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Bucket List (Marathi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

マードゥリーのマラーティー・デビュー作にして、Gulaab Gang以来4年ぶりの出演作で、期待もあったがスッキリしない一本。見ているとモワモワとEnglishVinglishやHow Old Are You?などが浮かんでくる。熟年主婦が、不慮の事故で死んだ20歳女性の心臓を移植で授かり、その20歳が実現できなかった願望リストを潰すことで自分自身を取り戻すというのだが、主婦の自己評価回復と死者への鎮魂とがきれいに縒り合されない感じがあって弱い。リアリズムなど吹っ飛ばして、最後にはマードゥリーに鬼神のように踊ってほしかった。バイク乗りにチャレンジのところ、おいおい、バイクはゆっくり走らすほうが技術要るんじゃいと突っ込まずに黙っているのが辛かった。それからピクルスだのMakeMyTripだのコマいスポンサーを画面に入れ込むところには泣けた。熟年女性が主人公の作品が増えるのは良いことだが、どうしてこうチマチマとした自己実現みたいな方向に行くのか、スカッとしたアクションとかやってくれても全然ウェルカムなのだが。

『ラ・ラ・ランド』(2016)をamazonビデオで。 

体調が悪かったのだろうか、見ていてノリが悪かった。体調のせいではなく、インドに浸された筋肉脳になってしまったからという可能性も考えられる。落ち着いたら分析しよう。

平方メートルの恋/Love per Square Foot (Hindi - 2018)をNTFXで。 

ネトフリのプロデュース&ワールド・リリース映画ということで話題になった。いかにもちんまりとパッケージングされた規格製品という感じ。まずオンライン公開だからインターミッションというものがない、インターミッションに向けた中盤の大盛り上がりがないというのがズルっと来る点(仮に入れるならあそこ、という目星はついたが)。昔からよくある、住処確保のため仮面夫婦になる若い男女というシチュエーショナル・コメディー。アクセントとして現代的な要素をまぶしてみましたという趣き。クライマックスの先が読めてる感が大ブレーキ。もうちょっとドラマチックな作劇にできなかったか。ラストで登場する特別出演のあの人も、某有名作品と全く同パターンで二番煎じ、もったいない。

Netflixにおける日本語字幕の導入 https://medium.com/netflix-techblog/netflix%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%81%AE%E5%B0%8E%E5%85%A5-b8c8c4fa299e 

ネトフリがいかに日本語字幕の質について、フォント面、データ管理面から熟考ているのかという記事。これはこれで素晴らしいのだが、翻訳の質の確保はどうなのかと思わざるを得ない。

Raazi (Hindi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

リアリズムとご都合主義センチメントとの配分が絶妙なスパイスリラー。メッセージや核となる愛国的決め台詞などは、こしこれが日本で日の丸鉢巻きした方々に言われたらドン引き確定なものなのだけど、インドなら十分有効と思わせるダブルスタンダード物件。アーリヤーは基本の作りがちんくしゃと思うのだが、角度によってはっとするほどの細密画美人になる。ヴィッキー・カウシャルも、ジャイディープ・アハラーワトもラジト・カプールも、皆印象的で、後から調べてみると1本や2本の過去作を見てるのに、なぜボリ俳優だと顔を覚えられないのか自分。上流階級のガーデンパーティーでのカクテルドレス風サリーから市場を歩くときの正真正銘のブルカまで、ヒロインのコスチュームの振れ幅に思うところがある。アーリヤーはついつい”2 States"と比較してしまうのだが、印パ国境を隔てても政治イデオロギーの激烈な対立がありながらも文化摩擦がないのが凄い。一方でインド国内でヴィンディヤ山の北と南で結ばれると文化ギャップで映画ができてしまうというのが、やはり驚くべきことに思える。

あれ、とぅーとが一個消えたような気がする。

Shuddhi (Kannada - 2017)をDVDで。 

知り合いのイチオシというので見てみた。今日の女性の安全をめぐる問題に全力でコミットしている。ただ、正面からそれを言い立てるだけでは効果が薄いのでスリラー仕立てのリベンジものにした。ただ、その過程でリベンジの主体に感情移入できるかどうかはちょっと微妙なところ。リベンジの原因となった出来事の詳細が終盤まで隠されているため。その酸鼻を極めた事件そのものよりも、そうした犯罪を生み出す風土の描写に繊細さが見られた。それと、神話の詩句からの引用がカッコよくて震えた。欲を言えば、鈍色の陰鬱で影の多い映像ばかりでなく、どこかで一息つけるカラフルな映像体験が欲しかった。

Naa Peru Surya Naa Ill India (Telugu - 2018)を川口スキップシティで。 

期待値が低かったが予想外に良かった。陸海空の三軍のうち、陸軍の人気がダントツという不思議の国インド。そして主人公は士官(候補生)だろうと予測していたのだが兵卒だった、これも驚き。一兵士が、前線であるボーダーに赴き、12億人を背にして自分が国を守っているという気持ちになりたいと切に焦がれる、というインドでしかありえない設定。台詞のいちいちが考え抜かれており、ゆっくり味わいたい内容だったので、時に三段になったりする字幕が歯がゆかった。どこまでもアッル・アルジュンの一人芝居で、ヒロインには活躍の余地がないのは明らかだが、それでもその造形には「アルジュン・レッディ以後」が感じられた。アルジュン・サルジャー以外のその他のキャストも実に勿体ないというか贅沢な使われ方。サティヤ・クリシュナンなんか、サーイクマールの娘役だと思ってたら奥さん設定で吃驚。悪辣な土地マフィアにすら愛国心があるという斬新なソリューションが凄かったが、そこから終盤にかけての展開がちょっと荒っぽかったのだけが残念。

Bogan (Tamil - 2017)をDVDで。 

昨年のシンガポールで買ったディスク。怪しい英語字幕付き。結果的には「買っててよかった」だったのだが、実見してみると限りなく海賊臭のする1枚。馴染みのディスク屋の親父さんの顔が思い浮かんで心がかすかに痛む。Thani Oruvanの名コンビであるアラヴィンド・スワミとジャヤム・ラヴィの共演ということで注目を集めた作品だが、はっきり言って前作のイメージをそのまま流用してキャラ説明の手間を省いちまってる。その分楽しませてくれるなら文句は言わないが。スリラーみたいな顔しながら途中からオカルト要素が入り、無理の上に無理を重ねた展開ながら、それなりに楽しめた。『フェイス/オフ』のパクリだという情報があり、確かめに行ったら、言い逃れできない感じだった。神話映画に連綿としてある、「なりすまし」の演技を楽しむためにある一作。パクリを見つけて鬼の首とったみたいになるタイプの観客には向いていないい。コテコテメイクのアクシャラ・ガウダの起用だけは納得できない。アラヴィンド・スワミの蕩尽生活の描写なども含め、絵作りは安っぽい印象。

Aami (Malayalam - 2018)をDVDで。 

この作品を中心に雑文を書く計画を立てていたので待ち焦がれていて、届いたその日のうちに一気見した。この作品がイマイチだった場合の雑文の構成なども考えていたのだが、杞憂に終わった。カマル監督先品として最上の部類に入るのではないか(ただし現地のレビューはあまり振るわない感じ)。トヴィノ・トーマスは驚きのキャラ設定。幼年時代を演じた子役の素晴らしさ。思春期を演じた新人ニランジャナの馴染み方。そして初産を境目にしてニランジャナとマンジュが入れ替わる余りのスムースさ。若妻が夫の手引きで娼婦から愛の技術を学ぶシーンの美しさ。まさかのアヌープ・メーノーンの男前ぶり。それから、カマラーの文学の中で見逃せない、召使たちをはじめとした下層の人々の短いながらキャラの経った描写に一々痺れた。ラストシーンで自らを象になぞらえる台詞が出てきたが、否応なしにOzhimuriを思い出した。あれは何か定型的な言い回しなどがあるのだろうか。唯一気に入らなかったのは、作中のイタリア人がちょっとどうしようもないくらいに品がなかったことか。また読むべき本が増えた。

Nottam (Malayalam―2006)をDVDで。 

字幕なし盤しかないので買ったきり諦めていたところ、関係者から英語字幕版が拝領できたので大喜び。久しぶりに本格的な芸道もの。やはりジャガティ・シュリークマールが素晴らしい。マラヤーラム芸道の、どの映画見ても思うけど、商業映画の俳優が、そのまますっと伝統芸能の演者を演じるのってすごいことじゃないだろうか。ロケ地も最高、映像美も申し分なし、でもやっぱジャガティが退場したところでこの映画終わった感はあった。

Bharat Ane Nenu (Telugu - 2018)を川口スキップシティで。 

コラターラ・シヴァ監督とは相性が悪いので、期待値を低めに設定して臨んだのだけど、思ったより良かった。主人公が様々な敵と戦うストーリーだが、政治的な戦い(与野党ひっくるめた既得利権保持者のサロン)と、肉体的な戦い(ラーヤラシーマのファクショニストの手下たち、そしてシュリーカクラムのグーンダ)と、社会的な戦いとの三つがあり、どれもそれぞれに見せ方が凝っている。社会的な戦いは、対マスメディアのものとなっており、演技としてはここが一番の見せ場。マヘーシュの演技力の凄みを見せつけられた。アクションとしてはラーヤラシーマの映画館のシーンが凄い。よくあんなこと考えつくもんだ。久しぶりに悪役で登場したように思えるプラカーシュ・ラージは非常に良かった。代表作の一つになるかもしれない。他のおっさんたちも皆いい顔を活かしていた。テルグ人によれば台詞のひとつひとつがカッコいいものなんだそうだ。せめて一時停止の効くメディアで再見して英語でそれを味わいたい。

Thondimuthalum Driksakshiyum (Malayalam - 2017)をDVDで。 

評判を聞いて早く見たいと思ってたのにほったらかし、国家映画賞まで獲ったというので順位繰り上げでやっと見た。しかし字幕が分かりにくい。ストーリー自体は単純なのだけど、幾つかある結節点でのロジックが分かりにくい。国家映画賞審査員はもっとまともな英語字幕で見ることができたのだろうか。途中まで警察の腐敗を抉り出すのがテーマのようにも見えたのだけど、そうは着地しなかった。コソ泥プラサードの仕事哲学のようなものも語られるのだけれど、Munnariyippuでの善悪の彼岸のような抽象性はない。色々と問題をはらんでいる人生の断片がリアリティを持って語られるのだけど、読後感はとりとめない。監督の前作のMaheshinte Prathikaaramでもそうだったしなあ。こういう作品でネイティブのマラヤーリーとの越えられない壁を感じる。しばらく時間をおいてもう一回見てみようと思う。

Mathad Mathad Mallige (Kannada - 2007)をDVDで。二回目。 

監督に会うことになったので見直し。ほとんど内容を忘れていた。初見の時は、その農本主義的メッセージの強さに驚きながらも、パッケージングのドン臭さに退いた記憶がある。今回見直してみると、そのドン臭さはあまり気にならなくなり、家族の描写の細やかさに動かされた。そしてナクサル闘争という一つの抗議手段と、最終兵器として出てくる断食というメソッドの対比の鮮やかさ。さりげなさのかけらもなく全編を埋め尽くす花のモチーフ。誰にでもお勧めできるものではないが、味わい深い一作。

Amrithadhare (Kannada - 2005)をDVDで。 

ひさしぶりにカンナダ映画のあの感じを味わった。全体的に垢抜けなくて、若者が恋愛を謳歌してはしゃぐシーンなどが、年寄りが頭の中で考えた青春像という風情で、演じ手たちも無理してる感があって寒々しい。前半の幸せカップルの幸せ生活を描写するのに採用された、若干シュールな法廷ごっこやTVごっこは観客を置いていきかねない新機軸。また出だしのストーカー芝居にはかなり不安にさせられた。そして正面から追及される「愛とは何か」「幸福とは何か」という白樺派テーマ。客観的データは何も見つからないが、結構ヒットしたという記述が僅かなレビューに認められる。しかしまあ捻りも何もない直球の難病もので、面白さはひとえにリードペアの演技にかかっているところで、ラミャもディヤンも踏ん張った感あり。

Rajaratha (Kannada - 2018)を川口スキップシティで。英語字幕付き。 

一言でいえばKalloori (Tamil - 2003)の劣化コピー。最後に悲劇が待っているロードムービーなのだけど、バラエティに富んだ乗客を細々と紹介しながらもそれが生きていない。ラヴィシャンカル演じる変なおじさんや、山のリゾートでの疑似結婚式のエピソードの挿入にも必然性がない。Kallooriなら最後のシーンを覗いても一本の映画として成立すると思うのだけど、本作はちょっととりとめがなさ過ぎて、まあ逆に薄いストーリーラインをよくここまで延べて140分のにしたものだと感心。政界の黒い霧の描写は面白かったが、あっさりと解決してしまい掘り下げ不足。バンダーリ監督はデビュー作が雪崩的なヒットになったので、東京でも上映されることになったのだろうけど、一作目での詰め込みすぎ&掘り下げの浅さという弱点が、本作ではさらに目立つものとなってしまった。作中の清廉な政治的シンボルの名士の名前がアッパージーだったのは金過去の歴史への分かりやすいオマージュだったか。

イスラーム映画祭で『熱風』 Garam Hawa (Urdu - 1974)。 

舞台がアーグラ―であること、主人公が革靴メーカーであること、サリームという名であること等々、設定の中にも幾重もの暗喩が込められている。デリー発行の新聞に真実は書いていない、ラーホールのものを読めとか、ここのヒンドゥーは靴加工には手を染めないが、カラーチーからやって来た連中は商売しか目にないから何にでも手を出すとか、刺激的な台詞が多い。散りばめられた詩と共に文字で味わいたい一作。シナリオ採録が欲しい。

イスラーム映画祭で『アブ、アダムの息子』。 

DVDで見たのに続き二度目。やはり自分は、インド人が素直に自分の誤りを認めたり、謝ったりするところがある映画に弱いのだと思う。スクリーンで見ると、その映像美と音響設計とに改めて唸る。価値ある二回目だった。上映後の監督との会食では、ウスタードの死に動揺していたチャイ屋のハイダルが、何かに呼び寄せられるようにウスタードの部屋に行き、虚空を見つめるラストシーンについて、説明を聞き、何となくスルーしていたその場面に、そういう含意があったのかと驚いた。

Pathemari (Malayalam - 2015)をDVDで。二回目。 

これも翌日に控えた監督との会食のためにもう一度見直し。ともかく、1960年代の、ケーララから湾岸への出稼ぎ創始期には違法移民がほとんどだったというのが衝撃的。そしてこの時期のパイオニアたちの中には、単純労働から這い上がることができず捨て石となった人々もいるということ。Nadodi Kattuのあれは、事実に即したコメディーだったのだ。欲を言えば彼らの居住権の合法化がどのようだったのかも知りたかった。監督によれば、商業映画風にソングを射れたバージョン(DVDはこちら)とは別に、ソングをカットした国際版もあるとのこと。翌日のQAで映画をトリムしないで欲しいと訴えてたファンがいたが、こういう場合どちらが本来のあり方なのか。ディレクターズカットとしたいのはどちらなのか、それを尋ねるのを忘れた。

Kunjananthante Kada (Malayalam - 2013)をDVDで。二回目。 

翌日に控えた監督との会食のためにもう一度見直し。やはりデビュー作のレベルには至らないし、ところどころCGの雑さが痛い。単純すぎるストーリーもどうかと思う。しかしマンムーティというスターキャストだけでなく風景や静物に語らせるという技法は健在。先行して同じような主題を扱ったPuttakkana Highway (Kannada - 2011)と比べるのが面白いが、両方見た人がいなさそうなのが辛い。Puttakkanaに比べるとより中庸で現実的だが、そこに湛えられた詩情が美しい。

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