もっと見る

〔Retrospective 18/01/01〕Mufti (Kannada - 2017)をVeeresh Cinemaで。字幕なし。 

予想通りの硝煙・煤煙まみれのノワールもの。腹に響く仰々しいBGMと苦虫噛み潰した顔での凄み合いの、言ってみればMTVに近いもの(しかし通常の意味でのソングは2つしか入っていない)。ツインヒーローのそれぞれの登場シーンの気合の入り方に感動。古臭い妹センティメントを持ってきたりして、様式美も。こういう形でヒロイズムを称揚する映画を作っているのはもうカンナダだけじゃないかという気がする。

〔Retrospective 17/12/23〕Kavan (Tamil - 2017)を機内上映で。 

えらくあっさり見られたなと思ったけど、よく考えてみたらソングが全部カットされてた。これはもう一度ちゃんと見ないと。ともかく不完全版で見て面白かったのはTV業界の内幕のこれでもかという腐れぶり。リアリティーショーと言いながらヤラセや演出入りまくりの凄まじさが迫力。ここで辣腕のディレクターを演じる女優がロージャーそっくりに見えたのだけれどもあまり情報がなく、Bhavaniという名前がクレジットされているが本当か。マドンナは相変わらず可愛い。VJSは冒頭のオタクっぽいむさ苦しいなりから単独司会番組をもつパーソナリティへの変身ぶりが目を引く。

Aruvi (Tamil - 2017)をYT有料配信で。 

前評判の高い一作だったので期待が大きかったが、感想はまだまとまり切らない。インド人の好きなrawな手触りと、高度に寓話的なサタイアとが両方あって、途中でテクスチャーがガラリと変わる。なので見ている方が、おっとっととバランスを崩す感じ。根本的には解決していないのに社会問題のスポットライトが当たらなくなってしまったHIV保菌者/発病者の問題を持ってきたのは評価できる。それにTV業界のセンセーショナリズム指向や女性への性暴力、拝金主義社会への批判など織り込まれて盛りだくさん。トークショーに出演したヒロインがその話術と凶器とによってスタジオの人々を文字通り虜にするプロセスは見事。小さなスタジオ内にすら歴然とある社会構造の分断が徐々に消えてゆくある種のストックホルム症候群を活写する。ヒロインが消費社会の良き市民像をこき下ろす長々とした演説の中で、「家族がそろって映画に出かけ1000ルピーを費やす、その映画は空っぽなのに」というくだりは痛烈。それでもやはり、この映画は軽やかで幸せなエンディングを観たかった気持ちがある。

C/O Saira Banu (Malayalam - 2017)をDVDで。 

DVD持ってるのを忘れ、こないだ乗った飛行機の機内上映で見て、まさかの時間切れで気になってた。その途中まではいい感じで期待してたのだが、ラスト1/3でとんでもない展開に。アマラ演じる辣腕弁護士があり得ない馬鹿っぷりを晒すことでストーリーが動く。ここでドン引き。それに対する方の貧しい郵便局員シングルマザーが仕分け中の郵便物から相手の弱みを握るというのも微妙なところ。インド映画お得意の「正義の側にあるならば戦いのために不正をしてもOK」の法則。で、法廷劇は終わるけど、罰されなければならない有力者の息子は野放しだし、被害者へのまともな補償も(最終シーンに暗示があるとはいえ)実現しない。ただ、生煮えではあるがケララvsベンガルなどの北東インドとの格差の問題を提示したことには意義がある。マラヤーラム映画界が貧乏なので忘れそうだが、金持ちのケーララが貧しい北東州から膨大な数の出稼ぎを受け入れているというのは、ここ5年ぐらいで頻繁に映画中に現れるようになってきた。

Thaanaa Serndha Koottam (Tamil - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

予習していかなかったので、Special 26のリメイクだとは知らなかった。しかし無闇と尾鰭やフリルをつけて原形をとどめてない改悪に思えるのだが、現地のレビューは案外好意的だったりして唖然とする。細かいギャグは確かに笑えるが、構成がグタグタではないか。まず、時代設定の表示が妙な場所にあって、現代の設定の中でフラッシュバックが始まったのかと勘違いした。それからキールティの結婚式のエピソードはどこに行ってしまったのか。カールティックの性格付けも最後まで曖昧。最後に出てくる援軍のロジカルな裏付けが不明。それから1987年という設定の時代考証のリアリティがどうも感じられない。固定電話を使った緊迫のシーンのはずのものに、緊張感が全く感じられない。固定電話を知らない世代が演出しているんじゃないかと思えるくらい。ヴィグネーシュ・シヴァンとはどうも波長が合わんのだ。しかしハイダラーバードのシーンだけはあの人のお蔭で大笑い。

Onde Motteya Kathe (Kannada - 2017)をDVDで。 

オルタナ系のほっこり映画としてよくできてる。ただ何となく飲み下せない部分もある。禿が伴侶探しの障害というのはわかるが、それがホントに致命的かということ。主人公の性格付けにイマイチリアリティーが感じられない。禿で容貌もドンくさく、人気のない職業についているけど、じゃあコミュ障なのかというと、そうでもない。時に子供っぽかったり、女性の前で奇矯な振る舞いをしてしまうことがあるけど、何といってもカンナダ語の教師だ。台詞がミューとされたソングの部分で、彼が女性や同僚と闊達に話をしているシーンがあるが、あんなに楽しく話せる人間がどうして、という気がする。自己中に生きているかに見えた用務員や弟が実は優しい奴だったというところには泣く。

Tiyaan (Malayalam - 2017)をDVDで。 

この映画を日本に売りたいという人がいることを聞いたので優先順位を繰り上げて見てみた。もう笑うしかない怪作、日本公開は絶対ない。マラヤーラム映画が時に生み出す宗教哲学映画。ところどころにモーディ―のサフロン化政策への痛烈な批判が込められるが、まあ、スピリチュアル・アクションとでもいうべきか。幾つかあるキメのエピソードが深みを欠いて安っぽい。しかしこの頭でっかちさは他人にはお勧めできないが、嫌いじゃない感じ。現地のレビューは、必見のお勧めからサイテー扱い(これを作った連中は何か変な草でも吹かしてたんじゃないか?)まで様々。意地でもPKみたいな分かりやすいものを作らないぞという意欲はよく分かった。ヒンドゥー原理主義へのアンチとして、ムスリムはともかく、ナンブーディリ・ブラーミンを持ってくるのはさすがにケーララ、笑いが止まらん。序盤でナクサルのことに言及して期待させておきながら結局登場しないというのは肩すかし。それと、これだけサンスクリット&ヒンディー語が画面上で話される映画も珍しい。ムラリゴーピの中二病爆発には敬意を表したい。

Kaliya Mardan (1919)をDVDで。 

無声映画。現存する47分を解説書付きで見た。実際の全編はどのくらいあったのか。まあ、何ぶんふるいものだし、劇映画を楽しむというよりは考古学的な勉強として。移動撮影やズームアップはなし。登場する人々が皆小柄で細い、とくに肩幅が薄い感じ。これは既視感あると思ったけどラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの絵の世界だ。割と退屈な長回しの後、最後にドンとあれが出てくるのにはある種の感動があった。

再びGodhi Banna Sadharana Mykattu (Kannada - 2016)を仲間と一緒にDVDで。 

前回見た時と同じく、テーマとなっているアルツハイマーの描写は手緩いものと感じた。かといって、アナントナーグがおしめを当てられているところは別に見たくないが。まあ、大概の人はアルツハイマーになる暇もなく60代で死んでしまう国だってのもあるし。失踪してしまったアルツハイマーの親を探すラクシトの涙目は凄く共感する。あと、万事が大雑把なインド映画で、行方不明者の探索を共同で行う男女が心惹かれるようになる過程を丁寧に描くのが琴線に響いた。丁寧な恋愛というのに惹かれるんだ自分、というのがよく分かった。

Aadhi Parasakthi (Tamil - 1971)をDVDで、たぶん10年ぶりぐらいの二回目。 

やはりこの作品は1975年ヒンディーのJai Santoshi Maaとの繋がりを考えなければいけない気がする。ともあれ、テルグの黄金期の神話映画の洗練と荘重に慣れ親しんでいると、この作品の映像技法は素朴というか田舎臭いというか。特撮の怪獣映画を見ているような気にすらなる。どこまでも土臭く、またシヴァ寄りであるタミルの神話映画の特質が100%出ている。ただ、踊りはやはり見事なもので、途中のやや退屈な説話を我慢して見た後の、最後のジャヤラリターによるシヴァの降臨を招く踊りには息をのむ。まさに弾けるという感じ。シヴァリンガを再アクティベートするくだりの性的な隠喩も、ジャヤラリターがやると偉大なシャクティそのものに見えてくるのが凄い。最初見た時にはヘナヘナとなったジェミニのシヴァ神も、これはこれでありだと思えるようになった。

町屋の会で『カランとアルジュン』(Karan Arjun, 1995)を。 

盛期ボリウッド様式のようなものを久しぶりに見た。輪廻転生が主テーマだが、神話との親縁性もあるとこのとだったが、アルジュナとカルナのツイストはストーリーライン上にほとんど認められず。むしろカーリー女神信仰が前面に現れるのだが、正邪のどちらもが女神を崇拝しているというのが面白い。華やかであるべきソングシーンが曇天の下で撮られているなど90年代っぽい大雑把さも。リベンジものとしては同じ監督のKhoon Bhari Maangの方が心に沁みる。ヒロイン女優のソングでのあられもなさには冷や汗が出る、この感覚は久しぶり。そのヒロインの一人、マムターがあられもなく迫るのを、サルマーンが逃げるでもなく受け入れるでもなく、微かにほほ笑むソングシーンの演出が奥ゆかしくて良かった。

SNS上の広告ポストには基本的に反応しないんだけど。うっかり見てしまったこれにはちょっと動かされた。 

しかし、見たら見たでかなり心身にダメージが来そうな予感。
motion-gallery.net/projects/gr

昨日は仲間と一緒にPizza (Tamil - 2012)をDVDで再見。 

初見の人たちは本当に怖がっていた。僅か5年前のVJSの本当にほっそりしていたこと。ヒロイズムとは無縁の芝居でタミル人の心をガッツリつかんだVJSはやはり凄い。

Netflixで『聖者たちの食卓』(Himself He Cooks)。 

予告編などをスキップして予習なしで見たのだけれど、それでも何が言いたいのかはハッキリと分かるのは映像作家の力なのか、素材の力なのか。思い入れを顔に出さずに淡々とこなす人々がカッコいい。指揮をする人物がいないように見えるが、500年の積み重ねで役割役割分担とワークフローが確立しているせいなのかどうなのか、興味深い。無駄な動きをして全体の足を引っ張るような人物は登場しなかった。他でも指摘があったが、邦題はやっぱり外してる。導師と聖者はニュアンスが違うし、食卓は出てこない。

これも数年前、インド映画封切りに当たって、プレス発表と一般公募観客の試写会とが同時に行われたことがあった。 

インドのマスコミ人すら来ていた熱気あふれる会場。かぶりつきから数列はプレス用の指定席で、一般応募客はその後ろ。上映前に監督と日本のセクシー系アイドル女優との儀礼的なトークがあり、そのあと数分のプレス用撮影タイムがあった。後列の一般人の撮影はご遠慮くださいと言われた。しかし、それが終わると前列のプレス席はもぬけの殻、誰一人として上映のために残ってなかった。あの時来ていたインドのマスコミ人はどうだったか思い出せない。ともかく、大手配給が絡んだ、大掛かりなプロモーション戦略でこれだもんなあと思ったのだった。

劇場で売られているパンフが、封切り前は「プレス」と呼ばれるということを知ったのはそう古いことじゃない。 

プレスと呼ばれている時点では、試写にやってくる関係者に配るために使われる。数年前に一度だけプレス製作の下請け仕事をした際に、そのあたりが呑み込めておらず、図表や統計資料をたくさん集めることが求められていると勘違いしてた。しかし、試写に来たマスコミ関係者が、映画を実見しての感想と資料的な素材から独自のレビューを書きあげられるはずもなく、プレスには惹句や粗筋、見どころチョイスまで、そのまま流用できるようなパッケージが求められているのだった。情けない気もするが、レビューの内容よりも、取り上げてもらうことが目標なんだからそうなるわな。一般の観客のレベルでも、SNSに現れる一言感想では、ボキャブラリー選択がチラシの文言にかなり影響されているのを知った。映画を広めたいなら、公式がしっかりしたテキスト情報を流すことが重要。まあ、劇場りパンフとプレスの内容が、いろんな事情から違ってることもあるんだろうけど。

TIFF「ヴィクラムとヴェーダ (Vikram Vedha)」(Tamil - 2017)を六本木TOHOシネマズで。 

最初に文句から。字幕のレベルが低い。タミル語専門家の校閲を受けていないことが明らか。それからbucksを単純にドルと訳したりするあたり。どう考えたってルピーだぜ。天下の東京国際がどうしたのか。あと、字幕投影技術協力として文化庁がクレジットされていた。DCPに後付けで別プロジェクターの日本語字幕を投影したのか。映画自体はスタイリッシュなオッさんの揉み合いと哲学的問いかけの融合で言うことなし。劇中にMullai Nagar, MKB Nagarというスラムっぽい団地の名前が挙がるのだが、これが何と実在しており、いずれもフォート地区よりも北。つまり北チェンナイもの、さらに言えばダリト・コロニーものということになるか。団地の壁には何やら人物の巨大ポートレイトが書かれているシーンもあり、『Madras』と共通の背景であると考えられる。それほど高層でもない団地を上空から捉えたショットの不気味な美しさが印象的だった。

IFFJの二本目「マントラ(Mantra)」 (Hindi, English- 2016)を渋谷ヒュートラで。 

トレイラーだけ見て陰気くさい文芸映画と思い期待せずに見に行ったけど、案外よかった。『モンスーン・ウェディング』でペド親爺だったラジャト・カプールが出てくるとつい猟奇的な展開をしてしまうがそれはなし。他にもLoevのシヴ・パンディットとか、『マダム・イン・ニューヨーク』のアーディル・フサインが渋い役で登場して嬉しい限り。都市住人の難しいエゴ、中年の挫折などをふんわりとした筆致で描き、好感をもったが、現地のレビューは恐ろしく低い、なぜななのか。長男がデリーで開いたレストランがヒンドゥー原理主義者の攻撃にさらされるシーン、それから主人公の仲間たちが中国とインドの格差について語るシーンが印象的。ジャールカンドからの貧しい上京者が見せた無償の男気がカッコいい。

IFFJの一本目「幸せをつかむダイエット( Vazandar)」 (Marathi - 2016)を渋谷ヒュートラで。 

マイルドなダイエットコメディ。この手の作品は、肝心のダイエット必勝法を描いてはいけないという決まりでもあるようだ。ダイエット産業をそこはかとなく批判しながらも、決定的な断罪はしていない。また作中の肥満女性なるものも、暗闇でスクリーンを凝視している本物のデブから見たら笑っちゃうようなもの。全体としては生ぬるいが、ジムのトレーナーとの友情のくだりは良かった。パーンチガニ、マハーバレーシュワルのロケ地は素晴らしい。あんな所に住んでたら、体重のことでクヨクヨしたりしないだろうに。

Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。 

Mersal (Tamil - 2017)の続き。アトリ監督との相性の悪さ、流血描写にあるのではないかと思い至った。インド的バイオレンスに慣れきっている自分が違和感を持つアンバランスさ。主人公がドーティ―を脱がされるシーンは映さないのに、帝王切開手術は執拗に映像化するようなところ。子連れで見に行ったアメリカ人研究者がやはりショックだったと書いていた。

スレッドを表示
もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。