Gargi (Tamil/2022)をオンラインで。ただしテルグ語吹き替え版。
タミル・テルグ・カンナダマルチリンガル。画面に映る文字は全てテルグ語、舞台はハイダラーバードということになっている。空撮俯瞰ショットで映るのもHYD高裁。町並みは特定しにくいように作り込まれている。9歳の女児へのギャングレイプ事件の従犯として逮捕された老齢の父。警察は解決を急ぎ勇み足、弁護士会は弁護を拒み、被害者の親族は殺意すら示し、どこからか漏れた個人情報をもとに騒ぎ立てるマスコミ。父の無実を信じるヒロインは、頼りない新米弁護士と共に法廷闘争に臨む。警察の杜撰さが露わになり、被害者の証言の信憑性にも疑わしさが見えてくる。奇跡の逆転劇になるかと思ったら結末でまさかのどんでん返し。作劇としては上手いのだが、じゃあ覆って突き付けられた現実とヒロインがどう向きあったか、どう立ち直ったかが描かれないと画竜点睛を欠くと感じられた。それとアイシュワリヤー・ラクシュミがわざわざカメオで演じてるジャーナリストは、父の個人情報を暴露した当事者であるようなのだが、それについてはちょろっと疑問の言葉を口にしただけなのは気になった。
Vaashi (Malayalam/2022)をNTFLXで。
タイトルの意味はstubbornだという。法曹界で働く若い男女が仲間同士からやがて恋仲になる。異宗教婚だがそこは民度の高い家族に恵まれて何とかなる。婚約するまでにはお互いの心を言葉で打ち明けない中での以心伝心の機微があり、胸キュンのエピソードなのだが、後からそれがブーメランで返って来る。2人は検察側と被告側弁護人として法廷で対決する。はっきりと告白せずに性交した若いカップルのうち、女性が結婚を求め、男性がそれを拒否したことでの争い。「性交したら結婚しなければならない」という暗黙の前提の下で戦われる舌戦。女側に検事の夫、被告の男側に弁護士の妻がつく。白熱した論戦は非常に面白い。法廷で思わず直接やりとりをして裁判長にたしなめられるシーンも。法廷に私情を持ち込むことを戒めるあまり必要以上に激しく対立し、私生活の方にそれを持ち込んでぎすぎすしてしまう。多少の波乱はありつつも、概ね順当な判決が出て、夫側が勝ち、初めてゆったり話をする2人。人の心にまつわる事件での判決の相対性を暗示して話は終わる。現地レビューは厳しいものが多く、驚いた。
Darlings (Hindi/2022)をNTFLXで。オリジナル映画。低品質日本語字幕付き。
ムンバイの庶民的な地区で暮らすムスリムの夫婦。夫はインド鉄道勤務の公務員だが、実質的には上司の用務員でフラストレーションを溜めており、それを飲酒と妻への嗜虐的ハラスメントで晴らしている。妻はそれを耐え、飲酒癖さえなければいい人間で、自分を愛しているからつい吐け口にしてしまうのだと言い、周囲の諫言に耳を貸さない。これが前半延々と続き、VRとAB両方の演技が迫真的なのでいたたまれないきもちになる。ローシャン・マーチュはこういうドラマにありがちな不思議キャラ。後半で妻が反撃に転じる場面は小気味いいが、最終的には悪者は力で排除していいという伝統的な結論に至る。アーリヤーの典型的なDV被害者の隷属心理の描写が怖すぎる。特に母親に向かって「ママは愛されてなかったからパパに逃げられた。でも私は暴力を振るわれても愛されてることが分かってる」などと言うあたり。昔世間で絶賛されてたので読んだ『自虐の詩』がさっぱりダメだったのを思い出したが、あの漫画の居たたまれなさが本作で解消したかというとそんなことはなかった。
Njandukalude Nattil Oridavela (Malayalam/2017) をDVDで。
タイトルの意味はAn Intermission In the Land of Crabsだそうだが、何のことだかわからない。アイシュワリヤ・ラクシュミのデビュー作というので見てみた群像劇。癌が見つかってしまった女性とその家族をめぐる、マラヤーラム語映画からしか生まれないタイプのファミリー・コメディー。客寄せの主役はニヴィンで実際に登場シーンも多いが、作品全体を支配するということはない(1カ所自己言及の受け狙い台詞があったが、これもお笑い)。Ley’sのポテトチップスが大好きな、凄くその辺にいそうなだらしない奴という役柄で好演。がっかりする女性ファンの気持ちを思うと心が温まる。大学講師をしている中年女性が乳癌の第二段階にあると分かってから周囲が動揺するが、女性自身は基本的に強い人で、周りのあれこれドタバタが炙り出されるという筋書き。実際にこういうクリスチャンの中産階級家庭を知っているので、リアリティーに震えた。深刻な病にかかった親族がいる時に、人間はどのように自身の日常を楽しめるか。
777 Charlie (Kannada/2022)をオンラインで。
英語字幕は低品質。雌犬なのにheと訳してたり、イドリをなぜかItalianとしてたり。幼少期のトラウマからすさんだ心を持ち続け孤独に暮らす男が、迷い込んだ雌犬に付きまとわれて往生するが、犬が交通事故で怪我をした際には見捨てられずに獣医にかからせる。そこから実質的な飼い主となり、やがて心が通じ合うようになるが、気が付いた時には犬は末期癌だった。犬が憧れている雪を体験させるためにマイソールからはるかにヒマーチャルを目指すという話。淡々とお約束通りに進むメロドラマ。泣き面の犬の演技力が怖いほど。しかし見る人によっては思い込みの強い人間が動物を弄んでいると感じるシーンもあるのではないか。これは看板になっている動物(愛護)映画ではなく、ACとして成人してしまった人間が、動物の献身と犠牲によって何とか世界と折り合いをつけられるようになるまでを描いたものなのではないかと思える。ハラハラさせる行動をとるのは犬ではなくいつもダルマの方だし。そして道行く先で出会う違法ブリーダー以外の全ての人間が、主人公の苦しみを察して特別扱いをするのだ。
Comali (Tamil/2019)をオンラインで。
ジェヤム・ラヴィを見る作戦の一環。本作は公開前にトレーラーが物議をかもして(何でだったっけ?)わざわざ保存した記憶まで。1999年大晦日に事故で植物状態になった高校生が16年後に目覚めるというコメディー。前世紀の遺物の34歳の男が現代社会(特にそのヴァーチャル性)を批判するという設定は大変に興味深いが、周りの人間の設定が無理筋過ぎて笑いの鋭さを大いに削いだ。特に最終シーンで主人公が人助けをするところ、感動的に盛り上げてるが、そもそも災難のきっかけを主人公が作ってるという点が痛い。ギャング出身政治家とドクラ(東インドの工芸品だろうに)の関係も雑。笑ったのは、ラジニの政界入り関連のニュースを見た主人公が、「ほら今は1999年じゃん」という場面。低カーストの生まれでかつては寺院にも入れなかった政治家が、自分はテーヴァルだということにしてムットゥラーマリンガ・テーヴァルの像の除幕式に出るところ。ダヌシュは自分の息子だと訴える女性が、「タミルあるある」だとして登場するなど。主人公がユーチューバーになるシーンでは古臭いモラルの開陳が鼻についた。
Jayam (Tamil/2003)をDVDで。
ジェヤム・ラヴィの出演作を多少は見ようというプロジェクト開始。今から約20年前ということで、さすがに古い作劇(しかしそれが心地よいのだ)。ニティン主演のテルグ映画のリメイク。よくある田舎カレッジでの一目惚れ~ストーキング~相思相愛~親の反対~恋敵が鬼畜~駆け落ち~恋敵との肉弾戦、という流れ。公開当時に見てたら荒唐無稽の一言で片づけていただろうけど、これは逆毛異カースト恋愛もので、それなりに現実を反映したものだったことが今は分かる。クライマックス前にムルガン神に祈るシーンがあって、神懸かった方に行くのかとも思ったが、主人公がムルガンの槍を手に戦うというのに留まった。鐵分は高く、ポッラーッチ線やテンカーシ線などでロケしている模様。屋外風景も多分ポッラーッチ。ご都合主義と人物の性格や感情の動きの描写における極度の様式化、物理法則無視などが満載ではあるが(というかそれだからこそ)、90年代田舎映画の名残りを留めた純朴と瑞々しさが感じられる。ジェヤム・ラヴィはいかにもな坊ちゃんぶりで、田舎の学生には見えないけど、リアリズムの時代ではなかったのだ。
Ariyippu (Malayalam/2022)をNTFLXで。
また脳みその疲れる映画を観てしまい、ストーリーを理解するため、後から再度飛ばし見&レビューを読んでやっと理解。珍しいことにケーララからデリーに出稼ぎに来て陰鬱な郊外のビニール手袋工場で働く夫婦。コロナ禍だが必需品なので稼働している。外国に出るためのビザ待ちにはデリーの方が有利だからだ。工場内での検査体制の不正と、妻の映ったビデオが加工されてアダルトものとしてSNSに流出するという2つの事件が並行し、翻弄された夫婦の間に亀裂が生じて夫の側の有害な男性性が炙り出されるという物語。まず要となるビデオのどこが問題なのか分かるのに時間がかかった。私物持ち込み厳禁の工場内でスキルビデオを撮った(たぶん夫の手で)ことが騒動の元なのかと勘違いしてあらぬ方向へ(アダルトであるというのが微妙な描写で分からなかった)。品質管理を巡る汚職の描き方も分かりにくい。ただ、自殺した元職員の村の描写だけは鮮烈で心に突き刺さった。Nna Thaan Case Koduといい、本作といい、クンチャッコー君が演技者として注目を浴びるのは嬉しいが複雑な気分も。
Axone (Hindi/2019)をTUFSシネマで。
邦題は「アクニ デリーの香るアパート」。レクチャー付き。デリーに住む北東部出身の男女の一日を描く。ほとんどのやり取りがヒンディー語か英語であるのは、彼らの間で意思の疎通可能な現地語がないため。そのうちの1人の女性が急遽結婚することになった(健康状態が思わしくない祖母のたっての願いで)が、その日はIAS試験の面接日でもあった。不安から電話で哀訴する彼女を励ましながら友人たちが婚礼のご馳走を作るために奮闘するが、アクニという発酵大豆の味噌が強烈な臭いを発するため、料理をすることができない。そのドタバタの中で、カジュアル・レイシズム、くっついたり離れたりの恋愛、親友と思ってた相手の真の顔の暴露などなどが起きる。深刻なテーマも扱いながらもChennai 600028を思わせるご当地物の軽みとローカル色がいい。女性が前面に出ているというのも。名誉シク教徒北東人とか、デリー生まれ「インド人」だけど北東人フェチの男とか、グロサリーショップ前のパイプの男がアーディル・フサインだとは。チャンビのベンダンへの諫言の不適切さは尤もで、これはかなり痛い。
Don (Tamil/2022)をNTFLXで。
もう二度と見ないつもりでいたのに、事情あって再見。劇場初見で字幕が追いきれなかったところは少し解明したが、安いものを見せられたという感想は相変わらず。特にブーミナーダンのキャラの突然の変貌は意味が解らない。打ち所が悪くて突然いい人になったという解釈しかできないが、シリアスになる展開の中でそれはないだろう感が満載。ブーミナーダンと父のキャラクターをパラレルに並べて語ることを意図したからなんだろうが、単なる思い付きの範囲を出ず、効果がない。専制的に振る舞う父親が実は慈愛に溢れながらも不器用でそれを表現できないというパターンは、Ozhimuriでもあったが、本作でのそれは後だしジャンケンが過ぎる。親に行き先を決められて窒息する子供の悲哀と、身を粉にして働き子供に教育を受けさせようとする親の犠牲、それに規律ばかりを求める硬直した教育、3つの相容れないテーマのコンフリクトは、父の死と主人公のとんとん拍子の成功によって棚上げされてしまい、本質的な解決を見ないままにセンチメンタルな洪水によってあいまいにされて終わる。演技が素晴らしくても後味は良くない。
大好きだから(사랑하기 때문에、2017)をオンラインで。
韓国文化院提供の映画特集で。コメディーと銘打っているけど、フィールグッドなロマンス。交通事故で幽体離脱した男が、記憶をなくして様々な人間に乗り移ってしまい、乗り移った先の人間の愛を体験するというファンタジー。妊娠中の女子高生、妻と離婚協議中の警察官、冴えない大食い教師、認知症の老婆、これら人々に乗り移り、それぞれの愛の物語に関与するうちに、少しづつ記憶を取り戻していく。次の乗り移りで友人の体に入り、自分が交通事故で意識不明のまま入院していることをやっと知る。事故前にプロポーズする直前だった相手の女性が歌手としてデビューするのを、友人の体を借りて助けて成功させる。しばらくして成功した女性がステージで歌声を披露するステージ、客席には体を借りた人々全員が来ていて、彼の姿も見えるが、その笑顔には不思議な光が射している。認知症の老婆が、昔彼女に嘘をついて恋人との間を引き離して結婚したことを悔いる夫を許して言うセリフ「あなたとは縁があったから結婚したの」、末期の主人公の頭の中での「君のせいじゃない、これは運命だったんだ」に東アジア的運命感。
Nna Thaan Case Kodu (Malayalam/2022)をオンラインで。
繋がりが悪く2回に分けて。久しぶりのマ映画、しかも法廷ものに脳みそがついてくのが大変だった。コソ泥としての前歴のある男が、MLAの屋敷に疑わしい状況下で転がり込み、番犬に咬まれて大怪我をしたが、逆に家宅侵入と窃盗の疑いで起訴される。だが男は無実を主張し、逆に敷地内に入ったのは路面の陥没でよろけたオートが向かってきたための咄嗟の避難だったと主張、陥没を放置した公共事業大臣の責任だとして反訴し、同大臣を被告にして同時に審議する、という回りくどい話。典型的なロウワーをクンチャーコ君が見事に演じるのを見るのは複雑な気分。訴えられた大臣が属する与党は共産党系、しかし反骨の気概に満ちた裁判長は構わず法廷に召喚して、裁判の場でも特別扱いしないという点が強烈な印象。しかし村の祭りで周りの目も構わず勝手にトランスダンスするややヤバめのおっさんが途中から賢くなっていくのは分かるような分からないような。ケーララのおっさんというのはそういうものなのかもしれない。思わせぶりに挿入されるガソリン価格の推移には意味があったのか。
Qala (Hindi/2022)をNTFLXで。日本語字幕付き。
プレイバックシンガーがヒロインと聞いて芸道ものを期待したが違ってた。芸道もの的要素を含んではいるが、サイコスリラーだった。メンタルヘルスの異常を放っておいてはいけないという今日的教訓と、悪事は必ず我が身に返ってくるという古くさいモラル説話とを含むメッセージ映画。しかし映像作家は全編を象徴的で耽美的な映像で埋め尽くすことに惑溺しているように思えた。毒親、男尊女卑、映画関連業界の中でのセクハラ構造、芸能カーストの閉鎖性などなどが盛り込まれるが物語はごく単純。女性の衣装などから1930年代と分かるが、当時の劇伴歌手の地位は憧れるようなものだったか疑問。舞台はヒマーチャル・プラデーシュで、ヒロインはトゥムリーの歌い手の家系。独特の装身具と衣装が気になった。ライバルのジャガンに打ち勝つ前のシーンで、洋装で幻想的なダンスが繰り広げられるソングがあるが、きわめて不穏な感情を掻き立てるもので、全編を象徴していた。陶酔的なトゥムリー、コケティッシュな映画ソングなどが素晴らしい。ディープティー・ディムリーのスレンダーさ、バービルの生っぽさ。
エクストリーム・ジョブ(극한직업、極限職業、2018)を韓国文化院で。
5人の男女からなる落ちこぼれの麻薬捜査班が、外国から戻ってくるという麻薬王の逮捕のためにアジトの対面にある食堂で張り込みをするが、その食堂が暖簾を下ろすというので自分たちで買い取って経営者になったところ、店が繁盛しすぎて大騒ぎというコメディー。コメディーであることを第一命題としてドンとおっ立て、それにより血腥い殺人は一切描かないという筋の通り方。その上でどこまでハチャメチャなおかつスリリングにできるかということになるが、職人芸的な手腕でまとめられていた。笑える登場人物は多いが、麻薬王イ・ムベの下にいた中ボスの顔が非常に印象的だった。俳優の名は分からず。イ・ムベのボディーガードのソニというキャラクターも強くて大変良かった。「水原のカルビのタレ味フライドチキン」の絵面は垂涎で、レシピを再現したくなった。一方で対立するボスであるはずのピザ屋のテッド・チャンというキャラクターの面白味はよく分からなかった。ラストのボートの上での格闘はやや引きずり気味でクライマックスにはふさわしくないように思えたが、何かの引用だったのだろうか。
Devdas (Hindi/1936)をYTで。
とある研究会聴講の事前学習として。英語字幕付きだが音声がところどころ途絶える。30年代トーキー作品を見るのは3、4本目になるか。最初に観たMala Pilla(Telugu/1938)もそうだけど、ほとんど書割を使用しない屋外撮影のシーンの多さに驚く。ストーリーは淡々と進むが、デーヴダースが最初の一滴を口にするシーンが見当たらない。いつの間にか依存症になっている。これまでの全バージョンを見て思ったのだけど、必死の思いでデーヴダースの寝室を訪れるパロを拒むデーヴダースの心の動きがよく分からない、怯懦なのか傲慢なのか。そしてそれを悔いてパロを思い詰めるようになる転換点もよく分からない。確か原作もその辺りは曖昧だったと思う。女性俳優は皆大変にやせていて、棒きれのように見える。パロとチャンドラの区別もつきにくい。妓楼の客は退廃した都会人士という設定だが、フリークス性の高い人物が混じっていたのが気になった。曲のリストは分からないが「クリシュナは来ない/黒い雲はそこに」というトゥムリ風の楽曲がよかった。一部しか残っていないというベンガル語版も見たい。
Dishoom (Hindi/2016)をオンラインで。
典型的な2010年代ボリウッド娯楽作。スルッとしたのど越しで胃もたれしない作り。しかしこれよく考えてみたら、主人公二人がムスリムで舞台が中東で、珍しいくらいなムスリム・ソーシャルだわな。しかしそういうことをほとんど感じさせないセキュラ―な造りになっている。架空の無法国家アブディンでの礼拝シーンでのみ、若干の宗教的センティメントが現れる。アッキーとナルギス、パリニーティの登場はそれ者ならばおおと受けるところなんだと思う。アッキーの御団子髷のオネエというキャラには何らかのネタ元があるのかどうか。意味不明だけど、作中の有名人キャラとセルフィーを撮る時の仕草が妙に印象に残った。まあしかし、売れない役者を使って狂信的パ・サポーターの狂言をやるというプロットには若干無理がある。ただまあ、悪者パキスタン人を一切出さずに愛国メッセージを押し出す脚本はクレバーだと思った。ソングは例によって品がなくて聞いてるそばから忘れて行くようなものばかり。クライマックスのヘリと4WDのチェイスシーンなど、変にもたもたしていて、アクション映画としては小ぶりな印象。
Cobra (Tamil/2022)をオンラインで。
典型的な悪徳青年実業家が気に入らない者をドカドカ白昼に暗殺していく。その実行犯は新聞の数独を通じて指令を受け取り、巧みに変装して殺しを行う。犯行と同じタイミングでインターポールを始めとした機関のコンピュータがハックされる現象も。一方、チェンナイでは地味な数学教師マディに対してソーシャルワーカーのバーヴァナが結婚を求めていたが、彼は応じようとしない。しかし観客には彼が刺客であることは分かっている。次の標的はロシアの国防相。このあたりまではImaikkaa Nodigalの監督らしい、大雑把ながら緊迫したいい感じに持ってきていたけど、主人公が双子の片割れであることが明かされ、回想が始まるところからズッコケ。若い頃を演じる俳優が全然似てない。息子のドルヴを持ってこられなかったのか。現在に戻り双子が対決するシーン以降、一々メモを取らないとついていけないほどの入り組み方。唯一の識別子だった髪型も途中から一緒になってもう滅茶苦茶。故人や過去の自分の幻影が集団で現れるシーンは面白い。AnniyanやDasavatharamを意識している異形の怪作。
Idharkuthane Aasaipattai Balakumara (Tamil/2013)をYTで。
気になっていたが無字幕DVDしかなく、放っぽらかしだったがやむを得ない事情から、ネット上の字幕データ(word)をDLしてチラチラ眺めながらの鑑賞。だらしない無職男と、エゴイスティックなホワイトカラーの男とが、無関係空間でそれぞれトラブルを抱えながらじたばたしているうちに、とある交通事故がきっかけで接点ができ、ホワイトカラーが無職を必死で探すことになる。そこに職場や市井の個性的すぎるキャラが絡み合ってストーリーが大渋滞になるドタバタ・コメディー。中には凶悪犯罪に手を染めた者もいるが、基本的には全員マヌケ。ハイテンションで脳みそ空っぽのVJSを楽しめるかどうかが評価の分かれ目。VJSがおバカを繰り広げる舞台はどうも北チェンナイの団地のようなのだけど確証が得られず。以前に「ハイパーリンク・シネマ」について「人々がそれぞれの事情でバラバラに営む生活の、不規則で無秩序な分子運動の中で偶然が連鎖し、まるで神の手によるかのようなストーリーが生まれる」と書いたことがあるが、これはかなりユルユル。
Kantara (Kannada/2022)をスキップシティで。
まさかの4回目。また字幕で初めて分かったこと。1970年代の場面で若い地主が「今喋っているのはダイヴァなのか憑子なのか?」と失礼な問いをするのに対し、「憑子の言葉なら彼と再びまみえよう。ダイヴァの言葉なら再びまみえることはない」と言ってから森に消えるところ。これは地主がグルに言う「ダイヴァは数分だけ、その後は憑子」に対応する。例の哲学的な銃刀店のヤク中男はマハーデ―ヴァン。シヴァと彼ががラリッて刺客をなぎ倒すパート、クライマックスへの序曲として秀逸。部族民への接触の禁忌に関してもう一つ見つけたのだけど、もう思い出せない。問題の音楽はラストだけじゃなく冒頭でも使われてた。あれがないと締まらない。それ以外の楽曲も本当にしみじみといいのに、盗作疑惑は痛恨。アチユト・クマールは好々爺すぎる印象も所々にあるが、グルの下手人を尋ねるシヴァが「あんたが」と叫んだ瞬間はよかった。倒れたシヴァにダイヴァが寄り来り乗り移るところ、地主の手勢が箱乗りで夜道を走るところ、全てが美麗。憑依のシーンでポン菓子を食べるところはギリギリでコメディー回避。