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Mother India (Hindi - 1957)をDVDで。 

今頃これを見るかという感じだけど、見ないよりいいだろう。予想に違いカラー作品。開始前のセンサー認証は1977年の日付になっていた。後から調べること。基本的にはメロドラマであり、建国後のインドの理想主義的農本主義が鮮明に表れている。「生まれたからには生きなければならない」という昔何かで読んで印象的だった台詞はここから来ていたのか。それにしても、有名な十字架を背負ったようなイメージといい、マザー・インディアという大きく出たタイトルといい、今日では考えられない気概を持った作品。極めてシンプルな語り口で、善も悪もクッキリとしているが、なぜか飽きさせずに172分が一気見できてしまう。2人の子供はインドとパキスタンの象徴なのではないかと思える瞬間も何度かあった。突き詰めるとそれでは辻褄の合わないストーリーになってしまうので途中でその考えは放棄するのだが。水牛に乗るなどの、農村のイメージの幾つかにはラージクマールの主演したカンナダ映画のあれこれと連関があるのではないかと思われた。これも課題。

Kalyug (Hindi - 1981)をDVDで。 

全くこれを今まで何で放っておいたのかという1本だけど、ともかく見られてよかった。二大叙事詩下敷きの現代劇と言うのは、人物やエピソードがどのように翻案されているかを追うだけで興味が湧くので狡いと言えば狡い。パーンダヴァ5兄弟は3兄弟に、5兄弟共通の妻は長男の嫁となった。ドラマの中心はカルナに相当する人物(あの膝を抱えて横たわるポーズ!)。クリシュナはアムリーシュ・プリーが演じるがこれのキャラは極めて弱く、クリシュナではなくバララーマなのかとも思える。結局最後に一番印象に残るのは、ドラウパディーに相当するレーカーとアルジュナに相当するアナントナーグの、微妙な関係性で、これはこの脚本(ギリーシュ・カルナードも参加している)の独創。クンティーに相当する女性家長の過去といい、このドラウパディーの過去のカルナとのいきさつ、現在の夫との関係性などなど、明示的に示されない、こうした女性たちの感情のドラマに色々かきたてられるものがある。それにしても、不倶戴天の仇敵が肉親だと知った時、人はあそこまで懊悩するものだのだろうかとは思う。

Crossroad (Malayalam - 2017)をDVDで。 

なかなかDVDが手に入らず、現地でやっと見つけたのはやる気の無さそうなボール紙カバーの簡易包装ディスク。字幕付きだと思わなかったがプレーヤーに放り込んだら字幕が出た。カバーに書いといてよ。マラヤーラム映画としては久しぶりのオムニバス。a celebration of womanhoodと銘打ち、10人の監督が女性が主役の映画を一本ずつ持ち寄った。その中のマドゥパールとレーニン・ラージェーンドランが気になって鑑賞を切望していたのだが、肩透かし。辛い2時間47分、これまでに見たオムニバスの中では最低の出来、搾りかすみたいな作品群だった。アショークRナートの"Badar"が最も印象に残った。逆に酷すぎて忘れられないのが、アルバートの"Mudra"とアヴィラ・レベッカの"Cherivu"、それからシャシ・パラヴールの"Lake House"。文芸的な雰囲気で煙に撒こうとして失敗した&既存のアイディアを劣化コピーした見本のよう。芸達者揃いのマラヤーラム映画界のはずが、"Kodeshyan"主演の婆ちゃん以外はあまり感心できず。

Adi Shankaracharya (Sanskrit - 1983)をDVDで。 

初のサンスクリット語映画。監督はカンナダ人のGVアイヤル。いわゆる芸術映画フォーマットなのに160分もあった。8世紀に生きたインド最大の宗教哲学者で僅か32年の生涯だったシャンカラを描くってんだから、通常のバイオピックのフォーマットでは無理なことは観る前から分かってた。全編にわたってシュトロートラが流れる映像詩。ウパニシャッドを勉強している人には色々意義深いものがあるのだろうけど、まあ凡人には何となくありがたい雰囲気しか分からない。じゃあ退屈かというとそうでもなく、妥協のない画面作りに感銘した。特に幼少期のケーララのパートが素晴らしい。こマラヤーラム映画みたいになってる。字幕が面白くて、シュトロートラはほとんど訳してくれないのに、「ここで父は自分の死期を悟った」みたいな画面外からのコメンタリーが入る。これは監督の意図したものだったのか。どうせならもっと饒舌に入れてほしかった気がする。ともかく面白い体験だった。

Njan Marykutty (Malayalam - 2018)をDVDで。 

トランスセクシャル(トランスジェンダーではなく)の人物が社会の偏見と闘いながら自己実現を目指すという物語。説教臭い語り口だが、ジャヤスーリヤの芝居で見せるものになっている。「女装物は気持ち悪くてナンボ(だからレモは全然ダメ)」が自分の価値基準だが、まあそういう見世物としての女装ショーの範疇では全くなかった。こうしたジャンルで不思議なのは、性同一性障害に悩む者が本来の性を取り戻すために、社会が考える最も保守的なフェミニティのアタイアを取り入れるという点。これがよく分からない。本作ではそれを見せておいてから、一方で主人公が警官のカーキを着ることに憧れるという、さらにひっくり返った転換を示すのだ。こうなるともう、社会派メッセージよりも、「男優が女を演じ、劇中でその女が男に扮する」という、古典的なシチュエーションを再現したかったのではないかと思わざるを得ない。ジャヤスーリヤも名演だが、悪役警官のジョジュ・ジョージが凄い。これだけ憎める悪役を久しぶりに見た気がする。

Meera (Hindi - 1979)をDVDで。 

ヒンディーのバクティものも適当に見とくか、ぐらいのつもりだったのだけれど、これは割と有名作だったのだと後から知った(ただし興収は今一つだったらしい)。監督はグルザール。なのでやはり全般的に知的な指向性。奇跡やダルシャンを一切描かず、むしろ歴史・文学に重点を置いている。ただもう華麗に極楽絵巻と法悦を追求するサウスのバクティ映画とはだいぶ違う。ミーラ―その人の描写にしても、ただもう傍迷惑でしかない頑迷な嫁という側面が否応なしに浮かび上がる瞬間もあって、感情移入を促すような作りになってはいない。同時代人の脇役として大変興味深いのはアクバル帝と宮廷音楽家ターンセンで、特にアクバル帝のキャラクター描写は深みがある。このことによって「イスラームの侵略によって危機に瀕したヒンドゥー諸侯の、宗教的アイデンティティーをかけた抵抗」というありがちなパターンも相対視される。こうした脱慣用句的な世界観が本作を大衆的ヒットから遠ざけたのかもしれない。それにしても妹の自死に至るエピソードは意味がよく分からなかった。後で調べること。

〔Retrospective 18/08/30〕Mahanubavudu (Telugu - 2017)を機内上映で。多分短縮版。 

OCD(obsessive compulsive disorder)を患う若者を主人公にしたロマンス&シチュエーショナル・コメディー。そもそもインド人でOCDというのが想像を絶する存在だが、本当にいるのか。いるのだとしたら、毎日が極限状態の生活を送っていると想像されるのだが、そのあたりは映画はサラリと流す。本当に病気の者に寄り添う気がないのは明らか。というか病気と思ってないのかもしれない。シャラヴァナンドやナーニといったビッグバジェット系ではない、別の言葉で言うとアクションやダンスで大向うを唸らせることができない俳優にとって、脚本は本当に命のはずだが、こうした奇をてらった設定にすることで、それがクリアできたと思ってしまうことは多いように思う。そして、その設定が生かし切れずに後半に失速して糸の切れた凧になってしまうのも必然的。でも、奇をてらった系が好きな観客にはそこそこ評価されてしまったりする、その手の困った一本だった。

〔Retrospective 18/09/10〕Ranam (Malayalam - 2018)をPVR Kochiにて。字幕なし。 

修羅の街デトロイト舞台の作品と言うことで知り合いと変に盛り上がってた。予告編で気になったイスラーム系の描写は実見したところほぼなかった。色んなレビューで言われてることだが、実際にデトロイトにインド系やスリランカ系が多いのが事実だとしても、それでもなぜデトロイトなのか?というのは残る。ある種の中二病的な「メランコリーやニヒリズムへの憧れ」から、スタイリッシュネスを指向しているのは分かるが、技術が及ばないと感じられるところが多数。ラフマーンの悪役はカッコいいが迫力不足。冒頭のカーチェイス(逃走した先がカープールで、森の中に隠れた格好になる)のシーンの終わりにカメラが引くところ、うまく言えないがともかくヘタ、ヴィジュアルな驚きがない。同じ硝煙系のアンダーグラウンド映画でも、バンガロールを舞台にしたTagaruと比べると、いかにもヴィジュアル優先で無理にこしらえた設定感がぬぐえない。あと、灰とダイヤモンドも若干入ってたな。

〔Retrospective 18/09/01〕Tagaru (Kannada - 2018)をバンガロールSapnaにて。字幕なし。 

字幕なしは諦めるとしても、画面が暗く、音が割れてるのはどうにかしてほしいと思った。しかしアンモニア臭のする小屋でこういう映画を見物するのにはある種の旅情があるから困ったもんだ。ストーリーは全然違うにも拘らず、前に来た時に見たMuftiとだんだん境界がつかなくなってしまいそうだ。それにしても、こうした暗く情念的な地獄絵図が延々と続く2時間を楽しみ、ヒット作にしてしまうカンナダ人はやっぱりすごい。むっつり寡黙で腕っぷしの強い私服警官と、短パンの蓮っ葉娘の組み合わせというのは、ありきたりだが、SRKがやると引き込まれる。悪役のダナンジャヤもなるほどいい味がある。

〔Retrospective 18/09/02〕 Sarkari Hi. Pra. Shaale, Kasaragodu, Koduge: Ramanna Rai (Kannada - 2018)をバンガロールINOX Lidoで。英語字幕付き。 

リシャブ・シェッティ監督でかなり話題になってるのと、アナント・ナーグ出演というのとで見に行った。前の日に行ったサントーシュでもこれをやってたんだけど、同劇場名物のカットアウトがなかったのが印象的だった。前半の映像のキラキラした感じはただもう素晴らしく、今年の最高傑作に立ち会っているのではという興奮が抑えきれなかった。マラヤーラム映画Guppiも劇場で観たらこんなだっただろうというエッジの立った風景描写。後半に入り、アナント・ナーグが登場するところで、残念ながら失速。例の二色旗こそ出てこなかったが、わざわざ極小のコミュニティを舞台にして、遠慮なく地域ナショナリズムの雄叫びを上げるための設定だったというのが分かってガックリ。アナント・ナーグとラメーシュ・バットのコメディーの意味も今一つよく分からなかった。しかし現地では大評判。相変わらずの断絶感。

Sudani from Nigeria (Malayalam―2018)をDVDで。 

途中で止まる厄介なDVDだったけど、ネトフリで配信してもなおかつDVDにしてくれたのはありがたい。現地公開時に日本のマ映画上映団体が観たいか?というアンケートを取ってたけどあまりに反応がなさ過ぎて流れたものだった。そりゃあのポスターからじゃイロモノとしか思えなかったもの。ただし、この作品、粗筋を文字にすると馬鹿みたいに単純な話で、なんでこんな陳腐でお涙頂戴な話を皆が絶賛するのかは理解できなくなってしまう。これを面白くしてるのは、絶妙な配役と、非スター俳優の演技、それにコーリコード地方のさして裕福でもない家庭とその周辺を描く見事な空気感だと思う。特に主人公の両親のピタリとはまった佇まいが効いている。とことんの善意の人を演じて全く嫌味がない。この監督の演出力は驚異的だと思った。インド映画にアフリカ人を登場させると、それだけで剥き出しのレイシズムが爆発してやしないかと緊張するのだが、それは全くなかった。後から読んだレビューで、7人制サッカーのリーグにアフリカから選手をリクルートするのは現実にあると知り、吃驚。

Maya Bazaar (Hindi - 1959)をDVDで。 

これはデータが非常に少ない作品。公開年も多くの網頁が1958年としていたりするが、これはおそらく検閲通過の日付から。検索しても引っかかって来るほとんどが1957年のテルグ版の情報。しかも監督のバーブバーイー・ミストリーは80年代にセルフリメイクもしてるらしい。しかもDVD冒頭に出てくる認証カードには1979年の日付が書いてあり、パートカラーとの注釈もあるのに、本編にはカラーシーンが全くないという混沌ぶり。伝説的なテルグ版と比べてもあまり意味はないが、ヴァージョン違いを見る楽しみは大いにある。クリシュナを演じたマヒパール・バンダーリーはミソロジカルとフォークロアでそれなりに名声のある俳優だったようだが、NTRのあの深みはない。逆にNTRが神話映画デビュー作(当初自分がクリシュナを演じることに全く自信がなかったということだが)で確立したクリシュナ像がどれだけのインパクトを持っていたかを思い知る。チランジーヴィがSri Manjunathaで確立したシヴァ神のイメージについても同じことが言えるか。

Akilandakodi Brahmandanayagan (Tamil - 2018)をYuppflixで。 

Om Namo Venkatesaya (Telugu - 2017)の吹き替え版。オリジナルのテルグ版が容易に再鑑賞できるならばこれに手を出すことはもちろんなかったけれどやむを得ず。やはり吹き替えは全体的にチープな雰囲気。特にソングはぐっと落ちる。こういう神話・バクティものの場合、タミル映画であっても結構サンスクリット系の語彙がそのまま使われているんだということが薄っすらと分かる。映画自体としては、知り合いの入っていた「宝塚調」という評言がぴったりはまる。深い深い精神性と、そこでこれを入れるかという様式的な能天気ソングとが入り混じって、まさに大衆のための芸能という趣。劇場での鑑賞時よりも台詞を細かく吟味しながら見ていくと、これは温和な雰囲気の中で展開するバクタと神との出し抜き合いのゲームのようにも思えてくる。なぜ双六なのか、なぜサトウキビなのかなど、象徴として現れる事物をめぐる謎、そしてどこまでが伝承で、どこからが映像作家による創作なのかも調べてみたいものだけど。

Seemaraja (Tamil - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

SK主演作だから最初から期待値は低めに設定してた。だから大きな失望はないが、となりに座ってたタミル人の兄ちゃんは本当に嬉しそうに笑いながら見てた。現地のボックスオフィスも悪くないものだとのことで、やはり理解できないものに当たった感はある。昔日の栄光を汚さぬように慎ましく生きる旧領主一族の中の若様のトリックスター的行状から始まり、途中でバーフバリのミニチュアが入り、Thevar Maganの線で〆る。SKの通常パックに豪華付録付き特別号完成といったところ。何をやっても心を揺さぶられる瞬間がない学芸会風。やはりRajinimuruganはまぐれ当たりだったのか。カムバックしたシムランについては悪夢を見ているようだったとしか言えない。どんな役でもカメラの前に再び立ちたいという役者魂なのだろうか。悪役は別に構わないが、見せ場のある作品に出てほしいと思った。ティルネルヴェーリ地方だというロケ地は大変に良かった。

Shuddhi (Kannada - 2017)を再びDVDで。 

まるで北欧映画のような色彩設計は、やはり完全に企図されたものなのだということが理解できた。そうでありながら、カルナータカ南部のバンガロール、マイソール、クールグ、マンガロールがリアリティを持って描かれている。字幕翻訳でかなり揉めた「何が起ころうと 構わない」についてはギーターの引用という解釈は現地人によって否定されてしまったが、仮にそうだとすると締まりがない感じがする。もっとベタにギーターの引用をちりばめてほしかった気もする。

『人間機械』(Machines、2016)をユーロスペースで。 

東京最終日最終回上映にやっと行けた。モーディーのお膝元で発展著しいグジャラートに、UP、ビハール、オリッサ、ベンガル、チャッティースガル(劇中で挙げられていた地名は多分これが全部だと思う)からやって来て、1シフト210ルピーで働く職工たち。組合ができるとリーダーが殺される。職工たちは会社のトップを知らず、周旋業者が全てを牛耳る。明らかに低カースト&おそらく部族出身者がほとんどの中に、聖紐をつけた人物も交じる。工場内の様子がランダムに映るが、サリー作りのための度の行程なのかが分かるのは半分以下。建て増しをし続けて奇妙な構造になった温泉旅館が無理を重ねて何とか機能してるのと同じようなものを感じる。印象的なのは、製品である布が無造作に床に積み上げられたり、その上で倒れ込むように寝ている労働者がいること。不要な布を燃やしていると思しい大窯も。そして製品にはカバーがされず、大雑把に巻いたままで出荷されていく。つまり外側の2,3巻き分は売り物にならないこと前提のようなのだ。ここにこの工場労働のあらゆる矛盾が凝縮されているように思えた。

Pelli Choopulu (Telugu - 2016)をmersalaayittenで。 

画質最悪なものを我慢して観たのだけど、報われる面白さだった。若干の才覚はあるものの、ものぐさが全てを台無しにしてる男子と、「ホントは男が欲しかった」父との間で感情の行き違いを味わい続けてきた女子との間のラブストーリー。ダメ成分含有度の高い男子と、ソフトな抑圧に対して鬱憤を持つ女子というのはテルグのオルタナ系映画のつきもの。2人が出会ったところで大体ハッピーエンドは予測されるのだけど、そこに至る紆余曲折はかなりよく考えられていて、非常に楽しい。レビューを見てみると、gemだとか、breath of fresh air、realisticとか、そんな言葉が飛び交っている。Finally a Telugu film that is smart, sensible and responsibleなんていうのもあって、映画における進歩史観というものについて再び考えることになる。一方で、従来型のメディアの何も考えてないレビューはlack of mass elementsなどと評していて馬鹿じゃないかと。

Gharana Mogudu (Telugu - 1992)をDVD+YTで。 

兄弟リメイクであるMannan (Tamil - 1992)を字幕代わりに見て、その記憶も新しいうちにと急いで観た。しかしDVDは途中で止まり、やむなく画質の劣るYT全編動画で。南インド映画ファン茨の道あるあるだ。タミル版と比較すると、字幕がないにも拘わらずスピーディーな編集で、するすると一気見できた。神話的引用はごく僅かしか見つからず、ストーリーも途中から色々と変えてきてる。母は死なない。エロいソングは増し増し、クライマックスの脱出シーンは度肝を抜くビジュアル、これがブロックバスターになったというのも頷ける。全編においてチランジーヴィに漲るサバルタンなパワーが凄い。街頭での賭けレスリング→掛け金持ち逃げの性悪女追跡→船乗りや港湾労働者が一丸となって群舞という流れは、息子主演のMagadheeraにそのまま引き継がれた。それにしてもこの時代の「高慢な富豪の女を労働者階級のマッチョなヒーローが矯めて従順な妻にする」というフォーマットの破壊力は凄い。HYDが舞台だが有名なランドマークは一切登場しない。

Mannan (Tamil - 1992)をDVDで。 

本作はAnuraga Aralithu (Kannada - 1986)のリメイクで、本当は兄弟リメイクであるGharana Mogudu (Telugu - 1992)を見たいのだが、カンナダにもテルグにも字幕がついてないため、テルグ版の字幕代わりにこのタミル版を見た。南インド映画ファン茨の道あるあるだ。前半は恐ろしく退屈で、結局見通すのに3日かかった。しかしラストの1/3の面白さは出色。特に神話に絡めたシーンの入れ方が面白かった。1つ目は悪漢に襲われたヒロインがサリーを脱がされそうになるのを助けるところ、そして2つ目は、母の絶命シーン。主人公の名前はクリシュナン。ヒロインの無茶なキャラ造形も神話の中の人物みたい。しかし誇張の多い展開でありながらも、高慢なヒロインの改心に至る流れにはそれなりのロジックがあって感心した。見終わってネット上に資料などを探していたら、ローレンスが本作をリメイクすることを計画中などという3年まえの記事が複数見つかった。しかしまあ、全編がミソジニーに満ちた本作、ちょっとそれは無理じゃないかと思う。

Koode (Malayalam - 2018)を川口スキップシティで。 

アンジャリ・メーノーンらしい美しい、美しすぎてちょっと白ける危険性もはらんだ一作。早く世を去った妹の幽霊が、縁の薄かった兄にだけは見えて(ただし、祖母にも見えていたことを薄っすらと暗示する)、暗い隅に向かっていた兄を陽だまりに連れ戻すというストーリー。なぜ兄にだけしか見えないのかは説明されない。そして、生前乗っていたバンの中と周辺でしか動き回れないとか、病気の苦しみは消えたけど腹だけは減るとか、兄のスマホを使ってネットショッピングはできちゃうとか、ディテールが面白い。不思議少女とまではいかないけど、朗らかで時に素っ頓狂でフレンドリーな幽霊が、自分に気付かない父母や恋人をバンから眺める時のやるせない顔、ラストでの涅槃の微笑み、これらはナスリヤがいなかったらひどく安っぽいものになっていたと思うと、奇跡のキャスティングに感謝しかない。ワンコと鉄道模型はややあざとい感じ。しかしファンタジーだけじゃなく、ペドの叔父とか出戻り娘をいたぶる親族とか、苦いものも交えるアタリがアンジャリ監督の本領発揮だと思う。

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