ウィンターズ・ボーン
DVDにて。ミステリー調だが、この映画の焦点はそこではない。ウィンドリバーに似てた。
アメリカに現存する「リアル北斗の拳」こと、オザーク地方(ミズーリ州)のヒルビリー(アイルランド系アメリカ人)たちの何気ない日常(笑)、じゃなくて、とんでもなく苛酷な日常を描いていた。スリービルボードみたいな映画が好きな人にはオススメ。
この映画の子供達がとても印象に残った。
この映画の主人公は色々あって、親の代わりに弟と妹(幼稚園児ぐらい)の面倒を見てる。自分がいなくても子供が一人で生きていけるように、弟や妹に対して文字通り「生きる術」を教える。狩り、動物のさばき方、料理、暴力が支配する現実、学校の勉強を教える。
今の日本では子供にそんなことは教えない。教えるものと言えば、スポーツ、親の趣味、スマホ、自慢話、株の儲け方、会話におけるお茶の濁し方、ぐらいなものだろう。
生きるために必要のない(スマホいじりとか買い物とかゲームとか)ことを毎日やっている我々日本人よりも、極貧ヒルビリー達の方が活き活きとしているように見えた。
我々が考えている良い人生とは一体何なのだろうか?
今更知りましたが、パピヨンがリメイクされたのか。
https://eiga.com/movie/90136/
てか、リメイクする意味あるのかね。スティーブ・マックウィーンみたいな俳優が今ハリウッドにいるのか?というといない気がするし・・・。どんなに頑張っても、パピヨンのあの凄まじい「どん底」描写には勝てないと思うぞ。
元の映画とは別の趣向で描いたらイケるかも。。。だけど、それってもはやパピヨンのリメイクではなくなるし・・・。
>>> 脱獄映画の金字塔とも言われる1973年製作の(以下略)
・・・そうかなぁ?この映画はスマートな脱獄芸を見せるわけでもないし、多分、リア充(a.k.a中流階級の愚民ども)がこの映画を観ても、(ショーシャンクの空に、みたいにラストで)スカっとするかというと?・・・しないだろう(笑)
明日の希望も、未来の見通しも、自己認識も何も無い、どん底の状況にいる人が観るとスカッとする映画だ。あとは、スティーヴ・マックウィーンのファンならスカッとするだろう。
好きな映画をリメイクされると、色々嫌味を言いたくなるwww
うん。すごい映画を作ってくれるはずだ!!!期待しましょう!!!
クレヨンしんちゃん モーレツオトナ帝国の逆襲
https://ttcg.jp/cineka_omori/movie/0516200.html#movie-schedule
キネカ大森でやってます
Merry Chrismas! ロンドンに奇蹟を・・・
1840年代のベストセラー”クリスマスキャロル”がどうやって書かれたかという著者チャールズ・ディケンズ視点のお話。とりあえず古典のどストレートなんでどうのこうのいう映画ではないです。
しかし配給元の東北新社にはものいっておきたい。なんでこれを仕入れた?
何か他の作品と抱き合わせで買わされたのか?吹き替えまでして。
でも劇場公開する必要あったか。クリスマスシーズンの月初出入り鼻に邦題のこのタイトルってレンタルDVDでもチョイスしないだろう、作品の善し悪し関係なく問題ありではないか。多分にバイヤーの適当感が漂う不思議な残念感。同じ劇場で公開しているファンタビとくるみ割り人形にタイマン張って勝算あったのだろうか。おかげで10時40分開始の劇場内で最後まで観客は私一人だけ。映画の関係者上映でもないだろうに。人生2度目の劇場ひとりぼっちだ。怖い映画だったら効果倍増だったわ。残念ながらクリスマスを待たずに打ち切りになりそうだ。そこそこまじめに作っているのに誰向けな映画だな。
実存主義の入り口と言われている、サルトルの嘔吐を読み始めた。
実存主義と言えば、昔観た映画「桐島、部活やめるってよ」が連想される。この映画、哲学映画だから僕の大好物の部類なんだけどあまり何度も観たくない。なぜなら学園モノだからであるwww。この映画には、人間のゴミと言っても過言ではないような、クソムカつくリア充が登場する(訂正、ゴミは僕ですwww)。まさに嘔吐の対象である(訂正、いやいや、羨望の対象ですね。嫉妬は良くない!)。こんな映画観れたもんじゃない(訂正、すごく良い映画ですよ!)
嘔吐を30ページぐらい読んだけど、巷のクソ啓発本とは違って、なかなか歯ごたえのある本だ。全然ページが進まん。そして、建設的なことは何も書かれていない。良いねwww。大好物である。
ボヘミアン・ラプソディ
https://filmarks.com/movies/73709/reviews/58465791
とにかくフレディの孤独の描き方がよかったです。メアリーを見つめる目つき、家族だと思っていた仲間に別の家族が出来ていくあたりでの顔つき。ずっと感情的な面で頼れる相手がメアリーしかいない、その寂しさも夜中の電話や一方通行のやりとりで効果的に描かれていたように思います。その肌を焦がすような孤独に、どうにもフレディを自分自身のように感じてしまい、途中からハンカチが手放せませんでした。