というのが予定調和だが、その点が弱い。最終局面での仲間の離脱は謎。ニディは時々出遅れてた。
Innale (Malayalam - 1990)をErosNowで。
諦めていた字幕付きパドマラージャンの第二弾。ジャヤラームが前面に出た前半が緩くて、正直なところダレダレで見てた。ジャヤラームは医師になる勉強に失敗してモノにならず、病院のマネージャーをやってる若者という設定。この設定は本筋とは無関係なのだが、本筋に微妙なニュアンスを与えている。その他の登場人物についても同じで、登場時間が短くても、一筆書きのようにサラリとした性格描写がなされており見事。記憶を失った娘であるショーバナを保護しているうちに相思相愛になるところでソング。高原(マディケリ)でふざけ合う2人に風が吹きよせソングが飛行機の轟音に掻き消されていき、長々とした旅客機着陸の映像の後に、着陸機がゆっくりとタクシングで移動し、一方でこれから離陸すると思しき他機とすれ違うショットの象徴性に唸る。この時点ではストーリーのツイストはまだ開示されていないにも拘わらず不吉さを演出する手腕。そしてスレーシュ・ゴーピの渋さ。やっぱり役者としてはこの頃が最盛期だったのではないか。スレーシュ・ゴーピに勝利してほしいと願いたくなるような演技。
Azhagarsamiyin Kuthirai (Tamil - 2011)をErosNowで。英語字幕付き。
長らく誤解してたが、これの主役はヨーギ・バーブではなくアップクッティという別の俳優。まだ名前が知られてない頃のスーリが出ていた。大流行の終盤頃につくられた田舎映画。タミルの田舎町に行くのは簡単だが、これだけのド田舎となると人類学者かなんかじゃないと入り込めない、そういう場所をリアルの紹介してくれるという意味でも貴重。大流血はなく、民話の温もりのある語り。カースト問題も出てくるし、村の政治が原因でスブラマニヤプラムになりそうな瞬間があって緊張するのだが、最後に雨が洗い流す。お馬のアップの名演技。後から調べたところ舞台はテーニ県だとのこと。ガーツ山脈東側のクリンジ・ランドの風景が目に刺さる。コダイカナルなどが思い出されるが、外国人によって避暑地化されなかっただけでこのような土地は無数にあるのだろう。完全なお伽の国の古譚と現代劇との間で揺れるが、最後に後者に回収される感じ。ただし既成の秩序は覆される。ケーララから来たナンブーディリのいかがわしさ。多分自称ナンブーディリなのではないか。
Manamecchida Hudugi (Kannada/1987)をErosNowで。
タイトルは直球の「僕の愛する女の子」。シヴァラージクマールのデビュー後のハットトリック3部作のラスト。これが字幕付きで見られるとは思わなかった。SRKが可愛いのは織り込み済みだったけど、ヒロイン時代のスダラーニーの可愛らしさと言ったら。ヒーロー・ヒロインが釣り合った可愛さだと、語り尽くされたお伽話ストーリーも十分に楽しいものとなる。ダンスもリードペアの技量が釣り合った感じで非常に良い。これに加えて悪役のガウダを演じたスンダル・クリシュナ・アラスのお館様ぶりが本当にいい。こんなイイ顔の俳優がラージクマールの天下の80年代にいたのかと感心。ターバン姿が絶品。マレナードが舞台なのだが、ティールタハッリが中心都市のような扱いで驚く。覚え書きとして書いときたいのは、格闘シーンで腿をパーン(ただしさり気ない)があったこと。それからソングではメールコーテで撮影のシーンがあった。人食いチーター(Chiruta)が登場するのだが、この地方にはチーターなぞいないんじゃないか。例によって虎との混同を期待したがそれはなし。
Season (Malayalam - 1989)をErosNowで。
もちろんHD画質ではなく、しかも音声が微妙に遅れるという瑕疵もあったが、英語字幕付きで見られて大満足。タイトルは何を表すのかというと、白人ヒッピー御用達のコーヴァラム・ビーチの稼ぎ時のシーズン。Kerala Cafe(2009)の中にOff Seasonという名前の短編があったが、ここから来てたか。スリラーであることが分かるのは30分ほどたってから。この時代のマ映画の常で、ハラハラドキドキやどんでん返しはほぼないリベンジもの。ただ、当時としては革命的なスタイリッシュさだったのは想像がつく。ヒロインのいない作品だが、不良外人のカノジョ(マハーラーシュトラとケーララとのミックスでボンベイ出身)として登場するリーラ・ナーヤルのビキニ姿がただただ眩しかった。ちょっとケーララ人離れした肢体と大胆さ。検索しても同名異人がいるようで、あまり情報が得られなかった。主筋とは別に、この時代の反社会的行為が奢侈品の密輸とクスリだったというのがよく分かる。電化製品の売買で口にされる日本のメーカー名。富裕国のはみ出し者を相手に商売する卑屈。
Vasanthiyum Lakshmiyum Pinne Njaanum (Malayalam - 1999)をEros Nowで。
既にカンナダ語リメイクを見ていたので衝撃のラストについては織り込み済みだが、オリジナルではそこに至る過程が充分に説明されていない気がした。けれどももちろん傑作であることには変わりない。20年たった今、検索してみるとレビューはほとんど見当たらず、ソングのサイトばかりヒットするというのが本作の性格を物語っているか。公開当時大ヒットしたというのがやはり驚き。タミル・ニューウェーブやバーラー監督を先取りしたような、最底辺の人々の救いのない物語。社会の低層に目を向けることの少ないマラヤーラムの娯楽映画としては画期的。また最後のソングのシーンの劇的な緊張感の盛り上げも出色。ヴィナヤンはここでクリエイティビティの全てを出し切って、残りの監督人生を色物スペシャリストとして過ごすことになったのか、余りの落差にクラクラする。カラーバワン・マニは生涯の名演、これにはAvan-Ivanのヴィシャールも霞む。この作品、そしてヴィナヤンの立ち位置にカーストがらみのものがあるのか、謎。
Chhichhore (Hindi - 2019)を試写で。
邦題は『きっと、またあえる』これについては別のところで書く。しかし何というか、細かいエピソードの盛り上げで、感動を呼び起こそうとするテクニックは凄いが、根本が間違ってる気がする。受験に失敗して失意の息子に対して、自分のダメダメ大学時代を面白おかしく語るというのは、考えうる限りの最悪のセラピーではないか。「一位じゃなければ意味がない」価値観へのカウンターとして、「正義の側にあるならばどんな手段をとってもいい」というマハーバーラタ的価値観。精神的にタフな人が多い印象を与えるインド人観に、プレッシャーに負ける人物をフィーチャーすることにより、その印象は勝者バイアスだったのだと気づかせる。
Sammohanam (Telugu/2018)をYTで。
インドラガンティはお気に入りの監督なので期待が高かったし、楽しく見らた。ただ、後半の30分がバタバタした感じで、まるで持ち時間を削られてやむなく端折ったかのような印象を持った。サミーラの秘密というのが明かされるのが付き人の長口説というのが芸がない。瀕死でICUにいた彼女がすぐに治って出歩くというのも、あれ自分どっかでいねむりしてたか?などと思うほど唐突。アミットを相手にしたお父さんの大芝居シーンでも、滅多刺しにした脇役がしれっと起き上がるシーンを入れないと気持ち悪いではないか。前半の映画撮影のシーンで繰り広げられるあれこれは楽しい。非ネイティブの女優が無理にテルグ語台詞を口にして、素人見物人が堪えきれず笑うところは、首肯するしかない。テルグ・ヒーローはヒーローしかできないとか、テルグ・ヒロインの全き不在とか、分かりきったことではあるけど、やはりオルタナ系監督としては一言言わずにはおれないものがあるのだと思う。平凡な男が愛を告白し、拒絶され、失恋と向き合う様を描いたシーンは屈指の美しさだと思った。家族がお互いを慰め合う描写も良い。
Student of the Year (Hindi/2012)をYT有料で。邦題は『スチューデント・ナンバー・ワン 狙え!No.1』。
何もかももう言い尽くされてるとは思うが、デモーニッシュなまでに空虚な作品。メタ的に空虚を示して何らかのメッセージを伝えようとしてるのかとも思ったが、んな訳ないわな。現代美術じゃあるまいし。「設定が絵空事」「ご都合主義」「能天気なソングとダンス」というのはインド映画の常道で別に怒るとこじゃないのに何故本作ではどんよりするのか。やはり情感というものが欠けているからか。ブランド・ファッション礼賛、男の筋肉ショー&女の水着ショー、タイの高級リゾートと、グロテスクな消費主義礼賛が度を超している印象。ラストシーンでの「殴り合いの末に大笑いして河原で一緒に夕陽を眺める」的オチ(もちろん女は置いてけぼり)には脱力。一番納得いかないのはマル金とマルビに登場人物を二分しておきながら(それ自体は面白い)、実際には両者の間に差異が全くないところ。貧乏人のルサンチマンはドラマを作る熱源なのにさ。そういや劇場公開の頃に、舞台の学園を「高校」と訳した問題は結局どうなったんだったけ。
Sillu Karupatti (Tamil/2019) をNTFLXで。英語字幕。
slivers of palm jaggeryという意味のタイトルで、4つの中編のアンソロジー。4つのエピソードの登場人物は生活圏が近く、時々すれ違ったりするが、それ以上には関係しない。2番目の前立腺がん(?)と診断された男の話がペーソスがあってよかった。Olaタクシーが乗り合いオートと似た感じで使われていうというのも初めて知った。がんの手術に臨む前に精子バンクに自分の精子を預けるシーンに妙なユーモアがあって印象的。問題があるのはパート4。ビックリするが、4作全部を通して最大知名度の出演者がサムドラカニ。この人が演じるミソジニーな夫がどのようにしてその凝り固まった心を和らげていくのかというストーリーなのだけど、リアリティが足りなかった。というか改心のきっかけが何なのかよくわからなかった。あんなに素直に改心して女房孝行できる奴は最初からエゴイスティックに振舞ったりしないだろうというのが感想。アンソロジーだからしょうがない点もあるけど、全体にちんまり。しかしレビューはおおむね激賞で、GEMとまで言うものも。
Rabindranath Tagore (English - 1961) をYTで。
英語映画でBGMだけがベンガル語。サタジット・レイ監督自身による英語ナレーションに英語字幕が付くが、時々消える。タゴール生誕100年を記念してインド情報省のイニシアチブで製作された。没後としては21年後となる。当然ながら実際のタゴールのイメージはほとんどが静止画像。それに対して、TVなどでいうところの再現映像としての動画がさしはさまれるわけだが、これがTVドキュメンタリーの安っぽい動画とレベルの違う美しさ。特に幼年時代の森閑とした大邸宅の中をさまよう幼子のイメージが鮮烈。それから俳優ではない実際の青年期のタゴールの容姿の美しさもまた特筆もの。幼少期~結婚により父からエステート管理者に任じられて田舎に赴くあたりまでのこの人の半生を映画化してほしいと思った。役所からの依頼で作られたので、スキャンダラスな面には触れなかったと後から読んだが、それはどの辺なのか。ちょっと調べると、兄嫁との公然の秘密に近い関係など、色々と恋愛沙汰があったようだ。順風満々セレブの後半生よりも、悩み多き前半生の方がもっと見たかった。