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Ludo (Hindi/2020)をNTFLXで。 

いわゆるハイパーリンク映画。2011年以降のマ映画でさんざん見て、それから『Super Deluxe』(2019)あたりにも影響を及ぼしたスタイルに改めて取り組んだという感じ。これら作品につきもののギャング、借金苦の人物、転がり込む大金などが使われている。そしてEe.Ma.Yau(2018)から頂いてきたと思われる2人の傍観者(ヤマ大王とチトラグプタであるらしい)。ケーララ人の看護師(ヒンディー語も英語もできない設定)が同郷のDJに誘われて踊るのはNeram(2013)のエンディング曲で、そういやあれもハイパーリンク的だったなと。4つのパーティーが全く接点のない状態から4つ巴になるまでの組み立てはかなり上手い。女に片思いしている男が振り回されるのが基本形。かき回し役のギャングがなぜだか不死身だというのも笑える。ただ、看護師とデパート店員の男が必死に守るケースに何が入っていたのかがよく分からない。摘出した臓器だとしてもとっくに賞味期限切れになってると思うが。舞台がジャールカンド州ラーンチーの湖のほとりであることに何か意味があるのだろうか。

Murder Mubarak (Hindi/2024)をNETFLXで。 

邦題は『マーダー・ムバラク』。Rikshaを人力車と訳してしまうようなレベルの日本語字幕付き。しかし卑語猥語の翻訳だけは手慣れてる。デリーで英国植民地時代から続く名門クラブで会長の選挙を行った祝祭の夜の翌朝に起きた殺人事件。鼻持ちならない特権意識に凝り固まった上流社会人士の全員が怪しいという状況で、部下のパダムを連れたバヴァーニー警視の捜査が始まるが、第二の殺人が起き、さらには死後3年たった人骨までもが見つかるというミステリー。クラブが世界の全てとなっている上層の人々への皮肉な視点はあるが、それほど痛烈なものではない。ミステリとしてはまあ色々無理がある。ヤク中の若い男の殺人未遂とか、共犯者を自殺に追い込む手口とか。目くらましで出てくる派手好きの没落王族のエピソードも、じゃあいったいどうやってるんだというのがある。一番よくないのはヴィジャイ・ヴァルマ以外の若いのが顔認識が難しすぎて誰が誰だかというところ。カリシュマーの訳ありの熟年女優ぶりはよかった。バヴァーニー警視の造形もあまり癖を出しすぎず踏みとどまったのはいい。

Sherdil: The Pilibhit Saga (Hindi/2022)をNTFLXで。 

まさかのシュリジト・ムカルジー監督作が、(ヒンディー語作品だが)ネトフリにあると知らず驚いて即刻観た。ウッタル・プラデーシュ州の僻村の村長ガンガーラーム46歳が、野生動物に農地を荒らされて困窮する村の現状を訴えるが、インターネットでの申請すら知らない彼は役所で相手にされない。帰村した彼は自分が癌で余命3カ月だと言い、一人で森に入り虎に食われて死ぬと宣言する。虎に襲われて死亡した者には政府から100万ルピーの見舞金が出ると知ったためだった。実話に基づいているとはいえ、既に古譚の雰囲気が漂う。森の空気を疑似体験する映画としては良かった。プレクライマックスとエンディングに関しては予測可能で驚きはない。中盤から登場する違法ハンターのジム・アハマドが、髪はドレッドなのに服は汚れていないとか、色々ご都合主義なのだが、御伽噺だと思えば気にならない。ソングの歌詞にはカビールが何度も登場し、バウルのテイストも微かにある。動物を保護するのに農民を無視する政治、そして熱しやすいインターネット世論、商業主義への風刺。

Rakshadhikari Baiju Oppu (Malayalam/2017)をDVDで。 

いや、ひさしぶりにマラヤーラム語映画の特質を極限まで追求したようなものを見た。コッチ地方の村クンバラム。何かの役人であるらしいバイジュは両親と妻、一人娘と暮らす40ほどの男。勤めは適当にこなし、裕福ではなくとも追い立てられることのないほどの暮らし。家のそばにある名前のない広場で子供や青年たちと混ざって毎日のように草クリケットに興ずる。タミル人と駆け落ちして家を出た妹がいる。土地のゴロのような男たちと鍔迫り合い寸前までいくが、それ以上のことは起きない。草クリケットチームから送り出した若者がIPLプレーヤーになるのが最も派手な出来事。しかしその広場に病院が建つことになり、人々は締め出され、木は倒されていく。これだけで2時間40分。Kunjananthante Kada(2013)に近い、開発か保全かという話だが、同作と同じく、開発を悪者にして糾弾するというものでもない。調査で村に入る人類学者のように、人間関係を徐々に把握し、生活のリズムに自身を慣らし、そこでゆったり流れていく時間を楽しむ疑似体験。

Anandam (Malayalam/2016)をDVDで。 

当時関わってた映画祭で、別のマラヤーラム語作品にあたりを付けていたのに、なぜかそれがキャンセルされ代わりにこれはどうか?というインド人商法をかまされてブチ切れた思い出。アルン・クリヤン、トーマス・マーテュ、ヴィシャーク・ナーヤルにとってデビュー、ローシャンにとって3作目、他の女優陣にとってもデビュー作。カレッジの学生がインダストリー・ヴィジットと称する修学旅行に出かけて経験するあれこれ。ヴィニート・シュリーニヴァーサンの製作だが、その監督作とほぼ同じテイスト。ふわふわとして甘酸っぱい学生時代のあれこれに感じ入ることができれば乗れるが、そうじゃないと苦痛というインド的学園もの。ちょうど10年前のClassmatesと比べると、実年齢リアリズムが浸透していることは進歩かも。Premalu (2024) の面白さを考えあわせ、本作に欠けているものは何かと思いを巡らせるのだが、敵や部外者に相当する存在がほとんどないことが締まりないものにしているかもしれない。引率の教師ですらが、同僚とラブラブ。演者の中ではアルン・クリヤンが気になった。

Chatha Pacha (Malayalam/2026)をNTFLXで。 

原題はおそらくフォート・コーチン方言で「ヤルか死ぬか」。標準マラヤーラム語で解釈しても仕方ないパターンと思う。この間観たThuramukhamと同じくマッタンチェーリの非常に狭い街区の、観光街歩きでは知り得ない世界を覗かせる。どうもダリト、ムスリム、クリスチャンという周辺的コミュニティーと格闘技は相性がいいらしい。伝説の2大レスラーの伝説的な勝負の後、その子供たちの世代。血は繋がらないが兄弟同然の3人の男。バラバラになっていた2人がまず再会してマッタンチェーリ駅舎跡を会場にしてコスチューム・レスリング(プロレス)の興行を立ち上げ、成功を収める。残りの1人も密輸で捕まって服役していた刑務所から出所する。しかし彼は自分を陥れた密告者への復讐の念に燃えている。逡巡しながらも2人の相棒に誘われプロレスに加わるが、実はその1人こそが密告者だったと知る。それを明かしたのはライバルの息子で流行らないボディビル塾を経営する若者だった。手作りリングの電飾のWのデザインがWWEのロゴと同じ。ローシャン・マーテュのラーフル・デーヴ化。

Mirāi: Super Yodha (Telugu/2025)をオンラインで。 

この手の神話リミックス型ファンタジーはこりごりと思いながら、行きがかりで見てしまった。主演は『Hanu Man』と同じなので期待値は最低で。しかしなぜだか『Hanu Man』よりはずっと良かった。もう後がないマンチュ・マノージが思ったより良かったせいもある。目つきの悪い半グレに見えるテージャ・サッジャーにもそれなりの成長の跡があった。覚醒に至るまでの、そして超能力を獲得するための条件的なあれこれの、イライラさせるまどろっこしさが『Hanu Man』ほどなかったのが一番かも。しかしそれを措いても160分は長すぎると思った。しかし問題の9つのグランタがアショーカ王由来のものならば、それは仏典ではないかと思ったりも。しかしそこにラーマの弓コーダンダが出てきたり(カルキとおんなじじゃん)、ジャヤーユの兄であるサンパーティがそれを護っているとかいいくら加減にヒンドゥー神話を混ぜてくる。VFXの使い方は滑らかでよかった。客にクライマックスの列車のシーンはもう少し上手くできたんじゃないかと思った。ところで主人公の父は誰?

映画にベッドシーン要らないという意見、 

もしかして、映画の中で犬猫が死ぬのを見たくないという昨今の流れと関係があるのかもしれないと思った。ベッドシーンの撮影現場で性加害が行われているのではないか、あるいは性交のシーンを取り入れること自体がマイルドな性加害なのではないかという心配がよぎるらしい。実際にはしてない=犬猫は実際には元気だから大丈夫と言われてもそれじゃ心休まらないというのと同じなのかも。

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超大物スターの 

妻からの離婚申し立てがニュースになってから、気が付けばそのスターのファンダムが静かになってる。要するに推し活ってのはそういうもんなのか。

映画にベッドシーン要らないという意見、 

一定期間おきに何度も現れるけど、あれインド映画のソングとおんなじで、欧米映画の娯楽要素の定番としてのお約束になってる感がある。欧米ではあれが見たい人が一定数はいるんだろうと推測する。擁護派が、いやあれには意味があるとか必然性を説いてみたりするのもおんなじ。

Pranayameenukalude Kadal (Malayalam/2019) をオンラインで。 

ラクシャドウィープを舞台にした貴重な作例と知り。しかしカマル監督の耄碌を感じざるを得ない出来。カーストの違う(女の方が明らかに上)男女が出会い惹かれあっていくが、旧弊な娘の親により男の方は命を脅かされるまでになりながら愛を貫くというよくある話。しかしまず男の造形に完全に失敗している。イントロからセルフィーをとるため無茶をしてレスキューを呼ぶ公益の敵として現れ、どこかで反省して真人間に戻るのかと思っていると全くそうならず、ヒロインへのストーカー的な追い回しからいきなり唇を奪う暴挙に出る。典型的な半グレのヤバい奴。そんな相手に惚れるヒロインの方も、要するに造形がダメ。ヒロイン一家がアラッカル家の末裔という設定は興味深い。色々と無理をして祖母にも母にも夫は不在という設定にしてあるが、その組み立てが雑で、まるで女護ケ島みたいである。ヴィナーヤガンが演じる忠犬ハイダルにも何か劇的な転機が用意されているでもなく、あっけない終わり方(『パリエルム』をちょっと思わせはするが)。ディリーシュの役柄も不発。

Moppala (Malayalam/2025)をオンラインで。 

ウィキペディアページすらない低予算作品。サントーシュ・キーラットゥール主演で、テイヤムがテーマというのに惹かれ(Kantaraと響き合うものがあるかとの期待もあり)観た。30年ぐらい前の芸術映画の作り。芸術映画なのに字幕は良くない。山奥の村に妻と住む評判の高いテイヤム芸人パニッカル。一人娘は恋人と駆け落ちのように結婚して多少開けたところに住むが、孫息子は祖父と共に過ごし、テイヤムの踊り手になることを切望している。少年の父親はテイヤム芸人のカーストではないため、保守的な村人からは認められない。一方で祖父は体の衰えを理由に引退しようとする。特に解決策は示されずに終わる。テイヤムの担い手はダリトと思い込んでいたが、低位カースト全般とのことで、異カースト婚の禁忌も、必ずしも下位の男と結婚したからではなく厳格な内婚規範への違反だから非難されたということに思われる(確証はない)。子供の父が「村にいるよりも移民労働者と一緒にいた方がまだ気が休まる」などと口にする。PottanかGulikanか?とテイヤムの種類を尋ねるところが興味深い。

Kuttavum Shikshayum (Malayalam/2022)をオンラインで。 

ラージーヴ・ラヴィをつぶすプロジェクトカンヌールが舞台のポリティカル・スリラーみたいなものを想像してたけど全然違った。宝石泥棒を追う警察官の実録もの風。ソングなし。最終的に人は死なないのだが、次の瞬間何が出てくるか分からない状況に登場人物たちを追いやり、観客にも同じ気持ちを味わわせる。老齢の捜査官にリタイア後の見通しを語らせるところなど、殉職の死亡フラグかと思わせて何も起こらない。伝統的作りで、あっと驚くような逆転劇は起きず、状況証拠を積み重ねて真犯人特定に至るが、逮捕に至るまでの困難の描写に重点が置かれる。窃盗団はラージャスターン南部の僻村の住人。いわゆるクリミナル・トライブであることが暗示される。しかしTheeran Adhigaaram Ondruに比べて陰謀論的ではなく、リアリティーがあって、まあそうなんだろうと納得。ケーララ人の目から見た異郷である北インドの鬱陶しさ(現地警察も含め)がこれでもかと畳みかけられる。冒頭にあるサージャンがデモ隊青年を射殺したエピソードの意味をもっと考えること。

Marakkar: Lion of the Arabian Sea (Malayalam/2021)をオンラインで。 

約3時間の時代劇アクション大作。バーフからこっち、マ映画で至宝モーハンラールを使って同じことをやる映画人が出てくるとは思ってたが、それがプリヤン先生だったとは。100カロールのマ映画空前バジェットながら多言語展開はしなかったようで、パンデミックも影響して大フロップになった模様。カリカットのザモリンとの協調関係下で交易により栄えたマーピラがポルトガルに覇権を奪われ歴史の表舞台から消える最終局面を描く。しかし時代精神を描く意識は希薄なことが様々な点に現れる。ポルトガル人は悪役として重要だが全員が英語を話す。16世紀末のザモリンの宮廷の貴紳が全員詰襟のネルージャケットみたいなの着てるし。変てこ兵器博覧会。登場人物が多すぎて最初は何のことやらさっぱりわからない。ザモリン宮廷内の反ポルトガル派に推されてポルトガルを海戦で打ち破ったが、宮廷内の派閥対立や身内の陰謀などで捉えられて処刑されるにいたるという物語。プラナヴが親父様の青年期を始めて本格的に演じたのではないか。それは良かった。

Thuramukham (Malayalam/2023)をオンラインで。 

Annayum RasoolumやKammattipaadamのラージーヴ・ラヴィは気になりながらも追えていなかったが、すごく進化していた。いわゆるソングはないが、劇伴がダークなジャズでサックスのいがらっぽさが圧倒する。1940年代?のマッタンチェーリの港湾労働者(大多数がムスリム)の惨状の中から立ち上がった後姿を消した伝説的な巨漢。50年代になりその息子2人がたどる運命を描く。兄は反権力的な気風を持ちながらもボタンの掛け違いからグンダーとなる。きまじめな弟は左翼運動の渦中に身を投じる。息子の世代になると労働者はムスリムだけではなくなる。ヒロイズムを排した年代記としての俯瞰と個人の情動の描写のブレンドが見事。虚無的な結末はMalikを思わせる。ニミシャ、ダルシャナに加えてプールンニマの演技が印象に残った。土地の金貸しとしてホワイトジューが登場するなどディテールにも興奮。Chaappa Kurishuのチャーッパーという語はここから来たのか。そしてクライマックスは1953 Mattancherry shootout。

Tourist Family (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

日本語での怒涛の感想を目にして、「犬を戻してやれ」が異常に多いことで考えた。インドでのレビューではそうしたものを見た覚えがない。愛犬と一緒に写真に収まるセレブなどを見ているとその感覚はないかもしれないが、インドの庶民の間では犬猫などというのは「迷惑かけなきゃその辺で勝手に生きてろ」なもので、件の“兄”のように人格化して思い入れをする人はまだ少数派だと思う(中産階級の中ではそれなりの割合を占めているかもしれないが)。一度捨てられたにもかかわらず戻ってきた犬は一家のことを主体的に選び、“兄”のことは忘れたと考えるのが妥当ではないか。動物本位制で作品をジャッジするのはどうよと思った。しかしセンシティブ表現の有無をあらかじめ調べてくれるサイトの最王手の名前はあれだったし、世界的な潮流がアレなのは頭では理解できる。本作における動物の位置づけは、まあ昭和の時代のそれなんだと思う、遅れてるとか進んでるとかの問題ではなく。

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Karutha Joothan (Malayalam/2017)をYTで。 

Ezra以外のユダヤ人映画を探してAIに勧められた芸術映画。字幕なしだが台詞のマラヤーラム語書き起こしはあり、それを機械翻訳で英語にしての鑑賞で、理解度は40%ぐらい。サリム・クマール監督・主演。演技としては「Adaminte~」や「Achanurangatha~」と同じ系統で、新味は感じない。トリシュール近郊のマーラという村でコミュニティーを形成していたユダヤ人たちが、イスラエルへの帰国運動で村を去る。主人公はインドユダヤ人の歴史を調査するための旅行中に事故に遭い、行方不明→行旅死亡者とみなされる。母と妹はパンチャーヤトに家を託しイスラエルに去るが、やっとの思いで主人公が帰郷した際には家の権利を放棄したものとみなされてしまう。郵便局となった家の軒先で暮らした主人公は、パレスチナ支持者によって殺されてしまう。ラメーシュ・ピシャーラディの役柄はおそらくコーチンのホワイト・ジューなのだと思う。葬儀の手順やユダヤ民謡など色々ためになる情報が多い。パレスチナ支持者に殺されるプロットは不評。母と妹のその後の物語を知りたい。

With Love (Tamil/2026)をイオンシネマ市川妙典で。 

5番スクリーンは結構埋まってた。AJ監督はこんなに早く主演デビューしていいのか。演じ手への転向は才能が枯渇してからにすべきではないか。無害なロムコム。過去の有名作(96、Premamなど)と比べて突出しているということはない。平凡な男のこっぱずかしい恋愛という点ではDudeの方が変化があってずっと面白い。ヒロインの職業がインフルエンサーというものバカっぽい。ストーカー男へのダメ出し、相手のスマホを勝手に覗くことへの断罪を入れたのは現代的。Little Heartsなどで見られた人間の言葉を喋るけだものが(謎プロセスを経て)何とか人らしくなるストーリーとしてもマイルド。冒頭のバイクはAlai Payutheyオマージュか。学校を尋ねるシーンは96。アビシャンもアナスワラも高校生時代役をか何とか自身で演じられる見た目。TFがらみのカメオは大騒ぎするほど面白いものでもない。リードペアの過去の憧れの相手を演じたSacchin NachiappanとKavya Anilは良かった。最近の若者はbossの代わりにjiを使うのか。

Moothon (Malayalam/2019)をオンラインで。 

ラクシャドウィープが舞台とのことで鑑賞。島(どこかわからない)で生まれた漁師の男がムンバイに出奔して赤線地帯カーマティプラのプチドンになっている。人身売買や薬物に携わり、自身も薬やアルコールに溺れている彼は、島ではKuthu Ratheebの名手であった。Jeseri方言もこれまでになく追及されているという。ラクシャドウィープが舞台、それ以上の情報は何もなく望んだのでクイア展開に吃驚。この部分の描写はかつてないほどにインパクトがあり、丁寧だった。「We Are Faheem & Karun」「Sabar Bonda」を見た時も思ったけど、同性愛に敵対的な社会の中で、どうやって同じ性的嗜好性を持つ相手を見つけ、そのうえでさらに相思相愛であることを感じ取るかというのは、ヘテロの恋愛映画で描かれるFallin’ Loveとは比較にならないほどにデリケートな問題だから(ヘテロ映画でも一目ぼれソングで説明してしまうのが多い)。本作でのそのプロセスは本当に美しいものだった。一方で子供のジェンダーを巡る不思議な揺れはよく分からなかった。

俳優の映画プロモーション参加についての記事。後で読む。
Should actors sell their films?: Biju Menon row makes Malayalam cinema debate promo culture
thenewsminute.com/kerala/shoul

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